2016年1月30日土曜日

極寒の1日

 
今にも雪が降ってきそうなどんよりした空模様。
1年で一番寒い季節。
 
行動も鈍るが、心も寒々しい。
 
しかし、いつまでも布団の中にいるわけにもいかず、
もそもそ起きだし、もそもそ朝ご飯と昼ご飯の間ぐらいのご飯を食べ・・・。
重い腰をどっこらしょと持ちあげ、何とか出掛ける準備をした。
 
そんな1日を過ごした人はきっと大勢いるだろう。
 
紛れもなく私もそのひとりだったわけだが、
今日は2ヶ月に1度の釉薬をかける日だったので、
陶芸工房に行かないわけにはいかなかった。
 
ここをパスすると次に釉薬をかけられるのが3月下旬になって、
4ヶ月分の作品がたまってしまうからだ。
 
午後イチ、完全防備の防寒態勢で鶴見市場の工房に行くと、
先生の他2名の男性会員の人達が黙々と作業していた。
 
火力の強いストーブの火の燃えさかる音と、
電動ロクロの低いモーター音だけが工房に響いていて、
何となく沈鬱な空気。
 
先生が4月に陶芸の個展を予定しているのに、作陶が全く進んでいないとかで、
その焦りやお疲れが、こちらにも伝わってくる。
 
去年のちょうど同じ頃、私も個展を4月下旬に控えて、
オブジェ作品の制作に目をしょぼつかせていたし、
首から左腕に走る神経を痛めて苦しんでいたのを思い出した。
 
個展というのはどんなジャンルの発表にせよ、
作者はまるで裸で会場に立っているようなもので、
全責任を一身に負う一大イベントなのだ。
 
陶芸の作品展の場合は売れなければ次がないということらしく、
「創りたいものを創って並べればいいというわけじゃないから」とも嘆いていた。
 
展覧会を観に来る人は作品の個性を期待するだろうけど、
買う人は「家で使い勝手がいい」とか、「こんな器が欲しかった」という理由で
買っていく。
 
そのあたりの折り合いをどうつけるのか、悩んでいるらしい。
 
私にとって陶芸は単なる趣味だから、
あくまで自分が使いたいもの、世の中に売っていないものという自分の基準で
好きに創ればいい。
 
でも、陶芸家という肩書きがつくとそうもいっていられない。
 
「大変そうだなぁ・・・」と他人事のように(他人事なんだけど)
先生を横目で見ながら、
自分の器には失透という白い釉薬と織部という渋いグリーンの釉薬をかけ、
本焼きに出す棚に並べた。
 
とにかく寒いせいか、
思考が凍えて、広がらないし、温まらない。
 
私は無難な釉薬を選択して、釉がけを終え、家路についたが、
今頃、先生はひとり工房に残って、作陶しているのだろうか。
 
まだまだ当分続くこの寒さ、
春を待つこの時期に人は内省し、成長するのかも。
人生、冬は修行やねぇ・・・。
ほんまに。

2016年1月23日土曜日

ピアソラ 最高の演奏

 
2日続けて石田泰尚氏のコンサートに行って来た。
しかし、全く違う出来具合でビックリ。
 
昨日はみなとみらい大ホールなんていうでっかいホールに大勢のお客を集め、
『石田泰尚&清塚信也 カリスマ・デュオ!』という
人気者ふたりによるヴァイオリンとピアノのコンサート。
 
しかし、ふたりはほとんど一緒には練習しなかったのがバレバレの酷い出来。
それぞれが適当に選んだソロで演奏する曲があまりにポピュラーで、
特に清塚信也の方は観客を馬鹿にしてんのかと言いたくなる感じ。
 
ふたりで演奏した曲もなんだか今ひとつ、ふたりの仲がしっくりいってない
仮面夫婦みたいな演奏だった。
 
それに引き替え、
今日の石田様は本当に素晴らしかった!!!
 
