2014年12月30日火曜日

暮れに大きなお年玉

今朝、ダンナからメールがあり、
『年末に大散財』というタイトルがついていたので、
えっ、まさか!と思ったのだが・・・。
 
先週、ブログにアップした、今よりバージョンアップされた新車を買うことにしたという。
 
納車は1月末とあるから、デモカーを新古車として買うのではなく、
輸入して新車を買うことにしたらしい。
 
事の発端は今乗っている車の初めての車検が春に迫っている中、
気になるところがあって点検をお願いしたところ、
不具合というほどではないものの交換した方がいい部品があるという。
 
無償交換だというので、3日ほど預けて作業をお願いすることになり、
その間、代車を貸してくれることになった。
 
(無償の部品交換そのものが今となっては敵の作戦だった気もするが・・・)
 
通常、代車というのはオーナーが乗っているものより、年式が古いものを持ってきて
これで、2~3日凌いで欲しいというのが普通だと思うが、
そこに、
今の車種と同じでバージョンアップされたものを持ってきて預けていくというのは、
「どう考えてもカモられてるでしょ」とは友人の弁だが、
正にその通り。
 
その作戦にまんまと引っかかって、
春の車検を待たずに、
このタイミングで乗せてもらったデモカーを譲ってもらえるなら、
「私がお金出して買うわ」とまで、決心しかかっていた。
 
しかし、その前に私のことは触れずに、
「営業さんとしてダンナに営業かけて」とお願いしたところ、
まさかの展開で、本当にダンナは新車を購入することにしたようだ。
 
何しろ、突如、海外転勤になり、まだまだローンが残っている今の車を
私ひとりに運転させるのは憤懣やるかたない様子だったし、
「家の周辺のスーパーに行くだけなら、燃費のいい軽自動車で十分だろう」というのが
ダンナの言いぐさだったから、
これは晴天の霹靂、初めてもらう大きなお年玉といった感じだ。
 
Tさんの営業手腕を褒めてつかわそう!
 
メールの最後には
「月に1回は洗車、3月に1回は内部清掃。」と偉そうに書いてあったが
それも許してつかわす。
 
この円安で輸入車は値上げを余儀なくされ、
1月1日からは3%の値上げだという。
小ぶりの我が車でも1月1日からは20万円近くの値上げになる。
 
そのあたりの事情と
車検時にタイヤ交換その他も含め、かなりの支出が必要なことを説明した結果、
T氏は12月26日で仕事納めになっていたにも関わらず、
29日の昨日、押しの一手で「年内の確約」をギリギリもぎ取った形だ。
 
というわけで、私のふところは温かいまま、
あの新車のお姫様抱っこが実現する。ウフ。
 
こりゃぁ、春から、ぁ、縁起がい~い~わい(見得!)
(顔はどうぞご想像ください)
 
どうぞ皆様、佳いお年を!

2014年12月28日日曜日

あと4つ寝るとお正月

 
2014年もあと4つ寝ると明けて2015年になる。
今年も本当にあとわずかになり、慌ただしく1年が過ぎていったなと感慨深い。
 
後半、我が家では思いもかけずダンナが就職することになったため
秋口からは怒濤の毎日で
大阪、マレーシア、ニューヨーク、ボストン、そして、大阪、マレーシアと
せわしなく飛行機に乗る生活が続き、
気がつけば世帯主のいないお正月を迎えようとしている。
 
娘達は30日にはやってきて、三が日まではいるらしいが、
例年のようにダンナの親族を元旦に呼ぶこともなく、
いつもよりは静かで簡素なお正月準備で済まそうかなと思っている。
 
とはいえ、お正月のお花ぐらい華々しくてもいいかなと
今年は大王松とチューリップだけという大胆な組み合わせで活けてみた。
 
大王松の迫力は相当なものなので、
昨日、買ってきたチューリップでは本数が足りず、今日、また4本買い足し
こんな感じに。
 

 
ここのところ先週よりは少し温かなので、今日は窓ふきをすることに。
窓ふきとレンジ周りをやっつけると
ようやくお正月が来る気がする。
 
 
 
 
お正月準備の第1弾はなんといっても『松前漬』作りから。
ダンナがいないのでお酒が進まないだろうから、するめも2枚だけ。
例年の半分の量になり、ちょっと寂しい。
 
 
次なる準備は数の子の塩抜き。
水の中で卵に絡みつく白いモアモアを取り除き、
塩は塩でもって制すとばかり、塩水につけ、数の子の塩分をおびき出す。
 
大好物の数の子のないお正月なんて考えられないので、
何はなくともこれだけはと買ったし、
なんのかんのと、結局、
例年とさほど変わらないラインナップでお正月準備が進む。
 
