2018年2月20日火曜日

保育園の合格通知

 
 
 

 
 
品川区の保育園の入園許可に関する通知が、今日、届くという。
もし、受け入れ先がなかった場合、
手当たり次第に電話をかけまくらなければいけないとかで、
娘のところから、私にもベビーシッター要請が入った。
 
ちょうど1年前、川崎に住んでいた娘は、
子どもが生まれてからでは遅すぎるというので、
保育園事情をいろいろ調べた上で、品川区に引越をした。
 
その後、6月始めに子どもは無事生まれたが、
生まれる前から大きなお腹で近隣の保育園の見学に行き、
何ヵ所かよさそうな園を選んで、区役所に希望を届け出ていた。
 
娘はこの4月から産休明けの仕事復帰を目指しているので、
志帆は生後10ヶ月、つまり、0歳児保育の枠で応募していたのだが・・・。
 
その合否の判定が書かれた文書が今日、届く。
 
何時頃、手紙類が配達されるか分からないので、
私は10時半ぐらいに着くよう、家を出たのだが、
着くと、志帆は私の顔を判別して、ニコニコとご機嫌な顔つきで迎えてくれた。
 
しかも、一昨日から急に前に向かってハイハイができるようになったとかで、
奇声を上げながら、一生懸命、前に進もうと足をジタバタさせている。
 
これは動画に撮らなくてはと大騒ぎしていると、
マンションのすぐ上の階に住んでいる娘のお友達からメールが来て、
「保育園の通知、今、届いたわよ」とおしえてくれた。
 
上の階のお友達も1歳児の男の子がいて、
同じように昨年3月に、新築マンションに移ってきたのだという。
 
3階建ての小さなマンションは同じような赤ちゃん連れの世帯が4組もいて、
この1年、情報交換をしながら、仲良く暮らしてきた。
 
内ひとりは仕事復帰はしないと決め、4月から幼稚園を選択、
もうひとりは一昨年1年休職していたせいで、早くに保育園の入園許可がおり、
マンションから1分の古い区立の保育園に決まっていた。
 
娘はその保育園を第1希望にし、その他、第6か第7かぐらいまで希望を出し、
今日の結果を待つこと、半年以上。
 
それでも受け入れ先がなく、すべて不合格になることもあるとか・・・。
 
そうしたら、例の「保育園、落ちた!日本、死ね!」である。
 
しかし、メールをもらって、階下に通知を取りに行き、
おそるおそる開封してみると、
何と、第2希望ではあるが、保育園の入園許可書なる通知が入っていた。
 
場所は家から駅までの途中にある小規模保育園で、
園庭がないのが玉にキズだが、園長先生の感じがいい、きれいな保育園だとか。
見学の時に見た食事がいいのも気に入って、第2希望にしたらしい。
 
とにかく、隣の駅の保育園とか、駅と反対方向の保育園に決まったら、
すぐに電動自転車を買わなければと思っていたらしいが、
その必要もなさそうだ。
 
しかも、同じマンションの1歳児で申し込んでいたお友達のお子さんも、
同じ保育園に決まったという。
 
ヤレヤレ、お疲れ様。
いい結果で、まずは一安心。
 
これで、いろいろ具体的に動くことが出来る。
 
当の本人はそんなことにはお構いなく、
すっかりご機嫌麗しく、満面の笑みを浮かべ、終始、奇声を上げつつ、
手当たり次第にモノを口に入れ、活発に動き回っている。
 
実際に保育園に通い出す頃には、つかまり立ちはおろか、
歩きだしているかもしれない。
 
日本社会の歪んだ構図、少子化と保育園問題など、
大人の事情に負けることなく、
志帆にはすくすく育って欲しいものだ。
 
今はシャンシャンのようにむっちむちだけど、
歩きだしたら少しはシュッとなるかなと信じて・・・。
 

2018年2月18日日曜日

「THIS IS ME 」 グレイテストショーマン

 
昨日、羽生結弦君が遂に金メダルを獲った!
念願のオリンピック2冠を達成したので、
観ていた私まで大興奮。
 
といっても、怖くて、昨日も一昨日も、カウンセリングと陶芸があったのをいいことに
オンタイムには観ず、
SP1位になったと分かってからと、金メダルを獲ったと分かってから、
夕方から夜にかけて、ゆっくり、そして、何度も何度も観た。
 
