2016年3月31日木曜日

春本番 明日から新年度

 
 
 
今日は3月31日。
 
版画家や心理カウンセラーには、新年度も期末も決算も関係ないが、
とあるパティシエ養成専門学校の非常勤講師としては、
今日で2015年度が終了して、明日から2016年度が始まる。
 
日中の温度が軽く20度を超える温かさの今日、
そのパティシエ養成専門学校に講師が集合して、講師会なる会合が催された。
 
この学校は、蒲田にある調理師専門学校と、
横浜にある製菓製パン専門学校の2校からなり、
経営者が同じなので、入学式・卒業式・講師会などは合同で執り行われる。
 
というわけで、横浜校でしか教えていない私も年に1度蒲田まで出向くことで、
両校の常勤職員と非常勤講師全員の顔合わせができるこうした機会で
ようやく自分がこの学校の職員のひとりだということを認識する。
 
そして、懇談の席には、調理師専門学校ならではの豪華料理とスイーツが並び、
それも楽しみのひとつになっている。
ここで、仲良くなった講師同志、おしゃべりしたり情報交換して、
同じ学校の講師としての友好を深めるのだ。
 
講師は食に関係がある栄養学やら食品衛生学など、専門分野の先生と、
商品開発やカフェやレストラン運営などの実務、
デザイン・ラッピング・カラーコーディネイト・陶芸などの美術系とに分かれる。
 
そんな中、私の担当する「就職対策講座」というのはどれにも属さない科目といえる。
 
数年前までは、「就職対策講座」は
「コミュニケーションと顧客満足」というテーマの別の講座だった。
 
しかし、今まさにパン生地のこね方やスポンジケーキの焼き方を学んでいる
学生にとって、コミュニケーションも顧客満足も身近とは言い難く、
どこか真剣みに欠けるということで、
より結果や数字を求められる「就職」にテーマを絞って
主には面接に必要なコミュニケーション能力をレクチャーするようになった。
 
新年度はコマ数も去年より多く割り振られ、
更にひとりひとりの成績もつけて欲しいと要望があった。
 
そうなると、今まで外様の講師が適当に講義して終わりだった講座も、
9月始めの試験週間の時の1教科として、テスト問題も出さなくてはならず、
一挙に国家試験対策のレクチャーをしている講師の皆さんと同様、
この学校の学生の動向や成績に深く関わることになる。
 
この学校の名物理事長が1年半前に病に倒れ、
屋台骨がぐらついたことで、将来を危ぶむ声をあちこちで聴いたが、
どこか対岸の火事だったが、
そうも言っていられないのかも・・・。
 
非常勤講師はいつ定年というような規定もあまり見当たらず、
相当なお歳とお見受けする先生も何人もいる。
 
その中で私はちょうど中堅の先生ということになるが、
ここらでもっとこの学校の一員としての自覚を新たに、
非常勤講師の追わされている職務に邁進しなければと思った。
 
さてさて、巡りくるこの季節、
教務主任から新しいお題をもらったからには、
新学期からの講義の構成を練り直さねば。
 
今年は6月7月9月の3ヶ月集中の各クラス10回の講座。
 
季節労働者は毎年ころころ変わる事情をふまえて、
臨機応変に対応することがつとに求められているのである。


2016年3月23日水曜日

頭の中の桜がポッ!

 
 
 
昨日、東京に桜の開花宣言が出され、
1日遅れで今日、横浜にも開花宣言が出た。
 
今日は朝から「ん?温かいかも」とわかるぐらいな感じで、
日中もじわじわ上がって最高気温18度を記録したとか・・・。
 
ちょうど1週間前の水曜日、2点対の作品の明るいバックの方を本摺りしたので、
今日はもう一方の暗いバックの方の本摺りをすることにし、
昨日は和紙を湿したり、
必要な絵の具を調合したりして準備した。
 
2点は『昼と夜』のイメージのつもりで創ったのだが、
すでに1点目を摺っている時に、
多少バックの色を準備していた色より明るくしたので、
「まあ、2点対の作品とはいえ、2枚同時に買う人なんて滅多にいないから、
昼と夜みたいにあまり硬く考えないどこ~」と自分に甘い結論に達していた。
 
それでも、昨日、絵の具を調合している時は、
2点目は「夜鷹の星」みたいなイメージかなと思って、
背景の色は1色目は『空』という明るいブルーにして、
重ねる2色目は『藍色にさらに黒』を混ぜるという相当暗いブルーを用意していた。
 
それが写真3枚目の試し摺りの色具合である。
 
しかし、朝4時半、自然に目が覚めてしまった時はそのまま起き、
朝飯前に3時間ぐらい作業して、お得感を味わうことにしているので、
今朝はそんな段取りで本摺り作業が始まった。
 
