2020年8月31日月曜日

もうすぐ七五三









孫娘が6月に3歳の誕生日を迎えたので、
今年は七五三の三歳のお祝いの年にあたる。

三歳用のお祝い着は
私が長女を生んだ時に母が仕立ててくれたものがある。

それは本当はお宮参りに使用したものなので、
後ろ姿には赤地に白の雲どり、
金の刺繍で鼓の柄が豪華に描かれている。

しかし、それを着物の形に仕立ててしまうと、
肝心の鼓の柄は背中側だし、
お被布を着てしまうと
ほぼほぼ隠れてしまう。

結局、赤い無地場が多い着物ということになってしまうが、
これを私の娘たちは三歳のお祝いに着た。

赤い着物に鹿の子のお被布(ちゃんちゃんこ)というのも
可愛い組み合わせである。

一方、昨年秋、
懇意にしている呉服屋さんが店じまいすることになり、
その閉店セールで
可愛い七五三の三歳用セットを見つけた。

娘に着せた赤い着物と被布はあるものの
それ以外の小物もないし、
やっぱり新品は素敵だったので、
つい買い求めてしまった。

どちらを着せるにせよ、足袋とかんざしは必要だと思い、
昨日、別の呉服屋さんに出向いて、
新たにかんざしを求めてきた。

帰宅して、古い着物と新しい着物を
押し入れと茶箱から引っ張り出し、
比べてみた。

そうした作業は案外時間のかかるものなので、
夏の終わりの日曜の午後、
あれこれ広げていくうちに
昔のことが思い出されてくる。

亡くなって久しい私の母が
私にできた初めての娘(志帆の母親)のお宮参りに、
準備した赤い着物。

お宮参りの時は母の肩からかけただけの着物を
その子が三歳の時に着物に仕立て直し、
さらに被布を着せて神社にお参りした。
(その時の写真が最後の方の2枚)

次に次女が生まれ、
次女の三歳のお祝いの時もその赤い着物を着せたが、
私の母はその時はもう亡くなっていて
次女の三歳のお祝いを見ることはできなかった。

以来30年余りの年月、
茶箱にしまわれ、ぺっちゃんこになっていた
赤いお祝い着。

出してみれば、
小さなシミもついているし、
正絹とはいえ、最近のものにくらべ、
へたった感じは否めない。

それに引き換え、
しつけのついた真新しい一揃えは
いかにもふかふかして可愛いい。

さあ、志帆のお祝い着としてどちらを着せるか。
せっかく買ったんだから、真新しい方か。
自分も着たというストーリーのある古い方か。

選択は娘に託すことにした。

七五三は子供が生まれ、
「3年、つつがなく来られました」
「5年、元気に過ごせました」
「7年、ここまで成長しました」
そんな節目に感謝するお祝いだ。

そこには子供が生まれ、育つ間に関わった親やそのまた親や
亡くなっているけどそのまた親など、
たくさんの人の祈りの気持ちが込められている。

人はひとりでは生きられないし、
たくさんの人の助けを借り、
愛情を受けて、大きくなる。

そんなことをしみじみ思い返しながら、
ふたつの着物を見比べてみる。

単にどちらが志帆に似合うかみたいなこと以外のことが
大切に思えてくる8月の終わりだった。


2020年8月30日日曜日

1か月検診





由依が生まれて約1か月。
母親とベイビーの1か月検診に付き添って、私も行ってきた。

今はコロナの感染予防のため、
産科病院は厳戒態勢、
出産時に付き添えるのは新生児の父親だけだ。

じぃじやばぁばなどの関係者はお見舞いにもいけない。
送迎を担当した父親その他の家族も
中には入れず、
駐車場で待機するしかない。

1か月検診に関してもそれは同様で、
新生児を抱えた母親のみが
受付や診察室に入ることを許されており、
おつきのばぁばは受付の手前の簡易的な椅子で
こっそり待つという感じだ。

