2018年5月22日火曜日

孫のための子育て支援

 
 
 
 
 
4月の下旬から、毎週火曜日に長女の家まで行って、
子育て支援として料理当番をしている。
 
孫は4月初めからならし保育の保育園がスタートし、
長女は4月半ば過ぎから社会復帰した。
 
今は
会社からの帰りは時短勤務なので、保育園で娘をピックアップしてから帰宅して
大体5時半。
(駅から自宅のちょうど真ん中に保育園があり、好都合)
 
しかし、
そこから夕食を作っていたのでは、
孫の食べる時間も寝る時間も遅くなるというので、
私は3時には娘の家に行き、
5時半めがけて、5品ほど作って待っていて、
帰ったと同時にすぐ食べられるようにするという具合だ。
 
前日には、娘から、今、冷蔵庫にある野菜と肉を知らせるLINEがくる。
それをみて、あらかじめメニューを決め、
火曜日の午後は駅に着いたら先ず、スーパーに寄って、
足りない食材を買い足し、娘の家のキッチンで料理をする。
 
昨夜のNHKの「プロフェッショナル」という番組で、
伝説の家政婦・志麻さんという料理専門の家政婦さんが紹介されていた。
 
元フレンチのシェフとして15年も働いていたのに、
突如、家政婦として個人宅に出向いて、料理を作る仕事に転職。
 
3時間で15品ぐらいを、しかも、各家庭のニーズに合わせて作るという。
 
そのあまりの手際の良さと美味しい料理の数々に
毎日予約が殺到し、なかなか予約が取れない人気ぶりとか。
 
自分もフランス人の夫との間に7ヶ月のベイビーがいて、
仕事にはベイビーを連れて行き、あやしながらの作業なのに、
そんなに大量の品数を作るらしい。
 
訪問する家庭はいずれも小さな子どもがいる共働き夫婦で、
家族のために手作りの料理を作りたくても、時間のない忙しいお母さんばかり。
自分も同じ境遇になったからこそ、そういうお母さんの気持ちが分かるので、
その家族が喜ぶ料理を作りたいという。
 
志麻さんは3時間7800円で料理を作ってくれるというが、
私は電車賃を使ってはるばる出掛け、
家からカリフラワーを持ち込んだり、豚肉を持ち込んだり・・・。
 
母親というのは「無償の愛」とやらがなくてはやってらんないが、
日本のお母さんが大変なのは事実なので、
少しは助けてやろうじゃないかというのが、今の気持ちだ。
 
今日は昨日のテレビに感化され、
いつもより大量に作ることにした。
 
品数は勝てないが、量で勝負である。
 
何と、キャセロールまで行きがけに購入して、持ち込んだ。
 
6月始めに満1歳になる孫。
目下、片足を引きずる不思議なハイハイ(ゾンビハイハイともいう)でどこへでも行き、
いつでもご機嫌うるわしい。
最近はいろいろ喜怒哀楽を表情に出すようになって、
意思表示がはっきりしてきた。
 
そして、何より、食べることが大好き。
まだ、下の歯が2本生えているだけなのに、好き嫌いなくなんでも食べる。
ニラとか納豆とか、大人でも好き嫌いがでそうなものも、難なくクリアだ。
 
保育園からの日誌では、毎日、「お昼ご飯は完食しました」とある。
 
というわけで、本日は
「ひじき入りレンコン鶏ボールの野菜あんかけ」
「親子丼」
「カリフラワーのグラタン」
「コールスロー」
 
そして、大人用には「レンコンとにんじんの筑前煮」を追加。
 
筑前煮以外は材料を少し小さめに切ったり、よく煮込んだり、
味を薄くしたりの工夫さえすれば、もう食べられるようになっている。
(全部シポリン仕様では大人が物足りないので、あえてゴロゴロ野菜で作っている)
 
今日も専用のプレートに4品を盛り付け、
椅子に座らせると「早くちょうだい」とばかりに催促し、
食べ始めるとニコニコ顔でどんどん食べまくる。
 
いずれも生まれて初めて口にするメニューなのに、
ひとくち食べて味わうと「これ好き」といいたげに、嬉しそうにモグモグする。
 
とりわけ気に入ったのは、ひじき入りレンコン鶏ボールだったようで、
直径4~5㎝ぐらいのボール状に作って、ふたつも食べれば十分かと思ったら、
何と、もうふたつおかわりして全部食べてしまった。
 
