2016年4月30日土曜日

総持寺で1日禅体験

 
 

 
ゴールデンウィーク2日目の今日、
鶴見にある曹洞宗大本山総持寺で、1日禅体験をしてきた。
 
鶴見大学の生涯学習講座のひとつだったのだが、
鶴見大学と総持寺はお隣どうしで深い関係があるらしく、
総持寺のイベントといっても過言では無い内容なのに、こうした講座がある。
 
禅の教えや座禅、写経などには前々から興味はあったのだが、
旅先のお寺で精進料理をいただくぐらいで、なかなか体験できずにいた。
 
なので、春の講座案内に
「大本山総持寺で禅をはじめよう  ー静かに己を省みる機会としてー」という
タイトルを見つけたときは一も二もなく申し込もうと思った。
 
内容は
9時45分集合で、まず座禅のできる恰好に着替え、説明や諸注意を受ける。
10時から11時10分まで写経。
11時30分から精進料理のお食事。
12時30分から、総持寺参禅室長 花和浩明老師の法話。
2時から座禅堂にて50分の座禅。
3時から修行僧による総持寺諸堂拝観。
4時解散。
 
そう、かなりの盛りだくさんな内容の上に
輪島塗の総持寺ネームの入ったお箸のお土産付き。
かなりサービス精神旺盛なお寺さんである。
 
参加者は募集定員いっぱいの50名。
男女比はちょうど半々。
参加者は20代から70後半までと、守備範囲の広さにビックリ。
 
事前の持ち物ルールなどもかなり厳しく、
パチパチのジーパン不可。シャカシャカ鳴るシャカパンも不可。
イヤリングやネックレス、濃い化粧や匂いの強い整髪料も不可。
ストッキングも不可で座禅の時は素足になると書いてある。
 
また、座禅のお堂は冷えるので、何か羽織るものがあるとよいなどと丁寧だ。
 
写経をする広々したお部屋の中央にも仏様が奉られており、
私達の所行を見守っていて下さる。
 
席は自由で、私は中央の前から3番目に座った。
 
写経を始める前に老師が「座り座禅を少しして、心を整えましょう」といわれた。
背筋を伸ばし、顔は真っ直ぐのまま、目線だけ45度落とすと半眼になる。
すると自分の机の向こう端に前の人の椅子が見え、
70代男性の妙に濃いピンク色の素足のかかとが見える。
 
『ちょっと生々しくて嫌だな』と思う間もなく、
視界がぼんやりして、ものの輪郭が分からなくなった。
そうやって呼吸を整え、少し心が静まったのを感じてから、
用意されている小筆を取った。
 
みんなが使い回した小筆は毛先が1本にまとまらず、
最初の1行は1字書く度に墨をつけないと書けない。
「般若心経」を書き写すのだが、下のお手本が透けているけれど、
正確にはわからない漢字も多く、あちこちで半紙をめくってお手本を見る音がする。
 
私はすぐ後ろの男性がさっきから咳払いをするのが気になって、
思わず後ろを振り向いて顔を見たくなるのを我慢する。
 
しかし、5行ぐらい書いた頃だろうか、1度墨をつけたら行の半分ぐらいまでは
書けるようになって、
筆の抑揚、止めハネのリズムみたいなものが様になってきた。
 
いつのまにか後ろの男性の咳払いも止んで、
広い部屋には50人の集中する気配が満ちて、凛とした空気になっている。
 
私も最後の「為 心願成就」と年月日、名前を書く頃には、
思うように筆が運んで、自分の心が静まり、落ちついているのを感じた。
 
場所を移しての精進料理のお食事も作法に則り、
箸袋の裏に書いてある「五観の偈」をみんなで唱和してからいただいた。
思いの外、見た目も贅沢な感じで、味付けもしっかりしていて、とても美味しかった。
 
午後はいよいよメインイベントの座禅。
 
修行僧の雑巾がけで有名な750メートルあるという長い長い廊下を
若いお坊さんに連れられ、奥へ奥へと進むと、
座禅の為のお堂に着いた。
 
薄暗い堂内には立派な文殊様が奉られている。
壁に向かって参加者50名がひとり一畳のスペースの前に立ち、
作法に則って、畳の台によじ登り、クッションみたいな丸い座布団をお尻に敷き込み、
座禅を組む。
 
