2016年9月27日火曜日

版17展 オープニングレセプション

 
 
 
 
 
9月26日の夕方、版17展のオープニングパーティが、
作品の展示会場である銀座並木通りギャラリーで行われた。
 
版17展は、展示会場を海外と国内と行ったり来たりさせながら、
版画家17名のグループ展として、22年の歴史をもつ。
 
しかし、その中でも今回の「銀座並木通りギャラリー」は初めての展示会場だ。
 
また、今回は、版17展のゲスト作家として、
クロアチア人のレオン・ザクライシェック氏を招いたお陰で、
オープニングパーティには、クロアチアとスロベニアの大使館から大使が来て、
ご挨拶をいただけることになった。
 
会場は宝飾店のショパールの入っているビルの9階ということもあって、
いろいろな意味で厳戒態勢。
 
レセプションでの飲食は原則禁止という中、
白ワインとお茶とウーロン茶での乾杯だけが許された。
 
赤ワインはこぼした時、絨毯のシミが取れないからという理由でNGだし、
サンドイッチやカナッペ類も、床に落として人が踏んだりすると汚れるからといわれ、
ビールはその匂いがエレベーターを伝って階下のショパール店内に入ると、
クレームがくるからということだった。
 
また、17時開始のレセプションに対し、
15分前には到着の大使を1階でお迎えし、一旦8階の応接室にお通しし、
そこで代表がご挨拶する。
6時になったら、一般人がエレベーターに一緒に乗り込まないよう、
エレベーターを8階で留め、空なのを確認してお乗せし、9階へ案内するという
段取りが組まれた。
 
一般人は先ず、1階エレベーターホール前で記帳し、
更に名札に名前を書いてもらって胸からぶら下げ、
9階のレセプション受付でもう一度芳名帳に記帳してもらって、
カタログをお渡しする。
 
そんな、煩雑かつ、どうしてそこまでというような形で
レセプションが行われることになったため、
オープニングで買い出し当番を引き受けていた私は、
急遽、買い出しは無しになり、代わりに司会を仰せつかり、
日本人代表として、キモノを着ていくということになった。
 
「聞いてないし~!!」と叫びたいところだが、
17名の作家の内、女性は3人しかいないし、
そのメンバーの感じで言えば、自分が司会やむなしということは分かるし、
キモノを自力で着られるのも私しかいない。
 
と、言うわけで、気温30度の中、
9月下旬では夏物のキモノというわけにもいかず、
薄紫の地に辻が花の花が散る小紋に、銀地の帯を締め、出掛けることにした。
 
レセプションにはいったいどれほどの方が見えるのか、
全く誰にも予想がつかない中、時刻の5時は迫り、
受付は慌ただしさを増していったが、
気づけば50名は越す人垣で会場はいっぱいになった。
 
メンバーも15人はその場にいるので、会場は満員御礼である。
 
司会の役としては、来賓の名前や役職名を間違えることは許されないが、
何と言ってもお客様は駐日スロベニア大使館大使とクロアチア大使館大使である。
 
英語圏ではないので、お名前もなんと発音していいのか、どう読むのか、
一向にわからないようなお名前ばかり。
 
また、外務省からのお客様は
「特命全権大使 国際貿易・経済担当大使」
「日本政府代表 特命全権大使 国際テロ対策・組織犯罪対策協力担当」という
肩書きで、両方読んで欲しいというリクエストがあり、2枚の名刺が回ってきた。
 
「なんだかな~」
 
と、思いつつも、小池百合子都知事さながら、
日本の勝負服で身を固めた以上、
「落ち度があってはなりませぬ」と気を引き締めたのであった。
 
というわけで、緊張のレセプションは、ワインが床にこぼれることもなく、
テロに襲撃されることもなく、つつがなく終了した。
 
ギャラリーは6時で閉まるということで、
そこからは階下のお隣にあるイタリアン・バーを貸し切り、2次会へ。
 
そちらも今回初めて利用したレストランだったが、飲み放題食べ放題で、
35名ぐらいのすし詰め状態だったが、予想を上回るおいしさとサービスとで
皆、大満足。
 
私も司会の任が解け、仲間とのおしゃべりに興じることが出来、
ようやく解禁のビールでのどを潤した。
 
政治的手腕を発揮する会の代表のお陰で、
いつもは寡黙に作品に向かう絵描きのおじさん達も、
やむなく国際交流に駆り出され、
コミュニケーション能力を求められる一夜はこうして暮れていった。
 
