2016年2月27日土曜日

パブロ・シーグレル&藤原道山 音楽革命

 
 
毎日、寒い。
そのせいか鼻水が出るし、詰まっている。
 
たぶん、花粉症の鼻水と相まって出ていると思われるので、案外、重篤だ。
鼻が詰まっているので、寝ている時に脳に十分な酸素が送り込まれていないことが
自分でよく分かるから、
低酸素脳症とか、脳梗塞とかになった気分。
 
そんな体調の中、みなとみらいの小ホールに
「音楽革命 パブロ・シーグレル&藤原道山」というコンサートに行って来た。
 
いつもの石田様でも最近のお気に入り三浦一馬でもなく、
渋いメンバー。
 
パブロ・シーグレルはアルゼンチンタンゴ界の巨匠。
作曲家であり、ピアニスト。
藤原道山は今、注目の若き尺八奏者。作曲もする。
 
そのふたりが「音楽革命」などと大層なタイトルをぶち上げて
どんな演奏をするのか、興味が湧いて、覗いてみることにしたのだ。
 
会場は藤原道山目当てなのか、いつものように70代前後の男女が多く、
あまりタンゴでノリノリという雰囲気ではない。
満席ではある。
 
プログラムは1部がお琴と尺八の現代曲から始まり、4曲続いた。
最後の「東風」になるまで、パブロは姿を現さないので、
こりゃいつかと同じ、有名どころを呼んで、ふたりジョイントさせといて、
実際は2曲ぐらいしか一緒には演奏しないというパターンかなと思った。
 
しかし、1部の最後の曲にパブロが登場してからは
2部、そして、アンコールまで
私の予想を大きくくつがえして、素晴らしい演奏になった。
 
まさに音楽は世界共通の言語だとも言うべきセッションが繰り広げられ、
洋楽器であること、和楽器であることを、楽々飛び越え、一体になった。
 
ビジュアル的には中央にグランドピアノがあって、パブロが座り、
左半分には洋楽器のヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、パーカッション。
右半分には尺八、お琴、バンドネオン、鼓、太鼓などがくる。
 
演奏者は和楽器担当は紋付き袴なので、思いっきり和なのだが、
セッションが始まると、尺八はフルートのようであり、ピッコロのようでもある。
(藤原道山だけは1部は紋付き袴で、2部はソフト・スーツ姿)
 
お琴はれっきとした弦楽器だということを証明してくれており、
そこに鼓の音や和太鼓、鈴なども違和感なく加わって、
黒門付きのお姉さんがノリノリで鼓を打っている。
 
コンサートは、説明も司会進行もなく、淡々と始まり、
徐々に会場全体も温まっていくと、
もの珍しげに集まった会場の初老の男女が段々ノってくるのが分かる。
 
最後はリベルタンゴのセッションで
パブロのピアノに誘われて、バンドネオン、尺八、チェロがひとりずつ演奏し、
アルゼンチンだの日本だのの国を飛び越え、
洋楽器も和楽器もなく、ジャズのセッションのようになっていった。
 
最近は出掛けるコンサートが、好きなアーティストや作曲家など、
決め打ちしすぎていた感があるが、
「もっと音楽は楽しいものだよ」とパブロの「リベル・タンゴ=自由なタンゴ」は
教えてくれた気がする。

2016年2月19日金曜日

マイナンバーカード引き取りにもの申す

去年の12月始めに届いたマイナンバーをカードにすべく
所定の大きさの写真を添えて申し込んでおいたものが出来たというので、
区役所まで取りに行った。
 
出来てきたものは免許証などと同じサイズ、同じ材質のカードだったのだが、
その引き取りは完全予約制。
 
事前に電話で申し込んで、「何日以降の30分ごと好きな時間に」と言われ、
自分で選んだ日時に住んでいる市区町村の役所まで取りに行くシステムだ。
 
区役所には引き取り用の特別ブースが設けられ、
結構な人数の職員が待ち構えていて、
ひとりずつ対応して、4箇所に暗証番号の記入を求められる。
 
予約時の電話で、 
「身分証明として、写真付きの免許証かパスポートは持っているか」と尋ねられたので、
「両方持っている」と答えると、「両方を持ってきて」と言われた。
 
