2022年9月29日木曜日

菅さんの弔辞

 


2022年9月27日
安倍元首相の国葬が執り行われた。

その日、私はシポリンワークの日だったので、
長女の家のリビングダイニングで
料理をしながら、横目で
国葬の様子をオンタイムで観ていた。

テレビの情報番組は各局ぶっとおしで、
昭恵夫人が遺骨を抱いて家を出るところから
ずっと追いかけ続け放送していた。

ついこの間行われたエリザベス女王の国葬の
記憶が新しいので、
赤と黄色の棺にかけられた布や
兵隊さんたちの制服の色鮮やかさに比べ、
安倍元首相の国葬は黒と白しか色彩のない
厳かと言えば厳かだが、
式典としての圧倒されるような迫力に欠ける
シンプルな映像ばかりだ。

献花台に並ぶ人の波はかなり続いているけど、
同じぐらいの人が
当日になっても「国葬反対」のデモに参加し、
賛否両論まっぷたつに分かれたまま、
強行突破の形で式典は進んでいった。

私はキッチンで野菜を切ったり、
鍋で春雨スープを煮込んだりしていたので、
テレビの前に座り込んでいたわけではないが、
国内外の参列者が着席し、
最後の方に皇族方が入場した。

日本の国葬は
しきりにどの場面でもぺこぺこお辞儀をし、
葬儀委員長の岸田さんを先頭に
次に白い手袋をして遺骨を抱き
喪の着物を着た喪主の昭恵夫人が続く。

白い制服の自衛隊の音楽隊だろうか、
演奏するテンポに合わせて歩いているせいか、
岸田さんがずんずん歩いているせいか、
昭恵さんは着物にしてはかなりの大股である。

私にはテレビの音は遠くてよく聞こえないので、
そんな映像からの印象しか伝わってこない。

暫くしてから、岸田さんの葬儀委員長としての
挨拶が始まったが、
堅苦しい言葉と空々しい感じがいかにもで
とにかく長すぎるという気がした。

そして、何人かの弔辞を挟んで、
最後に菅さんが友人代表として
壇上に立った。

その出だしから、私は「おっ」と思い、
キッチンからテレビの前に移動した。

そこにはあのしどろもどろの覇気のない
前首相の菅さんではなく、
大切な友を失って悲嘆にくれる安倍さんの
無二の親友の姿があった。

菅さんの首相時代は原稿に目を落とし、
つっかえつっかえ小さな声で原稿を読む
田舎臭いおじさんでしかなかったが、
初めて自分の言葉で話す菅さんは
朴訥で温かく、とても正直な人だと分かる。

銃撃事件のあった日、一報を聞いた菅さんは
とにかく同じ空間で同じ空気を吸いたいと
矢も楯もたまらず病院に駆けつけたという。

その「同じ空気を共にしたい」という表現から
始まった弔辞は
随所に菅さんらしい言葉がちりばめられ、
ふたりがどれだけ昔から助け合って政治の世界で
やってきたかがうかがい知れる内容だった。

菅さんは弔辞の最後に、
安倍さんの机の上にあったという本の中の
「山形有朋」の歌を引き合いに出した。
彼が長年の盟友・伊藤博文に先立たれた時に
故人を偲んで詠んだ歌に
期せずして安倍さんがしるしをつけていたという
エピソードを語った時は
ちょっと出来過ぎじゃないかと思ったが、
きっと本当にそんなことがあったのだろう。

『かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ
今より後の 世をいかにせむ』

その歌のエピソードの後に
「総理、本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお休みください」と
弔辞は結ばれた。

そして、静まり返った葬儀の場にも関わらず、
海外からの賓客から拍手が起こり、
(全員、イヤホンで翻訳された弔辞を聴いている)
日本人の参列者もそれに続いたので
会場が拍手に包まれたという。

テレビではコメンテーターの橋下徹が
「あのふたりは小学校の時の親友みたいだった。
同じ空気を吸いたいなんて言われたら…」と
言葉を詰まられながら感想を述べ、
他のコメンテイターや司会者の目にも
涙が浮かんでいるように見えた。

