2021年12月28日火曜日

お正月準備 第1弾

 








2021年12月28日
今日は今年最後の大安だ。

いつもは大安も仏滅も気にせず、
暮らしている人間だが、
お正月準備の門松を飾る時は
ちょっと気にする。

というのも、昔、母から
暮れの29日に門松を飾るのは
「九(く=苦)飾り」といって縁起が悪いから、
その日は避けるようにいわれ、
何となく印象に残っているのだ。

29日を避けるとなると、
30日もありかなとは思うが、
花市場はもっと前に終了してしまうので、
やはり28日までには飾りたいところだ。

他に気にすることは
いつが最後の生ごみの日かということだが、
月金のこの地区は
金曜日は31日で収集は無しで、
29日水曜日にイレギュラーに収集すると
電柱に張り紙がしてある。

となると、
28日の日までになるべくゴミの出るものは
やってしまうのがいいということになる。

そんなこんなで本日28日大安に
門松やお正月用のお花を生け、
その残骸は
最後のゴミ屋さんに間に合わせるというのが
ベストなお正月準備日程だ。

余談だが、
今日は最後のプラゴミの日でもあったので、
朝8時前から45ℓのゴミ袋パンパンに詰まった
プラゴミを出すことから1日は始まった。

そして、いよいよお正月準備の
始まり始まり。

我が家では、まず、松前漬のするめを切るという
作業から、それは始まる。

するめ、昆布、人参をそれぞれ切り、
バランスのいい分量に準備したら、
うさぎのキャセロールに入れる。

このうさぎのキャセロールは
約35年ほど前、
香港に住んでいた頃、
イギリス系のデパートで購入した。

当時はキャセロールはキャセロールとして
お客様の時などに
ミートソースとナスとじゃがいもの重ね焼とか
ラザニアあたりを作っていたような…。

しかし、ここ20年ぐらいは
このうさぎさんは松前漬専用になった。

とにかく、この器にいれたするめに
どぼどぼ大量の日本酒を注ぎ、
醤油を足したものを
テレビの横に置き、するめが膨潤するのを待つ。

4日目ぐらいから食べごろになるので、
それがいつの間にか
正月準備の最初の仕事になった。

他には
昨日、買ってきたつきたてののし餅を
切って冷凍庫に保存した。

結婚以来、餅は餅つき機で自作していたが、
数年前に2代目の餅つき機が壊れたのを機に、
お餅は買って済ませることにした。

幸い、我が街には
大正5年創業のますだやさんというお餅屋さんがあり、
「餅屋は餅屋」ということで、
お任せすることにしたのだ。

また、朝の情報番組を見ていると、
栗きんとんの簡単な作り方というのを
やっていて、
1週間は冷蔵庫でもつと言っていた。

電子レンジを多用するので、
鍋でコトコト煮詰めたりしなくても
いいらしいので、やってみることにした。

栗きんとんは
我が家のおせち料理の中で最も人気がないので、
あまり時間をかけても甲斐がないと思っている。

だから、こうして早々に出来上がってしまえば
気が楽だ。
後はそのまま出すのか、
茶巾絞りにするのか、
楽しみながら考えてみようと思う。

ふと庭に目をやると、
万両の赤い実がなっている。

茶巾しぼりにして、それらしい器に盛り、
万両の実を添えるなんて、
ちょっと素敵かもと思った。

こんな風に
2021年の年の瀬は静かに暮れていく。

例年のような大人数の親族会は
今年は無しで、
長女たちファミリーと次女だけが集うことになった。

娘たちはもちろん、婿や孫たちに
オーママの手作りおせちを楽しんでもらう、
そんな新年を迎えたいと思っている。















2021年12月24日金曜日

大人のクリスマス・ディナー

 









