


2026年も10月に入った。
8月下旬から毎日毎日降り続いた雨も
10月3日に1ミリも降らなかったことにより
その最長記録は37日で終止符を打った。
私は今年、5月に入ってから
実は木版画の制作から遠のいている。
この5か月間には
紫陽花展があり、個展もあったので、
心と体は版画に対して砕いてきたけど
実際に彫刻刀を持って版木を彫ったり、
バレンで版を摺ったりすることはしていない。
それには訳がある。
一応、個展という大きなイベントをもって
『雨のシリーズ』には区切りをつけて
今までの制作とは違うことをしてみたいと
思っているからだ。
『雨のシリーズ』はコロナ禍から始まった。
雨を私なりに表現するにあたり
自然に紫陽花や蓮の花がモチーフに登場し
単にそれらの花が好きとか
綺麗というのではなく、
その花にもっとものを言わせてきた。
哲学とまではいかないが
生活信条であり
生き方であり、ものの考え方である。
その作品を通して
観る方が何かを感じ取って
誰かにエールを贈ったり
元気になってもらえたらいいなという思いで
これまで作品を創ってきた。
個展の時に大勢の方の意見や感想を聴き
また、画廊のオーナーやお客様の意見を聴き
自分の中に落とし込んで
思うところもあった。
そして何より、
この夏、自分の心臓が時折止まっていることを
知らされ、
緊急手術でペースメーカーを入れたという
経験で学んだことも大きい。
自分は何かものを創り
自分のいなくなった後にも残せる仕事を
している。
であるなら、何を残すべきなのか。
毎日降り続けた雨、
次から次へとやってくる台風と
その大雨による災害、
地球温暖化のような異常気象もそうだし、
世界規模の政情不安や
AIの発達による利便性と懸念点など
目まぐるしく変わるこの世界。
その現代に生きている者として
次世代に何を遺せるか
同世代の共感を呼ぶものは何か。
忘れかけているものに
何か警鐘を鳴らしたり、
気づきを促せないかなど、
ここ数週間、考えてみた。
個展が終わって
「お疲れ~」と
ぼーっとしていたわけではない。
それでも9月いっぱいは
おとなしくしていようと決めて
頭の中であれこれ構想を練っていた。
そして、10月。
長い長い雨も
ようやく降り止む気配になったので
私も『雨のシリーズ』から
すこし動き出すことにした。
カウンセリングに行く道すがら
坂から見下ろす形で植えてある柿の木に
まだ青いけどたわわに柿の実がなっている。
いよいよ秋がすぐそこまで来ている。
日本の美しさは四季があることだと
思っていたけど
昨今は夏が異様に長くて
春と秋が短くなり、四季ではなく
二季になってしまったと言われている。
秋といえば、毎年、
10月1日に判で押したように咲いて
坂道にその香りが立ち上ってくる金木犀も
今年は9月半ばに咲いたかと思ったら
雨ですぐに散ってしまった。
自分が日本人に生まれたことは
海外転勤を経験した昔から意識していたが
最近、日本に居ながらにして
日本人であることや日本に生まれたことに
思いを馳せることが多くなった。
それは「日本に生まれてよかった」と
思うからではなく
「もっと日本はいい国だったのに」と
思うことが多いからだ。
今、
何となくそのあたりをキーワードにして
新しいシリーズを創りたい気持ちでいる。
坂道を下りながら見つけた柿の木。
実が赤く熟すにつれ
葉っぱは黄色くなって散っていく。
秋が深まる頃には
葉はみんな落ちて細い枝に重たげに実だけが
たわわになるのだろうか。
ふだん気にもしなかったことに気付き
柿の木ひとつに季節の到来を感じた。
もし、気を失って倒れた時に
心臓が止まってしまったら
今年の柿は食べられなかったわけで、
そんな複雑な心境も相まって
「秋のはじまり」がいとおしい10月である。
私は割とサバサバした性格で
ものごとをそのまま受け入れるクチなので、
「あの時、もしかして」と
クヨクヨしている場合じゃない。
ミヒャエルを相棒に
手始めに新シリーズとして
「柿の木」の作品を創ることにした。