今朝は摺り始めると早くも少し暑くなるほど、最低気温も高い気がする。
 
しかも、朝ご飯の前に何色か摺り終えられると、
その分気が楽になるので、
今日の作業は快調快調。
 
更に11時頃にはますます気温も上昇、日も差して明るくなってきた。
作業は背景の1色目の明るいブルーを摺り終え、
体力勝負のパートも無事クリア。
 
全体の7割ぐらいの摺りが終わり、後の3割は2版目の重ねの色になる頃には、
「夜の絵にするの、ねぇ、辞めない?」と
もうひとりの私が耳元でささやいていた。
 
タイトルを『追憶』にしようという気持ちに変わりはなかったが、
「夜鷹の星」みたいな感じじゃなくてもいいかも
という考えがグイグイ頭をもたげている。
 
きっと気温が上がって温かくなったせいで、気分も上昇、
きれいなブルーの背景にしたくなってしまったのだと思う。
 
昨日、作った大量の黒いブルーの小鉢を横目に、
2色目用に「浅葱にちょい足しの藍」というブルーを作り、
思い切って摺ってみた。
 
やっぱりこれでいこう。
 
そう思える美しいブルーの背景になった。
 
こんな風にだいぶ前に試し摺りを取って決めた色を、
更に微調整して前日入念に準備しても、
尚且つ、ひらめいて、当日、別の色にする。
 
そんなこともたまにはある。
 
どのパートも私という同じ人間の仕業だけど、
最後は「本摺りの時の女の勘」を信じて、
下準備してきた職人の私は一歩譲る。
 
きっと今日は、頭の中の桜がポッと咲いたんじゃないかな。
開花宣言、発令!
てな感じ。


2016年3月21日月曜日

古巣のフラメンコライブを観にいって

 
 
西日暮里にあるアルハムブラというフラメンコのライブハウスに
以前、通っていた教室のスタジオライブを観に行ってきた。
 
今日、出演したメンバー10名の内、6名はよく知っているメンバーで、
その内5名は同じクラスをとって、一緒の曲を踊っていたことがある。
 
私は辞めてしまって、早丸3年経つが、
今日まで続けているメンバーの10年の研鑽の結果を目の前にして、
なんだか熱いものがこみ上げてきてしまった。
 
スタジオライブというのは、生徒の内の何名かが自ら手を挙げるか、
先生からの指命を受けて、半年先ぐらいの発表をめざし練習して臨む舞台だ。
 
1年半に1回の割りで行われる発表会は、
通っている生徒全員がそのスキルに合わせ、
取っているクラスごとの演し物を練習し、
大きな舞台で群舞なり、ソロなりで踊る。
 
しかし、スタジオライブは
場所がライブ会場という100名ほどの小さな空間になるとはいえ、
演目のほとんどはひとりずつ、
プロのギタリストやカンテ(歌い手)と共に、ソロで踊らなければならない。
 
いってみれば、私のグループ展と個展の違いみたいなもので、
展覧会の良し悪しは、グループ展は連帯責任なのに対し、
個展は完全にひとりに責任がかかっているというのと同じだ。
 
もちろん10名出演するから、そういう意味では10名の連帯責任だけど、
ひとり15分のそれぞれのソロパートは、その場にいる全員の目がひとりに注がれ、
きっと心臓が飛び出そうなくらい緊張するだろうし、
裸で舞台に立っているかと思うぐらいの恥ずかしさと高揚感だと思う。

かつて一緒に群舞を踊っていたメンバーが、
今、目の前でひとりずつ、アーティストとして躍りで自分を表現し、
そこにいる。

カンテの低く響く声と情熱的なギター、カホンのリズムとかけ声に背中を押され、
そこに今いる自分のすべてをさらけ出し踊る。

舞台の上で彼女達の胸に去来するものは何だろう。
 
そして、たった15分、その舞台に立つまでに、費やした時間と努力は
いかばかりだったか、想像するだけで、こちらの胸が苦しくなる。
 
フラメンコは決して明るく楽しい音楽ばかりではない。
むしろ、起源が虐げられたヒターノの嘆きから始まっているせいか、
そのほとんどのテーマが「孤独」や「苦悩」「悲哀」だったりする。
 
その重いテーマをいかに踊りと表情、かもしだす空気感などで表現し、
場の空気をその世界に引きずり込むことが出来るか。
 
うまく観客を引き込めないと
『何ひとり眉間にしわ寄せて、苦しそうに踊っているの?』と
観ている側の気持ちが離れてしまう。
 
自分が踊っていた当時は、あのステップがちっとも上手く踏めないとか、
あそこの振り付けがなかなか覚えられないみたいに、
技術的なことばかりが気になっていたけど、
単なる観客になって観てみると、そんな技術的なことは分からないから、
その人の表現者としての世界観の作り方の方がよほど気になってしまう。
 
私に今回のライブのお誘いをくれた友人は
チームリーダーとしてまとめ役も担っていたようだし、
踊り手としても看板ソリストとして頑張らなければならない位置にいた。
 
全員の踊りが終わり、彼女が挨拶したときに思わず涙声になったのを見て、
その責任の重さと、今日までの辛い日々が想像され、
私まで切ない気持ちになった。
 
趣味のフラメンコなのに、そんな甘いものじゃないというところまで追い込まれ、
時間もお金も想像以上にかかるし、
家族の協力と理解なしにはやっていけない。
 
時には先生から強い言葉で叱責されたり、
理不尽な物言いに涙をこぼすこともあったろう。
 
それを乗り越えさせ、舞台に立たせているのは、
ひとえにフラメンコが好きという思いだとは思うが、
とにかく今日はお疲れ様と強く抱きしめ、そのぬくもりで気持ちを伝えてきた。
 
「あ~、私もあそこにいたなぁ」と、フラメンコに関しては、ただ懐かしいだけだが、
単に楽しく踊るだけじゃ済まされないのか?
 