よく見れば、国際舞台で活躍するメンバーは何人もいる版17。
 
いざという時の消極的な自分に少し嫌気がさしつつ、
いつもとは違うメンバーの国際交流する姿を目の当たりにし、
「私もいろいろ頑張らなくちゃ」と思った次第である。
 
 

2016年9月25日日曜日

小諸への旅

 
 
 
 
 
今週末は、次女と小諸の「中棚荘」という島崎藤村ゆかりの古いお宿に行ってきた。
 
今回は次女主導で場所を決めたので、
珍しく私は新幹線チケットを事前に求めた以外はあなた任せの旅。
 
東京駅に着いて、今、駅弁コンクールで1位となり話題の「のり弁」を、
争奪戦を勝ちぬき、手に入れて、14時4分発と遅めの新幹線に乗り込んだ。
 
先ずは軽井沢まで新幹線で行き、そこから在来線に乗り換えて小諸まで。
久しぶりに会う次女とは、新幹線に乗るなりお弁当の包みを広げ、
舌鼓とおしゃべりとでせわしなく口を動かしながら、旅は始まった。
 
しかし、1時間と少しばかり経って、どこかの駅に止まり、1分ほどで走り出したが、
駅のホームの柱にはなんと「かるいざわ」の文字。
「うそ!今の駅で降りなきゃ!」
 
しかし、新幹線は音もなく滑り出し、もはや後の祭り。
 
しかたなく、8分ほど走った次の駅で降り、また、上り電車に乗って軽井沢駅に。
ロスした時間は30分ほど。
 
予定していた「しなの鉄道」には乗り遅れ、
次の「しなの鉄道」までは1時間もあるというので、
10分後に出るひとり1000円増しの臨時列車に乗って小諸まで行くことにした。
 
「片道480円の距離のところに1000円増しって、どんなんよ?」
と、思って階段を下りていくと、そこにはピカピカに磨き上げられた
小豆色の豪華列車「ろくもん3号」が!
 
周囲に撮り鉄やら、乗り鉄やらのマニアが群がって、
写真を撮ったり、いそいそと乗り込んでいく。
 
私達の席は障子を締めると個室になるコンパ-メントタイプの席で、
2月に乗ったJR九州の豪華列車「ある列車」を彷彿とさせる。
 
「失敗は成功の元」なのか「転んでもただ起きない」のか、
とにかく、思いがけない出来事に、私達はにわか鉄っちゃんになって大騒ぎ。
 
着いたお宿は島崎藤村ゆかりの宿「中棚荘」といい、
確かに建物は古いけど、きびきび働くスタッフと元気のいい女将さん。
信州牛の陶板焼きや土地のお野菜をふんだんに使った郷土料理の数々。
とろみのついた美肌の湯にリンゴがプカプカ浮かぶ「りんご湯」など、
身も心もお腹も大満足。
 
明くる朝は軽井沢でも何十日ぶりかの晴れだと言うほど、久しぶりの上天気で、
さわやかな気分で、まずは中軽井沢の教会へ。
 
内村鑑三記念館と名のつく「石の教会」は
不思議な形の石積みの教会だった。
 
9月末の日曜日とあって、1日5組ぐらいの挙式が予定されているとかで、
一般人は外回りからしか見学出来ず、中の様子を見ることが叶わなかったのが、
残念だ。
 
遠目に見たウエディングドレスの花嫁は、楚々としたたたずまいで美しく、
教会の重厚な石畳に映え、ちょっと日本とは思えない雰囲気だった。
 
その後はお決まりの旧軽散策とアウトレットで、足を棒のようにして、
最後は新幹線に乗り込む前に、これまたお決まりの「峠の釜飯」を購入し、
乗り込むなり陶器のお釜のヒモをほどいて、おなじみの味を楽しんだ。
 
