2014年4月28日月曜日

日本における木版画

 
 
 
 
今、横浜美術館で行われている『魅惑のニッポン木版画』という展覧会に行って来た。
 
木版画は日本独自の代表的な美術ジャンルであるから
専門の美術館もあるし、北斎・広重・写楽など代表的な作家の特集は
なんどとなく行われているが
今回の展覧会は江戸末期ぐらいから今日までの変遷を網羅する
日本における木版画の歩み展とでもいう内容の企画であった。
 
まだ凸版などの印刷技術がない江戸時代には
木版画は人にものを伝えるための印刷物という意味あいが大きく、
他にもうちわの絵柄だったり、引き札や相撲の番付表だったり
生活に密着したところで使われてきた。
 
それが明治・大正と時代が進むにつれ
本の表紙やラベル、告知のポスターのようなものに使われるようになり
やがて、芸術として鑑賞するために作られるようになる。
 
そうした変遷を代表的な作品で展示し
現代においては
私もよく知る吉田ファミリー・野田哲也・林保次郎・小林敬生・山中現など
大学時代の恩師やら同時に学んだ先輩までが代表作家として登場し
その作品が陳列されていた。
 
こうした大きな美術館の歴史を遡る展覧会に
今も生きている同年代の作家の作品が並ぶのは不思議な気持ちがする。
 
どんな経緯でこれらの作家達が選ばれたのか
「多分に吉田ファミリーに肩入れした偏った人選なのではないか」とか
「ここに上野誠が入らないのはおかしいではないか」など
私の周辺でも口さがない連中が噂しあっている。
 
なにしろ、今まだ生きているメンバーが相当数入っているだけに
入っていない人にしてみれば「どうしてこういうことになるんだ」と
言いたくもなるのが人情というものかもしれない。
 
私も木版画を創る作家の端くれとして
自分もこのまま作り続けて、やがて、日本の木版画の流れの中に足跡を残せるのか
流れに埋没して忘れ去られるのか
危ういものを感じながら
それでも、そういうことは自分では決められないので
作家は黙々と創り続けるしか道はないと思っている。
 
しかし、自分が歴史に名を残せるのか否かはともかくとして
日本における木版画の足跡は、本当に世界に誇れる独自性のあるものなので
ますます追求の手をゆるめずに
自信をもってこれからも作品を創っていかねばと決意を新たにした。
 
会場では展示の最後の方に
現在作家のひとりとして
桐月沙樹という人の作品が10数点展示されていた。
 
木目の波の間に踊るダンサーが描かれている作品だったが
「版木の木目はすでにして1枚の絵のように見え、その木目の合間にダンサーが
見えてくる」というような本人の解説がついていた。
 
私が木目のシリーズを始めた時に感じたのと同じことをこの人も感じていると
驚きを禁じえなかったが
たぶん、名前の感じからして若い見知らぬ無名の女性の作品が
1点や2点ならまだしも10数点も展示されていることに
嫉妬と羨望と何らかの水面下の不穏な力を感じた。
 
木版画界の大御所達でさえ、1~2点ずつしか展示されていないのに
この大盤振る舞いはどういうことか。
くすぶる思いを胸に抱きつつ美術館を後にし
帰り道、大好きな「ブレドール」のパンを買って、地下鉄に乗った。
 
結局、人が生きていて、作品を創るということは
何かを食べ、生活するということだから
生きているのに歴史上の人物達と並んで美術館に並べられても
何だか居心地が悪いのではと
ひがみとも諦観ともとれる結論に達し
「人は人、私は私」でいくしかないと思ったのだった。
 


2014年4月25日金曜日

石田泰尚の世界へトリップ

 
 
 
ランチタイム、友人と浜離宮朝日ホールに出向き、
『石田泰尚ヴァイオリンリサイタル』と銘打たれたコンサートを聴いてきた。
 
石田泰尚は神奈川フィルハーモニー管弦楽団のソロ・コンサートマスターである。
しかし、私にとっての石田は神奈フィルのコンマスというより、
ひとりの狂気をまとった才能あふれるヴァイオリニストという位置づけである。
 