途中からはスプーンで運ばれてくるのがもどかしいらしく、
自分で手づかみでカリフラワーやミートボールを食べる始末。
 
自分の子供達はそんなにたくさん食べる方ではなかったので、
ビックリするやら、嬉しいやら。
 
ここまで気持ちよく食べてくれるなら、
「ばぁばは毎週シポリンのために頑張りまっせ」といいたくなる。
 
今日は動画も撮ったのだが、
6分超えの長編になり、
全編、美味しそうに次々食べ物を口に運んで食べる図になった。
 
その動画を観ていると、こっちまでニヤニヤして来て、
幸せな気持ちになる。
 
家族に配信すると、あっちからもこっちからも
「食べ過ぎでしょ」の反応が返ってきた。
 
料理を作ったものは
食べた人の「美味しい」の言葉や表情があれば、
また、美味しいものを作るために頑張れる。
 
そんな暖かな気持ちを胸に、夜道を歩いて帰ってきた。
初夏の爽やかな風がほおにあたり、
見あげると、今夜のお月様はくっきりした半月だった。
 

2018年5月21日月曜日

トレペ転写

 
 
 
 
今日は珍しく1日中、自宅にこもることが出来たので、
朝から、トレッシングペーパーに描かれた新作版画の原画を、
版木に転写する作業を行った。
 
今回の新作は81㎝×81㎝の正方形。
大きさは私の手がける版画としてはとても大きい。
 
2枚接ぎの作品はもっと大きいが、
1枚の和紙で摺る作品としては、最大級といってもいい。
 
なので、版木もベニヤ板の大きさの版木を2裁といって、
半分の大きさに切ってもらった90㎝×90㎝のものを使用する。
(ベニヤ板ではなく、シナベニヤという版画用合板で6ミリ厚である)
 
油絵のように、キャンバスに直接描くような作品ならいざ知らず、
木版画のように刀で彫って、ばれんで摺ってということになると、
なかなか手強い大きさだ。
 
それでも、この間、林英哲率いる鼓童の迫力ある太鼓演奏を聴いていて、
この図柄をはたと思いついてしまったのだから、もう後戻りは出来ない。
 
木目の部分と黒地に鮮やかな時計草のあるパートが、
市松模様になっている最終の画面が頭の中に思い浮かんでいるので、
これはもう具現化するしかない。
 
というわけで、今日は1日、
原画を版木にカーボンで転写する作業にいそしんだ。
 
木版は隣同士の色は同じ版には出来ないので、分解して転写する。
なるべく版数を大量に使わないように、少しずつずらして転写し、
効率よく版木を使わなければならない。
 
結局、両面に転写し3枚の版木、つまり、6面ですべてのパートを写し終えた。
 
ずらしながら転写したので、
版面は6面でも、12版ぐらいにはなってしまった。
 
しかし、これは予想していたより、だいぶ少ない。
 
最近は色数も制限し、よって、版数も少なくなっている。
それでも物足りなさがなく、版画の彫りの良さが活かせる作品をと心がけている。
 
それにしても、転写しただけで、ヘトヘトに疲れ、
集中力の限界に達してしまったと感じるのは歳のせいか・・・。
 
ハタと気づけば、1作品の転写に8時間もかかっているのだから、
疲れを感じても仕方ないのかもしれない。
 
こんなめんどくさいこと、
こんな力仕事、
こんな肩の凝る作業と、
文句タラタラなのに、40年も続いているところをみると、
「好きだから」に違いない。
 
人生、好きなことがあることは何より何より。
 
そう考えると、冷えたビールが五臓六腑に染み渡る。
 

2018年5月19日土曜日

釉かけと作陶

 
 