「じゃあ、両方持っていない人はどないするねん?」と疑問を抱きながらも、
何かひとつでも忘れると出直しになりそうだったので、
封筒に通知カードやらID番号の入ったハガキやらハンコを入れ、準備した。
 
ブースの職員はとても感じのいい女性だったので、
引き取りはスムーズに行われたのだが、
それにしても、これからカードを使う際に求められる暗証番号を
4つも書かなければならないのは、高齢者にとって負担じゃないのか?
 
その内3つは同じものでよく、数字4桁。
でも、もうひとつは数字やら英文字の組み合わせで6文字以上16文字以内と
相当、ややこしい。
 
忘れた時用にわら半紙の覚え書きをくれるのだが、
それすらなくしたらどーすんだよ。
 
第一、ネット社会とはいえ、暗証番号とかパソコン入力とは無縁な暮らしの
老人には、相当高いハードルだろう。
 
しかも、このカード、暗証番号を使って、証明書の類を出してもらうのに
5年という有効期限がある。
(ちなみにカード自体は2025年の誕生日まで有効らしい)
 
その有効期限の近くになったら、免許証みたいにお知らせが届くなんて
親切なサービスはないらしく、忘れないために書類にいつまでか書かされたが、
平成33年2月とか何とか・・・。
 
平成ってあと5年、本当にあるかどうかも分からないのに、
「なんで西暦で書かないのか」って、訊いたら
「そうですよね。天皇陛下もご高齢ですしね。でも、これが役所のスタンダードです」
だって。
 
カード申請時には、4、5×3、5の顔写真を添付したけど、
実際のカードの写真はせいぜい3×2㎝。
 
それなら、今までの証明写真でもオーケーだったはずだが、
要求はマイナンバー用の特注サイズだったので、
それように証明写真ブースで取り直した人がほとんどだろう。
私もそうだった。
 
本当に融通が利かないというか、お役所仕事っていうか・・・。
 
提出ハガキに暗証番号を4つも書き、いくら目隠しシールを貼ったとはいえ、
心配になった私は提出したカードをもう一度出してもらい、
シールを剥がして、油性マジックを借り、黒く塗りつぶしてから提出した。
 
マイナンバーカード、
今、手元にはあるにはあるが、いつ・どこで使うの?
それより、何かで個人情報駄々漏れにならないでしょうね。
 
そして、数日前、
ダンナの会社から「書類作成時に必要なのでマイナンバー教えろ」という書類が来た。
ダンナは海外在住だから、留守宅の私宛だ。
 
しばし考えて、直接、担当部署に電話して、
「個人情報が漏れるリスクがあるので、拒否します」と申し出た。
そしたら「分かりました」だって。
 
何だか、世の中、おかしい。
個人を数字で管理することに、違和感を禁じえないのは私だけではあるまい。
 
 

2016年2月16日火曜日

歌舞伎舞踏の至芸『棒しばり』

 
珍しくシネマ歌舞伎が普通のロードショーとして映画館にかかっている。
 
板東三津五郎と中村勘三郎の『棒しばり』
同じく三津五郎と中村時蔵の『喜撰』の2本立てである。
 
『棒しばり』の方は平成16年4月に歌舞伎座で行われたものだし、
『喜撰』は平成25年6月に歌舞伎座にかかったものだが、
板東三津五郎の踊りものというくくりで同時上映されているらしい。
 
