2019年11月29日金曜日

有閑マダムの銀座ランチ

 
 
 
 
 

 
 
かつて月に2~3度は銀座でランチをしていた時代がある。
子ども達が中高一貫の私立の学校に通っていた頃。
 
広尾にある会社で
コミュニケーションスキルの専任講師をしていた時期とも重なり、
何かと外で贅沢なランチをいただくことが多かった。
 
しかし、そんな時代は遙か昔。
今はママ友ランチの機会や
仕事仲間との会合ランチやディナー、
趣味友との食事会など、
ぱったりなくなった。
 
そんな交友関係の中、
年に数回だけ会うママ友のグループがある。
 
娘同士の交友は、今や皆無に近いのに、
当時、同じクラスの役員ママだったグループだけが、
卒業から16年もの年月が経ったにも関わらず、
続いている。
 
今日はその内のひとりが
銀座で日本刺繍のグループ展を開催しているのに合わせ、
4名が集合した。
 
もちろん刺繍の作品を先ず拝見し、
その後、銀座1丁目まで移動し、
レストラン オザミという
フレンチレストランでコースランチをいただくことになった。
 
毎回、どこで食事するかは
その年の幹事さんが選定してくれるのだが、
今回は肝心の幹事さんは出席できず、
レストランだけを予約してくれていた。
 
なので、私達4人の中で
このレストランを知っている人は誰もおらず、
どんな所か、どんなお味か、
全く知らずに行ったのだが・・・。
 
そこは期待以上に美味しく、オシャレで、
ストーリー性があって、凝っていて、
しかも、
リーズナブルなお値段だった。
 
コースには
花・鳥・水面・大地・雪崩などとタイトルが記され、
それぞれメインに使われている食材だけが、
ラディッシュ・サーモンとトマト
フォアグラと栗・洋梨とキャラメル
マスカルポーネとカシス
などと書かれている。
 
メインのお皿は
巻物=吉田豚のフィレ肉
艶美=仏産バルバリー鴨の胸肉
十人十色=本日の海の幸(真鯛のポワレ)
 
私達は全員なぜか吉田豚のフィレ肉を注文したので、
他のメイン料理を見ることが出来なかったが、
1頭飼いの豚のフィレ肉に
その豚で作ったベーコンが巻かれていて、
実に弾力のある肉質をもち、肉の旨みを上手に閉じ込めた
美味しいひと皿だった。
 
最後のデザートもラップされていたセロファンを取ると
ホイップされたマスカルポーネのクリームが崩れ、
カシスのムースに雪崩のようにかかるという
演出がなされていて、
見るものを驚かせた。
 
その上、お味も
カシスの酸味、マスカルポーネの濃厚なクリーム、
隠れて出てくるチョコレートなど、
いろいろな味のハーモニーが楽しいひと品だった。
 
今まで何十年も銀座ランチをしてきたのに、
なぜか私を含め、ママ友達も
このレストランを知らずにいたが、
これからまた来てみたいと思わせる
美味しいお店発見という感じだ。
 
ぐっと減った有閑マダムの銀座ランチ。
 
みんな暇じゃないし、
歳と共に、遠くまで出歩くのがめんどくさくなってるし、
フレンチなんて胃がもたれると感じているが、
そのどの理由も蹴散らして、
たまにはこういう時間もいいもんだと、
マダムのおしゃべりと飽食は夕暮れまで続いたのである。
 
 

2019年11月25日月曜日

高麗茶碗の展覧会

 
 
 
 
 
 
 
日本橋にある三井記念美術館で行われている
「茶の湯の名椀  高麗茶碗」という展覧会に
陶芸のメンバーと観に行って来た。
 
茶の湯の名椀というから、
お茶歴40年の自分には
必要な展覧会だろうと勢い込んで向かったのだが、
主に16世紀に造られた高麗茶椀は
その小ささや平たい形から
茶筅を使うには難しいものも多く、
今の茶道とはダイレクトに関係はないように感じた。
 
