2020年11月28日土曜日

オーバルとF0展

 












毎年、紫陽花展でお世話になっている
「画廊 楽」で行われたグループ展を見に行ってきた。

今年は紫陽花展自体は来年に延期させてもらったのだが、
画廊楽に縁のある作家を中心に
新しい企画展が催されることになり、
紫陽花展メンバーもいかがかですかと声がかかった。

夏の終わり、紫陽花展のまとめ役は私なので、
画廊からは、私のところに連絡があり、
メンバーに声をかけたところ、
4名が参加してくれることになった。

肝心の私はパスしてしまったので、
申し訳なかったのだが、
せめてメンバーはじめ、出品した方たちが
どんな作品を出しているのか
興味津々で会場に向かった。

この企画は
「縦180mm×横113mmのオーバル型と
縦180mm×横140mmのF0サイズという
2枚の板に好きなように絵を描く」
という内容で、
板は画廊側が準備しエントリーした作家に渡される。

シナという材質の厚さ18mmの板で、
直接描いても、紙に描いて貼り込んでもいい。

額装もボックス額に入れてもいいし、
額装なしでも構わない。

1作家2枚1組で出品すること。
というのが、企画展の規約だった。

さて、実際に伺ってみると、
会場の壁には所狭しと作品が並び、
総勢51名の作家がこの企画に作品を寄せていた。

油絵の人あり、日本画の人ありだが、
比較的、具象で綿密に描いている方が多く、
訊けば、画廊楽で経営している絵画教室の先生が多いとか。

全体に力のこもった作品が多く、
小さな画面にギュッと細かく綿密な仕事をされている。

普段、私たちになじんでいるF0の長方形の画面と、
めったに描くことのない楕円形の画面とでは
当然、構図が違ってくるのだが、
どの作家もそのキャンバス(ではなく板だが)の形に
敬意を表して、いかにその形を生かすかに
腐心している。

紫陽花展のメンバーからは
日本画の2人と、アクリルの2人が参加していて、
いつもどおりの絵肌の方もいれば、
全然違ったテーマに挑戦している人もいて、
意外な一面を見たようで楽しかった。

私自身はちょうど版17展の会期中に
この企画展のエントリー締め切りがあって、
バタバタしているうちに、
エントリーし損ねてしまったのだが、
もし、参加していたらどんな作品を出しただろう。

今回、版画作品はひとつもない。

私だったら、別の版で版画を創って摺って
板に貼り付けるのか、
直に描いて、版画ではなく仕上げるのか、
102点の作品を眺めながら、自分に問いかけていた。

折しもコロナの感染が急増した週に展覧会が行われ、
ピタッと客足が遠のいてしまったと
画廊の担当の人が嘆いていた。

画廊としては、お手頃サイズお手頃価格なので、
バンバン売れるのではと期待していたらしいが、
そんな思惑も見事に外れてしまった形だ。

しかし、これだけの力作ぞろいなので、
来年、年明け早々に、また作品を貸し出してもらって、
リベンジ展示をする予定だとか。

2020年、コロナが蝕んだ作家の心理を思うと、
こんな風に頑張って作品を描いたのに、
誰にも見てもらえないのは
あまりにも悲しい。

みんなに声をかけておきながら、
自分は不参加という体たらくを戒めつつ、
一方で、
人々における「絵を見る」という行為の儚さを感じ、
ひと気のない展覧会場に立っていた。

人は何のために作品を創るのか、
人は何を求めて絵を見に来るのか。
はたまた、どんな時に絵を買うのか。

絵を見ることが
完全に不要不急のお出かけに類する行為だと思うと、
作品を生み出すエネルギーも湧いてこない、
そんな寂しい現実に
自らの作家としてのうそ寒い情熱を痛感する
2020年の晩秋であった。









2020年11月25日水曜日

晩秋のご飯

 















