2014年9月20日土曜日

小曽根真ジャズナイト

 
 
 
 
ジャズピアニスト小曽根真と彼が率いるバンドNo Name Horsesの
『結成10周年記念ツアー』と題されたコンサートに友人と行って来た。
 
場所は京急線の汐入駅のすぐ脇にある『よこすか芸術劇場』というところだったが
京急線沿線に住んでいながら、汐入という駅に降り立ったのも初めてなら
もちろん、よこすか芸術劇場に入るのも初めてだ。
 
思いの外、大きくてきれいな会場でびっくりした。
オペラ用の劇場みたいな作りで相当数のお客さんを収容出来そうだ。
 
小曽根真のコンサートは音楽関係の仕事をしている友人の紹介で
昨年6月、ヴォブラフォンとのセッションを聴いたのが初めてで
そのノリのよさが印象的だったが、
今回は本家ジャズのビッグバンドの演奏だというので、速攻チケットを手配した。
 
No Name Housesというのは
ベース1、ドラム1、あとは管楽器が12人と、小曽根真のピアノという15人編成。
 
曲は小曽根真が作曲し、編曲したオリジナルのものばかりで
今回、新曲の『Road』の発表に合わせて開かれたコンサートツアーということらしい。
 
ジャズのことをよく知らないので、ここで書くのもおこがましいが
いわゆるセッションの途中でソロになった時、
その人にスポットライトがあたるという光景は今までにも何度も目にしたが
今日のセッションではソロパートを吹く人は静かに自分の席から立ち上がり
舞台前面の中央に出て演奏するので、個が際立っているのが特徴だ。
 
トランペット4本、トロンボーン3本、サキソフォン、フルート、オーボエと
それぞれ音色の違いや演奏者の力量や個性が比べられ面白かった。
 
途中、観客のひとりにひかせたくじで唯一の女性奏者が選ばれ
その人の選曲でバラードが演奏されたのだが、
彼女の楽器であるベーストロンボーンの音を
ソロでちゃんと聴いたことがなかったので、
その低くて深くて温かみのある音色がとても心地よかった。
 
人にもそれぞれ個性の違う顔や体型があるように、
楽器もそれぞれ違う音色を持ち、味がある。
ひとりで演奏してもかっこいいけど、セッションになって
お互いに掛け合い、響き合い、一緒になっていく様は
人はひとりでありながら、ひとりじゃないみたいなことを感じさせて、奥が深い。
 
私が少し前まで習っていたフラメンコのギターとカンテと踊り手が、
ひとつの呼吸に合わせて、一体になるのと同じ空気を生々しく感じながら
舞台上のジャズのスイングに身を任せていると
自分も演奏しているかのようにジャズの世界に入り込んでいく。
 
この一体感はたまらない。
「やっぱりジャズって、楽しい」と今頃になって再認識。
 
ちょっとしたニューヨーク行きのための予行演習のつもりだったけど
もうちょっとのめり込んでみたいなという気持ちになっている。
 
2部は新曲の『Road』1曲しか演奏されなかったのだが、
何と、1曲とはいえ、46分30秒もの超大作。
 
1曲の中に小曽根真とジャズバンドの物語がぎっしり詰まっているのだろう。
エピソードを言葉ではなく、音楽という国境を越えた言語で表現しているのだと
肌で感じることが出来た。
 
きっとクラシック音楽も同じなのだろうが、
私にはジャズの方が身近だし、理解しやすいし、肌が合う。
そんな風に素直に楽しめた夜だった。

2014年9月19日金曜日

キモノ委託販売の現実

出戻りむすめ達


友人が夏の初めに夏物のキモノと帯2枚ずつ、計4点を
キモノリサイクルショップの委託販売に出したところ完売したというので、
昨日は「それなら私も」と茶箱とキモノタンスをひっくり返し
選び出した10点を風呂敷包みにして、店に持ち込んだ。
 
友人がその店に委託に出した時も査定に立ち会ったので、
ちょっとした襟汚れや何かのシミなどみつけてはチェックされ、
寸法を測っては、
「今の人は大きいから『女並み』だと小さいのよね」と嫌味を言われるのを
側で聞いていた。
 
せっかく大枚かけて求めたキモノも
いろいろな思い出のある品も何もあったもんじゃない。
その時もずたぼろな言われようだった。
 
それでも以前、洋服のリサイクルショップにブランドものの洋服を持っていって
どれもこれも1枚100円とか150円とか言われたのに比べれば、随分マシだ。
 
値段で言えば5000円から20000円ぐらいで委託販売してくれ
売れたときには売値の50%が入るしくみだ。
 
友人の夏物がそんな調子だったから冬物はもう少し高値で・・・という思いもあって
大風呂敷いっぱいかついで持ち込んだ私だったが、甘かった。
 
まず、風呂敷をほどいた段階で
査定の30代とおぼしき女性に
「樟脳の匂いが相当きついですねえ。けっこう匂いは嫌がられるんですよね」と
まずは先制の一発目。
 
「古いものは茶箱の中で塩漬けでしたからね・・・」と私。
それに返して査定の担当者。
「匂いってご自分では案外分からないものですけど、他の人にはきついんですよね」
と、まるで口臭か何かが強烈に匂っているのに気づいていないかのような
言われよう。
 
