2026年10月3日土曜日

木版新作始動

 











2026年も10月に入った。
8月下旬から毎日毎日降り続いた雨も
10月3日に1ミリも降らなかったことにより
その最長記録は37日で終止符を打った。

私は今年、5月に入ってから
実は木版画の制作から遠のいている。

この5か月間には
紫陽花展があり、個展もあったので、
心と体は版画に対して砕いてきたけど
実際に彫刻刀を持って版木を彫ったり、
バレンで版を摺ったりすることはしていない。

それには訳がある。
一応、個展という大きなイベントをもって
『雨のシリーズ』には区切りをつけて
今までの制作とは違うことをしてみたいと
思っているからだ。

『雨のシリーズ』はコロナ禍から始まった。
雨を私なりに表現するにあたり
自然に紫陽花や蓮の花がモチーフに登場し
単にそれらの花が好きとか
綺麗というのではなく、
その花にもっとものを言わせてきた。

哲学とまではいかないが
生活信条であり
生き方であり、ものの考え方である。
その作品を通して
観る方が何かを感じ取って
誰かにエールを贈ったり
元気になってもらえたらいいなという思いで
これまで作品を創ってきた。

個展の時に大勢の方の意見や感想を聴き
また、画廊のオーナーやお客様の意見を聴き
自分の中に落とし込んで
思うところもあった。

そして何より、
この夏、自分の心臓が時折止まっていることを
知らされ、
緊急手術でペースメーカーを入れたという
経験で学んだことも大きい。

自分は何かものを創り
自分のいなくなった後にも残せる仕事を
している。

であるなら、何を残すべきなのか。

毎日降り続けた雨、
次から次へとやってくる台風と
その大雨による災害、
地球温暖化のような異常気象もそうだし、
世界規模の政情不安や
AIの発達による利便性と懸念点など
目まぐるしく変わるこの世界。

その現代に生きている者として
次世代に何を遺せるか
同世代の共感を呼ぶものは何か。

忘れかけているものに
何か警鐘を鳴らしたり、
気づきを促せないかなど、
ここ数週間、考えてみた。

個展が終わって
「お疲れ~」と
ぼーっとしていたわけではない。

それでも9月いっぱいは
おとなしくしていようと決めて
頭の中であれこれ構想を練っていた。

そして、10月。
長い長い雨も
ようやく降り止む気配になったので
私も『雨のシリーズ』から
すこし動き出すことにした。

カウンセリングに行く道すがら
坂から見下ろす形で植えてある柿の木に
まだ青いけどたわわに柿の実がなっている。
いよいよ秋がすぐそこまで来ている。

日本の美しさは四季があることだと
思っていたけど
昨今は夏が異様に長くて
春と秋が短くなり、四季ではなく
二季になってしまったと言われている。

秋といえば、毎年、
10月1日に判で押したように咲いて
坂道にその香りが立ち上ってくる金木犀も
今年は9月半ばに咲いたかと思ったら
雨ですぐに散ってしまった。

自分が日本人に生まれたことは
海外転勤を経験した昔から意識していたが
最近、日本に居ながらにして
日本人であることや日本に生まれたことに
思いを馳せることが多くなった。

それは「日本に生まれてよかった」と
思うからではなく
「もっと日本はいい国だったのに」と
思うことが多いからだ。

今、
何となくそのあたりをキーワードにして
新しいシリーズを創りたい気持ちでいる。

坂道を下りながら見つけた柿の木。
実が赤く熟すにつれ
葉っぱは黄色くなって散っていく。
秋が深まる頃には
葉はみんな落ちて細い枝に重たげに実だけが
たわわになるのだろうか。

ふだん気にもしなかったことに気付き
柿の木ひとつに季節の到来を感じた。

もし、気を失って倒れた時に
心臓が止まってしまったら
今年の柿は食べられなかったわけで、
そんな複雑な心境も相まって
「秋のはじまり」がいとおしい10月である。

私は割とサバサバした性格で
ものごとをそのまま受け入れるクチなので、
「あの時、もしかして」と
クヨクヨしている場合じゃない。

ミヒャエルを相棒に
手始めに新シリーズとして
「柿の木」の作品を創ることにした。

もう少ししたらスーパーにも柿が並ぶ。
横浜の路地裏にもあちこちに柿の実がなって
秋の気配が深まるだろう。
「あ~、日本人に生まれてよかった!!」
そう思いながら
柿をお腹いっぱい食べることにしよう。





















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