2014年1月30日木曜日

新作の彫り完成


 
 

 
 
1月中になんとか彫り上げたいと思っていた新作の彫りが今日、完成した。
 
お正月休みが長かったので、着手するのに時間が経ってしまい
他の予定も同じく押せ押せになるので、
ちょっと気が急いていたが、今日は朝からずっと彫り台にへばりついて
最後の鳥の羽根の飾り彫りと、目玉を彫った。
 
刀が走る日と走らない日があるが
今日は幸い走る日だったみたいで、
羽根の2版目、表情をつけるための版の彫りをしたのだが
彫り上がりのイメージと共にスムーズに手が動いて、彫り進めることが出来た。
 
生徒さん達によくいう『描くように彫る』というパートだ。
 
そして、最後は水彩で描いた目のラインを残して、目が完成。
いわゆる画竜点睛の点睛だ。
 
今月、自分に課した彫りが何とか出来上がったので、
来月は試し摺りをいくつかとって、本摺りを完成させたいと思っている。
 
しかし、その割りには2月の予定が立て込んで
カレンダーが黒いのが気になるが、
この摺りこそ2月の最重要課題として頑張るしかない。
 
一昨日、額縁屋さんに送った2点のつぎはぎ作品は、無事、接ぎ終わって
マットを加工したら来週末には額縁に入って戻ってくるらしい。
 
さて、どんな風に仕上がってくるのか。
期待に胸膨らませ、
こちらの新作の摺りにも取りかかることにしよう。
 


2014年1月28日火曜日

新作に寄せて

 
 
昨年末までに摺り上げていた2点連作の作品を久しぶりに出してみた。
 
上下接ぎ合わせるタイプの作品だが、
まだ接ぎ合わせていないので、今は2点分で4枚の作品だ。
接ぎの部分は3~4㎝になり、そこが後で黒ずんだり黄ばんだりしないよう
中性ののりで専門家に接いでもらう必要がある。
 
いつもお願いしている額縁屋さんのオーナーが経師の技術を持っていて
そこに宅急便で送りさえすれば、きれいに接いで、額装してくれる。
 
今日は昔、その額縁屋さんに作ってもらった空の黒い額2枚と共に
この作品2点分も送るため、
朝から額縁がぎゅう詰めになっている画室の物入れから、何十枚もの額縁やら
スケッチブックやら紙類など、引きずり出して大騒ぎになっている。
 
2月下旬か3月上旬には目下制作中の新作と共に
この2点もプロのカメラマンに写真撮影をお願いするつもりなので、
その下準備というわけだ。
 
タイトルやサインもまだ入っていなかったので、作品のすぐ下の余白に
鉛筆でエディションナンバーと、題名と、自分のサインを書き入れる。
 
赤い方の作品は還暦の『還』
蒼い方の作品は輪廻転生の『輪廻』とした。
 
書いてしまってから『還』と『輪』にした方がよかったかなと思ったが
鉛筆で書いているとはいえ、和紙は消しゴムで消すと紙がボソボソになるので
後の祭りだ。
 
お目当ての額縁を物入れから出す間、
作品をリビングのテーブルの上に置いておいたら
そこに美しい光が差し込んできて
その向こう側に唐津焼のお地蔵さんが手を合わせていたので
なんだか可笑しくなった。
 
作品の意味あいといい、
差し込んだ光とお地蔵さんといい、
ちょっとこちらも手を合わせたくなるような感じになる。
 
さて、額縁屋で接ぎ合わされ、どんな作品になって帰ってくるのやら。
「次の個展の案内状に使えるぐらいのいい作品になって戻って来いよ」
そう願いつつ、宅急便のおじさんを見送った。
 
 
 


2014年1月27日月曜日

日本人に生まれて良かったこと

 
 
今日は今年のお茶のお稽古の2回目。
1回目は頑張ってキモノで出掛けたが、
2回目の今日は早くもその高い志はどこへやら、
いつもどおりのお洋服で出掛けた。
 
それでも、セーターにスカートというスタイルながら、お茶席に入る前に
白いソックス(足袋の代わり)をはくだけで、ちょっと身が引きしまる。
 
先週、すでに先生やお社中の皆さんに新年のご挨拶は済ませており
初稽古特有のすがすがしい気分はなかったのだが、
なんと本日の主菓子は笹屋の『蓬莱山』であった。
 
(といっても、『蓬莱山』が何ほどのことか分からなければ驚きもないと思うが・・・)
 
写真は
もったいなくて半分しかお茶席でいただかず、そっと持ち帰った残りの半分である。
見ての通り、ぱっと見は白いお饅頭であるが
中が何層にも色が変わる美しい半生菓子である。
 
お茶の世界ではじょうよ饅頭はとても位が高く
お茶席などで主菓子として用いられることも多い。
 
よく見るのは中がこしあんで上に桜の花びらの塩漬けが載っているものだと思うが
この蓬莱山はお正月にしか作られていない特別なもので、
毎年私たち弟子達はお稽古場でこのお菓子をいただけるのを待ち望んでいる。
 
先週、1月の1回目のお稽古があった時、
「今日は蓬莱山かしら」と期待して伺ったが、
鶴屋八幡の『花びら餅』が主菓子として用意されており、
「今年は笹屋さんは手が足りないとかでお正月に蓬莱山を作れないそうよ」と
言われ、内心とてもがっかりした。
 
しかし、1月も終わりの今日、思いがけずに蓬莱山が届いていたのを見て
これでようやく今年のお茶のお稽古が始まったとさえ思ったほどだ。
 
裏千家の方は花びら餅をお正月のお菓子として大切にしているが
表千家は蓬莱山を好んで使う。
 
お茶の世界も、和菓子の世界も奥が深くて
私なぞおいしければ何でもいいなどと思ってしまうが、
歌舞伎の家の芸ではないが
それぞれの流儀を重んじ、しのぎを削り、研鑽を積み
日本文化として脈々と今に伝えていることをとてもかっこいいなと思う。
 
