2015年4月26日日曜日

個展 無事終了

 
 
 
4月20日から25日まで銀座養清堂画廊で行われた個展は、無事終了した。
来場者数約300名。
お買い上げ点数10数点。
いただいたお菓子約1年分。
 
私自身も画廊のスタッフも驚く数字をたたき出し、
これはまずますの成功裡に終わったと言っていいだろう。
 
毎日たくさんの方が来てくださり、本当に幸せな6日間だった。
 
なにしろここ20年以上、絵画の個展会場なんて
閑古鳥が鳴いているのが常態化していることを思えば、
嬉しい悲鳴といってもいいぐらいだ。
 
お客さまには3つのグループがある。
 
ひとつは版画家とか出版・評論とかの絵画関係者。
同業者は作り手の目線で観ているので、そうした感想を言っていく。
「えっ、この木目、自分で彫ってるの?」「これは貼ってるのか。よくやるなぁ」
「私、覗き窓のシリーズ好きです」
「僕なんかから観ると、オブジェが面白いと思うけどな」みたいな感じ。
 
手順や作業の大変さが身をもって分かる人達だから
我が身に置き換えて感嘆していくか、
絵画のアプローチとして共感できるところを表明してくれる。
 
2つめは私の友人知人で、お祝いとして個展を観に来てくれている方。
おみやげのお菓子や花を携えたり、手ぶらを恐縮しながら
銀座まではるばるやってきてくださり、会場や絵の感想を伝えてくれる。
 
「とっても色がきれいですね。版画とはとても思えませんでした」
「こんな銀座のど真ん中で個展なんて凄いですね」
「なるほど、それぞれ深い意味があるんですね」みたいに
場所そのものや木版画らしからぬ作品について素直な感想を伝えてくれる。
 
3つめは何度かすでに私の個展に来てくださっているか、
絵を購入したことがあるか、今回は買おうと思っている方。
 
会場をその気でぐるりと見渡し、
「何だかパワーをもらえる気がするから、これにしようかしら」
「グランドピアノの上に飾ろうと思うの。この絵があったらテンションあがりそう」
「ブルーが好きだから、こちらの『凛』にするわ」
「還暦記念だとしたら、赤いこの『華』がいいわよね」みたいに
ご自身の部屋のどこに飾るのか思い描きながら
かなりさっさと購入を決められる。
 
わかったことは
それぞれ個展に来てくださる目的は最初から決まっているんだなということ。
 
だから、その気もない方に営業してしまったのは申し訳なかったし、
来ていただけたことにもっと感謝しなければということ。
 
画廊からは今回の作品の内、10点ほど預からせてほしいと申し出があったし、
2月の六本木・新美術館で行われる現代美術展に出品して欲しいという
要請があったりして、
これからの展望も少し開けた。
 
そして何より
自身の作品として肝入りの作品『還』と『輪廻』を多くの方に認められたことは
一番の収穫だったと言えよう。
 
40年近く版画作品を創ってきて、
60にしてようやくそんな風に思える作品を生み出せ、
大きな安堵のため息がでる。
 
また、明日から制作する活力を得た思いで
頑張る気力が湧いてくる。
 
今、部屋には皆様からいただいた還暦祝いの赤い花達が
1週間経っても尚、元気で咲いている。
 
同い年の友人からいただいた深紅の薔薇の名前は「サムライ」とあった。
きっと私のイメージはそんな戦う女なんだろう。
しばし休憩し、充電したら、
再び彫刻刀を握りしめ、立ち上がろうと思う。
 
さあ、季満野よ
また再び、立ち上がれ、おのが力を信じて!
 
