2020年12月30日水曜日

おせち準備 第2弾

 












暮れも押し詰まり、30日になった。
いよいよ今日は豆類を煮込むおせち料理を中心に
作っていこうと考えた。

夕べから、ひと煮立ちさせた煮汁に
一晩、丹波の黒豆を漬け込んである。

何と言ってもおせちで時間がかかるのは
黒豆を煮ることなので、
まずはここから取り掛かる。

と同時に、おせちというわけではないが、
ぜんざいも煮るというのが、
我が家の定番なので、
洗った小豆に水を入れ、なべを火にかける。

今年は親族会が取りやめになり、
元旦に顔を揃えるのは、
長女のファミリー大小4名と次女、
そして、私達夫婦だけなので、
大人5名とチビ2名ということになる。

内チビ1は相当な量、食べてくれるので、
ほぼ大人扱いだが、
チビ2はまだ離乳食も始まっていない乳児なので、
ばぁばのあずかり知らぬところである。

しかも、
ちょろちょろ出歩くのは感染リスクがあるというので、
3が日はおとなしく家にいるらしいから、
いつもよりトラディショナルなおせち料理の量を
増やすことにした。

どうやら、婿殿は実家では3が日は
ひたすら日本のおせちを食べていたとかで、
普通のおせちが好みらしい。

ならば、手作りの日本のおせちを
ご馳走しようじゃないか!

というわけで、
丹波の黒豆は2袋400g
田つくりは3袋
小豆500gを用意した。

昨今、若者はおせちなんて好まないから、
特段、作らないとか、
今年はコロナで家にいるから、
豪華なおせちを買おうとか、
そんな話は耳にするが、
世の中と逆行しているのが我が家のようだ。

さて、朝っぱらから、
大なべを引っ張り出し、
黒豆と小豆と栗きんとん用のサツマイモを煮だしたのだが、
作ってみて感じるのは、
おせちには大量の砂糖が入っているということだ。

400gの黒豆に対して、
340gの砂糖とあるところを300gに。
500gの小豆に対して、
500gの砂糖とあるところを300gに。
600gのさつまいもに対して、
300gの砂糖とあるところを200gに。

いずれも袋の裏の表示より相当少なめに
砂糖を減らしたが、
すでに3品で800gの砂糖を使用したことになる。

これを3が日でせっせせっせと食べていたのでは、
1月の人間ドックで
いい成績がでるわけがない。

人間ドックは決して1月に受けてはいけないと
いうことが、これではっきりした。

5時間ほどかかって出来上がった黒豆や小豆を
試食してみたところ、
確かに市販のものよりだいぶ甘みが控えめだ。

つまり、市販のものを食べる場合は
それ相当の覚悟がいるということだろう。

栗きんとんは
実は我が家ではイマイチ人気がないのだが、
婿殿は好きだというので、
今年もおしゃれに和菓子の半生菓子風にまとめてみた。

茶巾絞りの形で、
去年は全部きんとんで覆いつくしていたが、
今年は栗が半分顔を出している形にした。

遅まきながら、
「ひょっこりは~ん」と、志帆が遊んでいるので、
「栗がひょっこりは~ん」と言って誘えば、
喜んで食べるかもしれない。

他には田つくりに大量のスライスアーモンドを入れた
「アーモンド田つくり」も作ったのだが、
こちらも「フィッシュアーモンド」に似ているので、
気に入ってくれるのではと思う。

こちらは家族みんなが好きなので、
今年は3袋と大盤振る舞いだ。

おせち第2弾の最後としては
「ゆず大根」を漬けた。

こちらも作ってみれば、
かなりの砂糖が入っているが、
もはや砂糖を大量に使うことには
感覚がバカになっているのが怖いところだ。

こんな風に今年もおせち料理の準備は
順調に進んでいる。

それ自体は楽しい作業なのだが、
同時に毎日の3食も作って食べなければならない。
そこが、何ともめんどくさい。

Uber Eats
頼もうかしら。
やったことないけど…。

そんなことを思う年の瀬である。






















2020年12月28日月曜日

おせち準備 第1弾

 