娘の自宅から3人でタクシーで病院に向かい、
最初にベイビーの診察から始まった。
予約制なので、割合すぐに診察室に入っていった。

しばらくして母子で外に出てきたが、
由依は思っていたより大きく育っていた。

2648gで生まれたのだが、
すでに3800gを超え、
「小さめに生れたのに、ずいぶん大きくなっていますね」と
先生に言われたとか。

大体、1か月検診で1㎏ぐらい増えていると安心らしいが、
それをかなり上回ることができ、
本当に一安心だ。

ニューボーンフォトを撮ったのが生後19日目だったので、
そのあと「もう気が済んだでしょ」とばかりに
太り始めたとは娘の弁。

由依はすでに新生児の様相は脱し、
乳児という雰囲気になりつつある。

それは1か月検診にいきている他のベイビーの華奢な感じと
比べても一目瞭然だ。

これは順調にいっているからこその贅沢な感想だが、
新生児のままでいてほしいという娘の願いもむなしく、
そのいたいけな小さな命は
たくましく乳児としての次の段階へシフトしているのだ。

一方、母親の方も産後の肥立ちは順調のようで、
一人目の時のように、
ひっかかる項目があって、
もっと大きな病院に行かなければならないというような
心配な案件は浮上しなかった。

これで一応、出産後のおとなしく過ごすべき8月が終わり、
9月からは上の子の保育園のお迎えを
ベイビー付きで自分でしなければならないと
ぼやく娘。

上の子の保育園の送迎係のトト(パパ)は
フルタイムの仕事に戻り、
送りはするけど、お迎えはママの役になり、
自分は稼ぎ手として頑張らなければならない。

そうなると
いよいよふたりの子育てのママの役割が
本格化するということになる。

そうやって少しずつ、ふたりの子育てと
やがては仕事との両立をこなす日々が来る。

私は8月はやや多めに手伝いに来たけど、
9月からは週に1回の平常運転に戻すつもりだ。

人生の役割分担が増え、負荷がかかるのが、
こうしたタイミングだと思うが、
大変な時期をこなしてこそ、
収穫の時を迎えることができるので、
ぜひ、娘にはふたりの子育てを楽しみつつ
頑張ってほしいと思っている。

早くもおっぱい星人と化して、
日中も夜中も頑張ったおかげで、
新生児時代を卒業し、
乳児になってきたわけだから!

そんな体験、人生でそうそうできないと思って
今を大切にし、楽しんでほしい。

ばぁばも時折、ご飯を作りながら
横目でその成長ぶりを楽しませてもらおう。
娘に食べさせたばぁばのご飯が
いいおっぱいになっていると信じて。

食べたご飯が贅肉と○○こになるだけのじじばばに比べ、
なんと生産性の高いことか!



2020年8月27日木曜日

新しいパソコン開通




新しいパソコンを購入し、
今日、初期設定と移行作業のための業者さんに来てもらって、
無事、こうしてブログをアップしている。

古いパソコンはWindows7の2013年製なので、
とにかく動作が遅く、
ここ数年、夏ともなると本体が熱くなって、
ウンウン唸り声をあげるようになっていた。

今年の1月、Windows10をインストールしたものの、
本体にガタが来ていることは否めず、
知人からは「パソコンていきなり壊れて
真っ黒になるから、気を付けたほうがいいよ」と
忠告されていた。