先週は小春日和の暖かな日が続いていたが、
今週は一転、寒い。

空もどんより曇り空だし、
今日は冷たい雨まで降っている。

いよいよ冬の到来間近のこの時期、
食べたくなるのは心も体も温まるもの。

鍋やおでんを思い浮かべる方も多いと思うが、
娘のところからのリクエストには
鍋もおでんも入っていない。

なぜなら、それは週末の娘たちの食卓に登場するもので、
オーママに頼むものではないからだ。

娘は昔、実家暮らしだった頃を思い出し、
オーママ=母親が作ってくれた
自分の好物をリクエストしてくる。

今週のリクエストは
「炊き込みご飯」と「けんちん汁」
そして「春菊の胡麻和え」と「大根とホタテのサラダ」
「ささみのフライ」だった。

なかなか晩秋らしいラインナップだ。

せめて自分が作らなくても、
季節ごとの食材を生かした献立が作れること、
これは料理を作るうえでの基本の基である。

このリクエストに更に
買いそろえた食材リストがぞろぞろと送られてくるので、
この後のラインナップを私が完成させるという段取りだ。

今週の献立
「炊き込みご飯」
「けんちん汁」
「春菊とまいたけの胡麻和え」
「大根とホタテのサラダ」
「ささみのフライ」
「サーモンのホイル焼き」
「鶏とじゃがいものソテー」
「豚肉のカチャトーラ」
「小松菜とがんもの煮びたし」
「バナナケーキ」
以上10品

バナナケーキは前日に焼いたものを持ち込んだが、
それ以外の9品は
昼過ぎに到着し、
4時間ほどで作ったものである。

由依が生まれてからは
保育園のお迎えに娘が家を出てしまうと、
帰ってくるまで、ベビーシッターをしている時間が
長すぎて、キッチンに立つことができない。

なので、出かける4時半までに
すべての調理を終えるつもりで
時間配分するので、
相当忙しい午後のクッキングタイムだといえる。

生後4か月目前の由依は
かなりはっきり目で後追いして、
「かまってちょうだい」のビームを送ってくる。

なので、母親がいなくなると
途端にオーママでいいやとばかりに
私に抱っこを迫るので、
大泣きしたままにもできず、
抱き上げることになる。

一度、最後の揚げ物を作っているときに
そういう事態になり、
慌てたことがあるので、
今はほとんどの作業を済ませてベビーシッター態勢に
シフトすることにしている。

娘は来年4月の仕事復帰を目指しているので、
さかのぼって、少し早めに離乳食を開始したいらしい。

今はまだ、母乳しか飲んでいない由依は
早くも食卓に並んだ料理に興味津々。

きっと大食らいベイビーになるにちがいない
片鱗を垣間見せつつ、
志帆とママの帰りを待つ夕暮れ時であった。



























2020年11月23日月曜日

我慢の三連休その2

 









三連休の2日目と3日目は
ほぼ家にいて、
木版画の彫りとケーキを作った。

2日目は彫りでいえば、
「平彫り」と呼んでいるのだが、
囲み図(絵具を乗せる部分)になっている部分を残し、
周囲を彫る作業である。

言ってみれば、描かれている原画の線に沿って
アウトラインを彫り、そこが島状に浮かび上がるよう、
周囲を一段低く彫り下げる彫りなので、
あまり脳みそは使わない。

単純な力仕事である。

要はラインに沿って正確に彫りさえすればいい。

三連休2日目、両面彫りで3枚、計6面の版木の内、
最後の1面を彫り上げることができた。

ここからは「飾り彫り」と称している細かくて、
アーティスティックな彫りパートに入る。

3日目はいよいよ「飾り彫り」に着手。

巣の2版目、
草の2版目、
立ち上る空気の2版目、
葉っぱの2版目など、
いずれも2版目として重ねる表情をつけた部分の彫りだ。

ここまでのパートには登場しなかった彫刻刀を手に
それぞれがそれらしく見えるよう、
描くような気持ちで彫っていく。

本日の作業で最も彫刻刀を微細に動かしたのは、
草の部分の2版目になる。

1ミリの丸刀で草の1本1本を彫っていくのだが、
大きな作品の下3分の1ぐらいを占めているので、
彫っても彫っても終わらない感じだった。

最後には右の肩甲骨の手の届かない真裏の部分が
凝りと痛みで悲鳴を上げ、
私本人も
午後3時頃「グギャー」みたいな叫び声をあげてしまった。

整体の先生曰く、
そのポイントは手先の角度を変える時に使う筋肉だそうで、
正に草があちこちに向かって生えている様を
彫っていたので、
限界を超えて動かしていたのだと思う。