総持寺では例のパシッと肩を叩くあれは、
自分が眠気や心の乱れを感じた時、合掌して修行僧にその意思を伝え、
少し前屈し頭を左に傾け、右肩を叩いていただく。
 
自分から所望しない限り、
後ろに来て、いきなり肩をパンパンされて、バシッとされることはない。
左右の人が誰かやってくれないかなと期待しつつ、誰もお手本を見せてくれないので
結局、私はやらず仕舞いになってしまった。
 
座禅は思い切り組んだ下の足の甲が痛くて、長時間、持つかなと心配したが、
暗い堂内で半眼になると壁と畳との境目あたりに薄明かりが差していて、
それをぼんやり見ながら浮かんでくる邪念を受け流している内に、
痛みもさほど感じなくなり、自分が微動だにせず座っているのを感じた。
 
20分が終わると鐘が鳴らされ、一度土間に降り、歩き座禅をいう座禅に移る。
呼吸を長く吸って吐いて、半足(15㎝)進む。
まるで国会中継で見た「牛歩」にそっくり。
それを5分続け、また、自分の畳に戻って20分の座禅だ。
 
後半の座禅を組んでいる最中、
ふいに去年の暮れに亡くなった友人の今の様子が脳裏に立ち現れた。
 
彼女は今、今度はメキシコ人に生まれ変わろうとして、
どの両親の元に生まれようか捜しているところだという。
今度は男性になるみたいだ。
 
赤ちゃんはあらかじめ天国でこの親の元に生まれると決めて降りてくるという話は
聞いたことがある。
 
信じるも信じないもその人次第だが、
私は彼女が亡くなって約半年。
すでに、次の人生を見つけようとしていると知って、嬉しくなった。
 
もちろんこの話を信じる人も信じられない人もいるだろう。
 
私は、彼女が67才という少し短い命を終えたけれど、
成仏したからこそ、転生できるのだと信じたい。
 
暗いお堂の中で自分の口角が上がり、静かな笑みが浮かんだのを感じた。
一度座禅や写経を体験したかったというミーハーな考えで
今回の講座を受講したと思っていたが、
「このことが知りたかったんだ」
そう思い至った時、
座禅の意味が少しわかった気がした。
 


2016年4月24日日曜日

初対面 それぞれの心遣い

 
 
 
 
 
 
長女が生まれて初めて結婚を前提におつきあいしている人を親に紹介するという。
 
未だかつてないこの状況に、我が家はてんやわんやの大騒ぎ。
 
残念なことに次女はその日、友人の結婚式に出席のため、参加出来ない。
こんなおもしろい事件(?)に立ち会えないなんてと嘆くことしきり。
 
ダンナはこのために急遽、バンコクより一時帰国した。
なのに、肝心の当日、七里ヶ浜の友人グループとのテニスに出掛け、
案の定、帰り道に車が渋滞し、来訪時間ギリギリに帰宅するという30年来のいつもの手。
彼特有の照れ隠しなのであるが・・・。
 
それでも、前日から、新しいコーヒー用のポット(コーヒーを入れるのは夫の役目)
娘の名前と同じ名前の焼酎などが、次々宅急便で届いて、
彼なりに待ちわびている様子が伝わってくる。
 
もちろん料理当番の私は
娘のリクエストの手羽元のオーブン焼きやキッシュ、
彼がポテト好きという情報に基づいたポテトのチーズ焼き、
ダンナにも顔を立ててギリシャ風サラダ、
得意のガトーショコラなどを用意して、準備万端。
 
来訪する彼の方は第一印象が大切と、娘に入れ知恵したので、
新調したジャケットとパンツと靴を身につけ、
会社の近くの有名な和菓子屋さんで求めたという最中と栗饅頭という渋いお持たせ。
 
娘まで、大きな花束を抱きかかえ、
「お誕生日だから」という。
ついこの間、バースデイ・ランチを表参道でご馳走になったのに・・・。
 
こんな風に4人4様。
それぞれが初めて会う相手のために、いろいろ考えていることがわかり、
嬉しいし、可愛い。
 
肝心の娘の彼の第一印象はというと
背が高くて、笑顔のさわやかな好青年という感じ。
 
かなり我が家にカルチャーショックを受けていて、緊張している感じもあるけど、
素直ですれていない。
そして、よく食べ、お酒も強い。
 
我が家には男の子がいないから、
ダンナは男子の話し相手が出来、嬉しそう。
いつになく饒舌に話している。
 
堅い挨拶もなく、将来のふたりの展望については、全く触れないので、
「ん?この先、どうすんだ?」と母親としては一抹の不安も残るが、
『急いては事をし損じる』
きっとダンナはそんな風に考えたのだろう。
 
