2014年6月29日日曜日

嗚呼、ベルサイユのばら

 
今日は東京の宝塚劇場に出掛け、『ベルサイユのばら』を観てきた。
宝塚歌劇団100周年の宙組公演である。
 
きっと個人でチケットをとろうと思ったら、相当難しいのだろうが
数ヶ月前、ダンナが元勤めていた会社のOB会が
団体でチケットを押さえ、募集されたものだったので、
そこに申込みさえすればよかったので、楽勝であった。
 
同じ会社に勤めていた友人の奥様を誘ったところ
子どもの頃関西に住んでいたというのに宝塚は毛嫌いしていて未経験だというので
初体験に『ベルばら』は最適だと思い、是非にとくどいてご一緒することになった。
 
5月には歌舞伎で『勧進帳』
先日は美輪明宏の『愛の賛歌』
そして、今日は宝塚で『ベルばら』
 
何だか男性が女役だったり、その反対だったり
倒錯した性ばかりで
趣味が変な人と思われそうだが
もしかしたらそちらの方が異空間を創造するのには適しているのかもしれない。
 
まさに宝塚はそういう世界で、
現実にいたらちょっとキザっぽくて危ない人としかいえないような男役を観るために
あるといって過言では無い。
 
歌舞伎の女形の作り方に比べて
もっと劇画チックな作り方の宝塚の男役は
すんなり入れなければきっとずっと居心地が悪いままで終わるだろう。
 
周囲のMR&MRSで観に来ていらした元会社のOBのおじさま達は
おおかた居心地悪い思いをしているのではと心配だった。
 
初体験の友人の方は「は~、こういうものだったのね」と感心しきりで
「若い時に観ていたら、私も宝塚に入りたいって言っていたかも」というから
まんざらでもなかったみたいだ。
彼女は背が170はあるから、男役のかっこよさに親近感を覚えたのだろう。
 
私はといえば、2度目の『宝塚』で2度目の『ベルばら』なのだが
1度目に見た時よりは面白かった。
というより、あの独特の世界を楽しめたといった方がいいだろう。
 
でも、やっぱり、現実離れした女性の演じる宝塚の男役より
男性が演じる歌舞伎の女形の方が好きかもしれない。
 
いずれにせよ、
観客のほとんどは女性だ。
こうなると
日本の演劇文化の担い手は女性だといっても言い過ぎではない。
 
終演後におみやげコーナーでグッズを求める人
外で贔屓の役者が分かるように揃いのスカーフをし、整然と並んで出待ちをする人
その大勢の人垣を横目に脇を通りながら
圧倒的な女性のパワーを感じた。
 
歌舞伎のインターナショナル度に比べ
宝塚は日本の女性しか見かけないので
いわゆる『赤毛もの』でありながら純然たる日本文化なのかも・・・。
 
さあ、あなたはどちらがお好き?


2014年6月25日水曜日

夏の遙かなるキモノ道

 

 
6月の『なでしこの会』は夏を迎えてキモノの着付け教室だった。
1回目はゆかたの着付けで、ゆかたに半幅帯を結ぶというスタイル。
2回目の今日は夏物のキモノに夏物の名古屋帯を結ぶことにした。
 
ゆかたに半幅帯というのは、独特の工夫が必要だが
夏物のキモノに夏帯を名古屋に結ぶのは
基本的には冬の小紋に名古屋帯を結ぶ着付けと同じである。
 
このなでしこの会で着付けをしたのは2月だったので、
生徒さん達がキモノを着るのは半年ぶりということになる。
しかし、真面目な生徒さん達はここ数日、イメージトレーニングをしたり
キモノの準備しながら手順を思い出してくれていたので楽勝だ。
と、思ったら、想定外の悪戦苦闘。
 
半年間で着付けが忘却のかなたに去ってしまったということもあるが
夏物のキモノ特有の質感が案外扱いにくいらしい。
 
それは、何より、キモノを着てみんなを待っていた私でさえ
夏にキモノを着るのが、いかにしんどいことかを実感していた。
 
今日は気温がそんなに高いわけでもなかったが、やはり湿度は相当なものなので
設定温度をかなり下げてクーラーをかけてはいたが
キモノを着るという作業は何しろ重労働。
着付けただけで大汗をかき、胸苦しさでため息が出る。
 