ダンナと二人だけのクリスマス・イヴ。

遂にクリスマスツリーもなければ、
プレゼントもなし。
お花さえ飾らなかったけど、
とりあえず、クリスマスディナーだけは作った。

今年のメインは
「骨付き鶏もも肉の赤ワイン煮込み」
他には
「カプレーゼ」
「シーザーサラダ」
「パンとチーズ、巨峰の干しブドウ」
そして
「アップルパイ」

メインの「鶏モモの赤ワイン煮込み」は
いつもの鶏モモのローストより
ホロホロに柔らかく煮込まれ、
大人の味で大正解。

出来上がりの見た目より
簡単にできるのが、尚、良し。

他の「カプレーゼ」と「シーザーサラダ」は
切っただけだ。

「シーザーサラダ」に厚口ベーコンを
ゴロンと入れるのは
昨日の絵画教室の忘年会の
ドイツ風ビアレストランの真似。

「アップルパイ」も
昨日、テレビで三国シェフがやっていたのの
パクリ。

レシピをメモすることさえせずに
適当に作ったけど、
紅玉だけは買ったので、
既製品より甘くなく、
パイもサクサクに仕上がり大正解。

例によって
ダンナは当たり前の顔して、
美味しいともまずいとも言わずに、
バクバク食って、ゴクゴク飲んでいる。

でも、ここのところ、
整体の先生と美容室のオーナーと、
私のファンの若手男性陣が、
「旦那さん、それ、一回絞めた方がいいっすね」
と、
ダンナの私への塩対応を諫めてくれているので、
私は溜飲を下げている。

ともあれ、
コロナ禍の2年目のクリスマスも
こうして誰も罹患することなく
無事に乗り切ることが出来た。

クリスマスが過ぎたら、
残り1週間、
大掃除とおせち料理にシフトしながら、
2021年を終えられたらと思っている。
















2021年12月22日水曜日

ギャルリーVIVAN 鎌倉に移転

 










銀座にあったギャルリーVIVANが
このほど鎌倉の小町通に移転した。

最初は銀座5丁目の古いビルの6階にあり、
20年近く前、
私も個展をやらせていただいたことがある。

何でも銀座で1番か2番に古いビルだとかで、
ちょっとエレベーターに乗るのが
怖く感じるような建物だった。

しかし、版画のギャラリーとしては定評があり、
版画家の上野さんに紹介してもらって
個展の開催にこぎつけたものだった。

その頃は主に版画を扱うギャラリーで、
一部、万華鏡のコーナーもあるといった
画廊だった。

その後、そのビルの解体が決まって、
ギャラリーは銀座の別の場所に移転して、
10数年。

その間にオーナーの緒方和子さんの興味は
どんどん万華鏡収集に移っていき、
版画のギャラリーというより、
今は完全に万華鏡の方に軸足は移っている。

今回の移転先は
鎌倉小町通に入ってすぐ、
左手の路地の奥、寿ハウスの1階だ。
(とんかつ小満ちの手前を左に入る)

小町通は知っての通りの
若者でにぎわうミーハー通りだが、
寿ハウスへの路地に入ると
途端に別世界のような雰囲気になる。

ヨーロッパ調の噴水がある中庭を囲んで
VIVANと美容室があるのだが、
急に喧騒を離れ、
ちょっとここは日本かしらと思うような
空間になっている。

手前が万華鏡、
奥が版画のギャラリーになっているので、
どうしても万華鏡に重きが置かれているとしか
思えない造りだ。

なので、今までは版画の展示しか見てこなかったが、
今回は思い切っていくつかの万華鏡を手に取り、
実際に覗いてみた。

今や万華鏡は日本人作家が大勢いるとかで、
いかにも外国のものといった感じのものから
木で出来ているもの、陶器で出来ているものなど、
穴から覗けばどれも万華鏡には違いないのだが、
多種多様なデザインのものがあって
面白いし、奥深い。

ひとつ、陶器でできている日本人作家のもので、
中のガラスの色が黒と薄紫とピンクという
大人っぽい万華鏡を見つけ、
とても心惹かれ、
危うく買ってしまいそうになった。

聞けば、
知り合いの版画家の息子さんの作品だとかで、
以前はその息子さんも版画を創っていたけど、
今は万華鏡作家になったんだとか。

万華鏡にはそんな人を惹きつける魔力みたいなものが
あるのかもしれない。

私も次から次へと
手に取り覗きたくなった。

今日は北鎌倉のお茶のお稽古に行く前に
鎌倉まで足を延ばして寄ったので、
私は着物を着ていた。

オーナーの緒方さんが会場で出迎えてくださったけど、
着物だったせいか、
まるで見違えたと驚かれてしまった。

彼女が銀座のギャラリーオーナーだった頃には
しなかったようなプライベートな話が出て、
ご自宅が長谷であることや、
お母さまがお茶をやっていらしたこと、
版画から万華鏡への心変わりなど、
親近感が湧くお話をいろいろ聞けた。