こうして、思わぬ列車に乗れたり、噂に違わぬ名旅館のお料理や温泉を堪能し、
軽井沢の名所を巡る旅は、無事、終了。
 
思えば、常に何か食べていたような・・・。
恐ろしいので体重計には乗らないが、
「ろくもん3号」に乗れた楽しい旅の思い出を胸に、
歩き疲れた今宵はぐっすり眠れそうだ。
 

2016年9月15日木曜日

偶然の一致

 
 
最近、私には新しい友達がふたり出来た。
 
ひとりは、時折、キモノや帯を求めていた呉服屋さんの新しい担当Nさん。
もうひとりは、昨年11月から通っているコナミで、初めて友達になったNさん。
 
夏の初め、キモノの展示会のお便りがNさんの名前で送られて来た。
古い担当の方はご高齢を理由に辞められたので、新しく担当になったとのこと。
 
挨拶かたがた、長女の結婚式に使うバッグとぞうりのセットを求めて、
東京駅近くの展示会場まで出向いた。
 
初めてお目にかかったNさんは、フィギュアスケートの鈴木明子さんそっくりの
大きな瞳をくるくるさせた綺麗な人だった。
 
初対面だったのに会話はとんとん弾み、気に入ったバッグと草履のセットも見つかり、
良い方が担当になってくれたと嬉しかった。
 
社交辞令とはいえ「版画の展覧会があったら、お知らせ下さい」と
申し出があったので、
銀座のお店にほど近いからと、「文学と版画展」の案内状をお渡しすると、
本当に甘納豆を携えて、観に来て下さった。
 
その上、共通の話題である歌舞伎のチケットも手に入れる手立てがあるからと、
10月の橋之助の襲名披露公演にもご一緒することになった。
しかも、取ってくださったのは、前から3列目のど真ん中の席である。
 
歌舞伎によく行っていた友人を昨年末に亡くしている私としては、
歌舞伎のことを話せるお友達ができただけでも嬉しいのに、
板東流の踊りを習っていた関係で、チケットも手に入れられるなんて・・・。
 
板東流と言えば、玉三郞であり、亡くなった三津五郎であり、
私にとってのご贔屓役者という共通項が、Nさんとはあることになる。
 
一挙に呉服屋の担当さんという垣根を越え、
まだ、ひとつもキモノを買っていないうちに(買っていないからこそ)
そういうことでのつながりなしに話の合う友達になれそうと確信したのだ。
 
 
もうひとりのNさんは、コナミスポーツで私がよく参加しているダンスのクラスで、
ひときわ背が高くて、アフロヘアを腰まで伸ばした
存在感のある女性だ。
 
いつもインストラクターの台の正面3列目に陣取り、
60~70名の参加者が、
周囲とおしゃべりしたり、ストレッチしたりして開始を待つ時間も、
誰とも話さず、何かダンスの振りの練習をしたりして、
ひとり時間を過ごしている。
 
私はいつも彼女の左隣エリアに陣取り、誰も話すような相手もないので、
ひとりストレッチしたりして過ごしていた。
 
ある時、レッスンの中でフリータイムといって、
隣近所の人と自由に踊っていい時間に、彼女と組んでいい感じに踊ることが出来た。
 
つんとすまして、話しかけないでオーラ出しまくりの彼女だったが、
組んで踊ってみると笑顔の可愛い人だった。
 
お互い、「今日はありがとうございました」といってスタジオを後にし、
そんなことが数回あった後に、いつしか開始前の時間にも話すようになった。
 
ある時、
「何か踊る系のこと、なさっていません?」と尋ねると、ベリーダンスをしているという。
 
「やっぱり」
 
「私は3年前までフラメンコをやっていて、今はアルゼンチンタンゴを少し」と、
踊りが共通なことが分かり、一挙に話は盛り上がり、距離が縮まった。
 
「見たい、見たい」とお互いにいうと、
彼女のベリーダンスの発表会が10月にあるという。
 
今まで名前も知らずに、水曜日のクラスで会うことしかなかった人が、
「本当に来て下さるんですか」といって、昨日、発表会の案内状を持ってきてくれた。
 
「ぜひ、伺わせてください」そう言って、初めて名前を訊いたところ、
「西村ユウコです」という。
 
「えっ、西村さん!?」
 
歌舞伎フレンドになったばかりのNさんも実は「西村さん」なのだ。
そちらは「西村サダコさん」
 
そんな偶然、あるだろうか。
 
歌舞伎とダンス。
私との共通項をもつ急接近中の新しい友達が、ふたりとも「西村さん」だったことに
かなりビックリしながら、
何かどこかでつながるってことの不思議さを感じた事件だった。
 