解説には 
高麗茶椀、つまり、朝鮮半島で創られた日常雑器としての器を
侘び茶の茶碗として見立て使いすることが、
室町時代末期から桃山時代にかけて流行したとある。
 
その後、日本向けに焼かれた茶の湯の茶碗というものもあって、
高麗茶椀といっても、
大きくふたつの流れに分かれるらしい。
 
茶道の祖・千利休さんはもっと後の時代の人なので、
高麗茶椀を見立て使いしたというより、
茶の湯に使いたいからこんな形にと
注文したのであろうか・・・。
 
それにしても、この展覧会、
三井記念美術館の館内には
見事に茶碗しか展示されておらず、
その数100個ぐらいあったかもしれない。
 
それもいわゆる楽茶碗とか京焼の華やかなものなどは一切なく、
ほとんどが飴色の釉薬がかかった無地の茶碗ばかり。
解説には「枇杷色の釉薬」と書かれていたが、
要は写真のような黄土色の茶碗ばかりだ。
 
その形によって
大井戸茶碗・三島茶碗・御所丸茶碗・粉引茶碗などに分かれ、
いずれもピアノ線で支えられ
決して倒れたりしないように
ひとつずつ恭しく展示されている。
 
そもそも年代物のエレベーターで三井の本館7階まで
上っている最中から
「ちょっといつもとは違うぞ」という空気に包まれ、
なんだか厳粛な気分になる。
 
会場に来て拝観している人も
上野の美術館にがやがや並んで、
ざわざわ見ている人達とは
ちと人種が違う。
 
私はエレベーターを降りたところで、
会場入口あたりに陶芸工房のメンバーの顔を見つけたので、
手を振り、駆け寄って、
「お久しぶり~。今日はよろしくお願いします。
先生はまだお見えじゃないんですね」などと
話しただけで、
受付の女性が飛んできて、
「他のお客様のご迷惑になりますので、
もう少し声のトーンを落としてください」と注意されてしまった。
 
以後、私達9名はものもいわず、
ひとつひとつ高麗茶椀をためつすがめつ、
上から覗き込んだり、
横からのシルエットを確かめたりして、
しずしずと進んだ。
 
最後の方は、もうどれを見ても同じ、
そう感じたのは私だけではないはずだ。
 
そうしたものに、やれ誰それの「箱書き」だ、
所有者は誰から誰へと渡った名椀だと
大騒ぎしているのだが、
元はといえば日常雑器だったのにと、
どれも大して見分けがつかない素人はあきれ顔だ。
 
展覧会を見終わった私達一行は
生暖かい夕暮れの日本橋を歩いて、
高島屋の新館にあるイタリアンで親睦ディナー。
 
台風襲来でうやむやになった陶芸の展示会の話や、
高麗茶椀についてのご高説を先生から聴きながら、
ホテルの朝食のようなバイキングメニューを
お皿に取り、
後はひたすら飲み放題のアルコールをあおった。
 
私自身は「石田組」のコンサートと重なって、
参加しなかった展示会後の講評会で、
先生が今年の私の展示を高く評価していたと知り、
少しビックリした。
 
陶芸はあくまで趣味だし、
ろくろは全く上手にならないし、
てびねりの器だからいつまでも素人臭いしと思っていたのだが、
意外に萩原季満野の世界観は確立しているらしい。
 
そろそろ陶芸も引き際かと思っていたが、
もう少し粘ってみるかと、
心が揺れた。
 
ひとつのことを始めたら
10年が最低の基準だとは思っていたが、
震災の年のお正月明けから始めた陶芸の世界。
 
ひたすら似たような茶碗を見ていると、
「もうどうでもいいわ」と思ってしまうようでは、
まだまだ修行が足りないに違いない。

2019年11月18日月曜日

引き籠もって 本摺り

 
 
 
 
 
 
昨日今日の丸二日間、
私は画室に閉じ籠もって、
木版新作の本摺りを決行していた。
 
版の彫りは夏の間に出来ていたのだが、
暑いと摺りの条件としては過酷なので、
ほどよい気候になるのを待っていた。
 
10月には紙風船の登場する小さめの新作を
2点、本摺りしている。
 
そこでつかんだ手応えを頼りに
81㎝×81㎝の大作に
満を持して取りかかったというわけだ。
 
もちろん先週1週間は試し摺りに費やし、
細切れに5日間ほどかけて
最終のイメージを作り上げてきた。
 
今回の作品は
紙風船と時計草の両方が画面にいくつも出てくる。
しかも帯締めをモチーフにした紐状のモチーフも
画面中に絡まっている。
 
大きな画面だからと
要素を増やしたせいで
何だか散漫なイメージになり、まとまりがないというのが、
試し摺りをしたときの感想で、
作者としては
「やばい!」と感じていた。
 
