2014年1月19日日曜日

映画『永遠の0』を観て

今、話題の映画『永遠の0』を観てきた。

お正月に家族で映画を観ようという話になった時、『清須会議』にするか
『永遠の0』にするか迷って、きっと『永遠の0』は戦争物で相当暗いから
辞めようということになった。

しかし、2~3の友人から『永遠の0』がとてもいいという話を聞いて、
ひとりで観にいくことにした。(ダンナは誘ったが、興味がないらしかった)

観てひと言、暗いとか明るいとかいう問題ではなく、やっぱり日本人として
観ておくべき映画、知っておくべきことだなというのが強い印象だ。

物語はあるあばあちゃんの葬儀のシーンから始まるのだが、
葬儀の後の雑談の中で、今いるおじいさんは血の繋がったおじいさんではなく
特攻隊で亡くなった人こそ実のおじいさんだと知った孫たちが、
本当のことを調べるため、いろいろな人を訪ね歩いて、真実の物語を知ると
いうお話だ。

映画の半ばから、私は涙が幾度となくあふれ、なぜ、あの時代の人は
そういうことを何も語らず亡くなってしまうのかという思いがこみ上げてきた。

中身については是非、映画館に足を運んで観ていただきたいので、詳しくは
書かないが、特攻隊で亡くなったおじいさんの年代は私の父の年代だし
残された母と子の子の年代は私か、もう少し上の年代、そして、いろいろ取材
している孫たちは正に私の子供達の年代だ。

もちろん孫=今の私の子供達の年代の若者は特攻隊といっても何のことやら
戦争の影も形も知らないので、戦争も死もまったくの他人事だと思って
暮らしているだろう。

その親の年代の私たちでさえ、昨今、日本が近隣諸国とちょっときな臭いと
感じていても、よもや戦争になどならないと思っているし、ましてや、戦争で
死んでしまうなんてことが、我が身や身辺に降りかかるなどとは考えていない。

なぜなら、戦争に現に行った人達が、戦後、その多くを語ってこなかったから
知るよしもないのだ。

父も義父も戦争に行った年代だ。
しかし、私が知っているのは、父が陸軍の入隊して、シンガポールの植物園の
すぐ脇で初年兵の訓練を受け、その後ボルネオに渡ったことぐらいで、そこで
どんな生活をしたとか、何を食べていたとか、誰と戦ったとか、どうやって
日本に帰ってきたのかとか、何も教えてもらっていないのだ。

戦後、日本はめざましい復興を遂げ、みんな焼け野原の中から這い上がり
働いて働いて今の生活を手に入れた。
高度成長期に子どもだった私にはひもじい思いをさせまいと、両親は与えうる
すべてのものを与えて育ててくれ、戦争の時のことは暗黙の了解のように
誰もが黙して語らずを貫き、今日まで時間が経ってしまった。

でも、戦争経験者はすでに80代後半から90代、もう10年もしたら、誰も知らない
歴史の中に埋もれてしまう運命だろう。
実際、父も義父ももう亡くなってしまっている。

それでいいのか、それではいけない、もっと日本人ひとりひとりが背負わされた
戦争とその過酷な運命について、知っておくべきだと、何だか、初めて痛切に
感じた。

今までにも戦争に関連した映画や作品はいくらでも見聞きしてきたと思うのだが
『永遠の0』は一番心に深くささった気がする。

映画館の会場はとても若い人から70代ぐらいまで、大きな劇場いっぱいに
詰めかけていた。
それぞれの年代がきっと違う受け止め方をするのだと思うが、決して他人事で
なく、戦争や生きることと死ぬこと、家族などについて考えるいい作品だと思う。

3DのCGが駆使されていて、映像もリアルでしかも美しいし、俳優陣も
若手実力派と渋いおじいさん達の競演で見応えバッチリ!
とってもオススメです。お見逃しなく!

0 件のコメント:

コメントを投稿