2023年9月30日土曜日

4年ぶりの「天然忌」









2019年の9月以来
実に4年ぶりに「天然忌」を行うことができた。

天然忌は
表千家では第6代家元如心斎天然宗左居士を偲んで
家元では毎年9月13日に営まれる。

如心斎は表千家「中興の祖」と呼ばれており、
天然忌では家元の残月亭の床に
円相のお軸が飾られ、
その手前には三田青磁の花瓶に
白い芙蓉の花が1輪活けられる。

我がお茶の先生は家元に倣って
お道具組を整えられるのが常なので、
今回も円相の軸、
三田青磁の花瓶に見事な白い芙蓉の花が
飾られた。

お花は本当に生ものなので、
今年のような猛暑では思うに任せなかったと
思うが、
数日前から先生のお庭の芙蓉が咲き始め
今朝一番に切った芙蓉が
正に天然忌のために咲いたかのような
凛とした姿ですっくと立っている。

芙蓉は1日花なので、
お昼ごろには萎みかかる。
それまでのちょっとした時間に
内緒で撮った写真が上のものである。
(デカシタ!!)

会は4部構成で
まずは「お茶とう」といって
如心斎を偲んでのお献茶、
次に「且座」
お昼を挟んで
「一二三」「花月」と続いた。

お社中は8名のお弟子と先生という人数で
今回はあみだくじで役割を決め、
私は「お茶とうの正客」と
「一二三の末客」が割り振られた。

いずれも普段のお稽古ではできないような
お茶のゲームとでもいうようなものなので、
それぞれ割り振られた役の予習をして
会に臨むことになる。

幸い私の役はお客さんの役ばかりだったので
予習もさほど難しくはなく、
むしろ参加していない「且座」と「花月」の
当日の他のメンバーの所作を見学することが
本日の主なるミッションだった。

それにしても9月末だというのに
暑さはいっこうに収まる気配もなく、
単衣ものとはいえ、着物を着て出歩くと
途端に汗が噴き出してきた。

9時半過ぎには北鎌倉の先生のお宅に着き、
10時には会が始まった。
そこから途中お昼をいただく間も含め
お座敷に直接正座すること4時間半。

やはり茶道は常に勉強と修行である。

お社中がこうして全員集合して
速やか、かつ、つつがなくお稽古ができることは
お茶をたしなむ者として
とても楽しく有意義な時間で、
足のしびれなど些末なことだと思うのだから
非日常もいいところだ。

本当にコロナ禍になって
何もかも変わってしまい、
みんなで集うことさえかなわなかったことを
思えば、
同好の士が集まってわいわいするのが
いかに幸せなことか分かるというものだ。

さて、帰宅して
早々に洗えるものは洗濯機に放り込み
単衣の着物はクーラーの風向口の真向かいに干し
気持ちを明日からの本摺りへと
切り替えた。
これが私の現実だ。















 




2023年9月28日木曜日

陶芸工房チャリティバザー

 











今日から日曜日まで、
いつも通っている陶芸工房で
陶器のチャリティバザールが開かれている。

こどもホスピスに入院中の子供たちに
役立ててもらうことが目的のバザーなので、
売上金は全額、病院に寄付される。

工房では数か月前から、告知され、
私達工房の会員も自分の作品で
売ってもいいものを持ち寄り、
会員の有志が価格を決めた。

昨日の夕方からセッティングを行い、
今朝から工房はバザー会場に変貌し、
会員が交代で売り子になるという段取りだ。

私は残念ながら、価格決めも
セッティングも参加できず、
今日の午後のお当番だけお手伝いする
ことになった。

まずは私達会員も何か買うことで
寄付に貢献できるので、
到着してすぐに、会場の器を見て回った。

工房の中も表も所狭しと器が並び、
上手に歩かないと、つい引っかけてしまうほど
テーブルからあふれんばかりだ。

先生が作陶した独特の紺色の釉薬のもの、
葉っぱを押し付けて模様を作ったたたら作りのもの、
5個組で創られた小鉢など、
先生の作品なのに情け容赦なく
とてもお安い値段がついている。