それをいかにまとめ、
言いたいことを表現出来るか、
そこに注力して、
少しナーバスな日々を過ごしていた。
 
表面上は孫娘のところにご飯を作りに行ったり、
友人と飲んだり踊ったりしているので、
お気楽に生きているように思われるだろうが、
版画家にとって試し摺りの最中が最も神経質になっている。
 
しかし、一旦、本摺りが始まってしまえば、
後は集中力と持続力と自分の感性を信じ、
丁寧かつ慎重に、作業を粛々と進めるしかない。
 
本当は湿度の問題で、
天気がよすぎるのは乾燥が進むので
あまり本摺りには適していない。
 
しかたなく雨戸(シャッター)を降ろして
晴れているんだか、曇っているんだか、
朝なんだか昼なんだか分からない状態にして、
ひたすら版木に向き合った。
 
大きな作品は一度に4枚摺ることにしている。
 
色数は約45色。
版数は約20版。
 
20版といっても版木にして
90センチ×90㎝の板、5面しかないので、
要は
1面にあちこちに取り回して複数版、彫ってある。
(カギ見当と引きつけ見当1セットで1版と数える)
 
私は術部を出すという言い方をしているが、
必要のないところは広告紙で覆い、
今、摺る部分だけが出るようにしている。
 
その作業が思いの外時間をくい、
また、ミスを誘発することにもなる作業なので、
神経を使い、疲れる。
 
結局、2日間で作業は17時間ぐらい。
その間、ほとんど正座して、
前のめりになって力仕事をしていたことになる。
 
今回の2日間は
作品タイトルが「愛しい記憶」なので、
1980年前後に流行したヒットメドレーを延々と流していた。
 
だから、
何度、甘いとき弾む心で
もんた よしのりと踊ったことだろう。
 
また、ベージュのコートの女なんてそこら中にいるんだから
いつまでも女々しく指にルビーのリングを
捜すなよと思ったことか。
 
郷ひろみとは何度も青い飛行船に乗り、
「生きてるだけじゃ淋しいよ」と言われれば、
そうだそうだと頷いた。
 
そして、
飾りじゃないのよ涙はHAHA
好きだと言ってるじゃないのHOHOと
明菜を気取り、
 
中村雅俊に何度となく
馬車道あたりで待ち伏せされて
「このまま指でいかせてくれ」と頼まれたことか。
 
ヤレヤレ。
 
どんなに摺っても摺っても終わらない。
なのに、三度三度のご飯は作らなければならない。
意外とこんな時なのに、
鶏もも肉を酒と醤油のつけ地つけ込み、
上に大量の刻んだ長ネギと豆鼓(中華材料)を乗せ、
オーブンで焼くなどという
新メニューを開発したりして、
手抜きはしていない。
 
版画の摺りはとにかく体力勝負なので、
肉と野菜をしっかり摂取し、
チョコレートやお団子なので、糖分を補給し、
乗り切る必要がある。
 
さあ、二日間引き籠もって制作した新作の評価はいかに。
 
4枚共、ミスなく摺りおおせたので、
後は皆様の評価を仰ぐだけである。

2019年11月13日水曜日

Dancing Night

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いつもはすこぶる真面目に生きている5人が、
とある居酒屋が主宰するライブで、
飲んで、食べて
おしゃべりして、踊るという一夜を過ごした。
 
まあ、人はだいたい日常は真面目に過ごしているのだが、
時にはこうして羽目を外して
遊ぶことも必要だ。
 
元はといえば、
「子育て支援」で関わっている団体のメンバーのひとりを介して、
私以外の4人のグループの
お仲間に加えてもらったという形だ。
 
職業も年齢もバラバラだが、
今は介護系の傾聴ボランティアをしていたり、
家事介護の支援をしていたり、
元幼稚園の園長先生だったりと、
フラワーアレンジメントの先生以外は
介護・カウンセリングつながりと言えよう。
 