キモノを着たり帯を結んだりほどいたり、
また、いったん脱いで着たり結んだりと、繰り返すのも2度がせいぜいで
よりきれいにとか、もっときりっとスマートにだとかまでは思いが至らず
その気力が振り絞れない様子だ。
 
夏にササッとキモノを着付けて、
涼しい顔で出掛けられたらかっこいいとは思うけど、
なかなか高温多湿の日本にあって
日本の夏のキモノ美人への道は遙かに遠い。
 
こんなに大変では日本のキモノ文化の行く末が案じられるが
英語を日常的に話すことがない私たちが英語がしゃべれるようにならないのと同じで
キモノを着て出歩く機会がないのに着られるようになることはないので
ちょっと無理をしても
花火大会やホタル狩り、食事会などにキモノを着てもらえればなと思う。
 
さて、かく言う私も
次回のお茶のお稽古はキモノで行こう・・・などと思いながら
とりあえずは帯をほどくと心の底からホッとするというのが現実である。
ヤレヤレ。
 


2014年6月17日火曜日

ニューヨーク旅行へ発進!

今年の初め、遂に次女が今働いている会社を辞める決心をし
そのタイミングを逃したら、もうなかなか行けないかもしれないということで
辞めたらニューヨークに旅行しようという話になった。

次女も私も美術系の仕事をしていながら、生まれてこの方
ニューヨークに行ったことがない。

ダンナはかつて転勤で住んでいたことがあるし、長女も2回遊びにいっている
のに、なぜ?と思いながらも、あまりに高い旅費に怖じ気づいて、今日まで
実現せずに来てしまった。
ツアー代金もニューヨークはダントツに高く、とりわけマンハッタンのホテルは
世界一宿泊料金が高い。

しかし、9月いっぱいで辞めさせてもらえることになった今、ようやくその夢が
実現の段取りになってきた。

今回は大昔のニューヨーカー(我がダンナ)を巻き込み、
次女と私の三人で行くことに。
その方がナビゲーター役としてもお財布としても助かるからだ。

が、いつもの友人とふたりで参加するツアー旅行と違って、自由旅行は
互いの意見や思惑がぶつかるので、すんなり一本化できずに大苦戦。

美術系女子の次女と私の意見や希望は大方の一致をみるものの
とりわけ、ダンナの考えや予算、フットワークの悪さにはほとほと閉口する。

かといって勝手に女子ふたりが暴走するわけにもいかず、
三者の意見調整をし一致をみるまでは何も始まらないので、
ここ1週間はじれったい日が続いていた。
本当に男ってへそ曲がりのあまのじゃくで始末が悪い。

結局、週末にひとり暮らしの次女を家に呼びつけ、夜中の3時までミーティングを
した結果、ようやく日程と旅行先の都市が決まった。

そして、月曜、火曜と2日も要して、やっとこさの思いでダンナに飛行機とホテルの
予約をしてもらうところまでこぎつけた。やれやれ・・・。

とはいえ、実際にいくのは10月半ばである。
飛行機とホテルは早いに越したことはないし、案外、いいものや安いものは
早くしないとなくなってしまう。
が、ここまでくれば、あとの中身はじっくりゆっくり考えても大丈夫だ。

ガイドブックをためつすがめつ眺め、行きたいところ、観たいもの、食べたいもの
など、リストアップし、地理的なものも考えながら旅行の予定表をつくるもの
自由旅行の大いなる楽しみのひとつだろう。

9泊11日のニューヨーク・ボストン旅行。
ニューヨークはマンハッタンのど真ん中にホテルをとったので、
どこへでも歩いて行けそうだ。
私にとっては、最初で最後になるだろうから、この際、有り金はたいて
刺激的な大人のニューヨークをエンジョイするつもり。

そして、そのインスパイヤーされた何かが作品に生かされ、新作ができることを
祈っている。

待ってろよ、ニューヨーク!