30日には帰ってくるという娘達にも伝授しつつ、
いつもどおり、おせちの準備をして新年を迎えるのがいいかなと思う
2014年ひとり暮らしの年の瀬なのでした。

2014年12月25日木曜日

クリスマスはゴスペルで

 
 
今年のクリスマスは、ひとり暮らしゆえの通常通りでは寂しいので、
ニューヨークから来日している『グローリー・ゴスペル・シンガーズ』のコンサート
チケットを入手し、次女を誘ってよこすか芸術劇場まで行って来た。
 
10月にニューヨークにいった時にはゴスペルはおろか
ジャズも聴きにいくことが出来ず、
本場もんを見聞きすることが出来なかった。
 
1ヶ月ほどまえ、生協のチケット販売のチラシでこのグループのコンサートを知り、
どんな人達か全く知らなかったが
クリスマスソング中心の曲目構成らしかったので、
イヴの夜にぴったりだと思って申し込んでみた。
 
会場は以前、小曽根真のジャズコンサートの時に行って
想定外に大きくてきれいな会場だと思った『よこすか芸術劇場』だ。
 
こんな知名度の低い人達でこんな大きな会場が埋まるのか
ちょっと心配だったが、2~5階の壁面座席はパラパラだったけど
平面の客席はほぼほぼ埋まって、
クリスマス・イヴをふたりで過ごそうという中年のご夫婦もかなりいる。
 
みんな案外ロマンティックなんだなと感心した。
 
コンサートは10名ほどの黒人ミュージシャンによって
なじみのあるスタンダードナンバーからクリスマスソング、
今年流行した『アナ雪のLet 's it go』まで幅広い曲目を次々歌い上げていく。
 
その1曲目から会場のお客さんは立つように促され、
手拍子をとったり、呼応するように歌わされたりして、
全編、完全に参加型のコンサートだ。
 
しかし、奥さんに誘われて来た風の70代のご夫婦の中には
いきなり立ての歌えのと言われても、乗り切れない様子のダンナさんも多く、
目の前に座っているおじさんは座っていては何も見えないと思うのだが
遂に1回も立つことなく、手拍子も打たず、前の席の人の後ろ姿ごしに
舞台を見続けていた。
 
更に私の隣の女子高校生もまったく乗り気じゃないみたいで
やはり1回も立つことも、手拍子をとることもなく、
「やばいよ、授業と同じで眠くてさあ」と一緒に来ていた向こう隣の友達に話しながら
最後までしらけきっていた。
 
私たち親子は1曲目から立たされて、大音量の歌声に圧倒されながらも
「そうか、このコンサートはこういうことね」と即、理解し、
どうせやるなりゃ踊りゃな損損とばかり、手拍子をたたき続けたが、
こういう時、乗り切れない人は案外辛いだろうなぁなどと思って見ていた。
 
そんなことはお構いなく、森久美子ばりに太った面々が全員会場の中に降りてきて、
その体を活かした大迫力の歌声を間近に聞くことが出来、
アメリカ人というか黒人のパワーの凄さをびんびん感じた。
 
「ニューヨークっていつでも最初からテンションマックスだね、思い出したわ」と
娘と10月のNYでの出来事を思い浮かべながら、
根本的にアメリカ人とは流れている血が違うんだと実感する。
 
早2ヶ月以上前になってしまったニューヨークを振り返りつつ
そこから先、今は我が家族がそれぞれの道に分かれ
新しい年を迎えようとしていることに感慨を覚える。
 
「1年が短い」と会う人ごとに挨拶のように言い合うのがこの時期だが、
そんないくつもの1年の繰り返しの中で
案外、今年は思い出深いクリスマスになったのかもと感じた。
 
私たち、来年は「ありのままに」生きるのよ!
そんな気分だ。
 
それにしても、毎日、寒い。
現実は歌詞のようにはいかないのだ。
 


2014年12月22日月曜日

魅力的な代車

 
我が家の車はこの春、初めての車検を迎えるのだが、
その前に少し気になる音がするとかで、
言い出しっぺのダンナが海外転勤でいないのに、点検に出すことになった。
 
担当のTさんは長身でなかなかの男前、
そして、何より声がすごくステキなので、ここのところ何度となくやりとりがあって
ウキウキする。
 
まあ、それはさておき、
点検してもらった結果、異常はどこにも見つからなかった。
しかし、一部部品に交換した方がいいところが見つかり、3日ほど預けるため、
昨日から我が家に代車がやってきた。
 
