2016年5月30日月曜日

交渉する女

 
 
何がよく分からないといって、家に関わる金額ほどよく分からないものはない。
 
毎日必要な食品や衣類、交通費とか光熱費、趣味のお稽古代とかは分かっている。
時折、清水の舞台から飛び降りるキモノ代や車代、
保険料とかも分かって使っている。
 
しかし、こと家に関する何かのリフォーム代や庭仕事の職人代など、
滅多に使うことのない費用はとんと分からずにこれまで生きてきた。
 
それが、昨年末、ダンナに頼らず自力でお風呂のリフォームをしたことで、
家に関する工事費用がいかに高額かを思い知った。
 
事の顛末をブログに書かせてもらったから、ご存じの方も多いと思うが、
当初、120万円の見積もりで始まった工事にいろいろトラブルが生じたため、
最後は遅延迷惑料として値引きしてもらい、90万円で手打ちとなった。
 
それから約5ヶ月。
 
今度は
突然、4年前に行った屋根の葺き替えと外壁の塗り替えを施工した業者が
たずねて来た。
 
何かその後の不具合でも見つけて、新たな工事を受注しようという魂胆か。
 
幸い、屋根にも外壁にも難癖をつける要因はなかったようだったが、
玄関脇の塗装がベラベラ剥がれてきているのをみつけて、
70がらみの人のよさそうなおじさんはこう言った。
「奥さん、玄関は家の顔なのに、これはちょっと見苦しくなってますね。
今、セラミックの塗装で決して剥がれないいいものがありますよ」と。
 
確かに日焼けした肌がポロポロむけてきているみたいな様子は
気になっていないこともない。
直射日光が当たっているところからニスが劣化して剥がれだしているらしい。
 
しかし、それよりもっと気になっているのが、経年劣化の激しい網戸だったので、
試しに「網戸の張り替えと、新しい網戸への交換はおいくらぐらい?」と
訊いてみた。
 
網戸の張り替えは1枚2000円。新規取り替えは1枚1万円だという。
意外な安さだった。
 
数年前、網戸は材料を買ってきて、ダンナと張り替えたことがあるが、
3枚張り替えたところで疲れて力尽きた記憶がある。
あの労力を考えると1枚2000円で材料費込みはとても安く感じる。
生協の網戸張り替えサービスでさえ、小降りのもので3000円だ。
 
ついでに玄関脇の塗装工事の見積もりを出してもらうと、
最初は値引きしても10万円だというので、高くてできないとごねてみた。
すると、最終的に網戸の新規2枚と張り替え3枚、そして塗装工事を税込みで
9万円ポッキリでという値段を出してきた。
 
「まあ、そんなものか」と漠然と納得して、工事をお願いすることにした。
 
最初にふたり組のおじさん達がやってきて、新規の網戸交換と張り替えをしていった。
障子に隠れていて頼み忘れていた和室の小窓の網戸も張り替えてくれ、
それは無料サービスだという。
『何だ、意外と良心的な業者じゃない』
 
そして、次の日、塗装工事担当の陽気なおじさんと
日本語がほとんどわからないアジア系のお兄ちゃんとのコンビがやってきた。
 
アジア系のお兄ちゃんはほんとに助手しかできないらしく、
ワイヤーブラシで古い塗装を剥がすぐらいの仕事しかしていない。
 
その後は剥がれ止めの液を塗って、セラミックの塗装を施す。
所要時間約2時間。
思った以上に短時間だ。
 
この作業に一体いくらが計上されているのか見積書をしげしげ見直した。
64000円とある。
そりゃ、高すぎるだろ!
 