 


2015年4月22日水曜日

たくさんの反応


 
個展2日目も無事、終了。
初日の嵐のような雨はおさまり、2日目以降はなんとか天気はよさそうなので
一安心。
 
2日目も大勢の方がみえ、
たくさんの再会と
初めて銀座まで来ていただいた地元の仕事仲間などで終日賑わった。
 
中でも中学・高校を共に過ごした友人がはるばる久喜市からやってきた。
朝イチで画廊に電話が有り、
私が会場にいることを確かめてから、出掛けてきてくれた。
 
ピアニストのその友人は最初からその気満々だったらしく、
ニコニコと会場の作品を眺め渡してから
「ピアノの上に飾ろうと思って」と正方形の作品『蒼い鳥』をさし
ご自宅のピアノの上の空間に、
黄緑色の背景に蒼い羽根が舞う作品を想像しているようだった。
 
終始、嬉しそうにしているその姿を見ていると
こちらまで幸せな気分になる。
 
言ってみれば我が子を嫁がせる親のような気持ちだ。
 
また、大学時代の同級生やら教授、所属団体の作家など、
いわゆる同業の来訪者も多かった。
 
かれらは皆、本職の目で作品を見てくれるわけだし、
自分にあてはめれば人の作品は多分に評価する目で眺めているはずだ。
 
評価できなければ、作品には何も触れずにさっと立ち去るだろうし、
評価できる時は何かコメントを残してくれる。
 
創っている人同士だからこそ分かる作業の大変さを思い、
エネルギッシュだと褒めてくれる人もいるし、
「『覗き窓シリーズ』いいね」みたいなコンセプトに関することを言う人もいる。
 
中でも芸大の教授が去り際に
「今回のメインの2点、これは凄いね」と言ってくださったのは嬉しかった。
 
すでに多くの方からDMに使った2点を褒めていただいたが、
還暦という歳まできて、
ようやく長い作家活動の中でこの作品を生み出すことができ、
これを残して死ねることに安堵したという気分だ。
 
ほんの数日前に
脳梗塞で倒れ、リハビリ中の西城秀樹が
ろれつの回らない口調で「ヒデキ還暦!」と
「ヒデキ感激!」にひっつかけた痛いジョークを飛ばしていたが、
まさにそんな感じ。
 
「キミノ感激!」な一瞬だった。
 


2015年4月21日火曜日

個展初日は小雨にち嵐

 
 
いよいよ個展が始まった。
 
前日、オープニングパーティ用に作った数々の料理をタッパーに詰め込み、
新調したワンピースにジャケットを着て、
次女とふたり、9時過ぎに家を出た。
 
横浜は曇り空だったが、早くも銀座に到着する頃には雨がしとしと降り出し、
個展初日だけは晴れて欲しいという願いもむなしく、
雨は予報よりも早い時間に天から落ちてきた。
 
画廊の社長さんは
「個展初日に雨が降った個展は大成功というジンクスがあるんですよ」と
慰めてくれるが、
次女は「営業トークでしょ」とにべもない。
 
さあ、どんな1週間になるのか、運を天に任せるしかない。
 
1番バッターのお客さまは紫陽花展のメンバーKさん。
最高齢でパワフルに抽象の油絵を描く温かくて強い人。
 
いつもとは違うオブジェ作品を含む展示を驚きと賞賛をもって観てくださり、
いろいろ感想を伝えてくださった。
同業者のふだん聴けないこうした感想は今後の制作のヒントとして、とても重要だ。
 
そこから、お客様は1時頃まで途切れることなく続き、
その中で、何と、30年来の友人が
思いもかけず、いきなり、メインの作品である『還』をお買い上げ!
 