夕飯の後、ひとりお茶を点て、
残り半分の蓬莱山をいただく時、
「日本人に生まれてよかったぁ~」とほくそ笑み、
「大和なでしことしては、お茶と和菓子とキモノ、これ外せない!」と
今日は洋服にしたくせに
再確認したのだった。
 
 


2014年1月24日金曜日

母の黒留め


お正月に娘と私の女3人キモノを着てでかける初詣の際に
「若い頃着たえんじ色の紅型があったはずなのに、どこにいったのかしら」
という問題と
「そういえば、母の黒留め袖が見当たらないわ」
という私にとっては一大事の問題が勃発した。
 
その時はえんじ色の紅型はあきらめて、他のキモノを着せて初詣に行ったのだが
今朝、起き抜けになぜか急に、
「もしかしたら押し入れの隅のジュラルミンケースの中に入っているかもしれない」
そう、天の啓示のように思いついた。
 
ジュラルミンケースはここ10年以上開けた記憶がなく、もはや何を入れたのかも
思い出せないのだが・・・。
 
我が家のジュラルミンケースとは
海賊が引き揚げた宝箱みたいな重くて長い鍵付きの箱だが
ダンナが結婚した時に持ち込んだ物なので、はっきり言って私の管轄外なのである。
 
そして、朝食後、ケースの上に乗っているプラスチックの押し入れケースをどかし
ずりずりと引っ張り出し、鍵を開けると
なんとまあ、そこから見事にえんじ色の紅型と、母の黒留めが出てきたではないか。
 
母の黒留めは、30年近くも前に亡くなった母が、私の結婚式の時にあつらえて
1回だけ袖を通してそれきりになってしまったものである。
 
母亡き後に父が「あのキモノだけはお前が持っていって着てくれよ」と言い残し
父もその後数年で他界してしまったので、まるで遺言のようになってしまった
大切な品である。
 
とはいえ、当時、自分の娘はまだ幼稚園児で、その子の結婚式に自分が着るなど
想像もできない時代だったが、時は流れ、年齢的にはいつ着る時がきても
おかしくない年になってしまった。
 
悲しいかな具体的な予定はないが、その時が来て、あわてるのは嫌なので
あらかじめ心がけておこうと、今年にはいって思っていたのだが・・・。
 
いざ、出てきてみると、きっと有名な作家の手になるものらしいが
お神社の狛犬がモチーフで、あまりに迫力があって、
ちょっとその筋の人の女将さんかしらみたいな個性あふれる柄ゆきだ。
 
でも、両親にしてみれば、こんなに立派な黒留めは呉服屋稼業を長年していても
滅多にお目にかかれない上物だという思い入れがあったのかもしれない。
 
でなければ、わざわざ「あの黒留めだけはお前、着てくれよ」とは言わないだろう。
 
何しろ今の私の歳で母は亡くなったのだがら、遺志は継がなくてはなるまい。
 
と、思って眺めていると、10時前、母の親友だったおばあさまから電話があった。
「先日お話しした歌舞伎のチケット、2月18日に取れましたよ」という連絡だった。
 
歌舞伎に精通しているその方が、わざわざとある役者さんに頼んで
いいお席のチケットを取ってくださったのだ。
その方とは母亡き後に母のように慕って今日までおつきあいさせてもらっている。
おばあさまにとっても、娘がいないので娘代わりにかわいがってくださっている。
 
年に数回、お目にかかる時はなるべくキモノで出掛け、
そのキモノ姿を楽しみにしていてくださる。
 
朝、起き抜けに思いついて母の黒留めがひょっこり見つかり、
風にあてるため椅子の背にかけているところに
タイミングよくかかってきたおばあさまからの電話。
これはますますその機会が訪れたら、この黒留めを着なければなるまい。
 
今日はなんだか母をとても身近に感じた不思議な一日だった。
そして、キモノは代々受け継がれるものなのを思い出した日でもある。
 


2014年1月23日木曜日

新しい仲間


 
今年の1月から教室の場所を変えたばかりの絵画教室に
今日は初めての方が見学に来てくれた。
 
お借りしたパーティルームのあるマンションに住んでいる方で、
掲示板のチラシを見て、2日前に電話をくださった。
 
随分前からパステル画や木炭デッサンなど、ご自分で描いた作品を
たくさん持っているお絵描きが大好きな方のようだ。
 
10時少し前に会場に入っていくと、なんと1番にいらしていて
やる気満々。
今日はご見学というお話だったが、スケッチブックや画材を持ち込んで
描く気満々。
 
そういうこともあろうかと、家にあったチューリップのアレンジを
花瓶ごと2つ持っていったので、早速描いていただくことにした。
 
以前からのメンバーともすぐ打ち解け、
私とも絵画的な話からプライベートな話まで
初回とは思えない感じでスムーズに時が経ち
以前から生徒さんだったかのようにデッサンの宿題まで持ち帰っていただく
ことになった。
 
新しい仲間と新しく出逢うこと、
それがお教室を主宰している何よりの喜びなので
新しい場所に移ってよかったなと思えた瞬間だ。
 
長いこと同じ場所にいると
どこか惰性になってくるし、作品も人間関係もマンネリ化する。
 
水は器の中で動かさないとよどむから、常にかき回していないと・・・
というような意味の故事があったように思うが、そんな感じ。
 
新しい人間関係はめんどくさいという人も多いと思うが
私は新しい人が新しい風を送り込んでくれたり
新しい人間関係が始まり、新しい刺激を受けることが楽しいタイプ。
 
やる気満々の彼女が
今までのメンバーに刺激を与えて、活性化するかもしれないし、
こちらも何か新たな準備が必要かもしれない。
 
それって、めんどくさい?
それもまた、面白い?
 
受け取り方は人それぞれだけれど、私は後者かな。
 
まずは千客万来。
NEWPLACE   NEWCOMMER  WELCOME!!