今日の演奏は
『三浦一馬 スーパー・クァルテット』という4人編成。
弱冠25歳のバンドネオン奏者三浦一馬を中心に据え、
3人のおじさん達が支えるという構図。
 
しかも、『オール・ピアソラ・プログラム』という夢のような選曲。
 
バンドネオンが三浦一馬、ヴァイオリンが石田泰尚、
それにピアノの加藤昌則、コントラバスの黒木岩寿というメンバー。
 
なんと石田様が支える側に回っているという形だが、
若い三浦一馬が先輩達を上手にたてて、リスペクトしているのが伝わってくるし、
それでいて、実力とルックスの両方を兼ね備えている。
 
プログラムは最初から最後のアンコールまですべてピアソラなので、
初めて聴く曲もあったし、
ブエノスアイレスの四季の春夏秋冬、すべての曲を演奏した。
 
聴きなじみのある「アディオス・ノニーノ」は前半のピアノソロがとてもよく、
「生きていてよかった!」とプログラムにメモしたほどの出来。
 
ピアノの加藤昌則氏の解説が1曲ごとに書いてあるのが、分かりやすい上に
演奏家目線の感想も書いてあって好印象。
 
とにかく、初めて聴いたこのクァルテットの演奏にいたく感動して、
昨日のクソみたいな演奏は何だったのかと思うほど。
 
演奏後にはすっかり三浦一馬のにわかファンになってしまい、
出口の脇のCDコーナーで、石田様と組んで録音した三浦一馬のCDを求め、
ちょうど演奏後にサインのために出てきてくれた三浦一馬に、
買ったCDにサインしてもらい、両手で握手して帰って来た。
 
私の中で、ディーン・フジオカもここのところ急上昇して、好感触だが、
いやいや三浦一馬もどうしてとってもいいじゃないかと
おばさんの心は揺さぶられたのであった。
 
今後、三浦一馬が、石田様と共に、おっかけ対象のリスト入りしたことは間違いなし。
 
本日のコンサートは大満足だったのでした。

2016年1月22日金曜日

興奮の『或る列車』体験記

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
19日から2泊3日で長崎に行き、
20日に念願の『或る列車』に乗車してきた。
 
『或る列車』とは、ななつ星で一躍有名になったJR九州が、
鉄道模型の神様・原信太郎氏の制作した模型を元に、
ななつ星と同じく水戸岡鋭治氏に依頼し、デザイン・設計して、出来た豪華列車。
 
ななつ星に勝るとも劣らないものをとの意気込みで、
車両のみならず、提供される食事やスイーツ、器や調度品など、
すべてにこだわり抜いて創られている。
 
まだ、2015年9月に運行されたばかりで、
何回かテレビや雑誌にも大きく取り上げられ、2時間の特集番組などもあって、
見れば見るほど知れば知るほど、どうしても乗ってみたいと思っていたけど、
個人で取ることは到底出来ないなと思っていた。
 
今回はJR東海の50+というツアーの企画を申し込み、実現したのだが、
『或る列車』だけで24000円、
それに九州への往復の旅費、2泊分のホテル代など考えると、
82300円のツアー代金はかなりのお得ということになる。
 
ツアー定員は34名で、これは『或る列車』1台の定員いっぱいという人数で、
参加者は旅行に慣れた方達ばかりで、
目的はこの『或る列車』に乗ることと、はっきり絞られているので、
初対面なのに、みんなのテンシャンも一体感もハンパない。
 
列車は2両しかなく、見ての通りの渋い金ぴかという感じで、
1号車と2号車は全く雰囲気が違う。
34名は1号車か2号車に振り分けられ、自分たちの好みは反映されない。
 
1号車は華やかで可愛い感じで、開放的な空間。
2号車は完全に個室に区切られており、渋くて落ちついた大人の空間だ。
 
私達は2号車を割り振られ、友人とふたり150分の走行中、
ひたすら食事とスイーツと各種ドリンクを楽しみ、
感激のあまり、興奮しながらおしゃべりし、あまた記念撮影して過ごした。
 