濃紺の我が車とほぼ同じサイズの車種のはずだが、
色が白いせいか、少し大きく感じる。
しかも、出て間もない最新バージョンなので、
乗った内装の印象は我が家の車に比べ、相当、ラグジュアリーだ。
 
けれど、夕べ、持ってきてもらった時に
「保険はかかっていますけど、ぶつけたりしたら修理代がかかります」と説明を受け
サインまでさせられたので、3日間は乗らずにおいた方が賢明かなと考えた。
 
しかし、中にちょっと座っただけでも、たっぷりとしていい感じだったので
どうしても乗り心地を確かめたくて、今日のお茶のお稽古にこの車で行くことにした。
 
今までのものはキーを鍵穴に突っ込んで回す式だったので
3年前、新車でこの車が来た時は
「今どき、鍵を鍵穴に差し込む車なんてあるの?」なんて驚いたものだが
ドイツ車は意外とクラシックというか頑固というか
そういうものなんだと説明されたのを昨日のことのように覚えている。
 
しかし、新バージョンはボタンひとつでスタートするし、
サイドブレーキもなくボタンになっていた。
 
また、我が車ときたら、ドアのリモコンの効きが異様に悪く、
へたをすると助手席の前に立って使っても解錠しないことがある。
 
しかし、そこも新バージョンは改良されていて、何十メートルか離れていても
リモコンが効く。
(それが当たり前だと思うが・・・)
 
そして、いよいよスタートしてみると
その乗り心地ときたら、重くて、深くて、優しくて、
まるで大きな男の人にお姫様抱っこしてもらっているような心地よさだ。
(そんな経験は思い出せないぐらい昔のことで、単なる妄想だが・・・)
 
その守られているという安心感と、居住性の高い高級感は
同じ車種だとはとうてい思えないほど、リッチな感じだ。
 
ダンナは自分が大枚はたいた車を私専用にしなければならなくなった腹いせか、
「この春の車検の折には軽に乗り替える」などと言っているが、
ちょっとこの新バージョンと軽自動車では雲泥の差がありすぎる。
 
知らなければ知らないままだと思うけれど、
一度知ってしまうと、レベルを落とすことが難しくなるのは
生活レベルも車も同じだ。
 
いやあ、罪な白い新車よ。
明日、目覚めたらカボチャの馬車になっているのか・・・。
夢なら覚めないでおくれ。

2014年12月19日金曜日

子育て支援のチラシ

働く子育てママの力になりたい!
 
というタイトルで、子育て支援のグループの広報として、チラシを作成した。
 
今までの利用者募集のチラシは
私たちはこんなことが出来ます。あんなことも出来ます。
という内容のチラシで、イラストも保育園にお迎えに行っている図や
子供達の相手をしながら見守りをしている図、
ママに代わって家事のお手伝いをしている図などだったが、
今回は困っているママ達の姿をイラストにしてみた。
 
どこかに既製品のイラストがないか探してみても
そんなに都合よく探している図があるわけではないので、自分で描いた方が早い。
 
年賀状の宛名書きと平行して、9点ほどイラストを描き、
それに子育てママの叫びを加え、
思い当たるママに子育て支援を利用して欲しいと訴えるというチラシだ。
 
「保育園のお迎えに間に合わないよぉ・・・」
 
「お兄ちゃんでしょ!ガマンしなさい」
 
「きゃー、このボサボサ頭、美容室に行きたいよぉ・・・」
 
「頼みたい、されど母は遠し・・・」
 
「誰かご飯作ってくれたら、天国なのに・・・」
てな具合。
 
他にもいくつか実際に子育て支援に携わる現場にいて見聞きしたママ達の現状を
イラストや声にしてみた。
 
年が明け、1月2月は
ちょうど保育園に入れたとか入れなかったとか決まる時期だし
4月から仕事復帰しようとしているママもいる。
小学校の1年生になるお子さんは保育園みたいに長時間預かってもらえないので
どうするかなど、
ママ達の悩みも深まる時期でもある。
 
「子育てあるある」でこのチラシに共感してくださった方が
ひとりでも多く私たちのところに問合せてくれないかなと
期待を込めて作った渾身のチラシだ。
 
本当は新聞折り込みにでもいれたいのだが、
予算がないので、これを手撒きで配らなければならないのは辛いところだが、
地道な活動でひとりでもふたりでも地域のママの子育て地獄を軽減できればと
心から願っている。

2014年12月15日月曜日

年の瀬の誕生会

 
 
 
 
 
 