今まで聴いた彼の音楽は、大きな楽団のソリストとしての共演もあるが
その個性がより発揮されるのは
自由度の高い少人数(3~4人ぐらい)での演奏である。
 
今日は更に少なくピアノ伴奏と石田のヴァイオリンだけという
リサイタル形式だったので、その特徴はより顕著であった。
 
舞台は赤紫のライトがあてられ妖しげな雰囲気だし
予定された演奏がすべて終わるまで、つまり、アンコールの時まで
司会も挨拶もMCもなしという彼流が貫かれていた。
 
石田泰尚といえば、ツンツンに立てた髪を金髪に染め、ピアスをし
細身の体に仕立てのよいスーツをまとい
よく磨かれたエナメルの靴、胸のチーフ、ブレスレットなど
おしゃれで繊細なイメージだった。
 
しかし、最近の石田は髪を五分刈りに刈り上げ、個性的なシルバーのメガネをかけ
一段と細くなった体に黒いYシャツ、渋い色のネクタイ
スーツは丈が長めのジャケットに、太いダブルタックのズボン、エナメルの黒い靴。
真っ赤なシルクのチーフを胸ポケットからのぞかせ
どこからどう見てもヤクザまちがい無しのやばい方向に向かっている。
 
そのどこの組のもんだと言いたい細くて恐い風体が、舞台に現れるやいなや
赤いライトに浮かび上がり
ひと言も発せず、いきなり演奏に突入する。
 
今日は1部が
スメタナの『我が故郷より』
グリークの『ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調Op。45』
 
2部がピアソラのタンゴ特集であった。
 
とりわけ、ピアソラの方は
演奏している間中、勝手に映像が私の脳裏に浮かび
アルゼンチンなんだろうか、ほこりっぽい道をスカートの裾をはためかせながら
足早に歩く女の腿から下だけが、延々とモノクロームの画面で続いていた。
 
時折、意味不明な言語が飛び交い、映画の1シーンのようにも思えるが
私にはこの映像に何の記憶もないので、
それが何語でどこからやってきた情景なのか
皆目、検討がつかない。
 
また、アンコールで弾いたペルトとかいう作曲家の
『鏡の中の鏡』という静かな曲の時は
窓辺に座る美しい女の横顔と
無地で透けている白いカーテンが風をはらんで膨らんでいる様子が浮かんで
まるでその場に自分もいるかのように風を感じることが出来た。
 
こういう妄想というか幻覚のようなシーンが音楽とともに浮かんでくる体験は
今に始まったことではないが
石田泰尚のヴァイオリンの音色はとりわけこうした映像を呼び込むことが多い。
 
石田のファンは熱狂的なことが多く、
今日も演奏が終わった途端、ここは日本かと思うほどの甲高い指笛と
大きな拍手が湧き起こり
それに応えて石田は3曲もアンコール曲を弾いた。
 
生活感の全くないヤクザな中年にさしかかった石田泰尚がこれから先どうなるのか。
きっと彼は結婚などという枠にはまることはせず
今のまま、どんどんとんがって妖しげな方向に進んでいくのだろう。
 
そして、その狂気に満ちた演奏だけが、ますます冴え渡るに違いない。
 
そんな彼をハラハラしながら、でも楽しみに見守っていきたいと思った。
 
 
 


2014年4月23日水曜日

花のある暮らしのススメ

 
 
 
 
 
いつもの暮らしの中に花を飾るというのは一種の憧れではあるが
なかなかできそうで出来ていないというのが本当のところではないだろうか。
 
私自身、リビングや玄関に花が活けられているのは
お正月やクリスマスぐらいで、いつもは『花より団子』の生活である。
 
しかし、今月のなでしこの会が「フラワーアレンジメント」だったこともあり、
4月は3月下旬の個展でいただいたお花に引き続き
絶えることなく花のある暮らしを謳歌している。
 
今日は2回目のなでしこの会が行われた。
 
前回はたくさんの花材を買い込んで豪華めのアレンジメントを作ったので
今回は我が家の庭に咲いた花やグリーンもうまく利用しながら
「少ない花材で上手にアレンジしよう」というテーマで
テーブル用に小さめのアレンジメントを何種類もつくってもらった。
 
