キーンと風が耳に冷たい冬晴れの早朝、
私は喪服に身を包み、家を出た。
1週間前に突然亡くなったTさんのご葬儀に参列するためだ。
満90歳で亡くなられ、ご葬儀は本当に身内だけの家族葬で営まれるというのに、
特別に私だけが親族でもないのに呼んでいただけたのだ。
田端の駅前にある家族葬専門の小さなメモリアルホール。
2階の会場には白木の祭壇と喪主の名前しか札のないお花が飾られ、
薄紫の布に覆われた棺が安置されていた。
祭壇には赤い服を着ただいぶ前の写真と思われる故人の遺影があり、
静かに微笑んでいる。
ひとりを除いてお目にかかるのは初めての方ばかりだったが、
全員、私の名前はよく故人から聴いていましたと快く迎えてくださった。
喪主は92歳という高齢で後に残されたご主人だ。
ひとり息子は20年近く前から心を病んで、実社会からは遠のいて暮らしている。
そのため、母親の突然の死が受け入れられないのか、
お通夜にもご葬儀にも来ていないという。
耳の遠い92歳のおじいさんと、
そろそろ還暦を迎えようというのに、自分のことだけでいっぱいいっぱいの息子。
元は有名大学の助教授だった優秀な息子なだけに、余計切ない。
故人は男ふたりを残して、さぞや心残りだったであろうと思うのだが、
その場にいる親族は案外なるようにしかならないというような受け止め方のようだ。
きっと医療機関だけでなく、警察や葬儀社など、
突然の死を受けてやらなければならないことが急に押し寄せてきて、
心の穴にはまだ気づいていないのだろう。
棺の中のTさんも生前のお顔とはだいぶ様変わりしていて、
私もなんだか実感が湧かなかった。
真言宗のお坊さんによるヒンドゥー語の不思議なお経が朗々と語られる中、
参列者が少ないからか、2度、お焼香をし、葬儀は滞りなく終わり、
その場に荷物を残したまま、親戚の皆さんと一緒のマイクロバスに乗り込み、
町屋の斎場へと向かった。
町屋の斎場はかつて、私の母と父が亡くなった時にもお世話になった焼き場で
30年近く経って訪れてみると、
同じ敷地だが素晴らしい建物に建て替えられていた。
今でも「シャンデリアの間」といって、個室で焼いてもらえるお部屋には
ひだのたっぷりとられたカーテンが掛かり、天井には豪華なシャンデリアがあった。
しかし、Tさんは大部屋の一番左端のお釜で、
天国へと旅立っていった。
何度か今までにもこうした場に立ち会っているが、
厳かだけど、どこか流れ作業な感じは否めない。
きっとそれぞれが結んだTさんとの思い出を、
時を置いてたぐり寄せ、愛おしく思う日が来るのだろう。
Tさんが長いこと気にかけてくれていた私の展覧会に、
これからは代わりに来てくださるというので、
ご親戚の何人かと名刺交換をして、ひとり帰りの電車に乗った。
T家の人々と新しく始まるご縁もあるかもしれないなと感じながら、
人生は輪廻転生、
こうして移ろっていくものだと、私は冬の空を仰ぎ見た。
さようなら、Tさん。
天国で私のお母さんに会ったら、よろしくね。
今日まで長いこと母代わりになってくれて、ありがとうございました。