昨日と今日の丸2日かけて
新作の本摺りをした。
先月は「蓮」の花だったが
今回は「むくげ」の花。
初めて摺る「むくげ」の花はかなり手強い相手。
どこが手強いかというと
木版画で白い花を摺ることが難しいから。
白い花の影をグレーにしてしまうと
たちまち石のように硬い感じになる。
プレバトの鉛筆画の先生ではないが、
影といえばグレーと決めつけると
味気ないし、硬くなるので
そのものの質感を考慮して他の色を使う。
先週、試摺りをとりながら
今回は紫を使った柔らかいグレーと
淡いピンクを使い
花の陰影を表現することにした。
更にパールホワイトという絵具を混ぜて
2版目にさらに3色のせ、
花の地模様とでもいうべき表情を出してみた。
「むくげ」の作品をなぜ手掛けたかというと
来年の「文学と版画展」に出す
装丁に使おうと思ったからというのが
直接的な理由だ。
来年の9月初めの展覧会のために
1年も前から準備するのかと
思われるかもしれないが、
まず、どの本の装丁にするか決め、
そこに登場させる花の時期によっては
取材が必要だからだ。
むくげは夏の花。
それを使うとなったら、
来年の春になって取材しようと思っても
夏の花はまだ咲いていない。
かといって
8月に咲く花を待っていたのでは
その年の9月初めに作品が間に合わない。
というわけで、
結局、今年の8月に取材したものをデザインし
8月下旬から彫りだし
順番からいって、むくげを蓮の作品の後にしたので
11月になって試摺りと本摺りになった
ということである。
来年の文学と版画展に出したいという理由の
他にも
「むくげ」には思い入れがある。
お茶の世界で
夏の茶花の代表が「むくげ」である。
冬の代表は「椿」
「むくげ」と「椿」は両横綱というか
東西の女王様なのだ。
いずれも茶室の床の間に
一輪、ポンと活けてあるだけで
場の空気が引き締まり、華やぐ。
そんな格調高い花が「むくげ」である。
また、「むくげ」は韓国の国の花でもある。
来年、装丁に使おうと思っている本は
「利休にたずねよ」なのだが、
そこに出てくる韓国から売られそうになって
やってきた女性を
利休が救うというお話で
その中で
「むくげ」がとても象徴的に登場し
印象深い花なのだ。
韓国から日本に渡ってきて
「唐物」といって
珍重されている茶器もあるように
「むくげ」はある意味、
日本と韓国との橋渡し役でもある。
わたしも40年以上の長きにわたって
お茶のお稽古をしてきたので、
むくげの花を作品で手掛ける意義を感じている。
白い花は難しいからと苦手意識で
遠ざけてきたところがあるが、
ここでひとつ正面からぶつかって
自分のものにできたらという思いで
今回のテーマに挑戦してみた。
なんだか加賀友禅の着物みたいな感じに
見えなくもないが、
皆さんにどのような感想をいただけるのか
楽しみにしている。
先週の七五三から1週間。
久しぶりにばぁばご飯を作りに
娘宅に行ってきた。
日中は誰もいない留守宅で
昼過ぎからテレビをつけながら、
夕方には相撲中継など気にしつつ、
今日も9品の料理を作った。
5時半ごろ、
小学校から孫1号が帰宅。
見れば、髪の毛をバッサリ切って
ボブスタイルになっていた。
七五三で髪を結い上げるため、
ずっと伸ばしてきた髪だったけど、
「終わったら切るからね」の宣言通り
かなり思い切った長さになっていた。
七五三は
よく7歳まで大きな病気もせず
元気に育ってくれましたという
お祝いだ。
3歳も生まれてから3年。
あんなに小さな赤ちゃんが
こんなに大きくお姉ちゃんになりましたの
意味でお祝いする。
そのお祝いの儀式が終われば、
すぐ次の日から、日常はやってくるわけで、
感慨にふけっている間もなく
学校やら保育園がある。
4歳児の方は
髪は切りたくないらしく、
「明日は横にひとつに結んでね」などと
母親におねだりしている。
母親は
「え~、そんなからまった髪なのに?」と
さっさと切らせたい様子だけど、
4歳の女心は複雑で、
まだまだ可愛いヘアスタイルで
保育園に行きたいらしい。
一方、7歳の方は
長い髪は朝の支度も大変だし、
髪を洗ったり乾かしたりもめんどうなので、
短くして活動的な方がいいらしい。
今日も5時半に帰宅して
「今から、公文に行ってくる」といって
ランドセルを公文のバッグに取り換え
帰ってくるなり出かけて行った。
七五三を終えたせいか、
また、ひとまわりお姉さんになったみたいだ。
「ボブスタイルを写真に撮らせて」と頼むと
いつも通りにっこり笑って
ポーズを決めてくれる。
乳歯が抜けた後に
大きな永久歯の門歯が半分顔をのぞかせている。
7歳のお祝いが人生の一区切りとして、
昔から神社でご祈祷をしてもらったり
親族でお祝い膳を囲む意味が
ここにあると感じる。
今はそんなことはないが、
昔は7歳まで生きられることが当たり前では
なかっただろうから、
より一層、
感慨深いものだったろう。
今日のばぁばご飯はいつもと変わらず、
リクエストに添って
孫たちの好きな物を栄養バランスを考え
9品作った。
こちらは何も変わらないと思っていても
孫たちは日々、成長している。
毎日のご飯が
その成長の源になっているかと思えば、
また次も好きな物を作ってあげようと
思う。
光陰矢の如し。