クリスマスも終わり、
暮れの大掃除も終わったので、
いよいよお正月のおせちの準備に取り掛かろうと思う。

おせちの準備で最初に取り掛かるのは、
「松前漬け」である。

おせち料理として何を準備するか、
ます、作るもの、買うだけのものに大きく分ける。

買うだけのものは、
紅白かまぼこ、こはだ、伊達巻ぐらいのものか。

大体のものは作るのが常だが、
作るものにはどれがどのぐらい時間がかかるか、
元旦にベストな状態で出すためには、
逆算していつから作り始めればいいのか、
そんなことを計画するところからおせちづくりは始まる。

本当は何十年来、お餅を餅つき機でつくというのも
例年の作業にあったのだが、
昨年末、餅つき機に不具合が生じ、
新たにまた、餅つき機を買う闘志がわかなかったので、
今年からはお餅はのしもちを買うことにした。

家族が4人揃っていた時と違い、
餅を大量に作っても、
お正月には食べきれず、
毎年、持て余していたというのがその理由だ。

私が住んでいる地域には
その餅の腰の強さで売っている和菓子屋さんがあり、
毎年、長蛇の列をなして、
その店ののしもちを求めるお客さんを知っていた。

今年からはその列に加わることにしたのだ。

その店のすぐそばには魚河岸という名の
個人店の魚屋さんがあり、
こちらも暮れには入場制限がかかるほどの賑わいをみせる。

その2店に狙いを定め、日曜日の昼頃、車を出すと、
幸いにもというか、狙い通り、
比較的空いている状況で入店できた。

そうして、入手できたのが、
つきたてののし餅半升と愛媛県産の鯛1尾。

つきたての餅は、まだ柔らかくて切ることができないので、
1日待って切り分け、冷凍庫に。

グリルに入るギリギリの線を狙って求めてきた鯛は
まず、うろこを取り、内臓を出し、
軽く塩をして、オーブンペーパーにくるんで、
ビニール袋に入れ、パーシャル室で寝かす。

生の魚なので、
冷凍庫に入れてしまってはもったいないので、
こうすれば、鮮度を保つことができる。

お餅も鯛もいかに元旦までいい状態を保持するか、
お店の女将さんにそれぞれ教えてもらった。
個人店ならではの買い物ができ、
大満足だ。

暮れの30日とか31日に買い物に行ったのでは、
すでに売り切れていることも考えられるので、
こうして4日も5日も前に購入しても、
元旦にベストに持っていく知恵があることは、
本当に素晴らしいといえる。

そして、次は亡き母から教えてもらって、
40年近く作り続けている「松前漬け」だ。

件の魚屋さんで求めたスルメイカ2杯、
利尻昆布と京人参、
それらをひたすらキッチンバサミで細く切る。

料理酒よりはいい日本酒としょうゆ8:2の割合で、
具がひたひたになるぐらいまで注ぎ入れ、
容器に漬け込む。
3~4日で食べごろになる。

ただ、それだけのシンプルな料理だが、
母から伝授されたころは日本酒としょうゆは5:5だったし、
スルメイカも5ミリ幅ほどあった。

それを毎年作るうちに、やや細めに切るようにし、
お酒の量を大量にし、
するめが膨潤した頃を見計らって
少ししょうゆを足すなど、
自分なりの工夫をするようになった。
(3ミリに切っても、膨潤すれば5ミリになるので)

すでに機械で切ってある「松前漬キット」もあるが、
すべてが細すぎ、昆布でヌルヌルになるから、
指が痛くなるが、キッチンバサミで
1本1本切ったするめの美味しさには遠く及ばない。

漬け込むには磁器の器が適してるので、
私は写真のうさぎさんのキャセロールを愛用している。
毎年、キッチンのテレビの棚の上で、
3~4日、静かにうさぎさんがするめを温め、
食べごろにしてくれている。

日本酒のあてにこれほど合う肴はなく、
我が家のおせちにはかかせない一品である。

次は数の子の塩出しか、
黒豆を煮たり、小豆を煮たりはまだ早い。

その昔、せっかちな私は早々に黒豆を煮て、
31日の朝、鍋の中で黒豆が泡を吐き出しているのを
発見したことがある。
煮た黒豆を腐らせたのである。

結婚して最初に迎えるお正月の失敗だ。

そんな昔を懐かしみながら
ここ数日の
残りの買い物と料理の段取りを考える年の瀬である。

もういくつ寝るとお正月~!!

