網戸の張り替えで儲けるつもりはないとおじさんは言っていたが、
こっちでふっかけて稼ぐつもりだったのかと、ムラムラ怒りが湧いてきた。
 
翌朝、担当のおじさんが電話してきて
「いかがですか。網戸と塗装はお気に召しましたか」と訊いてきたので、
「どんなに材料費が高かろうとも、塗装の2時間の作業時間でこの値段は高すぎる」と
出来上がりに不満があるわけではないのに一応、文句を言ってみた。
 
すると
「じゃあ、私の独断で1万円のお値引きというのではいかがでしょう」
 
「いや、私としては半額でもいいぐらいと思っているのよ」というと
「そんな無茶な」と電話の向こうで困った様子。
 
「じゃあ、2万円引きというのはできますか」ともう一押ししてみると、
遂にはおじさんが根負けして、税込みの7万円に落ちついた。
 
持ってきた領収書は9万円のままだったから、2万円はどう経理処理されたのか、
おじさんがかぶったのかどうか、そこまではわからないが、
何とか値引き交渉は落ちつくところに落ちついた。
 
この歳になると、不明瞭な請求に屈しないという強固な態度が
板についてくる。
 
泣き寝入りとオレオレ詐欺にだけは気をつけよう!
 
そう、気持ちを引き締め、
財布のヒモも引き締めなおしたのであった。

2016年5月29日日曜日

美輪明宏の『毛皮のマリー』

 
 
 
寺山修司が美輪明宏のために書いたという『毛皮のマリー』を観てきた。
 
場所はKAAT神奈川芸術劇場。
写真のような赤と黒とで出来ている日本の劇場にしては
エキセントリックで情熱的な会場だ。
 
だいぶ前にやはり美輪明宏の『エディット・ピアフ』を観に
初めてここを訪れたときほどの衝撃はなかったが、
それでも久しぶりにきてみて、やっぱり凄いなと思う。
 
美輪明宏が監修したのではないかと思うほど、美輪明宏にぴったりだと思うが、
今回の『毛皮のマリー』も一種、新興宗教のような怪しい舞台なのでよく合っている。
 
さて、美輪明宏といえば、もはや男でも女でもなく、
むしろ物の怪のようであり、教祖様とあがめ奉る人も多いが、
何十年も前、まだ、戦争が終わってさして経っていない頃、
彼がデビューしたての頃の世間の扱いはそれはひどいものだったと聞いている。
 
今でこそ、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブのように、
おねぇ言葉で話す女装した人がテレビで市民権を得ているが、
当時の美輪明宏はきわもの以外の何ものでもなかったにちがいない。
 
その頃の美輪明宏(当時は丸山明宏)をよく知る著名人として
三島由紀夫と寺山修司は有名だ。
しかも、三島由紀夫は美輪明宏の恋人だったことも知られている。
 
寺山修司と美輪明宏が男女の仲だったかはさておき、
作家という目で観て、美輪明宏の置かれた危うくも怪しく、
そして何者にも屈しない生き様はとても魅力的だったのだろう。
 
そんな美輪への讃美と理解を形にして残したというような舞台だった。
 
しかし、実際には舞台のしょっ端から、
様式のバスタブに半裸で浸かる美輪明宏が登場し、
乳首も露わに見えているので、思わずオペラグラスでしげしげ見たが、
その胸はまさに80過ぎのおっさんの垂れた乳房で唖然とした。
 
(前から13列目中央の席はかなりよく見える位置だが、
それでも隣近所は自分もオペラグラスを持ってくればよかったと思っただろう)
 
そして、最後にマリア様のような白い衣装を着るシーンまで、2時間近く、
何度も衣装が変われども、美輪明宏の左の乳房は出たままだ。
 
彼は女装はしているが、乳房も他の部分もメスは入れていないので、
ゴージャスなワンショルダーのドレスからこぼれ落ちているのは、
何度もいうが、おじさんの乳房なのである。
 
たしかに肌は白くてきめ細かいが、
マツコ・デラックスが片方の乳房を出しているのと同じと思えば、わかりやすいかも。
 
そんなマリーが今は18才のユニセックスな魅力の男の子を
小さい頃から自分の子どもとして家に閉じ込め、
女の子に仕立て上げようと目論むが、
最後、それでは自分と同じになってしまうと気づく・・・。
 
まあ、かなり難解で不条理で、
ひとくちでいうと「まがまがしい」感じの舞台。
 
理解できたかというとかなり疑問だが、
間違いないのは、美輪明宏が死んでしまって何年かしたら、
「昔、美輪明宏というとても不思議で凄い人がいてね・・・」と
語り継ぐことになるだろう。
 