思わず叫ぶところまでいくと、
「今日はもうやめときなさい」の合図なので、
彫り台の前から立ち上がることにしている。

その後は気分転換に駅前まで行き、
100均で一人用のアルミの鍋3枚セットを買った。

それがバナナケーキの型として
ちょうどいい大きさなのだ。

なんだか猛烈にバナナケーキが食べたくなり、
クルミとケーキミックス、卵などは家にあったので、
急ぎ、型を調達したという次第である。

皆さんも無性に食べたくなるものがあるかと思うが、
私にとって
ある時、無性に食べたくなるものは
バナナとチョコレートである。

バナナは基本、朝食のヨーグルトに乗せ、
プルーンと共に毎日食しているが、
この傷んだ肩甲骨を癒すには
ちょっと物足りない。

卵、砂糖、クルミ、そして、バナナがこれでもかと入った
甘いバナナケーキ、
それを私の体が欲している。

出来立てのまだ温かいバナナケーキをほおばりながら、
テレビをつけると、
コロナの感染どこ吹く風で
三連休の人出はどこも相当な多さだった様子。

みんな考えることは同じらしく、
高尾山、鎌倉、京都あたりが
ワースト3か。

紅葉シーズンだからね~。

とりあえず、
政府のいうところの「我慢の三連休」を過ごしたくちだが、
これからの感染模様はどうなりますやら。

今日のところは
三崎のマグロで家飲みして、家のお風呂にゆったり浸かり、
三密のないまったり時間を過ごそうと思う。














2020年11月22日日曜日

我慢の三連休その1

 







ここのところコロナの感染が急増している。

寒くなってきたので、医学的には想定内のことらしいが、
それでも、毎日、
過去最高の感染者数をたたき出した都府県名が発表されると、
心穏やかではいられなくなる。

東京都は何人か
自分の住む神奈川県は?
北海道と大阪がばかに多いわなどと、
テレビに見入っている。

春先に同じように感染者が急増した時は
緊急事態宣言が発令されたりして、
こちら側も緊張して、どうすればいいのか
慎重に毎日を送っていた。

しかし、人間、そんなに何か月も同じ緊張は続かないし、
やはり慣れてきている気のゆるみは否めない。

かくいう私もGoToトラベルの旅行に申し込み、
12月1日から2泊3日で
中国地方に遊びに行くことになっている。

今のところ、すでに申し込んだものに対して
キャンセルするように政府が言っているわけではないが、
感染者の多い神奈川県から来られる側は、
痛しかゆしの状態だろう。

この3連休に関しても、
「我慢の三連休にしてほしい」とは言われているが、
そのあいまいな口ぶりは
とにかく経済を止めるわけにはいかないという
政府の思惑が透けて見える。

「要はコロナの感染は飛沫を浴びたり、
まき散らさなきゃいいんでしょ」と、
マスクをしさえすれば大丈夫と考える日本人が、
かまわず街や観光地に繰り出している。

そんな人々が外食の際に
政府ご推奨の「マスク会食」をしているかどうか、
この目で確かめたわけではないが、
また半月後の感染者数の伸びが
恐ろしいと思っているのは
私だけではないだろう。

私の三連休はといえば、
まず、土曜日のあさイチからカウンセリングが入っており、
午後は陶芸工房で
2か月に一度の釉薬がけの日であった。

いずれの場所もマスク着用で、
カウンセリングを受ける方にもマスク着用を
お願いしているので、
対面しているが飛沫が飛び交うことはない。

しかも、対面とはいえ、
ななめ前に座っているので、
コロナ対策としてはできていると思う。

ランチも外のレストランを利用せず、
借りているお部屋にコンビニのおでんとおにぎりを持ち込み、
ひとり静かに食べたので、
これもコロナ対策万全である。

午後は電車に乗って陶芸工房まで行ったのだが、
電車は比較的すいており、
中にいる人は全員マスク着用。

以前は必ずひとりやふたり、
マスクを着けていないおじさんがいたものだが、
最近はさすがにそういう人は見かけなくなった。

工房で一緒に作業した人たちも
体験教室のお客さんに教えていた先生と
体験希望のお客さんも
当然、マスク着用だし、作業前後に手も消毒した。

全員、健康カードに記入し、検温もしたので、
コロナ対策は完璧だ。

2か月に1度の釉薬かけの日だったので、
メンバーは自分の作品に釉薬をかけるための
下準備と釉薬の攪拌と釉がけとで、
やることがいっぱいで
みな黙々と作業して、おしゃべりする暇もなし。