購入した花材はひとり1000円分だけ。
しかも、サービス花束といって、1束300円の花束を4束買うと1000円になるという
近所の花屋さんならではのサービス品を利用。
 
だから、1000円とはいえ、
薔薇・かすみ草・フリージア・トルコ桔梗・カーネーションなど
多種多様な花が揃った。
 
そこに
我が家のジャスミン・パンジー・ゼラニウム・デイジー・蔦と紫陽花の葉っぱを加えると
相当バラエティに富んだアレンジメントが出来ることになる。
 
花器も王道の花瓶はほとんど使わずに
ステムのついたグラスやそばちょこ、噴きガラスのボール、しゃもじ立てなど
あまり使っていない食器なども花器に見立てて使ってみることを提案した。
 
いただいたお菓子のはいっていた網状のピンクの袋を
靴下のようにグラスにかぶせて雰囲気をかえたり
最後にワイングラスの縁にリボンをかけて垂らすことで動きをつけたり
垂らしたジャスミンをラフィアを使って花器に固定したりする。
 
少ない花材しか使っていなくても
ちょっとしたことでおしゃれな印象になることに生徒さんから歓声があがる。
 
そんなアイデア勝負のアレンジメントに、提案した私自身が面白くなってしまい
生徒さんの脇で自分が夢中で取り組んでしまった。
 
わざわざ買うにはお花は案外高価な買い物だし
なくても全然困らないものだけど
花のあるテーブルで、カップボードから好きな紅茶カップを選び
茶葉から丁寧にお茶を煎れて、ゆっくりいただく。
 
お茶のお供にいただきもののアンリ・シャルパンティエのクッキーなども添え、
夕方のバタバタした時間の前に一服。
 
これこそ
猥雑な暮らしの中に必要不可欠な至福の時という気がする。
 
「そんな悠長な生活じゃないわ」と自分で自分に突っ込みを入れたくなるのを
グッと踏みとどまり
こうした時間を死守することで
豊かな人生がおくれるというものだ。
 
なーんて生徒さん達とおしゃべりし、意気投合したところで
今日のなでしこの会も無事、終了。
 
残骸のように残ったいくつかのお花たちをみながら
こんな風に意外と簡単なんだから
明日から私も花のある暮らしをこころがけよう!と、そう思った。

2014年4月16日水曜日

人の顔の不思議


 
個展の5日目の夜、個展会場で、カメラマンH氏による写真撮影が行われた。
撮ったものはオブジェの作品と作家のプロフィール写真である。
 
オブジェは椅子と脚立などであったが
背景の木目のパネルと共にあることで、作品として成り立っている。
しかし、いったんそれらも家に持ち帰ると、単なる椅子と脚立に成り下がってしまうので
是非とも会場に設置してある状態で作品として残したかったのである。
 
また、以前、キモノ姿でプロフィール写真をH氏に撮影してもらったことがあったが
きっちり撮れすぎていてモデルの私としては嬉しかったのだが
いざ、絵描きとしてプロフィール写真が必要だと言われた時
ちょっとそれを提出するのはためらわれる作品群だったのである。
 
そこで、実際の作品を前にして洋装で撮ってもらえば、
絵描きのプロフィールらしくなるのではと
再度お願いして撮ってもらったのが今回の写真ということになる。
 
そのオブジェ写真とプロフィール写真の原稿は1週間ほど前、自宅に届いていた。
 
しかし、フィルムとデジカメの両方で撮ったオブジェ作品の方は
デジカメの分がH氏の好意で濃い目のグレーの背景に加工されていた。
 
また、デジカメだけで撮ったプロフィール写真の方は
たぶんどれもすこし加工が施された状態で、インデックスと共に送られて来たのだが、
キモノの時の表情や顔つきに比べ、凛としているというか
ややきつい感じで、アーティストとしてのイメージメイクがなされていると感じた。
 
そこで、原稿を受け取ったお礼のメールを打つ際に
グレーの背景がすこしアーティフィシャルであるということと、
プロフィールが前回より四角い顔でややきつい印象だと書いて送ったところ、
そのお返事は何もないままに
1週間経った今日
背景が加工無しで白いままのオブジェ写真と
顔にすこしずついろいろな加工を施した9枚のプロフィール写真が送られてきた。
 