まあ、生きてあんな不思議なものを観られてよかったというところか。
 
大昔、私がまだ3歳位の頃、
大塚駅前の広場に見世物小屋がやってきて、
母親に連れられはいったことがある。
 
かすかな記憶しかないが、
「さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。鬼が出るか蛇が出るか。
お楽しみだよ、見てらっしゃい」という口上はなんとなく耳に残っている。
 
小屋の中にはろくろっ首やいわゆるこびとのおじさんがいて、
キモノを着た白塗りのお姉さんが生の蛇をムシャムシャ食べていた。
すごく怖くて、見てはいけないものを見たという記憶がある。
 
たぶん、若き日の母親にしても、物見遊山の怖いもの見たさだったと思うし、
3歳児に見せていいはずがないとも思っただろう。
それでも、興味が勝ってしまい、娘を連れたまま覗いてしまったというあたりか。
 
『毛皮のマリー』もちょっとそんな感じ。
 
裸に近い男達が何度も登場するし、こびともいるし、
見世物小屋の住人のようなけばけばしい女達もたくさん出てくる。
 
卑猥な会話や隠微な想像をしてしまう場面もある。
 
そんなまがまがしい人生を寺山修司はどこかで羨ましく感じているように思えるし、
最終的には讃美している。
 
寺山修司自身も東北生まれでひどい訛りにコンプレックスを感じていたというが、
そんな風に普通じゃないこと、世間相場じゃないことに対しての反逆というか、
開き直りというか、応援歌なんだと思う。
 
きっと美輪明宏の太ったおっさんの乳房丸出しも
そうした潔い開き直りにちがいない。
 
美輪明宏にしかできない美輪ワールドをたっぷり見せつけられ、
お腹いっぱいというか、ゲップがでそうという気分になり、
急にのど越しのいいおそばが食べたくなった私は、
終演後、県民ホール裏手の有名なおそば屋さんで
「空豆と白魚のかき揚げと ざるそば」をひとりすすってから家路についたのである。
 
 


2016年5月21日土曜日

後半戦 終了

 
 
18日(水)から始めた最新作の本摺りである。
 
木版画の作品としては、畳3分の2ぐらいの大きな作品なので、
1枚の和紙では摺りきれず、
上下2枚に分割され、2点分の作品として版木もできている。
 
それを18日の夜から半徹夜して、19日の午前中に上半分仕上げ、
19日の午後に下半分用の和紙の湿しをして寝かせ、
夜から本摺りを開始し、20日の午前中に摺り上げることが出来た。
 
上半分に比べると下半分は和紙の大きさも少し小さいし、
摺りの難しいところも上半分に集中しているので、
継ぎ目の色やぼかしの具合に気をつけなければならないが、
比較的楽に摺りおおせることが出来た。
 
ただし、身体的には上半分ですでに半徹夜を含め、
十分体力と知力を使い果たしていたので、
体の疲労を気力でカバーしながら、
イージーミスをしないよう、老体にむち打った感は否めない。
 
ここ数年、
この巨大版画を摺る度に「もうこれが限界。今回でやめよう」と思うのだが、
やはり、この原画はあの大きさが必要と考える時、
身の程知らずの大きさでも作りたくなるのが、ものつくりの性かもしれない。

というわけで、今回も 
なんとか上下4枚ずつ、無事、摺り上げることが出来、
まだ、貼り合わせの作業はしていないが、カットして重ねてみたのが写真の作品だ。
 
昨年末の大切な友人の死に際し、
何か鎮魂の作品をと思って創ったもので
タイトルは「レクイエム」。
 
先日、総持寺での座禅の際に、突然降って湧くように友人の声がして
「私、今回はメキシコ人に生まれようと思っているの。今回は男性よ」と
転生の準備が整ったことを報された。
 
それを信じるも信じないも人それぞれだが、
私はとてもホッとした。
メキシコ人とは彼女らしいというか、意外なところをつかれちょっと笑えるなと思って、
その声を聴けたことが嬉しい。
 
