10月8日は長女の40歳の誕生日だった。
とうの昔に独立し、結婚し子育てに忙しい娘に
わざわざ誕生日プレゼントを
親として贈るなどということは
いつもはしていない。
しかし、40歳という大きな節目の年。
個人的には人生の折り返し地点だという
気がしている。
長女がこの週末、
どんな誕生日を過ごしたのか
詳しくは聞いていないが、
最近の彼女は体調不良だったり、
コロナにかかったりで
災難が続いている。
子育ても5歳と2歳はなかなか手強く、
「皆、そんなもんだよ」と言いつつ、
仕事と家事・子育てとの両立は
「こんなに忙しいとは思わなかった」と
いう本音が、つい、もれ出てしまう。
思い返せば、私の40歳の誕生日は
ダンナの赴任先のシンガポールに着いたばかり、
まだ、引っ越し荷物も届いていない
新天地で迎えた。
ダンナは一足先に現地入りし、
女3人が1カ月遅れで到着した。
その時、長女は5年生、次女は2年生に
なったばかりの4月で、
しかも、現地のインターナショナル校に
通わせることにしたので、
英語も分からない子たちが馴染めるか
戦々恐々とした毎日だった。
そんな状況で自分の40代が始まることが、
すごく重たく感じられ、
何かきちんとお祝いの儀式を
してほしかったのを覚えている。
コンドミニアムのお隣さんが
どこの国の人かわからないけど、
テラスに横断幕をたらし、そこには
奥さんの誕生日を祝う言葉が書かれていた。
それを見た時、
すごく羨ましくて、
自分にとって記念すべき40歳を
何か思い出に残る形でマークしたいと思った。
結局、ダンナが予約してくれたのは
現地のインド料理のレストランだったので、
料理はスパイシーすぎて子供たちの口に合わず、
最後のバースデーケーキも人参ケーキとやらで
激マズだったことが記憶に強烈に残った。
何かもう少しスイートな出来事も
あったかもしれないが、
完全に激マズケーキに記憶はかき消され、
今は何も思い出せない。
そんなわけで、
長女は家族でお祝いしたかもしれないが、
明日のばぁばご飯に行く時、
ガトーショコラを焼いて
持って行ってやろうと、ふと閃いた。
毎年するわけじゃなくても、
節目の年はいつの間にか過ぎていくのは
よくないと思うから。
私はガトーショコラを焼くときは
井上絵美さんのレシピ本を開く。
お菓子は計量が命なので、
今まで何十回と焼いてきたけど、
まずはレシピ本を開くのが一連の流れだ。
ふと、いつからこのレシピで
焼いているのかと思って、
この本の発行日を確かめてみた。
1997年12月6日 第1刷発行
約25年前のレシピ本だ。
4半世紀、私は何かことあるごとに
このガトーショコラを焼いてきたことになる。
ちょうどテレビでは「徹子の部屋」に
美輪明宏がゲストで出ている。
87歳の美輪明宏はよぼよぼのおじいさんさんだか
おばあさんだか分からない感じ。
89歳の黒柳徹子はとても89歳には
見えないものの、年老いたことは否めない。
墓じまいの話や昔話に花が咲き、
最後は「終活なんて考えてないわ」
「私もおんなじ」と
「なるようにしかならない」
「また、次もこうしておしゃべりしましょう」と
楽しそうに対談は終わった。
客観的に見れば、
やはりふたりの人生の終わりは近いだろう。
そうなると
健康で自分の思い通りに生きられるのは、
80ぐらいがいいところだろう。
それをテレビのふたりは
如実に物語っている。
だから、40歳は人生の折り返し地点。
そこを
だらだらと適当に折り返してはいけない。
前半の人生をしっかり振り返り、
十分、ここで給水して、
次のステージに心も新たに向かうべきだと
思うのだ。
明日、娘にとっては
いつものママのガトーショコラかもしれないが、
けっこう重たい意味の含まれた
ガトーショコラを記念に贈ろう。
私が所属している団体展の会期が始まった。