個人的には国葬自体は反対であっても、
菅さんが
大切な人を突然失った悔しさや無念さは
切々と伝わってきて、
それとこれとは別の問題なんだと感じた。

ネットでも
「今回の国葬で一番感動したのは菅さんだ」と
もっぱらの噂になっている。

私たちは菅さんの頼りないダメなところしか
今まで知らなかったんだなと思う。
これがあの巨額の税金の無駄遣いの中で
唯一のほっこりエピソードかもしれない。



2022年9月26日月曜日

次女と過ごす三連休

 








お彼岸を挟んだ三連休は
久しぶりに実家に帰ってきた次女と過ごした。

次女は
今の会社に入って最初の夏だった今年の夏は
お盆の休暇が取れず、
実家には帰ってこなかったので、
泊りがけはかなり久しぶりということになる。

近況を聴けば、
先週の敬老の日を挟んだ三連休は
プレゼン直前で40時間は寝ていない
などとぼやいていたから、
会社が変っても仕事がハードなことには
変わりがないようだ。

ただ、人間関係はとてもいいようで、
そうした悩みから解放され、
ストレスフルな顔で愚痴を吐露するといった
こともなく、平和な3日間だった。

いくつになっても娘は娘なので、
何か悩みを抱えていると、
ついカウンセラーとして
話を聴いてあげなければと思ってしまう.
しかし、今回はそういうこともなく
穏やかな時間が流れていった。

三連休の初日は台風の影響で
一日中降ったりやんだりの雨だった。
先週の三連休ほどの大雨ではなかったけど、
三連休ごとに雨が降るのは勘弁してほしい。

まずは次女と横浜元町をぶらっとしてから、
夕方、ダンナも合流して
お気に入りのイタリアンレストランで
食事をすることになった。

次女は以前の会社でご縁のあった
元町のジュエリー会社の担当さんと
久しぶりに会う約束があるとかで、
とりあえず
私はひとり元町ショッピングをすることに。

5時過ぎに落ち合った時には
次女はジュエリーショップの半貴石をつかった
おしゃれなイヤリング、
私はその日も履いていたパンプスと同じものを
再び、求めたので、
それぞれ戦利品を抱えていた。

ひとりは自分がデザインしたパッケージに
収められた
片耳だけのクリップ型イヤリング、
ひとりは自分の足になじんでいる靴が
型崩れし始まっているので、
その店のオリジナル商品である靴を
リピート。

片や、今どきのイヤリングを
自作のパッケージと紙袋にいれてもらい、
片や、冒険して新しいデザインのものを買うより
確実に自分に合うものに落ち着くという
安定志向。

次女の自立を素直に喜ぶべきところだが、
なんだか世代間格差を感じる私。

歩きすぎた足を休めるために
立ち寄ったカフェで
ロイヤルミルクティにアイスクリームが
のっているスイーツをいただいたせいか、
元々、胃が少し小さくなっているせいか、
その日のイタリアンディナーでは
フルコースが重いこと重いこと。

全員、のけぞるくらいお腹がいっぱいになり、
こちらも何だか歳を感じてしまった。

以前は外食もしょっちゅうだったので、
コース料理にお酒を2杯ぐらい
当たり前だった。
しかし、コロナのせいか歳のせいか、
めっきり外食が少なくなっている内に
量が食べられなくなっている自分に気づき、
愕然とする。

次の日になっても
何だか初日のディナーの余韻が残っている気がして
2日目の夜に予定していたラムと牛肉のステーキは
3日目の夜に回すことになった。

2日目も降ったりやんだりの雨は続いており、
次女とふたりで丸の内まで出かけ、
三菱一号館美術館で開催されている
「シャネル展」も
向こうで1時間以上並ぶと聞いて
私は二の足を踏んだ。

結局、次女だけが
「東京に住んでいるのに、なんで横浜にいる時に
わざわざ東京までいくのかな~」と言われつつ、
ひとりで出かけて行った。

ならば私はと、地元の映画館の
「午前十時の映画祭」でやっていた「81/2」を
観ることにした。
フェデリコ・フェリーニの創った昔の
イタリア映画でなんとモノクロの画面。