作品自体は総持寺体験よりずっと前にプランされ、彫り続けてきたものだが、
「メキシコ人の男性ねぇ。どんな人生が始まるのかしら」と
本摺りの間にも何度となく彼女のことが思い出されたり、
次のメキシコ人としての人生に思いを馳せたりすることは、
鎮魂、つまり、彼女の死を悼むことになっているのではと思っている。
 
「大切な人が亡くなる」という経験は
今までにも何回か経験しているが、
母の時も、父の時も、その時々の思いや故人に対する気持ちを作品化してきた。
 
「亡くなった人を忘れない」ということが、
その人への一番の供養というか鎮魂だと思うので、
ものつくりの端くれとして、まずは作品に残すことが自分にできることかなと
考えている。
 
私の作品は自分の身に起こったことを題材にこれまでずっと創ってきた。
だから、我が身が妊娠したこと、出産したこと、
幼い我が子に託す思いなどがテーマになってきた。
 
そして、それらの作品を発表する度に
同じ想いを抱いている人の共感を得て、作品を買っていただいたりした。
 
作品は作品として生み出したその時から、
もはや個人の体験や気持ちから離れて独り立ちするのだ。
 
だから、この鎮魂の意味を込めた「レクイエム」も
誰か大切な人を亡くした方の心に何かを届けられたらという思いがある。
 
6月6日から、関内のセルテ画廊で始まる紫陽花展に出品予定なので、
興味のある方はぜひ観にいらしてほしい。
 
今朝、上下2枚の貼り合わせの作業のため、
摺り上がったばかりの作品は
額縁屋さんに向け、ヤマト便で手元を旅立っていった。
 
次は額縁に入った作品をいきなり画廊で見ることになる。
 
それが、我が手を離れた作品が、私個人の思いを離れ、
独り立ちする瞬間である。

再会のその日を作者の私自身も楽しみにしているところだ。
 


2016年5月19日木曜日

戦い半ば

 
 
 
 
外は湿度の低いカラリとした上天気。
なれど、私は夕べからアトリエに籠もって、徹夜で本摺りである。
 
しかも、上下2枚を継ぐいでようやく1枚の作品になるという版画としては最大級に
大きな作品なので、
今はその作品の上半分のパートが4枚仕上がったところ。
 
仕上がった4枚を、板に水張りといってテープで貼り付け、
和紙が乾くと縮む性質を利用して、パンとしわなく伸ばす仕上げを行っている。
 
上下に分かれているということは、
上下のつなぎ目の部分には3㎝ぐらいの共通の絵柄があるということで、
その部分の色が違ってしまうと、継いだときに継ぎ目がバレバレになるので、
絵の具の調合としては、上下2点の作品全部に必要な分量だけ
すでに用意してある。
 
ということで、今日の夜から、引き続き、
疲れた体にむち打って、今度は下半分を摺らなければならないので、
先程、下半分用の和紙を湿した。
 
本摺りの時、和紙は湿らせた状態を保ちつつ、摺りおおせなければならないので、
今日みたいにピーカンの晴れだと、
常にも増して加湿器をガンガンにつけて作業しなければならない。
 
途中、何度も霧吹きで和紙全体に湿度を与えながらの摺り作業は、
ひとり物言わずに湿度と乾燥とに戦いを挑む戦士という気分で、
寡黙な修行そのものだ。
 
今回の作品は昨年暮れに亡くなった友人を悼んでのものなので、
深く静かな鎮魂の作品なのだが、
その静謐な気分とは裏腹に
現実の作業は、腰はミシミシ、目はショボショボ、
昨日の整体で整えたはずの体をすり減らしての大乱闘の体である。
 
ものを生み出すって、本当に大変。

つい今し方、次女からLINEがあって、
先日、膀胱炎になりながら、連日の徹夜で臨んだコンペの結果が出て、
「今回は負けてしまいました」といってきた。

彼女も初めての超大型広告のデザインコンペに心血注いだのに、
陽の目を見ることは出来なかったわけだ。

まあ、版画は自分の作品を自分ひとりで創って、
予定されている展覧会に出品するだけだから、陽の目は見るんだけど・・・。
 
でも、峠は越えた。
後は残り半分だと気合いを入れ直し、
今から大量に作り置きしたカレーで腹ごしらえし、
2時間ぐらいお昼寝して英気を養い、
再び立ち上がって後半戦を戦うつもり。


