2021年9月30日木曜日

新しいHP始動

 









新しく作ったホームページ(以後HP)が
つい最近、公開された。

”キミィ・メンタル・サプリ”という屋号の
心理カウンセリングルームのHPだ。

私が心理カウンセラーの資格を取ったのは
東日本大震災があった年の前の年、
2010年の秋だったから、かれこれ11年が経つ。

とはいえ、資格を取って
最初のHPを作って公開したからと言っても
最初のクライアントさんが
カウンセリングを申し込んできたのは
それから何か月もしてからだった。

医院のようなものを開院したわけでもなく、
病院や学校に勤務したわけでもない、
何の経験もない心理カウンセラーが出したHPなんて、
誰も信用してくれるはずもないわけで…。

あてもなくただHPを誰か見て連絡をくれるのを
待っていたあの頃。

今思えば、
どこにそんな自信があったのか。
(自信などあるはずもない)

あの時の同期の卒業生で
個人でカウンセラーになり得たのは私だけだと思うので、
みんな、そうやって
ただ単に資格を取って終わったか、
学校のカウンセラーあたりに落ち着いたか。

ともあれ、私は病院に勤務といった選択肢は
考えていなかったので、
ぼんやり予約申し込みのクライアントさんを
待っていた。

最初のHPは、共に心理学を学んでいた人で
HPの制作もできるというデザイナーの女性に頼んで
10数万円でHPと名刺とパンフレットを作ってもらった。

HPなんてそういう値段なんだと思っていた。

しかし、クライアントさんが連絡してくるのが先か、
HP制作会社の人が連絡してくるのが先かの
タイミングで、最初のHPを見た営業さんから、
「もっとちゃんとSEO対策したいいHPを
作りませんか」と電話がかかってきた。

そこから今日まで
私のHP制作会社の営業との攻防が始まった。

今まで何人かの営業さんと会い、話を聴き、
この10年で、この後、HPを2回
新しく作り直している。

当時はまだスマホが普及しておらず、
検索はパソコンが使われていたから、
スマホ対応のものだけ更に途中で追加制作もした。

2度、100万単位で資金を投下し、
ここまできたが、
今も集客することの難しさを痛感している。

全然、HPに使ったお金と
クライアントさんの数との勘定が合わないが、
それでも
10年の間にカウンセラーとしての自信は
着実についている。

こうしてHPを公開していると
2週に1度ぐらいかもっとの割で
HP制作会社の営業から電話はかかってくるのを、
いかにかわすかに磨きはかかっているつもりだ。

もちろんすでにHPは持っていたが、
今回、名古屋の大手の制作会社の営業に
のってみることにした。

こちらの要望をすべて取り入れ、
尚且つ、
プロのSEO対策を施しつつ、
パッケージにはめ込むのではなく、
1からHPを作ってくれるという。
(意外とパッケージにはめ込むタイプが多い)

新しいHPには
いままで培った知識やスキル、
新たに行っているスキーマ療法についてなど、
専門的な文章も盛り込んで、
自分らしいHPが作ってみたくなったのだ。

通っている美容室のHPが素敵なので、
ヘアカラーしてもらいながら
いろいろ聞いてみると、
なんと500万円ぐらいかかったという。

それに比べれば3分の1以下なので、
決して安くはないが、
比較的、良心的だったのではないかと
理解している。

出来は大いに気に入っていて、
「医療とエステの間」みたいなイメージの画面、
テーマカラーは「マゼンタ=赤紫」という
注文に始まり、
長時間のZOOM会議の末、
1か月ぐらいの時間をかけてできあがってきた。

そこから何度か大きな修正、小さな修正を加え、
この度、ようやく公開にこぎつけた。

Googleが認知するのに1か月はかかるらしいので
反応が出るのを楽しみに、
オーナーは週1か2の頻度で
ブログを更新しなければならない。

さて、反応はいかに。

私の整体の先生は
集客率は「ホットペッパー」が一番優秀と
教えてくれたが、
心理カウンセリングを「ホットペッパー」や
「たべろぐ」に載せるわけにはいかないので、
このHPに賭けるしかない。

やれやれ、クライアントさんに来ていただくには
莫大な広告宣伝費がかかるという
個人事業主の悲しさよ。

雇われの身なら
そんなことを心配することもない。
しかし、こうして自分の要望を全面的に取り入れ、
思い通りに仕上がったHPが出来たのは
とても嬉しいものだ。

心理カウンセリングルームを開業して10年、
今は2店目の新規店舗を出店し、
内装が素敵に出来がったといった気分だ。

後は開店祝いに
「悩める乙女」に来ていただくだけである。
(当方、女性限定カウンセリングルームである)

はーい、カスタマー~!ではなく
いらっしゃいませ、クライアント~!!