そして、いよいよ10枚の細かい査定が始まった。
 
今回は茶箱を空にしたいというのが私の目的なので、
確かに30年ものの古漬けキモノと帯が何枚か含まれる。
 
そうしたキモノはほとんど汚れはないつもりでいても、
タンスの中にいただけで経年のシミがあちこちに浮き上がってきている。
それを鬼の首でもとったかのように、担当者はいちいち指摘する。
 
結局、それが理由で10枚の内、3枚は預かり拒否になってしまった。
エントリーさえ出来ない出戻りむすめ達だ。
もはや出戻ってきても捨てるしかあるまい。
 
引き受けてもらった他のキモノや帯も
やれ今はこんなにびかびかした緞子のキモノははやらないとか
柄が若い子向きだけど、寸法が小さいから合う人がいるかしらとか
若い子は出して2万だから、1万5千ぐらいにしておいた方がいいんじゃないかなどと
言いたいだけ言われてしまった。
 
結局、値段も友人の夏物同様、5000円から20000円で手を打つことになり、
たとえ全部売れたとしても10万円、取り分はその半分ということになる。
 
もはやそうしたやりとりの中で、
売ってすこしでもお小遣いにしたいなんていう気持ちは消え失せ、
茶箱とキモノタンスに少し空きができて、身軽になったことが嬉しい
ただそれだけという考えに変わっていた。
 
友人も「大した金額にはならなかったけど、誰かが気に入ってくれて着てくれるかと
思ったら、それが嬉しい」と言っていたが、まさにその通り。
 
今は誰かの目に止まって、お嫁にいきますように
そう願うばかりだ。
 
車も洋服もキモノも、中古となると二束三文になってしまう現実に
相当、心も傷つく。
 
1度自分のものになったものは
大切に扱って、長く愛着をもって着る、それが何よりと痛感したのであった。


2014年9月12日金曜日

版画再開

 
 
 
 
 
6月下旬にグループ展を終えてから、7月8月はとにかく暑いので
版画家業は『夏期休業中』ということで、制作はお休みしていた。
 
例年ならば新作の原画を版木に転写し
夏中、クーラーの効いた部屋でひとりボソボソと版を彫っているのが常だが
今年は10月にニューヨークに行くことが分かっていたので
そこでインスパイヤーされたもので何か創ろうと思い
あえて行動を起こさずにいた。
 
しかし、そうしたプー太郎生活も2ヶ月も続くと
8月のお盆を過ぎたあたりから飽きてきた。
 
小さいものならば暑くても出来るだろうと
11月頃に創れば間に合うカレンダーの原画を作成し
そのまま彫りの部分もしたことで
一挙に禁断症状が出てしまった。
 
ちょっとつまみ食いをしたら、かえって空腹を刺激して
猛然とお腹がすいてきたというあの感じである。
 
禁断症状といっても震えがきたわけでも、泡を吹いて倒れたわけでもないが
要は早く版画の新作を創りたいという欲求が高まってきたのである。
 
そんな時、
カレンダーに使用した水紋と木目の板が、
池にかかっている渡り橋のイメージで構成された図柄が
スコーンと天から舞い降りてきた。
 
それも、桜舞い散る春の図ともみじ散り敷く秋の図の22枚1対の作品である。
 
今回の個展用に制作してきた路線とはちょっと違うが
無性に創りたい。
 
たとえ、他の作品とのつながりから考えて個展の時に展示できなくてもいい。
とにかく、創りたい。
 
そんな気持ちがむくむく湧いてきて、
矢も立てもたまらない気持ちになったので、
8月下旬から制作に取りかかった。
 
先週、沖縄旅行と版17の沖縄展をはさんだので中座していたが
今日からまた、作品の前に座り込んで
本格始動である。
 
ここのところ、心理カウンセリングのご要望が少し続いて
カウンセラーとしての自信をつけるいい機会になっているが、
「やっぱり、自分は木版画家である」という再認識と
「あら、私、版画が相当好きみたい」という嬉しい発見である。
 
ちょうど、季節も秋に移行し、作業しやすい気温になってきたし、
ニューヨークの前に頑張って日本的なこの作品を完成させられればと思う
今日このごろである。

2014年9月6日土曜日

沖縄 満喫

 
 
3泊4日で、友人と沖縄に行って来た。
主なる目的は
佐喜間美術館で行われた『版17沖縄展』である。
 
今年は台湾の作家とのジョイント展なので、台湾からも大勢作家が来日するから
是非とも日本側としてオープニングパーティに出席するよう声が掛かっていた。
そこで、そこにも出席するけど、せっかくだから
ついでにレンタカーを借りて沖縄旅行も楽しもうという魂胆。
 
初日は沖縄に1時前に着いてから、
ひめゆりの塔と資料館、斎場御嶽にもいったので
6時のオープニングパーティには何とか滑り込みセーフ。
 
まずはひとりひとり作品の前で作品コンセプトなど話して自己紹介。
 
パーティ会場には沖縄の郷土料理がたくさん用意され、
沖縄の招待作家や台湾の偉い先生の硬い話から始まり、徐々にくだけて
最後は三線の唄に合わせてみんな唄って踊って!
 