それは銀座という土地柄と
地元鎌倉という土地柄の違いかもしれない。

きっとこの秘密基地のような路地裏のお店には
鎌倉のファンがついてくるに違いない。

私もまた、
次はお気に入りの万華鏡を探しにこようかなと思う。

そして、自分も版画にこだわらず、
創りたいものを創り、
描きたいものを描けばいいと、
少し心が自由になった気がした。

午後、今年最後のお茶のお稽古も無事終了。

コロナの制約の中でも
たくさんの人と出会い、楽しい時間を過ごせたと
今年1年を振り返り思った。

どんな次の1年が始まるか分からないが、
万華鏡の中のきらめきのように、
自分の心を自由に、今あるこの時を大切に
生きようと思う。



















2021年12月21日火曜日

イヴ4日前のクリスマスディナー

 














今年最後のばぁばご飯。
少し早いがクリスマス仕様。

リクエストに応えて、
「ラザニア」
「ポテサラ山」
「ほうれん草のクリームスープ」
「キャロットラペ」
「白菜のコールスロー」
「生サーモンの胡麻フライ」
「五目炊き込みご飯」
「鶏南蛮」
以上8品

いつもより品数が少し少ないが、
何だか時間はいつも通りかかってしまった。

ラザニアとか
炊き込みご飯とか
ほうれん草のクリームスープとか、
やたらと具材を
たくさん刻まなければならなかったのと、
サーモンの胡麻フライと
鶏南蛮という揚げ物が2題
あったせいかもしれない。

しかし、夕方、保育園から帰宅した
孫1号と孫2号の食いつきはすさまじく、
特に孫2号にとって初めて食べたラザニアは
衝撃の美味しさだったらしく
指さし叫んでお替りを何度も要求していた。

志帆とママには
クリスマスプレゼントに本を持っていった。
志帆には「サンタさんがきたら、その時一緒に
オーママのプレゼントも開けてね」と言ってはみたが、
待ちきれず開封してしまった。

その飛び出す絵本は
目を輝かせて見ていたので、
かなりお気に召した様子。

この本は組み立てると
すごろくになるらしいのだが、
実物を見て選んだわけではなかったから、
予想以上に美しい絵本で一安心だ。

ふたりのやんちゃぶりを見ていると
つくづく子育ては戦争だと思うが、
こうして何とか2021年も暮れようとしている。

「無事是貴人」

何ごともなく、みんな健康で、
一年無事に過ごせたのは
本当にありがたいこと!

2022年もいい年でありますように。
そう願いつつ、
今年最後のばぁばご飯の日が終わった。

























2021年12月20日月曜日

癒しのバスタイム

 


今週になって、
一段と寒さが厳しくなってきた。

戸建てに住んでいると
特に暖房をつけていない部屋は極寒だ。

この季節、
1日の終わりにお風呂に入ることが
何よりホッとするという方は多いのではないだろうか。

心理カウンセリングの認知行動療法では
ストレスを感じたら、
ストレスコーピングリストという
自分だけのストレス解消法のリストを作って、
その中からいくつか選んで
意図的に実行し、
ストレスを解消するという方法がある。

そのリストは100個ぐらいの
癒しのアイテムがあるのがベストとされ、
それは特段お金のかからない手軽なものでよく、
それをその日の気分でいくつか選んで
自分へのご褒美として行うというものだ。

最初に大きな項目をたて、
それを1項目10~20ぐらいに膨らませ、
計100個ぐらいにする。

大項目は
「食べること」
「おしゃべりすること」
「旅行」など
自分が好きなことを選び、
更に具体的にどこの何を食べるなどのように
細かくリストアップする。

そんなストレスコーピングの大項目に
「お風呂に入る」という項目を入れる人は多い。

そういう人はたいてい温泉好きなのだが、
毎日、温泉に行くわけにもいかないので、
結局、入浴剤の銘柄などにこだわりを持って、
自宅でのお風呂タイムを楽しむことになる。