場所は上野の東京都美術館、通称・都美館。
名称は「版画展」、主催は版画協会。
(ザ・版画だけの展覧会という意味とか)
最近は搬出入は業者任せだし、
審査にも展示にも関わっていないが、
自分の作品がどの展示室にかかっているのか、
見もしないで会期を終えるわけにはいかない。
ちょうど同じ会期に友人の団体展もやっていて
今年はその団体展内の企画で
壁面を10メートル以上もらって展示するから
見に来てほしいと書状付きのご案内が来た。
そりゃ、一世一代の大仕事だと思うので、
見に行ってあげなければと、
ひとり、上野駅に向かった。
上野駅10時15分着。
どこから湧いて出たのかと思うほどの
人・人・人
老若男女入り乱れ、
公園口から吐き出され、文化会館を横目に
奥の広場へと向かっていく。
まるで
「YOUは何しに日本へ」という番組があるが、
そう尋ねたくなるほどの人の多さだ。
バギーを押したり、小さい子供の手をひく
親子は、間違いなく上野動物園へ
行くのだろう。
文化会館のトイ面、
リニューアルした西洋美術館では
「ピカソとその時代」展なる展覧会をやっている。
今日は予定にはなかったけど、
にわかに観てみたくなる。
広場のテントはどこかの武将の旗をたなびかせ
縁日のテントやキッチンカーが立ち並び、
手前のいか焼きのブースから
香ばしいイカの匂いが広場中に拡がっている。
そちらによろめきそうになるのをこらえ、
都美館にはいり、
まずは版画展に入場し、
自分の作品が何室に飾られているのか確認する。
いつもどおりぐらいの13室の
正面の壁の少し左寄り。
まあまあの位置にあったので、一安心。
今年の6月の紫陽花展で皆さんに見ていただいた
作品なので、
再びお誘いしたり、案内状を出したりしなかった。
40数年前から出品しているけど、
自分の中の位置づけが変ってきて、
版画展そのものが遠のいているのを感じる。
見知らぬ若手の入賞作品を見、
旧知の会員の作品をそちこちに確認し、
あとは大きな会場を歩き通し、
出口に出た。
続いて、同じ都美館の上の階でやっている
「東京展」なる団体展を一巡した。
こちらはタブロー作品なので、
版画に比べ大きな作品ばかりで
好き嫌いは別にして、その熱量に圧倒される。
友人の企画展の作品も
ひときわ熱量の大きい作品群で、
私よりいくつか年上の彼女の顔を思い浮かべ
どこからそんなパワーがあふれ出るのかと
呆れるやら驚くやら。
東京展は写真撮影禁止だったので、
スマホはバッグにしまい、
会場の一番奥の休憩室に入ると、
そこは外界と遮断された無音の密室空間で
ガラスの向こうに動物園の裏口が見えた。
三連休の中日、
夕方からまた雨が降る前に
家にいてもしょうがないからと
出てきたらこの行列。
そんな喧騒に疲れた風の親子連れが
音のない世界の向こうで
裏口から次々出て来ていた。
見るともなくその景色を見ながら、
水分補給をして
キャラメルを一粒、口に入れた。
12時を少し回っていたが
今、お食事処に行くと満席が予想されたので、
行きに通った「ピカソのその時代」展を
見ていくことにした。
ちょうど12時30分までに入場する組に間に合い、
列の最後について
会場に入ると、ピカソのブルーの時代の作品が
目に飛び込んできた。
私が油絵を描いていた頃、
ピカソは時代の寵児ともてはやされ、
作品だけではなく
華やかな私生活や精力的な活動ぶりが
よく報道されていた。
3人分ぐらいの人生を歩んだと言われ、
膨大な量の作品が恐ろしい高値で取引されていたが、
亡くなった後、しばらくすればその価値が
決まってくるだろうと言われていた。
あれから数十年、
ピカソと同時代を生きた作家は多く、
この展覧会で、それらの作家たちにおよぼした
ピカソの影響力はいかばかりであったかと
うかがい知ることが出来る。