美しく完璧なショート・プログラム、
ちょっと2度ヒヤッとしたけど、最後まで力強く、音楽との同調性抜群のフリー、
そして、あのドヤ顔と涙に濡れた喜びの表情。
インタビューへの受け答えの明確さにも舌を巻く。
 
漫画のヒーローでもあそこまで栄光と悲劇とが交互に訪れはしないだろう。
そんな物語性と話題性に富んだ王子様の金メダルだった。
 
 
今日はその興奮醒めやらぬ中、
ネット予約しておいた『GREATEST SHOWMAN」を観に行った。
 
ヒュー・ジャックマン演じるショービジネスの概念を作った男バーナム率いる
「SHOWとは何ぞや?人間とは何ぞや?」という物語。
 
圧倒的な歌と踊りの力で、観る者に迫り、問いかけ、パワーをくれる
早くも今年一押しの映画になる予感。
 
人はひとりひとり皆違う。
肌の色も、生まれた環境も、人種も・・・。
更には、偏見の目に晒されるようなこびと、ヒゲを生やした黒人の大女、
250キロもある巨漢や、2メートル以上あるのっぽ、
体中に入れ墨やアザのある者など、異形の者達が集まり、立ち上がる。
 
その主題歌が『THIS IS ME』だ。
 
きっと今年の大ヒットというか、
今後、何十年も歌い継がれる名曲になるのではないだろうか。
 
劇中ではひげ面の大女レティが、みんなを率いて踊り、歌っている。
「これが私よ」と。
 
11月の転倒事故から、ジャンプはおろか全く滑れないという期間、
羽生結弦はどれだけ辛かっただろう。
それでも、腐ることなく「HTIS IS ME」と何度も思って、
出来ることはやると決め、闘ってきたに違いない。
 
どの世界にいる人も、何歳の人も、男も女も、
皆「HTIS IS ME」を求め、探し、それに立ち向かっている。
 
さあ、パワーは注入された!
ガソリン満タン!!
 
私の「THIS IS ME」に向かって、アクセルを踏もう!
 
 
 
 

2018年2月13日火曜日

近松心中物語

 
初台にある新国立劇場で上演されている『近松心中物語』を観てきた。
 
初台の駅に降り立ったのは40数年ぶり。
なので、今年20周年を迎えた新国立劇場に入ったのは初めてということになる。
 
新国立劇場の外観はとても立派な箱物で、
アプローチも今まで上演された劇中で使用された衣装が展示されていたりして、
なかなかいい感じだった。
 
会場内はさすがに20年ものという雰囲気で、椅子などに年代を感じるが、
傾斜はかなりついていて、観やすい劇場という印象だった。
 
友人と私の席は1階7列40番と41番だったので、
朝日の先行予約で買ったのに、なんで端の席なのかと憤りを感じていたのだが、
行ってみると前から3番目のど真ん中の席であった。
 
何と、最前列は5列から始まっており、
一番左の席は25番から始まっているので、
40番と41番はど真ん中ということになるらしい。
 
思わぬかぶりつき席にビックリしたが、
いつも歌舞伎座の2列目ど真ん中の席をとってもらっている同行の友人には、
いい席だったので、チケットをとった者としては、ほっと一安心だ。
 
さて、「心中物」といえば、
私にとって一番印象的なのは篠田正浩監督の『心中天網島』だ。
 
まだ高校生ぐらいだったと思うが、その斬新な手法・演出・映像美は鮮烈で、
岩下志麻と、今思えば吉右衛門演ずる道行は、脳裏に焼き付いている。
 
浄瑠璃や歌舞伎の演目として確立しているものを
当時、映画として撮るにあたり、
書き割りのような書による文字の書かれた板を駆使したセットや、
登場する黒子などが、モノトーンの美しい映像を作り上げていた。
 
今回の『近松心中物語』は蜷川幸雄の演出で有名になり、
何度も俳優を変え、上演されてきたらしい。
 
残念なことに私は蜷川幸雄演出の舞台は観ていないのだが、
彼が「いのうえひでのりの演出で近松が観てみたい」と言い残し、
今回、そのいのうえひでのり氏の演出で実現した舞台ということだ。
 