2014年1月22日水曜日

着付けは難行苦行

 
 
先週に引き続き、1月のなでしこの会は着付け教室。
まだ1週間しか経っていないので、先週お話しした着付けチェックポイントを
思い出しながら、ひとつひとつ確実に着ていく二人。
 
着付けは案外、後からどこかもっと長くしたいとか、もう少し襟をどうこうしたい
などと思っても、融通が利かない。
1箇所1箇所、きちっといいバランスやいい長さで着ていかないと美しく着られない。
 
それぞれ体型も違うので、ひとりずつ自分のスイートスポットを見つけて
一番きれいに見えるキモノと帯のバランス、
苦しくない紐の位置としめ加減などがあるから難しい。
 
写真の姿をみれば分かるとおり、
帯結びは何かの体操かと思うほど両手を背中に回し、無理な格好をしながら
帯枕をしょったり、お太鼓の形を決めたりしなければならないので
本人達は必死だけれど、
見ている側はつい笑っちゃうぐらい面白いことになっている。
 
大和なでしこになるのも楽じゃないと毎回のように思うらしく、
着て脱いで、もう一度着たあたりで、ぐったり疲れるようで
「さあ、ここをもう少しこうして、もう一度着てみましょうか・・・」などと提案しても
「もう、おなかいっぱいです」「えーっ、もう今日は十分です」などと言って、
もう一度着る次なる力がなかなか湧いてこないらしい。
 
それでも、2週続けて練習している成果はあって、
二人とも、先週よりいい感じに着られるようになっている。
お互い褒め合いながら、「もっと着る機会を増やさなきゃだめね」と
いつもの結論に達して、今日のお稽古も無事、終了。
 
タンスの肥やしになっている彼女達のキモノや帯に
もっと陽の目を見せてあげるため
何かお出掛け計画を立てようかなと思う着付け教室の先生だったのである。
 


2014年1月20日月曜日

お茶の初稽古

 
 
 
今年に入って、初めてのお茶のお稽古日。
去年もそうしたように今年もキモノで伺うことにした。
 
先生もお膝を悪くなさって以来、お稽古の時に洋装しかなさらなくなったし、
生徒さん達もめったにお稽古日にキモノを着てくることはないのだが、
それでも自分の中では年の初めぐらいはキモノでいこうかなと考えている。
 
更に何か小物ひとつでもいいから初物を身につけていこうとも決めている。
 
夕べから1階と2階の和箪笥の引き出しを開けてはどれにしようか悩んでいた。
結局、随分前に作ったキモノと帯ではあるが
今年の初稽古は写真のブルーグリーンのキモノに
辻が花の帯を締めていくことにした。
 
写真には写っていないが、キモノは無地ではなく、飛び柄で桜の白い花びらが
全体に散っている。
今日は大寒で一年で一番寒い季節なので、
先取りで春を感じる桜の柄がいいかなと思っての選択だ。
帯に辻が花ならではの花がたくさん刺繍されているので、どっしり重みがでるし
無地に近いキモノとのバランスもいいのではと思っている。
 
初物は初おろしの草履にした。
少しパールっぽく加工してある卵色の草履に唐草模様の太めの鼻緒がすげてある。
キモノを着ているというのに自分の車でいこうと思っているので
太い鼻緒は安定感があって運転していても安心なのだ。
 
先生のところに伺うと
「まあまあ、こちらがキモノでないのに申し訳ないわね」と恐縮なさりながら
大先生と代教の先生ふたりして、盛んに褒めてくださるので嬉しくなる。
 
今の先生は以前の先生と違ってご高齢なので、現在はお茶会をなさらないから
必ずキモノで行かなければならない日が初釜ぐらいしかないのが残念だが
やっぱりキモノを着てお茶を点てるのは難しいからこそ、
時々はキモノで行くことも必要だと思う。
 
今日の先生のお茶室には
お正月の初稽古らしいお道具がずらり揃っていて、身が引き締まる。
お稽古だなんてとても言えないような
かつて茶会の折に使われた高額なお道具ばかり。
特に当代の家元が富士と松原の絵を描き、先代の家元が書をしたためた
風呂先屏風は毎年この時期だけ出されるが、粗相があってはならないと
緊張する逸品だ。
キモノの袖で建水のお湯でもひっくり返したらと冷や冷やしながら
お濃茶を点てたが、
もし万が一のことがあったら、伏して謝っても間に合わないほどだろう。
 
帯で脇が固められているので、いつもなら楽々届くところに手が届かない。
何かと窮屈なので、いきおい所作がゆっくりになる。
いつもの『江戸前お点前』(お点前のスピードが速いこと)が『京風お点前』になって、
少しはおしとやかな大和なでしこ風になっているかも・・・。
 
お床の掛け軸は
『春、千林に入りて、ところどころ鶯』とある。
 
1月の大寒の日であっても、
『春の気配が林に感じられ、あちこちに鶯の姿や声が聞こえる』
という意味のお軸をめでながら、
この季節限定の花びら餅をいただき、初春のお茶を味わうゆかしさよ。
 
「お~寒っ!今日はもう一枚ヒートテック着よっと・・・」という日常とは
ちょっと違うみやびな午後のひとときであった。


2014年1月19日日曜日

映画『永遠の0』を観て

今、話題の映画『永遠の0』を観てきた。

お正月に家族で映画を観ようという話になった時、『清須会議』にするか
『永遠の0』にするか迷って、きっと『永遠の0』は戦争物で相当暗いから
辞めようということになった。

しかし、2~3の友人から『永遠の0』がとてもいいという話を聞いて、
ひとりで観にいくことにした。(ダンナは誘ったが、興味がないらしかった)

観てひと言、暗いとか明るいとかいう問題ではなく、やっぱり日本人として
観ておくべき映画、知っておくべきことだなというのが強い印象だ。

物語はあるあばあちゃんの葬儀のシーンから始まるのだが、
葬儀の後の雑談の中で、今いるおじいさんは血の繋がったおじいさんではなく
特攻隊で亡くなった人こそ実のおじいさんだと知った孫たちが、
本当のことを調べるため、いろいろな人を訪ね歩いて、真実の物語を知ると
いうお話だ。

映画の半ばから、私は涙が幾度となくあふれ、なぜ、あの時代の人は
そういうことを何も語らず亡くなってしまうのかという思いがこみ上げてきた。

中身については是非、映画館に足を運んで観ていただきたいので、詳しくは
書かないが、特攻隊で亡くなったおじいさんの年代は私の父の年代だし
残された母と子の子の年代は私か、もう少し上の年代、そして、いろいろ取材
している孫たちは正に私の子供達の年代だ。