入場料2100円は、最初「高っ!」と
思ったが、
かなりの点数が来日しており、
見ごたえのある展示だったので、
十分その価値はあるのではないだろうか。
相当、歩き倒し、
もはや限界と感じたので、
駅の2階の台湾料理のお店に直行し、
順番待ちに椅子に座り込んだ。
30分は待つだろうかと覚悟を決めていると、
隣の40代とおぼしき女性が話しかけてきた。
「上野には何しにいらしたんですか?」と。
「私は都美館に来たんですけど、
帰りに寄った「ピカソ展」も
すごくよかったですよ」と答えた。
「えーっ、私も都美館です。
あの椅子の展覧会ですか」と
都美館でやっているスウェーデンの椅子展を
見てきたという。
そうそう、横目で見ただけだけど、
その椅子展にも人だかりが出来ていた。
異様に寒くなったり、雨が降ったりの
ここ数日、
なんとか夕方までは天気も持ちそうだし、
ちょうどいい気温。
みんな同じことを考えている。
YOUは何しに上野へきたのか。
わたしゃ上野に絵の鑑賞。
どんぶらこどんぶらこ
道には人があふれていたとさ。
昨日までの晴天とは打って変わって
今日からは気温がぐっと下がり、
雨がしとしと降っている。
こんな日がこれから1週間以上
続くという。
秋の長雨シーズンの到来である。
まだ、暑い日も来るだろうとは思うものの、
天気予報の予報士たちが
口々に衣替えは火曜日までにというので、
昨日、素直な私は衣替えも済ませた。
今日はお茶の友人H姐さんと誘い合わせて、
文化鑑賞の1日である。
以前、二子玉川にあった静嘉堂文庫美術館が
東京丸の内の明治生命ビルにお引越しし、
新装オープンした。
まだ、10月1日に開館したばかりなので、
混んでいるかなと懸念もあったが、
コロナのせいで入場制限がかかっており、
予約制だったお陰で
比較的人も少なくゆっくり観ることが出来た。
明治生命ビルはそもそも昭和9年に竣工された
古典主義様式の傑作と呼ばれ、
国の重要文化財に指定されている建物である。
その中に移転した静嘉堂文庫美術館は
三菱の創始者・岩崎彌太郎の弟・彌之助と
その子・小彌太の親子が収集した文化財を
展覧するための美術館だ。
国宝7点、重要文化財84点を含む
20万冊の古典籍と6500件の東洋古美術。
そのうちの一部が展示されている。
題して
「響きあう名宝 曜変・琳派のかがやき」
そもそも入口のランプ、
中に入ってすぐのホワイエというホール
そのあたりからして普通の美術館とは違う。
日本の伝統と格式が感じられ、
さすが丸の内という雰囲気だ。
展示物はやれ光琳だ宗達だと
銘品ぞろいなのだが、
やはり何と言っても秀逸なのは
「曜変天目」とよばれる小さな茶碗だ。
南宋時代の中国で作られ日本に伝来した。
以前にも1度は観たことがあるが、
今回は最後の部屋の奥に、
ガラスケースをぐるり取り囲んで
観ることが出来る形に展示されていた。
しかも、低めの台に設置され、
茶碗の中の濃い藍色から
明るい青へと変化する曜変の
妖しい輝きを
覗き込むように観ることが出来た。
口径12、2cm 高さ7,2cmしかない
小さな茶碗が放つオーラは
月並みな言葉で語れば
小宇宙のように果てしなく
観る者をその世界に引きずり込む。
他にも重要文化財の茄子茶入れ(付藻)や
利休が愛用していたという
唐物茶入れも
お茶をたしなむ私たちにとっては
とても興味深い逸品だった。
展示物の説明書も分かりやすく、
展示品の数がさほど多くないので、
ひとつひとつ丁寧に観ることが出来た。
こうした茶道具の延長線上で
長年、お茶のお稽古を楽しみ、
歴史や道具の来歴などの勉強をするのは
人間的に深まるような気さえする。
とはいえ、お腹がすくものはすくし、
疲れれば甘いものも欲しくなる。
というわけで、
ランチは静嘉堂近くのオフィスビルの2階で
海鮮丼をいただき、