大して使っていないとはいえ、
ブログをやっていたり、
ホームページを2本稼働させているので、
ある日、突然、真っ黒になられたら困る。

「お前の使い方なんかしれてる」と
その必要はないと言い張るダンナの言葉を鵜呑みにして、
突如、壊れたら、本当に困ると思い、
新しいものに買い替える決心をした。

ヨドバシとヤマダを右往左往しながら、
何人かの店員を捕まえて、リサーチし、
自分のパソコンに必要な大方の容量やスペックが
わかってきた。

しかし、決め手は
このパソコンのビジュアルだ。

本当に美しい血のような赤のボディ、
キーボードが黒で文字は白い。

女性しか持たないであろう色、
(男性がこの色を持っていたら気持ち悪い)
しかも、攻めた赤と黒のコントラストの強い配色。

正にパーソナルなコンピューターという感じがした。

マツダの赤によく似ているが、
車は残念ながら、私一人の所有物ではない。
だから、いつも紺色かダークグリーンになる。

せめて、パソコンは個人持ちということをアピールしたい。

というわけで、
60代にして真っ赤なパソコンを手にした。

キーボードの感触も軽く、
今まさに指になじみ始めている。

個人の業者さんを頼んで、
初期設定とブログやHPの移行作業をお願いしたので、
今後も困ったことがあったら、
遠隔操作で教えてくださるという。

それがパソコンを苦手とする私としては
本日一番の収穫かもしれない。

やはり、古い知識しか持ち合わせない頑固おやじに
なんだかんだいちゃもんつけられたり、
すぐに頼りになる娘婿みたいな存在が近くにいない者にとって
ここに連絡すれば教えてくれるという存在は
「神」である。

その業者さんは企業や会社の経営者向けの講師もしているとか、
なので、専門知識はあるけど、
わからない人の気持ちがわからないSEさんみたいな
ことはなく、
懇切丁寧、しかも、無駄口はたたかず、
必要なものをわかりやすい状態にデスクトップに並べたり、
グルーピングしてくれたりする。