 

2016年9月9日金曜日

目指せ、ジャケ買い

 
 
銀座のギャルリー志門で行われている『文学と版画展』に
ママ友を誘って、再訪した。
 
火曜日にお連れした友人達はお茶のお稽古で一緒のメンバーふたりだったが、
今日は次女と同い年の娘を持つ同年代のママ友ふたりだ。
 
ふたりは次女が高校生の時からの友人で、
かれこれ15年ぐらいのおつきあいになるが、
更に言えば、熱心な版画家萩原季満野のファンでもある。
 
ありがたいことである、ホントに。
 
そんなふたりは毎年数回、私の個展やグループ展に来て下さっているし、
時には拙作をお求め下さる貴重な友人なのだが、
そんな彼女達も、本の装丁になった我が作品を見るのは初めてだ。
 
それもそのはず、自分の版画で本の装丁を手がけたのが
生まれて初めてなのだから、当たり前の話だ。
 
そのふたりにとって、初めて見る本の表紙は新鮮だったようで、
「私、この表紙だったら、どんな内容か興味をもって、すぐ手に取ると思うわ」と
嬉しいことを言ってくれる。
 
更にひとりは「私が選んだ瀬戸内寂聴の『爛』とはどんな小説なのか」興味をもって、
すでに書店で買い求めて、
目下、読み進めているところだという。
 
「オリジナルの表紙だと本屋さんで目に留まらなくて、
書店員さんに捜してもらったけど、
もし、この表紙だったら、すぐ目に留まったと思うわよ」と、
お世辞だとしても、ありがたいお言葉。
 
他にも、「作品を見て、小説を買って読んでみた」という声や、
「出版社の人にもみて欲しいけど、瀬戸内寂聴にみて欲しいわよね」という声も、
この1週間の間に、あちこちでいただいた。
 
なかなか6日間の短い会期に、
出版社の目に留まるようなミラクルは起きないのが現実だが、
誰しも本の表紙の絵が気になって手に取ったり、
CDをジャケットの写真やイラストが格好良くて買うことはあるだろう。
 
そういうのを『ジャケ買い』と呼ぶのだが、
小さな画廊で限られた人の目に触れるだけでなく、
もっと全国の書店の平積み台に自分の作品の装丁本が並ぶ、
そんな日が来たら凄いなと
一瞬、夢想したのであった。

2016年9月8日木曜日

おしゃべりな時計草

 
 

 
「ねえねえ聞いた?私達1日1個ずつしか咲かないらしいわよ」
「誰が決めたのよ、そんなこと」
「一斉に咲くみたいな協調性はないとかって、失礼しちゃうわ」
「じゃあ、ここらでパアッと咲いてみせましょうか」
「実力を見せなきゃね」
 
「それから、花びらに見える部分はがくに違いないとも言っているけど、
知りもしないで、適当なこと言わないで欲しいわね」
「そうよ。これはれっきとした花びらよ。それ以外に何に見えるのかしら」
「花が落ちた後に小さながくが残っているのに気がつかないのかしら」
「きっと針のような部分の方が美しいから、こっちが花びらだと思ったんじゃない?」
「これは私達だけが持っている冠なのにね」
 
これは誰の会話かというと
我が家の庭の時計草たちの声。
もちろん、私の妄想である。
 
そんな声が聞こえてくるぐらい、3日前の朝、
今まで1輪か2輪しか咲かなかった時計草が一挙に花開いていた。
 
「ちょっと貴女たち、どうしちゃったの」と、思わず駆け寄るほど、
赤紫の株と赤紫の株の両方の花が合計10個以上咲いていた。
 
慌てて、ネットで検索すると、
私ががくに違いないと思っていた部分は見ての通りの花びらで、
鮮やかな濃い紫と白のグラデーションになった針のような部分は、
『副花冠』という名の特殊な花びらだった。
 
