6月26日13時より、
上永谷の秋山脳神経外科病院にて、
慢性硬膜下血腫のドレイン手術が行われた。
23日に外来で受診し、MRIとCTを撮った後、
決まった手術なので、
救急車で運び込まれたとかではない。
この2日間はカウンセリングのキャンセルや
その他仕事の調整などをして
当日はダンナに車を出してもらい
普通に旅行カートをガラガラ引いて入院した。
私だけ3階の手術室のあるフロアに行き、
手術の2時間くらい前から
手術着に着替え、まずは点滴の針を入れる。
手術日当日の看護師さんは
担当は若い女性看護師だったが
他は若い男性の看護師がふたり。
30代のベテラン女性看護師さんという顔ぶれ。
この病院は男性の看護師が多いなという印象だ。
私の血管は細いので採血の時は大体
嫌がられるのだが、
点滴のルートをとる針は採血の時より
一段太い20Gというごつい針で長さも3㎝ぐらいある。
案の定、担当の若いきゃぴきゃぴの看護師は
「どうしよう、血管がないわ」と騒ぎ
「きゃーごめん、染み出たわ」と
2度もルートを取るのに失敗し、
みるみる左腕に内出血の染みが2か所できた。
見かねた先輩看護師が代わり、
「ここは痛いよ、我慢してね」と
手首のすぐ下に狙いを定め、
20Gの針を刺した。
かなり、痛い!!
しかし、さすがにベテラン看護師だけあって
何とか1発でルートをとることに成功。
2種類の薬液の点滴が始まった。
12時半、最後のトイレを済ませ、オムツに。
ここからはベッドに横たわったまま、
次の日の朝まで身動きができない。
硬膜下血腫の手術は部分麻酔で行われる。
とはいえ、右の頭頂部に3㎝くらいのメスを入れ、
その下の頭蓋骨に1円玉ほどの穴を開け、
中に溜まった血をチューブを入れ自然に吸い出す。
頭蓋骨の穴は自然に再生したりはしないので、
セラミックのふたをしてから、
頭皮を縫合するのだという。
それにしても、いつ麻酔を打つのか、
何事が行われるのか全く知らないが、
12時55分になっても、まだ頭皮に感覚はある。
これで頭蓋骨に穴を開けるって怖すぎやしないか。
「先生、まだ頭皮に感覚があるんですけど」
「大丈夫ですよ~」と言っている間に
手術は始まった。
目を開けているわけではないが、
音はすべて聞こえている。
ゴトゴト ゴリゴリ コンコン ジュー
ギリギリ バチンバチン…
何の音かは分からないが種類の違う音がする。
「はい、終わりましたよ」と執刀医の声がした。
手術終了はたぶん1時40分。
30分ほどで手術は無事に終了した。
よくドラマで観るように手術台から
何人かの手で自分のベッドに移し替えられ
そのまま手術室の隣の病室に戻された。
すぐに外で待っていたダンナと次女が呼ばれ
ベッドのそばまで来てくれた。
執刀医の先生がふたりに
「手術中に20CCくらいは出たので、
今夜一晩かけて自然にチューブから
もう100CC位出るはずです。
それまでは安静にしなければならないですけど
手術自体は成功しましたので大丈夫ですよ」と
話している声が聞こえた。
頭からは細いチューブが出ているらしく
ベッドわきにぶら下げたビニールのバッグに
髄液に染み出た血液が溜まっていく。
「何色の液なの」と訊くと
「血の色」と次女が答えた。
そこからは手術より辛い20時間が始まるのだが
そんなことは知らない私は
「じゃあ、明日はアイ子さんが来てくれるからね」と
言って帰っていく次女とダンナを見送った。
頭は次第に麻酔が切れたのか
髪の毛を誰かにギュッと引っ張られるような痛みで
枕に右頭頂部をつけることができない。
若い女性看護師と男性看護師がやってきて
「大丈夫ですか。何かありますか」と訊くから
「喉がヒカヒカです。お水飲めますか」と言ってみた。
「ごめんね~。お水は飲めないのよ。
スポンジで喉を湿すぐらいかな、訊いてくるね」と
言って先生の指示を仰ぎにいった。
結局、吸い飲みでほんの数滴水を垂らしてもらった。
最後に水を飲んだのは
朝10時くらいか。
「完全絶食」
水1滴さえ飲めない絶食がここから
次の日の朝8時半、チューブを抜くところまで
続くという。
午後1時半の段階で喉がカラカラだというのに
そこから水さえ飲めない18時間。
地獄の完全絶食の始まりだった。
あぁ、聞いていないわ~。
「死に水」とはよく言ったものだ。
人間、最後に欲するのは水だということが
よく分かった。
誰か、私にお水をください…。
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