2021年9月29日水曜日

秋の大食い選手権

 
















シルバーウィークがあったので、
2週間ぶりに娘のところにご飯を作りに行った。

9月はコロナ疑惑騒ぎに明け暮れた娘宅。
ようやく子どもたちは二人とも元気に保育園に登園し、
トトは出社、
ママだけがリモートワークで家にいた。

結局はだれひとりコロナで陽性にはならなかったけど、
保育園で誰かが陽性になると
そばにいた子は濃厚接触者になるので、
2週間の登園自粛を余儀なくされた。

そうなると
ひとりで1歳児が家にいられるはずもなく、
親はリモートワークせざるを得ず、
這いずり回る子どもの世話をしながら
リモートワークをするという
地獄のような日々。

本当に早くコロナのない日常が戻ってきてほしい。

そんな時でも、子どもたちにはお構いなしで
食欲の秋がやってきた。

特に1歳児の食欲はもの凄いらしく、
食べ物を見ると、食卓の上に這い上がり、
続いているキッチンカウンターにも上ってくる。

「全く油断も隙もありゃしない」と
見かねた娘が身動きが取れないようにバーがついた
新しい椅子を購入し、
孫2号の食欲を迎え撃つ準備をしていた。

昨日もその食欲は全開、
テーブルの上も下も大騒ぎにしながら、
何でも次々と平らげていく孫2号を目撃した。

メニューは
「鶏モモのカレークリームソース」
(フランスパン添え)
「生鮭の黒胡麻フライ」
「ミートボールのトマト煮込み」
「かぶのけんちん汁」
「高野豆腐と切り干し大根の煮物」
「コールスロー」
「サツマイモとレンコンと豚の甘辛煮」
「春雨の中華風サラダ」

以上8品。

それに先日、ばぁーばぁーいーつの時に
大好評を得た「バナナケーキ」を自宅から焼いて
持って行った。

最近、食べムラが激しい孫1号に
「バナナケーキ」をだしに使って
いろいろご飯を食べさせようという作戦だ。

孫1号は3歳ぐらいまでは本当によく食べ、
2歳児の好きなものは
「ひじきの煮物」と「キャロットラペ」とかいって
周囲を驚かせていたのに、
なぜか最近は好き嫌いが激しく
食欲も大してないので
親の心配はつきないという。

食べムラはいずれ治ると言われていても
心配なのはよく分かるので、
ばぁばとしてはひたすらあれこれ作るのみ。

間違いなく好きなのはバナナケーキなので
それを食後の楽しみにちらつかせて
メインをたくさん食べてもらおうということだ。

もちろんバナナケーキも
バナナ3本と大量のクルミが使用してあり、
糖分は最低限の薄い甘みに作ってあり、
朝食としてもいける健康食品だ。

さて、一方、
1歳児の孫2号。

こちらは今まさに、食べること命の食べ盛り。
かつては孫1号も同じく食べること大好きだったが、
孫2号の行動力と意志の強さは
孫1号を凌駕する勢い。

まだ、上下2本ずつ計4本しか歯がないくせに
少し小さくほぐせば
なんでもかんでも食べていく。

ミートボール、高野豆腐、切り干し大根、
人参、キャベツ、サツマイモ…!

ただ、白いご飯はイヤイヤ期らしく、
ふりかけをかけてようやく
最後の最後にしか食べてくれないとか。

ともあれ、気づけば、
写真のように口の周りは米粒だらけ、
テーブルは上へ下への大惨事。

「毎日毎食、これですわ」と
娘のボヤキも止まらない。

ばぁばは笑うしかないが、
健康第一、
食欲全開大いに結構。

事故なく病気なく
1日1日が無事に過ぎるのを祈るのみである。

































2021年9月26日日曜日

近況報告が聞きたくて

 







久しぶりに次女と横浜でランチした。

次女とは長女のところの孫2号の誕生会や、
お盆に実家に泊りに来ていたので、
全然会っていないというわけでもなかったが、
ふたりで会って食事したり話したりするのは
ちょっと久しぶりだった。

実家から独立して十数年も経つと、
横浜と東京でさほど離れていないとはいえ、
なかなか用事がないと会わないものだ。

そんな風にいつのまにか疎遠になる母娘も多い。

まして目下、転職活動中ともなると、
声をかけるタイミングが難しい。

私がパティシエ育成の専門学校で
就職対策講座の非常勤講師をしているとはいえ、
次女は業界がまったく違う
特殊な世界に属している上、
次女の目指す次なる仕事に関しては門外漢なので、
単なる週刊誌的興味の探りや、
母親としての実力行使は控えたいところ。

それでもやっぱり心配なことは心配なので、
ランチでもしながらどんな様子か
ラフにおしゃべりすることにした。

集合場所は
次女がAD(アートディレクター)として
深く関わった横浜駅隣接の
NEWoMan

昨年5月にオープンした高級感満載の複合的商業施設だ。
その建設にあたって
次女はデザインチームの長をしていた。

NEWoManのメインターゲットは
年収1,000万円越えの30代~40代女性。
(いるかそんな女!)

