孫娘が6月に3歳の誕生日を迎えたので、
今年は七五三の三歳のお祝いの年にあたる。
三歳用のお祝い着は
私が長女を生んだ時に母が仕立ててくれたものがある。
それは本当はお宮参りに使用したものなので、
後ろ姿には赤地に白の雲どり、
金の刺繍で鼓の柄が豪華に描かれている。
しかし、それを着物の形に仕立ててしまうと、
肝心の鼓の柄は背中側だし、
お被布を着てしまうと
ほぼほぼ隠れてしまう。
結局、赤い無地場が多い着物ということになってしまうが、
これを私の娘たちは三歳のお祝いに着た。
赤い着物に鹿の子のお被布(ちゃんちゃんこ)というのも
可愛い組み合わせである。
一方、昨年秋、
懇意にしている呉服屋さんが店じまいすることになり、
その閉店セールで
可愛い七五三の三歳用セットを見つけた。
娘に着せた赤い着物と被布はあるものの
それ以外の小物もないし、
やっぱり新品は素敵だったので、
つい買い求めてしまった。
どちらを着せるにせよ、足袋とかんざしは必要だと思い、
昨日、別の呉服屋さんに出向いて、
新たにかんざしを求めてきた。
帰宅して、古い着物と新しい着物を
押し入れと茶箱から引っ張り出し、
比べてみた。
そうした作業は案外時間のかかるものなので、
夏の終わりの日曜の午後、
あれこれ広げていくうちに
昔のことが思い出されてくる。
亡くなって久しい私の母が
私にできた初めての娘(志帆の母親)のお宮参りに、
準備した赤い着物。
お宮参りの時は母の肩からかけただけの着物を
その子が三歳の時に着物に仕立て直し、
さらに被布を着せて神社にお参りした。
(その時の写真が最後の方の2枚)
次に次女が生まれ、
次女の三歳のお祝いの時もその赤い着物を着せたが、
私の母はその時はもう亡くなっていて
次女の三歳のお祝いを見ることはできなかった。
以来30年余りの年月、
茶箱にしまわれ、ぺっちゃんこになっていた
赤いお祝い着。
出してみれば、
小さなシミもついているし、
正絹とはいえ、最近のものにくらべ、
へたった感じは否めない。
それに引き換え、
しつけのついた真新しい一揃えは
いかにもふかふかして可愛いい。
さあ、志帆のお祝い着としてどちらを着せるか。
せっかく買ったんだから、真新しい方か。
自分も着たというストーリーのある古い方か。
選択は娘に託すことにした。
七五三は子供が生まれ、
「3年、つつがなく来られました」
「5年、元気に過ごせました」
「7年、ここまで成長しました」
そんな節目に感謝するお祝いだ。
そこには子供が生まれ、育つ間に関わった親やそのまた親や
亡くなっているけどそのまた親など、
たくさんの人の祈りの気持ちが込められている。
人はひとりでは生きられないし、
たくさんの人の助けを借り、
愛情を受けて、大きくなる。
そんなことをしみじみ思い返しながら、
ふたつの着物を見比べてみる。
単にどちらが志帆に似合うかみたいなこと以外のことが
大切に思えてくる8月の終わりだった。
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