夜11時、もはや千葉まで帰る手立てのなくなった彼が
娘とどうしたのか。
野暮な詮索は無用なれど、ちょっと複雑。
そんな心境をダンナはファミリーLINEで吐露しつつ、
最後は「Nice Guy」と書いていたから、ダンナのジャッジはOKサインなのだろう。
 
心配している次女も
「もしかして、盛りあがった感じ?」と
友人の結婚式の2次会からエールを送ってきて、
ファミリーLINEにはハッピーモードのスタンプがあちこちから連打されたのであった。

2016年4月22日金曜日

彼のためのガトーショコラ

 
 
 
今日は朝からいそいそとガトーショコラを焼いていた。
本番は明日の夜だが、ガトーショコラは1晩寝かせた方がおいしいからだ。
 
1ヶ月ほど前、娘達が避難用袋とヘルメットを取りに実家に戻ってきたとき、
長女からその話が浮上した。
 
「4月のパパの一時帰国の時に、会わせたい人がいるんだけど・・・」
 
きた~!きたきた、遂にきた~!!
という感じだろうか。
 
妙齢の娘をふたりももちながら、
今日まで、その手のドラマのようなセリフを未だ聞けずにいたのだが、
遂にその日がやってくることになった。
 
しかし、あり得ないことに肝心のダンナが
4月9日からのバンコク最大のお休みウィークには
たった1枚のエアチケットが取れず、日本に帰れないという。
 
されど、娘からの「えーっ、その時に紹介したい人がいたのに・・・」の
セリフに反応しない父親はいない。
 
その後、必死にチケットを捜したらしく、何とか4月20日から26日まで
半年ぶりに日本に帰って来ることになった。
(目下、無事帰国中)
 
娘に彼を引き合わされる父親の心境は複雑だとは思うが、
母親の私はルンルンでどんな彼を連れてくるのかとても楽しみだ。

明日は
娘がどんな家庭に育ったのか見てもらうために、外食ではなく、
我が家にきてもらうことになっているので
私は腕に寄りをかけて料理を作るつもり。
 
とはいえ、頑張りすぎると後が続かないので、
目先の変わったパーティ料理とかではなく、娘の好物を並べるつもり。
その最後の〆が今日のガトーショコラだ。
 
ついさっき、娘からのLINEで
「ポテトのオーブン焼きも入れてね。彼もポテトが大好きなの」と言ってきた。
 
ふむふむ、ポテト好きの彼ね。
料理ベタの娘に代わって、まずは義理母が彼の胃袋をつかまなくっちゃ!

さあ、どんなお母さんに思われたい?
若いお母さん?きれいなお母さん?
で、何着る?
 
と、生まれて初めてのシチュエーションにウキウキしている義理母なのであった。

2016年4月16日土曜日

初の酒器揃え 完成

 
 
 
陶芸を初めて3年半。
初めて酒器なるものを作ってみた。
 
工房で一緒のおじさん達は「またですか?」といいたくなるほど
ぐい飲みを作るのが好きだ。
しかし、私は徳利はもちろん、ぐい飲みさえも今まで作らずに来てしまった。
 
我が家がワイン党で日本酒をほとんど飲まないからというのがひとつの理由で、
もうひとつの理由は、とにかく徳利は作るのがとても難しそうなので、
延ばし延ばしになっていたというところだ。
 
実際に作ってみての感想は
想像以上に難しい。
 
最初に決めた土の量を上手に使って最後の口まで仕上げなければならない。
後から口のところだけ足すとかいうのはなしである。
 
まず団子状の土の真ん中に穴を掘り、徳利の底を作って、
後は同じ厚さをキープしながら上へ上へと土を延ばしていく。
それから徐々に土をすぼめて肩を作り、一度思い切ったくびれを作る。
そこから残りの土を今度はひろげて注ぎ口の形を成形する。
 
一度すぼめてしまったら、中に手を突っ込むことはできないから、
厚さが均一に行かなかったとか、もっと背を高くしたかったとか、
田舎くさい凹みとかのないシュッとした形にしたかったとか・・・
いろいろ思ってももう後戻りは出来ない。
 