2020年12月27日日曜日

映画「私をくいとめて」カウンセラー目線

 


最近、映画「私をくいとめて」の映画評を
何回か見かけた。
いずれも監督が女優のんの才能をいかんなく発揮させたと
絶賛に近い書き方だった。

女優ののんは
能年玲奈の名前で、NHKの朝の連ドラに主演し、
好評を博した。

しかし、その後、所属事務所とのトラブルがあって
名前を「のん」に変え、
以降、鳴かず飛ばずの状態だったと思う。

個人的には、のんを当時のロケ地の地元ヒロインとして
特別扱いするNHKや、
トーク番組などで、まったく臨機応変な受け答えができず、
場をしらけさせるその感じが、
むしろ嫌いな女の子という印象だった。

しかしながら、その映画評の褒めっぷりと、
映画の内容として、
もうひとりの自分Aと生きているという設定が
妙に気になって、
今年最後の映画鑑賞の作品として
この「私をくいとめて」を選ぶことにした。

のん演じる主人公黒田みつ子は31歳、独身。

独身生活をエンジョイしているごく普通のオフィスレディだ。

会社には自分より少し年上の先輩女子社員がいて、
一番親しい。

みつ子は
ウィークデーは会社員としてつつがなく過ごし、
週末は「おひとり様」として
「体験教室」や「ひとり焼肉」などを攻略し、
それなりに楽しく独身生活を送っている。

なぜ、31歳独身女性が、恋人もいないのに
それなりに楽しいかといえば、
もうひとりの自分A(AはAnswerのAだ)という存在があり、
いつも話しかけると答えてくれ、
その甘い声の持ち主が自分を認めてくれるからだ。

映画ではAの声は私の大好きな中村倫也がやっており、
そりゃ、あんな甘い声のもうひとりの自分が、
いつも寄り添い、
自分を認めてくれれば、楽しいはずだわと思わせる。

そこでうっとり映画を観ていたわけではない。

私は、日ごろ、認知行動療法という心理療法を主軸に
心理カウンセリングを行っているカウンセラーである。
その際、クライアントさんに必ず言うことがある。

「もうひとりの自分をうまく育てて、
肩口あたりに座らせて、
自分を観察してみましょう」と。

もうひとりの自分は、少し客観的に自分を見てくれるので、
いつものイライラや悲しみや怒りなど、
負のスパイラルに陥りそうになると、
「ほらほら、また~しているよ」と声をかけてくれる存在だ。

そうやって、同じドツボにはまりそうになると
引き留めてくれたり、
慰めてくれたり、時には叱ってくれたり、
共感してくれたりする相棒である。

そんなもうひとりの自分は
何も30代の独身だけに必要なものではなく、
何歳であっても、既婚者でも独身でも、
上手く育てて、一生つきあっていくといい相棒なのだ。

そのようにカウンセリングでは常々言っていたので、
映画ではどのようにもうひとりの自分Aが扱われているのか
とても気になって、この映画を観にいった。

映画の主人公みつ子は
会社に出入りする業者の年下の男性と、
家の近所でばったり会い、
徐々にお付き合いすることになる。

けれど、何年もおひとり様生活だったみつ子は
人との距離の取り方がわからない。

徐々にふたりの仲が接近すれば接近するほど、
緊張し、
息苦しくなってしまう。

いつでも、とてもいい距離感で、
自分のことを否定しないAは
心地よい存在だ。

しかし、現実の男が現れると、
Aは…。

映画ではAが好ましい異性のように描かれているのだが、
私のカウンセリングでは
もうひとりの自分は、
客観的に自分を見守り、励まし、時に叱ってくれる、
そんな存在であると説明している。