『花冠』という素敵な名前をもつ、まさに時計草は王冠をかぶった王女様のような
ダイナミック、かつ高貴な花なのである。
 
しかも、その繁殖力はやはり相当凄いらしく、
夏のグリーンカーテンに使われるほどで、
ややもすると庭中が時計草で覆われ、他の植物を覆い尽くすことがあるから、
注意が必要とある。
 
確かに我が家のフェンスに這わせた生命力が強くて困っている白薔薇の幹にも、
構わず絡みついて、
どんどん触手を延ばしている。
 
はたから見ると白薔薇の咲くおうちだったはずが、
いつのまにか時計草で覆い尽くされたおうちになる可能性も感じる。
 
だから、花が終わったら、思い切った剪定が必要らしい。
 
やっぱり、植物界でも生命力の強いものとそうでもないものはあるらしく、
ジャスミンや時計草のようにツルものは総じて強く、
また、薔薇やサクランボのように幹や茎にとげのあるものも強い気がする。
 
まあ、くせのある人が世の中をしぶとく生き残れるように、
花の世界も自己主張の強いものが、生命力も強いと言うことかも。
 
と、思って、今朝の庭に出てみると、
今日は以前に戻ったように、赤紫がひとつと、青紫がひとつしか咲いていない。
 
それも、「直径8センチなんて見くびっちゃいけないよ」とばかり、
直径10㎝はある大輪の花である。
 
その誇らしげな王冠を天に掲げるようにして、
胸を張って咲いている。
 
おしゃべりば時計草は
「どうよ。見てよ」
そう、言っているに違いない。

2016年9月6日火曜日

『文学と版画展』始まる

 
9月5日から、銀座のギャルリー志門で『第2回文学と版画展』が始まった。
 
昨年の第1回にお誘いを受けていたけど、製作時間が間に合いそうにもなく、
1年見送っての参戦である。
 
写真の通り、通常の版画作品の下に棚を作って、
その版画作品を使った装丁がかかった本が並べてある。
 
装丁のデザインも版画家自身が手がけ、
自分が選んだ本のカバーとしてかかっているという面白い展示だ。
 
先ずはひとりひとりの作家がどんな本をお気に入りとして選んでいるのかが、
面白がりポイントのひとつ。
 
次にその本のイメージをどう解釈して版画作品に落とし込んでいるのかが、
面白がりポイントの2つ目。
 
版画家がどんな本の装丁デザインを考えたのかが、
面白がりポイントの3つ目。
 
会場にいるお客さんは、皆、気になる本を手に取り、
本のカバー以外に使われている中表紙のデザインや色とのバランスや、
文字のフォントなど、
新たにかけられたカバーだけでなく、それと既存の本体との組み合わせなどを
比較して楽しんでいるようである。
 
私自身、自分の作品が本のカバーになっているのを、
初日の夕方、初めて見て、
想像どおりの仕上がりに胸をなで下ろしたところだ。
 
先週の土曜日の夕方、搬入と飾り付けに参加したメンバーは、
自分の作品がどの壁のどのあたりにかけられるのか、見届け、作業したのだが、
私は作品を宅急便で送りつけただけで、飾り付けを失礼してしまった。
 