「かじりだしたばかりの私にとってのタンゴは、『お楽しみタンゴ』にしておこう」、
そんなことを考えながら、西日差す山手線をコトコト帰って来た。


2016年3月19日土曜日

もうひとつの顔 Beeの石田泰尚

 
3月はなんと3回も石田泰尚氏のコンサートに足を運んでしまった。
 
1回目は13日の「三浦一馬スペシャルライブ」のメンバーとして。
2回目は14日の石田様プロデュース「兵士の物語」 バレエとオーケストラ。
3回目の今日は及川浩治トリオ「Bee」のメンバーとして。
 
つまり、ヴァイオリニストとして、誰かと一緒に演奏する時、
相手によってどのように変わるのか、とても興味深い3回のコンサートだった。
 
1回目はバンドネオンの三浦一馬の名前が冠についているが、
5人編成のタンゴ演奏としては、それぞれがリスペクトしていて、
情熱的ないい舞台にしようという思いがガンガン伝わってくるコンサートだった。
 
2回目はミニオーケストラとバレエという珍しい組み合わせの舞台で、
石田様はプロデューサーとしても斬新なアイデアを盛り込み、
踊りと語りと演奏のすべてを、同時に目の前で見せる舞台はとても新鮮だった。
 
3回目の今日はトリオで行うコンサートだから、さして珍しい形態ではないし、
以前にも少しメンバーが入れ替わっているが、
Beeのコンサートは聴いたことがある。
 
しかし、久しぶりにこのトリオの演奏を聴き、
出だしの個性のぶつかり合いには最初ビックリした。
 
ピアノの及川浩治は唯我独尊、確かにうまいが、これでもかという強い音で弾いて
ちょっと協調性に欠ける。
最初の2曲はヴァイオリンもチェロもよく聞こえないほど。
 
ヴァイオリンの石田様は体も顔も細いが、音色も繊細かつ華麗で見た目どおり。
まさにアーティストと呼ぶにふさわしい孤高の人。
 
チェロの辻本玲は体も顔も丸い典型的なふとっちょおじさん。
でも、顔に似ずロマンティストらしく、演奏中はずっと切なくて物狂おしい表情だ。
 
今日はそんな3人を横須賀藝術劇場 大ホールの最前列、中央から2つ右という
とんでもないかぶりつき席で聴いたというより、見てしまった。
 
真ん前にチェロの辻本さんが2メートルぐらいの距離にいて、
石田様は斜め左手に3メートルぐらい先。
でも、譜面代がななめに置いてあるので、私が左上を見上げると、顔は正面にくる。
石田様が譜面を見る瞬間にちょくちょく目が合う恰好になり、
「あら、もしかして、私のこと見た?」と勝手な思い込みができる位置だ。
 
もっと目の前には手の届く位置に辻本さんが切なくも狂おしい顔をして
ゆさゆさ大きな体を揺らせてチェロを弾いているし、
舞台中央にはすっかり自分の世界に入り込んでいるナルシストの及川さんが
気持ちよさそうにスタインウェイのピアノをオーバーアクションでかき鳴らしている。
 
あまりに近くで、
3人の男性の息づかいと曲調に合わせたそれぞれの切ない表情を見ていると、
不謹慎な想像をしてしまいそうになり、
恐ろしい。
 
演奏された曲目はピアソラあり、プッチーニあり、リストあり、
メンデルスゾーンにラフマニノフ、ベートーベンと
それぞれの楽器のソロやデュオ、トリオとバラエティ豊かに組み合わされていて
聞き応え十分。
 
最初の2曲でガンガン飛ばしすぎたと自重したのか2部のトリオ演奏は
ピアノと弦楽器の音色も調和して、
それぞれの持ち味を存分に活かした演奏になった。
 
帰りがけ、一緒にいった友人とも
「プロとはいえ、最初はさぐりさぐりやってる部分もあって、徐々に調和するように
なるんだね、きっと」と同じ感想を語りあった。
 
演奏家は幼少期から英才教育で育てられ、
高価な自分の名器が何より大切で、自己愛の強い性格の人が多いと聞いている。
 
たぶん、この3人もそういう意味では自己愛人間なのは間違いない。
 
そんな演奏家達が相手に合わせたり、自己主張したりしながら、
いい演奏になるため奮闘する様は、
間近で見れば見るほど人間臭く、いとおしささえ感じるのだった。
 
生の演奏を見たり、聴いたりする醍醐味、
それはそういうところにあるのだろう。
 


2016年3月16日水曜日

摺り師の1日

 
 
 
なかなか木版画家として作業しているところをブログにアップしていないので、
「もはや廃業したのでは」と怪しまれるといけないので、
「ちゃんとやってますよ」ということで、
本日は本摺りをしているところをご報告。
 
廃業といえば、昨日、秋葉原にある清水刃物店から
「廃業するので、これからは千葉の何とかさんへ引き継ぎます」という主旨の
お知らせが届いた。
 
清水刃物店は木版や能面作りなど、専門家用の彫刻刀を扱う専門店で、
お父さんから引き継いだ50代ぐらいの息子がちゃんとやっていたと思うのだが、
どんな理由か分からないがお店を閉めるという。
 
店はまるでそこだけタイムマシンで昭和初期に戻ったかのような、
地味で簡素で商売っ気のない様子だったが、
扱っている刀は一級品だし、研ぎの腕はピカイチで、
私は年に一度ぐらいの割りで何十本と大量に持っていって、
手持ちの彫刻刀のメンテナンスをお願いしてきた。
 
