2017年8月17日木曜日

絵師KIMINO

 
 


今週はずっと雨という予報なので、新作の本摺りに向け、
今日は試し摺りをした。
 
浮世絵は絵師と彫り師と摺り師と版元という四者の共同作業で成り立っていた。
 
つまり、歌麿や北斎というのは絵師であって、
決して、自分では彫ったり、摺ったりはしていなかったのである。
 
版元というのは今でいえば、画商や出版社という位置づけで、
作品を世の中に送りだし、売ってくれる人である。
 
しかし、現在、版画家に画商がついて、売ってもらえる人は
ほんの一握り。
多くの版画家はほとんど作品が売れることもなく、
時に友人が買ってくれるとなると申し訳ない気持ちになるほどである。
 
話はそれたが、
今日の試し摺りは言ってみれば、「絵師」にあたる要素が大きい。
 
もちろん原画を描いたのは自分であるから、
原画作成というのが絵師の仕事なのだが、
その後、トレッシングペーパーに原画を描き写し、版木に転写し、
黙々と、延々と彫りの作業を進めた後で、
もっともアーティスティックなパートが試し摺りになる。
 
実は原画を興した段階では、最終の色合いまでは全く決まっていない。
 
大体の色みや作品のイメージみたいなものは決めてスタートするが、
細かい色をどんな風にするか、1色1色調合し、
ああでもないこうでもないと悩むのがこの段階なので、
自分ではこここそが「絵師」のパートだと思っている。
 
実際、今日も途中まではいい感じだと思っていたのに、
後半、迷子になってしまい、
思い通りにのせた色が、思い描いたイメージを創り出してはくれなかった。
 
そこで、2枚目の試し摺りを取り、
修正していくのだが、もはや、朝から作業を始めて7~8時間ぐらい経っており、
頭が疲れて働かない。
 
とはいえ、日曜日には本摺りにまでこぎつけたいので、
彫り調整といって、版が重なり過ぎた部分などをぎりぎりの重ねになるよう、
彫りの修正もかなり必要だ。
 
夕方になると、目はしょぼしょぼしてくるし、肩もパンパンだし、
ずっと長時間正座していたせいで、ふくらはぎの血流が滞っているのがわかる。
 
そんな自覚症状がでるまでやらないよう注意する、
整体の先生の困った顔が目に浮かぶが、
頭の中は明日の予定、あさっての予定などが渦巻き、
やっぱり今やらなくてはと焦る自分に押し切られてしまう。
 
何とか、最終のイメージが掴めるところまできて、筆と刀を置き、
夕飯の仕度のため重い腰を上げた。
 
本気で重い腰になっていて、
一瞬、立ち上がりざまによろけた。
 
このまま、ここで倒れてはシャレにならない。
絵師KIMINOは何としても摺り師KIMINOにバトンを渡さねば・・・。
 
バトンといえば、日本のお家芸になりつつある、4×100メートルのリレー、
今回初めて見た第1走の多田修平君は可愛い。
何と言っても笑顔がいい。
素直な性格が顔に表れている。
 
ケンブリッジ飛鳥が故障で最終滑走が藤光謙司君になったのは残念だけど、
こちらもイケメンだったなぁ。
 
それにしても、ボルトのあの劇的な幕切れ。
まるで映画の1シーンのような衝撃的な最後の姿。
 
力を出し切った男がそこにいた。
 
私も力を出し切らねば・・・。
 
なんて、ひとり妄想し、独り言をつぶやきながら、
アトリエでは熱き戦いが繰り広げられていたのである。


2017年8月15日火曜日

彫り師KIMINO

 
 