こうしたジャンルの教えを乞うとき、
わからない人をどう導くのか、
わからない人にどう説明するのか、
そこに真価が問われている。

その時、そっけなかったり、冷たかったり、
上から目線だったり、
とんちんかんな説教はいらない。

設定して、さっそくブログをアップしているということは
滑り出しは順調ということなので、
気分は上々だ。

真っ赤なマイ・パソコン!
当分は新しいおもちゃで
自粛生活を楽しもうと思う。



2020年8月24日月曜日

決死の本摺り










今年4月、自分の個展がコロナの影響で延期になって以来、
2020年に予定されていたグループ展や団体展は
ことごとく中止もしくは延期になった。

自粛中は制作をしているのが一番と、
4月に新作にとりかかったものの、
彫りの作業が終わった段階で心の糸が切れた。

発表の機会を失ってしまうと、
創作意欲までなくなるという初めての体験をした。

来年4月に延期された個展までには
多少は新作を創らねばと自分を鼓舞し、
「コロナ関連」と「由依の誕生」をテーマに
2点は大きめの作品を創る予定を立てた。

そんな時、版17の展覧会は
9月16日から予定通り開催されることが分かった。

版17は24年間の歴史に終止符を打ち、
今回の展覧会をもって終了する。

個性豊かな面々の多種多様な作品、
日本の版画会を担うメンバーが集い、
切磋琢磨してきた。

私もその仲間に加えてもらって10数年。
その間にチェコや台湾、沖縄、クロアチアなど、
海外展も経験させてもらった。

その展覧会の最後の展示に
作り置きの作品を出してはいけないという使命感が芽生え、
7月に入ってから、急遽、新作を立ち上げた。

テーマは
「コロナ自粛」

タイトルは
「STAY HOME ~時を止めて~」

四六版の和紙いっぱいいっぱいの大きな作品だ。
作品サイズで、縦82×横57cmある。

8月のお盆までには彫り上げると決め、実行した。
8月下旬には試し摺り、
9月の上旬に本摺りにもっていこうと決めた。

8月後半に入っても、
毎日毎日、猛暑日が続き、
7月にあれだけ続いた雨は、8月にはまったく降っていない。

木版画の摺りに欠かせないのは湿度。

加湿器をかけて、湿気を部屋中にまき散らし、
湿した和紙が縮むのを阻止しながら、
どんなに大きな作品でも、バレンひとつで手で摺り上げる。

彫りはクーラーを利かせた部屋の中でできるが、
摺りは乾燥が怖いので、
クーラーを利かせたまま行うことが難しい。

まして、外気温が35度にも達すると、
肉体労働そのものの摺り作業は難航を極める。

お盆過ぎぐらいから、天気予報を注視した結果、
唯一、8月23日の日曜日だけ、雨の予報が出た。
最高気温も29度と、30度を割るらしい。

この日をおいて、他に本摺りに適した日はない。
そう思った私はすべての予定をよけて、
8月22日(土)から24日(月)を摺り作業のために空けた。

21日(金)には買い出しと銀行の用事などを済ませ、
午後3時には帰宅して、モードを摺りに切り替えた。
そこから少なくとも72時間は外に一歩も出ない構えだ。

こんな時でも三度のご飯作りがついて回るのは
本当に苦々しいが、
ダンナはいつでも私よりも外に出ないで家にいるので
仕方ない。

そこにカリカリしても、今更始まらないので、
せめて摺りモードに入っている私に近づかないよう、
危険オーラを出しつつ、
アトリエに籠ることにした。

そして、22日土曜日に
試し摺り、版調整、絵の具つくり、和紙湿しと、
本摺りに向けたすべての作業を終えた。

通常、試し摺りを終えたら、
日を改めて、版の調整をし、
体調を整えてから、
本摺りの前日に絵の具つくりと和紙湿しをする。

しかし、今回は試し摺りをした日が
そもそも本摺りの前日なので、
その日に本摺り前の作業をすべてやるしかないのだ。

それもこれも
23日の日曜日だけに雨が降る。
しかも、最高気温が29度というやや低めの温度になる。

その天気予報にすべての望みを託し、
無理な日程を自分に強いてきたのだ。

しかし、開けてみれば、
23日の雨なんて、ほんのお湿り程度。
私が期待したざんぶの大雨とは程遠い。

されど、今更、引き返すわけにもいかない。

クーラーを28度に設定して入り切りし、
加湿器をマックスにかけ続け、
気力を振り絞り、
額から首から滴り落ちる汗をぬぐい、奮闘した。

途中、私のイージーミスで、版がずれ、
4枚同時に手掛けていたものの内、1枚を失った。

8割がた摺り進んでいた日曜日の夕方の出来事で、
心がポッキリ折れた。

怒りのもって行き場がなく、
自分を責めた。

もはや、今日はここが体力と気力の限界と知り、
いったん、ここで切り上げることを決断。

残りの数版はミスをしないよう、月曜日に回すことにした。

日曜日、私はその肉体的疲労と
1枚ミスった心労から、
何度か叫び声をあげたかもしれない。

腰や腿の筋肉が長時間の前屈姿勢のせいで
悲鳴をあげている。

右腕の上腕二頭筋が使い過ぎではちきれそうだ。
漫画なら、
さしずめTシャツの袖がブチ切れている図になろうか。

もちろん肩甲骨周りも痛みが差し込むような感じで、
首を回すとギシギシし、ゴリッと音がする。

最近は不整脈が出て、
娘たちにも心配されているというのに、
もしかしてこのまま倒れるのではと思うような違和感が…。

こんな感じで
とても笑えるような状態ではないのだが、
あまりの大変さにもはや笑うしかない。

たぶん自分史上一番しんどい摺りだったのではないだろうか。

これを年をとったというのか。

とにかく、72時間アトリエに籠って、
3枚の本摺り作品を仕上げることができた。

まさに
コロナ自粛で「STAY HOME」
~時を止めて~
仕上げた作品である。

9月16日から、10月4日まで、
岩崎ミュージアム
10時から17時まで

「版17 24年の軌跡」展

ご高覧頂けたら、幸せです。





2020年8月21日金曜日

YAMATO 3回目のベートーヴェン





神奈川県立音楽堂で行われた4回続きの
YAMATOの演奏会のうちの3回目に行ってきた。

この4回のコンサートには石田様LOVEの友人と
ふたりで申し込んでいたが、
コロナのことでいったん中止になり、
払い戻し手続きの後、また、延期日程が組まれ、
更に昼の部だけでなく夜の部もセットされと、
紆余曲折を見た。