当然、他の会員のものも
100円200円に始まり、
どんなに高くても2000円どまりなので、
市価の9割引きぐらいといっていい。

私もいくつかは作品を持ち込んだのだが、
同じような価格設定で大放出だ。

どれか気に入ったものがあればと思って
会場を見渡すと、
一番奥のテーブルに
「このテーブルはバザーの主旨に賛同した方の
作品です」という張り紙と共に
友人の後輩の陶芸家の作品を見つけた。

少し前に友人がリュック一杯に詰め込んで、
寄付してもらったと聞いていた器たちだ。

工房では見かけない釉薬と肌合いなので、
とても新鮮な感じがした。
何と言ってもプロの創ったものなので、
精度も高い。
しかも同じように情け容赦なく安い値段だ。

私は迷いなくその方のシリーズから
ドレッシング入れと、豆皿と
足つきのお皿を選んだ。

こうしてまずは私も寄付するという名目の元、
気に入った器をキープし、
お当番に任についた。

工房の外で呼び込みのお姉さんをやりつつ、
訪ねてきてくれた方に声をかけ、
お決まりの品を新聞紙に包んで渡す。

それなりの数のお客さんが来てくれ
皆さん、あれこれ手に取り、
いくつかずつ器を購入し、
嬉しそうに帰っていった。

正にゴールデンウィークに友人と行った
笠間の火祭りという陶芸市を思い出す。

場所が鶴見市場という駅にほど近い
国道沿いの人気のない工房なのが
少し残念だが、
ご近所の方や会員の友達など
たくさんの方が見にきてくれるといいなと思う。

今日は徐々に暑くなって
2時過ぎには真夏日レベルの33℃になったので
さすがにぶらりと出歩く感じではなかった。

あと数日、
もうちょっと涼しくなって
「何かいいものないか、見に行こうかな」という
お天気になってほしいと願うばかりだ。















2023年9月26日火曜日

孫の心と秋の空

 
















シルバーウィークは沖縄に行っていた娘ファミリー。
なので、ばぁばご飯は2週間ぶりだ。

いつもどおり留守宅に入り込んで、
昼過ぎからせっせとご飯作りして
本日は9品。

あらかた娘が食材は買ってくれているが、
家から筍やきくらげなど持ち込んで
より本格的な中華になるようにして
たくさんの野菜が食べられるよう工夫した。

夕方、大声で「ただいま~」と
帰ってきた娘と孫たち。

沖縄の海とプールでたっぷり遊び、
水着の跡もくっきりの小麦色の肌。

ふたりが我さきにと
旅の出来事をおしゃべりしてくれる。

これが食事時にまで続いて、
今日はちっとも食事が進まない。

ふたりして手羽中のオイマヨハニーと
鶏むねのパリパリチキンに手を伸ばし、
ふたつ目も欲しがるけど、
お皿に盛られた他の野菜類が
丸々手つかずだ。

ママは「お野菜食べてからね」と素っ気なく、
お肉のお替りは断固、拒否。
オーママも「せっかく作ったのに
そんなにお野菜食べないなら
来週からもう来ないからね」とおかんむり。

「大根サラダにネギがのっているから嫌」と
孫1号。
「れんこんに胡麻がついているから嫌」と
孫2号。
「お汁にきのこが入っていて食べられない」と
孫1号。
「よけて食べればいいでしょ」と
ママ。
「カリフラワーのグラタン、ちょうだい」と
孫2号。
「全部食べてからね」と
ママ。