 
今日は陶芸工房では2ヶ月に1度の釉薬をかける日だった。
 
この2~3ヶ月で作陶して、少し乾燥させてから、削りという行程を経て、
素焼きの出来上がったものに、
好きな釉薬を攪拌してかけ回すという作業が行われた。
 
今回、私の作品で素焼きが出来上がっていたのは、
1枚目の写真のピッチャー型の花瓶と花瓶の下に敷く陶板、
ドレッシング入れ、
左側に少しだけ写っている直径30㎝の楕円形の大皿の計4点。
 
いつもはひとつの器に2~3種類の釉薬をかけて、
『かけ分け』という技法を使うことが多いのだが、
今回は『チタン失透』という不透明の白い釉薬のみの全体がけだけ。
 
最近は凝った釉薬のものより、白いシンプルなものがしっくりきている。
 
まあ、7年陶芸をやってみて、
あれこれ変わったこと、オリジナリティのあるものにこだわってきたが、
ようやく落ちついてきたということだろう。
 
相変わらずてびねりが好きなので、
ろくろの作品より、嫌でもオリジナリティは出てしまうので、
更にゴテゴテ何種類もの釉薬をかけなくても十分個性的ということに
7年目にして気づいたわけである。
 
遅っ!
 
なので、攪拌する釉薬も1種類だけだったので、
釉かけの作業自体が早く済み、
残りの時間で前回、作陶した四角い中角皿2枚と小角皿2枚の削りも終え、
素焼き用の棚に出すことが出来た。
 
更に時間がまだあったので、
前回の角皿を作陶したときに残ってしまった土を練り直し、
新たに長い角皿を大小2枚ずつ作ることが出来た。
 
角皿は板作りという技法で、土をまず5ミリの厚さに綿棒で均一に伸ばす。
型紙で正確に四角く切り取り、四隅に斜めの切り込みを入れ、
折り紙のように縁を立ち上げ、角を交差させて貼り合わせる。
 
大きさは違えど、同じ作業を何枚も繰り返す内に、
だんだん手際がよくなって、量産体制が整ってくる。
 
板作りはてびねりの技法のひとつだが、
玉作りや紐作りなどより、
精度をあげれば、均一なものを何枚も作れる可能性が大きいと感じる。
 
今はダンナとふたり暮らしなので、家族4人分のものを作る必要はないのだが、
いずれも2枚ずつ作り、相似形に作ることで、重ねることも出来れば、
より既製品っぽい感じと収納の時の利便性が増すに違いない。
 
本日は釉かけ4点、
削り4点、作陶4点と、
なかなかの出来高だった。
 
さて、仕上げはどんな具合やら。
6月の最初の作陶日までに焼き上がってくるはずだ。
 
陶芸が趣味といっても、釜入れと釜出しの作業は先生任せのノータッチなので、
大きなことは言えないのだが、
今回の作品群はうまく焼ければ使い勝手のいいものになる予感がする。
 
期待を胸に、焼き上がりを心待ちにして、工房を出た。
 
「どーか無事に、イメージどおりに焼き上がりますように」
 

2018年5月13日日曜日

鎌倉八幡宮献茶式

 
 
 

 
毎年5月13日に、鎌倉の鶴岡八幡宮で執り行われる表千家の献茶式と、
添え釜のお茶会に、お茶の先生とお社中の皆さん5名とで行ってきた。
 
昨年も同じく5月13日だったが、あいにくのどしゃ降りの雨だった。
今年も天気予報は昼頃から雨ということだったので、
朝から空模様と相談しながらの鎌倉詣でとなった。
 
早朝5時半前には起床し、もそもそキッチンで朝ご飯を作り、自分だけ食べた。
着物を着て鎌倉駅に8時半集合となると、
何もそんなに早起きしなくてもと思うのだが、何だか寝てもいられない気分だ。
 
幸い、家を出るときはまだ雨は降っていなかったが、
いかにも降りそうな雲ゆきなので、薄手の着物用レインコートを着て、
足元も雨用の草履で行くことにした。
 
お茶の方々はいつも思うが、朝は早いし、雨だろうが大風だろうが、
決してめげることなく着物を着てお茶会にいらっしゃる。
その元気と熱心さには脱帽だ。
 
私も負けじと8時20分には鎌倉駅の改札に到着し、
そこからお社中の皆さん5名で八幡宮を目指した。
朝の8時半に着物を着たおば様達がぞろぞろぞろぞろ八幡様めがけて歩く様は
ちょっと不思議な光景だ。
 