夕方、帰宅して夕飯の準備をし、
ダンナとふたりで食事をしたが、
幸いなことに楽しくおしゃべりをするような間柄じゃないので、
マスクはしていないが、
政府推奨の静かな会食で
コロナ感染のリスクはないといえよう。

さて、連休の2日目3日目は
いかがなりますやら。

とりあえず、私は版画の彫りを進める予定なので、
マスクはせずに版と対峙する2日間になりそうだ。









2020年11月19日木曜日

スマホの機種変

 





月曜日、予定より少し早く
スマホを買い替え、機種変更した。

今までのスマホはiPhone7だったのだが、
今回、iPhoneSEにした。

世の中にはiPhone11もiPhone12も出ているが、
そこまでカメラ機能をアップさせる必要も感じなかったし、
さほどのヘビーユーザーでもないので、
毎月支払う価格と容量とのバランスで、
SEに落ち着いた。

容量は以前より断然多いので、
当分、写真も撮り放題である。

スマホは料金体制の理由で、
本当なら、月末に買い替えるのが賢いことはわかっていた。
しかし、週末のカウンターの込み具合からいって、
月末に近づけば近づくほど、
ゆっくり説明を受けたり、作業してもらうことは
難しそうだと思ったので、
暇そうな月半ばの月曜日、お店のオープンと同時という
タイミングで相談することにした。

というのも、前日の日曜日、ブログをアップしようと
メッセンジャーからブログに載せる写真を
自分のGmailに送ろうとしたところ、
なぜか途中でメッセンジャーがフリーズするという
事件があった。

これはいよいよiphone7の末期症状かもと
不安がよぎった。

今や、パソコンやスマホが突如、壊れるという事態は
大いに生活に支障をきたす。
そう思って、8月にパソコンも新しいものに変えた。

スマホもだいぶ前から
「iCloudがいっぱいです」というコーションは受けていたので、
見て見ぬふりをしていると
いつか壊れるのではという不安におののいていた。

その意味で、メッセンジャーがフリーズするというのは
十分、SOSかもしれないと判断したというわけである。

カウンターのボリューミーなお姉さんは
お客さんが他にいなかったせいもあり、
あまりネット事情に強くなさそうな客に
優しく接し、
現在のスマホの調子はあまりよくないことと、
月末狙いは混んでて大変だということを
丁寧に教えてくれた。

途中からは見事につるんとした頭部の持ち主
(まだ40代初めと思うのだが…)に
バトンタッチしたが、
こちらの男性もお姉さんよりもっと
親切丁寧な対応で嬉しかった。

私が一番懸念していたのは
LINEとFacebookの中身の移行に関してであるが、
本当は個人情報はいじれない決まりといいつつ、
その場でiCloudへの保存作業をしてくれ、
自宅に帰ってからの、データの戻し方も
こと細かに説明してくれた。

お陰で何一つデータや会話の履歴を失うことなく、
無事にすべて新しいスマホに移行することが完了した。

今回のSEは真っ赤なボディのものをチョイス。

8月に購入した赤と黒のパソコン同様、
スカーレット色と黒の組み合わせが、
実にかっこいい。

ガラケー時代から今日まで
こんなに攻めた色合わせのケータイにしたことはないので、
思わずニンマリする。

自分のスマホでそのスマホを撮影することができないので、
スマホ本体の写真をアップできないのが残念だが、
その赤は正式名称はわからないが、
スカーレットというキュートな赤で、
ボックスのデザインもとてもスタイリッシュだし、
優秀なデザイナーが手掛けたとすぐわかる
美しいボックスに収められている。