しかも、ちょうど1号か1合ちょっとぐらい入る徳利に焼き上がってほしくても、
どの位の大きさに作っておけば、焼き締め後に丁度よくなるのか
皆目検討がつかない。
 
と、不安は尽きずに、大きさも大きすぎたと内心悔やんでいたのだが、
今日、本焼きが出来ていたら、あらやだ!
大きさは狙っていたとおり。
 
田舎くさい凹みは持つときに指が収まりがちょうどいい。
 
釉薬は得意の織部の上に失透という白をかける方式のバリエーションだったが、
これもなかなかいい感じ。
 
特に余り物の土で作ったおへそ付きの小皿は
釉薬の表情が思い描いていた以上の上出来だ。
 
酒の肴の「いくらの醤油漬」とか「イカの塩辛」とか「からすみ」なんざ、どうだろう。
緑の地色には反対色の赤やオレンジ系のものを
ちょこっとのせたいものだ。
 
まあ、そんな風に日本酒と酒の肴に思いを巡らせても
悪玉コレステロール値が高くて、アルコールは控えるように言われている我が身。
 
たしなむ程度にしかいただけないのが辛い現実だが、
陶芸を始めた理由のひとつが、自分の料理に合う器を創りたいということだから、
命懸けで、この徳利とぐい飲み、そして小皿にあう酒の肴を用意して
ちょいと楽しみたいものである。
 
あ~ぁ、
馬鹿は死ななきゃ治らない~♪
(まだ、酔ってませんよ~)
 
 


2016年4月12日火曜日

ワーカホリックな誕生日

 
 
 
4月12日は私のリアル誕生日だ。
しかし、すでに10日の日曜日に娘達にバースディランチをご馳走になっているので
当日の今日は誰も何とも言ってこない静かな1日だった。
 
そんなことは想定内なので、気にもかけず、
私は朝も早くからアトリエに籠もって、
新作のトレペに起こした原画を、版木に転写する作業に取りかかった。
 
何しろ、大きな作品になる予定で、作品の真ん中で分割して版を作らねばならず、
その分、版木の数にして6枚、
両面に転写するから都合14~15版(1面に2版とれるところもある)にもなる
膨大な量の版を、今日1日で転写しなければならない。
 
2日に分けて転写してもいいようなものだが、
なぜかゲージが違うというか、体内リズムが日によって違うというか、
同じ日に一気に転写しないと、摺った時にズレが生じたりする。
 
というわけで朝食を採った後は、どっかり彫り台の前に座り込み、
ひと言も発せず(当たり前だが・・・)黙々と作業に没頭した。
 
夕方までに仕上げねばと予定していたが、
昨日の夕方、証券会社の担当の女性から電話があり、
投資信託関連の書類に不備があり、
1箇所サインが必要なところがみつかったため、
今日の1時に自宅まで来てくれることになっていた。
 
その時ばかりは作業の手を止め、応対しなければならず、
さすがに多少は化粧も施し、スウェット上下もこざっぱりしたものに着替えた。
 
すると、4月から新しく担当になったばかりのYさんが
紙袋からかわいいお花のアレンジメントを差しだし、こう言った。
「今日、お誕生日ですよね。おめでとうございます」
 
書類を点検している時に、今日が正に誕生日だということに気づいたらしく、
わざわざアレンジメントを買ってきてくださったのだ。
 
すっかり誕生日は済んだことになっていたので、
とても嬉しく、心がほっこりした。
 
いくつになっても、誕生日は誕生日。
 
「して、おいくつになられたんですか?」
とは、訊かないYさんの大人な対応に感心しつつ、
書類にサインした後は、
ちょっとウキウキしながら、夕方まで作業は続いたのだった。
 


2016年4月10日日曜日

バースデイ・ランチ

 
 