ひたすらモノクロームの画面が美しく、
しばしうっとり見とれていたが、
なにしろ不条理劇みたいな難解な内容で
会場にいた10人ぐらいのおじさんと同じく
途中で睡魔と戦うのがたいへんだった。

隣のおじさんなんか始まってすぐから
いびきをかいて寝ているので、
当時、粋がって観ていた青年も
おじいさんになってしまい、
難しい映画にはついていけないという
悲しい現実なのであろう。

さて、映画の後には急遽入った
カウンセリングを1本こなし、
3時半に次女と合流、
それぞれが「シャネル展」と」81/2」の
ダメ出しをしながら、
今年初の「シャインマスカットのズコット」に
舌鼓。

昨年から、椿屋カフェでみつけた
この「シャインマスカットのズコット」なる
美しいケーキは、
長蛇の列をなしてでも年に一度は食べたくなる
美味しさである。

3日目はようやくの日本晴れ。
しかし、私は朝の9時からカウンセリング、
ダンナは自転車のツーリングと
実家のふたりはいつもの予定が入っていた。

次女にとってのいつもの日曜日は
まずは午前中いっぱいまったりするというのが
常なのだろう。
結局、三連休といっても
3人が「呼吸を合わせて一緒に行動」とはならず、
なんだかそれぞれの予定を
こなしつつ、
合う部分だけ一緒にすごすという結果に
なってしまった。

これが独立して早10年以上経っている
次女と私達の生活なんだと実感した。

4人家族だった日々と
家は同じなんだけど
それぞれのペースで過ごす毎日は
だいぶ違っている。
だから、ずっと一緒というわけにはいかない。

それが娘が実家に帰ってきた休日なんだと
感じた秋の彼岸の三連休である。













2022年9月20日火曜日

本日も満腹食堂

 















本日は月に3回あるシポリンワーク、
まあ、簡単に言えばばぁばご飯の9月の2回目。

週末から台風の影響で東京も横浜も
時折、激しい雨が降ったりするものだから、
いつものように日曜日にはリクエストが来て、
火曜日に出かけるというパターンではなかった。

もし、火曜日になっても風雨が激しければ、
ばぁばご飯は作りに行けないので、
そうなると娘たちが大量の買い出しをしても
無駄になってしまう。

なにしろ、
おーまま(ばぁばとは言わせない)が
いない娘の日常は、
生協のミールキットや半調理品、
スーパーの冷凍食品などが活躍し、
時短料理しかしていない。

丸のままのジャガイモや人参、
魚や肉を大量に買い込んでも
無駄になってしまうのだ。

そこで、天気予報をみながら
月曜日になって、ようやく連絡が来た。
「今から買い出しに行くけど、
いつも通りに来てもらえるの?」と。

三連休の最終日も同じく時折
激しい雨が降っていたので、
買い出しに徒歩で家族4人が繰り出して
1週間分の食材をまとめ買いするのも
大変な作業だ。

大昔、同じく自分が5歳児と2歳児を抱えて
生活していた時は、香港に住んでいて、
週末、夫が車を出して、
イギリス系の大手のスーパーと
日系のデパートに行くのが常だったので、
今思えば、
だいぶ今の娘たちより楽だったもしれない。

生協はなかったけど、
アマさんといって中国人のお手伝いさんがいたので
子どもを置いて、
ひとりで買い物に行くこともできたので、
ローカルマーケットに出向いて、
広東語で魚や肉を買うということもしていた。
(その間にアマさんは掃除・洗濯・アイロンかけ
なんなら料理と子守もしてくれた)

小さい子供を保育園に預け、
自分も働いていて、
夕方、子ども達を引き取って帰ってから、
さあ、野菜を刻んで、肉の下味をつけて…など
なかなかできるものではないのだろう。

というわけで、
自分でいうのも何だが、
「お料理好きの優しいおーまま」のおかげで
娘と孫たちは本日も、大量のおかずが並んだ
栄養満点の
夕餉の食卓につくことが出来た。

さて、本日のばぁばご飯のメニューは、

鶏むね肉のニラとトマトの香味ソースかけ
生サーモンの胡麻フライ
かぼちゃの煮物
人参しりしり
スペイン風オムレツ
厚揚げと小松菜の煮物
かぼちゃと玉ねぎのクリームスープ
カリフラワーのグラタン
豚肉とハスとサツマイモの甘辛煮
タラのチーズ風味フライ
計10品