わたしはいつもの東銀座の東劇ではなく、
みなとみらいのブルグ13に予約し、出掛けたところ、
やはり60~70代の大おば様達がおおぜい観に来ていた。
 
残念なことに今は亡き坂東三津五郎と中村勘三郎。
このふたりがどれほど踊り手として長けていたか、
嫌というほど知らしめてくれている2本だった。
 
2本とも歌舞伎の舞踊とはいえ、面白みとおかしさを追求した演目なので、
その軽妙洒脱な振りと表情、キレがよくて品格のある動き、
両方併せ持っている素晴らしさに惚れ惚れする。
 
三津五郎と勘三郎は男性としては165㎝あるかないかの小柄な体だが、
そのふたりだからこそ、太郎冠者と次郎冠者になったときの
ペアとしてのバランスがいい。
 
『棒しばり』の方はそこに大男の板東彌十郎が曽根松兵衛として加わり、
凸凹の妙というか、それだけで絵ずらが可笑しくなる。
 
最近、それぞれの息子達が芸を継承して、
巳之助、勘九郎のコンビで頑張って踊っているが、
役者の背格好や顔だちまでは親子とはいえ受け継いでいないので、
三津五郎と勘三郎の名コンビのようなわけにいかないのが残念だ。
 
また、もう1本の『喜撰』は
喜撰法師が祇園の茶汲女お梶に惚れて、口説くけど振られるというお話。
 
三津五郎は自分の襲名公演でも踊ったぐらいだから、
お家芸の演目だ。
 
桜満開の京都を舞台に、お坊さんの三津五郎と茶汲女の時蔵。
 
三津五郎が軽やかでしなやかに踊るのに対して、
時蔵がなんとも色っぽく、粋でなまめかしい。
 
時蔵は女形にしては大柄なので、三津五郎の方が小さく、
ちょっとそこはご愛敬。
 
そういう意味でも三津五郎と勘三郎なら、
どっこいどっこいの背格好で本当にちょうどいい、
そんなことを考えながら、
いずれにせよ、もうこの世にはいないふたりを懐かしんでいた。
 
『喜撰』の舞台は春爛漫の京都。
踊りの最後には17名もの若手が小坊主として出てきて踊る。
その中には、昨今、成長著しい巳之助や壱太郎、米吉、児太郎の名もあった。
 
50代でこの世を去った父や先輩の後を追って、
小坊主達の誰かが法師様に化けるのを、ファンとしては楽しみに待つとしよう。
 
あ~、春が待ち遠しいのぉ~。
 
そうだ 京都 行こう。

2016年2月12日金曜日

NAU展 ギャラリートーク

 
 
 
 
六本木の国立新美術館で、
3日から始まっていた「NAU21世紀美術連立展」の
ギャラリートークが、昨日、行われたので、どんなものか観に行った。

搬入のあった2月2日は
自分の作品の搬入とセッティングを終え、一歩先に会場をでてしまったので、
きちんと展示がなされた会場に入るのはこれが初めてだ。
 
しかも、搬入は休館日に行われたので、
展覧会場の入り口は閉ざされており、裏口からしか入らなかったので、
1階の会場入り口から入ってすぐの正面に、自分の作品があって、
ちょっとビックリ。
 
そして、昨日11日はお休みの日とはいえ、
六本木ヒルズやミッドタウンからは離れた国立新美術館なのに、
人が多いことに2度ビックリ。
 
こんな名も知れぬ展覧会なのに、会場にぞくぞくと人が入ってくる。
 
私も友人とまずは全体の作品を観て廻り、
現代美術というか、わけの分からないものから、写実描写まで、
平面作品も立体作品も混在する、
要はおもしろければ何でもありの展覧会なんだと実感した。
 
しかし、レベルはかなり高く、
個人で創った作品としては相当な大きさのものばかり、
所狭しと並ぶ様はかなりの迫力で、なかなか楽しい展示会場だ。
 
作品の3分の1ぐらいは、私と同じようにどこかで個展をしていた時に、
会の中心メンバーからお誘いを受け、今回の出品に至っているようで、
キャプションに「○○ギャラリーにて推薦」とある。
 