もちろん孫=今の私の子供達の年代の若者は特攻隊といっても何のことやら
戦争の影も形も知らないので、戦争も死もまったくの他人事だと思って
暮らしているだろう。

その親の年代の私たちでさえ、昨今、日本が近隣諸国とちょっときな臭いと
感じていても、よもや戦争になどならないと思っているし、ましてや、戦争で
死んでしまうなんてことが、我が身や身辺に降りかかるなどとは考えていない。

なぜなら、戦争に現に行った人達が、戦後、その多くを語ってこなかったから
知るよしもないのだ。

父も義父も戦争に行った年代だ。
しかし、私が知っているのは、父が陸軍の入隊して、シンガポールの植物園の
すぐ脇で初年兵の訓練を受け、その後ボルネオに渡ったことぐらいで、そこで
どんな生活をしたとか、何を食べていたとか、誰と戦ったとか、どうやって
日本に帰ってきたのかとか、何も教えてもらっていないのだ。

戦後、日本はめざましい復興を遂げ、みんな焼け野原の中から這い上がり
働いて働いて今の生活を手に入れた。
高度成長期に子どもだった私にはひもじい思いをさせまいと、両親は与えうる
すべてのものを与えて育ててくれ、戦争の時のことは暗黙の了解のように
誰もが黙して語らずを貫き、今日まで時間が経ってしまった。

でも、戦争経験者はすでに80代後半から90代、もう10年もしたら、誰も知らない
歴史の中に埋もれてしまう運命だろう。
実際、父も義父ももう亡くなってしまっている。

それでいいのか、それではいけない、もっと日本人ひとりひとりが背負わされた
戦争とその過酷な運命について、知っておくべきだと、何だか、初めて痛切に
感じた。

今までにも戦争に関連した映画や作品はいくらでも見聞きしてきたと思うのだが
『永遠の0』は一番心に深くささった気がする。

映画館の会場はとても若い人から70代ぐらいまで、大きな劇場いっぱいに
詰めかけていた。
それぞれの年代がきっと違う受け止め方をするのだと思うが、決して他人事で
なく、戦争や生きることと死ぬこと、家族などについて考えるいい作品だと思う。

3DのCGが駆使されていて、映像もリアルでしかも美しいし、俳優陣も
若手実力派と渋いおじいさん達の競演で見応えバッチリ!
とってもオススメです。お見逃しなく!

2014年1月17日金曜日

鳥の名は

 
 
 
目下、真四角の大きな作品の彫りに取り組んでいる。
1月中になんとか版のすべてを彫り終え、
2月には試し摺りから本摺りまでやり果せたいと思っている。
 
なぜかと言えば、
2月下旬にプロのカメラマンによる作品撮影が予定されており
我が家まで来ていただくことになっているので、
それまでに間に合わせて、この作品も一緒に撮ってもらうつもりだからだ。
 
今回の作品は30年前から手がけている鳥のシリーズといってもいい。
ここ何年も画面に鳥は登場していないが
久々に鳥を使って、今考えていることを表現したいと思って原画を作った。
 
80㎝×80㎝の大きな画面いっぱいに紐を口にくわえた鳥が羽ばたいている。
まだ、この版を見ただけでは、どんな作品なのか
どんな色合いなのかわからないと思うが、
私の頭の中にはすでにイメージが湧き上がりつつある。
 
それを見透かしたように、
水曜日に我が家に来ていたなでしこの会のメンバーのひとりがこう言った。
「この鳥、ブッポウソウですか?」
 
エッ、何で分かったの?
 
小さな小さな青い鳥ブッポウソウがモデルなのだが
巨大化されているし、色もなにもついていない版木の状態で
それが分かってしまったなんて。
 
ちょっとビックリしたが
私の頭の中には青い鳥が大きな羽根を拡げ
夜空のような深い藍色の闇に飛んでいるところがみえている。
 
丸く見えている部分は木のリース。
そこに鳥が口にくわえた細いリボンをかけているところだ。
 
ブッポウソウは感じで書くと仏法僧。
その姿がお坊さんに見えるというのだろうか。
 
この作品、『輪廻転生』がテーマなので、
ここにお坊さんが登場するのは意味ありげでいいかもしれない。
 
作家(もちろん私のこと)は単に青い鳥が欲しかったから使っただけだけれど
後付けでいろいろ考えながら、
ひとりアトリエに籠もって彫り進めていくのは楽しい作業だ。
 
「にしても、なんでブッポウソウと分かったんだろう。今度、訊いてみようっと・・・」
とかって、独り言が多いから、誰かに聞かれないよう気を付けながら。
 



2014年1月16日木曜日

ブログのリニューアルオープン

皆様、お知らせがございます。
長らく『キミィ・メンタル・サプリ』のタイトルで、日々のドタバタをブログに綴って
まいりましたが、あまりに私の興味があっちこっちに散乱して、このブログを
心理カウンセリングのホームページにぶらさげておくと、何でも屋の元気のいい
不審人物と思われ、逆によくないのではという意見が出ましたので、
このほど、ブログをふたつに分けることにいたしました。

こちらのブログは
『横浜なでしこ物語』というタイトルで
木版画家としての制作過程や作品、大好きなキモノや料理に関して主に書いて
いこうかと思っています。

キモノや料理が好きな私が、高じてお茶や陶芸のお稽古に通うことで、ますます
その世界にのめり込んでいるという昨今の様子をアップさせていただければと
考えています。

ブログのURLは今までどおり
http://kimino555.blogspot.jp./
ですが、タイトルが『横浜なでしこ物語』になりましたので
よろしくお願いいたします。

横浜は横浜エリアに住んでいるからで、
なでしこはもちろん、大和なでしこのなでしこです。

ちょっと大阪のおばちゃんのような威勢のいい大和なでしこですが
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