凝り性のH氏が私の送った感想を元に
訂正版を作ってくださったのだ。
 
白い壁のままのオブジェ写真はグレーの背景のものとは別に
十分美しく、このまま画集にでも何でも使えそうなので大助かり。
 
そして、9枚の顔の方は
自分の顔ながら、その変化が実に面白いものだった。
 
写真の加工は
タレントや女優のように、あるイメージに添っていじりまくるなどということはせずに、
極自然にすこしだけ加工してみましたと書いてある。
 
まず、何の加工もない、あの日撮ったそのままの私が0番。
滑らかな肌加工のみがなされたのが1番。
更に、二重アゴと首のしわをすこし消したのが2番。
更に、白目をより白くし、顔の輪郭をすこし細くしたのが3番。
・・・
そして、遂に滑らか肌も細顔もしわ取りもして、ついでに目をぱちくりさせたのが8番。
という具合である。
 
それぞれ1枚ずつしげしげ見て、行きつ戻りつしなければわからないほどなのに
確実に若返っていく不思議。
 
眉・鼻・口元・歯はまったくいじっていないというのに
印象が相当変わる。
 
大昔、芸大で『骨学』と『筋学』の講義を聴いて
その後にその時の自分から骨格や肉付き・しわなどを加えて10歳ごとに年をとらせ
老婆にするというレポートを書かされたことがあるが
その逆のような現象が目の前にあって、非常に興味深かった。
 
まあ、そうは言っても20歳にはとうてい見えないのだが
二重アゴと首のしわを薄くして、肌の滑らかさを手に入れ
顔がいくぶん細くなれば
「ちょっと、これ相当ヤバくない?!」という感じなのである。
 
もはや自分の顔であることなどどうでもよく、
人の顔の印象がこんなすこしのことで変化することの方が面白く
こうした実験をもっとやって欲しくて
H氏にまた何か機会があればプロフィールをよろしく!とお願いしてしまった。
 
H氏もモデルとしての私に面白みを感じているようで
次の機会をさぐっている様子である。
 
たぶん、写真家と絵描き
ものづくり同士の興味が一致したということだろう。
 
プロフィール撮影、それは
プロフィール写真が必要になるあてなど滅多なことでないくせに
別の好奇心がむくむく湧いてくるおもしろ体験なのだった。

2014年4月13日日曜日

遂に還暦

 
 
 
 
 
4月12日、遂に私も還暦の誕生日を迎えた。
昔なら、60歳というのは赤いちゃんちゃんこを着てお祝いするほど
人生60年は大きな節目であり、長生きしてきたということだろう。
 
しかし、人間のDNAは120年ぐらいは生きられるとかで
60年は言ってみれば人生の折り返し地点ともいえるのが
現代の感覚だろうか。
 
自分としてはとうてい120年も生きられるとも思っていないし、
自分の母親が59歳と11ヶ月で亡くなっている事実を思えば、
この誕生日が人生の折り返し地点だなどとは考えにくい。
 
それでも、大きな節目の年であることには違いないので、
来年4月には個展をセッティングし、還暦に際し感じたこと考えたことを作品にして
発表しようとしている。
 
期せずして、その前に還暦直前の個展が先月実現し、
新作を含め、これまでを振り返るようなミニ回顧展ができたことは意義深かったし、
ありがたいことだと感じている。
 
さて、この節目の誕生日、家族はいろいろ考えて、記念日としての演出をしてくれた。
 
娘達ふたりでプレゼントの品を
ダンナがディナーのセッティングをして
ドンピシャの当日に誕生日会を開いてくれることになった。
(通常、土曜日も仕事の次女は仕事場から駆けつけてくれた)
 
プレゼントにはきれいな色のバッグをと一応リクエストしたが、
案外難しい注文だったようで、
結局、自分で下見してこれはと思ったバッグをいくつか長女に見てもらい、
相談の末、
まったく方向違いのスワロフスキーのペンダントに落ちついた。
 