成澤由浩シェフがプロデュースするランチボックスとスーツ4品が次々饗され、
2時間半、とにかく食べ続け、
フリードリンクなので、乾杯のシャンパン、日向夏のジュース、ワイン、
八女茶(これが絶品)、紅茶にコーヒーと注文して、
お腹いっぱいは言うまでもない。
 
事前に知っていたこだわりの木工細工やイスやカーテンの織物、
陶器の器や、グラス類など、制作者の思い入れやこだわりを感じるものばかりで、
現物を見ればより一層その思いが伝わってくる。
 
1号車の人も2号車に撮影しにやってくるし、
乗務しているスタッフも笑顔と丁寧な対応で、おもてなしマインドを発揮し、
この2時間半を存分に楽しんで欲しいという気持ちとここで働くプライドを感じた。
 
本当のところは雪の影響で、1日目の新幹線が少し遅れ、
乗り継ぎの特急に乗れず、行程がずれ込んだし、
2日目の軍艦島クルーズと上陸は強風のため、欠航になって、行けていない。
 
そのため、急遽、軍艦島に関しては、
出来たばかりの軍艦島ミュージアムに行ったのだが、
そこも予想以上によかったので、廃墟への上陸は叶わなかったが
当時の様子をデジタル映像や復元資料で仮想体験することが出来た。
 
旅の2大目的の内のひとつが、叶わなかったという見方も出来るが、
荒海に無理して出ていって、船に酔ってしまったら、
『或る列車』のスイーツも食べられなかったに違いない。
 
個人的には、まずは『或る列車』に乗ってみたいという願いは叶ったので、
今回は本当に満足、
そう思っている。


2016年1月16日土曜日

カマキン最後の日々

 
 
 
 
 
カマキンとは鎌倉近代美術館の略である。
 
1951年に開館した、鎌倉八幡宮の境内入ってすぐの左脇、
周囲を池に囲まれた静謐なたたずまいの美術館だ。
 
そのカマキンが65年の歴史に幕をおろし、3月に完全閉館する。
 
現在は代表的な収蔵作品を展示する最後の展覧会が行われており、
今日1月16日夕方にクロージング・パーティが開催された。
 
一昨日の版17新年会の折にその話が出て、
上野遒さんに誘われ、私もレセプションパーティに出席させてもらうことになった。
 
私にとって、思い出に残るカマキンでの展覧会は
ルドン展とムンク展であるが、
会場にはそれぞれ展覧会やカマキンの建物やロケーションなど、
思い入れのある人々が大勢集まってきていて、ごった返していた。
 
まずはふたりで少し離れた別館の方の展示を観、
次に水辺に建つ本館の展示を見て回った。
 
日本を代表する作家の油絵や陶芸などのコレクションを観ながら、
その収集の目、好みなどに、カマキンらしさを見出しながら、
今更ながらにここがなくなるという寂しさがこみ上げてくる。
 
会場でであった何人かの作家とそれぞれのカマキン思い出話を聞きながら、
その会場の雰囲気に惹かれている人は多く、
私も含め、カメラに収めようと、会場の人垣を縫って、
撮影する姿があちこちで見られた。
 
レセプションの最後には中庭の御影石の壁に
過去の展覧会の時の様子を映像にしたものが映し出され、
会場を埋め尽くしていた人々は皆見あげて、懐かしい場面を目に焼き付けた。
 
この後は鎌倉八幡宮に返還されるという話だが、
3万人の反対の署名が集まって、
建物は何とか取り壊さずに残ることが決まったらしい。
 
耐震問題とか、集客問題など、諸般の事情と政治が絡んで、
ただ単にいい物は残して欲しいというような単純な話では済まされないみたいだが、
少し展示の形を変えてでも、ここに美術館を残して欲しい。
 