 
朝から雨がしとしとしとしと、これでもかという感じに降っている。
東京や横浜は連続15日間、雨降りだそうだ。
 
真夏はどこいった。
猛暑はもう来ないのか。
猛暑になったらなったで文句を言うくせに、ならないならないで少し寂しい。
 
そんな湿度90%の毎日、
私は来る日も来る日も時間があれば彫り台の前に座って、
木版の版木を彫っている。
 
特に昨日と今日は一日中彫っていたので、
口を開いたのは、
ご飯が出来たときに「パパ~、ご飯出来ました~」と階下から叫んだだけ。
 
叫んでも、直ぐに降りてくるわけではないので、
先に食べ始めてしまうから、
目の前にダンナが座った時にはあらかた食べ終わっていて、
会話もなく、業務連絡だけ。
 
自分の気持ちは彫りを進めることに向かっているので、
ご飯が終われば、そそくさとアトリエに籠もってしまう。
 
本当ならば、こんなに雨が降っていて湿気った日は摺り日和なのだが、
残念ながら、彫りが間に合っていないので、摺りたくても摺れないのだ。
 
日曜日まではこんなぐずぐずしたお天気が続くと予報が出ているので、
そこまでに摺りにたどりつければと考え、
今は口も効かずに彫り師KIMINOに徹しているというわけだ。
 
それもこれも版17のクロアチア展に出品する新作を創りたいがため。
 
9月7~9日に取りまとめ役のO氏の元に届くよう、頑張っている。
 
世の中はお盆休みの真っ最中。
高速道路はところによっては40キロもの大渋滞。
孫を迎えた郷里のじじばばは
「おぼんだま」とかいう「お年玉」のお盆バージョンを孫に手渡し、
孫の関心をお金でつなぎ止めようということらしい。
 
単にポチ袋会社の陰謀だと私は思うが、
数年したら孫にいそいそ「おぼんだま」を手渡す自分がいるかもしれないので、
今ここで、多くは語るまい。
 
明日は長女の病院行きのため、その間、長女宅で孫をみる約束だ。
 
彫り師は一時休止で、世話焼きばぁばの出番らしい。
 
生後2ヶ月半の柔肌を指すって、赤ちゃんの匂いをクンクンして、
彫りに疲れた体を癒そうと思う。

2017年8月13日日曜日

中島けいきょう詩集 出版記念会

 
 
 
版17というグループのひとり中島けいきょう氏が、
齢80にして、初めての詩集を出版した。
 
けいきょうさんとは版画家集団の会の知り合いなので、
現代美術家という側面しか知らなかったのだが、
この度、詩集を編み、出版したということだ。
 
横浜駅のほど近くプラザホテルのパーティルームでお祝いの会をすると
招待状が届いたとき、7000円という会費にも少し躊躇したし、
さほど親しいわけでもないと迷いもしたが、
これも娑婆のおつきあいと割り切って、出掛けることにした。
 
中島けいきょう氏は中島清之という横浜美術館で大回顧展が開かれるような
日本画家を父に持ち、
直ぐ下の弟に美術評論家、更に下の弟が有名な日本画家の中島千波という、
芸術一家に生まれた。
 
高名でしかも金持ちの弟を持って、
全然、お金とは縁遠い現代美術家を生業としていたのでは、
やりにくい面も多々あっただろう。
 
しかし、会場にはそっくりな顔立ちの弟達もやってきて、
80歳で初めて詩人としてデビューを果たした兄貴にお祝いの言葉をかけていた。
 
私も版17のメンバーや顔見知りの評論家、
8月下旬に「文学と版画」展でお世話になるギャラリーオーナーなどと歓談し、
お祝いの会の末席に連なっていた。
 
詩集は『嗚呼、無蒸し虫』という表題だ。
 
その『嗚呼、無蒸し虫』という詩も中にある。
 
虫虫
蒸し蒸し
虫下し
 
虫籠
蒸し風呂
虫眼鏡
 
蝕む
毟る
             蒸し封じ ・・・と続いていく。
 
まだ、よく読んでいないのだが、
いつものけいきょう節というか、
だじゃれ好きのおじいさんは実は哲学的なことを常に考えてもいて、
理屈っぽくて、ものごとに批判的で、でも、言葉をよく知っているので、
ときどき感心するような言い回しをして、ドキッとさせる。
 
たぶん、そんな調子の詩集のような気がする。
 
会場のプラザホテルは初めて行ったのだが、
横浜駅のすぐ近くなのに、こんなに昭和の匂いプンプンの汚いビルが
まだ残っていたのかと思うような建物で、
最上階のパーティルームも天井が低いので狭く感じ、ひといきれでざわついている。
 