やっぱり流行や季節に関係なく
向こう10年は愛用できるものとなるとバッグではなかったということになる。
 
次女も「そういうのは身につけるものがいいんじゃない?」という意見だったようで
いつのまにか娘達の方が大人な考え方になっているのかも。
 
ディナーの場所もあれこれ候補が出て、予算の都合などもあるだろうからと
横浜スカイビルの最上階の『ミクニ』を提案し、長女が予約をいれていたのに
急にダンナの発案で六本木のリッツカールトンのメインダイニングに決まった。
 
人の誕生日をにぎにぎしく祝うことに消極的だったダンナにしては
嬉しい誤算で
リッツカールトンの地上45階からの夜景は幻想的で
目の前に東京タワーと少し遠くにスカイツリーの両方が見え、
都会の夜を満喫した。
 
更にリッツカールトンのサービスは噂に違わず行き届いており
どのお料理もスパイスが効いて、上質な素材を生かしたおいしい料理だった。
最後のデザートプレートの他に誕生日のろうそくとネーム入りのスイーツも届いて
記念日の夜の最後を飾った。
 
さあ、これで、遂に私も60代に突入。
母の背中を追い越した今、
新たな境地で1日1日を大切に生きていこうと思う。


2014年4月9日水曜日

なでしこ 花のお稽古

 
 

 
今月のなでしこの会は『フラワーアレンジメント』
とはいえ、私が正式な資格を持っているというわけではないので、
何流とかいうことではなく
おうちで多めの花材を使ってアレンジメントをつくる時の注意点や
人からお花をいただいた時の花瓶への活け方のコツみたいなものをお伝えした。
 
午前中、花材の買い出しにでかけ、白・黄色・紫を中心に
コントラスト配色もグラデーション配色もどちらもできるよう花材を選んだ。
 
メインは白と薄紫の八重咲きトルコ桔梗とダークパープルのスカビオサ
他に小ぶりの黄色い百合や白・黄色・濃いピンクのアリストロメリアなどが
主なる花材だ。
 
最初に大ぶりの花瓶2種を用意した。
白くてエレガントでクラシックなものと蒼いガラスのピッチャーのような広口のもの。
 
好きな方をまず選んで活けてみる。
案外、大量の花材を前にみんな収拾がつかなくなる。
 
一応、「これで出来上がりました」の声をきいてから、写真に撮り
私がほぼ同じ花材を使って活けなおす。
ちょっと散漫になっていた色や形がキュッとまとまって、テーマ性を帯びる。
 
次にもう一方の花瓶にも活けてみる。
最初に花瓶のもつイメージと花材をどう一体化させるかを考えてから始めることに
気づいて、1回目よりまとまりのよい花が活けられるようになっている。
 
徐々にコツと考え方がわかってくる様子が
花の形になって表れてくる。
 
最後はオアシスを花器に合わせてカットし、水を十分含ませて
すべての花材を使い切るつもりでアレンジメントを作る。
2時間以上花をいじっているので、最初オドオドしていた手つきが慣れてきて
思い切って短く切ることにも抵抗がなくなってくる。
 
黄色と白だけでできているアレンジメントに
私がポイントカラーで薄紫や濃い紫を足すことで
ゴージャスになっていくのを見て、歓声があがった。
 
紫系のグラデーションでドーム形の成形をしたアレンジメントは
ホッチキス止めして輪にしたグリーンが周囲をとりまき、都会的な印象になった。
最後に少しアンバランスする面白さを加え、完成させた。
 
100均で買った柄入りセロファンで器を覆い、リボンを巻けば
どうみても5000円はする立派なアレンジメントの出来上がりだ。
 
半分の材料費でお得感満載のアレンジメントを嬉しそうに抱え
みんなニコニコ顔で帰っていった。
 
我が家には残骸のようないくつかの花材と
個展の時にいただいた生き残りの花が少しあったので、
寄せ集めて活けてみたら案外しゃれたものが出来た。
 
予算をたくさん使ってもまとまりのないものになることもあるから
フラワーアレンジメントは金額じゃなくてセンスの問題なんだとつくづく感じる。
 
ここ3週間ほどいつになくお花のある生活になっているが
今こそ春本番
一年で心浮き立ついい季節
『花のある暮らし』の豊かさをもっと楽しまなきゃと思う。
 


2014年4月7日月曜日

危険な意気投合


 
本日は朝からからりと晴れ、
朝の寒さから一転、日中は日差しも温かな好天に恵まれた。
 
キモノ好きとしては『帯付き』という格好で出歩くのに最適な天候である。
帯付きとはキモノに帯をしめただけの姿のことを指していて
道行コートやショールなどを羽織らないので、本来のキモノ姿で過ごせるということだ。
 