こんな感じの攻防がはてしなく続く。

ふたりして女心と秋の空だか
何かしらんけど、
ムラ食い女王様ぶりがひどい。

半ば、強制的におどしをかけて
何とかかんとか
お皿に盛った大根サラダとコールスローと
白菜と春雨の中華スープを食べきった。

子供の食育は本当に一筋縄ではいかない。

快調に食べていたかと思うと、
ある時期からイヤイヤ期に突入する。

基本、食べることの好きなふたりだが、
夏の疲れか、旅の疲れか、
本日はなかなかはかどらない1日だった。

「オーママは一生懸命、由依が食べるかなと
思って
作ったんだから食べてね」というと
孫2号はうなずいていたから
わかってはいるらしい。

さて、来週はどうなりますやら。
まだまだオーママの飯炊き当番は続く。































2023年9月18日月曜日

超絶技巧の世界に驚愕!

 


<木彫り> 月光


<木彫り> 歩歯

<刺繍> 王国

<木彫> 柿 

<金工> 真鍮製爪楊枝

<金工> 老犬独歩


<木彫> 菊

<ガラス> あなたに続く森






三連休は次女が実家に遊びに来ている。
中日にどこかに行こうということになり、
日本橋にある
三井記念美術館で開催中の
「超絶技巧、未来へ!」という展覧会を
観に行ってきた。

よく意味のわからないタイトルだが、
要は明治から現代まで、
日本人ならではの執着力と器用さと繊細さで、
考えられないような細かくて驚くべき手法で
できている工芸展ということになろうか。

ジャンルは
木彫・金工・漆工・陶磁・ガラス・刺繍などだが、
いずれもその常識を覆す表現だ。

ポスターにもなっている
大竹亮峯氏の木彫・月光は
月下美人の花を立体的に欅と鹿角で彫ってあるが、
その薄さと滑らかさは
木や鹿の角から掘り出したとは
到底、信じられない。

しかも、花瓶状の箱の中の水を吸い上げて
徐々に花弁が開くしかけになっている。

大竹亮峯氏は1989年生まれの34歳。
まだまだ本当に若い現在作家だ。

他にも
これは本当に木で創ってあるのかと思う、
革製にしか見えないグローブだとか
柿だとか、さくらんぼだとか…。

銀と真鍮で出来ている爪楊枝の束とか、
銀で出来ているプチプチ(梱包材)とか、
銅でできている紙袋だとか、ゴミ箱とか…。

これをどうやって作陶し焼成するのか
全くわからないが、磁土でできている
米粒みたいに小さい鎖が布状に織り上げられている
陶磁の作品とか…。

通常12本撚りの刺繍糸をほどいて1本ずつにし
細い細い細かい刺繍をほどこした
刺繍絵とか…。

鉄で出来ている無数の葉っぱを
身にまとった老いた犬が
歩いている姿とか…。
もちろん犬そのものも鉄でできているのだが
実に滑らかでしなやかな肌の質感だ。

そんな調子でどの作品も
度を越した細かさやら質感やら
元の素材からは想像もできないような
表現にたどり着いているのが共通している点だ。

それが明治時代の作家はともかく、
現代の30代ぐらいの若者が
アトリエに籠って、きっと1日中一言も発せず
こうした作品をのめり込むように創っているかと
想像するだけでゾワゾワしてくる。

次女はグラフィックデザイナー、
私は木版画家だが、
会場で作品を観ながら
「自分の子供がこういう仕事をしたいと言ったら
やめときなさいと反対するわ」と
意見の一致をみた。

なかなかというか呆れた充実ぶりで
十分見ごたえのある展覧会だった。

展覧会の後は、COREDO室町の4棟の中の
テラス棟の台湾料理屋さんでランチをし、
お上りさんよろしく
日本橋の麒麟象のところで記念写真を1枚。

澄んだ青い空(異様に蒸し暑い)を背に
近代的なビルが立ち並び、
道にはチリひとつ落ちていない風景を見て
インバウンドの人たちは日本の美しさに
驚くだろうなと感じた。