更にブッフェの料理のすべてが味が濃く、ありえない不味さだった。
薄っぺらい詩集を含めてとはいえ、7000円の会費はぼったくりだと思ったのは、
私だけではないだろう。
 
作家業(画家や版画家、小説家に詩人など)を生業にしている者は
一生のうち、何回か、こうした作品発表の舞台を用意して、
お祝いしてもらったり、作品の批評を仰いだりする機会がある。
 
自分で用意することもあるし、用意してもらえるときもある。
 
それは案外お金のかかるものだというのは実感しているのだが、
100人近くの人がお祝いに駆けつけ、出版記念会を催したというのに、
これはちょっといただけない・・・というのが今日の本音だ。
 
20歳以上年の離れた奥さんは
「もう年だから生きている内にできる最後の会になるんじゃないかしら」と
まるで生前葬のようなことを言っていた。
 
私もこれから何回、個展が出来るのか、グループ展はいつまで続くのか、
最近は年ごとに考えるようになった。
 
己の身の始末、
作品発表のタイミングと場所と方法など、
いろいろなことを考えさせられた今日の出版記念会であった。
 
さて、これから、齢80にして人は何を思うのか、
戦争を身近に体験した人は何を言い残すのか、
じっくり、真夏の夜長にページをめくるとしよう。
 
その前にちょっと正露丸。
 
どうもまだ、パーティ料理が胃の腑に落ち着かない・・・。
ぎゅるぎゅる~。
下痢ポーテーションである。嗚呼。
 
 

2017年8月4日金曜日

新作のトレペ転写

 
 
 
6月7月と2ヶ月間、アトリエを乳児室として明け渡していたので、
そろそろ版画家としての本分に戻らなければなるまい。
 
一応、秋に予定されている3つの展覧会のための作品は
すでに出来上がっているが、
つい先日、来年1月にクロアチアで版17の展覧会が開かれることになったと
聞かされた。
 
そこにはひとり4~5点、作品を送り込まなければならないという。
 
しかも、1月下旬の会期に対して、9月中旬には取りまとめを行い、
17人分の作品を木箱に入れて、クロアチアに発送するという。
 
クロアチアの人は以前の私の作品なんて、観たことあるわけないので、
旧作を展示しても何の問題もないとは思うが、
版17の主要メンバーはこれから9月下旬に行われる版17銀座展に出すものとは違う
作品を用意するつもりのようだ。
 
木版画は制作に時間がかかる。
色数の多い私の作品はとりわけ時間が必要だが、
5点全部を今年と去年の版17銀座展と同じというわけにもいきそうにもない。
 
そこで、すっかりばぁばモードになって、なまった体にむち打ち、
新作に着手することにした。
 
今から創る新作は、孫が生まれる寸前まで彫っていた新作と連作になるよう考え、
まだ誰の目にも触れていない2点の新作を、9月初めまでに創ろうというわけだ。
 
しかし、8月は暑いので、木版画の摺りには全く向いていない。
 
この湿度の高さに加え、気温が高いのに、更に加湿器をかけて加湿し、
クーラーは乾燥を呼ぶので、使えないときているから、
熱中症間違いなしの悪条件だ。
 
本当に出来るかどうか心配だが、今、心配していても始まらない。
 
「キミちゃんはやるときはやるよ」という心意気だけで、決行するつもりだ。
 
幸い、2点目の原画のイメージもすんなり湧いて、
1点目と対の作品は縦キャンと横キャンで似たイメージ、
時計草が重層的に画面いっぱいに広がる絵柄だ。
 
原画を興しているそばから
「時を重ねて」と「時にゆだねて」というタイトルも浮かんできたので、
出足好調。
 
すんなりタイトルが決まると、その後がスムーズにいくというジンクスがある。
 
新しい命に触発された新作は、2枚接ぎの作品になりそうなので、
秋、涼しくなってから手がけることにして、
まずは中ぐらいの大きさの新作から再開することにした。
 
新作の図案が思い浮かばない産みの苦しみより、
この暑さの中、制作する苦しみの方が楽だと自分を慰め、
ここしばらくは、取り戻したアトリエに籠もって、制作に没頭しようと思う。