帰りがけには予約しておいた
「空也もなか」も無事、買い求めることが出来た。
いつも銀座にきても
「本日のもなかは売り切れました」の貼り紙しか
見たことがなかったので、
友人が手配してくれた本物は
実に香ばしい香りの皮に
ほどよい甘さのあんこが詰まっていて、
とても美味だった。
晴れ女の私も今日は着物ではないので
何の神通力もなく
丸の内に着いたあたりから
雨は静かに降り始め、
空也もなかを求めて丸の内から銀座へ行くあたりは
パンプスの足先に雨が染みこむほど。
本日の総歩数10269歩
曜変天目の眼福と、
海鮮丼の満腹と、
空也もなかの口福と。
なかなか充実の1日である。
先週の半ばに、長女がコロナ陽性になった。
長女は月に3回、私が家に行って
ばぁばご飯を作っている方の娘である。
先週の火曜日もばぁばご飯の日だったので、
長女宅には行っており、
その時は長女もリモートワークで在宅だった。
しかし、家にいるからといって
台所の手伝いをするとかではないので、
夕方、子ども達を保育園に迎えに行き、
一緒にご飯を食べている1時間ぐらいしか
同じ部屋にはいなかったので、
私は罹患しなかったようだ。
その2日後、長女は発熱とのどの痛みがあったので、
医者にいったところ、
「たぶんコロナだと思う」と言われ、
PCR検査をし、次の日には陽性と判明した。
幸い、長女は軽症のようで、
熱といっても37度台だし、
のどの痛みと咳が少し出る程度らしいが、
心配なのは子ども達だ。
5歳と2歳では
ママとの濃厚接触者まちがいなしなので、
これは移されてコロナかなと覚悟した。
当然、保育園には行かせられない。
そんな時に限って婿のK君は
抜けられない仕事があるとかで、
休むわけにもいかないらしく、
子ども達の世話をするのは
コロナ陽性の母親ということになる。
ばぁばとしては助けてやりたい気はあれど、
高リスクなのにのこのこ家に入り込むわけにも
いかない。
そのあたりは察して、先週末、
「何とかするから、バーバーイーツも大丈夫よ」
と気丈にも言ってきた。
バーバーイーツをしようにも
我が家の配達員は、今日明日、
車に自転車を積んで泊りがけで
ツーリングに出かけてしまった。
また、8月末のように、
バーバーイーツで作った10㎏の料理を
電車で運ぶのだけは勘弁してほしい。
しかし、今週の4日の火曜日は、
以前はばぁばご飯の予定だったが、
本当に行かなくて大丈夫なのか。
日曜日の今日、LINEで様子を訊いてみた。
今のところ、子ども達に移っている気配はない。
それは何よりである。
長女も軽症のまま推移しているので、
仕事していると返信があった。
とはいえ、長女は陽性、
家族は濃厚接触者なので、
子ども達は
火曜日からしか保育園も行けないとか。
そこまでは婿のK君が頑張るしかない。
というわけで、今週のばぁばご飯は
まだ、ちょっと危ないので無しということに。
ばぁばご飯、10月の3回は
連休のある第2火曜日以外の3回の予定だったので、
本来、来週の11日は無しのつもりだった。
しかし、そうなると、10月18日まで
ばぁばご飯は無しだがそれで大丈夫か?
ちょっと心配になり、
LINEでK君にエールをおくった後、
「11日、必要ならいくよ」と言ってみた。
すると、すごく喜んだ長女が
「まるで神~」というスタンプと共に
11日のばぁばご飯を切望するLINEをよこした。
かくして、
私は長女宅の神になった。
第7波も過ぎ去り、
こんな間抜けな時期に長女宅にやってきたコロナ、
民は未だに翻弄されている。
ばぁばはとりあえず、
今、出来ることは、今、しておかなければと
本日のホリデーは
新作の彫りデーということで、
ひとり彫台に向かい作業した。
配達員のいないひとりの週末、
チャチャッと作ったラーメンの美味しいこと。
神は鬼のいぬ間の命の洗濯である。