よ~し、沖縄が盛りあがってきた~!
 
 
 
 
開けて2日目。
お天気は快晴。
 
沖縄といえば、青い空と青い海。
文字通りの美ら海に感動!
 
古宇利島最高!
日本の夕景100選にも選ばれている残波岬の夕焼け。
展覧会のために来たことなんか、どこへやら。
すっかり気分は『めんそ~れ沖縄さぁ』
 
もちろん美ら海水族館は観光のメインスポット。
プールの底を歩くジュゴンに始まり、ウミガメ、イルカのショー
巨大水槽のマンタやジンベイザメなど、海の動物たちはいつまでも見飽きない。
 
 
というわけで調子こいて友人とふたり、ホテルの体験コーナーで琉球美人に変身。
旅の恥はかき捨てとはこのことか。
いつだったか、誰かさんは京都で芸妓さんになったこともあったっけ。
 
 
3日目はやちむんの里という焼き物の工房や登り窯を見学の後、
国際通りから牧志公設市場へ。
原色のお魚と豚の顔の干物を記念写真に収め、
おみやげに島らっきょうとラフテーともずくを購入。
 
最終日にはサンゴ染めという手法でオリジナルTシャツも作り
無駄なくめいっぱい沖縄の文化と風景を堪能。
「世は満足じゃ」な4日間でした。


2014年9月1日月曜日

忍の一字 金継ぎ講座

 
手前がただ今作業中のミントンのポット    
 
 
 
6月下旬、グループ展のメンバーで日本画家の友人から
「もし、よかったら金継ぎの講座があるから、いらっしゃらない」と誘いを受けた。
 
金継ぎとは、欠けたり割れたりした陶器を貼り合わせ、
漆で繋いだりふさいだりした後、金で化粧し復元する修復のことだ。
 
よく、高価なものや、作家ものの茶碗などに金継ぎが施され、
陶器に金線が入ることで別の景色が生まれ、風情が増す
なんていうあれである。
 
お誘いを受けた時、とっさに我が家のディナーピースのひとつ、
ミントンのポットにいつのまにかヒビが入っていたことを思い出した。
 
金の装飾だけで出来ているシリーズで、8人分、フルセット揃っている。
その内の唯一単品もののポットにいつの間にかヒビが入り、
じわじわと水漏れするようになってしまった。

陶器ではなく、磁器ではあるが 
これが直せるものならばと参加した講座であったが・・・。
 
さてさて、その作業工程のめんどくさいこと、時間がかかること、
漆の扱いが非常に危険かつ、繊細なこと、
すべてに想像を遙かに超えた。
 
今回で3回目、
1回の講座が3時間半ぐらいかかっているのだが、
未だにポットの修復は道半ば。
 
ひとつ、はっきり言えることは
講座でいくら学んでも、家で自分が用具や材料を揃えてまでは
絶対にしないだろうということだ。
 
いやはや恐るべし漆の世界。
 
参加者5名の内、4名は日本画の作家で版画家は私ひとり。
いずれにせよ、絵描きなのに、全員その集中力と根気が必要なことと
めんどくさいことに根を上げ始めている。
 
欠けたものが魯山人の器とかいうならまだしも、
日常雑器の欠けたものにここまで手はかけられないというのが本音。

もし、自分が作った陶芸作品が壊れたり欠けたりしても、
金継ぎなどせずに、新しい作品を創り直すだろう。
その方が断然速いから。
そう断言出来るぐらい、めんどくさいのだ。

美術工芸の中で、もっとも知らない漆工芸というジャンルを垣間見て
多いに勉強になったと共に、
「遠慮しておきます」ということだけは分かったというお粗末。

少なくとももう2回は謙虚に勉強させていただきます。

それにしてもお腹すいたわ~。
午後7時スタート、11時終了。
晩ご飯は差し入れのおにぎり1個と銀だこ3粒のみ。

銀座から終電で帰って、
12時半に家で菓子パン1個とおせんべい1枚とダンナ用すき焼きの残りをつい・・・。

これじゃ、体にいいこと何も無し。

「金継ぎ講座、参りました。
あと2回は伺いますから、それで勘弁してください」
そんな感じ。