せっせと参道を歩いたお陰で、 
9時始まりの『常陸席』の第一席目にうまく入ることが出来、
順調な滑り出しだ。
 
そのお席ではお家元の箱書き付きの立派なお道具をいくつも拝見し、
おいしい『唐衣』という銘のお菓子とお抹茶をいただいた。
 
先々代の家元の筆になる『神』の一文字のお軸がそのお席のテーマを象徴して、
鎌倉八幡宮の神様に捧げるお茶席であるということが分かる。
 
お茶席では隣で先生がいろいろ説明してくださるので、
興味深いし、お勉強になる。
 
もう一席、神奈川青年部のお席にも入り、
青年部の部長さんだという男性の軽妙なおしゃべりで、
そのお席の立派なお道具組の説明を聴いた。
 
通常、席主は控えめなおばあさまが多いので、
あまり自慢めかした話し方はしないものだが、
その方はまるで落語家のようによくしゃべる上にうんちくが多く、
更にお道具自慢のお話が続く。
 
ユーモアがあるのは楽しくていいのだが、お茶の世界では個性的な席主だ。
 
「お茶人としてはどーなの?」といいたくなるような
ロン毛を後ろで無造作にちょんまげにし、紋付き袴姿のその男性は、
どうやら神奈川支部では有名な名家の坊ちゃんらしいのだが、
その特異な風貌やいでたちでも有名だというから困ったもんだ。
 
こうしたお茶会だからこそ会えたり見たりすることのできる有名人や
高価なお道具に、
私達一般人はキョロキョロザワザワ、
一見、着物を着てしとやかそうに見えても中身はいたってミーハーなのだ。
 
ミーハーの極めつけは『お献茶式』で
八幡宮の舞殿でお家元の弟、三木町宗匠によって奉納されたお献茶を
ひと目見ようと、おば様達が押し寄せた。
それをメインの目的に来た方々は
舞殿の脇に設置された椅子席を、長時間待って確保し、
喰い入るように三木町宗匠のお点前を観ていた。
 
私達6名は他の2席のお茶をいただいた後、
一般の観光客や参拝客の方と同じところから献茶式を拝見、
それでも十分、宗匠の動きは観ることが出来たので、これで十分じゃないかと思った。
 
確かに三木町宗匠のお点前など、直接、拝見する機会はほとんどないわけだから、
細かいところがとても参考になるし、
「観て盗め」の極意でいえば、献茶式は恰好の機会ということになる。
 
今日もお茶の世界に身を置くおば様達の熱意に感心しながら、
それぞれのお席のお点前を拝見し、
数々の立派な箱書き付きのお道具で我が目を楽しませ、
美味しい和菓子と三服のお抹茶をいただいてきた。
 
昼頃、何とか雨の降りだしを回避して、八幡様を抜け出し、
鎌倉の小鉢料理のお店のランチをし、パンを買い込んだあたりで、
遂に傘をさす人が増えてきたので、急ぎ電車に飛び乗った。
 
朝5時過ぎに起きたツケが回ってきたのか、
家について帯をほどくと同時に、猛然と眠気が襲ってきた。
 
「きれいなおべべを着て、遊びに行くのもエネルギーがいるわ」
 
つくづくそんな風に感じたお献茶式であった。
 

2018年5月7日月曜日

作品撮影

 
 
 
 
1年に1度、写真家のH氏に家まで来てもらって、
作品の撮影をお願いしている。
 
埼玉県さいたま市から横浜市まで、わざわざ来てもらうのは、
私の作品に2枚接ぎの作品があるからで、
巻いて送って何かあってはいけないということで、来ていただいている。
 
今年も新しい額縁屋さんで、無事、新作をきれいに接いでもらったので、
そんな話をしながら、1年のお互いの安否確認の意味もある。
 
なぜなら、1昨年の暮れ、
長年お世話になっていた額縁屋さん(接ぎもお願いしていた)が、
まだ67歳という若さなのに咽頭癌で亡くなり、
「接ぎの仕事をお願いできるところがなくなった」という話をしていたのだが、
その時、H氏ものどの調子が悪くて、内心、ドキッとしたのだとか・・・。
 