どう考えても個人のおうちの壁にかけるには大きすぎると
はじめから期待していなかった1番の肝入り作品を
すんなりあっさり、何の営業もしていないのに
「いいわぁ、すごく気に入った。あの赤は私の赤よね」と大絶賛。
(その気に入り方は女性が自分の洋服を買う心理と同じ(笑い))
 
初日に早くも三尺玉の大きな花火が打ち上がった気分だ。
 
雨はしとしとから徐々にザーザーに変わり、
画廊の天窓をたたきつける雨音が激しくなっている。
 
 
裏でお当番の絵画教室メンバーと次女とが料理をパーティプレートに盛り付け、
4時半頃、会場にテーブルを出してきてパーティ開始。
 
その頃には陶芸教室の先生が下半身ずぶ濡れになり
版17のメンバーの男性の傘がおちょこになって骨が折れたといいながらも
次々やってきてくれた。
 
主には男性のお客様ばかりなのはいつものとおり。
(まあ、一般的に女性は夜出歩くのは難しいですからね)
 
大学時代のボーイフレンド達も
「『ぜひ、オープニングパーティにいらしてください』と書いてあったら
こないわけにいかないじゃない、ねえ」とひとりが言えば、
「えっ、俺のには書いてなかった」などと言い合いながら、
用意のワインや黒ビール、料理を喜んで食べてくれている。
 
7時に画廊のスタッフに促されるまで、宴会は続き、
次女も母親の交流関係の面々にデビューをはたし、
いろいろな意味で実り多い、個展初日が無事に終わった。
 
雨はこれからは最終日まで降らずに済みそうだ。
 
嵐の中で、花火が打ち上がったような幕が開け、
今日2日目はどんな1日になりますやら。
乞う、ご期待!

2015年4月19日日曜日

個展の直前準備

 
 
 
いよいよ個展が目前に迫り、昨日は作品の搬入と飾り付けが行われた。
 
朝9時、美術搬送のいつもの業者さんがトラックで我が家に作品を取りに来てくれ、
22点の大小の額縁と3組のオブジェ作品、
お茶出し用の陶器(自作)やオープニングパーティに使うパーティグッズ、
ビールやワイン、ペットボトルなどを積み込んだ。
 
本当ならば作品以外のものは頼めないのが美術搬送だけれど、
何度もお願いしているよしみで、
お茶出しやパーティに必要なものまで運んでくれるのは大助かりだ。
 
朝、家中の作品が出払ってさっぱりしたところで、
オープニングパーティ用の料理の下ごしらえをいくつか済ませ、
夕方、銀座に出向き、業者さんと次女と合流し、
5時半過ぎ、いよいよ搬入と飾り付け開始。
 
まずはすべての作品を箱から取りだし、
自分が考えてきたとおりに作品を並べてみる。
 
1番正面のメインの壁に3組のオブジェを並べ、
もう1面の広い壁に今回案内状に使った赤と青の大きな作品を置いた。
 
大物をどこに置くかまず決め、小ぶりの作品はその後にバランスや写りを考え
配置するというのが定石だ。
 
しかし、ざっとひと並べしたところで、画廊のオーナーの女性から「待った」の声。
「オブジェはボリュームがあるので、一緒に並べなくてもコーナー、コーナーにおいて、
とてもインパクトがあるDM作品を正面の壁に置くというのはどうでしょうか」と。
 
いつもは腰が低く、控えめな女性だと思っていた若社長は
いつのまにかしっかりした2代目社長さんに成長していて、
ご自身の考えを表明しながら、
画廊という空間をひとつの作品としてどう創るか提案できる人になっていた。
 
それは私にとっては嬉しい誤算で、
その新しい意見はとても新鮮で、おもしろいと感じられた。
 
今まで同じ画廊で何回か展示をした時は
作家である私が決めた展示位置が、そのままほぼ決定だったから、
メインの作品群の位置さえくつがえるなどという大胆なチェンジは初めてだ。
 
そういうことを言われるとカチンとくる作家もいるかもしれないが、
私はその点、軟弱というか柔軟というか・・・。
 
「じゃあ、試しにやってみましょう」と
会場のあちこちにズルズルオブジェを移動させ、脇にくる額作品を並べ、
しばし眺めては
社長とデザイナーの次女と私で感想を述べ合う作業はとても楽しいものだった。
 