2016年5月17日火曜日

歌舞伎座は団菊祭

 
 
5月の歌舞伎座は毎年、団菊祭と決まっている。
 
団十郎は亡くなってしまったので、海老蔵が目玉ということになるが、
菊がつくのは菊五郎と菊之助、
更に夜の部では弱冠2才の菊之助の息子のお披露目もあるので、
今月の歌舞伎座は華やかだ。
 
両家とそのゆかりの縁者が勢揃いし、肝入りの演目がかかっている。
 
私は例によって、歌舞伎座に通じている年長(87才)の友人の計らいで
チケットをとってもらったので、昼の部を観に行った。
 
昼の演目は
1.鵺退治
2.寺子屋
3.十六夜清心
4.楼門五三桐
 
「鵺退治」は54年ぶりの再演だというから、私はもちろん、
会場にいる大方の人が初めて見る演目だろう。
 
30分ほどの短い作品で、
顔はサル、胴は狸、尾は蛇、手足は虎という物の怪が、夜ごと現れ、
時の帝を脅かしているというので、源頼政が退治する話。
 
おどろおどろしさを表現する鳴り物や暗雲垂れ込める様子を表現する雲幕など、
歌舞伎の様式美を活かした作品だ。
 
「寺子屋」は歌舞伎の人気演目で、上演回数も上位トップ3に入るという。
いわゆるお上に忠義立てするために、自分の息子を身代わりに殺し、
差し出すというお涙頂戴ものの代表格。
 
息子を断腸の思いで差し出した夫婦を海老蔵と菊之助がやっているのだが、
菊之助の成長は目を見張るものがあって、
いわゆる女形が演じている感じがまったくなく、
骨格的にも肌の質感も声のトーンも無理なく女性的なのが凄い。
 
踊りも泣きの演技もすごく上手くなっていて、
夜の部の海老蔵と踊る「男女道成寺」が艶やかでしかも上手と新聞評にあったが、
昼の部の「寺子屋」の女房千代も泣きの演技が見事だった。
 
今回は演目の人間関係が複雑そうなので、珍しくイヤホンガイドを借りてみたが、
いろいろな解説がつくと、理解の度が深まるので、
勉強になり、借りてよかった。
 
最後の「楼門五三桐」は
有名な南禅寺の山門の上で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と叫ぶ
有名なあれであるが・・・。
 
どんなお話なのかと思ったら、本当に石川五右衛門が山門の上にいて、
山門の下に真柴久吉がいて、
満開の桜、金銀華やかな彩りの山門、豪華な衣装が目にまばゆい。
歌舞伎らしい豪華絢爛、豪快な様式美といった短い作品で、
お話というより一幅の絵という感じ。
 
新聞評では石川五右衛門が吉右衛門、真柴久吉が菊五郎だから、
両人とも人間国宝という滅多に見られない豪華競演という意味で
確かに価値がある。
 
夜の部だと、ここに2才の息子と菊之助パパが加わり、
人間国宝2人に見守られた孫と、成長著しい次代を担う息子という
正になかなか見られない超豪華競演ということになる。
 
実は一緒に観るはずの87才の友人は体調不良で来られなくなり、
急遽、同い年の古い友人を誘い、観たのだが、
30数年ぶりに歌舞伎を観たという友人も十分楽しめたようで、
昔ちんぷんかんぷんだった内容が今回は理解できたといっていた。
 
87才の歌舞伎通はそろそろ歌舞伎座通いも引退かなというお年頃だし、
60界隈の私達はいつのまにか歌舞伎が楽しめる年頃になっている。
 
会場に若い人は数えるほどなのが寂しい限りだが、
日本文化の代表格、歌舞伎をもっと身近なものに感じて欲しい、
そして、若い年代にも観に来て欲しい、
そんな風に舞台上の老若男女(本当は男しかいないけど)の面々を見て考えた。

演者も世代交代してるけど、
観客席も同じく若い人を取り込めなくては、
日本文化の継承が危ぶまれるからだ。


2016年5月14日土曜日

和室からの踏み石

 
 
 
 
