12月半ば、
今年も遂にこのめんどくさい作業の季節が
やってきた。
年賀状作りの時期だ。
今年は切手の値段が上がったこともあり、
毎日のように「年賀状終い」の話題が
ニュースになっている。
確かに63円だったものが85円は
値上がりにもほどがあるといいたくなる。
世の中はネット時代、
近年、
知り合った人とはLINE交換してしまうので
住所を知らないことが多い。
例えば、同じサークルの仲間が増えたとしても
そこで住所録を書き加えたり、
新たな住所録を作って配布するということが
全くなくなってしまった。
私達の年代ですらそうなのだから
若い層はますますそうした個人情報は
全くといっていいほど明かさない。
私は文字を書けるようになった幼少のみぎり以降
年賀状は小まめに手書きで書いて
出してきた。
(いったい何十年!)
更に美大に進学してからは
年賀状用に考えた作品を
木版で彫って摺ったものを出してきた。
海外転勤で外地にいた時でさえ、
版画で作った年賀状を出してきた。
しかし、近年、
この版画の年賀状作りが
億劫で億劫でしかたない。
理由はふたつ。
ひとつはハガキというサイズは
木版画をばれんで摺るには小さすぎて
チマチマしているため、
とても手先に力がいる上に
和紙と違って絵具のなじみが悪いので
思うような摺りの表情が出せないこと。
ふたつ目は
こちらが相当時間と労力をかけて
作っているにも関わらず、
両面印刷で手書きの部分が1ミリもないような
年賀状を送りつけてくる人がいること。
私は片面が手作りの木版画なので、
名宛の面もすべて手書きで書いている。
(パソコンの住所録が使えないわけではない)
自分の住所の脇に
コメントも3行ぐらい添えているので、
そちらの面をひとりひとり書くのにも
相当な時間を費やしているのに、
両面とも印刷のものが届くと
心底、がっかりする。
人の書く文字にはその人の個性が出る。
年賀状が届くと
名前を見なくても文字を見れば
誰からのものかすぐわかる。
美しい文字の人は男女に関わらず
知性と教養を感じるし、
とりわけ、
男性でいい感じにこなれた文字の人は
いいなぁと思う。
逆に素敵な人だと思ったのに
悪筆だと幻滅だ。
まあ、そんな個人的な感想はさておき、
今年の年賀状はどうするか。
まずは昨年、一昨年、その前あたりの
年賀状リストを出してきて
眺める。
毎年、11月ぐらいから年賀欠礼の喪中はがきが
届くのだが、
今年はそれも5枚ととても少なかった。
しかも、親を見送るというより、
兄弟が亡くなったというお知らせが多い。
そんな年代になったんだと思う。
例年、私は事前に130枚ぐらいは出していた。
今年は「年賀状終い」にこそしないけど、
100枚ちょっとぐらいに
枚数を落とそうと思う。
年賀状だけが何十年も行き来している人、
もう顔も思い出せない人は
今年から辞めにしようと思う。
年賀状を摺りながら
今年起こった出来事を回想し、
いろいろな人の顔を思い浮かべた。
新しい出会いも何人かあったけど、
住所を知らない。
そういう人にこそ年賀状でお礼をいい、
「本年も宜しく!」と言いたくても
住所を知らないことが少し寂しい。
人の宝物は人。
どんな人と出会い、どんな人と時を共にし
楽しい思い出を作り、
時には、困難を乗り越えるのか。
人との関わりを大切にしたいと思っても
意外と相手のことを知らないことを
年賀状リストを作りながら思った。
顔も思い出せない
生存確認だけしているような人は
思い切って、お終いにしよう。
そして、「今ここ」で
大切にしたいと思う人に、
今年も手作り年賀状を送ろうと思う。
「このブログを見て、
私の手作り版画の年賀状が欲しい人は
こっそり住所をおしえてください」
という気持ちだ。
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