2014年6月16日月曜日

美輪明宏という存在

 
 
 
 
昨日、KAAT神奈川芸術劇場に美輪明宏の『愛の賛歌』を観に行って来た。
 
一度、美輪明宏の生の舞台を観てみたいと思いつつ、
なかなか機会がないままに月日が流れていたが、
そうこうする内にお歳もお歳なので観はぐってはいけないと
数ヶ月前にようやく手配したチケットだった。
 
この公演は東京の舞台が延々と続いていて
神奈川では行ったこともないKAAT劇場でたった2日だか3日だけの公演である。
それでも長い公演期間の最後なので力がこもっているのではという期待も込め
友人とふたり劇場に向かった。
 
初めて訪れたKAAT神奈川芸術劇場は外観より中が大きい建物で
中に入ると4階分のエレベーターを乗り継いで、ようやく劇場入り口にたどり着く。
 
そして、劇場の中に入って、本当にビックリ。
内装すべてが血のような赤と黒との情熱的な色使いといい、
4階席まであるオペラ座のような作りといい、
完全に予想を覆すドラマチックなイメージのステキな劇場だった。
 
私は日本にもこんな劇場があったのかと
おのぼりさんのようにぐるぐる見渡し、4階席の方を見あげてしまった。
 
私たちの予約した席は前から11列目のど真ん中で
こんなに真正面で観やすい席だったとは
とった自分自身でさえ想像しなかったほど、いい席だった。
 
そして、会場のあちらこちらにそのドラマチックな会場に合わせたかのように
衣装のようなドレスや個性の際立つ出で立ちをした人が何人も見受けられた。
私も期せずして白黒の洋服だったので、会場にマッチしていて一安心。
 
舞台の内容は『愛の賛歌』であるから
エディット・ピアフの一生を美輪明宏がシャンソンを数曲交えて演じるというものだが
脇を固める俳優は
妹役のYOUを除いては、まったくといっていいほど無名の役者ばかり。
 
まるでエディット・ピアフが後年、無名の役者や歌手を育てて世に送りだしたのと同じ
美輪明宏お肝入りの共演陣ということなのだろう。
 
それにしても、美輪明宏。
本物を間近に観る前から、ただ者じゃないとは思っていたが
やはり『ばけもの』であった。
 
男にしか出せない地鳴りのような低い声から
男には出せないこびを売る娼婦のような甲高い声まで自在にあやつり
若くてはできない臈長けた表現と
年寄りとは到底思えないど迫力の声量と表現力で
ぐいぐい観客を引き込んでいく。
 
どのカテゴリーにも収まりきらない唯一無二の存在
それが美輪明宏なんだと納得した。
 
血の色をした真っ赤なビロードの緞帳があくと
そこはまごうかたなき美輪明宏の世界。
座ってみている私たちは
いつのまにか三輪の演じるエディットが歌うオペラ座の観客にされて
エディットに向け手拍子をし、拍手を送っている。
 
公演が始まる前には
「咳をするときは他のお客の迷惑になるから、口をハンカチかタオルで押さえるように」と
アナウンスが入り、びっくりしたが
そんなしわぶきひとつ許さない徹底した空間作りがあって初めて
心置きなく夢の世界に旅立てるのだと実感した。
 
とにかく美輪明宏が個人の好みで作ったのかと思わせる赤と黒の劇場と
観客も演者として引っ張り込む演出。
そこをわきまえて劇場に集った、それ相応のいで立ちのおおぜいの観客。
 
不思議の国のお化け屋敷・美輪明宏ワールドは
行ったら最後、引っ張り込まれて、酔ってしまった者勝ちの
魅惑的な非現実空間だった。


2014年6月7日土曜日

揃いの湯飲み

 
 
 
 
 
久しぶりに陶芸工房で作った器が15個も焼き上がってきた。
3月の釉がけの時に個展と重なり、1回パスしてしまったので
2月から作り溜めたものを一挙に仕上げた形だ。
 
今回は気ままに作った1点ものというより、
お客様の時や個展の時などに使う揃いの湯呑みをメインに手がけたつもりが
焼き上がってみると想像以上に小さくなっていて(通常10~15%の縮み)
てびねりならではのすこし分厚くて大きめの湯呑みというイメージより
普通のサイズに出来上がってしまった。
 