庭師さんの作業2日目。
 
昨日、話していた隣町の取り壊しになった庭から出た由緒正しき御影石とやらが、
トラックに積まれてやってきた。
 
今回依頼した庭木の伐採とは全く関係ないのだが、
庭師さんの計らいで、和室のたたき窓から出入りできるようにするのに好都合と、
わざわざトラックを出して、取りに行き、運んできてくれたものである。
 
その石はさほど大きいわけではないが、
それでも男の人ふたりがかりで持ちあげられるような代物ではなく、
材木の大きな三脚を、
我が家の小庭と隣の引き込み延長の地所とにまたがって立て、
チェーンでつり上げ、少しずつ移動させるという手法で、
窓の下に設置された。
 
てこの原理と滑車の力を利用したその手法はみていてとても面白く、
ピラミッドの石を運んだり積み上げたりする方法と同じとか。
 
たったひとつの御影石をトラックから降ろして移動させ、
所定の位置に動かすのに、こんなに大変となると、
熊本城の石垣が元通りになるなんて、気の遠くなるような話だ。
 
作業の途中で出掛けてしまった私が帰宅したときには、
ごろりとした御影石はちゃんと和室からの踏み石に姿を変え、
もう1段低い石とでステップ状にしつらえられ、
脇には赤紫の花まで植えられ、
すっかり和風の小庭の風情になっていた。
 
同じ町内会のご近所さんだからか、元々の庭師さんのお人柄か、
金銭度外視で、手がけた庭、ご縁のあった庭は
長い時間かけて育てていきたいということのようだ。
 
花が咲くだけ咲いて、すっかり花の時期を終えたジャスミンは、
「どうしたらいいのかしら」とひと言尋ねたせいで、
帰宅したらすっかり剪定され、
元の木とわずかな枝だけになっていた。
 
よく見ると玄関アプローチのタイルも高圧洗浄してくれたようで、
白くなって垢抜けている。
 
なんだか建物の周囲がスカスカになって、
長年延ばしたロングヘアを一気にショートカットにした気分。
 
家の中に差す光の量まで増え、明るくなった。
 
自分の洋服や本、食器など、
主婦目線の断捨離は心がけてきたが、
庭木の伐採と物置の撤去。
これぞ家の断捨離だと感じ入る。
 
家の思いがけない大きな変化に、気分も変わり、
今日もまた清々しい気持ちになったのである。

2016年5月13日金曜日

我が家の造園プロジェクト ①

 
 
 
我が家には家を取り囲んで小さい庭が三方にある。
家の真裏は単なる路地の透き間で、電気の検針の人がようやく通れるぐらい。
 
正面の玄関アプローチのある1面だけは、私が四季折々に花が咲くよう、
適当に苗を植え替え、水遣りをし、手入れをしている。
 
しかし、家の両サイドの2面は
一方は物干し台が置いてある北側だし、
もう一方は駐車スペースの奥ということで、
愛情のかけらもかけていない、無残な状態の庭だった。
 
植えられている金木犀やつげ、サザンカ、ユキヤナギ、青木など、
10数本の樹木はのび放題に大きくなって、
隣の家との境の石垣とブロック塀を押し倒さんばかり。
震度7クラスの地震がきたら、かなりまずい状態と思われた。
 
私がこの樹木に対して出来る手入れはほとんどなく、
サザンカの花やつげの花が道や隣に落下した時、掃いたり、
ボウボウに生えた地面のドクダミその他の雑草を年に3~4回むしるぐらい。
 
何とかしなくちゃとは思いつつ、本格的にいじるのは高くつくだろうし、
「それって普通、パパの仕事じゃない?お父様もやってたし」と
草むしりひとつ手伝ったことのないダンナを恨めしそうに見ながら、
知らぬ存ぜぬを決め込んで、今日まできた。
 
ところが先日、一時帰国した折に、
お風呂場がすっかりきれいにリフォームされたのに刺激されたか、
ダンナが急に「塀が危ないから、大きくなりすぎた庭の木をきれいさっぱり切ろう」
そう言い出した。
 