主役の忠兵衛に堤真一、梅川に宮沢りえ、
もうひと組は与兵衛に池田成志、お亀に小池栄子。
 
近松門左衛門作、元禄の世の浄瑠璃や歌舞伎で有名な言わば古典の演目を、
現代劇としてどう表現するのか、
見どころはやはりその演出方法にあるといっていいのだろう。
 
先ず、幕が上がり、目を引いたのが、
格子をうまく用いた簡易なセットに無数に取り付けられた赤い風車。
 
暗い舞台いっぱいに緋色の風車が浮かび上がり、風に回っている。
 
元禄の花街の色香と、
花街で春をひさいで暮らしている女達の儚さを象徴するようだ。
 
物語はふとしたきっかけで花街に入り込んだ忠兵衛が、遊女梅川を見初め、
恋仲になり、やがて、抜き差しならない状況に陥り、
最後は心中することになるのだが、
いのうえひでのり演出では、案外、おもしろおかしく、テンポ良くお話は進むので、
狙っているのは現代歌舞伎というか平成歌舞伎というか・・・。
 
そのあたりを助けていたのが、市川猿弥の役どころで、
うまい役者が脇を固めると、舞台の格が上がるなと感じさせる名演技だった。
 
歌舞伎と違って、舞台装置や衣装などにお金をかけるわけにはいかない分、
斬新な場面転換や、鮮烈な色彩効果などを駆使して、
なかなか楽しい演出、美しい舞台だった。
 
それにしても、現代は女性の身受けのために大金をつむとか、
好いたお人と添えないならば心中するしかないとか、
「ないない、ないわ~」と思いながら、
休憩時間に差し入れのガトーショコラをふたりでほおばったのであった。
 

2018年2月12日月曜日

バレンタイン用ガトーショコラ

 
 
 
今日は朝早くからダンナがヨットに乗りに出掛けたので、家で一人きりで過ごしている。
 
休日だということもあり、いつもより遅めに起きて、
のんびりご飯を食べ、
のんびり「今日は何をしようかな」と考えた。
 
たまにこういう日がないと、貧乏性の私でもすり減ってしまうので、
あえて予定のない日を時々設けることにしている。
 
とはいえ、何かを始めないとそわそわしてしまうのが、
貧乏性の貧乏性たる所以で、
朝食が終わる頃には、バレンタインデー用にガトーショコラを焼こうと決めた。
 
実は3連休に大阪から婿さんのご両親が来て、品川で会う時に渡そうと、
すでに1台分のガトーショコラは、先週末に焼いてある。
 
いつもなら、ハートのケーキ型に入れて焼く生地を、
パウンド型2本に分けて入れて焼くことで、1本で8切れ、2本なので16切れの
焼き菓子風ガトーショコラが出来ている。
 
それを100均で買ったオシャレな袋に入れ、ビニタイで止めると、
可愛い個包装が出来上がる。
 
そのうちの4個ずつを昨日、お母さん達と娘達夫婦に渡したので、
まだ、家には1本分のパウンド型ガトーショコラが残っている。
 
今日は更にもう2本のパウンド型を焼いて、16切れ作り、
明日あさってに会う人達に友チョコとして配ろうと思うのだ。
 
バレンタインデーだからと言って、告白したいような男性もいないし、
ヨットに出掛けたダンナには残ればあげようという程度なので、
ドサッと誰かに丸々重い愛を届けるというより、
今年は友チョコにしてみんなで食べようという趣向だ。
 
今、このブログアップの時間は本日焼いた2本のあら熱を取っているところ。
すっかり冷めたら、粉糖をまぶし、カットして、個包装にするつもり。
 
そして、夕方までの時間は、
最近、カウンセリングに見えているクライアントさんのために、
発達障害についての勉強にあてることにした。
 
通常、私は認知行動療法を用いた心理カウンセリングを行っており、
必要とあらば、空椅子の技法という心理療法を併用してセッションをしている。
 
しかし、時には専門外の知識が必要なこともあるし、
あいまいな知識のままに、いいナビゲーションができないといけないので、
クライアントさんの状態や状況を正確に把握するために
時には復習が必要になる。
 
生まれながらに持っている脳の機能障害のように、
単に性格や環境の問題として理解しようとしても、
それだけでは片付けられない問題を抱えているのではないか、
見極めることが求められている。
 
「あ~、ここが骨折していますね」とか「どこどこに癌が見つかりました」みたいに
目やCT画像に写ったりしないので、難しい。
 
心のガサガサは「ガトーショコラでも食べて、ほっこりしませんか」で癒されるけど、
脳の機能障害となると、そんなに簡単じゃない。
 
逆にいうと、
カウンセラーとしてはそれを軽々に判断して相手に伝えるのはもっとよくない。
 
だから、慎重に資料を読み返したり、
セッション内容を吟味しなければならない。
 
これはなかなか、脳みそが疲れる作業だ。
 
そんな時こそ、ガトーショコラが効果的。
作りたての個包装を開いて、香り豊かなコーヒーと共にいただくことにしよう!
 