2017年7月30日日曜日

お宮参り

 
 
 
 
 
 
今日は初孫志帆のお宮参り。
 
朝になっても雨がしとしと降っていて、少し心配したけど、
大阪から若旦那のご両親も来てくれていたので、予定通り、決行。
 
お宮参りは生後1ヶ月を過ぎたぐらいでするものという慣例からすると
大人の事情で生後2ヶ月を少し切るあたりのお宮参りになった。
 
場所は1月下旬に帯祝いでお祓いをしてもらった桜木町にある伊勢山皇大神宮。
お礼参りの意味も込めて、同じ神社でするらしい。
 
今年の1月、お腹の中にいた子どもが、この世に生を受け、
ここにいることの不思議と、
娘達にとって激動の2017年を思い返しながら、本殿へと向かった。
 
今日、お宮参りを希望した家族は同じ11時半の組だけでも8組もあり、
6月生まれは多いのかとビックリ。
 
しかも、そのほとんどが女の子。
華やかな赤やオレンジやピンクのお祝い着が並んだ。
 
ひとつ前の組は目の前を白無垢姿で通っていったカップルの結婚式だったので、
その厳かなたたずまいを見送りながら、
我が家の昨年11月の結婚式を思い出し、
その時、すでにお腹に志帆はいたのかと思うと、感慨ひとしおだった。
 
8組の家族は先頭に赤ちゃんの父親、
次に赤ちゃんを抱いた父方の祖母、
次に赤ちゃんの母親、
その後ろは母方の祖母、
更に後ろに父方の祖父、母方の祖父という順に縦に並んだ。
 
こんなに一緒にお宮参りが重なるとは誰も思わなかったようだったが、
祝い着を肩からかけられた赤ちゃんがずらりと並ぶと壮観だ。
ザ・日本の行事という感じ。
 
観るともなく観てると、同じ1ヶ月でも新生児っぽい赤ちゃんもいるし、
ウチの孫のようにしっかりした感じもいる。(髪の毛のせい?)
ずっと泣いている子もいれば、ぐずっている子もいれば、
ウチの孫のように、終始、寝ている子もいる。
 
すでに個性はあるんだなと感心しながら、つつがなく式は終わり、
本殿前で記念写真を撮って、
そこから横浜駅近くのホテルで懐石のお祝い膳を囲んだ。
 
まだ、2時間に1回、授乳が必要な赤子にとって、
初めての外での行事で、
幸い、雨が上がったとはいえ、お祝い着の中は蒸し風呂のようで、大変だ。
 
夏物の絽のお祝い着の人もベビードレスの人も様々だったが、
正絹に総絞りでのしめの柄はなかなかgood choiceだったのではないかと思う。
 
父方の祖母だの、母方の祖母だの、母親だのは抜きにして、
女性3人はかわりばんこに艶やかなお祝い着を肩からかけて、
何枚も写真を撮った。
 
(それにしても自分が母方の祖母という立ち位置に、まだ、なじめない)
 
肝心の志帆はなかなか笑顔とはいかず、寝ていたり、ぐずったり、大泣きしたり。
 
まあ、お宮参りの写真はそんなところだろう。
 
それでも、ちょうど1年前まではまったくの赤の他人だった2組の家族が、
ご縁があって親戚になり、
新たな命を迎えて、新しい絆を紡ぎ出す。
 
「子はかすがい」とはよく言ったもので、若い両親だけでなく、
その親世代にも幸せを運んで来てくれると、
心がほっこりしたお宮参りだった。
 
 
 

2017年7月26日水曜日

脱皮した海老さま

 
 
 
 