 
火曜日に私の誕生日がくるのを祝って、
娘達が先んじて、誕生日ランチをセッティングしてくれた。
 
場所は表参道の駅からほど近い「CICADA」というレストラン。
コンセプトは「地中海料理を楽しむ表参道のリゾート空間」ということらしい。
 
スタッフもお客さんも若い人で賑わっており、
今、予約の取れない人気レストランとのこと。
 
長女がセッティングして、次女が「行きたかったところ!」と反応していたから、
トレンディな場所なんだろう。
 
本人としては特段節目の歳ということでもなく、通過点みたいな年齢なのだが、
やっぱり娘達がお祝いしてくれるのは嬉しいもので、
嬉々としてオシャレして出掛けた。
 
お店の前で会うなり「派手だね」とまず長女の第一声があり、
席について、しばらくしてから、
ここのところ半徹夜が何日も続いているという次女が合流。
 
3人寄れば文殊の知恵というより、ただただ姦しいひとときが過ぎていく。
 
本日のメインテーマは長女の結婚問題で、
年頃の長女が遂に紹介したい人がいるという話で大盛り上がり。
 
今は海外勤務のダンナも急遽、一時帰国することになったのだが、
男親にいかに彼を会わせるか、
その段取りやら打ち合わせやらで、
誕生日は単なる名目と化して、女達の談合はいつまでも続いた。
 
娘にこうした話題がでるのは遅すぎるぐらいのもので、
私が歳を取るのもむべなるかな。
 
ここへきてようやく自分が母親だったということを再認識した1日だった。
さあさあ、このお話、あんじょう前に進みますように。
通過点の誕生日が思い出深い誕生日になることを祈るばかりだ。
 
 

2016年4月7日木曜日

「そうだ 京都、行こう。」満開的中!

 
 
 
 
 
 
今日は横浜にも京都にも雨が降っている。
きっと、この雨で満開の桜は散ってしまうだろう。
 
そんなはかなくも美しい日本の花『桜』を求めて、
昨日一昨日の2日間、友人と京都に行ってきた。
 
京都の桜を愛でるため旅したのは、今回で3回目なのだが、
前回は自分の版画の展覧会の会期をからめたため、
4月10~12日までの日程だった。
 
その時はソメイヨシノの見頃は終わっていて、
しかし、平安神宮の紅しだれ桜や仁和寺の御室桜など
遅めに咲く桜の満開にドンピシャ当たって、それはそれは美しかった。
 
今回は日程を4月4~5日と少し早め、
ソメイヨシノの見頃を狙って、2月には申し込み、楽しみにしていた。
 
しかし、暖冬のはずが3月に真冬並みに寒くなったり、冷たい雨が降ったりして、
開花時期も予想とずれたし、開花しても寒さで足踏みして、
いったいどうなることやらと気を揉んだ。
 
あとは運を天に任せて、出発を待っていたのだが、
あけてみれば、前日の雨もからりと上がり、
京都は22度、薄曇りの風もない穏やかなお天気。
 
そして、ソメイヨシノは見事に満開!
 
京都の町は寺社仏閣のお庭はもとより、
鴨川沿いも公園も個人のお宅のお庭もソメイヨシノでピンク一色。
 
京都ほど桜の種類が多いところはないと聞いていたけど、
ソメイヨシノの本数は圧倒的で、それが一斉に咲き誇る様は
極楽浄土かしらと思うほど。
 
ただ、極楽浄土には人・人、また、人が押し寄せているのも事実で、
とりわけ、中国語とハングルはどこにいってもかしましく聞こえてくる。
 
どこでそんなマニアックな情報を調べたのかと驚くほどに、
小さなお寺も夜景の桜も、キモノレンタルも、外国人に席巻されていた。
 
それが今回のお花見旅行でビックリしたことだが、
やっぱりそれにも増して驚いたのが、
京都の桜の見事さだった。
 
とりわけ美しかったのは
醍醐寺にある霊宝館のお庭の『白山大手まり』という
くす玉のように花が咲く濃い目ピンクの桜。
 
前回、醍醐寺で偶然にみつけ感動した桜だったが、
今回も満開の時期に見ることが出来、やっぱりその美しさと豪華さに圧倒された。
 
前回は昼間に行った二条城は、今回は夜、ライトアップされたものを観たのだが、
これまた、素晴らしかった。
 
お城の堀にもライトアップがなされていて、
桜はもちろん美しいが、城壁には水面の揺らぎが映し出されて、何とも幻想的。
水と桜が合わさると一服の絵のようという表現があるが、
正にベスト・コンビネーションで、風情を感じる。
 
かの有名な円山公園の1本桜も夕食前の夕方に観た姿と
食後の夜のライトアップされた姿では、完全に夜に軍配があがる。
 
周囲にかがり火が炊かれ、ぼんぼりの立ち並ぶ向こうにそびえ立つ桜は
神々しいまでに美しく、夜空に映えていた。
 
水と桜といえば、
2日目の最後に行った「哲学の小径」の疎水沿いに植えられた桜も
想像以上に美しかった。
 
ソメイヨシノだけではなく、もう少し白っぽい吉野の桜と同じものや
葉っぱと花が同時に咲く品種など多くの種類が疎水沿いにずっと植えられ、
その枝が疎水へと手を伸ばしたようにしなだれかかっているのがとてもよい。
 