今回の出来具合はどうかな?
 
「あ~、美味しい。私って天才かも」と
自分を褒めてあげるもの、認知的ストレスコーピングなのである。
 
 

2018年2月11日日曜日

孫の吸引力

 
 
 
 
 
孫の志帆は目下、生後8ヶ月になったところ。
まだ、周囲の人間で確実に見分けられるのは母親と父親ぐらい。
実の父親でさえ、時に怪しく、泣かれる始末。
 
まして、母親の両親、つまり、私達夫婦など、
私は泣かれたことはないが、
ダンナは先ず、再会時には泣きべそをかくところから始まる。
 
更に、大阪に住んでいる父親側の両親となると、
志帆にとっては、もっとよく分からない人になってしまう。
 
しかし、頻度高く会いたいと思っても、東京と大阪はいささか遠いので、
数ヶ月に1度がやっとだ。
そこで、なかなか会いに来てくれない若夫婦に業を煮やして、
会いたさ見たさで、この3連休に大阪の方のおばあちゃんご夫婦がやってきた。
 
私達にしても、あちらのご両親と会うのは、夏のお宮参り以来なので、
一緒にランチをして、その後、品川の水族館に行くことになった。
 
ホテルの和食屋さんで待ちあわせ、
昨夜から品川のホテルに泊まっているというご両親と若夫婦、私達、
そして、バギーに乗って登場の志帆とでテーブルを囲んだ。
 
志帆は6人の大人の顔を不思議そうな顔で見あげ、キョロキョロ。
口々に声をかけられ、ほっぺたをつつかれ、泣くわけではないけど、
「どうしたらいいの?」みたいな表情で母親に助けを求めている。
 
料理が運ばれてくる間、
ひとりずつ順番にパスして、抱っこされても、
泣くわけでも無し、笑うわけでも無し・・・。
 
一巡してバギーに戻ると、ちょっと一安心といった顔つきだ。
 
食後に行った水族館は恐ろしいほどの人の数で、
3連休の中日を
お手軽に都心の水族館で過ごそうとする家族連れでごった返していた。
 
志帆と同じぐらいの生後半年から1歳未満の赤ちゃんも数多く見られ、
館内のバギーの数はハンパない。
 
志帆はランチタイムにミルクをたっぷり飲んだせいか、
水族館に到着したあたりからお休みモードに突入し、
お目当ての2時半スタートのイルカショーの時間帯は、
バギーの中で完全に熟睡。
 
大の大人6人が孫抜きでイルカショーを観るというありがちなパターンに。
 
周囲の赤ちゃん達も案外同じパターンで、
隣の夫婦も熟睡するベイビーをダンナさんが胸に抱き、
奥さんが横でイルカショーの動画を撮っていた。
 
我が家のじーじはすっかり人酔いして、
先に表に出て待ってると、早々に退散した。
 
ちょうどその頃、志帆は目を覚まして、ようやくペンギンさんやら鮫さん、
エイさんなど、ドームを行き交うたくさんのお魚に目を白黒。
 
あまりの人の多さと初めて観る大量のお魚、館内の音楽や人の声など、
刺激が強すぎて、夜、興奮して寝ないのではと心配するほどだ。
 
友人知人から孫の保育園や小学校の催事に行ってきたという話を聞いていたが、
遂に、私達も孫をダシに出掛けるというイベントにデビューしたらしい。
 
肝心の孫は、まだ、まったく事情を飲み込んでいないのが笑えるが、
核家族化で少子化の日本にあって、
「お孫様は神様です」とは
そういうことと実感した。
  
 
 
 

2018年2月2日金曜日

初節句 間近

 
 
 
 
 
 
1月31日から、長女が孫を連れて、実家に泊まりに来ている。
 
目下、もうすぐ8ヶ月になろうとしている孫は1ヶ月見ないと急速に進化していた。
 
生後半年を機に始まった離乳食は、最初は本当にスプーン1さじのお粥から。
 
1日1回、そんな少量のお粥を食べても、何の腹の足しにもなるまいと、
「我が娘もそんなもんだったかしら」と見ていたが、
今回は1日2回、結構な量を食べるようになっていた。
 