もう少ししたらスーパーにも柿が並ぶ。
横浜の路地裏にもあちこちに柿の実がなって
秋の気配が深まるだろう。
「あ~、日本人に生まれてよかった!!」
そう思いながら
柿をお腹いっぱい食べることにしよう。
東劇でシネマ歌舞伎を観た後
先日、個展を終えたばかりの
養清堂画廊に立ち寄ってみた。
前日に画廊からはカタログが届いていたので
ちょっとご挨拶がてらに
今週いっぱいまでやっている『柳澤紀子展』を
観たかったからだ。
銀座は久しぶりの晴天で
空が高く澄み切ったブルーだったせいもあり
行き交う人々の表情も晴れやかだった。
個展の時は1週間に2泊3日ずつ
計4泊6日
東銀座にホテルをとって泊りがけだったので
この東銀座から銀座への道は
何度も往復した。
9月初めは、毎日、曇天か小雨だったので
スーツケースをガラガラ引っ張りながら
傘を差して移動した日もあった。
こうして同じ道に陽が差して
歌舞伎座が輝いているのを見ると
個展はつい先日のことなのに
なんだかずいぶん前の出来事のように感じた。
映画を観終えて2時半ごろ
銀座5丁目の画廊に着いて
まず7階の企画展示のギャラリーに上がった。
柳澤紀子さんは藝大の大先輩だけど
面識はほとんどない。
ただ勝手に好きな作家さんなので
展覧会の時は観に行くようにしている。
さすがに80代半ばは過ぎていると思うので、
作品の大きさは小ぶりになっているけど
その洒脱でセンスのいい画面は健在だった。
作品は銅版の黒い線と色面の組み合わせで
人物や動物が描かれている。
絵肌から反戦や現代社会の闇に対する抗議など
重たいテーマが垣間見える。
それも垣間見えるのであって
あからさまな表現でないところがいい。
誰も鑑賞者がいないギャラリーで
ひとり作品を観ていると
6階から階段を上がってきて
画廊オーナーのAさんが顔をのぞかせた。
私も7階を見終えたら
6階にいくつもりだったけど、
監視カメラに映った私を見て
上がってきてくれたようだ。
お互いに個展の時のお礼をし、
自然に個展の時のお客様の反応や
作家たちの感想などの話になった。
私は40数年前から養清堂で個展をしているが
こんな風にオーナーさんと気軽に
後日談を話したことがなかった。
今まで私の作品は
養清堂の取り扱い作家の中では
半ば、忘れられた存在だったので、
展覧会の開催中はともかく
ふだんからふらりと立ち寄るような
関係性を築けていなかったからだ。
しかし、今回の個展は養清堂画廊の
”こけら落とし”であり、
その前段のプレオープンの企画展にも
参加させてもらったお陰で
だいぶその距離が縮まった気がしている。
そこでAさんから嬉しい報告があった。
個展終了時には
画廊買い取り作品が4点あったのだが
そのうちの2点が早くも売れたという。
「希望」と「ひなたぼっこ」の2点だ。
サイズは中ぐらい。
6階の売り場のケースに入れてから
まだ2週間しか経っていないのに、
とても早い動きがあって
画廊側も驚いたらしい。
また、インスタにアップした
カタログに載せてもらった作品
『花開く朝』の視聴が2万件を超えたとも。
その場でスマホを開いて
そのページを見せてくれた。
この作品を2万人の人が観たと思うと
ほんとに凄いことだなと思う。
こうした話をいろいろ伺うと、
何だか自分の作品が
銀座に残って活動を開始したような気分だった。
オーナーは、そのほとんどが外国の人だという
画廊のお客様の動向や、
趣味嗜好に関する話もしてくれたので
とても参考になった。
作家は受注生産をしているわけではないけど
やはり売り物である以上
買い手の思いや考えを汲む必要は感じている。
蓮のモチーフが
「日本にしかないものを海外の方は求めている」
という思いと計らずも合致し、
自分が考えている「日本人としての誇り」
みたいなものとシンクロした。
私の「雨のシリーズ」が
コロナ禍の心の雨に端を発して
ここまできたけど、
新たなシリーズの何かきっかけになるといいな、
そんな風に思えた。
絵描きとしては何もしていないような時でも