その間、友人と私はどうするかやり取りし、
提示された延期日程の元と同じ時間、
元と同じ座席で鑑賞することにした。

しかし、やはり、二転三転主催者の事情が変わると、
聴きに行く方の事情も変わるもので、
1回目2回目は友人は聴きに来られず、
3回目の今回、
初めてふたり揃ってYAMATOを堪能することができた。

友人にとっても、
コンサートというライヴ感は久しぶりだったようで、
当たり前のように月に何度もコンサートに通っていた、
あれは本当に幸せなことだったと感慨深げであった。

3回目の会場は、1~2回目よりやや混んでいて、
座席の半数ぐらいは埋まっているようだ。

舞台には「会場会話禁止」の大きな看板が置かれ、
マスクの上にフェイスシールドを付けた係の女性が、
何人も会場を巡回して、
隙あらば注意するという態勢だ。

このコンサートのウリは
開演の1時間前には開場し、その30分後に
メンバーのひとり、
チェロの阪田宏彰さんが解説をつけてくれることだ。

飄々としたユーモアと深い考察力、
卓越した文章力で書かれたプログラムの文章も、
阪田さんの手になるもので、
毎回、手元に配られるプログラムで
私たちはベートーヴェンに関する知識を得ている。

阪田さんのプレトークは
プログラムに書かれている楽曲解説と
ベートーヴェンの人物解説の一番言いたい部分を、
分かりやすい口語で話してくれるという内容なので、
曲を聴く前に聴衆はイメージを創ることができるし、
理解の度も深まるという具合だ。

それにしても、
演奏家が曲を弾くにあたって、
そこまで作曲家の人間関係や人物像、出来事などを
研究するのかと、
私は毎回、驚いている。

例えば、絵描きの私が好きな作家の絵を鑑賞したり、
研究しようという時、
ピカソは何人の女性と結婚し、どこに住み、
どんな事件が起きて、どんな生活だったかなんて、
絵を鑑賞することとさほど関係ないと思っているが…。

しかし、作家側の視点で言えば、
確かにその時の生活や心理状態が作風を左右し、
どんなテーマで作品を創るかに関わってくる。

それと同じことが作曲家にも起こっていたわけで、
ベートーヴェンがこの曲を創った40代後半には
弟カールの死があり、その嫁や甥っ子との揉め事、
さかのぼれば、
ベートーヴェンの生い立ちにも関わることになる。

息子を金の卵とみた酒浸りの父親による執拗な要求、
虐待まがいの父親を見て見ぬふりの母親、
歪んだ愛情、満たされぬ幼少期の親子愛、
そして、やがて女性への変質的な執着と不信感へ。

心理カウンセラーとしては
実に興味深い面白い人物だと言える。

弟カールとその死、
妻ヨハンナにかけられた毒殺の嫌疑、
甥っ子カールをめぐる裁判など、
オペラの題材かと思うようなベートーヴェンの真実を
YAMATOのメンバー阪田さんが深掘りした上で、
分かりやすく解説してくれる。

曲の作られた背景をどう捉えて、演奏に生かしているのか、
演奏家が単に譜面をさらって練習に励んでいるのではないと
いうことを教えてくれる。

そのYAMATOのメンバーの
演奏家としての真摯さ・真面目さ・演奏にかける熱量を
このコンサートは垣間見せてくれるので嬉しい。

3回目の選曲は、ベートヴェンの管弦四重奏曲の中でも
難解な13番、大フーガ、15番だったので、
完全に意識障害に陥るかと思っていたが、
何とかくいついていけたのは、
事前のプログラムと阪田さんの解説があったらばこそと
言える。