言い出したといっても、帰りがけの車の中で私に指示を出しただけで、
その段取りその他、実際に動くのは私である。
まあ、いつものことであるが・・・。
 
しかし、今回は口は出すけど金は出さないというのではなく、
口も出すけど、金も出す気らしい。
 
早速、近所にいる庭師さん(同じ町内の同じブロック)に声をかけた。
歩いて1分のところにいても、15年このかた、お世話になったことがない。
何せ、プロの庭師さんに頼むと高いというのは聞いたことがあるし、
さほどの庭ではないことはよく分かっている。
 
ただ、10数本の樹木の伐採となると素人にはお手上げ状態だ。
シニアボランティアに頼むのも、手に余るだろう。

第一、切るといっても、根元から切るのか、根からほじくり返すのか、
切って残った根はどうなるのかなど、全く知らないのだからお話にならない。
 
幸い、近所のその庭師さんとは
町内会費の集金や地元の消防訓練の時などに少しだけ話したことがあったので、
声をかけるとすぐに見に来てくれ、見積もりを出してくれた。
 
聞けば、彼は植木屋さんではなく、造園業が本業で、
庭木の手入れだけじゃなく、もっと広範囲に受け持ってくれるとのこと。
 
結局、まずは物干し側の大きな物置の撤去に始まり、
樹木の伐採と剪定、下水道の高圧洗浄、塀の中の支柱の入りようのチェック、
土の状態をみてからの造園プランと、
次々、報告と提案がなされて、
気づけば、専任の庭師さんのように、我が家のブランディングを考えてくれていた。
 
専任の庭師さんに見てもらうほどの庭じゃないのは重々承知だが、
庭師さんという職業は人の家の庭を見れば、
いろいろイメージが湧いてくるらしい。
 
家の建物と庭とが調和してこそいい家だと考えているから、
正面の玄関先だけ、ちょっと花でも植えてお茶を濁し、
両脇は雑草がボウボウ、庭木も2階まで届いているのに放りっ放しは、
見ていて、いてもたってもいられないという感じのようだ。
 
家主としては、家の中のふすまを開けたら、
がらくたがドサッと落ちてきたのを見られたようなばつの悪さを禁じえないが、
この際、いろいろ相談にのってもらって、スッキリと美しい庭へと変身させようと、
新たな意欲が湧いてきているところだ。
 
まずは、伐採を終え、スッキリした庭の門門にお清めの塩を盛り、
無駄な殺生ではないということで、お参りをした。
そんな考え方も初めて教えてもらい、
「勉強になります」と殊勝な気持ちになった。
 
また、庭師さんのお父さんの代から手がけているおうちが取り壊しになり、
そこから出たいい御影石が、駐車場側の和室からの踏み石にちょうどいいと、
午後には運んできて据えてくれるらしい。

「いい石に、また、置ける場所が見つかるというのも、ご縁ですから」とか 
「素性のいい御影だから、間違いなしですよ」と言われても、ピンときていないのだが、
とにかく庭師さんの頭の中には、可哀想な我が家の小庭をなんとかしたい、
そんな思いがむくむく湧き出ているに違いない。
 
こうして、思いがけないミッションがスタートした。
初夏の陽気にぴったりのこの計画を、しばし楽しむことにしようと思っている。


2016年5月8日日曜日

リサイタルは思わぬ記念日に

 
 
今日は母の日。
それを口実に、
先日、長女が家に連れて来た彼と長女、その時会えなかった次女と私の4人が
外で会食することになった。
 
日中は「清塚信也ピアノ・リサイタル」を観に行く予定が入っており、
私はひとり、川崎駅近くのミューザ川崎シンフォニーホールに出掛けた。
 
数ヶ月前、
ピアニスト清塚信也と、ヴァイオリニスト石田泰尚との、デュオコンサートに行って、
そのあまりの酷さに呆れて帰って来たことがあったので、
清塚信也のピアニストとしての本当の実力を知りたくてチケットを取ったのだ。
 
清塚信也は「のだめカンタービレ」や「こうのどり」など、
テレビドラマのピアニスト役のゴーストや主題歌の演奏なので、
すっかりミーハーな売れっ子になっているが、本当のところはどうなのか。
 