今年もあとひと月半で終わるかと思うと
月日の経つことの速さに驚くが、
何か一段ステップを上がった孫を見て、
私も頑張ろうと思うオーママだった。
今日はひとりで銀座に出掛けた。
昔は銀座には1~2週に1回ぐらいの割で
出掛けていたような気もするが、
最近は1~2か月に1回になってしまった。
銀座には東京中の画廊の9割が密集しているので
誰かしら個展やグループ展をしていると
義理を欠いてはいけないとばかり
銀座詣でをしていたものだが、
コロナ以降
義理を欠くもなにも
展覧会自体、やれなくなった時期を経て、
それを機にすっかり遠のいてしまった。
今日は3枚の案内状を握りしめ、
まず、新橋で電車を下車し、7丁目の
シロタ画廊の『小林敬生展』から。
所属する版画協会の現理事長でもある
小林氏から
直々、案内状をいただいたので
義理を欠くわけにはいかない展覧会だ。
シロタ画廊は銅板系の作家にとって
一番の老舗画廊なので、
藝大の銅版画の教授をはじめ
多くの作家がこの画廊で個展をしてきた。
よく行ったことのある画廊なのに
今日は1回で見つからず、
7丁目周辺をぐるぐるぐるぐる
本当に認知症にでもなったのかと思うほど
探し回ってしまった。
ようやくたどり着き、
先生の新作をたくさん見ることが出来、
多分、齢80歳を越えていらっしゃるはずの方の
作品とも思えない精力的な作品に驚愕した。
大きな作品なのに
精密画のようにどこまでも細かく綿密に描かれ
今回、初めてという手彩色の色彩までついていた。
手彩色で1枚ずつ色鉛筆で描画したと
思われる。
先生も観覧者もいない静かな画廊で
ただひとり、1点ずつゆっくり観て回った。
外の銀座の喧騒とは隔離された空間だった。
次はギャラリー・ゴトウという1丁目の画廊。
新橋から京橋まで歩いたことになる。
『馬場知子展』
同じく版画協会の会員のひとりの馬場さん。
大学も違うし、歳もだいぶ下だと思うが、
案内状をいただいたので伺うことにした。
いつも団体展で発表している作品とは
だいぶ絵肌が違う軽快で洒脱な作品群。
とてもおしゃれな作品なので、
部屋の片隅にかけてあったら素敵だろう。
しかし、こちらも人っ子ひとりいない空間で
作家さん本人も来ていなかった。
私は芳名帳にサインだけして
写真を何枚か撮って
その静まり返った空間を後にした。
どこの画廊も異空間みたいに
下界の喧騒とはかけ離れ、
ただ絵がひっそりと壁にかかっている。
どちらの展覧会も売却済みの赤いシールは
3~4枚ほど貼ってあったけど、
これでは展覧会は大赤字。
作家のモチベーションは保てない。
途中、銀座5丁目のいつも個展をしている画廊の
工事中の現場に寄ってみた。
この春、取り壊しになり、
2年半くらいかけて建て替えるという。
今は更地になっていて
ショベルカーがおいてあった。
銀座は昼間、音を出す作業が出来ないので
夜間に土木作業を進めるらしい。
なので、人影はなく、
本当に工期通りに出来るのか不安になった。
なにしろ、出来あがった後、
こけら落としで個展をやらせてもらう約束なので
いつまでも後ろにずれられては困るのだ。
空き地を見た後は大好きなレストランで
おひとり様ランチをした。
みゆき通りを京橋方向に歩いたところにある
夜はダーツバーになるという高級感あふれる
地下1階のレストラン。
昼間、空きにしておくのはもったいないからと
初めたランチ営業らしい。
採算度外視1200円也の本日のランチを
いただいた。
金曜日のメニューは『台湾ルーロー飯セット』
席は銀座で働く人々や
銀座ランチを楽しむマダムでいっぱい。
皆、ここが穴場だと知っている感じだ。
私みたいにひとりの人も何人かいて、
高級店でも臆面もなくいるのが
銀座だなと思う。
最後に立ち寄ったのは
8丁目の柴田悦子画廊の『LABO34』
その昔、多摩美の日本画で同級生だった3人組。
グループ展として36回を迎えたという。
こちらはグループ展のせいもあり、
3人の作家のうち2人が会場に来ていて
画廊主も同じ同級生だからか、
お客さんがひっきりなしに訪れていた。
ここの画廊の展覧会はいつ伺っても
多摩美の同窓会的な雰囲気があるのは
画廊主のお人柄かもしれない。
私も同窓でもないのにお友達感覚で
絵画鑑賞そっちのけで
おしゃべりしてしまった。
でも、この展覧会も売約済みは
小品が2~3点のみだったので、
営業成績としてはちょっと残念。
こちらも同じものつくり人として、
作家たちの
制作意欲が減退しないか心配だ。
外に出ると銀座は目下、
工事中がとても多いことに気づいた。
高級ブランドのリフォームや
宝飾店の建て替え工事。
外資系が多い気がする。
円安の影響か。
たまにしか行かなくなった銀座には
外国人があふれ、
買い物するのは日本人ではないのかも。
前は中国語が行き交っていたが
今はそうでもなく、各国色とりどりだ。
そんな中、
自分もすっかり銀座ママ友ランチもなくなり、
お洋服も銀座では買わなくなったと気づいた。
今日、
ひとり銀座をそぞろ歩いてみて思うのは
銀座が我が街ではなくなったなという
ちょっと寂しい想いだった。
本日の総歩数13206歩
300%を達成しました!
万歳三唱!
と、スマホに褒めてもらった。
スマホに褒めてもらうなんて
時代ですね!!