2020年12月27日日曜日

映画「私をくいとめて」カウンセラー目線

 


最近、映画「私をくいとめて」の映画評を
何回か見かけた。
いずれも監督が女優のんの才能をいかんなく発揮させたと
絶賛に近い書き方だった。

女優ののんは
能年玲奈の名前で、NHKの朝の連ドラに主演し、
好評を博した。

しかし、その後、所属事務所とのトラブルがあって
名前を「のん」に変え、
以降、鳴かず飛ばずの状態だったと思う。

個人的には、のんを当時のロケ地の地元ヒロインとして
特別扱いするNHKや、
トーク番組などで、まったく臨機応変な受け答えができず、
場をしらけさせるその感じが、
むしろ嫌いな女の子という印象だった。

しかしながら、その映画評の褒めっぷりと、
映画の内容として、
もうひとりの自分Aと生きているという設定が
妙に気になって、
今年最後の映画鑑賞の作品として
この「私をくいとめて」を選ぶことにした。

のん演じる主人公黒田みつ子は31歳、独身。

独身生活をエンジョイしているごく普通のオフィスレディだ。

会社には自分より少し年上の先輩女子社員がいて、
一番親しい。

みつ子は
ウィークデーは会社員としてつつがなく過ごし、
週末は「おひとり様」として
「体験教室」や「ひとり焼肉」などを攻略し、
それなりに楽しく独身生活を送っている。

なぜ、31歳独身女性が、恋人もいないのに
それなりに楽しいかといえば、
もうひとりの自分A(AはAnswerのAだ)という存在があり、
いつも話しかけると答えてくれ、
その甘い声の持ち主が自分を認めてくれるからだ。

映画ではAの声は私の大好きな中村倫也がやっており、
そりゃ、あんな甘い声のもうひとりの自分が、
いつも寄り添い、
自分を認めてくれれば、楽しいはずだわと思わせる。

そこでうっとり映画を観ていたわけではない。

私は、日ごろ、認知行動療法という心理療法を主軸に
心理カウンセリングを行っているカウンセラーである。
その際、クライアントさんに必ず言うことがある。

「もうひとりの自分をうまく育てて、
肩口あたりに座らせて、
自分を観察してみましょう」と。

もうひとりの自分は、少し客観的に自分を見てくれるので、
いつものイライラや悲しみや怒りなど、
負のスパイラルに陥りそうになると、
「ほらほら、また~しているよ」と声をかけてくれる存在だ。

そうやって、同じドツボにはまりそうになると
引き留めてくれたり、
慰めてくれたり、時には叱ってくれたり、
共感してくれたりする相棒である。

そんなもうひとりの自分は
何も30代の独身だけに必要なものではなく、
何歳であっても、既婚者でも独身でも、
上手く育てて、一生つきあっていくといい相棒なのだ。

そのようにカウンセリングでは常々言っていたので、
映画ではどのようにもうひとりの自分Aが扱われているのか
とても気になって、この映画を観にいった。

映画の主人公みつ子は
会社に出入りする業者の年下の男性と、
家の近所でばったり会い、
徐々にお付き合いすることになる。

けれど、何年もおひとり様生活だったみつ子は
人との距離の取り方がわからない。

徐々にふたりの仲が接近すれば接近するほど、
緊張し、
息苦しくなってしまう。

いつでも、とてもいい距離感で、
自分のことを否定しないAは
心地よい存在だ。

しかし、現実の男が現れると、
Aは…。

映画ではAが好ましい異性のように描かれているのだが、
私のカウンセリングでは
もうひとりの自分は、
客観的に自分を見守り、励まし、時に叱ってくれる、
そんな存在であると説明している。

異性というわけではなく、
あくまでも「もうひとりの自分」

そういう存在が自分にいれば、
それは死ぬまで一緒だし、
どちらかが先に死ぬこともなく、
自分が死ぬときに一緒に死ぬ存在なのだ。

それって、素晴らしいことだ。

この映画の監督の意図するところは完全には解らないが、
人は恋人や配偶者がいなくても、
もうひとりの自分と共に話したり、共感できれば、
決して寂しくなんかないという着目点はいい。

しかし、そのもうひとりは
ずっと上手に育てられれば、
恋人や配偶者の出現と共に消えたりせず、
一生の相棒だよということを、
私は言いたい。

それが、今年最後に観た映画の感想だが、
いつのまにか心理カウンセラー目線で、
ものごとを観察している自分に気づいた、
そんな年の瀬であった。

もういくつ寝るとお正月…。

私のもうひとりの自分が、
「さあ、お正月の準備をしなきゃね」と言っている。


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