H氏はだいぶ前に大病をしていて、「もしかして転移?」と心配になり、
昨年の撮影の後、すぐに病院で検査をしたそうな。
 
今日は、幸い、何でもなかったという事後報告を受けながら、
「本当に他人事じゃない年齢になってしまったわね」と
しみじみとした空気になった。
 
一方、私の今年の作品テーマは「初孫が生まれて感じたこと」だと話すと、
世代交代やら、無垢なる命だとかに話は及び、
つくづく、1年ぶりの撮影会も意味をもっていると感じる。
 
今年は5点しか撮影する作品がなかったので、
撮影自体はさくさくと終了し、
あとはしばらく、手作りのオランジェをつまみ、
お抹茶を点てて、おしゃべりした。
 
お互いにひとつ歳をとり、
年を追うごとにプライベートな話もするようになり、
1年間に創り溜めた作品をデータ化しながら、
今年も元気にこの日を迎えられたことに安堵した。
 
なぜなら、作品には作家の心持ちや心身の健康状態が反映され、
写真家としてちゃんとその辺は見抜いているからだ。
 
H氏に来年も気持ちよく撮影してもらえるよう、
この1年もしっかり制作しよう。
 
写真家のH氏、額縁屋のK氏など、
私の作品に関わってくださる職人さん達の目に適う作品を創らなければ・・・、
そう気持ちを新たにした1日だった。
 
 

2018年5月6日日曜日

林英哲からの啓示

 
 
 
昨日の朝、『題名のない音楽会』を観ていたら、
フランスの音楽祭に出演している林英哲のパフォーマンスをやっていた。
 
林英哲は鼓童という和太鼓のパフォーマンスで世界的に有名なグループの親方だ。
 
映像の中で誕生日を迎え、お祝いのケーキを若手メンバーからプレゼントされ、
「66になりました」と答えていたから、決して若いとは言えない。
 
しかし、その圧倒的な太鼓の音色、響き、リズム、肉体美、
どれをとってもそれはそれは素晴らしいし、大迫力だし、美しい。
 
どこの音楽祭かは聞き漏らしたが、
会場のフランス人は誰にインタビューしても、驚きと賞賛をもって、
林英哲のパフォーマンスを評していた。
 
それは単に太鼓奏者としての力量ではなく、
舞台にみなぎる活力と造形美、世界に類をみないパフォーマンス全体を指し、
スタンディングオベーションをもって、その演奏を讃えていた。
 
それを観ながら、同じ日本人として誇らしいと思うと同時に、
「日本人として何を残せるのか」という命題が、
頭の上に堕ちてきたたらいのように、正にがーん!と私の頭を直撃した。
 
彼は日本人のアイデンティティを体現しているのだ。
 
それを観客のフランス人が感じ取って、リスペクトの賛辞を贈っている。
 
そのことに気づいた私は、他人事ではないと瞬時に悟った。
 
私にとって、「日本人であること」は、いつもどこかで気にかかってることであり、
好ましく思っていることでもある。
 
海外旅行に行ってきたというと
「何かヒントを得て、また、それが作品になるんですか」という質問を受けるが、
決して、外国にネタを探しに行っているわけじゃない。
 
完全にリフレッシュのための海外旅行であり、
私の最大のストレスコーピングだという位置づけだ。
 
だから、今回のクロアチア旅行もとても楽しかったけど、
ドブロヴニクのオレンジ色の屋根と青い海なんかが作品になったりはしない。
 
気づけば、旅行を挟んで2ヶ月近く、木版画から離れてしまっている。
「次の作品どうするかな・・・」とは思っていたのだが、
「これだ!」と閃くものが何もないままに、日にちばかりが過ぎていた。
 