リクエストには
人参しりしりとかぼちゃのスープはなかったが、
我が家に大量に人参があったので、
いつもはキャロット・ラペだが、
人参しりしりも美味しいからということで
持ち込みでプラスし、
汁物がないので、娘の家にあった食材を活用して
かぼちゃとじゃがいもと玉ねぎの入った
クリームスープを作ることにした。

ここのところ、孫1号は魚しか食べないし、
孫2号は大の肉食女子、
ふたりとも野菜はほとんど何でも食べられるので、
さあ、どうやって肉と魚もまんべんなく
食べさせられるか、
おーままの腕の見せどころだ。

娘曰く、他のお子さんの話を聞くと
もっともっと偏食に悩んでいる話は多く、
これでも十分いろいろ食べられている方だと
いう。

娘の時もそうだったが、
こどもの食の好みには波があるので、
有無を言わせず、出し続けることが肝心だ。

今回もキャロット・ラぺじゃなくて
違う味の似たような形状の人参に
やや拒否反応を見せたが、
「ちょっとでもいいから食べてみて」と
誘ってみた。
さあ、明日以降、どうなりますやら。

とにかく、大量にできたこれらの料理は
週末まで彼女たちの胃袋を満たし続ける。

まずは
10品中9品は食べられると言った孫1号、
それでも、丁寧にキノコ類は取り除き、
美味しそうにあれこれ食べてくれた。

孫2号は今日はちょっと食欲がないのかと
少し心配していたが、
途中からエンジン全開、
気に入ったスープとグラタンは
何回も「お替り!」を連発していた。

というわけで、
本日の満腹食堂、
無事にのれんを下ろし、閉店ガラガラ。
お疲れ様。






























2022年9月19日月曜日

恭平を聴きながら

 












三連休の3日目だが、
台風14号の影響で横浜も風雨に見舞われるという
予想だったので、
今日は1歩も家から出ない構えで
朝から作陶することにした。

土曜日に多めに買った粘土が余ったので、
家に持ち帰り、
静かにひとりで作った方がよさそうな
急須に挑戦することにした。

急須と言っても、持ち手がなく、
やや小ぶりで胴を挟んで持ち、
そのまま傾けてお茶を注ぐというスタイルだ。

まず、先月、歌舞伎座の上のショップで見つけ、
更に、先日の「デジタル故宮展」の
ミュージアムショップでも似たものを見つけた。

人の目というのは
気になるものがあると
それが目に飛び込んでくるようにできている。

少し上のふたつのデザインは違うのだが、
胴を持ってお茶を注ぐという点では同じだ。

ひとりでお茶するとき、
ひとり分だけ茶葉を急須にいれたら、
ひとり分のお茶が手軽に飲めるという
コンパクトな急須だ。

ひとり暮らしの人や、
仲良し夫婦、友達ひとりの来訪時など、
1~2人分のお茶を丁寧に淹れたい時などに
おしゃれに使える器といえよう。

今日は午前中の雨の止み間に
生協の配達があり、
中に待ちかねた「反田恭平のCD」があった。

昨年秋のショパンコンクールで
2位になった時に弾いたショパンの曲の数々を
今年の1月にサントリーホールで
凱旋コンサートと銘うち弾いた時の録音だ。

ショパンコンクールの時は
毎日、進捗状況を追いかけていて、
2位の瞬間も胸を熱くして見ていた。

何とか生恭平を見たくて、
その後、凱旋コンサートやら何やら、
とにかく手当たり次第に申し込んだが、
あまりの人気でチケットが取れず、
今日にいたっている。

なので「あのショパンをもう一度」の思いで、
CDに針を落とし(古!)
恭平ワールドに浸りながら、
急須づくりに取り組んだ。

蓋物はやはり難しく
1度は半分出来た急須の本体をつぶした。

手と目は急須に向かっているのだが、
ディスクからショパンのポロネーズや
マズルカが流れてくると、
27歳の青年が5年の歳月をかけて挑んだ
コンクールの日々が思い浮かび、
脳が熱を帯びるような気がした。