同じマンションにお住まいの3人が
マンションガーデンや個人の坪庭の庭造りを通して知り合い、
別のルートで他のひとりと
私もつながった。
 
そして、いずれも
「人の一番の財産は人」
「出逢いを大切に」を
モットーに暮らしている。
 
そんな5人が年に6回のこの夜会の日に集った。
 
私とフラワーアレンジメントの先生だけが初対面だったが、
すぐに打ち解け、
シンガポールに住んでいたことがあるという共通項も見つかり、
話は大いに盛り上がった。
 
この居酒屋には4~5度ほど来たことがあるが、
古民家から移築したらしい古材をふんだんに使った内装で、
料理が美味しく、
特に最後の〆のお蕎麦が絶品だ。
 
働いている若い子達もテキパキして、
ここで働いていることを楽しんでいることが伝わって来るような
活気溢れるお店だ。
 
女将さんは吉田羊に似ているという触れ込みだったが、
そこは賛同しかねたが、
確かに感じのいい女将さんで、
お得意さんとして接客してくれている。
 
前回の「ライヴ」は「ジャズナイト」だったと聞き、
ジャズの名曲に合わせて踊ったというので、
「是非、次は誘って」とお願いして迎えた夜だった。
 
しかし、夕べは黒人シンガーふたりだけがアーティストで、
楽器の生演奏はなく、
American POPSやバラードのスタンダードナンバーを歌い、
お客さんが次々席を立って
踊りの中に加わるという形だった。
 
同行のひとりは前回もノリノリで踊ったという話は聞いていたし、
私をこの会に誘ってくれた男性も
「曲に合わせてリズムを刻むくらいですよ」といいつつ、
まんざらでもない様子だった。
 
ライヴは3回に分け行われ、
最初は聴いているだけだったお客さんの中から、
一緒のフロアで踊る人が出始めると、
次々、踊りに加わる人が増え、
しまいには立錐の余地もないほどに混み合い、
知人もそうでない人も一緒になって
踊り明かした。
 
何を隠そう、最初に席を立って踊り出したのは、
私と踊り好きのKさんで、
お互い「行こうよ行こうよ」と、こづきあいながら席を立つと
後はもう止まらない。
 
次に唯一の男性Tさんも踊りに加わり、
思いがけない激しさとノリノリ具合で、
みんなを湧かせた。
 
結局、おみ足の悪い元園長先生も踊り出し、
写真撮影係だったAさんも引っ張り込んで、
完全な「青春 Play Back」の状態に。
 
ジュリアナ世代のふたりはもちろん、
ジュリアナ一歩手前の私も、
曲がかかると自然に体がリズムを刻み、
フロアに立ってしまうと、
何かが完全に外れた音がする。
 
こんな風にいつもは全く見ない表情と笑いと
激しい踊りのステップが、
非日常からトリップさせ、
心身共に、開放感に満たされる。
 
酔って踊るとこんなに息が切れ、
しんどいものかと痛感したが、
こんな気分は久しぶり。
 
次は2月18日だと知って、
速攻、予約し、
またこのメンバーでの再会を約束した。
 
お正月より待ち遠しい「居酒屋ライヴ」の
クレイジーナイトであった。
 
 
 

2019年11月6日水曜日

ようやく秋刀魚登場

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今年は秋刀魚が全く不漁で、
夏の終わりになってもスーパーに姿を現さなかった。
 
ようやく鮮魚売場に並んだかと思ったら、
1尾298円とかいう値段がついていて、
しかも、痩せている。
 
結局、今年は秋刀魚にはありつけないのかと思っていたら、
11月に入って、豊漁になってきたというニュースを見た。
 
まさかとは思ったが、
昨日の朝、魚屋さんに行ったら、
1尾100円でピカピカ・プリプリの秋刀魚があった。
 
即、自宅用と長女宅用に5尾購入。
 
11月5日に初秋刀魚をいただくというのは
いかがなものかと思いながらも、
美味しく秋の味覚を味わった。
 
桜が卒業式の頃に咲いたり、
秋刀魚が文化の日を過ぎて、ようやく食べられたり、
地球温暖化は深刻だ。
 
というわけで、
昨日のシポリンワークは
「秋刀魚によくあう秋のご飯」がテーマだ。
 
「秋刀魚の塩焼き 大根おろし添え」
「しいたけの肉詰め バター醤油風味」
「厚揚げとほうれん草のとろみあんかけ」
「鶏ボールと白菜のスープ」
「ごぼうとキノコの炊き込みご飯」
「鶏のからあげ」
「ジャガイモのチーズ焼き」
「鶏手羽元のトマト煮込み」
「ブロッコリーのガーリックバター炒め」
「回鍋肉」
「しらすとネギ入り卵焼き」
 