皆、私同様、自分の作品をいつもとは違う環境に置いて、
いろいろな方に観てもらいたい、
自分の作品が多様な作品の中でどのように見えるか観てみたい、
そんな思いで参加しているのかもしれない。
 
ギャラリートークは私の作品の推薦人でもあるW氏の司会進行で始まった。
 
あらかじめ出品作品と共に提出してあった画暦などを頭に入れているようで、
1点1点、会場入り口そばの作品から解説しながら絵を観るというスタイルだ。
 
ギャラリートークを目当てに会場にきた20~30人ぐらいの人をぞろぞろ引き連れ、
まるで回遊魚のような一団が会場を進んで行く。
 
作者がその場にいる場合は、
W氏が「ご本人からひとことどうぞ」と言って、振られるので、
作品の前で作家本人が作品コンセプトや技法などを解説することになる。
 
私の作品は入り口から入って、割合すぐだったので、
話をする順番もすぐに回ってきた。
 
「もくめ」への木版画家としてのこだわりや、
オブジェ作品のコンセプトなどを話し、
回遊魚の一団はジロジロ覗き込んだり、作品にちょっと触れたりして、
興味深げに観てくれていた。
 
こうして、銀座の版画専門のギャラリーから飛び出したオブジェ作品が、
見知らぬ展示会場ですまして立っている姿を見ていると、
我が子がひとり立ちしたような気分になる。
 
来週初めに搬出があるので、
また、どんな風に感じられたのか、周囲の作家さん達の感想や意見をきいて、
今後の展開につなげられたらと思っている。

2016年2月10日水曜日

BGMは三浦一馬で

 
 
 
2月に入って、自分に課した版画の仕事は、
昨年夏に原画を興し、版を彫り進めていた大きな新作を摺り上げること。
 
昨年秋に原画を興した2点の作品は、12月と1月にそれぞれ
試し摺りから本摺りへと仕上げていたのに、
なぜか後回しになっていた大きな新作をいよいよ摺らねばと、
自分に言い聞かせていたのだ。
 
なぜ、後回しになっていたかといえば、
色彩のイメージがなかなか浮かんでこなかったからとも言えるし、
大きな作品だからこそ、体力気力の整ったときにしかできないからとも言える・・・。
 
じゃあ、そのあたり整ったのかと問われると、はなはだ怪しいが、
いつまでも後ろに倒していても始まらない。
重い腰をようやく上げたというあたりかもしれない。
 
先週から試し摺りに取りかかり、イメージを固めたり、版の彫りの調整をした。
昨日・一昨日と2日に分け本摺りをし、5枚の作品を完成させ、
水曜日の今日、午前中いっぱい、後片付けにかかってしまった。
 
最近は1日12時間摺りのような無茶はしないとはいえ、
2日に分けても、物理的にかかる時間は同じだから、
終わってみれば、達成感と安堵感と疲労感がドドーッと押し寄せる。
 
本当なら、水曜の11時半からスポーツジムの体幹を鍛えるレッスンと
その後のシバムという踊り系レッスンを取るつもりだったが、
とんでもない、
後片付けが終わったら、疲れてボーッとなってしまった。
 
2日間の本摺りを支えてくれたのは、何といっても今回は三浦一馬のCDだった。
 
先日のコンサートで惚れ込み、
ヴァイオリニストの石田泰尚から、
にわかに目移りして心踊らせているバンドネオン奏者だ。
 
先日のコンサート会場では、その場でCDを買い求め、
本人にサインをしてもらい、演奏し終わったばかりのその手で握手してもらった。
 
そのCDと、ついこの間買い足した別のCDを
本摺りの間中、繰り返し聴いていたのだが・・・。
 
三浦一馬の魅力は
まだ、弱冠25歳にして、卓越したバンドネオンの技巧と表現力を兼ね備え、
ピアソラの曲を狂おしいまでに切なく演奏することにある。
 
そして、何といっても石田様と一番違う点は
何もしゃべってくれない取り扱い注意の繊細な石田様に比べ、
語彙の豊富さと美しい日本語でピアソラの魅力を語ってくれるところだ。
 