思いがけず、仕事で行けなくなってしまった友人から連絡を受け、
急遽、7月大歌舞伎の昼の部に行ってきた。
 
ここのところ歌舞伎にご一緒していた友人なので、
チケットは「蛇の道は蛇チケット」。
つまり、とあるルートを使って取った前から2列目のど真ん中21番という席だ。
 
6月7月は娘の出産後の里帰りで、孫に翻弄されると覚悟していたのに、
先週末、娘達が自宅に帰ったことで、体が空き、突然、行けることになった。
 
これで、ベイビーロスを癒そうと、私は心ウキウキ出掛けた。
 
7月の歌舞伎座は知ってのとおり、直前に麻央さんが亡くなってしまったため、
初日からニュースで大きく取りあげられていた。
 
海老さまこと、市川海老蔵が昼の部は連獅子、
夜の部は息子の勧玄君と宙乗りするとあって、
ファンはひと目親子の宙乗りを見ようと会場に詰めかけた。
 
私もニュースを見ながら、これ以上悲しい舞台姿はないだろうと、
その場にいられる人を不謹慎ながら羨ましく思ってみていた。
 
友人の持っていたチケットは昼の部なので、宙乗りはないが、
巳之助さんとの連獅子に期待がかかる。
何年か前に奈良の藥師寺の奉納歌舞伎で見た海老さまの鏡獅子の時と
どんな風に変わっているか・・・。
 
昼の演目は『矢の根』『加賀鳶』『連獅子』の3題で、
『矢の根』と『連獅子』はお正月でもいいような華やかな演目。
 
衣装もかつらも身につけているものすべてが豪華絢爛で、
内容も勇壮だし、豪快だし、歌舞伎らしい演目だ。
 
しかし、その2題より何より、世話物の『加賀鳶』という世話物の海老さまが
出色の出来。
 
海老さまは俺さまキャラなので、何をやっても謙虚さがなく、
渋い演技も嘘臭いと思っていたのだが、
今回の小悪党道玄は力が抜けて、道玄のいやらしさとかずるさを
白目の見せ方やわざとしている活舌の悪さでうまく表現。
 
何か1枚皮がむけたというか、真の悲しみを経験して、人間が大きくなったというか。
 
今までの海老さまとはちょっと違うと感じた人は多いのではないだろうか。
 
一方、父親の板東三津五郎亡き後、家元を継いだ板東巳之助の方は、
一生懸命なのは分かるが、抜けがないというか、溜がないというか、
硬くてストレートの剛速球という印象。
 
友人曰くの「ぶんぶん丸」だけど、一生懸命さだけはぶんぶん伝わってきた。
 
友人は三津五郎門下で踊りをしていたので、巳之助の行く末が心配なんだと
思うが、まだ若いから、これから経験をたくさん積んでよくなるだろう。
 
今日はひとり2列目のど真ん中21番の席で観劇だったが、
周囲のメンバーが濃かった。
 
1列21番、私の真ん前は最前列で「よっ」とか「いよーっ」とか
声をかけ続ける70ぐらいの女性だった。
 
大体、歌舞伎のかけ声は3階席の大向こうと呼ばれるところから、
「成駒屋!」とか「澤瀉屋!」とか男の人の声でかかるのが普通なので、ビックリ。
 
3列21番、私の真後ろの席は太った50ぐらいの女性だったが、
この人は決めポーズにさしかかるや否や拍手する人で、
とにかく会場で1番に拍手することに命をかけている感じ。
 
背後で首筋のあたりに拍手の圧がかかり、音と風が来たので、ビックリ。
 
左横、2列19番と20番は80近い老夫婦で、歌舞伎は何度も夫婦で観ている様子。
ただし、ダンナさんの方は歌舞伎にとても詳しく、しっかりしているが、
奥さんの方は少し認知症の気配。
 
幕間の話声によると・・・
妻「加賀鳶なんて知らないねえ」、夫「去年、観てるよ。観てないのは矢の根だけだよ」
妻「ん?加賀鳶なんて観たことないよね」、夫「・・・」
 
妻「あらら、暗闇の立ち回りは大変だ~」、夫「それがお決まりなの」
妻「あら、これは暗闇っていうことなの?」、夫「・・・」
 
妻「私、トイレに行っておいた方がいいかしら」、夫「そんなこと自分で決めなさいよ」
妻「やっぱりトイレは行った方がいいかしらね」、夫「さっさと行きなさいよ」
と、こんな感じ。
 
キャラの濃いメンバーに囲まれ、
ひとり「海老さま、よくなったわぁ」「巳之助、頑張ってるわぁ」とひとりごちながら、
大好きな歌舞伎の世界に戻って、浸れる幸せな時間を過ごしてきた。
 
 

2017年7月23日日曜日

トリオ・リベルタ最高!