2014年もあと半月で終わろうという今日、
毎年のように海外旅行にご一緒している友人の計らいで、
青山のレストランで誕生日をお祝いしてもらった。
 
本当の誕生日は4月12日だから、だいぶ昔のことのように感じるが、
60才の節目の誕生日であることをずっと気にしていて、
何とか今年中にお祝いの席をとセッティングしてくれたのだ。
 
このお誘いを2週間ぐらい前にいただいた時、もしかしてと思わなくもなかったが
「サプライズ好きでプレゼント好きな私の好きでしたことだから」といって
折半の申し出はかたくなに拒まれてしまったので、
4年後、彼女が同じ誕生日を迎える時には今度は私が・・・と心に決め
今日の心づくしはありがたく受けることにした。
 
それにしても、横濱の田舎に住んでいると
こんなにステキなレストランはないと思うほど、雰囲気のあるレストランだったし、
シャンパンで乾杯し、美味しいフレンチをいただき、
おまけに名前入りの写真立てまでプレゼントにいただいてしまった。
 
今年は家族でニューヨークに行ったので、
彼女との海外旅行には行けなかったが、
来年こそはふたりで、今度はどこにする?などと話しながら、
こんなに贅沢にお祝いしてもらっていいのかとちょっと恐縮してしまう。
 
60年も生きてくると、
家族でさえこちらが騒がないと誕生日のお祝いなんてしてくれないというのに、
ずっと気に留めていて、
忙しいスケジュールの中であれこれセッティングしたり、
名入りのプレゼントを注文してくださったり、
ほんとうに感謝感激!
雨あられ。
 
「私たちが行く旅先ではいつも大量のポートレートを撮って愉しんでいるのに、
ニューヨークではダンナも娘もそんなに温かくない」という話に大笑いし、
持っていった分厚いニューヨークでの写真アルバムのページをめくりつつ、
おしゃべりはエンドレスに続いた。
 
「やっぱりどこへいっても記念写真は撮りましょ」と
今日もレストランのそこここでスタッフにふたつのカメラを渡して
大量の記念写真を撮ってもらった。
 
ふたりとも忙しい毎日の中で「本当は美容室にいってから合いたかった」と
白髪の伸びた生え際を気にしながらも
撮れた写真は嬉しい気持ちがそうさせたのか
なかなかの美しい写り具合(の気がする)。
 
友達の誕生日なんて気にもとめてもらえないのが常なのに
優しくされて幸せに満たされた1日だった。
 
高倉健さんが「人を想うことほど美しいものはないんじゃないですかね」と
何かのインタビューで言った言葉が印象に残っているが、
今日は友人の温かな想いを受け止めながら
私も人を想える人でいたいと強く思った次第である。


2014年12月13日土曜日

年賀状の憂鬱



2014年12月半ば、今年もまた、この時期がやってきた。
 
テレビのCMでもマツコデラックスが同じことをいっている。
「ねえ、年賀状作んの、めんどくさいのよ。何か丸投げできんの、ないの?」
「あります。丸投げ的なのがこれです」
「えっ、本当にあんの?」
 
丸投げできる方法があると聞いて、舌打ちまでしているCMだが、
(ないと知ってではなく、あると知って、なぜ舌打ちなのか分からないが)
本当に年賀状作りはそれほどめんどくさい作業なのである。
 
昨今の若者は年賀状を作るなんてことは全くせずに
メールで済ます人がほとんどだというが、
私たちの年齢になると、それはそれで寂しい気がする。
 
年賀状の行き来があれば、
本人が亡くなった時も、家族が喪中はがきを出すことが出来るが、
そうした行き来がない場合、
ぷっつり途絶えるということだろうか。
 
何十年も自分で干支をデザインし、木版の版に起こし、
1枚1枚手摺りで摺ってきた私は、
年賀状の両面、つまり、絵の部分も宛名や添え書きなどの文字の部分も
手書きであることにこだわってここまでやってきた。
 
『宛名名人』を使って、宛名を印刷すれば簡単なことも知ってはいるが、
毎年、その人の筆跡を見れば、だれからの年賀状かすぐわかるし
その筆跡や文面から
その人の人となりが浮かび上がるのが嬉しいので、
こちらも両面すべてが手書きであることに意味があると思ってきた。
 
しかし、実際、150枚近くの年賀状を制作するのは、かなりの重労働なのだ。
 
まず、デザイン。
11月半ばぐらいから「あ~、今年はどうしよう」と思っている割りには
なかなかいいアイデアが浮かばないのが常である。
 
年賀状は自分の作品とは違うので、干支というメインモチーフがあるし、
あまり重苦しいものは正月早々見たくないだろうから、ある程度可愛くしたい。
かといって、こどもっぽくなりすぎるのは版画家としてどうなのか。
 