前回、我が家に来た時は、
安納芋や紅はるかのねっとりした焼き芋がお気に入りで、
「さすがに女子やねぇ」と思ったが、
今回はお粥にさつまいもを足した芋がゆや、
お粥にかつおぶしと青のりを足したものをメインに、
パクパク一生懸命に食べている。
 
他にはバナナも大好きだし、みかんはちょっと酸っぱそうだけど、まあまあ食べるし、
昨夜はゆで卵の黄身もクリアした。
 
卵はアレルギーがあるといけないので、黄身から始めて、
白身へとと段階を経て、様子を見るらしい。
 
今は情報が多いから、若いママさん達はママ友との情報交換や
行政のママさん教室、ネット、雑誌などを駆使して、
初めての子育てに取り組んでいる。
 
私など、初めての子育ては異国の地だったし、
ママ友がすぐ近くにいたわけでもなく、まして自分の母親は日本だし、
情報が豊富にあったわけでもないのに、よく頑張ったと今更ながらに思う。
 
しかし、助けになったのは、3人の子育てを経験していたアランさんという
お手伝いさんに、毎日4時間来てもらっていたこと。
 
彼女のお陰でベビーを置いて出掛け、息抜きも出来たし、
掃除洗濯も、時には食事作りも、
ベビーシッターも頼んでいた。
 
もう、忘れているが、母親としての知恵も教えてもらっていたんだと思う。
 
今回の3泊4日の娘達親子お泊まりは、
ママの息抜き、孫の成長ぶりのお披露目もあるが、
もうひとつの目的は我が家のひな人形をチェックすることにあった。
 
来月の3日は、志帆にとっての初節句。
 
嫁側の親としてはひな人形を用意しなければならない。
 
その昔、異国の地で初節句を迎えた、志帆の母親、つまり長女のために、
日本からの船便で、私の実家から大きなひな人形が送られて来た。
 
「七段飾りは勘弁して」とお願いして、お内裏様だけにしてもらったのだが、
それでも、金屏風やらぼんぼり、台座なども含めて、
びっくりするほど大きな荷物が届いたことを、昨日のことのように思い出す。
 
そのおひな様を飾って、いろいろ料理を並べ、お隣さんご夫婦をお呼びして、
お祝いをしたのは、長女が生後5ヶ月の時だ。
 
10月生まれの長女に対し、志帆はもう少し早く生まれているので、
生後約9ヶ月になるところで初節句ということになる。
 
幸い、ひな人形はきれいに保存できていたので、新しく買うことなく、
このまま長女達の自宅に持ち帰り、初節句を迎えることが出来そうだ。
 
こうしてブログをアップしている時も膝の上にいる志帆の柔肌を感じるとき、
つくづく、時は流れ、娘が娘によく似た娘を産み、
輪廻転生、命のバトンが次世代へと受け継がれていく幸せを感じる。
 
4月になって、娘が仕事に復帰し、志帆を保育園で預かってもらうようになると、
こんな風に、ウィークデーに泊まりがけで遊びに来ることも出来なくなる。
 
次会うときは、何でも口に入れてしまう志帆はもういないのかもしれない。
 
そう思うと、この一瞬が宝物のように思えてくる。
 
膝の上で、オーママの大事な名刺をベロベロにしながら遊んでいる志帆は
今、この瞬間のこの時だけなんだと思ったら、
思わず、ぎゅっと抱きしめ、ほっぺをスリスリしたばぁばなのであった。
 

2018年1月29日月曜日

愛用品の廃番

 
 
 
1月に入って、2枚接ぎの作品の試し摺りと本摺りを行うにあたり、
十分な絵の具があるか確認したところ、
少し不足になりそうな色があることが分かった。
 
そこで、いつものように、蒲田のユザワヤまで出掛けていって、
その絵の具のコーナーで、目を疑うような張り紙を見た。
 
「彩は廃番になりましたので、在庫がなくなり次第、終了です」
 
聞いてない、聞いてない!
そんな~
これから私どうしたらいいのー!!
 