大学の頃、教授に紹介されて以来だから40年近いおつきあいだったのに、
辞められては困る。
つまり、他に同じレベルの品を扱っていたり、
研ぎの上手な人が見当たらないという希少価値のお店だった。
 
そんな残念なニュースが気になりつつも、
昨日から和紙を湿したり、絵の具の調合をしていたので、
今朝は早くから、新作の本摺りを決行した。
 
6月のグループ展に出品する予定の小品で、2点連作の作品だ。
 
昼と夜みたいな2点にしようと色彩プランを立て、
先週、試し摺りを採ったのだが、なんだかちょっと和風な感じになってしまった。
 
和風が悪いわけじゃないが、昼という感じでもないかもなどと
心の中でブツブツいいながら、作業を進めた。
 
本日の本摺り応援団は
1982年に来日したときのピアソラ・キンテート楽団によるライブ盤。
 
藤沢蘭子なんていう実物を見たことも聴いたこともないタンゴ歌手が
ゲストで何曲か歌っている。
 
音源は古いが2004年にリメイクされ、いい音色になって再発売されたものだから、
さほど古さは感じないし、
何といっても歴史に残る素晴らしいライブだったと噂のコンサートなので、
その臨場感に包まれ、「私も本摺り、がんばろう!」という気になれる。
 
版画の作業はすべて孤独な作業なので、
1日中、誰ともひと言も口をきくことなく、
ただ時折、花粉の影響か、鼻水をすすり上げ、オヤジみたいなくしゃみをしながら、
黙々と粛々と版木と格闘するしかない。
 
そんなストイックな作業を見守って、
背中を押してくれるバックグラウンドミュージックとして、
今はピアソラ大先生のお力にすがっているというわけだ。
 
本日もつつがなく8枚の本摺りが終了。
 
今からお疲れ様の大福とチョコレートをいただき、
疲れた脳みそと体をいたわってあげようと思っているところだ。

2016年3月15日火曜日

2夜連続 石田泰尚の別の顔

 
 
前日は埼玉県久喜市まで出掛け、三浦一馬のスペシャルライブを聴いたのだが、
その時のもうひとりのお目当て、ヴァイオリニストの石田泰尚氏がプロデュ-スした
「兵士の物語」をみなとみらい大ホールで観てきた。
 
2夜連続で石田様の演奏を聴いたことになる。
 
しかも、タンゴとジャズのヴァイオリンと、クラシックのヴァイオリンなので、
内容のまったく違う楽曲に対し、一体どうのように頭や体を切り替えるのか、
その細い体を心配しながら、みなとみらいへと向かった。
 
「兵士の物語」は普通のクラシック・コンサートとはちょっと違うらしく、
「ヴァイオリニスト×クラシックバレエダンサー×女優×声優」
異色のコラボレーション企画『語り、奏で、踊る』
と、銘打たれている。
 
チラシを見る限り、どんな公演内容なのかまったく見えてこない。
 
一緒に行った友人がチケットを取ってくれたのだが、
友人でさえ、「前から2列目中央寄りの席が取れてしまったけど、
こんな真ん前で、これは寝るわけにもいかないし、大変だわ」と
すっかりクラシック・コンサートに来たというイメージらしいが、
始まってみるまでは会場の誰も実際のところはわからないといった感じ。
 
出演者で知っているのは石田様と、女優の鳥居かほりだけ。
演出・振付・ダンスの高岸直樹も朗読の置鮎龍太郎なる人物も存じ上げない。
 
しかし、みなとみらい大ホールはほぼ満席だし、
そこここにバレエ界にいるんだろうとおぼしき感じの人がいたり、
大きな祝花が何台か飾られていたりで、
いつもの音楽だけのコンサートとはちょっと違うなと分かる。
 
1部はクラリネットやファゴットの演奏で1000人規模のお客さんを前に
ひとりで演奏するのはさぞや緊張するだろうなと思われる演奏で、
最後は石田様の「無伴奏ヴァイオリンソナタニ長調 作品115」
 
何と、石田様、前日のコンサートに来ていたのと上から下まで全く同じ衣装で
「えっ、夕べ、おうち帰ってないでしょ?」とお泊まりをとがめる
母親のような気分で、思わず突っ込んでしまった。
 
しかし、ソロ演奏が終わって、休憩になり、
いよいよ2部の「兵士の物語」が始まり、演奏家7名と指揮者が入場すると、
石田様は白衣のような真っ白い薄手のコートを羽織り、
飄々と舞台に現れた。
 
他が全員黒づくめのいでたちなのに、翻る白いコートはあまりに突飛で、
思わず会場もどよめき、隣の友人も「えっ、何?どうした?」と声を上げていた。
 
「おうちには帰ってないけど、これも持ってきてますよ(笑)」というあたりか。
 
さて、物語は、7人の小さなオーケストラと、語り手、ふたりの踊り手という
極少数の登場人物で始まった。
 
ストラビンスキーの「兵士の物語」は、第一次世界大戦直後、もののない時代に
ないものを探すより、あるものを活かすという発想でできた音楽劇だという。
 
最後まで初めて目にする耳にする音楽劇にある種の戸惑いも感じたが、
その踊り手の身体能力や表現力の素晴らしさ、朗読の人物を語り分ける巧みさ、
バレエの動きや物語に合わせたオーケストラの演奏など、
次第に舞台に引き込まれ、眠くなったらどうしようという心配は全くの杞憂で
最後まで面白く観ることが出来た。