なので、入っているブティックも食料品店も
扱っている価格帯が一桁違う。

そんな高級品、一体誰が買うんだと思うが、
次女曰く、
表参道とか銀座にしかないお店を
横浜にも出すことで、
そこまで遠くに行かなくても買えますよという意味と、
この店舗で採算が合わなくても
企業のランドマークとしての意味があるという。

そのNEWoManの広告が
世界三大広告賞のRed Dot Awardに於いて
Red Dot賞を受賞したという。

それが一体どのぐらい凄いことかはよく分からないが、
次女はそのデザインチームの長だったんだから、
今回の転職活動のいい手土産になったことは
間違いないだろう。

私たちは9階のレストランのひとつに入って、
お互いの近況報告をしながら、
そこのパンのあまりの美味しさに
ついお替りまで要求してしまった。

同じ店は溜池山王のサントリーホールの
真向かいにも入っているので、
たまたま
私にとっては馴染みのあるレストランだった。

天上のすごく高い空間で、
黒基調のモノトーンのインテリアといい、
スパイスの効いたお料理や
フォッカチャやドイツ系クルミパンなど、
確かにおしゃれな店だった。

次女の転職はこれからが本番という状況で
相変わらずののんびりペースだったが、
精神的には病んでいる風もなく、
焦っているということでもなかった。

このコロナ禍の中、
募集がそもそもあるのか、条件面は大丈夫かなど、
外野はハラハラしているが、
当人の実力と経歴を信じていい報告を待つしかない。

私はパティシエ学校の教壇でも
「志望動機が何より大事。
企業研究をしっかりして、ラブコールをいかに送るか
ここに内定のカギがある」と言ってきたので、
同じことを次女に伝えた。

次女もそのことは実感しているようだったので、
母親のいらんおせっかいにならず、
近況報告会は平穏に終わった。

母親と娘、
いい関係を保つにはいい距離感が大事、
それは心理カウンセラーとしての矜持である。








2021年9月19日日曜日

命の洗濯

 
















「あ~、どこかに旅行したい」
そんな思いが体に充満して
爆発しそうだなと思っていた時、
友人から「日光の金谷ホテルにいかない」という
お誘いを受けた。

金谷ホテルと言えば、
日本のクラシックホテルの5本指に入る。
大昔、泊ったことがあるが、
クラシックホテルは何とも趣があっていい。

二つ返事で「行く行く!」と答えた。

友人Tさんは専門学校の非常勤講師仲間で、
去年の12月、
蟹とフグを食べに中国地方にご一緒した。

その時の蟹が忘れられず、
「今年も同じタグ付きの蟹を食べに行きたい」と
彼女が言うので、
12月初め、少し違うルートの旅行の申し込みを
すでに済ませている。

しかし、12月を待ちきれず、
「その前にどこかに行きませんか」
というお誘いだった。

みんな旅好きは旅に飢えているし、
温泉好きは硫黄の香りが恋しいし、
美味しいもの好きもしかり。

『雰囲気のいいクラシックホテルで
何をするということもなく、
温泉に浸かってのんびりし、
フレンチのコース料理をゆっくり味わいたい』

私たちは思いを同じくしていたので、
温泉にゆっくり浸かれる
中禅寺湖金谷ホテルをチョイス。

朝、浅草で待ち合わせた。
9時30分発の「けごん」に乗車し、いざ、日光へ。
東武日光の駅からは徒歩で本家の金谷ホテルまで行き、
途中、街道沿いのレストランで、
日光名物のゆば料理をいただいた。