尚、心理カウンセラーとしてのブログは
『キミィ・メンタル・サプリ』
http://kimmy-mental.blogspot.jp/
になります。
こちらは静かにカウンセラー目線で綴っていこうかと思っています。

どちらも本当の私ですが、その落差をおもしろがっていただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

2014年1月15日水曜日

なでしこ始動

今日は今年1回目のなでしこの会。
今月のお題は『キモノの着付け 第2弾』

着付け経験者の人は『訪問着と二重太鼓』
着付け初心者の人は『小紋と名古屋帯の復習』をした。

着付けの難しいところは、何でもそうかもしれないが、覚えたつもりのものも
月日が忘れさせてくれるので、やってみるとちっともうまくいかないとか
どこか抜け落ちていて、忘れているところが出ることだ。

昨年10月は初めての『着付け教室』だったのだが、今日はその時覚えたことを
思い出しつつ、自分ひとりで長襦袢を着るところから。
何しろ、たかが長襦袢されど長襦袢、長襦袢の襟元の開きひとつで
そこから先の着付けの良し悪しがきまる。

私も紺色の無地に飛び柄の小紋、しゃれ袋を二重太鼓に結んでいたが
今日は秋の時と違って、帯もキモノも脱がずに、口だけの説明と、
生徒さんの帯やキモノに手を添える形での授業にしてみた。

前回は私も長襦袢姿になって、てんやわんやの大騒ぎだったが、今日は
着付けの先生っぽく、キモノ姿のまま通すことができた。
それだけ、体を張らなくてもみんなができるようになったということなので
喜ばしい。

今日は、以前着付け教室で習ったことがあるという人は、立派な訪問着と
袋帯のセットを持ち込んで、早速、お祝い事でも初釜でもなんでも対応
できるひと揃えで練習開始。

しかし、ご自身のキモノなのに、全体にぶかっとして、あんがい借り物
みたいになってしまう。
襟元がきまらなかったり、おはしょりがゴロゴロしたり、きものの裾がずれてきて
広がり、本人より随分太って見えたり・・・。

本人も単純に着付けができただけでは嬉しくない様子。
やっぱり、実年齢よりだいぶ老けて見えるとか、太ってみえるのはNGだ。

そこで、最後は私が彼女に着付けることにした。
後で聞けば、長襦袢の襟を首に添わせた段階からすでにして、今まで自分で
着ていた時とは違ったとか。
結局、あんなに手こずっていた襟元の半襟の出し具合や、もたついたおはしょり
の処理もすんなり片付いて、すっきり背も高く、若々しく着付けられたことを
とても喜んでくれた。

新米の着付けの先生としても、元々ある程度できる生徒さんをもっと驚かせる
とか喜ばせるのは難しいから、予想以上にすっきり着付けられて、こちらも
嬉しい。

『なでしこの会』は発足してまだ9ヶ月目。
料理教室の月もあり、パーソナルカラーや版画教室の月もあった。

先生自身もまだ手探りというのが正直なところだが、生徒さんの反応や
喜ぶ顔をはげみに、役に立つ『大和なでしこの知識とスキル』を伝授すべく
今年も楽しみながら頑張ろうと思いを新たにしたのだった。

2014年1月13日月曜日

まさかの本厄

 
 
 
 
世の中は成人式の今日、私は芝の増上寺にキモノ姿で出掛けていた。
某呉服店が主催する『新春の集い』と銘打たれた
食事会とキモノ好きの集会とでもいうか、
要は単なる展示会ではだれも恐れをなして来ないので、
カメラマンを呼んだり、食事会をしたりで気をひこうという会である。
 
場所が芝の増上寺なのがいいかなと思い、
お天気がよかったら出掛けようと初おろしのキモノのしつけをとって準備していた
ところ、ピカピカの晴天に恵まれたので出掛けることにした。
 
増上寺やその周辺では成人式の振り袖を着た若い女性を何人も見かけ
増上寺と東京タワーという特別な組み合わせの景色をバックにポーズをとり
彼氏や親御さんに写真を撮ってもらっている姿があちこちにあった。
 
私はダンナも彼氏も連れてきていないので
そそくさと展示会の行われているホールに降りていき
担当さんや大勢の男性社員にお世辞の褒め言葉をいただきながら
カメラマンに何枚か写真を撮ってもらった。
 
ブログに載せるからと自分のデジカメでも撮ってもらったが、
やっぱりおばさんはおばさんにしか写らないなとちょっとがっかりする。
「二十歳か・・・。若いっていいよね」と今更ながらの感想を抱きながら
地下にたむろしたおばさん同士、お互いのキモノをチラ見したり、褒めたりしながら
おいしくフレンチをいただいて、『新春の集い』は終了。
 
せっかくここまで来たのだからお参りしなくてはと帰りに本堂に立ち寄った。
手前の看板に『前厄』『本厄』『後厄』の文字があり、
今年それに相当する人の生まれ年が書いてあった。
 
長女が「私、今年厄年なの。厄払いしなくちゃ」とお正月に言っていたことを思い出し
「あの子、あの後、ちゃんと厄払いしたかしら・・・」と
よくよくその看板を見ると・・・。
 
何と何と、私の生まれ年も厄年ではないか!
しかも、本厄だ。
 
うそ~。
還暦になるから、よみがえりの年だの、
生まれ変わって、これからは1歳ずつ年を取っていくんだの、
人生のリセットだのと、半ば嬉しそうに騒いでいたのに、
本厄とは・・・。
 
知らないということは本当に怖い。
しかし、無知を棚にあげていわせてもらえば、
知らなければ知らないで、そのまま過ぎてしまうのかも。
 
が、知ってしまった今となっては、厄払いのお祓いをしてもらうしかない。
マイクで「今年、厄年の方、厄除けのためにお祓いをお受けになりませんか。
次の回は午後2時半です。受付はこちら~」とさかんに誘っている。
 
どうしようか一瞬迷ったが、
2月に総持寺でちゃんと正式なお祓いをしてもらい、お札をいただけることを思い出し
あっちもこっちもで神頼みの浮気はよくないと自重した。
 
28歳で子どもを産むと、いずれ親子で本厄なのか・・・。
そんなことをつらつら考えながら帰りの電車に乗り、
ふと気づくと、バックに家の鍵が入ってない。
ガビーン!!
早くも厄年だ~。