折しも桜は週末の強風のせいで散り際。
そこで銀ねずの地色に水の流れを金銀で線描きし、そこに桜の花びらが舞うという
正に「いつ着るの、今でしょ!」というべき訪問着に、
同じく水の流れを文様化した袋帯を合わせ、
ポイントカラーに渋めの紫を選び小物に使った組み合わせで着付けることにした。
 
私のキモノコーディネイトのポリシーはといえば、
キモノは無地場の多いあっさり柄、帯は格調があっても、しゃれて粋なもの、
どちらかというと物足りないぐらいの感じに
ポイントカラーの小物達が加わり、
最後は口紅の色が画竜点睛でプラスされ完成するという考え方だ。
 
だから、ひとつひとつは案外地味なので、一般的ではないかもしれない。
 
今日は写真のその装いで、
大手呉服店が主催する展示会とお食事会に招かれたので
築地の老舗料亭に向かった。
 
キモノの展示会に出掛けるなんて、そんな危険極まりないと思うのだが
最初から決して新しい何かを買う気はないし、ただキモノ姿で伺うというだけだと
担当の女性には念を押しての訪問である。
 
とはいえ、何も見ないでご飯だけいただいて帰るなんてことも出来ないので
ひととおり展示会場を見ることにはなるのだが・・・。
 
滅多に立ち入ることができない老舗料亭の古い建物の中に入り、
正面の階段を上がるとすぐに展示会場になっていた。
まずは京都の老舗呉服店『重兵衞』のコーナーだ。
その最初の一歩目で目に止まったのが、
枯山水の岩と水(砂)が大胆にデザインされた銀地のつづれ帯。
岩の部分が渋い小豆色で銀糸の凝った刺繍で苔のような風合いが差してある。
 
色が渋い銀とグレー系の小豆色だけしか使っていないので、
一見派手さはないのだが、何とも粋でシックで重厚感もありながら都会的。
 
そこに八代目の若旦那(40代後半か)が目を輝かせてすり寄ってきた。
「これに目を止めてくださるなんて」と自慢げに帯を衣桁からはずし
「それにしてもなんてきれいにキモノを着付けていらっしゃる」と褒めちぎり、
「ご自分を知っていらっしゃるからこそのコーディネイトですね」とうまいところをついて
危険極まりない空気になってきた。
 
内心、きたきたきた~!と恐れながらも
キモノのコーディネイトと着付けを褒められて悪い気はしない。
 
更に会話の拍子に八代目から飛び出た言葉が
「キモノはちょっと物足りないぐらいのものに、こんな感じのすっとした帯をあわせて
後は小物で色を足して、最後は紅の赤でっせ」と。
 
じぇじぇ、どこかで聞いたような・・・。
つい、さっき、担当の女性が今日のキモノのセンスを褒めてくれた時に
ぶち上げた私のキモノポリシーそっくりの言葉だったものだから
私も担当さんもビックリ。
 
ですよね、ですよねと、すっかり意気投合して、
あわやその帯を買おうかというような気分になったが
お値段を聞いて、目が覚めた。
 
何と、368万円だったのである。
 
「えーっ、さんびゃくろくじゅうはち万円!?
私、車買うわ。それも相当な高級車が買えちゃうわ」
 
担当さんも「いくらよくても、そりゃないわ」という体で、
そそくさとその場から私を連れ出し、食事処へと案内してくれた。
 
料亭の松花堂弁当を食べている先にも計算機をもった部長なる男性がやってきて
「これではいかがでしょう」と見せてくれたが
そこにも「1,200,000」という文字が並んでいた。
 