結局、会場のレイアウトは当初考えてきたものとは全くの別物になり、
正面の壁には赤と青の作品がドドーンと並び、
オブジェはしきりのあるコーナー3箇所に分散。
 
まるで、家具のショールームのように雰囲気の違うコーナーがいくつも出現し、
楽しい展覧会場が出来上がった。
 
作者としてはそれぞれの作品の制作年がわかっているだけに
大体順番に並べた方がいいのではという思い込みがあったが、
そういうことにはこだわらず作品の相乗効果と
とにかく「メインの作品だけをメインの壁に飾りたい」という社長の思いが
予想もしない展示を生み、
結果、いい展覧会場になったのではと思う。
 
すべて飾り付け終わった会場を眺めて
社長が「ふふ、楽しい!」と言ったので
「私も来週1週間、楽しませていただきます」と答えた。
 
1枚1枚の作品が集合して、個展会場という大きな作品になった瞬間である。
 
どうぞ1週間の期間限定作品を
たくさんの方に観ていただけますように!!
 
萩原季満野展
 
4月20日(月)~25日(土)
11:00~19:00
(最終日は17:00まで)
 
養清堂画廊 
中央区銀座5-5-15
03(3571)1312
 
萩原季満野、1分1秒も外には出ず、ずっと会場にて皆様をお待ちしております。
よろしくね~!


2015年4月12日日曜日

誕生日と内定祝い

 
 
 
 
大地震がくるかもという予言が行き交う今日、
私の誕生日と次女の転職の内定を祝うささやかな会が催された。
 
ダンナは海外転勤中なので、蚊帳の外においといて
娘達ふたりと女ばかり三人が表参道のビストロで
ちょっと贅沢なランチをいただいた。
 
お店を決めたのは次女で、お会計は長女持ち。
 
名目が私の誕生日と次女の転職先がいくつか見えてきたお祝いだから
仕方あるまい。
 
レストランは青山の国連大学のほど近く、
ビルの10階でエレベーターを降り、中の階段でフロアを上がることができる。
 
高級感ただよう店内の内装、
立ち働く人の数も多く、
日曜日のお昼時だというのに満席の盛況ぶりだ。
 
プリフィックスのメニューから好みのものを選び、
女同士、相手のお皿からもひとくちずつお肉や野菜を分けてもらい
おしゃべりしながら楽しい時を過ごした。
 
次女は次女でブーケをプレゼントしてくれた。
 
私のイメージとかで赤黒い迫力あるダリアと
八重咲きの真っ赤なバラがメインに入っている。
以前、個展のお祝い花にもその赤黒いダリアをいただいたことが2度もあるので
よほど私っぽいということだろうか。

黒いダリアの花言葉は『華麗』『優雅』『威厳』
ナポレオンの妻ジョセフィーヌが愛して止まなかった花とか。
 
私自身は自分がさほど強いとも思わないのだが、
娘からみてもそんな迫力のある女に見えているんだなと思った。
 
こうしてまたひとつ歳をとり、
新しい1年がスタートした。

ここから先のの人生も、華麗で優雅で威厳に満ちたものでありたいものだ。

さて、
どうやら今のところ誕生日に大地震がくることはなさそうだ。
 
4年前、震災のすぐ後に個展をしたときは
誰しもがそれどころの気分ではなく、
街も人も元気なくうなだれ、個展もさんざんな結果だった。
 
今回はそんなことにならないよう、心から願うばかりだ。
神様~、無事、個展が開催されますように。
そして、たくさんの方に観ていただけますように。
そして、無事、終了しますように。
 
 
 
 


2015年4月11日土曜日

オブジェのレイアウト

 
 