40年前、泊ったことのある金谷ホテルは
昔と1ミリも変わることないたたずまいで、
コロナのせいか人気もなく、
ただただ静かにそこにあった。

そこからシャトルバスで中禅寺湖まで登り、
湖畔の中禅寺湖金谷ホテルに到着した。
こちらもかなりのクラシックぶり。

ロビーの真ん中には暖炉があって、
もうそろそろ薪をくべて火を起こそうと
冬支度が始まっている様子だ。

周囲を木々に囲まれ、
少しひんやりした風が渡り、
自然の中にいる感じが心地いい。

夕方、中禅寺湖畔まで散歩に行けば、
裏山から降りてきた猿の親子が
すぐそこにいたりする。

天気は台風の影響でイマイチだったけど、
大きな湖、向こうに連なる山々、
空の雲がみるみる形を変える様子は、
最近見ることがなかったのでとても新鮮だ。

むささびの形に彫刻された部屋のキーは
いかにもクラシックホテルという感じだ。
女同士だと、
そんな小さなことにも面白がれるところがいい。

夕食はフレンチで、
白いクロスがビシッとかかったテーブルに
丁寧にサーヴされる品々。

金谷ホテルのマークが入った
「日光三猿麦酒」なる地ビールのうち
「金のキレ」という方を頼んでみたが、
これが大正解。

フルーティな香りのよさと美味しさで、
帰りに
瓶ビールだというのにお土産に持ち帰ったほどだ。

お料理も栃木産のブランドポーク、
栃木産のビーツ、
栃木産のイチゴなど、
地産地消にこだわった品ばかりで
郷土愛に溢れていて美味しかった。

お風呂は完全に洋式のホテルなのに
硫黄の香りがホテルの館内にもただようほどの
れっきとした温泉だ。

泉質は少しとろみのある白濁泉で、
とにかく湯もちがよく、
硫黄の香りが次の日にもほのかに香るような
濃厚な温泉だった。

ホテルでのコース料理と温泉、
このなかなか一ヵ所で両方は難しいことが揃っていて、
お部屋の居心地もいいとなれば、
ただここだけのために出かけてきても
十分、価値がある。

次の日もゆっくり目に起きて、
洋食の朝食を楽しみ、
シャトルバスで再び、金谷ホテルの本家まで下り、
お決まりの日光東照宮を参拝した。

東照宮の大改修工事が終わってからは
初めての参拝だったので、
美しくよみがえった陽明門と言わず、
本殿と言わず、
あまりの豪華絢爛さに口をあんぐり開けて
見入ってしまった。

帰りがけ、
友人ご推奨の吉田屋の水ようかんと鉄砲漬、
件の地ビール2種類4本をお土産にして、
夕方の「特急リバティけごん」で岐路に着いた。

浅草に降り立つと
いつものように人の波が押し寄せ、
現実に戻ったのを実感した。

たった1泊2日でも非日常に身を置き、
四肢を伸ばしてリフレッシュできたことは
値千金の価値ある時間だったと思う。






















2021年9月12日日曜日

浴衣でリベルタ・ライヴ

 











9月11日土曜日、
米国の同時多発テロ20年目のこの日、
二子玉川のオーキッドミュージックサロンで行われた
「トリオ・リベルタ・サロンコンサート」に
行ってきた。

このライヴというかサロンコンサートのお知らせは
9月5日、いきなりメールで送られてきた。

メールはトリオリベルタのファンクラブというか
登録してある人にしか届かない。
私は数年前に、友人を介して登録してあった。

お知らせには
「9月11日にサロンコンサートをすることになった。
メンバーは浴衣を着て演奏する。
感染対策のため、
限定50名様のサロンコンサートなので、
抽選するからこのメールで申し込んで」
とあった。

この場所でのリベルタコンサートには
以前にも1度行ったことがあるし、
リベルタが浴衣を着て演奏するライヴも
横浜のカモメというライブハウスが幕を閉じる時、
行ったことがある。
(その時も私は夏の着物でいき、最前列の端にいた)

場所といい浴衣という遊び心満載の内容といい、
日にちは6日後と迫っていたが、
レアな企画なので、これは行くしかない。

件の友人からも
「リベルタからメール来てる?」と
すぐに連絡が来た。
しかし、友人は娘さんと先約があっていけないという。

これは私一人でも行くしかない。
(文面からしておひとり様でという感じだったので、
すでに1枚!と申し込みはしていたが…)

そして、無事、1枚get!

11日は「文学と版画展」の最終日で、
夕方5時の終了時に銀座の画廊に行って、
作品を引き取ってこなければいけなかった。

二子玉川から銀座、
コンサートが終わるのが4時15分ぐらいで、
5時の銀座に間に合うか。
ギリ・セーフということにしよう。

しかも、リベルタが浴衣を着ているなら、
私も着物で行かないわけにはいかない。
時はすでに9月。
大人の私は単衣の着物で行くことにした。

当日のチケットはリベルタメンバーの写真つき葉書、
席は入り口でくじ引きとあり、
開場時間の13時半より前に並ばないようにとの
連絡が来た。

当日、二子玉川駅から会場に向かう途中、
いつもリベルタコンサートでは最前列に座っている
おばあさまを見つけた。
関係者席なのか、裏ルートなのか、
石田様の大ファンらしく
必ず最前列にいらっしゃる方だ。