異性というわけではなく、
あくまでも「もうひとりの自分」

そういう存在が自分にいれば、
それは死ぬまで一緒だし、
どちらかが先に死ぬこともなく、
自分が死ぬときに一緒に死ぬ存在なのだ。

それって、素晴らしいことだ。

この映画の監督の意図するところは完全には解らないが、
人は恋人や配偶者がいなくても、
もうひとりの自分と共に話したり、共感できれば、
決して寂しくなんかないという着目点はいい。

しかし、そのもうひとりは
ずっと上手に育てられれば、
恋人や配偶者の出現と共に消えたりせず、
一生の相棒だよということを、
私は言いたい。

それが、今年最後に観た映画の感想だが、
いつのまにか心理カウンセラー目線で、
ものごとを観察している自分に気づいた、
そんな年の瀬であった。

もういくつ寝るとお正月…。

私のもうひとりの自分が、
「さあ、お正月の準備をしなきゃね」と言っている。


2020年12月24日木曜日

ロマネスコ・クリスマス・イヴ

 










今宵はクリスマス・イヴ。
だから何?という普通の1日のはずだった。

午前中はガラス窓を相手に、届かない手の短さを嘆き、
昼過ぎ、買い出しにいけば、
ケンタッキーやらケーキ屋さんやら、
どこもかしこも長蛇の列。

我が家もダンナしか相方はいないけど、
少しはクリスマス・イヴらしくしようと考えた。

しかし、写真の1枚目のクリスマスツリーは友人宅のもの。
我が家は完全に花より団子派なのだ。

今朝、ダンナが出がけに
「カーパーク代をただそのまま払うのはもったいないから、
何か買うものない?」と聞いてきたので、
すかさず「ケーキ」をお願いした。

これで自分でケーキを買わなくても済む。

ところが、日本橋高島屋のデパ地下は
コロナどこ吹く風の大賑わいだったようで、
並ぶのはあきらめたと午後になって、LINEが来た。

時すでに遅し。
私は買い出しから帰宅した後だったので、
急遽、お正月に作ろうと思っていた
ガトーショコラを焼くことにした。

ケーキのないクリスマスディナーなんて、
お雑煮のないおせち料理みたいなものだから。

そんなわけで、ホールのガトーショコラが加わって、
予想以上の豪華ディナーの出来上がり。

今回は
特にロマネスコというカリフラワーに似たお野菜が
ビジュアル的にもお味も
とてもいい仕事をしてくれ、
おしゃれなテーブルが出来あがった。

まず、友人がプレゼントしてくれたシャンパンを抜栓。
美味なるお酒と
見た目のよい料理の数々で
この厳しい1年を華やかに締めくくることができた。

味は自画自賛になるので
コメントは控えるが、
インスタ映えのするテーブルができたことに
満足している。

今週は一昨日、ばぁばご飯も頑張ったし、
今日もふたりしかいないのに作りすぎ。

明日からは粗食に努め、
1月の人間ドッグに備えることにしよう。

しかし、その前にお正月もある…。
摂生はきっと無理。

コロナ禍の今年、
気分の滅入ることが多かった。
だから、
おうちで美味しくご飯がいただける幸せを享受し、
自分にご褒美をあげてもいいのではと思う。

Merry Christmas !!










2020年12月22日火曜日

気の早いクリスマスご飯
















今年最後のばぁばご飯作りに行ってきた。

テーマは少し早いが「クリスマス」
イヴにはチキンを食べるというので、
リクエストに従って、
今宵のメインは「ラザニア」だ。

いつものキャセロールに
焼いたチーズの様子だけだと、
ポテトのチーズ焼きやグラタンと何ら変わらないが、
中はミートソースとラザニア麵、
ホワイトソースが6層に重なった凝った料理だ。