女優の鳥居かほりも踊り手として素晴らしかったし、
その鍛えた背中の筋肉の美しかったこと。
フジテレビのアナウンサーと結婚したタレントだと思っていたので、
その変貌ぶりにビックリした。
 
もし、普通のバレエ公演ならば、オーケストラはオーケストラピットにいて
観ることは出来ないわけだから、
オーケストラメンバーや語り部が舞台上にいるという演出は、
双方共に観ることになり、とても興味深かった。
 
一昨年、ニューヨークで観た「CHICAGO」も同じように演奏家達が舞台後方の
階段状のステージに並んで演奏していたので、それを思い出していた。
 
この舞台、「石田泰尚プロデュース」とある。
 
物語自体にヴァイオリンが重要なアイテムとしてでてくる。
劇中、バレエダンサーが弾いているかのように演奏するのが、
ヴァイオリニストの石田様だから、
オーケストラをオケピに閉じ込めるのではなく、見えていた方が面白いと考え、
こうした舞台に演出したのかもしれない。
 
いずれにせよ、なかなか観たことのない舞台を堪能し、
大雨がたたきつける夜のみなとみらいから家路についた。
 
3月はコンサートに行く計画がまだまだあり、
ブログを見ていてくださる皆様には
「この人、遊び過ぎちゃう?」と思われていると思うが、
一応、おうちには帰って、毎日着替えておりますので、ご心配なきよう。
おほほのほ・・・。


2016年3月13日日曜日

三浦一馬を追っかけ、久喜市まで

 
人生で初めて若い男にうつつを抜かし、追っかけて埼玉県久喜市まで行ってきた。
 
バンドネオン奏者の三浦一馬に惚れ込んで、
遂に横浜から延々電車に乗って、久喜総合文化会館での
コンサートを観に行ったのである。
 
1月に初めて生一馬を聴いて、いっぺんで大ファンになり、
コンサート会場でCDを求め、サインをしてもらって握手して、
以来、他にもCDを何枚か買い足して、毎日のように聴いている。
 
2月のコンサートは九州の阿蘇だったので、それはさすがに追いかけきれず、
しかし、埼玉県なら地続きだしと思って、チケットを買い求めた。
 
とはいえ、久喜総合文化会館は久喜の駅から徒歩17分。
なんでそんなに駅から離れた僻地に建てたのかといぶかしく思う遠さだった。
 
閑散とした土地に突如半球型のドームが現れ、
大ホール・小ホール・プラネタリウムを備えた地域の文化施設という感じ。
 
大ホールは客席1200はあろうかという広さで、コンサートだけでなく
演劇やバレエ公演などにも対応できる立派なホールだ。
 
ただし、張り替えたばかりの椅子が『金華山』という名称のロココ調織物だったり、
女性用トイレ18個の内16個が和式だったりと、
昭和な感じというか、埼玉なんだなというか、
温かみと野暮ったさが渾然一体となった建物だった。
 
その久喜総合文化会館は、ちょうど10年前、
三浦一馬16歳の時、デビューコンサートを行った懐かしのホールとのこと。
 
コンサート第1部の1曲目が終わって、三浦一馬のMCになり、
先ず、そのエピソードが語られると、
会場からは「お帰りなさ~い」と声が掛かり、
一気に温かな空気に包まれた会場はどんどん盛りあがっていく。
 
第1部はガーシュイン・メドレー、第2部はピアソラ・メドレーで、
選曲もガーシュインの方は『ス・ワンダフル』『魅惑のリズム』『サマータイム』など
なじみのメロディをジャズともタンゴともつかない編曲で
三浦一馬の世界に引っ張り込んでいく。
 
一方、ピアソラの方の選曲は私のベスト盤といってもいいようなセレクトで
『オブリヴィオン』『ブエノスアイレスの四季』『現実との3分間』など
ブエノスアイレスの春夏秋冬、全曲をいれた贅沢な選曲だった。

そして、アンコールは『天使の死』とお約束の『リベルタンゴ』
最後は割れんばかりの拍手で満たされた。
 
最近、1982年にピアソラ来日時のライブ音源を起こした2枚組CDを買い、
聴いているのだが、
その時はキンテートという五重奏の編成だった。
 
今日も2部はバンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、コントラバス、エレキギター
という5人組だったので、
その幻の演奏と語り継がれているピアソラ来日時のコンサートを
彷彿とさせる音色でとても楽しめた。
 
 また、バンドネオンの三浦一馬に惚れ込んでいるのは勿論のこと、
今日のヴァイオリンが、これまた惚れ込んでいる石田泰尚だということも外せない。
 
しかし、石田様は神奈川県では熱狂的ファンを獲得しているが、
さて、埼玉までその声は届いているのか、実は心配していた。
 
舞台に5人が入ってくるとひとりだけどう見ても異彩を放っている。
(何といっても石田様は何回か警官に職質されたことがあるという怖い風体)
 
やっぱり知らない人は相当多い感じで、演奏が始まると、斜め前の人も
その演奏する姿、見た目とギャップのある音色を聴いて、
「ちょっとちょっと、見てあの人」とばかり、隣の人をつついて指さしている。

初めて見る石田泰尚に少なからず動揺している感じだ。
 
2部の1曲目が終わり、MCが入り、メンバー紹介になった時、
三浦一馬が「ではここで、ひとりずつひと言ずつ何かお話を」といった時、
会場のそこかしこに笑いが起こった。
 