それにしても、犯罪者ベートーヴェン、
狂気の人ベートーヴェン、
そんな人物でないとこうして後世に残るような名曲は
残せないのか。

「二人目の孫が生まれました~」とか、
「今流行りのニューボーンフォト、撮ってみました~」とか、
平和ボケのばぁばに
狂気が描かせた名画など創れるはずもなし。

薄々感じていた芸術家は不幸でないと。。。の真実を
ベートーヴェンに見た思いで、
しょぼくれるばぁばであった。

たぶん、YAMATOのメンバーも
自分が真面目過ぎること、
さして性欲の権化でもないこと、
ましてや犯罪者でもないことに悩みを深めているだろう。

それでも、演奏中、石田様の開きすぎの足と
高校なら即、呼び出しのツーブロックの新しいヘアスタイル、
ヴァイオリニストとしては異例のロックな感じで動く体、
押さえていない指が美しく立つ左手のフォルムに、
きゅんきゅんしながら、
「やっぱり好き!」と思った
ばぁばの平和な1日であった。

アンコールは
レッドツェッペリンの「カシミール」

どうだと言わんばかりのエロティックな演奏、
楽器と一体となった繊細、かつパッショネイトな音色。

犯罪者でなくてもいい。
そりゃ、そうだ。
ファンは皆、そう思ったに違いない。








2020年8月18日火曜日

ニューボーンフォトに挑戦









今、流行りの『ニューボーンフォト』に挑戦してみた。

由依は今日で生後19日目。

『ニューボーンフォト』とは、新生児、
つまり生後30日までの赤ちゃんを
新生児ならではの初々しさで写真に残すことを
目的にしているらしい。

最近は妊婦さんの大きなおなかの記念写真を撮ったり、
生まれたての赤ちゃんの写真を撮ったり、
昨今のベイビーは生まれる前から
モデル業に忙しい。

ニューボーンフォトを撮りたいと
娘からサンプル写真をたくさん見せてもらったのは、
由依が生まれて10日ぐらい経った頃。

スタジオに連れて行ったのか、
病院や家にカメラマンに来てもらったのか、
確かにそこにはいわゆるぷくぷくの赤ちゃん写真とは違う
生まれたてのまだ人間になっていないかのような
幼気な赤ちゃんがたくさん写っていた。

ほとんどはまだ目が開いていない。
裸ん坊に布を巻きつけたようなスタイルで、
足が布でどこにあるか分からない。

もみじのような手という表現があるが、
まさに壊れ物のような小さな手が
顔のそばにちょこっと覗いている写真など、
正に新生児らしい感じといえる。

確かに1週間に2度のペースで会っているのに、
次に会うときには人間らしくなっている。

となると、ニューボーンらしさが失われる前に撮らなければ…。

このコロナ禍の中、
新生児を連れてスタジオに行くなんてもってのほか。
こうなるとばぁばの出番だ。

そう思って、
今日は自宅からおくるみに最適な白いストールと
娘の結婚式の時、
式場の入口のテーブルに飾った花束を持って、
娘の家に行った。

本日のミッションは
ご飯作りのばぁばというより、
ニューボーンフォトのフォトグラファーだ。
(もちろんご飯も8品は作ったことを申し添える)

さて、どんなシチュエーションで
どんなデコレーションにするか。

娘が髪飾り的なヘアバンドをネットで注文したので、
それを頭に飾り、
オフホワイトのショールでどう身を包むのか、
ポンポンのついたおくるみのポンポンの位置、
花束をどこに置いたら効果的か、
ああだこうだと大騒ぎ。

新生児のいい表情や可愛い動きは一瞬だし、
まだ「こっちみて~」とか「はい、ポーズ!」なんて
言ってもわかる相手ではないので、
どんなタイミングで撮るのかが肝心だ。