「これでも軽なら車が買えますね」と笑い飛ばし、
結局、当初の意志を貫き、空ら手で展示会場を抜け出し、
銀座と原宿で開催しているふたりの友人の版画展に向かった。
 
けっこうイケメンの感じのいい八代目だったし、
キモノの話でツーカーになれ、楽しいひとときだったから
あれがもう少し現実味のあるお値段だったら、清水の舞台から飛び降りていたかも。
 
そのぐらい気にいった私好みの帯だった上に
息のあったキモノ談義だった。
 
それにしても、何なんだキモノって。
だれが買うんだ368万円の帯。
その上、おまけして120万って、意味が分からん。
 
私にとって『呉服屋こそが伏魔殿』
そうしみじみ感じた展示会なのだった。

2014年4月5日土曜日

久々の陶芸教室

 
 
 
 
今年に入って、陶芸教室にはなかなか行けていなかった。
2月は大雪で電車がストップしたし、
3月は個展のオープニングとぶつかった。
 
他の曜日に振り替えは可能なのだが、いきなり決まった個展の準備に追われ
なかなか陶芸教室で器を創ろうという時間も捻出出来ず、
そんな気持ちの余裕もなかった。
 
しかし、陶芸教室の先生を始め、工房で知り合いになったおじさま達や女性達が
わざわざ銀座まで何人も絵を観に来てくださったので、
そのお礼も言わなければと、今日は久々に工房に出掛けていった。
 
一応、第1と第3土曜日の午後組に在籍していることになっているが
時間が合わず、第2第4に振り替えたり、お休みしている内に
新しい女性メンバーが増えていた。
 
新人さんなのに、慣れた感じで電動ろくろの前に座り、
次々と大きなどんぶりを創っている。
聞けば、大学時代に陶芸をやっていたとか。
 
まだ若いのにサクサク大きな器をろくろでひいていく彼女に
以前からのリタイアおじさま組は内心慌てているのかもしれない。
 
総じておじさまメンバーは皆さん手堅くまじめに器を創っていく人が多いのだが
工房に来ている女性陣は皆、なぜかデザイナーだったり、陶芸経験者だったり
私のような絵描きだったりするから
好き勝手に作陶する。
 
元来、
女性の方が既成概念にとらわれず、趣味なんだから自由にと
アイデアに富んだ面白いものを創る傾向がある。
 
少し前まで、でかくて変なものばかり創る『異端児』だった私も、
個展で何者かが少し認知され
更にまた新人の自由作陶できる女性が加わったことで、
工房の空気が変わるかもしれないなと感じる。
 
さて、本日はだいぶ前に創った黒土の巨大文房具入れと大小ペアの器が
焼き上がってきた。
 
いずれも使い勝手がよさそうだ。
 
白い古信楽という土に黒い粉土を混ぜ込み、グレーの土にしてから成形し
それに黒天目か失透という白の釉薬がかかっている。
 
モノクロームシリーズで何点か創ろうかと思っている第一弾としては
なかなか思い通りに出来てきて、さい先がいい。
 
しかし、工房から遠ざかっている間に私の中の創りたいものは変化して
今は個展の会場とかで使う荒削りな湯飲みと菓子器が欲しくなってしまった。
というわけで、今日の作陶は同じ古信楽を使ったが
白い大ぶりの湯飲み作りであった。
 
焼き上がりを見ながら、同じものを6~8個ぐらいは創ろうかと思っている。
 
久しぶりの陶芸工房で土と対話する。
これもやっぱり好きな時間だなと感じた。


2014年4月4日金曜日

穏やかな幕切れ

 
 
 
 
 
 
 
 
個展が終わって1週間が経った。
スタートから考えると2週間近くが経ったことになる。
 
その間に220名ほどの方が会場を訪ねてくださり、
中にはお花やお菓子を携えていらした方も多かった。
 
会期の初日には立派な3本差しの胡蝶蘭と
ブリザーブドフラワーになっているオーストラリアのワイルドフラワー、
そして、古い友人ふたりが贈ってくれた白いカサブランカや極楽鳥花がメインの
ゴージャスなアレンジメントが届いた。
 