どう考えても一般家庭で作るような料理ではないと思うが、
ある時、娘に
「ママって、ラザニア、作れる?」と訊かれ、
「できると思うよ」と答えたのが間違いも元。

以来、時折、このめんどくさい料理に挑戦してきた。

本日のメニューは
「ラザニア」
「生クリーム入りホワイトシチュー」
「生サーモンの黒ゴマフライ」
「キャロットラペ」
「ほうれん草のピーナツバター和え」
「ブロッコリーとエリンギのガリバタソテー」
「フランスパン」
「ピーマンとしいたけの肉詰め」
「レンコンバーグの甘辛あんかけ」
以上9品

献立は
娘がクリスマスカラーの赤と緑を意識して、
更にホワイトクリスマスの白をプラス、
自分では作らないくせに、
人に無理難題を吹っかけてくる。

まあ、四季折々に
日本の行事やお祭りをお祝いするのは
いいことなので、
食育の意味もあって、
作ってあげようとは思っている。

何しろ、コロナに明けコロナに暮れた2020年。

娘のところには、新しい命が舞い降り、
無事に5か月が過ぎようとしている。

暗いニュースばかりの1年、
いろいろなことをあきらめたり、我慢したりした。

最後ぐらい美味しいものをたらふく食べて、
締めくくりたいものだ。

それにしても
このラザニア。
レストランの味といっても過言ではない。

レシピもなしにいい加減に作った代物とは思えない
美味なる一品であった。

3歳児のお口にも合ったようだし、
手の込んだ料理は、小さな幸せを運んでくると
自画自賛したイヴイヴイヴの夜であった。





























 

2020年12月20日日曜日

ブランドみかん、来た~

 









松山のミカン農家の友人から、
また、新しいみかんが送られてきた。

今年の10月末、
まず最初に「あいさん」という品種が10㎏。

いつもの「あいさん」より大振りの粒で、
まだ、横浜のスーパーでは、
あまりみかんを見かけていない時期だったので、
その大きな粒とジューシーさに驚いた。

もちろん早速、お礼の電話をし、
お歳暮を贈り、お手紙も添えた。

すると、12月初め、
次は「晴れ姫」という品種が10㎏、送られてきた。

ニュースで、「晴れ姫」は松山のミカン農家さんでも
ある選ばれた農家しか育てていないと知り、
そんな貴重な品種を送ってくれたことに
感謝の言葉を伝えた。

おじさんは「そんなことないよ」と
謙遜していたけど、
まんざらでもない様子だった。

これでお正月に親族がワイワイ押し寄せても大丈夫。

そのあっさりとさわやかな甘み、
香りのよさで「晴れ姫」は品のいいお嬢様という感じだ。
親族にも自慢できる。

そう思っていたら、
昨日の夜、
またまた、ひと箱送られてきた。

今回は「紅マドンナ」というブランド品種。
5㎏箱入り。

「紅マドンナ」は知る人ぞ知る愛媛みかんの女王。
千疋屋あたりでは、
ひと粒600~700円するブランドみかんだ。

色は「晴れ姫」より濃いオレンジ色で、
味はネーブルに近い高貴な味。

お値段が高いと知っているせいか、
一段と美味しく感じる。

「晴れ姫」と「紅マドンナ」
こんな珍しい品種を食べ比べることができるなんて、
なんて幸せ。

以前、おじさんの奥さんから
「主人がお調子者で申し訳ありません。
ご迷惑でしたら、そうおっしゃってくださいね」と
言われたことがある。

確かに褒めたことで、
次々、送ってきてくださるのだと思うし、
ふたり家族にこれだけのみかんがあっては
消費するのが大変だ。

しかも、ダンナはみかんの皮をむくのがめんどくさいと
大して食べない。

なので、娘や友人などに、
折々に重たいみかんを抱えておすそ分けしている。

「袖振り合うも他生の縁」
クロアチア旅行の折に、
袖振り合ったミカン農家のおじさんは、
こうしていつまでもご縁を紡いでくださっている。

コロナ禍で人が繋がることが難しい今、
指先が黄色くなるほどに
ブランドみかんをいただきながら、
人のご縁の暖かさを感じる年末である。