先ず、ミューザ川崎の約1600席を、
たったひとりで満席に近いところまで集客しているのに
正直、驚いた。
 
飄々と登場すると、例によってよくもそんなに口数多くしゃべれるなという
石田様とは正反対のコンサートスタイル。
 
しかし、ショパンの生い立ちから病歴、若くして死に至る話とリンクさせて
演奏された数々の曲は、ショパンへの理解と親近感を感じさせ、
清塚信也自身のショパン愛も十分伝わってきた。
 
実質2時間と少し、ピアノ1台で曲想の異なる曲を全曲暗譜で弾き通し、
キヨヅカワールドに引っ張り込む力は大したものだと思った。
 
あの自分でも言っているミーハーな性格とおしゃべりは好きと嫌いに分かれるし、
これ見よがしの押しつけがましいピアノの速弾きもどうかと思うが、
それもこれも実力がなければできないことだと思えば、
凄いと認めるしかない。
 
まあ、石田様との相性が悪いのはどうしようもないとして、
自分大好きの、変人だけど実力はあるピアニストという認識に
私の中では落ちついた。
 
そして、夕飯時。
場所を品川に移して、4人が落ち合い、レストランに着席すると同時に
長女が左手の薬指に光る指輪を見せて、次女と私にこう言った。
「私達、婚約しましたぁ。パパ(バンコク)にはもう電話で報告しました」と。
 
「彼を親に紹介したとなると、後は早いわよ。今年は忙しい1年になりそうね」と、
娘2人がすでに結婚している友人が言っていたが、
どうやらその通りの展開になりそうだ。
 
結婚は弾み。
弾みがついているうちに、どんどん進めるのが鉄則。
 
目の前で娘が彼と見交わす笑顔を見ながら、
さっき見たピアノを速弾きする清塚信也が脳裏に浮かんだ。
 
さあ、今年は忙しくなるぞ!


2016年5月5日木曜日

『追憶の森』 魂からのメッセージ

 
ゴールデンウィーク前半は総持寺禅体験の後は次女が実家に帰っていたので、
『ズートピア』を観に行ったり、『ズーラシア動物園』に行ったりして、
連日、動物もので癒しを求めて過ごした。
 
一昨日の夜、次女が帰ってまたひとりの生活が戻ってきたので、
早速、版画の彫りを再開し、少し仕事モードになっている。
 
そんな中、目下公開中の映画で気になっていた『追憶の森』を観てきた。
最寄り駅の映画館では観客が見込めないのか
まだ封切りされたばかりなのに、
朝9時半と夕方5時40分の2回しか上映していない。
 
その夕方の回に行ってきた。
案の定、まばらなお客さんだったが、
映画自体はとても深い内容で、心にヒタヒタと染みてきた。
 
結婚して、惰性に陥っている夫婦や、ケンカの絶えない夫婦、
相手に何の興味も持てなくなっていると自覚がある人は
絶対観に行くことをオススメする。
 
かなりスピリチュアルな世界の物語だから、
座禅を組んでいる時に亡くなった友人が「今度はメキシコ人に生まれようと
思って、どの両親にしようか捜している」などとお告げがあった私には
「やっぱりね。やっぱり本当よね」と腑に落ちることだらけだった。
 
アメリカ人が作った映画なので、
「日本のタクシーは手で閉めたりしないんだよなぁ」とか、
「日本人の英語は片言だから、普通、渡辺謙みたいに英会話はできないよ」とか、
いろいろ突っ込みたくなることはあるんだけど、
渡辺謙扮するタクミが重要な役どころで
これはもしかしたらアカデミー賞の最優秀助演男優賞狙えるんじゃないかと
思うぐらい。
 
同じ日本人として誇らしいわ。
 
死に場所として最適な場所として、青木ヶ原樹海が有名になるのは困るけど、
日本人でも滅多に行くことのない樹海に、映像と共に一緒に入って、
「人は何のために生きるのか」、
「人の出逢いとはどういうことか」
「なぜ、この人と私は夫婦になったのか」
みたいなことを自分も考えるのにはもってこいの映画だ。
 
あなたも魂からのメッセージを受け取りに、
どうぞガラガラの映画館に足を運んではいかがでしょう。