それは「石田様が何もいうわけないじゃない、無理無理」という意味の笑いだ。
ということは、会場の半分ぐらいは石田様のこともよくご存じということか。
 
意外にも今日の石田様は、「こんにちは」のひと言だけに留まらず、
「一馬とは2~3年かな、いや、もっとかな?楽しく演奏させてもらってます」などと、
いつもの5倍ぐらい、おしゃべりした。
 
すかさず、三浦一馬も「こんなに話してくれるなんて、今日は大サービスですよ」
と受け、弱冠25歳のバンマスはMCのスキルも盤石だ。
 
私の席は前から9列目の右端で、
本当は生一馬もよく見える距離なのだが、端だからもしかしてと思い、
オペラグラスを持っていっていたので、
時折、身をくねらせ恍惚とした表情でバンドネオンを弾く三浦一馬と
超絶技巧のテクニックで体を張ってヴァイオリンを弾く石田様のアップを追いかけた。
 
MCの中で、「6月には恩師のマルコーニが来日し、ジョイントコンサートを開くから
ぜひ観に来て」という番宣があったのだが、
先日、そのチケットも先行販売初日に電話に張り付き、
前から2列目中央をGetしてあるので、
万事ぬかりなし。
 
今年は『三浦一馬デビュー10周年』ということで、これからまた、
いろいろ10周年記念コンサートの企画が続くらしい。
韓流スターを追いかけるおばちゃんを白い目で見ていたのだが、
珍しく若い男に入れあげている私、
情報が入り次第、またまた追っかけてしまう予感がする。
 
4月からのアルゼンチンタンゴの講座も、引き続き申し込んだし、
タンゴダンスの自主トレにも参加することにしたし、
私にとっても、2016年はタンゴイヤーになるのかもしれない。


2016年3月12日土曜日

心にささった映画『遺体』

 
 
『遺体』というセンセーショナルな題名の映画を観てきた。
 
ドキュメンタリー作家の石井光太氏が東日本大震災の翌日から現地入りし、
そこで見聞きしたものをまとめた『遺体 震災、津波の果てに』という本を下敷きに
君塚良一監督がメガホンをとり映画化されたものだ。
 
本郷台のあーすぷらざという120名しかはいらない映像ホールで
今日の午前と午後の2回だけ、無料で上映された。
 
会場は開演10分前に満席になり、主には70代とおぼしき男女で埋め尽くされた。
 
映画は先ず、普通の生活を営んでいた人々の様子がいろいろ映し出される。
そして、
大地震があったというテロップのあとに、
自宅で被災した西田敏行扮する民生委員をしている70代男性が,
自分は丘側で大したことなかったが、海側の惨状を知り、
元葬儀社で働いた経験を活かし、
遺体安置所でボランティアとして活動する10日間を追っている。
 
舞台は釜石。
釜石という土地は甲子川を挟んで山間地区と海浜地区とに分かれており、
海浜地区は津波によって壊滅的な打撃を受けた。
 
津波による死者が土でドロドロのシートに包まれ、
遺体安置所に指定された廃校の中学校に次々運び込まれてくる。
 
事の次第が飲み込まれていないうちに
役場の若手職員達は遺体安置所の整理係を命ぜられ、
街の医者は死亡確認のため、体育館に招集された。
歯科医師は遺体の身元を特定するために歯のデータをひとりひとり取っていく。
 
冷たい泥水を大量に飲んだ遺体は膨れあがり、
死後硬直で固まった腕はバキッと折らないと組めないし、
口をこじ開けないと歯のデータも取ることが出来ない。
 
若い市役所職員達はいずれもなすすべもなく、立ち尽くしているだけで、
何をどうしたらいいのか分からないでいる。
 
遺体を運んでくる男達はあまりの惨状に神経がマヒして、
死体をぞんざいに扱って、大きな音をたて体育館に放りだしていく。
 
そんな光景を元葬儀社に勤めていた男性が
「これは死体じゃない、ご遺体なんだ」と声を荒げ、
ひとりひとりに寄りそい、
「よく頑張りましたね」「もうすぐご家族が迎えにいらっしゃいますからね」と
優しく声をかけていく。
 
人は人知を越えた災害に直面すると思考が停止して、
きっと何をしていいのかわからなくなってしまうのだろう。
 
泣くことも悲しむことも許されず、目の前の状況に対処しなければならなかった
その事実は、都会に住む私達の想像をはるかに超えて
すさまじかったに違いない。
 
映画を観ているすべての人の心にズーンと重いものが刺さって、
会場のあちこちからすすり泣く気配が伝わってきた。
私も照れ隠しにマスクをしていたので、後半は涙が流れるにまかせていた。
 
フジテレビが制作したものなのに、
テレビで放映しないのはもったいないなと思いながら、帰路についた。
 
午後、1年間務めた町内会の組長として、
地元の町友会館で行われた組長さんの集いに参加した。
 
そこで、期せずして防災のビデオが上映され、
「いざという時に役に立つのは地域の結束だから、
ふだんから隣近所とは仲良くして、もしもの時には組長がみんなを束ねて欲しい」
という話がなされた。
 