他にも可愛いブーケや花束、アレンジメントなどが最終日までにいくつか届いて
会場は毎日美しい花々で彩られ
次々花開くカサブランカの香りで満たされていた。
 
それらは1週間会場を飾り、最後には大量の額縁と共に我が家へ帰ってきた。
 
それから1週間、
さすがに毎日水を取り替える度に少しずつ枯れてしまうものも出てきているが、
それでもアレンジを変えつつ、今もリビングを飾っている。
 
芸能人でもない私のようなものが、これほどまでにたくさんのお花をいただくことは
個展の時をおいて他にはないのだが、
家まで持ち帰った花たちのアレンジを変えながら
少しでも長く楽しむ作業は、とても心豊かにさせてもらえる。
 
最初の大きなアレンジメントの中で生き残るのは決まってメインのお花ではなくて
脇や下支えしていた花や葉っぱ達だ。
 
その花や葉っぱ達を拾い集めて新しいミニブーケを作ると
最初の豪華さとはまたひと味違った楚々とした美しさのブーケになる。
 
長い茎をもっていた八重咲きのトルコ桔梗の花束も毎日少しずつ短く切り
最後はきゅっとまとめて小さなドレッシング入れなどに差してみる。
 
アレンジに手を加える度に
その花束を持ってきてくださった方の顔を思い浮かべる。
私へのお花をと、選んでくださったその気持ちを想像して
心がほっこりしてくる。
 
今回の個展には初めて個展に来てくださったここ2年ぐらいの新しい交友の方と
30年40年と昔からのおつきあいの方が多かった。
 
歳月が流れて
その間に人は濃密に関わったり、疎遠になったり、変化していくけれど
私が絵を続けていなければ決してこうした交流はもてなかったと
温かな気持ちが湧いてくる。
 
最後の一輪までアレンジを変えて
1日でも長くこの花の命を楽しみながら
そろりそろりと来年の個展へ向け、
新作の制作にとりかかろうと思っているところである。


2014年4月1日火曜日

にっぽんの春

 
 
 
 
横浜は本日、桜が満開になった。
明日は夕方には雨かもしれないというので、今日の午後、お花見散歩に出掛けた。
 
我が家の近くで桜の名所と言えば、大岡川沿いの桜ということで
家から30分ほどの弘明寺商店街まで、まずは歩いてみた。
 
途中で桜ではないけれど、桜をひとぶり大きくしたような濃いピンクの花をみつけ
記念写真を撮った。
昨日撮った紅白の桃のような花と共に、この時期を華やかに彩っている。
 
街中のピンク色の花という花がいっせいに咲き誇って、本当に美しい。
 
『にっぽんの春』とはまさにこういう時期を差しているんだなと思う。
 
大岡川沿いの歩道には人があふれ、
車の通りが制限されているので、三三五五お散歩する人でぶつかりそうなぐらいだ。
 
それでもみんな自然と笑顔がこぼれて
頭上の大きな枝を見あげたり、
川面に枝がしだれかかる風景をカメラに納めたりしている。
 
今年はなぜか車いすで訪れている人の姿がおおぜい目についた。
 
車いすを押す人と乗っている人が桜を指さしながら会話していたり
車いすの人を思いやるようにゆっくり押している様子をみていると
今年の春の訪れをしみじみ受け止めているに違いないと思えてくる。
 
日本人のDNAに組み込まれた桜を特別に愛でるその気持ちが
自分の中にも確実にあることを感じる。
 
1時間半ぐらいかけて弘明寺周辺から上大岡へと歩き、
最後に贔屓の呉服屋さんに立ち寄って、
仕立て上がった道行きコートを受け取り、帰ってきた。
 
個展があって忙しい日々が過ぎていったせいで
もうすっかり春本番になってしまったから
今更、道行きコートが出来てきても、今シーズンは袖を通さず終わるだろう。
 
それでも仕立て上がりのキモノがまたひとつ増え
心が浮き立つ。
 
日本人に生まれて、こうして今年も桜咲く季節を迎えた。
あと10日もすれば、私は60回目の桜の季節を迎えたことになる。
 
4月生まれは
誕生石はダイヤモンドだし、
花なら桜だ。
 
どう、ちょっと羨ましいでしょ?
そう花粉でグシュグシュな鼻をちょっと高くする
4月1日エイプリルフールの今日なのでした。