ゴールデンウィークもまったく版画には関与せずに、
ただ、いたずらに時間が過ぎていたのだが、
遂に林英哲が、私の頭にたらいを堕としてくれたようだ。
 
大きな真四角の画面、市松模様に区切られたベージュと黒のマス目。
ベージュは木目。
黒い背景に浮かび上がるのは赤紫の時計草。
 
着物の帯締めが画面に動きを与え、
静かな空間に流れを生んでいる。
 
ぼんやりとだが、最終の画面が思い描けている。
 
私にとっていい形の作品の立ち上がりだ。
 
81㎝×81㎝の大きな作品で創ってみようと思う。
2点対の作品にするつもり。
 
クロアチアで迎えた誕生日、
また、ひとつ歳をとって、尚、前に進む。
 
勝手に「私も林英哲のように頑張るわ」と心に決め、
方眼紙を広げ、原画に取り組むことにした。
 

2018年5月3日木曜日

安田泰三 ガラスの世界

 
 
 
友人に誘われて、
『安田泰三展』~レースガラスの魔術師~という展覧会に行った。
 
安田泰三というガラス作家も初めて知ったし、
みなとみらいのはずれにある『みらい美術館』という会場も初めて知った。
 
横浜のそごうデパートの先から表に出て、国道1号線沿いを5分ほど歩き、
ちょっと左に曲がったところにその美術館の入っているビルがあった。
 
ビルの1階にウェディングドレスのレンタルショップと保育園が入っており、
2階に歯医者さんとそのみらい美術館があるという、
不思議な雑居状態の真新しいビルだ。
 
ガラス作品ばかりを扱うギャラリーらしく、
中は照明を落として薄暗く、
レースガラスの魔術師というだけあって、
ガラスのレースを多用した幻想的な作品が暗闇に浮かび上がっている。
 
友人は普段、青山でガレやドームなど、ガラス製品を扱うお店で働いている。
その関係で展覧会の招待券を手に入れ、
私に声をかけてくれたのだ。
 
以前、スポーツクラブに通っていたとき、同じクラスを取って、
隣同志で汗を流していた仲なのだが、
1年前に私がスポーツクラブを辞めてしまったので、
彼女と会うのは昨年の6月、私のグループ展に来てくれて以来ということになる。
 
美術系の人間だから、きっとガラスの作品にも興味があるだろうと
察してのことだと思うが、
だいぶご無沙汰になっているのに、声をかけてくれるのは嬉しいことだ。
 
薄暗がりの会場の中を、他に誰も人がいないのをいいことに、
「たぶん、これは最初にレースの棒を並べておいて、
それを透明な筒状のガラスに巻き付け、膨らまして・・・」みたいに
知っているガラス制作の知識を駆使して説明しながら鑑賞した。
 
もし、私が男性で、もっと身体が大きくて、力もあったら、
ガラス工芸作家になるのもいいなと思っていたというような話をし、
目の前の美しい作品は、
熱さと重さに耐え、瞬間の判断力が必要なのよと解説した。
 
家に帰ってからパンフレットをよく読むと、
どんなに大きな花器も複雑な作品も、安田泰三ひとりで制作しているとある。
 
ガラスの作品は
工房で何人かの助手を使って制作するものとばかり思っていたので、
いささか驚き、
他者を排除する作者のこだわりを強く感じた。
 
見知らぬ作家のガラスに賭けた情熱を受け取りながら、
でも、こんなに大きな花器を誰がどこに置いとくんだろうなどと、
現実との狭間でいろいろ苦悩もあるに違いないと想像した。
 
ゆっくりじっくり作品を観た後は、駅に戻って、
友人とランチをしながらおしゃべりした。
 
最近、こういう『おしゃべり』という時間がめっきり減った。
 
数年前までは、ママ友ランチや、
海外転勤していた時の友人とのおしゃべりの機会が多くあったが、
何だか環境が変わって縁遠くなってしまった。
 
人は今ある環境で触れ合う人としか繋がれないのか。
それも表面的なつながりだとしたら・・・。
 
久しぶりのおしゃべりが楽しいと思えた分、
いつの間にかそうした人間関係が希薄になっていることに気づいたのである。
 
友人は渡した自作のショコラ・オランジェを凄く喜んでくれ、
「大事にひとりでこっそり味わうわ」と言って、帰っていった。
 
季節はずれの『友チョコ』は
「これからもたまに会って、おしゃべりしましょうね」という
私からのメッセージだ。