私は大して長風呂派ではないが、
やはり疲れているなと感じる時は、
いつもより長めに湯船に浸かって、
心身の疲れをほぐすことが
ストレスコーピングになっている。

その時に使う入浴剤は
今までは「エモリカ」一辺倒だった。
ダンナが冬場の乾燥肌を潤す目的で
買ってきて以来、
香りも使い心地も気に入っていた。

しかし、何を思ったか、
最近、ダンナが
バスロマンの「シアバター&ヒアルロン酸」という
男の人が選ぶとも思えない香りを選んで
買ってきた。

バスロマンには他に
「森の香り」「桜の香り」
「ヒノキの香り」や「ゆずの香り」だのと
和風の名前がついた
温泉を連想させるような香りが揃っている。

シアバターのサブタイトルに
「くり返す乾燥肌にしっとり潤い」とあるので、
きっとその文言に惹かれたに違いない。

そして、そのシアバターの香りといったら、
想像以上にエキゾチックな濃厚な香りで、
白濁したお湯は柔らかい泉質になって、
香りと共に肌にまとわりついた。

バスロマンだのバスクリンだのという入浴剤は
1930年代からある昭和の入浴剤だと思っていたが、
最近は香りや成分のラインナップが一新され、
いわゆる昔からある入浴剤の概念を
打ち破ろうということらしい。

入浴剤市場は
「花王のバブ」と「ツムラのバスクリン」が
古参かと思っていたら、
2012年に「バスロマン」のアース製薬が
ツムラを傘下に収めたとかで、
今やアース製薬がバスクリンと共に
一大市場になっているとか。

アース製薬は殺虫剤を作っている会社だと
思っていたので、
これはかなり衝撃だった。

とにかく、ゆずやジャスミンあたりの香りか
草津や別府、登別だといった香りが
日本の入浴剤だとばかり思っていたので、
シアバターには一本取られたという感じだ。

というわけで、
2021年の師走の疲れは
自宅の湯船にシアバターの入浴剤を溶かし、
インドかどこかでアーユルベーダの施術を
受けているつもりの入浴で
解消しているというお話。

皆様も機会があれば、
「バスロマン」の「シアバター&ヒアルロン酸」を
是非、お試しあれ。


2021年12月19日日曜日

年賀状制作の是非

 





師走もいよいよ19日。
あと12日で今年も終わる。

月初に4日間、旅行に出かけたしわ寄せが
いつになっても解消しない。
その上、この時期ならではの年中行事に
ますます追い詰められている。

その筆頭が
年賀状の制作だ。

私の年賀状はもちろん木版画による
手作り年賀状。

作画の部分が自刻自摺の版画なので、
当然、あて名側も
自筆で書いている。

枚数は150枚と毎年決めていて、
それ以上創るのは
体力も気力も限界だ。

それ故、
送る方々は150名様以内になるよう調整するので
あて名書きに関しては
まずは名簿作りから作業は始まる。

今年は久々に個展があったから、
お礼状の意味も込めて、
新しく名簿に加えたい方もいる一方、
何十年も前に会ったきり
顔も思い出せない方をどうするか。

私にとって
個展は重要な分岐点なので、
年賀状のみの繋がりの方とは
辞め時のサインになる。

もちろん、
あて名書きのその前に版画を創るので、
「来年は寅年か~
どんな作品にしようかな」という悩みは
11月には始まっており、
12月に入るとすぐ、原画に着手することになる。

それが今年は旅行で遅れた分、
何だか気ぜわしさが増してしまった。

いつもの木版画制作に比べ、
年賀状の木版の難しさは
相手が小さくて摺りづらいというのと
洋紙なので、和紙のように湿して
絵具のつきをよくするという作業ができないこと。

そのせいでチマチマと小さい部分に
力を入れて
彫ったり摺ったりしなければならず、
思いのほか、肩も首も凝るし、
腕のおかしな筋肉を酷使することになる。

結果、いつもは作業後にする
肩甲骨はがしのストレッチも
疲れ過ぎていて、やろうという気にならず、
整体の先生のところに行くまで放置するので、
ますます悪化の一路をたどってしまう。

そんな年賀状制作に時間を取られる日々とは
お構いなしに
カウンセリングや絵画教室、
シポリンワーク、
お茶のお稽古や陶芸工房の制作などが
次々やってくるので、
ハッと気づくと何日もブログをアップできていない
ということになる。