杖をつき、高齢者用カートを引きずりながら、
必死に歩いている姿に、
思わず駆け寄り、
「何かお手伝いしましょうか」と声をかけた。

もちろん今回も彼女は最前列、
チケット代6000円の我々と違い、
10000円払って最前列の6席を確保、
彼女は「1番」をすでに割り振られているという。

その最前列組の人は
優先的に入場するため開場時間に遅刻しないようにと、
葉書には書いてあった。

そのもたつく足取りで間に合うのか、
開場時間まであと2分しかない。
私たちは裏手のエレベーターを探した。

そこにいきなり
ヴァイオリンの石田様とサクソフォンの松原さん登場。
開演32分前だというのに
まだ私服姿だ。

そのおばあさまを見るなり、
石田様が「おっ!」と声を上げた。
私が「今からお着換えですか」と訊くと
松原さんが「はい」と答えた。

石田様はどこで見つけたんだと訝しむような
黒地に太い白で幾何学模様の入ったシャツと
足首が締まったニッカボッカ風ダボダボの白いズボン。
雪駄を履いていてもおかしくないような
ヤバいいでたち。

いつもの眼鏡ではなく薄い色が入っている。

もし、街でむこうから歩いてきたら
間違いなくよけるだろう。

松原さんは何を着ていたか全く覚えていない。
そのぐらい、石田様の私服の印象が強烈だった。

そこから30分後、コンサートは始まり、
ふたりはまともな浴衣に着替え、
ステージ袖から何食わぬ顔で出てきた。

私はくじ引きの結果、44番という番号だったので、
最後列(6列目)左から2番目、
しかし、舞台の左寄りに立っている石田様の
真ん前という席になった。

会場の50人の内訳は
女性48名、男性2名。
着物の女性は6名だった(着物2名、浴衣4名)

元々狭いサロンコンサート用の会場なので、
3人の奏でる楽器の音は
大音量でホール中に響き渡り、
背中の壁にあたって私に降り注いだ。

プログラム前半は
ドビュッシー2曲ラフマニノフ2曲を含む9曲、
いずれも3人(ピアノ・ヴァイオリン・サクソフォン)で
演奏するために編曲された
オリジナルの演奏。

「コロナでおうち時間が多かったから
新しいレパートリーを増やせた」
とMCの中岡さんが話したように
リベルタの演奏として初めて聴く曲ばかりだった。

プログラム後半は
このままピアソラを弾かずに終わるのかと思ったら、
全曲ピアソラ特集で、
「天使と悪魔」シリーズを中心に演奏。

更にアンコールは4曲。
アンコールにきて更にピアソラの重めの曲を
ぶっこんでくるあたり、
サービス精神旺盛なリベルタらしい構成だった。

最後の最後はお決まりの「リベル・タンゴ」だったが、
その一歩前、
袖に引っ込んだ石田様が出てこない。
松原さんがサックスで「ハッピーバースデー」の曲を吹いた。

石田様がなにやら包装紙に包まれた箱を片手に持ち、
登場するや、中央にいたピアノの中岡さんに
ぞんざいに渡した。

どうやら誕生日プレゼントらしいと分かった会場は
万来の拍手でお祝いの気持ちを表したのだが、
石田様は舞台の袖の例のおばあさまの前に立ち、
なんとも気のないしぐさでなげやりな拍手。
浴衣の前ははだけ、
細い体の薄い胸が見えている。

(このホールに舞台はなく続きのフロアなので
本当におばあさまの目の前だ)

その大人げなくてやんちゃな石田様の様子に
会場は大ウケの大爆笑。

石田ファンはその美しすぎる演奏と
その他とのギャップに
今回も惜しみない拍手を送り、喜んだのである。

終演4時12分。
着物の私はダッシュで会場を飛び出し、
何とか4時16分、東急田園都市線に飛び乗った。

5時2分前、銀座6丁目の画廊に到着。
すでに集まっていたグループ展のメンバーは
撤収作業があるのに着物を着ている私に
驚いていたが、
皆さん優しく迎えてくださり、
着物の着方が堂にいっていると褒めてくれた。

調子にのって作品の前で写真を撮ってもらい、
段ボールで梱包した額と装丁のかかった本を手に、
東銀座からの京急の快特で横浜の自宅へ。

何だか、東京中を巡って歩き、
そして、とんでもない誰かさんの私服を見、
とんでもない美しい音楽に包まれた、
至福の1日がこうして無事に終わった。