蓋は蓋で難しく、
重みに耐えきれず沈もうとするので、
2度つぶした。

ペットボトルのお~いお茶ではなく、
深く静かなお煎茶をいただく日は
いつになるのやら。

残りの土で可愛い桃の形の湯飲みを
ふたつ作った。

うまく作れたら、
また、いつもの友人たちが
「これ、いいわね」と
あっさり買っていくのかもしれない。

この急須と湯飲みに
どんな明日が待っているやら。

反田恭平のCDに素敵な言葉を見つけた。
それは彼が師事している
クリスチャン・ツィメルマン先生から
コンクールの後にかけてもらった言葉。

You are not a Pianist.
YOU ARE A TRUE ARTIST!!

敬愛する恩師にそんな風に言われ、
涙する恭平(の写真)

羨ましくもあり、美しくもあり。

ものつくりの端くれとして、
音楽家であれ、美術家であれ、
自分の生み出した何かが人を揺さぶったり、
喜ばせたりできたら、
それはとても素敵なことだ。

恭平と季満野の未来に幸あれ!
(いっしょにすんなと言われそう)



















2022年9月18日日曜日

ひいらぎシリーズの器

 









陶芸工房では、目下私は「ひいらぎシリーズ」を
作陶している。

昨日はまず工房に着くなり、
先月、家で作って、前回の作陶日に持ち込んだ
ティーポットとシュガー入れ、
ティーカップ&ソーサーの素焼きが
無事に焼き上がっているかを確かめた。
(焼成は先生のお仕事)

とにかく初めて作ったティーポットの作陶が
あまりにも難しかったので、
そのポットが次なる難関である素焼きを
クリアしてくれ、
まずはひと安心で胸をなでおろした。

器は素焼きの段階で割れることもあるし、
蓋と身の縮み具合が違うので、
カタコトと収まりが悪くなることもある。

ティーポットもシュガーポットも
蓋つきなので、そのあたりが心配だったが、
いずれも今のところうまくいっていることは
次への作陶の意欲にもつながる
安心材料なのだ。

今回の作業としては、
まず、ひいらぎがいくつか飾りとして
ついてる中鉢と中皿の削りから。

2年後の展示会を意識して、
「アフタヌーンティ・セット」のひとつとして
作ったものだが、
さて、これに何を入れるのやら。

ひいらぎがモチーフとなると
急に冬のイメージになるし、
なんならクリスマス用の作品と捉えがちだが、
私としては季節限定ではなく
通年使えるものとして作りたいと思っている。

そして、削りの後、作陶としては
課題である「壁掛け」もしくは「飾り物」
ということで、
こちらもひいらぎのシリーズで
リースを作ろうと考えた。

リースの土台も土で作り、
飾りもすべて土で出来ている陶器のリースだ。

一番難しいのは
土台の板を何mm厚さにすれば反ったり
歪んだりしないかという厚みの加減で、
案外、表には出ない部分に神経を使う。

壁にかけたり、飾りスタンドに立てた時、
歪んでいるのはみっともないので、
いろいろ考え、土台は型を使うことにした。

キッチンや家中の棚を眺めまわし、
リースの型として使えそうなものを探し、
大昔、ゼリーの型として使っていた円形の型を
見つけた。

ドーム状になっている中に
カットフルーツとゼリーを流し固めるものだが、
今回はそれを伏せて土をかぶせてリースにする。

頭ではイメージできているが、
誰もやったことはないので、
うまくいくかの確信はない。

しかし、横浜陶芸倶楽部、
第1・3午後組のメンバーは
みんなチャレンジャー揃いなので、
とにかくまずはやってみるを信条にしている。

自由作陶がここの工房のいいところなので、
自己責任で勝手に好きなものを作ることに
それぞれ喜びを見出しているのだ。

さあ、ひいらぎがペタペタ張り付いたリース、
どんな色の釉薬をかけようか。

いや、その前に素焼きはうまく
出来てくるのか。
焼成作業は先生の担当なので、
私に出来るのはまずはここまでだ。

3連休は台風14号の影響で
関東地方も風雨が強まりそうだ。
明日の出歩く予定は変更して、
家で作陶の続きをすることにしよう。

チャレンジャー・きみのの挑戦は続く。














2022年9月14日水曜日

故宮にひとっ飛び

 