2014年1月12日日曜日

デジカメ講座に求めるもの


 
月に一度のデジカメ講座の4回目に出席してきた。
6回で一応終了の予定になっていて、
「手持ちのデジカメを使って、一眼レフにも負けない本格的な写真を撮ろう!」と
いうのが、キャッチフレーズであった。
 
私としては海外旅行に出たり、ブログに写真をアップするにあたって
デジカメを今よりもう少しうまく使いこなして
いい写真を撮ってみたい
そう思って、講座に申し込んだのだが・・・。
 
始まってみると、6回で完結するはずの講座を、すでに2年も3年も受講している
生徒さんがいたり、
相当なカメラ知識とスキルを持っている方から
「ズームアップってどうやってするんですか?」なんていう人まで
受講者のレベルもスキルも本当に見事にバラバラで
これじゃ先生もだれに照準を合わせていいのか困るだろうなという状況だ。
 
今日も2時間の授業の内、1時間以上、かざぐるまをくるくる回して
シャッタースピードを変えたり、
スローシンクロというモードに変えたりして、
普通にオートでシャッターを切った時とどう写り方が違うか試すという作業をした。
 
かざぐるまを渡された誰かが、順番に息切れするまでふーふー回して
その周りを取り囲んで、みんなが何枚も何枚も写真に撮る。
撮れた写真が設定の違いによる『ブレ』なのか単なる『手ぶれ』なのか検証したり
機種やメーカーによって、同じことをしようとしても違うということを発見したり
はっきり言って
「こういうことがしたかったんじゃないのよね~」と思うようなことに
授業の大半を費やした気がする。
 
講座をとってから仲良くなった方と
「どちらかといえば、自分の作った料理とかパンとか、テーブルの上に置かれたものを
おいしそうにとか、リッチな感じや優雅な感じに撮るには
光と影の関係はどうすればいいのか、みたいなことが知りたかったわね」と
不満をぶつけ合いながら帰ってきた。
 
自分の部屋に戻ると
ちょうど西に傾きかかった光が窓から差し込んでいる。
明日着る予定の帯の上にカーテンの縞模様を映し出して、なんとも美しい。
 
 
「そうそう、こういう時、どう撮ったらもっと面白くなるのか、それを教えて欲しいのよ」
そう思うような美しい光と影がもたらす情景だった。

 
カルチャースクールや巷の何とか教室では
数え切れないおけいこ事が行われているけど
「本当にこれを知りたいと思う内容の講座に出会う」
または、
「この先生に教えてもらえて幸せという方に出会う」のは
実は難しいことなんだなと思う。
 
あと2回
この講座で何を学び得るのか
それには生徒の側も予習復習して、質問など用意し、
自分の知りたい知識を先生から引き出す
その努力が必要なのではと痛感した。
 
「求めよ、さらば与えられん」



2014年1月11日土曜日

実地検分

 
絵画教室の生徒さんが鶴見にほど近い生麦という地名に住んでいて
一昨日の木曜日から
彼女の住むマンションのパーティルームに絵画教室の場所が移った。
 
そのせいで、鶴見とか生麦という土地に関する話題がいろいろ出た。
そうした中、鶴見にある総持寺で毎年行われる盛大な豆まきの話題になった。
 
総持寺の豆まきは有名で
例年、石原裕次郎のお墓があるせいで石原軍団をはじめとして
昨年一昨年あたりは白鵬がメインゲストに来たせいか、
テレビのニュースでも取り上げられたのは、私も記憶にある。
 
その豆まきに年男や年女の一般人も申し込めば参加出来るという話になった。
「先生、今年は年女なんですから、豆まきに参加なさったらいかがですか」と
いわれ、ちょっと面白いかもという気になった。
 
しかし、夜、ネットで検索すると、
豆まきに参加するには35000円もの費用がかかることが分かった。
そりゃいくらなんでも高くないか?
 
次の日、実際に総持寺総受付に電話し、
豆まき係のお坊さんに詳しい説明を聞いたところ、
大祖堂の中に入って豆まきできるということ自体が中々できないことだというのと
豆まきメンバーはお祓いをしてもらって、お札を受けることができるのと
食事がつくということで
このお値段になるらしい。
 
当日は紋の入ったかみしもを貸してもらい身につけて、
三宝にのせた豆の小袋を結界の向こうの整理券でようやく中に入れた方々に
「福は~内」のかけ声と共に撒くということだ。
 
お伴の友人や親族も同時に申し込めば、
その人達は5000円の参加費で最前列に陣取ることができ、
福豆を拾い、食事も豆まきメンバーと一緒にとることができるそうな。
 
例年、1万人ぐらいの人が参拝にやってきても
2000人しか大祖堂の中には入れないから、
あとの人は出店の売店で『福豆』を買い求めるしかない。
 
さて、どうする?
 
それにしても、いかにも高い気がするが・・・。
 
年女ということになると、12年に一度しか来ないから、
もはや、一生に一度のことか?
 
お伴の友人はふたり快く来てくれることになったが
まだ、ちょっと決めかねていた。
そういう時は実地検分が一番。
そう考えて、今日、鶴見駅から歩いて総持寺をたずねてみた。
 
 
 
 
 
広大な敷地に点在するお社。
数年前、お茶会に出席するため行ったことがあったが
今一度たずねてみると、その壮大さに圧倒される。
 
そして、総受付なるところで、係のお坊さんから
毎年の豆まきの様子をまとめた資料や写真をみせていただき
詳しいお話を伺った。
 
で、結局、
まあ、一生に一度、この本堂の中を、かみしも身につけ練り歩くのも
いい思い出になるかも。
 
フラメンコの舞台を10分踏むのも、気が遠くなるようなお金がかかったが
パフォーマンスは高くつくのが世の常、
そう不謹慎なたとえで自分を納得させ、申し込むことを決心した。