いかに自分がピアソラに心酔し、焦がれているかを体現するその演奏。
バンドネオンを弾く際にでる楽器の空気音が、
まるで彼の呼吸のようにCDから聞こえると、
耳元で演奏されているような、ささやかれているような甘美な気分になる。
 
そして、握手した時のすこし湿った手の感触がよみがえる。
 
本摺りの真剣勝負が何時間も続く直中に
一緒に戦ってくれている三浦一馬がそばにいる。
 
そんな妄想が、私の本摺りの支えとなって、
どんどん溜まる肩や肩胛骨周りの乳酸と、腰の張り、首筋のきしみなどを
忘れさせてくれるのだ。
 
だから、本摺りが終わって、作品を水張りし、
乾燥させてから丁寧にテープを剥がし、グラシン紙という包み紙に包み終えると、
その安堵感からか、ドッと疲れが溢れてしまう。
 
でもって、我に返って、どうするかといえば、
電車に乗って京急新子安まで出向き、
予約してあった整体の先生に体の凝りをほぐしてもらうのだ。
 
先生に体をあずけ、痛みに耐え、
鉄板のように硬くなった鎖骨下の筋肉をほぐしてもらい、
肩胛骨周りの乳酸をしごし出してもらいながら、
「お風呂場のリフォーム、決着したんですね。交渉、すごかったですね」と
褒めてくださるU先生と、ブログネタで盛りあがること、
これが私の何よりのリセットと癒しの時間なのである。
 
三浦一馬と整体のU先生、
私の本摺りを支えてくれて、本当にありがとう!!

2016年2月4日木曜日

2年越し お風呂場リフォーム決着

 
 
去年の10月中頃、私がTOTOのショールームに行ってから始まった、
我が家のお風呂場リフォーム騒動が、今日、ようやく決着した。
 
何がどんな風に騒動だったかは、去年のブログに3回ほど書いたので
ここでは割愛するが、
最後に窓を2重ガラスにして防寒対策を施すという部分が年末までに出来ず、
積み残されていたのだが、
2月1日、ようやく設置され、今回の工事が滞りなく終了したことになる。
 
そして、残すは、この遅延と迷惑とを
どのように金銭に還元して、示してくれるのかという重要な問題のみとなった。
 
2月1日、無事、窓が入ったのを確かめた支店長が
夕方、例の「報・連・相」のできない部下を伴って、やってきた。
 
10月、2社にとった相見積もりでは
A社が125万、B社が127万と僅差の額が提示された。
 
しかし、A社の「報・連・相」兄ちゃんに
「予算は100万なんだから、もっとどうにかならないのか」と詰め寄ったところ、
「110万になら、何とか」と見積書の数字をその場で書き換えてくれた。
 
ところが、B社のイケメン営業マンの方は同じことを言っても
その場での裁量権がなく
「持ち帰って上司に相談しますが、113か114が限界です」というから
私が「たかが3万、されど3万よね」といったため、、
「残念ですが、今回は諦めます」といって、帰っていったのだ。
 
ここでこのイケメン営業マンの方に決めていたら、
今回の騒動にはならなかったかもしれないが、後の祭りである。
 
そして、長い長いリフォーム工事の果てに、まず、提示されたのが
遅延に対し総額×10000分の4×日数で2万?(1日440円アホか)と、
リフォーム会社の手数料5%を棒引きにして、
「都合102万円ではいかがでしょう?」
「きっと、ご不満だとは思いますが・・・」
 
『はぁ、ふざけるな』
「法律的なことは分かりませんが、ここには心理的にかかった迷惑に対して
何もあがなわれていませんよね」
私はそう、静かに言い放ち、1回はお引き取りいただいた。
 