老人ばかりで茶話会したり旅行したりしているのが町会だと思っていたので、
そこにいたみんなに意見を求められ、思わず手を挙げ、
午前中に観てきた映画の話を例に取り、
組長とは何ぞやとか、町内会の結束を深めることの重要性など
ぶち上げたところ、たくさんの拍手をいただいた。
 
その後、婦人部の方や長寿の会の会長さんとかから声をかけていただき、
さっそく町会運営に参加するよう、勧誘を受けた。
 
映画に感動して、私も地域のために何かをしなくちゃと考えたが、
案外、目の前に転がっていることから始めろということかもしれない。

見聞きしたもの、知り合った人々、住んでいる場所など、
すべてに意味があり、ご縁があるということならば、
今ある自分を大切にしなければといけないという事だろう。
 


2016年3月6日日曜日

けったいなコンサート

 
あと数日で、東日本大震災から丸5年という月日が経つ。
 
その日が近づいた頃にだけ、思い出す我が身を反省しつつ、
自分にできるほんの少しのことというつもりで、
時折、ヒラルディージョという団体が主催するチャリティコンサートに足を運んでいる。
 
この団体は元はフラメンコキャラバンという名称で、
フラメンコの力で現地の方達を元気づけようというところから始まっている。
 
だから、コンサートもフラメンコやタンゴ、ジャズなど比較的カジュアルなものが多く、
生の演奏を2000円で楽しめて、
更に収益金の一部が復興支援に当てられるということで、
月1~2度の割りで聴きに行っている。
 
演奏が行われるコンサートホールは、
横浜市の行政区がそれぞれ持っている300名規模のホールで、
神奈川区なら「かなっくホール」だし、
栄区なら「リリスホール」だし、
港南区なら「ひまわりの郷ホール」という具合だ。
 
今日は地元港南区のひまわりの郷ホール。
演目は「クラシック・タンゴ&フラメンコ チャリティコンサート」という題名が示すように
通常、同じ舞台で演奏することはなかなかないと思われる
畑違いの人ばかり4名。
 
クラシックギターの建孝三。
フラメンコギターの宮川明。
バンドネオンの小川紀美代。
ヴァイオリンの上原千陽子。
 
クラシックギターの人を除けば、この復興支援コンサートのいずれかで演奏を
聴いたことのある面々だが、
そこがジョイントするという内容ではなかったので、楽しみに出掛けた。
 
このヒラルディージョのコンサートは超有名人がでるわけではないので、
席は自由。
開演の30分前に開場になるので、好きな席に陣取ることになる。
 
私はいつもライブ感を楽しみにしているので、
前から2列目中央あたりを目指して、開場時間ぐらいに到着することが多い。
今日も幸い狙っていた席はまだ空席だったので、
通路に接している端の席のおじさんひとりをまたいで中央寄りに陣取った。
 
会場は案外にぎわっていて、8~9割は埋まったかなと思った開演3分前、
2本の杖をついた大柄な女性とお付きのおばさんという感じの小柄な女性が
ずんずん階段を下りてきた。
 
「あら、まだこんないい席が空いてるわよ。ここにしましょ」といって、
端のおじさんを一旦立たせて、ごそごそと私の隣にやってきた。
本人も嵩高いが荷物も多く、、その上、杖も2本ある。
 
私は思わず左にひと席除け、中央横並び8列の内の左から4番目に移った。
 
まもなく、トップバッターのコラシックギターのソロが始まった
3曲ソロで弾いたが、クラシックギターなので生音が小さく、曲も割と難解だ。
 
そして、まもなく恐れていたことが起こった。
 
隣(正確にはひと席あけて隣)の小柄な方のおばさんの鼻息が荒い。
吸うときも吐くときもスースー大きな音がする。
前列の人が振り返って見るぐらいだ。
 
クラシックギターによるヴェルディの「リゴレット」による幻想曲の合いの手に
全部その鼻息が入り込んでくる。
 
『もしも~し、おばちゃーん、その鼻息、何とかして!』
 
これみよがしに横をチラ見するが、一向に気づく気配はない。
気づいたところで鼻息がどうにかなるということでもないのだが・・・。
 
しかも、クラシックなので、退屈したのか、入り口でもらった10枚ほどのチラシを
暗くて読めないはずなのに、カシャカシャめくっている。
 
『ふざけんな!息止めろ!チラシいじるな!』
 
1部の演奏はクラシックギターのソロ3曲、
クラシックギターとフラメンコギターとのジョイント1曲、
フラメンコギターのソロ3曲、
フラメンコギターとバンドネオンとのジョイント2曲という構成。
 
おばさんはクラシックギターよりフラメンコギターの方が気に入ったらしく、
フラメンコギターの曲が終わると
「あら~、じょうず!」と拍手に混じって叫んでいる。
 
『いいから、お黙り!』と心の中で叫ぶも、届かない。
このあたりから、けったいさは増すばかり。
 
ここで休憩が10分入り、
2部はバンドネオンのソロ1曲、
バンドネオンとヴァイオリンのジョイント5曲、
最後の3曲は4人全員で演奏するという贅沢な構成だ。
 
休憩時間、聴くともなくふたりの会話を聴いていると
「バンドネオンって何?アコーデオンとは違うの?」などと話している。
ちょっと嫌な予感がする。
 
そして、2部。
先ず、バンドネオンの女性奏者がバンドネオンを抱いて、ひとり舞台に入ってきた。
彼女が今日の出演者の中で一番フレンドリィな印象だ。
一部の堅苦しい感じを払拭するように、マイクを手に取り、
「こんにちは。今日はお越しいただき、ありがとうございます」と言ったその時、
遂に隣のおばちゃんが大胆な行動に出た。
 