本日木曜日、あっちこっち探し回って、
脇が透明ラバーなので
赤いスマホなことがわかる手帳型のカバーを見つけた。
外側はシャンパンゴールドの皮製。

開くと内側の左サイドはベージュで、3段ポケット付き。
(PASUMOとか入れる)
右サイドのスマホのフェイスは黒いので、
ベージュ×黒の大人っぽい色の組み合わせだ。

パタンと閉じると
ぐるりとスマホ本体のスカーレット色が
透明のカバー越しに見える。

この脇が透明のカバーというのは
あまり見かけないタイプなので、
今回、一番のお気に入りポイントだ。

これまで
パソコンやケータイを新規購入するときには、
次女かダンナに手伝ってもらわないと埒が明かなかったが、
2020年は
自力でパソコンもスマホも買うことができた。

そして、初期設定や移行作業も
つつがなく終えることができた。

徐々にこの手のことから取り残される同年代が増え、
時代に乗り遅れる寂しさを味わうこととなる友人が多いが、
今回は何とか、
ギリ乗り換えられ、
ほっと安堵の胸をなでおろした。

次の乗り換えの波はいつ来るのか、
今後も何とか時代の波に
乗り遅れないよう、
アンテナを張って暮らそうと思う。


2020年11月16日月曜日

新作に着手

 








重い腰をようやく上げて
新作の制作に取り掛かった。

テーマは「新しい命の誕生」

孫としては2人目だし、また、女の子なので、
新鮮味はないのだが、
この2020年のコロナ禍にあって、
生れてきた命に対して
感じたことを作品に残そうと思う。

2020年は思いもかけない病原菌の爆発的感染のせいで、
世界中が足止めを食らい、
生活すべての機能がマヒした。

春先には他人事だと思っていたことが
有名人が亡くなったりするニュースを見聞きするうちに
いつ自分がかかるかもしれない
もしかしたら自分がうつす側になるかもしれないなど、
急に不穏な空気に包まれた。

4月5月はほとんどの機能が停止して、
我がごとでいえば、4月初め、5年ぶりの個展が飛んだ。

その段階で由依はすでに長女のお腹に宿っていたわけで、
新生児には何の罪もないのに、
空気感としては「こんな時に生まれるなんて」という
危うい空気に包まれた中での出産だった。

入院も出産も1人目の時とは違って、
家族は一切病院に立ち入ることができず、
妊婦だけが大きなおなかでひとり出産に立ち向かった。

生れる1時間ほど前にようやく分娩室に入れてもらえた
新生児の父親だけが、
出産に立ち会うことができたが、
それも早々に追い出され、帰宅したという。

幸い、出産自体は超のつく安産だったので、
産婦自らがすぐに送ってきた新生児の様子を見ることができ、
さほどのタイムラグを感じずに
2人目の孫の誕生を実感することになった。

退院時も車出しをしたおーとと(新生児のじぃじ)は
病院の中には玄関先でさえ入れてもらえず、
私も長女たちの家で待機し、
ようやく帰宅後、この手に新生児を抱くことができた。

同じ病院での出産でもまるで違う1人目と2人目。

幸い、今日まで
友人知人含めても家族親族の誰一人
コロナ感染者はいないのだが、
それでも新生児という儚くていたいけな命を前に
それがどんなに特別なことか、
しみじみと感じた今年の出産だった。

お陰様で
新生児はぐんぐんがんがん順調に育っており、
いまや6,5㎏を上回る乳児になった。

志帆もだいぶ姉だという意識が芽生えてきているらしく、
盛んに由依に話しかけたり、
お世話を焼こうとしているので、
この分だと、
由依がおしゃべりし出す日もそう遠くはないだろう。

1人目の時は新生児を見て、
なんて無垢な存在なんだろうと思った。

2人目は
この世に生まれてくることそのものが奇跡という気がした。

それは2020年、あまりにもたくさんの死が
身近にあったからかもしれない。

このコロナ禍の中、
日本の東京のこの2人を親として生まれてきた命。

子どもは生まれる前、天上から地上を見渡して、
「このふたりの子どもに生まれよう」と選んで、
生れてくるという。

天使が舞い降りて、
「あなたとあなたが、私のパパとママよ」と
言っているかのようだ。

そんな神話のようなお話を
信じたくなるような今回の出産。

作品のタイトルは
「天使のくちづけ」にしようと思う。