ああだこうだをやり過ぎて
ベイビーのご機嫌を損ねては元も子もない。

幸い、授乳の後に上手にうんちも出たので、
穏やかにひとり遊びしてくれるタイミングを計って、
娘とふたり、夢中でシャッターを切った。

一人目の志帆の時代には
たった3年前なのにそんな流行りはなかったので、
ニューボーンフォトは由依にしかない。

なにかと二人目は手抜きになって、
写真の量も激減するのが常なので、
由依にしかないニューボーンフォトなる写真が
撮れたのはよかったのではないかと思う。

生後19日目。

今のところ、
母子ともに順調に産後の日々を過ごせているからこその
楽しい試み。

3歳児が保育園に行っていていない、
つかの間の
穏やかなひとときであった。


2020年8月10日月曜日

コロナ自粛を作品に







連休も含め、お盆の週に入った。
世の中はコロナの感染者が増加の一途をたどっているため、
やれ、東京から他府県に出るな、
やれ、東京からは来てくれるなと、
まるで都会はコロナ患者があふれているような言いざまだ。

神奈川県民の私は、
旅行に行くわけでも、外食でわいわい騒ぐでもなく、
近所の買い出しと、孫の子守とご飯作り、
最寄り駅でカウンセリング、
変更の末、8月になったコンサートに
出掛ける予定だ。

まるで村八分かというような話や、
なぜ、こんな時に東京から来たのかと嫌がらせされたニュースを
聞くにつけ、
遊びに行っても楽しめないだろうなと思う。

いい加減、家でご飯を作り続けることに嫌気はさしているが、
それでも、外に外食に行こうという気にもなれない。

困った2020年の夏だ。

8月に入り、ようやく梅雨が明けたら、
待ってましたとばかり、気温が上昇、
今日は横浜でも最高気温が36度ぐらいか。

体温と気温がほぼ同じでは、
外に出るのは危険だ。

さて、4月7日、緊急事態宣言が出されて以来、
今年に予定されていた個展、グループ展、団体展は
ことごとく延期、もしくは中止になった。

版画家として作品を出品する場所がなくなると、
一挙にテンションが下がり、
制作意欲がなくなる。

それは私だけに限らず、他の作家もそうだし、
別の職業、例えば、舞台俳優、コンサートなどの音楽家など、
発表することで対価を得ているアーティストは
おしなべて同じ思いに沈んでいる。

誰かに見てもらってなんぼ、
評価してもらってなんぼの世界なのだ。

そんな中、
25年続いた版17というグループの最後の展覧会だけは、
予定通り、9月半ばから開催することになった。

きっとこのグループ展も延期かなと思っていたのだが、
とにかくこれで最後と決めていた展覧会なので、
もうやってしまうことでケリをつけようということらしい。

大人の事情で昨年の展示をスキップしているので、
更にここで1年延期では、
いつのまにかなくなってしまったグループと思われても
しかたない状態なので、
25年間の記録集発刊と共に、作品展示をしようということだ。

そうなると、何を出品すべきか。

2020年というコロナに翻弄され、
自粛を余儀なくされたことから、
自らと向き合うことになった年。

そんな年に終焉を迎えることになった展覧会。

今までのテーマのまま、適当に2点出品するのは
ためらわれる。

そう考えて、
目下、コロナ自粛をテーマにした新作を
鋭意、制作中である。

この暑さの中、
摺りができるかどうか、とても心配だけど、
すっかり萎えていた制作意欲に
少しでも火が付いたのなら、
やはり形にしたいと思っている。

私の器が気に入ったFさんからは
「次は取り皿10枚と、箸置き10個、お願いします」と
注文が来ている。

器は人から欲しいと言われているうちが花、
版画も「展覧会は9月16日からです」と言われているうちが花。

いずれも納期に間に合わせて
制作するのがプロというものだ。