少し散りかかった花びらが、疎水の水面に落ちて、
流れにまかせて下っていくのを観ていると、
素人の私でも一句ひねりたくなるというものだ。
 
同行の友人とはだいぶ前に秋の京都に来たことがあり、
その時も南禅寺と哲学の小径は訪れているが、
「その時は気づかなかったけど、こんなに桜がずっと植えられていたのね」と
印象が全く違うことに感嘆しあった。
 
その美しさとはかなさと。
 
日本人に生まれ、
日本の春を誇らしく思うこと。
 
季節を愛でて、五感で堪能し、そして、今あることに感謝する。
 
『而今』(にこん)
 
今一番気に入っているというか、ピタッときている禅の言葉なのだが、
「今この時を大事に、一日一日を大切に生きる」という意味だ。
 
春爛漫の桜を観ていると、改めてその想いを強くした、
そんな雅でゆかしい京都の桜でした。
 
 
 
 

2016年4月3日日曜日

石田組 組長はもちろん石田様

 
 
みなとみらい大ホールで行われた石田組のコンサートに行ってきた。
 
主催は公益財団法人アイメイトという
盲導犬の育成と使用者とのペアをコーディネイトしている団体だ。
 
コンサートの収益金をその運動に当てるためのチャリティコンサートで
今回で15回目になるという。
 
毎年、いろいろな演奏家にお願いしてコンサートを開き、
コンサートの収益金や寄付金を募ってきた。
 
というわけで会場には20頭ちかくの盲導犬とその使用者もいて、
協会関係者も多く、いつものコンサートとは違う雰囲気だった。
 
はっきりいえば、普段コンサートなどには来ていない人が多かったようで、
5分前の鐘が鳴っても空席が目立ち、
定刻過ぎてから着席する人も大勢いて、何だかざわついた感じ。
 
コンサート中も咳をする人がやたら多く、
私の近くで途中退席した人もひとりやふたりじゃない。
 
更に隣のおばちゃんは演奏時間のほとんどを
すごい寝息でゴーゴー寝ているし、
通路挟んで隣のおばちゃんも寝ていたせいで、膝の上のチラシが滑り落ちた。
 
きっとこういうの石田様嫌いだろうなと心配しつつ聴いていたが、
今日の舞台上の石田様は相当機嫌がよさそうで、
気持ちよさげに演奏していた。
 
『石田組』は男性ばかり14人の演奏家集団で、
13人の弦楽器奏者とひとりのピアニストで構成されている。

その名前が示すとおり、 
メンバーすべてが石田様のお声掛かりで集まっているので、
いってみれば全員が石田様の信奉者ということになる。

そのせいか、
いつもは寡黙で「こんにちは」のひと言しか発しないことで有名な石田様が、
こともあろうに全員のメンバー紹介をした。
 
「こんにちは。今日はありがとうございます。では、石田組の組員を紹介します。
ここにいるメンバーは全員、僕のことが好きです。
そして、僕もみんなのことが好きです」と笑いをとりながら。
 
ここのところ、五分刈りにそり込みまでいれて、どんどん危ない風体になって、
その筋の人みたいと心配していたが、
正に石田組の組長として、みんなを仕切っている感じは
はまり役である。

きっと石田様は根っからの親分体質なんだと思う。
 
演奏した曲目は
グリーク:組曲「ホルベアの時代から」
シューベルト:弦楽三重奏曲第2番 変ロ長調D581
ヴィヴァルディ:「四季」
 
半円形にずらり並んだ弦楽器奏者と1台のチェンバロの真ん中で
ひとりオーバーアクションでヴァイオリンを弾く石田様の姿は美しく、
ファンならずとも惚れ惚れする。
 
もちろん私はファンなんだけど・・・。
 
私は初めて石田様の弾くヴィヴァルディ「四季」を聴いて、
ここのところピアソラものに偏っていたので、
改めて彼の音楽性の高さを見た思いがした。
 
大ホールいっぱいに響き渡る弦楽器のふくいくとした音色は
きっと盲導犬の傍らの人達にも温かなものを運んでくれたに違いない。