あらためて見て、やっぱり、鎌倉にカマキンがある意味は大きいと思うので、
そこはひとつ踏ん張ってほしいと思っているのは私だけではないだろう。
 
展覧会としては1月31日で終わってしまい、
その後は美術館の中に一般の人は入れないそうだから、
時間のある方はお別れにいって欲しいと思う。

2016年1月12日火曜日

新春大歌舞伎

 
 
 
 
1月2日から歌舞伎座で行われている『新春大歌舞伎』に次女と行って来た。
 
歌舞伎座の前はお正月らしく門松や酒樽が飾られ、
正面玄関入ったところにも華やかな飾り付けが施され、
いつにも増して艶やかな様子だった。
 
お客さんも比較的キモノ姿が多く、新春らしさを盛り上げている。
 
次女は高校の時観た歌舞伎鑑賞会以来、
ちゃんと歌舞伎を観るのはこれが初めてなので、
歌舞伎デビューということになる。
 
4時間半の長丁場で眠くならないよう、演目は華やかな夜の部を選び、
お弁当や和菓子など携えて、いざ開演。
 
演目は
『猩猩』
梅玉と橋之助の踊り。
主に関西で活躍の梅玉が日本橋の歌舞伎座にでることはほとんどないので、
めったにない組み合わせ。
 
『二条城の清正』
幸四郎と孫の金太郎が舞台を務める。
まだ子どもの秀頼に仕える清正の心情を、剛毅な姿勢と弁舌の巧みさで見せる。
 
『吉田屋 郭文章』
花魁夕霧に玉三郞、若旦那藤屋伊左衛門に雁治郎。
こちらも雁治郎が関西の役者なので、新春ならではの組み合わせ。
雁治郎が関西人らしい軽妙な若旦那がはまり役、
玉三郞の花魁は言うまでもなく本当に美しい。
 
『雪暮夜入谷畦道 直侍』
悪事を重ね追われる身の直侍を染五郎、慕う傾城三千歳を芝雀。
しんしんと降る雪の下町情緒がかもしだす浮世絵のような情景に
浮かび上がる男女の切ない色模様。
 
という4つ。
 
タイプの違う演目で歌舞伎初心者にも楽しめる華やかで歌舞伎らしいものばかり。
 
とはいえ、内容は観ているだけだと追っかけきれないと思ったので、
娘にはイヤホンガイドを使わせ、解説付きに。
 
前から2番目の席だったので、
役者はもちろん、囃子方の表情までしっかり見え、
また、凝った大道具の場面転換などにも興味津々。
 
娘は「でている人が全員男かと思うと可笑しいね」と、
まるで宝塚を初めて観た人の反対みたいな感情を抱いたようで、
「なるほど、そういう感じ方もあったのね」と慣れっこの私には新鮮な感想だ。
 
まあ、これが1公演19000円もするとなると、
非日常の贅沢なお遊びということになるが、
日本人に生まれたからには、こうした日本文化に触れておくのもいい経験。
 
連日の長時間におよぶキモノ着用は
なかなかお茶も歌舞伎も、楽しさと苦しさのせめぎ合いだけど、
2016年は日本の1月らしい行事でスタートがきれて、めでたしめでたし。
 
今年も和の道に邁進する所存でございまする。


2016年1月4日月曜日

初詣 弾丸ツアー

 

 
毎年、初詣に行くのが恒例になっているが、
今年は何と横浜に住んでいながら、千葉の成田山新勝寺まで行って来た。
 
しかも、成田山だけに留まらず、香取神宮と鹿島神宮にも行くという
弾丸バスツアーに申し込んだのだ。
 
3日、朝6時50分、最寄り駅前出発。
 
嫌がる次女を5時半にたたき起こし、
朝ご飯をかき込み、化粧もそこそこにまだ暗い道を駅に急いだ。
幸い、日中は17度にもなるという温かな日だったので、
朝の一番でもさほど寒くない。
 