「あの、バンドネオンて、アコーデオンとどこが違うの?」と
舞台に向かって声をかけた。
 
いきなり話しかけられた舞台の上の小川紀美代さんが
ちょっとひきつった笑顔で、こう答えた。
「アコーデオンは肩にかけるベルトがあって、それを持って、立って弾きますでしょ。
でも、バンドネオンは7㌔ぐらいあるんですけど、
両脇に70数個のボタンがついていて、
座って膝の上でこうやって伸ばしたり縮めたりして弾くんですよ」
 
「珍しい楽器だから、日本人で弾いている人はいないんでしょ?」
「そんなことないですけど、重いので女性はとても少ないですね」
 
その時、間髪を入れず、おばちゃんの前の1列目のおばあさんがこう言った。
「珍しい楽器なのに、譜面台があると見えないのよね」と。
 
小川紀美代のひきつり笑いも、観念したようであきらめの微笑みに変わっていた。
 
もはやこれは老人ホームの慰問団なのかと錯覚する。
譜面台を横に避けると、あんたには見えるかもしれないが、別の人が見えなくなる。
な~んてことは、一向に意に介さない。
 
まあ、お陰様でちょっと硬かった1部の空気は、急に打ち解け、
2部は最後までなごやか、かつ、ノリノリの演奏が続いた。
 
今頃、異業種格闘技を無事終えた面々は、
楽屋で今日のハプニングについて笑いながら話しているだろう。
 
帰りがけ、ヒラルディージョの復興支援の募金箱に千円札を入れた。
「ちょっと、変なおばさんがいて、ごめんね」という気持ちもあったと思う。
これがヨリによって地元上大岡のホールだったことも、可笑しさを倍増させている。

2016年3月3日木曜日

春爛漫の三浦海岸

 
 
 
 
 
 
朝からピカピカの上天気。
「ようやく春が来た~!」って感じに、気温も上がりそうな気配。
 
先週、あまりの寒さに花粉症にも関わらず、鼻風邪もひくという
ダブルパンチに見舞われていた私だったが、
今日は家にいてはお天道様のバチが当たると思うような天気なので、
急遽、三浦海岸までお花見に行くことにした。
 
もちろん、マスクにサングラスという重装備なので、
かなり怪しげな恰好ではあるが、
花粉の最前線に突入するためには仕方あるまい。
 
実は先週、三浦海岸の河津桜が見頃だという情報を聞きつけ、
友人にお誘いメールをしたところ、
「同じことを考えてたのね。実は昨日、主人と行ってきちゃったの。
もう葉っぱが出始めているから、早めに行かれた方がいいわよ」と返信が来た。
 
その次の日、冷たい雨が降ったので、桜の花ももはやこれまでと
観に行く気は失せていたのだが、
この上天気、桜は姥桜になっていたとしても、お散歩日和間違いなしと思い、
ひとりで出掛けることにしたのだ。
 
同じことを考える人は多かったようで、
京急線の快特三崎口行きに乗っていた人は全員三浦海岸で降りたかと思うほど
ごっそり、三浦海岸駅に降り立った。
 
そして、地図を見るまでもなく、ゾロゾロと続く人波に乗って
小松ヶ池公園に向かって歩いて行った。
 
確かに河津桜はとうに盛りを過ぎてはいたが、
それでも桜と菜の花という春ならではの色のコントラストは十分美しく、
つかんと晴れた真っ青な空の青に映えていた。
 
京急では「みさきまぐろ切符」なるお得なチケットを販売していて、
電車やバス、提携店でのまぐろ料理、レジャー施設の利用の3点セットを
格安料金で提供している。
 
しかし、ひとりでホテルの立ち寄り温泉に入るのも寂しいので、
今日は普通にPASUMOで電車に乗り、
三浦海岸駅近辺のお寿司屋さんで、ランチすることにした。
 
隣の若いカップルは「みさきまぐろ切符」で、特別ランチを食べていたので、
見るともなく見てみると、確かにお得感はありそうなので、
また、日を改めて誰かを誘おうかなと思った。
 
私は写真の握り4貫といくら丼とおつゆというセットを注文し、
こっそり最後に駅前の出店で買った桜餅を、バッグから取りだし、いただいた。
いずれも美味しく、日本の春を目で楽しみ、舌で味わった。
 
のどかな半日を過ごし、帰りの電車に乗ると
目の前に並んで座っている8人の内、6人がマスクをしていることに気づいた。
しかも、全員スマホを出していじっている。
 
6人は老若男女いるのに、顔の半分がマスクで隠れていて
しかもうつむいているので、みんな同じ顔に見える。
 
急に前列の人達が「つむつむ」の顔に見えてきて、
マスクマンが次々上から降ってくるような錯覚にとらわれた。
何だか、変な風景。
 
かくいう自分も反対側の席に座って、マスクをしているから、
人のことは言えないんだけど、
「どんだけみんな花粉症なんだよ」とひとり突っ込みを入れながら、
電車に揺られていた。
 
今日は3月3日。
ひなまつり。
 
我が家に小さな女の子がいないせいで、
ここ数年、春はすっかり花粉の季節というイメージになっちゃったけど、
今日は季節を堪能した佳き日になったのでした。