常に何かにアンテナを張り、
次を見据えて模索しているのが作家だ。
「画廊にちょい寄り」みたいなところから
何かが見つかることもある。
今後は何もなくても
銀ブラしてみようかなと思った。
東銀座の東劇に
月イチシネマ歌舞伎
『ふるあめに袖はぬらさじ』を観に行った。
月イチ歌舞伎は以前歌舞伎座でかかった公演を
映画版に起こしたもので
上演期間が1週間しかない。
東劇はその本拠地なので多少延長されるとあるが
それもたった数日なので
一昨日の夜中にあわててチケットを取った。
『ふるあめに袖はぬらさじ』は
平成19年12月に舞台にかかったものとあるけど
私はその時の舞台は観ていない。
今から20年近く前の歌舞伎界は
本当に豪華な顔ぶれで
なかでも玉三郎と先代の勘三郎は
異彩を放っている。
物語は当初、有吉佐和子の手になる脚本で
昭和47年文学座公演で杉村春子が主役のお園を
演じていた。
杉村春子の当たり役お園を玉三郎が受け継ぎ、
以後、繰り返し上演されてきたらしい。
このシネマ歌舞伎になった舞台は
平成19年(2007年)のもので
歌舞伎として初上演され
玉三郎の渾身の演技が大評判になった。
それは
予告編で観ていた時の予想をはるかに超え、
約3時間の長尺の映画の全編にわたり
玉三郎の熱演が続き、
その軽妙洒脱さに圧倒された。
時は幕末、開港まもない横浜の遊郭で
ひとりの遊女が自らの命を絶った。
折からの尊王攘夷の嵐の中、
その死は脚色され「攘夷女郎」の伝説が
広まっていく。
配役は
芸者お園 玉三郎
通訳藤吉 中村獅童
遊女亀遊 中村七之助
唐人イリウス 坂東彌十郎
岩亀楼主人 中村勘三郎
その他にも
中村芝翫 坂東三津五郎 尾上松也
市川笑也 市川男女蔵 中村勘九郎 市川猿也
など、今を時めく当時の若手と
すでに鬼籍に入られた名優がゾロゾロと
出演している。
舞台は遊郭の部屋ばかりで
病に伏せった亀遊が寝ている部屋と
お客様を迎えるお座敷だけなので
その場に出てくる役者の長い長いセリフが
とにかく延々と続く。
橋田寿賀子の脚本が長いと有名で
『渡る世間は鬼ばかり』の俳優陣が嘆くけど
この舞台の長台詞はその比ではない。
遊女亀遊こと七之助は
か細い色白のはかない女性。
後に自害するぐらいだから
自分の身の上を諦めの境地で捉えている。
通訳藤吉(獅童)は
横浜の女郎屋で外人客の通訳として
お座敷に出ているけど、
志は高く、ここで稼いだお金で
アメリカに渡って医学の勉強をしようとしている。
玉三郎演じる年増の芸者お園は
元吉原にいて流れ流れて今は横浜にいる。
三味線弾きなので客をとることはしない。
粋でいなせな芸者である。
外人イリウス役が彌十郎
宿の主人が亡くなった勘三郎で
その掛け合いの面白いこと。
彌十郎は最近でこそHNKに引っ張りだこだが
歌舞伎役者としてもユーモアのある役から
強面の役までこなす懐の深い役者だ。
ここではその大柄を活かして外人客の役で
「唐人口」と呼ばれた外人相手の女郎に
ろくなのがいないと怒って
ひと目見て気に入った亀遊を大金はたいて
身請けするという話になる。
それを聴いた亀遊が
そんなことになるぐらいならと自害してしまう。
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は
降る雨とアメリカがかかっている。
自害から3年後、5年後と舞台は変わるが
どんどん玉三郎演じるお園は
したたかになっていく。
まるで浪曲師のように弁舌鮮やかに
立て板に水の名調子で
うそと偽りを織り交ぜながらも
悲しい最後を迎えた亀遊の顛末を語るその姿は
本当に観るものをくぎ付けにした。
映画なのに拍手喝采がおき、
3時間の間に何度声をあげて笑ったことか。
豪華俳優陣の顔ぶれも懐かしいし、
いい時代だったなと思うけど、
何と言っても玉三郎の芸達者ぶりに
恐れ入ったのが今日一番の印象である。
あっぱれ 玉三郎!!
よっ 日本一!!
玉三郎と同じ時代を生きて
こんな凄い芸を観られることを
幸せだなと思った。