しかし、そんな酔狂な人は案外たくさんいるらしく、最寄り駅と横浜駅とで
合わせて大型バス2台分の人が集まり、
夜明けの湾岸道路を突っ走っていった。
 
朝9時半、まだ参拝者もまばらな成田山新勝寺の境内は
辺り一面にお護摩の香りが漂い、初詣にきたという雰囲気が盛りあがってくる。
 
昨年の川崎大師、
一昨年の鎌倉八幡宮、
いずれも人人人の人混みの中、何度も入場規制の足止めをくってからしか
お参り出来なかったので
あまりのあっけなさにちょっと拍子抜け。
 
お参りの後は沿道を散策。
鰻の蒲焼き、薬のヤツメウナギに各種薬草、落花生、鯉やいなごの佃煮など、
千葉の名物はディ-プなものばかりでビックリ。
 
昭和初期とおぼしき雰囲気のある建物の土産物屋が軒を連ね、
細い坂道に鰻の蒲焼きの甘い香りが立ちこめている。
昔からこうしてお参りの後には鰻を食べ滋養をつけたんだろうなと想像できる。
 
私も名物のうりのいんろう漬と、ごまと玉ねぎのスープの素、
版画用に使う棕櫚の小型ほうきを買い求めた。
 
その後は成田のホテルでビュッフェ・ランチをいただき、
午後は香取神宮、更には茨城県まで足を延ばして鹿島神宮にまでお参り。
 
途中、佐原の酒蔵に立ち寄り、鏡開きのまねごとをし、
日本酒の試飲から販売と、抜け目なくバスツアーの予定は組まれている。
 
成田山新勝寺は言うにおよばず、
香取神宮も鹿島神宮も大きなお社をもつ立派な神社で、
千葉県や茨城県の方にとって、初詣といえばここという由緒ある場所に違いない。
 
それを一日で3箇所という、贅沢と言えば贅沢、
軽んじていると言えば言えなくもない行程で駆け回り、
あっちでもこっちでも神頼みし、
帰りは案の定、湾岸道路の渋滞に突っ込んで、
予定の2時間オーバーで横浜駅にたどり着いた。
 
例年、初詣が終わるとどっと疲れが出るが、
懲りずに出掛けてしまうのは、それもまた年の初めの風物詩と思っているからか。
 
どこの神様もそんなに大勢の願い事など叶えられないとは思うが、
どこかのお寺か神社で手を合わせ、
家族の無事を願い、お守りを買って、
おみくじをひく。
 
そんな日本の正月行事をひととおり済ませて、
今年も慌ただしくお正月休みが過ぎていく。

2016年1月2日土曜日

飽食の親族会

1月1日の夕方から、毎年、親族のどこかの家に集まって親族会が開かれる。
 
ダンナの両親が健在だった頃は、ダンナの両親のところへ、
2品ほど手作りの料理をもって、出掛けていた。
 
父が亡くなった後は長男である我が家がその親族会のお宿になっていた。
 
昨年のお正月はダンナが海外赴任中ということで、
ダンナのすぐ下の妹がお宿を買って出てくれたが、
今年は「ダンナはいなくとも我が家へどうぞ」と声をかけ、
ふたりの妹家族が我が家に集合することになった。
 
声をかけた時、ふたりの妹達は「ではでは遠慮なく~」と二つ返事だったから、
みんな料理を大量に作るのはもう億劫なんだなと理解したが、
私は普段ひとりで腕をふるうことがないので、むしろ楽しみにしていた。
 
でもって、
娘達が「やり過ぎでしょ。そんなに食べきれるわけがない」と非難ごーごーの中
作った品々が下記の通り。
 
「子持ち昆布の土佐酢あえ」と「松前漬」、唐津のおみやげの「玄海漬」
「きんぴらごぼうのブルスケッタ」
きんぴらごぼうを薄めの味付けにし、トマトソースを少し塗ったフランスパンにのせ、
チーズをトッピングして焼いたもの。
 