その日本橋界隈の近代的な建物と、
三井記念美術館の重厚かつ格式ある建物は
とても対照的なので、
現代生活と観てきた工芸品とのギャップが
ますます若き日本人作家と今の日本人の若者との
差に通じてしまい、
なんだか微妙な心理になってしまった。

私には到底できない所業だけど、
お金にもならず、時間ばかり異様にかかるけど
その技術と発想は唯一無二なんだから
「頑張れ!!」とエールを贈りたくなった。

京急に乗って1時間経つうちに
現実はちゃんと戻ってきて
夕方には、もれなくご飯作りの時間が
やってきた。

帰りがけに成城石井に寄り
ランチで食べた青いザーサイ(季節限定)と
生のバジルを買った。

夕飯は、最近、特に上手に焼くコツを覚えた
次女の好物の餃子をメインに、
カプレーゼと青梗菜ときくらげの炒め物、
わかめの中華スープなどを作った。

私の餃子は次女の思うおふくろの味
BEST3に入っている。

そこらへんの餃子の名店には負けないという
自負を胸に
本日も我が家の餃子はテッパンの美味しさに
焼きあがった。






























2023年9月14日木曜日

木版の脱皮記念日


 


















7月から8月半ばまでかかって
彫っていた木版の新作を
9月に入ったら、摺ろうと思っていた。

しかし、9月半ばになっても
連日の真夏日は変わりなく、
この先の天気予報を見ても
やはり暑い日が続く様子だったので、
しびれを切らし、今週の月曜日に試し摺りをとり
水曜日から木曜にかけて
本摺りをすることにした。

今回の新作は
6月の紫陽花展の時に出品した6点連作の作品に
ヒントを得て、
私の版画家史上初めての試みで
作品を創ってみた。

紫陽花展に出品した小品は3点ずつ
それぞれ同じ版を使っている。
いつもは版数の多い私の作品だが、
3点の内2点は
あえて全部の版を摺らず途中までの版で
ひとつの作品を摺り終わるというもの。

通常、多版多色摺りの作品は
準備した版をすべて摺り重ねていく。
例えば10版あれば10版摺り重ね、
色数は25~30色に及ぶ。

しかし、作者だけが知っていることだが
摺っている途中の段階で
必ずって言っていいほど
「ここでやめてもいい作品になりそう」という
瞬間がある。

例えば、雨と背景だけとか、
中心のモチーフとテーブルだけとか…。

それは決まって
和紙の白と木版の色とのバランスのいい時で
パキッと言い切った美しさがある。

そこで途中でやめたものを額縁の入れて
出品してみたというわけだ。

すると
紫陽花展でのお客様や仲間の評価は
案外、目いっぱい色を重層的に重ねた作品より
版数の少ない、和紙の白が残っている作品が
好評だった。

そこで「次作は紙の白を生かした
色数より彫り跡で魅せる作品を創ろう」と
決心するに至ったというわけである。

今回は2点連作なのだが、
雨の降る紫陽花の作品の紫陽花の葉っぱを
1版だけしか使わずに
彫跡だけの黒一色にすることにした。

当然、葉っぱにつられて
背景も全部摺りつぶさず、
グラデーションをかけて中央に和紙の白をだす。

雨の色に単色の白は使わず
4色の淡い色のグラデーションのみにする。
(白は背景の和紙の白とかぶるから)

紫陽花の花だけに色彩を使うが、
葉っぱが黒1色の線描きになると
その影響は花の色にも当然、及ぶ。

版数、色数を思い切って制限し、
いわば「色の断捨離」を行い、
今までの具象表現によりデザイン性を増して
スパッと言い切りの形に整える。

版数を押さえたことで
版木も少なくて済む。

そんなことを意識して版を起こし、
版を彫り進めてきたわけだが、
暑い暑い夏を乗り越え、
ようやく月曜日、試し摺りにたどりついた。

昨日の水曜日は日中に絵具の調合と
和紙の湿しをし重しをのせたが、
すぐに摺れるというわけではない。
和紙に均一に湿り気がまわるためには
5~7時間は間をおかなければならない。