 
いよいよ個展も開催まで10日を切った。
 
来週の土曜日は朝、額を業者さんの車に積み込み、
夕方には会場で搬入とセッティングが行われる。
 
一番の大物はオブジェ3組の作品で会場の正面の大きな壁に並ぶことになる。
 
オブジェ作品のコンセプトは
『人間の脳に刷り込まれた製品の既視感をちょっと変えるとどうなるか』
 
木製品と決まっているものと
木ではないと分かっているものの両方に
木目の和紙を張り巡らせ、すべてを木目で覆ってしまうと
不思議な感覚に陥る。
 
版画という手法は1枚の版があれば
複数同じものや色違いのものを産み出せるという
複数性が最大の特徴だ。
 
その複数性を逆手にとって、何種類もの木目の千代紙を作り、
あらゆるものを木目の作品に変えてしまう。
 
背景の木目にも手前の木目の椅子やテーブルが溶け込み、
平面的な錯視をもたらす。
 
背景に用意した色味は3種類あるが、手前に組み合わせるものによって
すごく溶け込んでしまう組み合わせと
浮かび上がる組み合わせがある。
 
ごそごそと和室のアトリエで背景と手前に置くものの位置を取り替えっこしながら
一番いい組み合わせを探す。
 
これにしようと決まったところで、パネルはまとめて大きな箱に戻し、
椅子や脚立はいつでも運べるよう部屋の隅にまとめた。
 
そうなると「オブジェ作品である」なんて気取っていたものが
急に木目の和紙をグルグル巻きにされた単なる椅子に成り下がる。
 
ニスで仕上げているとはいえ、もはや鋳物のガーデンチェアも
外に出して花の水遣りホースを置くわけにもいかないし、
ピッチャーに水を注ぐこともできない。
 
芸術作品なんてそんなものだ。
 
美術館にトイレを飾って「泉」というタイトルをつけても、
家に持ち帰れば実際のトイレにはもうならないのと同じだ。
 
ただし、かの有名なあのトイレは異様な高値がついて
芸術作品のまま未来永劫飾られるから
まったくもって運のいいトイレと言えるかもしれない。
 
私のオブジェ達はそんな栄誉に預かることもないだろうから
1週間、銀座のど真ん中でスポットライトを浴び、皆様に鑑賞していただいた後は
家に戻って「使えない奴」呼ばわりされる運命だ。
 
やれやれ・・・。

2015年4月8日水曜日

三津五郎 嗚呼 あなたもか

 
 
東銀座にある東劇で『野田版 鼠小僧』を観てきた。
 
シネマ歌舞伎といって、今まで舞台で行われた公演を映画にリメイクし
映画館で上映するものだ。
 
舞台を見逃した人にとっては安価にて当時と同じ演目が観られるという利点がある。
また、クローズアップが多いので、役者の表情や演技がアップで見られる。
舞台を観た人も再び観ることで、懐かしんだり、再発見したりできる。
 
シネマ歌舞伎の『野田版 鼠小僧』は2005年に公開されているから
今年で10年目の節目の年になるが、
実際の舞台は12年前の2003年に新橋演舞場で行われている。
 
主役の中村勘三郎はまだ当時中村勘九郎の名で出ているし、
坂東三津五郎、中村福助、中村橋之助などの役者も皆、若々しい。
 
獅童や勘太郎(今の勘九郎)、七之助などはまだちょい役だ。
 
あれから12年経ち、月日が巡って干支が一巡したことで
何と、主要な役者の内、中村勘三郎と板東三津五郎はすでにこの世にいない。
 
2年前だったか、同じく『野田版 鼠小僧』を町田の映画館で観たときは
勘三郎が亡くなってすぐだったので、
この舞台を生で観なかったことを後悔したものだが、
今回は三津五郎もいなくなってしまっていることに喪失感がつのった。
 
棺桶屋の三太と鼠小僧の二役を演じた勘三郎の汗水たらした大活躍も凄いが
大岡越前役の三津五郎の気高いたたずまいと正統派の演技、
思わずニンマリしてしまうユーモアなど、
勘三郎みたいな破天荒でわかりやすいショーマンシップとは違う
歌舞伎界のレジェンドが挑むコメディといった趣がたまらない。
 