それが最初の心の叫びだった。
 
木版画の摺りに際し、私はここ30年以上、メインの絵の具に彩を使ってきた。
 
木版画には木版画用絵の具というのがあるのだが、
色数が少ないので、今までまったく試したことすらない。
 
木版には水性の絵の具が必要なのだが、
いわゆる水彩絵の具では透明度が高くて使い物にならないし、
ポスターカラーでは安価だけど、耐用年数が低くて使い物にならない。
水干絵の具の粉を膠と共に練り上げるのでは、時間と手間がかかりすぎる。
 
などの理由で、試行錯誤の末、日本画用のチューブの絵の具として出されている
「彩」もしくは「吉祥」という絵の具のシリーズに決め、
長年、愛用してきた。
 
しかし、「吉祥」はチューブが小さく、結果、単価が高くつくので、
どうしても「吉祥」の中のこの色でなければという数色を除いては、
「彩」のシリーズをメインにして、使用してきたのである。
 
その肝心要の彩のシリーズが廃番!
 
その衝撃たるや、一瞬、言葉を失い、
もう版画は辞めようかと思うほどのショックだった。
 
一昨年の暮れに
大学生の時からお世話になってきた額縁屋さんが65歳の若さで亡くなり、
額縁はもちろん、2枚接ぎの作品の接ぎの仕事をお願いするところがなくなった。
 
日本画の友人のつてで岡崎の経師屋さんを紹介してもらい、
昨年の2枚接ぎの作品は何とかその方に接いでもらった。
 
しかし、なじみの額縁屋さんが亡くなってしまったことの喪失感は
本当に大きかった。
 
何だか同志を失ったような気分。
 
その話を作品やプロフィール写真を撮ってもらっている写真家の人にしたら、
「作家さんにそこまで言ってもらえたら、冥利に尽きると思いますよ」と言っていたが、
作家は個人で活動しているようでも、
案外、周囲の助けに守られ、力をもらっているのだ。
 
長年、愛用の絵の具のシリーズが、突然、廃番になるということも、
これに匹敵するぐらいショックな出来事だった。
 
すぐにホルベインのお客様相談にメールし、困っていると告げると
代替になりうるガッシュという不透明水彩のシリーズの情報を返してくれた。
 
それはそれで、ありがたいことなのだが、
ガッシュを知らないわけではないし、
油絵科出身だから、英語表記の絵の具の名前になじみがないわけでもない。
 
しかし、私の中で「若苗」であったり、「牡丹」であったり、「緑青」だった色が、
何とかグリーンや何とかレッドになるのは、何かが違うのだ。
 
色自体も微妙に違うのはもちろん、
日本名のついた絵の具を手にし、日本名のイメージで選んでいた色は、
日本人の木版画家の気持ちに寄りそってきたはずだ。
 
それは海外転勤の最中も、帰国後も同様に、
自分が日本人であること、木版画の作家であることを意識づけてきてくれた。
 
つまり、アイデンティティが失われたような気分なのだ。
 
慌てた私は、まず、ユザワヤで残り少なくなっていた彩のよく使う色を買い占め、
2枚接ぎの作品の試し摺りと本摺りがすべて終わってから、
ホルベインの人に聞いた取り扱いのある画材屋さんに、
更に買い占めにいくことにした。
 
何カ所かの世界堂が取り扱っているはずと連絡を受け、
相模原や町田店に電話してみたが、
すでに店内からは撤去されたという。
 
世界堂新宿本店に残ったものは集められていると聞き、連絡すると、
売り切れた色も多多あったが、私のよく使う色も何色も残っていることが判明。
 
とにかく、それを買い占めなければと、新宿に向かった。
 
世界堂新宿本店は新宿駅の東口から、三丁目の交差点まで歩き、
更に少し行ったところにあった。
 
このあたりは40年ぐらい前に1年間、浪人の身で美術系予備校に通っていた。
しかし、うろ覚えの美術予備校は見当たらず、
そこに通いつつバイトしたハンドバッグ屋さんも、お茶屋さんも
別の店舗に変わっていた。
 
変わらないのは紀伊國屋書店と伊勢丹、
そして、世界堂の包み紙だけだなんて、センチメンタルな気分になり、
思わず、紀伊國屋書店のエスカレーターに乗って店内に入ってしまった。
 
そこで、今現在、生業のひとつにしている心理カウンセリングに必要な本を買った。
 
確かに40年前に、40年後、自分が心理カウンセラーになっているなんて、
想像もしなかった。
 
時は流れに流れ、
諸行無常、
変わらないものはなく、もの皆、移ろっていく。
 
昔のままに残っているものと、移ろっていくもの、
自分自身ですら、同じように昔のままの自分と変わっていく自分がいるのだから、
その変わっていくものも受け止めて、順応しなければと思った1日である。
 
あ~ぁ、
それにしても、彩、なんで辞めちゃうの?
おばさんは順応性が低いんだから、そのあたり、考えてよね!