そして、支店長が社長に相談し、支店長の裁量に任されたということで、
本日、2回目の交渉がなされた。
 
私も指をくわえて、相手の提示する金額を待つのではなく、
自分なりにいくらなら払うつもりがあるのか、計算メモを作って面談に臨んだ。
 
支店長は
「私に任せてもらえたので申しますが、90万ではいかがでしょう」
と、言った。
 
それは、正しく私が用意したメモに書いた数字と同じ金額だった。
 
もちろん、交渉は速やかに税込み90万という数字に決着し、
穏やかににこやかに、この3ヶ月の出来事を回想しながら、
最後の面談は終了した。
 
一昨年夏、最初に東京ガスに依頼して見積もりを取った時は、
約180万といわれ、
一度は諦めたお風呂場のリフォームは、
すったもんだの末に、半額の90万で決着した。
 
私のポケットマネーで買う大きな買い物としては
結果オーライの上出来だったのではないだろうか。
 
いろいろな意味で人生勉強にもなったし・・・。
本当にお疲れ様、わたし。
 
さあさあ、お風呂でゆっくりしましょ~っと!
極楽、極楽~。
 
 


2016年2月3日水曜日

ど迫力 村上隆『五百羅漢図展』

 
 
 
 
 
六本木の森美術館で行われている村上隆の『五百羅漢図展』を観てきた。
 
六本木の国立新美術館で今日から自分の作品を含む団体展の展示が
始まったので、もののついでに観に行ったのだが、
そのあまりのど迫力にかなり衝撃が走った。
 
今回の展覧会のメインは、たて3メートル×横25メートルの巨大な作品が4点で
合計100メートルの大きさになる「五百羅漢図」だが、
それより何より、まず入り口に立っている等身大の村上隆人形に
度肝を抜かれた。
 
羅漢様みたいな装束を着た等身大の村上隆人形は
驚く緻密さの精巧な作りで、どんと立ち尽くし、顔の中からもうひとつ顔を出し、
こちらを睥睨している。
 
間近に寄って見あげる私達がじろじろ眺めていると、
急に目玉がぎょろぎょろ動きだし、念仏まで唱え出す。
 
その不気味さとシュールさで、客を一気に村上隆ワールドに誘い込み、
そこから始まる人知を越えた壮大、かつ深遠な世界へといざなってくれるのだ。
 
個人的には、村上隆の作品が好きかと言えば、そうでもない私だが、
とてもひとりの作家ではなし得ない莫大な作品量を、
多くのスタッフを使って制作していることと、
歴史や絵画に関する深い造詣、多くの資料・文献に基づき、
つきることなく生み出されている作品には、
圧倒されて言葉がない。
 
村上隆は2浪して芸大の日本画科に入り、大学院と博士課程を修了。
 
そして、その頃、ハタと気づく。
「日本画のお客さんなんて、金持ちのおじいさんかおばあさんしかいないのに
自分は何のために絵を描くのか。誰のために絵を描くのか」と。
 