以上11品。
 
先週は京都旅行で料理当番をパスしたので、
いつもより、大盤振る舞いだ。
 
さて、このうち
2歳児はどのぐらい食べてくれるかな。
 
保育園に迎えに行き、
帰る道々、
「今日はちゃんとたくさん食べてね」と約束をした。
 
手作りのちゃんとした料理を食べて育って欲しい。
その一心で作っているので、
アンパンマンソーセージやおせんべいなど、
既製品に安易に流れ、
お腹を満たす生活になって欲しくないのだ。
 
さて、結果は?
 
ひととおり、テーブルに並んだ料理の数々を見て、
「わーっ」と歓声を上げて、嬉しそうだ。
よしよし。
 
「何から食べるの?」
 
でもって、眺めてから、
やっぱり指さしたのは
「ジャガイモのチーズ焼き」
 
見つからないよう一番奥に置いたのに、
遠くを指さし、「ポテトください」という。
 
しかも、表面のカリカリチーズのところから手をつける。
 そして、ベーコン、ポテト、マヨネーズ。
 
相変わらずのカロリー高めの芋娘。
 
そして、お次は
ミニトマト。
 
一時、手足口病になったとき、
口内炎に染みたのか、
大好きだったミニトマトが嫌いになったことがある。
 
ミニトマトの酸味が染みて
顔をしかめて「甘~い」と言うので、
周囲は大笑い。
 
味覚を言葉で表現するのは、
味と言葉を
一致させるのが難しいと感じたエピソードだ。
 
その苦手なミニトマトはいつのまにか克服したようで、
夕べは本当に甘そうに
パクパク勢い込んで食べていた。
 
ミニトマトは鶏の唐揚げに添えられていたものだが、
鶏の唐揚げも最近のお気に入りらしく、
相当、にんにくを効かせてしまったのだが、
美味しそうに食べてくれた。
 
肝心の秋刀魚に水を向けたが、
「いらない」と、にべもない。
 
炭水化物大好き2歳が、次に目を付けたのは、
「ごぼうとキノコの炊き込みご飯」
 
そう来ると思ったとばかり、
大盛りでプレートに盛る。
 
それだけでごぼうのいい香り。
 
しかし、2歳児にごぼうの香りは受け入れられるのか?
 
ちょっとクンクンした後、
大きなひとさじを口に運んだ。
 
「お、いける」と思った瞬間、
口からささがきごぼうを指でぬき出して
「これ、いらな~い」
 
結局、ごぼうと茶えのきは丁寧に小さな指で取り除き、
何のこっちゃ。
しかし、味はお気に召したらしく、
お代わりしてご飯は食べてくれた。
 
「ははは。それがごぼうの味が染みたご飯だよ」
と勝ちほこったように、内心ほくそ笑むばぁば。
 
一体、何と戦っているのか。
 
その後、白菜と鶏団子のスープも食べさせたかったが、
「熱~い」とか言って
ほんの少ししか口をつけなかった。
どうやらここらで満腹か。
 
夕べは何とか手作りご飯でお腹が満たされたようで、
アンパンマンソーセージとばぁばとの攻防はなかった。
 
こうして
だいぶおしゃべりが上手になってきた2歳児に
「美味しいね」と褒められて、
木に登る子ブタのばぁばであった。
 

2019年11月5日火曜日

青春 Play Back

 
 
 
 
 
 
 
大崎駅前にある品川区立のO美術館で開催されている
『中林忠良銅版画展』に行ってきた。
 
中林忠良氏は私の芸大時代の恩師である。
 
芸大の美術学部油画科に在籍していた私は
3年になる時、
研究室を版画に変えた。
 
その時の銅版画の講師が中林さんである。
 
当時、私は数年浪人をしていたので23歳。
中林さんは39か40歳ぐらいだったと思う。
 
大学の3年から大学院生という、
人生のもっとも輝かしい4年間を、
同じ空間で過ごした、
言わば作家同士で、
先生と学生という感覚はなく、
お互い、さん付けで呼び合うような間柄だった。
 