ここ2週間ほど、
いつになく忙しい毎日なのだが、
その合間を縫って、
東博の「故宮の世界」展に行ってきた。

私のこの2週間の忙しさは
「文学と版画」展が先週あったことと、
パティシエ学校のテストの採点が
先週あったことと、
新しいHPのフロントページが出来あがり、
チェックと手直しの要望を出さなければ
ならなかったことなどが重なったことによる。

更に木版画の新作の原画を起こしたので、
それを週末にトレぺの原画にし、
月曜日の版木転写もしたのだった。

展覧会には搬入と搬出が必要で、
会期の前後に飾りつけのため、
銀座に行ったし、
会期中には友人をアテンドするために
会場に行くこともあった。

パティシエ学校のテストは
オリジナルの記述論述式の内容なので、
1枚の採点に12~15分ほどかかり、
ただ〇✕をつけるのではなく、
1枚ずつ1問ずつコメントも入れるのだが、
それが4クラス分約90名。

ざっと計算してもらえばわかるが、
莫大な時間が必要だった。

ホームページは既存のものがあるのだが、
サテライト・サイトなる誘導のための
ホームページを作成することにしたので、
こちらの要望を出すためには
どんな感じにしたいか、
一言一句の言い換えやフォントの大きさ、
使用された色のテイストや彩度など、
精査して希望を書き出す作業が意外と膨大だし
とにかく神経を使う。

もちろん、こうした作業は
すべてイレギュラーなものなので、
通常のカウンセリングやばぁばご飯、
お茶のお稽古や陶芸などはいつも通りだし、
毎日のおさんどんも当たり前のように
こなさなければならない。

しかも、先週火曜日は
石田様の最後の「熱狂の夜」だったわけで、
着物で会場入りし、熱狂の夜を堪能した。
また、先週土曜日はお茶の講習会が
鎌倉芸術館で開かれ、参加したのだが、
ドレスコードが着物だったため、
その日も着物で出かけたことを思い出した。

こんな風に書き出してみると
我が事ながら他人事のように
何とも忙しい人だということになる。

私は日頃からものごとには優先順位をつけ、
横に並べず、たての1列目だけを見て、
ひとつずつ片づけることにしているので、
頭は混乱していないのだが、
さすがにここまで忙しいと
疲労で体が困惑している。

そんな中、今日は友人の誘いにのって
「デジタル故宮展」なる展覧会に出かけた。

中国の故宮をデジタル映像で
浮遊しながら眺め、
「千里江山図鑑」なる山水画の傑作を
これまたデジタルで復元し、
幅14mという巨大画面で鑑賞する。

本物は1点も来日していないのだから、
花瓶や箱、器などの工芸品も
すべてデジタルで再現したものだ。

アミューズメントパークに行ったみたいなもんだが、
どれもとても迫力があって
それなりに面白かった。

なにしろ中国というものは
すべてが巨大で圧倒的、
「これでもか」という言葉がピッタリくる。

中国人の徹底ぶりに、
半ば呆れ、半ば嫌気がさし、
自分は日本人でよかったという気がした。
それは負け惜しみかもしれない。

展示会場の東京国立博物館
通称・東博は
ある意味、日本の故宮博物館である。

その静かで厳粛なたたずまいは
奥ゆかしく気品がある。

展覧会を観終わり、平成館の外に出ると
まだまだ強い日差しが射していた。
ふとみると、竹の柄の黒い傘がたくさん
日傘として貸し出されている。
縁にレースの飾りのついた
クラシックで優雅な日傘である。

この傘を借りたら、どこに返せばいいのか。
博物館の庭の散策に使うためのものなのか。

よくは分からなかったが、
ただ、ド迫力で壮大な故宮にはあり得ない
とても日本的なサービスだということは
感じることが出来た。

国民性とか国の権威とか…。
今、イギリスの女王が逝去なさって
世界中が国葬を当然のこととして
受け止めている。
どこかの国の元総理は
このまま強行突破で国葬されるのか。
そうなれば、故人も居心地が悪いに違いない。