2014年1月10日金曜日

待ち焦がれたゴミ収集車

松が明け、1月6日から、いよいよ仕事も遊びも何もかもが始まった。

まず、月金で来ているゴミ収集が、6日月曜日の朝に始まった。
昨年、12月30日、てっきりもうないと思っていたゴミ収集があり、あわてて最後の
燃えるゴミを出せたまではよかったが、その後、お正月になんでそんなにというほど
燃えるゴミの溜まること溜まること、とにかく6日の月曜日がどんなに待ち遠し
かったか・・・。

それよりもっと待ち遠しかったのは、週一で収集される火曜日のプラゴミ。
東京にはそういう仕分けはないと娘達が口を揃えるのだが、横浜は
プラスチック製品は納豆のベタベタがついたパッケージ以外はきれいに洗って
プラゴミの日に出さないと、曜日が違うと言って持っていってくれない。

12月24日のクリスマスイヴの朝に出したきり、何と1月7日まで収集がなかった
プラゴミがもはや限界を超え、玄関先に45リットルの大袋でひとつ、キッチンに
もうひとつ、更に20リットルもふたつゴロゴロし、家がゴミ屋敷と化した。

そのプラゴミの袋が火曜日に出せたときの快感と言ったら、2週間でなかった
お通じがついた時みたいといえば分かってもらえるだろうか。

とにかく、相当うれしくて小躍りしたぐらい。

ゴミに関して言えば、水曜日は何も無く、木曜日にリサイクルのカン瓶が出せ、
正月に飲み食いした大量のペットボトルや酒瓶の類が一挙にキッチンから
出ていった。

更にこの日は段ボール類と資源ゴミの紙類、衣類のリサイクルも出せるので、
正月に来て「もうあれは捨てていいよ」とお達しが出た次女のタンスに
眠っていた高校・大学時代の洋服45リットル4袋分も2階の踊り場から消え、
こちらもフラメンコでも踊ろうかと思うほど嬉しかった。

何だかようやく暮れの大掃除がこれで終結した気分。

一方、仕事も遊びも、これまた一挙に始まり、さっそく忙しくなってきた。
とりわけ、遊びの相談が相次ぎ、歌舞伎を観に行く話、新年ランチをする話、
年女として総持寺で豆まきをする話、ベルサイユのばらを観に行く話、
バイオリンコンサートを聴きに行く話など、とんとん決まっていく。

ある意味、自分で種を蒔いているのだから、芽がでて当然かもしれないが、
友人達も正月気分を一掃したら、家族団らんの次は交友関係の充実という
わけで、みんな即決で予定が決まって小気味よい。

さあてこの調子で、今年も勢いに乗って、ひとつ賑やかにまいりましょうぞ!

2014年1月7日火曜日

仕事始め

 
 
 
今日は1月7日。
七草がゆでも食べて、正月の食べ過ぎで疲れた胃袋をいたわり
正月気分も一新する日と昔から考えられてきたと思うが
我が家では4日の夜から、すでにさつまいもと芹の入ったお粥を炊いて
クリスマス・イヴイヴあたりからの飽食と決別の儀式が執り行われている。
 
 
昨日は恐る恐るボディエステに出掛けたが
何とか12月始めと同じ体重やサイズを維持しており一安心。
正月激太りとかになっていたらどうしようかという不安は、一応、回避され
あれだけ食べまくった年末年始の暴飲暴食はとりあえずなかったこととして
更なるサイズダウンのためと
料理と掃除による肩や背中の凝りをもみほぐしてもらって
いよいよ今日から2014年の仕事が始まった。
 
午前中は心理カウンセリングの予約が入っていたので、
借りているカウンセリングルームへ。
 
ラッキーなことに討議室No7の部屋が割り振られ、ちょっといい気分。
 
いつもなら何番であろうとかまわないのだが
年の初めともなると、ラッキー7がとてもいいことのように感じられるから不思議だ。
 
7番のお部屋は角部屋で2面が大きな窓に面していて、とても明るい。
体調不良を理由に遅刻してきたクライアントの若い女性だったが
部屋に入ってきてみれば、案外、明るい顔をしている。
 
「今日は体調不良とのことだけど、心の調子の方はどう?」と訊くと
「最近、けっこう前向きにものごとを考えられるようになっている気がします」という
顔色どおりの答えが返ってきた。
 
彼女とは5回目のセッションだったが
少し認知行動療法の効果が現れてきたのかも。
 
セッションが終わる頃には手元にたくさんの注意事項がノートされ、
次回2週間後のセッションまでにすべき課題も見えてきて
最後は元気にカウンセリングルームを出ていった。
 
午後は一転
アトリエに籠もって、版画制作の仕事始め。
 
すでに昨年末までに原画を起こし、版に割り付けるところまでしてあったものを
いよいよ彫り始めることにした。
 
ここも験を担いで
何枚かある版木の中から鳥が大きく羽ばたいている図を選び
羽根のところから彫刻刀を入れることにした。
 
「今年一年、どうか大空に羽ばたけますように」
そんな願いを込めて
どこから彫り始めてもいずれ全部彫るので結果は同じと思うものの、
鳥の羽根から彫り始めた信心深い?私であった。
 
 


2014年1月5日日曜日

『いつもどおり』に移行中

暮れに娘達が帰ってきて、一挙に賑やかになり、毎日何かしらの行事をこなしつつ
お正月気分を満喫した。

一昨日の夜、長女が帰り、夕べ次女が帰っていったので、今朝からは
その残骸の後始末に追われている。

何しろ、3日の初詣に3人揃ってキモノを着たせいで、まだ我が家の洗濯サッカー
には足袋やら腰巻きやらがヒラヒラ舞っているし、
戸建ては寒い寒いと家中の寝具を引っ張り出して寝ていたので、
敷き布団や毛布や羽毛布団など、どこにこんなに入っていたのかというような
大量の寝具がまだ和室に山になっている。

娘がひとり帰り、もうひとり帰りする度に、家の中を物色して、
私が若い頃使っていたアクセサリーから、明日食べるためのパンやお米、野菜など
いろいろなものを持ち帰っていく。
ややもすると今気に入って使っているストールとかセーターなども狙われるので、
油断も隙もあったものではない。