家に持ち帰って、実際に日本茶を煎れ飲んでみたが
生地の分厚さばかりがちょっとくちびるにあたって
入っているお茶の量と器の重さのバランスが悪い。
 
以前だったら、出来上がった器に対し、想像と違ったなら違ったで面白いと思えたが
最近は陶芸のそうしたサプライズ感にも素直に喜べなくなっている。
 
それだけ、目指すところが明確になってきたということかも知れないが
時間と手間がかかる割りには答えが出るのに間があり
すこしまどろっこしい感じだ。
 
揃いの湯呑みは合計10個は作ろうと思っているので
今回の5個をカウントしないとしたら、またまた長い時間が必要ということになり
長期戦の構えだが
焦らず気長に作ろうと決め
今日はもうひとまわり大きく、薄めに成形したものを4つ新たに作った。
 
これが素焼きを経て、釉薬がかけられ、最終の形になるのにはまた2ヶ月はかかる。
その時、イメージにかなったものが出来るかは何の保証もないが
ここが陶芸歴2年半の正念場。
 
偶然を面白がる時期は過ぎ、
どこまで狙いどおりに作れるかという段階にきたということだろう。
 
講評会では先生に器としての面白みを褒めていただいたが
周りのみんなが作っている、どこかで売っているような
真面目だけど一般的で没個性的な器に比べれば
確かに面白いとは思うのだが
個性的で、尚かつ、使い勝手がよい器への道はまだまだだと感じた。
 
ここで
単なる素人臭い重いだけのぼってりした湯呑みで終わるのか
魯山人の湯呑みなのか
探求の日々は続く。
 


2014年6月4日水曜日

浴衣の季節到来

今週は暑い日が続いた。
しかし、年々歳々、暑さに弱くなっている気がする。

昔、夏は暑いと言っても、30度を超すと「暑い、暑い」と言ったものだったが
今は、昨日今日、北海道で36,3℃だ、37℃だなどと言っている。
一体、日本はどういうことになってしまったのか。

横浜もそこまでではないが今週は30度を越え、服装はすっかり真夏スタイルだ。

というわけで、今月の『なでしこの会』はすぐ目の前に迫った夏本番に向け
夏のキモノの着付けを行うことにした。
1回目の今日は『浴衣の着付け』である。

実は、私は夏もののキモノを着る機会はあるが
浴衣となると20年ぐらい着ていない気がする。
転勤先のシンガポールで子供達は何回か着せる機会があったが、
親の私は浴衣を着た記憶がない。(絽のキモノは着たが・・・)

さて、そんな状態で人に着付けを教えられるか、一抹の不安を抱きながら
夕べはとりあえず自分の持っている浴衣を茶箱から引っ張り出してみた。

4枚ほど自分の着ていたものが出てきたが、古いものは大学時代に着たものだ。
紺地に濃いローズ色で格子柄とひまわりが描き出されている。
30数年前のものだが、今見ても古めかしい感じはなく、あんがい浴衣の柄の流行は
めぐりめぐって30年周期で同じような感じになっているのかも・・・。

生徒さん達もそれぞれ自分の浴衣やおばあちゃんの浴衣やらを持ち込んで
ガンガンにクーラーを効かせた部屋で着付け教室が始まった。

浴衣は普通のキモノより簡単に思われているが、使うものが少ない分、
きりっと着付けるのが難しい。
帯も胸の前でリボンに結んでから後ろに回すのだが、帯の下に使った伊達締め
が見えないようにしっかり持ち上げて結ぶコツがつかめず悪戦苦闘。

3回ぐらい着たり脱いだりしたら、早くもお疲れ様でお茶ブレイクになってしまい
後半はおしゃべりに花が咲いてしまった。

まあ、そんな時もある。
でも、冬に小紋の着付けをした時も同じような感じになった。
それだけ、キモノの着付けはエネルギーがいるのだ。
いつもは使わない筋肉と神経を使うらしい。
若いみんなが手が後ろに回らないと苦労している。

こんな風にめんどくささと暑さと苦しさから、
日本人のキモノ離れが進んでしまうんだなと感じながら、
そうは言ってもここを克服して、キモノ美人になってほしいものだと願っている。

鉄は熱いうちに討て!

「今度、浴衣着て、お茶のお稽古にいこうかしら」とその気になっている内に
何度か練習して、本当に出歩けるまでになりますように。

お料理も着付けもフラワーアレンジも、何でも覚えて帰ったら
すぐ復習、それが身につく早道なのである。