最初のシャンペンとよく合う。
 
「クスクスとパセリのサラダ」
ニューヨークのデリカテッセンにあって、美味しかったので真似したもの
クスクスと大量のパセリ、赤と黄色のパプリカ、紫玉ねぎ、ロマネスク
レモンドレッシングで和えて、酸味を効かせてある
 
 
途中で和風のものを挟んだ。
これは「レンコン団子のあんかけ」
もひとつ「牛すじの煮込み」も。
 
 
また、洋物に戻って「キッシュ」
今年はほうれん草・ベーコン・しいたけの他に、スモークサーモン入りの豪華版
 
 
「たこと山芋の和風サラダ」
メインの「ビーフシチュー」に「ガーリックトースト」
 
この後、
お腹に余裕のある人限定で
「蟹ご飯と赤カブのお漬け物、カブときゅうりのゆず風味漬け、とろろ昆布のおつゆ」
 
 
「ダークチェリーとリンゴのクラフティ」
 
 
やっぱり力一杯食べてしまって、
2㌔痩せたはずのあの努力は水の泡。
 
♪ 分かっちゃいるけど、辞められない ♪
 
明日から心を改めま~す!!

穏やかな年明け

 
 
 
 
2016年が穏やかに静かに明けた。
 
昨年末、お風呂のリフォームのトラブルに巻き込まれ、
つい数日前まで、家が工事現場になっていたことなどなかったかのように、
いつもどおりの年明けである。
 
お天気がよく、気温が高いせいか、とりわけ穏やかに感じる。
昨年のお正月、元旦はたしか雪が舞っていたと思うので、
お天気や気温で人の気持ちが左右されるのを感じる。
 
朝、実家帰りしている娘達が目覚める前に、ひとり起きだし、
キッチンでおせち料理の最後の仕上げに鯛を焼いた。
 
おおぶりの鯛はグリルで焼いただけでは中まで火が通りきらない。
そのまま、グリルで保温している間に、
お客様仕様のお皿や祝い箸などをリビングのテーブルに並べる。
 
毎年恒例の元日の朝の準備なのだが、
これまた例年と変わらず9時頃、一番いい感じに日が差し込んで、
並べ終わったおせち料理には柔らかな光が注いでいる。
 
そのタイミングで写真撮影をしてから、2階の娘達に声をかけた。
娘達もリビングに広がる毎年恒例の風景ながら、
スマホでテーブルの上の料理を動画撮影などしている。
 
ちっともおせち料理作りの手伝いなどしないくせに、
とりあえず撮影はしてくれているところをみると、
この母親の行き過ぎた趣味を受け入れてくれてはいるようだ。
 
「今年の黒豆、しわひとつなく、上手に煮えたわ~」と私が言えば、
娘達は「それ、去年も言ってたよ」とにべもない。
「このたつくり、今年は特に甘さの加減が絶妙!」と言った時も、
「ハイハイ」のひとことだ。
 
それでも「ひととおりのもの、すべてに箸をつけること。
でなければ、新しい年が始まらないのよ」という、
これまた毎年の繰り言に従い、
好き嫌いを言わせない我が家のしきたりを守って、全品食べている。
 
毎年同じように新年をお祝いできるというのは、案外難しい。
家族とは言え人が出入りするし、
おせち料理も心と体が健康でなければ作る気持ちにならないかもしれない。
 
そんなことをどこかで気づいているからこそ、
毎年、作れる内は、作れるものは作って、
家族で祝い膳を囲みたい。
 
娘達を見ていると、以心伝心でそれが伝わっているのかなと思う。
 
今年一年、穏やかに健康で過ごせますように。
 
まめに健康で暮らすため黒豆を食べ、
たつくりは子孫繁栄、
紅白なますはお祝いの意味、
鯛はめでたい・・・と。
 
毎年、急に田舎のばあばみたいになる母親にあきれつつ、
元旦から食べ過ぎの娘達なのであった。