それでも「なんで来た時よりまた、こんなに増えちゃうわけ?」といいながら
父親に車を出してもらって帰っていく様は微笑ましいと思うのが親心か。

娘達が年に数度、ガサガサとやってきては
「この家、食べ過ぎだよ」とか言われながらも、次から次へと食べもの攻勢で
「これで痩せろと言う方が、マジ無理なんだけど・・・」と文句を言われても
辞められない。

そんな親子の光景が日本中で見られたのではないだろうか。

明日からは親の世帯も子ども達も、それぞれの日常が始まる。
2014年がどんな年になるのか、期待と不安が相半ばしているが
マイペースで過ごしていければいいなと思う。

手元に送られてきた100数十枚の年賀状の中には
ご家族の成長著しい写真付きのものから、お歳を召して大変そうな方まで
様々あった。

娘達もそれぞれの岐路に立っている今を大事にして
ダンナも充実の後半生を自力で模索してもらって
還暦を迎える私も人生リセットの時と肝に銘じて
ひとりひとり悔いなく一年を過ごせますようにと願っている。

ブログをおたずねくださった皆様も
どうぞ佳い一年でありますように
心からお祈りしております!!

2014年1月4日土曜日

初詣も楽じゃない

 
 
 
 
 
 
 
 
お正月に家族が揃い、さて、2日以降どんな風に過ごそうかと相談の結果、
3日に女達3人はキモノを着て、
家族で鎌倉の八幡様に初詣に行こうということになった。
 
毎年なんだかんだと、どこかのタイミングで初詣に行くことは多いのだが、
女3人がキモノを着てというのは何年ぶりか・・・。
 
だが、そうなると3人分のキモノの準備は簡単じゃない。
2日、箱根駅伝の往路を横目に見ながら
キモノ箪笥や茶箱までひっくり返して、3人がバランスよく見えるキモノ選びが
始まった。
 
私が大昔、今の娘の年頃に着たキモノを出してきて「これはどうか」と何点か
羽織らせてみたが、親子とは言え、なんだかパッとしない。
そうかと思えば、次女の好みで作った絞りの小紋は
「もう3回ぐらいは着たから飽きた」なぞとほざく。
 
結局、次女のために作った黒地の絞り小紋を長女に
私の40代によく着た大きな格子柄の紬を次女に
バランスを考えて、白地に草木模様の緞子の小紋を私が着ることにした。
 
3人で一服の絵になるよう、帯や小物の色、ストールの素材や色、分量なども考え
中身の小物を3組揃え、アイロンをかけたり、半襟を付けたりもあり
楽しい作業とはいえ、相当な時間を費やし夜までかかってしまった。
(何しろ途中、初売りセールに繰り出し、みなとみらいにも行ったので・・・)
 
これも娘をもつ母の楽しみといえばそうだと思うし、
こんなことが出来るのも、人生にあと何回もないだろう。
 
3日の朝はそれぞれにヘアメークとメークをし、次々キモノを着て10時には準備完了。
カメラマン役のダンナとともに家を出発した。
 
しかし、地下鉄で戸塚駅に着き、
乗り換えのため横須賀線のホームに上がったあたりから、
人がわんわん湧き上がってきて、
鎌倉駅に着いた時には、すでに改札を出るだけで押すな押すなの状況に。
 
ダンナはすでに嫌~な渋~い顔になってきて・・・。
 
段葛の提灯の並ぶ道を進むにつれ、その人垣の渋滞は徐々に詰まり始め
遂に鳥居の手前でストップ。
そこからは延々と入場制限の綱が上がったり下がったりする指示に従って
ちまちま進む大渋滞の列に突入というわけである。
 
約1時間半待ちという難行苦行の末、ようやくお参り出来たが
まさかの人混みで、3が日に鎌倉に来ることの恐ろしさを知ったのであった。
(相当前、年越しの鎌倉八幡様の悪夢がよみがえったが時すでに遅し・・・)
 
私としては先月、すでにお伊勢参りもしたし、熊野三山にもお参りしたので
あんまりたくさんの所でお札を受けるのもよくないのかなと思ったが
可愛い絵馬に次女が反応し願い事を書いて納めると言い出したので
「私も!」と同調した。
 
鎌倉はさすがキモノ姿の人も多く、我々3人もキモノにしてよかったと思ったが
それにしても長時間のキモノは本当に肩が凝るし
のどは渇くし、トイレは行けないし
帰りの電車に乗った頃には3人ともクタクタであった。
 
夜は贔屓の中華料理店の予約がいれてあったのでラッキー。
優雅なキモノデーだったが、ほとんど体力を使い果たし
帯をほどいた途端に湧き上がる食欲に任せていただいた
中華のお正月料理と紹興酒が五臓六腑に染み渡ったのであった。
 
 
 


2014年1月2日木曜日

食三昧の年明け

 
 
 
 
 
 
明けましておめでとうございます。
このブログにお越しくださっている皆様、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
 
さあ、2014年、新しい年が始まりました。
横浜は温かなよいお天気に恵まれ、穏やかなスタートです。
 
私にとっては『年女』の年。
4月には人生の振り出しに戻るという意味あいの『還暦』を迎えます。
人生を今一度リセットして始めることのできる年ということだそうで
いつもの年にも増して
気を引き締め、1年の計を立てねばと思っているところです。
 
そうはいっても
4人家族が揃う元旦のために、あれこれおせち料理を作ったり
夕方から集まる親族のために、パーティ料理を作ったり、
やっていることは例年とさほど変わらないのが現実です。
 
それでも、いただいた年賀状をゆっくり見る間もなく、元日からキッチンに立ち
料理を作り、精一杯の『お・も・て・な・し』をするのが
やっぱり自分は好きなんだということを再認識した次第。
 
今年もダンナに「お前のはやり過ぎなんだよ」とブツブツ文句を言われても
作りたいものは作る、食べたいものは食べる
食べさせたいものは食べさせる
そのスタンスは変えられそうにもないのです。
 
そんな私のいつでも、あれこれ、お腹いっぱいブログですが
どうぞ今年もよろしくおつきあいくださいませ。