芸大の版画研究室は1学年が6~7名なので、
先生と学生が全員合わせても30数名の家族的な所帯で、
自分の作品のテーマを模索し、制作するという観点で言えば、
皆,似たり寄ったり。
作家同士として切磋琢磨する仲間だった。
 
もちろん、経験値に差はあるので、
学ぶところは多かったが、
作家としての先輩と後輩といった感じだった。
 
そこが芸術大学と他の大学との違いかもしれない。
 
その後、中林さんは助教授から教授、
今は名誉教授になり、
いくつかの勲章も授与されているような大先生だが・・・。
 
今回の展覧会は
中林さんが品川の大井町生まれだということで、
こじつけたかのように
この地を盛り上げる記念行事の一環として
白羽の矢がたったようで、
自己紹介文にはそのあたりの戸惑いが伺える。
 
しかし、行ってみれば、
かなり大がかりな展覧会で、
まだご存命なのに、ほぼ大回顧展の様相で、
作品は極初期のものから2019年までの100数点、
版画のプレス機や道具一式の展示、
作家の創作風景のビデオ放映、
Tシャツやクリアファイルなどのグッズ制作販売、
展覧会のカタログの制作販売と、
大盤振る舞いだ。
 
会場手前のプレス機や道具類を
懐かしい気持ちで眺め、
若き日の作品群を鑑賞した。
 
制作年と絵を見れば、
中林さんと同じ空間にいた頃の作品と、
その前とその後の作品に分かれる。
 
当時の展覧会の壁に掛けられていた作品群を見ていると、
学生時代のいろいろなことがよみがえってくる。
 
どんなコンセプトでこの作品を創ったか尋ねたり、
「誰のために創っているというような相手はいますか?
制作は自分のためですか?」などと質問したために、
困った顔をした中林さんの顔が
ふいに思い出された。
 
銅版画は制作過程で「腐食」という行程をふむ。
 
ニードルという針のような鋭利な刃物で、
銅版を引っ掻いて描写した後、
塩化第二鉄や希硝酸などの溶液のバットに
版をつけ込んで、
自分の思い描いた線の太さになるまで
腐食させるのだ。
 
「すべて腐らないものはない」
 
これが彼の作品コンセプトに通じており、
彼の人生にも通じている概念だ。
 
作品群を観て廻っていると
自動放映されているビデオの音声が聞こえてきた。
 
もの静かで落ちついた懐かしい声。
作品の制作過程を丁寧に映像で示しながら、
説明を加えて、紹介しているビデオ映像だ。
 
中林さんは卓越した言語表現力を持っていて、
制作工程の説明であっても、
時に文学的な表現を用いて、
銅版画の奥深さと制作の煩雑さを紹介していく。
 
大画面の前に置いてあるいくつかの椅子のひとつに腰かけ、
映像を見ることにした。
 
2019年の今日、中林さんは82歳のご高齢になっていた。
風貌もポスターにあるとおり、
白髪ですっかりお歳を召したといわざるを得ない。
 
ところが、画面に現れた中林さんは
1986年、49歳の時の姿だった。
 
町田の版画美術館の要請で制作した
版画の制作風景のビデオだったのである。
 
その姿は芸大の版画研究室で一緒に制作したり、
銀座の展覧会を見に行ったり、
みんなで飲み会に行ったり、
芸術祭で一緒に踊ったりした頃と、
ほとんど変わらない若き日の姿だった。
 
思いがけない展開に
私の鼓動は一気に速くなり、
懐かしさで胸がキュッとなった。
 
思い出すだけで涙が出そうなキラキラした青春の日々が
よみがえってきた。
 
あれから、まだ、私も何とか制作し続けている。
大してコンセプトも変わらず、
制作のスキルは多少向上したと思うが、
作品に向かう姿勢も同じ気がする。
 
しかし、年月は残酷だ。
 
体のあちこちの痛みや集中力や持続力の低下、
老眼との戦い、
ビジュアルの劣化など、
得たものもあるが、
失ったものも多い。
 
「すべて腐らないものはない」
と彼はいう。
 
たしかに肉体でさえ、劣化して、
やがて腐る日が来る。
 
しかし、中林さんの若き日の映像を見ながら、
私は思った。
 
思い出は決して腐らない。
むしろ、汚いものは忘れ、そぎ落とされて、
美しいものとして、今、胸中にある。
 
そして、それを誰も浸食することは出来ないと。