しかも、夕方6時からはカウンセリングがあり、
帰宅したのは8時ちょっと過ぎであった。
そこから夕飯を食べ、お風呂に入ったら
何だかエネルギーが尽きてしまい、
少しでも気温が低い夜に
摺り始めようかと思ったが断念した。

せめて早起きをして始めようと
時計を5時半にセットして、
早めに床に就いたが全然眠れない。

しかたなく12時少し前にベットから起き上がり、
摺りスタート。

結局、真夜中に4時間ぐらい摺るという
半徹夜状態。

木版の摺りは和紙が縮むのをきらうので
加湿器をかけ、クーラーは使えない。

夜中とはいえ、気温はまだまだ高いらしく
バレンを持ってうつむき、
力を込めて摺り始めると
みるみる汗が噴き出してきた。

Tシャツ素材のワンピースを着ていたが
あっという間にびしょびしょになり、
正座している座布団にも
座っている形に汗が染みた。

眼鏡の下の縁に汗がたまるので、
それが作品に落下しないよう
手ぬぐいを手元に置いて
顔を拭き拭き作業したが
土木工事の作業員かと思うような汗まみれだ。

藝大の3年の時から
専攻を版画研究室に変え
これまでウン十年も制作し続けてきたが、
今までで一番過酷な摺りだったかもしれない。

早朝、一度はベッドに向かい仮眠をとり、
7時に再び起きて続きを摺った。

幸い、ダンナがゴルフで、朝、起きた時には
すでに出かけた後だったので、
自分のことだけすればいいのは助かる。

暑さは日が昇るとますますで
部屋のシャッターを下ろしてあるので
朝日がアトリエに差し込むようなことはないが
それでも外気温が上がってきているのが分かる。

もちろん、幾たびも強炭酸水に氷を入れ
カルピスを加えたものをガブガブ飲んだが
それでも何だか気が遠くなりそうなのは
もしかしたら「室内熱中症」に
なりかかっていたのかも。

こんなにしんどければ
1摺り5㎏ぐらい痩せてもいいようなものだが
そんな嬉しいお知らせは届いていない。

ただ、新しい試みは
予想以上にいい結果をもたらし(自画自賛)
出来あがってみれば、
「いや~、この先ずっとこの路線でいこうかしら」
と、思えるような出来だった。

今まで人から「絵かと思った」と言われると
いささかムカついていたが
考えてみれば、
版画には版画の良さがあるのに
それが出来ていなかったということか。

木版は色を重ねて深みを出すより
木を彫った彫り跡のシャープさこそが
信条なのかもしれない。

彫り跡を生かしつつも
自分のウリであるところの色彩もある。
逆に彫り跡が見せ場の黒い葉っぱに対して
細かい色彩が織りなす花の部分が際立ってくる。

そんな作品が出来上がった(と思う)

俵万智の
『「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日』
という有名な句があるが、
この作品は私にとって
大きく変身できた記念碑的な作品の気がする。

よく一皮むけたねという言い方をするが
正にそれ的な木版画のらしさに気づけた
作品だと思うので、
「木版の脱皮記念日」と言えるかもしれない。

ついでにこの作品のタイトルも
「記念日」にしよう。

今日は新しい表現に挑戦し、
形となって表れた日だから
新生萩原季満野の誕生日ということで。

俵万智もそのぐらいの軽いノリで
「サラダ記念日」に決めたと思うし、
なにより、実はサラダじゃなくて
あれはから揚げだったという話だ。

今宵、我が家の夕飯のメインは
梅しそとしそチーズ、
2種の鶏ささ身のフライであった。
から揚げではないが似たようなものである。

疲れた体は揚げ物とビールを欲している。
いやはや
お疲れ様でした!!