そのふたりの対照的な妙があってこその『野田版 鼠小僧』だと思うが、
その二人ともを欠いては、すでにして成り立たないのだから、
野田秀樹はもちろん、演劇界、歌舞伎界、映画界の嘆きはいかばかりだろう。
 
この演目の中では未亡人お高という役で出ている中村福助も出色の出来で
個人的にはその声が艶っぽくて大好きだ。
 
いつだったか福助の『八百屋お七』を観たときの
美しさと踊りのうまさに感動したが、
彼女(彼?)のいざという時のはっちゃけぶりは特筆もので、
大物は何をやらせても一流だと感じ入るばかりだ。
 
今60前後の何人かは本当にいいコンビ、いいチームだったのに惜しいよねえ。
 
残っている役者陣はお願いだから体を大事にして欲しいし、
順調に育ちつつある獅童や勘九郎(現勘三郎)、七之助は
父親や三津五郎の穴を埋めつつ、新たなる境地を拓いてもらいたい。
 
お金に余裕のない私にとって
生で観られなかった歌舞伎が映画になって戻ってきてくれることは
とてもありがたいこと。
 
この先も11月まで毎月、1公演6日間だけという限られた上映日程で
10の演目が組まれている。
 
1演目たったの6日間というのはけっこうシビアな日数だけれど、
観たいものと予定が合えば、お得な鑑賞と言えるだろう。
 
歌舞伎は敷居が高くてと思っている方にもオススメである。


2015年4月5日日曜日

バンドネオンの調べと3人の女性達


 
小雨がしとしと降る中、栄区のリリスホールまで
バンドネオン&ヴァイオリン コンサートと銘打たれたコンサートに行って来た。
 
演奏者の名前は全く知らない人だったが、
バンドネオンという楽器の音色が好きなので、
ヴァイオリンと組んでどんな演奏をするのか興味を持ったのである。
 
会場は何度か行ったことがある横浜市栄区の区民ホールで
300~350人ぐらいは入るだろうか、
しかし、残念なことにバンドネオンの知名度が低いせいか、
60~70人ぐらいのお客さんで会場はガラガラ。
 
私は2列目のど真ん中に陣取り、
ほぼ舞台の演奏者と同じ高さで、
しかも真っ正面に見ながら、楽しませてもらった。
 
バンドネオンというのはアコーデオンを小さくして、もう少し重厚な音を出す
鍵盤楽器だ。
 
しかし、アコーデオンみたいにショルダーバンドで肩にしょうのではなく、
椅子に座り、左腿の上に乗せ、演奏する。
相当な重量があると思われるが、サイドの鍵盤を弾きながら
真ん中の蛇腹をうねうねさせ、
音の強弱や抑揚をつけるのはアコーデオンと同じだから、
見ているよりはるかに体力のいる楽器なのかもしれない。
 
それを細身で無駄な脂肪のない引き締まった体つきの女性が弾いている。
 
髪はショートカットで年齢は50代にのったかなというあたりだが、
シャープなアゴから首のラインが美しい中性的な印象の女性だ。
ちょっと椎名林檎に似ている。
 
オフホワイトの綿素材のブラウスとパンツを着て、大ぶりのショールを巻いている。
足を肩幅ぐらいに開いて座り、
バンドネオンの蛇腹の動きに合わせて足を持ちあげたり蹴ったりして、
目をつむり上半身を揺らすので、不思議な恰好になる。
 
バンドネオンの音がノスタルジックでメランコリックな上に
アルゼンチンタンゴの名曲が続くので、
私の脳裏にはほこりっぽいアルゼンチンの街を足早に歩く
引き締まったふくらはぎをした赤いドレスの女性の映像が浮かんでいる。
 