 
 
 
 
すごく久しぶりにトリオ・リベルタのライブに行ってきた。
 
場所は関内にあるKAMOME Live mattersというライブハウス。
 
いつもなら、彼らの演奏は、300~400人ぐらい入るコンサートホールで
行われることがほとんどなので、珍しい形のコンサートということになる。
 
ライブハウスとコンサートホールの違いは、まず、その大きさにある。
ライブハウスは全部の広さが40畳ぐらいしかないから、
収容出来るお客さんも50名ぐらい。
 
先ずは食事をする時間が1時間あり、
お客さんは飲食をした後なので、リラックスした気分で演奏を聴くことが出来る。
 
更に、演奏者はお客さんと 同じ高さのフロアーで演奏する上に、
お客さんはテーブルを囲んだ低い椅子、
もしくはバーカウンターなどにあるスツールに座って、間近で聴いているので、
目の前の演奏者からダイレクトに音が飛んでくる。
 
今日は、友人が24と25番目という整理券をとってくれたので、
かなり早くに会場入り出来、演奏者とは4~5メートルの距離の席を確保出来た。
 
特にお目当ての石田様とは4メートルぐらいしか離れていない。
 
私達の前には1グループいるが、低い椅子に座っているので、
1段高いスツールに座っている私の体には、目の前の石田様のバイオリンの音が、
音のバイブレーションと共に臨場感をもって伝わってくる。
 
ライブハウスは天井も低いので、音響効果としてはホールより響いて
音の雑味のようなものまで拾ってしまい、
それがかえってライブ感というか、人間臭さを感じさせて、
ファンとしてはたまらない。
 
曲目は前半はクラシックを編曲したものから始まり、
いわゆる映画音楽に使われた物語のあるムーディな曲が続いた。
 
1番よかったのはミシェル・コロンビアの『エマニュエル』
 
3曲目だったのだが、そのあたりからのってきているのが手に取るように分かり、
石田様の少し紅潮したほおを、気恥ずかしいような気持ちで眺めてしまった。
 
ここ2ヶ月は子育て支援に埋没していたため、
仕事と趣味のお稽古しか自分のことはしてこなかったので、
溢れる音のシャワーを浴びて、
徐々に自分はこんな時間が好きだったということを思い出した。
 
休憩を挟んで、後半は前半より少しエロティックな大人の曲でという紹介があり、
「死刑台のエレベーターのテーマ」からスタート。
 
2曲目は「ラストタンゴ・イン・パリ」
3曲目は「ロクサーヌのタンゴ」
 
後半は石田様も演奏中だというのに、1曲終わるごとに白ワインを口にして、
会場の女性ファンが「ちょっと飲み過ぎじゃない」とざわめくほどに飲み干して、
首からほおまでピンク色に上気している。
 
どこかの組長風情の強面がウリの石田様が
目の前で次第に酔っていくのが見られるのは、ライブハウスだからこそ。
 
後半の後半はトリオ・リベルタの十八番ピアソラの曲が数曲続いた。
私もスツールの上でスイングしながら、まるでフロアーで踊っているような気分。
 
すっかり忘れていたタンゴのリズムに身を任せ、
仮想空間でダンスする。
 
妄想癖のある私はドレープのたくさんよったドレスに身を包み、
軽やかにステップを踏む度、ドレスの裾が翻り、胸元のスパンコールが光る。
「嗚呼、すこし前まで、タンゴのレッスンに通っていたのになぁ・・・」と
すっかり遠のいてしまったタンゴの世界を思い出した。
 
アンコールの最後には写真撮影も許されたので、
久々に拝んだ石田様をアップで連写。
 
一緒にいた友人も思わぬファンサービスに嬉々としてシャッターを切っている。
 
夜、コンサートやライブに出掛けるという楽しさを久々に取り戻し、
「また行きましょうね」と約束して、駅の改札で別れた。
 
夜道を歩きながら、エンドレスで「リベル・タンゴ」の曲が浮かんで、
「そうよ、私は自由なんだわ」と思った。