そのため、自作がどの壁に掛かっているのか、
本の装丁がどんな風に仕上がったのか、
昨日の展覧会初日まで知らずにいた。
 
本当なら、そういうあなた任せの態度の人の作品は、
隅っこの壁に追いやられても文句は言えないのだが、
行ってみたら左の大きな壁の真ん中に位置取りされていた。
 
まことにありがたいことである。
 
その上、本の装丁もイメージしたとおりのいい感じに出来上がっていたのだから、
願ったり叶ったりである。
 
昨晩のオープニングパーティには、出品した作家達は勿論のこと、
大勢の作家の仲間や友人知人、また評論家が数名と
総勢100名ほどのお客様が来て下さったとか。
 
個人的には展示に参加している作家で知っている人は数名だけで、
後は同じ版画家でも、所属している会派も出身大学も違うので、
面識がない方達ばかり。
 
これから、これを機に少しはお近づきになるのかもしれない。
 
夕べは自分がほとんど絵描き仲間と群れていないことを痛感しながら、
オープニングパーティは無事、閉幕した。
 
今日はお茶のお稽古で仲良くしている若い友人ふたりを誘って、
展覧会場ご案内と銀座ランチというコースを楽しんだ。
 
結果、 
絵描き仲間の作家論やら、小難しい絵画論のやりとりは苦手かもと再確認し、
今日は、贅沢なランチに舌鼓を打ちながら、
9月の暑気払いの会はおしゃべりに花を咲かせて大いに盛りあがったのだった。

2016年9月1日木曜日

時計草にインスパイアーされて

 
 
 
4月下旬、夏用の花の苗を大量に購入し、植え替えた時、
『時計草』の苗を生まれて初めて買って、植えてみることにした。
 
前から、その個性的な花の形に惹かれていただけでなく、
どんな葉っぱなのか、どんな生育をするのか、
知らないことだらけで、好奇心をいたく刺激されていたのだ。
 
切り花で売っているところは見たことがないし、
聞けば、地植え以外に方法はないというから、
私もプランターではなく、狭い庭の一隅に直接植えることにした。
 
買ってきた2本の苗は3~4枚葉っぱがついているだけの細い茎がひょろひょろして、
とてもこの細い茎から、写真で見るような大ぶりの花が咲くとは思えなかった。
 
しかし、2週間もすると茎はぐんぐん成長し、葉の数を増し、蔓がのびて
辺り構わず蔓が絡まりだした。
すごい生命力だ。
 
それをすこし無理に引きはがし、フェンスにうまく絡まるように誘導。
1ヶ月ぐらいで何とか形が整ってきた。
 
そこからは速かった。
ある朝、ふとみると大きな花がバカッと音を立てて咲いたかのように
咲いていた。
直径8センチぐらいはある。
 
よく見ると他にも花芽が育っていて、1列に並んで10個ほどスタンバイしている。
 
他の方向に触手を延ばした茎にも、花芽が並んでいるところがある。
 
しかし、たくさんつぼみがあってもひとつしか花は咲かない。
しかも、1日咲いたら、次の日にはしぼんで、ポトリと落下してしまう。
そして、隣のひとつがまた咲いた。
 
つぼみが何十とあっても、咲くのはひとつか、多くてふたつ。
時が移ろうように、自分の番が回ってきたとき、
その1日限りの命に灯が灯る。
 
夏の花、時計草はセミより儚い命を生きていた。
 
紫色の10枚の花びらとおぼしき部分はじつはがくのようだし、
大輪の花火のように広がった無数の細い紐状の部分がたぶん、花。
 
めしべは5本でおしべが3本。花から飛び出している。
数が変。場所も変。
 
ビジュアルも相当変だけど、植物としてのルールも守られていない。
 
そして、一斉に咲くといった群れを好まず、
自分の番が来たときだけ、ひっそりしかも派手に咲いて、1日で散る。
変な奴。
 
9月1日が私の番なの、みたいな・・・。
 
知れば知るほどおかしな花だが、版画家としてはいろいろ想像をかき立てられ、
作品にしたい気持ちがむくむく湧き上がってくる。
 
ちょうど8月いっぱいで大きな作品の彫りが終わったので、
今日は木のリースに時計草を絡ませ、新作の原画を作ることにした。
 
人生は一瞬たりとも同じ時はなく、同じ刻みで移ろっていく。
それぞれの人生の大輪の花が咲くときは何回あるだろう。
ある一時代が過ぎれば、それはポトリと落下して、思い出になる。
 
みたいなことをぐちゃぐちゃ考えながら鉛筆を走らせ、
原画を描いてみた。
 
タイトルは『時の華』にするか『刻の華』にするか・・・。
これから始まる転写の作業や彫りの作業の間に徐々に決まっていくだろう。
 
『時計草』は不思議ちゃん。
当分、私の想像力と創造力を刺激してくれそうだ。
 
人生とは。時の移ろいとは。幸と不幸とは。
 
ちょうど、私自身がそういうことを考えるお年頃ということかもしれない。