一方、ヴァイオリンの演奏者はまだ30代はじめぐらいの若い女性で、
和服が似合いそうな純然たる日本的な顔立ちだ。
 
色が白く、髪をひっつめシニョンにまとめているので、ますますキモノ向きなのに
5ミリほどの細い肩紐のついた玉虫色のロングドレスで、
胸も背中も腕も惜しげもなく出ている。
 
静かな顔立ちだが、激しく情熱的な曲の演奏に伴い、顔は眉をしかめ、
鎖骨の下の筋肉が動いて、上腕の筋肉へと連動する様は
彼女の意外な一面を覗いているようで興味深い。
 
もうひとり、朗読と称して、
演奏と共に歌の歌詞を日本語やスペイン語で話す女性も出演していたが、
そちらはもっと肉感的な女性で、女を前面に出すタイプだ。
 
エメラルドグリーンのドレスはばっくり胸元が割れ、
スパンコールの間から胸の谷間も両腕の肩口も見え、
たぶん自信のあるところは見せようという作戦だろう。
 
朗読も芝居がかっているし、話し方がベタベタした感じで
あまり同姓に好かれるタイプの女性ではない。
 
三人三様とはよくいったもので、
まったくタイプの違う女性達だが、
アルゼンチンタンゴという魔物に取り憑かれたという点では一致しているらしい。
 
『ニューシネマパラダイスのテーマ』や
『リベルタンゴ』、『ラストタンゴ イン パリのテーマ』など、
大好きな曲のオンパレードだった。
 
また、『コンドルは飛んでいく』の本当の歌詞を知り、びっくりしたし、
ドラマティックな編曲によって素晴らしい演奏だったので感動した。
 
聴衆が少なかったのに、すごく熱を込めて演奏されて、
手に取るような位置で3人の女性達を観察でき、お得感満載。
 
当分、ブエノスアイレスとかタンゴとかバンドネオンという単語に
反応してしまいそうな魅力を感じている。

2015年4月1日水曜日

大量のメッセンジャー

 
 
 
 
今日は4月1日。エイプリルフール。
 
昨日までのポカポカ陽気はちょっとひと休みで、横浜はしとしと雨が降っている。
明日は晴天で、その後も数日曇りと傘マークが続いている。
 
3月上旬には出来上がってきた今回の個展の案内状を
今日、郵便局に持っていくことにした。
 
4月20日から25日までの個展に対し、ちょっと早い気もするが、
ここから先、来週半ばまで天気はずっとぐずつくらしい。
 
本当は土曜日の大安の日に投函するつもりだったが、
雨の日に届くとハガキが汚れる恐れがある。
手書きのメッセージが雨で流れ出すのはあまり美しくない。
 
すでに200枚近くを手差しでいろいろな方にお渡しして、
個展へのお誘いをした。
概ね案内状の評判もよく、好感触。
 
ひとりでも多くのお客様の来場を願っている。
 
郵送分は約400枚。
大きなサイズにしたので、手紙と同じ料金がかかり、ちょっと痛手だ。
 
それでも時間を割き、電車賃をかけ、遠方から駆けつけてくださる皆様を思えば、
なんとありがたいことか。
 
思えば、震災直後の2011年5月、同じ銀座養清堂で前回の個展を開催した。
日本中、まだ電車に乗って銀座に行くのはためらわれるような空気。
駅の照明も半分しかついておらず薄暗いし、エレベーターも動いていない。
 
当然、いつもの個展に比べ来場者数も少なく、初めての赤字転落。
 
それでも無事、個展を開催できたことがありがたかった。
 
あれから丸4年。
 
思いがけず昨年3月下旬に、
評論家赤津氏からのお声掛かりで個展をさせてもらったが、
もっと前から決まっていた今回のための新しい作品群は出品していない。
 
初出しの作品群の反応はいかに。
 
この1枚のフライヤーに想いを乗せ、
明日の晴れの日に到着することを期待して、本日、投函しようと思う。
 
エイプリルフールだからってウソじゃないのよ。
本気の私を受け取ってね!