で、そこから、
絵描きとしてのあり方の模索が始まる。
 
それからは世界中が知るところのキャラクターの誕生や
フィギュアの制作が始まるわけだが、
2011年、東日本大震災を経験。
 
その年に生まれたのが、今回の『五百羅漢図』のシリーズだ。
 
計200名以上の美大生を募り、
まるで工場で生産するがごとくに、村上隆の指示の元、
今回の巨大絵画は制作されたという。
 
その制作過程や指示書、制作風景などの資料や写真も展示されており、
とても興味深かった。
 
村上隆からの指示書は「ご指示」と呼ばれ、
中には「指示どうりにやれ!!ボケ!」などと書かれた村上隆の自筆メモもあった。
 
同じ絵描きの端くれとして、
その組織だった人海戦術と人を使うパワー、
行動力、資金力、ビジネス展開する営業力など、
どれをとっても並外れていて、驚くことばかり。
 
芸大に入って、出るまでの経歴は私と似たりよったりだし、
歳も少ししか違わないのに、
どこでこんなに違いが出てしまうのだろう。
 
何だか作品の良し悪し以外のところに打ちのめされてしまって
とても疲れてしまった。
 
人は人、自分は自分なんだけど、
日本人にもこんなにパワフルでワールドワイドな人がいると知って、
とても驚いたし、かなり凹んだ。
 
「五百羅漢」なんていう壮大なテーマは、モチーフとして尽きることがないし、
宗教的なバックはやっぱり強い。
日本人とは何ぞやとか、生きるって?死ぬって?みたいなテーマも深淵で
深掘りし甲斐のあるテーマだよね。
 
「生と死」は私にとっても大切なテーマなだけに
先手を打たれたダメージがボディに響いたのであった。


2016年2月2日火曜日

オブジェの搬入

 
 
明日から、六本木の国立新美術館で始まる
「NAU21世紀美術連立展」なる団体展に出品する作品を搬入してきた。
 
自分の作品が国立新美術館の中に展示されるのも初めてなら、
この団体展に出品するのも初めて、
オブジェだけをオブジェ作家みたいな顔して出品するのも初めてだ。
 
まるで新人作家のようなオドオドさ加減で、
朝10時に搬入口にたどり着き、
頼んだ業者さんのトラックから自分の作品4個口を降ろし、
係の人に受け付けてもらった。
 
オブジェ作品は午後1時からしか展示出来ないというので、
これまた、おのぼりさんよろしく六本木の街中に出て、
森美術館でやっている他の人の展覧会を観て時間をつぶし、
また、展示会場へと戻った。
 
思ったより多くの巨大な作品が運び込まれていて、
NAU展としてのフロア面積も相当広い。
 
私の作品を昨年の個展の時に観て、この展覧会に招待してくれたW氏をみつけ、
挨拶すると、
今日は決められた場所に自分の作品さえセッティングすればいいと
いうことなので、早速作業に取りかかった。
 
とはいえ、隣の人の巨大なオブジェとの位置関係や、
他の作品や人の導線における作品の見え方など、
たった1組の作品で置き方をあれこれ変えたりして、
ベストポジションを決めるのに案外時間がかかった。
 
隣も人も期せずして、ついたて状のものを使うという点ではかぶっているので、
同じ並びについたてがこないようにし、
青い作品の隣に自分の作品のグレーの面がくるより、
黄色い面がきた方がコントラストがついてきれいに見えるなどと、
ひとりブツブツいいながら、セッティング完了。
 
折しもW氏がやってきて
「ついたてうまく出来ましたね。やっぱりいい作品ですね」と
苦心のついたてに気づいてくれ、ホッと一安心。
 
ピン1本、両面テープ1枚、使うことが許されない新美術館の規定にはまるよう、
やむなくついたてを作ることになり、あーだこーだと大変だった去年の夏を
思い出した。
 
まあ、そんな風に宿題が出ないと、新しい知恵もでないから、
なじんだ手法だけで手堅く作品を創ろうとする老化した頭には
もってこいの若返り法とも言える。
 
他にも見知らぬおじさんがあっちからこっちからやってきて、
セッティングしたばかりのオブジェを観て、
「面白いねえ」「新しい発想だねえ」などと感想をいってくれる。
 
「もっと何かどんどん広がっていきそうだよね」などと言われると、
「えっ、そうですか?」などと、調子づいて、
このオブジェのシリーズ化を考えようかしらと思えてくる。
 
週末、鼻風邪をひいたらしく、どんより寒い天気も相まって、
日曜日など1日中家に引き籠もっていたけど、
今日は六本木くんだりまで出掛けてきたら、ちょっと元気が出てきたみたい。
 
あやうく「冬期うつ病」なんていうテレビ番組の特集に毒されるところを
免れたのかも。
 
やっぱり、人間、太陽の光を浴び、
何かを吸収すべく、外に出るのは大切と実感。
 
さあ、新しい作品のアイデアが浮かびますように!