娘に言えば、
「ブログなんて誰が見ているの?」
「どれか辞めれば?」
ということになるので言わないが、
一番辞めたいのは
年賀状制作ということになる。

友人の銅版画作家は
数年前の年賀状で
「年賀状は今後、創らないことにしました」と
宣言した。

その気持ちは手に取るように分かる。

両面印刷の簡便な年賀状や、
見たこともない他人の子の写真付き年賀状に
まぎれて処理されるには
大変すぎる版画の年賀状制作。

今の時代とかみ合わないレトロな作業に
なってしまったのだと認め、
撤退するのが良策なのかもしれない。

さあ、今年の年賀状、
受け取った方の感想や
元旦に届く年賀状の文面を読みながら、
次回の年賀状をどうするか
決めようと思う年の瀬である。







2021年12月12日日曜日

焼きあがった”和モダンの器”

  











土曜日の午後は陶芸工房の日だった。

いつもは第1・3週目に行っているが、
12月の第1土曜日は旅行中だったので、
第2土曜に振り替えた。

第2土曜のメンバーは女性ばかりで、
中でも2人はなぜか美大出身のウェブ・デザイナーだ。
他には作陶歴20年以上の師範代の女性と、
美大出身介護職という経歴の若い女性だ。

昨日は11月下旬に釉薬をかけて
本焼きに回した器が焼きあがってきて、
先生(男性70代)による講評が行われた。

私はいつものクラスではなかったが、
顔見知りばかりなので、講評にも参加し、
他のクラスの講評と
いつもとは違うメンバーの作品が見られて
とても面白かった。

このクラスのメンバーは作陶歴も長いし、
美大出身ばかりなので、
器の完成度の高いものばかりで、
いわゆる手びねりのヘタウマみたいな作品はない。

しかし、驚いたことに
皆、ひとり1点か2点しか焼きあがっておらず、
3か月に1回の本焼きにこの点数は
いかにも少ないというのが第一印象だ。

それに対して、
私は大小あるが、計19点。

それぞれ月2回の作陶日で登録しているのに、
この少なさにはビックリした。
逆に、私の器の数の多さにも
ビックリしたとは思うけど…。

講評の内容は
他のメンバーに対しては、
それぞれプロはだしの水準にまで出来ている器に対し、
もっとどうしたらいいという細かい指摘が続いた。

私の講評は部外者なので一番最後だった。
そして、一番講評しづらいのが
私の器だという風に言われてしまった。

つまり、先生はもっと几帳面で神経質、
正確無比な器しか創らない。
というか、創れない。

それに対して、私の器は自由奔放。
創りたいように創って、
少々歪んだり反ったりしてもお構いなし。

あまりに作陶に対する姿勢や感性が違うので、
講評しようがないというのだ。

きっと私の器は、真っすぐあるべきところが
少し揺れていたり、
お揃いの2つの器が、
微妙に違うカーブだったりするのが
気になって仕方ないのだろう。

私だって、同じカーブにしようと思うが、
型にはめたわけではないから
全く同じにはならないし、
これでも誤差の範囲だと思っているのだ。

私に言わせれば、
先生の器はうまく出来ているけど、
面白くないということになる。

先生は男性で、
長いこと、高校の美術の教師をしてきた。
現代美術の批評家という顔もある。
一方、私は女性で、
長いこと、版画家として木版を創ってきた。
特技は料理で、自分の料理を自分の器に
盛りたくて陶芸を始めた。

元々の感性の違いもあるが、
職業が育てた習い性や
器に求めるものもあるのだろう。

他の女性陣は
「萩原さんは萩原さんなんだから
このまま好きに続ければいい」
という先生の言葉に深くうなづいていた。

答えのない作陶、
売らなければならないわけではない作陶、
自己満足の域でかまわない作陶。

されど、なぜかファンがついていて
私の器たちは売れていく。
先生の頭には
疑問符が浮かんでいるのかもしれない。

個人的には
男性脳の女性脳の違いではと思っている。

まあ、そんな講評とはお構いなしに、
私は今回の白黒の角皿に
「キンパ」か「マグロばかりのお寿司」を
盛るつもりだし、
白と緑の和モダンシリーズたちも
普段の食卓で
お取り皿や盛り皿として活躍しそうだ。

ともあれ、
1点も欠けることなく焼き上がり、
めでたしめでたしな本焼きであった。

これからも街で売ってない
おもろい器を創ることにしよう!