版画家仲間の中にはいっさい干支には触れず、自分の小作品としてしか
年賀状を創らない人が何人もいる。
 
でも、私は多分に一般人なので、干支を大切にしたいのだ。
とはいえ、自分の絵肌との兼ね合いもある。
 
出来上がったデザインを見ただけでは、単純で小綺麗だから、
そこまでの逡巡があるとは誰も想像していないと思うが
案外、可愛いとめでたいと自分らしいの狭間で、毎年、悩むのだ。
 
今年も第1作を彫り終えて、試しに摺ったら、全く気に入らず
デザインを練り直した。
 
しかし、第2作を彫って、試しに摺ったら、羊の顔の表情がパッとしない。
デザインそのものはそのままに、
微妙にレイアウトを変えたので、もう一度一から彫り直した。
 
そんな三度目の正直で出来上がった版で、今日は1版目の摺りをした。
150枚摺って、肩はパンパン、手にしびれが残った。
 
葉書のサイズは小さいので、想像以上に押さえの力が必要で
左手も肩からカチカチになる。
 
明日は2版目の摺りをする予定。
色数は全体で5色。
丸くて綿菓子みたいな羊が150頭近く出来上がる予定だ。
(何枚か、摺りを失敗するから)
 
そうして、来週以降、名簿を作って、
ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、添え書きと宛名を書くつもり。
 
今年は例年に比べ、喪中はがきが少なめだ。
というか、ここ数年で親しく年賀状を交換させていただいた方が何人も亡くなり、
新しく知り合った方とは年賀状の行き来をしない風潮だから、
年賀状によるつながりは細るばかり。
 
これも時代なのかな。
でも、やっぱり、年賀状の果たす役割はあるしなぁ。
 
そんなことを考える。
 
本当は喪中だけど、私の年賀状を楽しみにしているので
医院の方に出して欲しいと、先日、整体の先生からリクエストがあった。
 
そんな隠れ版画ファンも少しはいるので
今年もしこしこ頑張ろうと思う。
 
「年末、その凝りをほぐしに伺いますからね。
よろしくお願いしますよ!」
そう、ブログの読者でもある先生にメッセージを書こう。

2014年12月4日木曜日

勝手きままな版画家生活

 
 
 
 
 
雨の降る中、月曜日の朝、ダンナと大量の荷物を成田に送りだした。
ひとり空っぽになった車を運転して自宅帰ると、
さあ、ここからがいよいよひとり暮らしの本番だ。
 
先週は最後の荷物くくりのため、家中に衣類やら靴やら書類やらを撒き散らし
いったいこの家はどうなるのやらとジレジレして過ごしていたのだが、
ようやくその散らかし魔がマレーシアにいってくれたので、
この小さな城は我が手に収まった。
 
まだまだ散らかした残骸やら、頼まれものの書類など、
気にしだしたら相当量あるのだが、そこは片目をつぶって
いよいよ版画の摺りに取りかかることにした。
 
2点連作の新作『人を想う』と『孤を愉しむ』(仮題)
 
まず、月曜日の午後、早速、桜が水辺に漂う方から試し摺りに着手。
 
1ヶ月ほど前、いったん試し摺りをとったところ、彫り自体が気に入らず
2点とも大幅な彫り直しを敢行したので、
今回こそはと期するところ大。
 
続いて、同じ日に紅葉が舞い散る方も試し摺りをとった。
感触としてはこちらの方が雅な感じでいい作品になりそうな予感。
 
火曜日にどちらかから本摺りをする心づもりで、
まずは2作品分の和紙12枚をカットし、
内6枚を本摺りに向け水刷毛で湿らせ重しをして準備完了。
 
試し摺りをとった順番通り、桜の作品から水曜日に本摺り開始。
 
ひとり暮らしだから、何時に起きても自由、ご飯の心配もなしの自由を得、
目が覚めるがままに6時頃起きだし、
前の晩に大量に作ったおでんを温め直し、いくつかほおばっていざ出陣。
 
午後1時過ぎには6枚の本摺りを完了し、
水張りといって和紙にしわが寄らないようにボードに貼り付けた。
 
しかし、そこでふと作品をまじまじ見て、思った。
『なんか水紋がごちゃごちゃしていて気に入らない・・・』
 
「ほら~、ほらほら、また始まったよ~。
これ本摺りだよ、今更そんなこといわないでよ」と心の中でもうひとりの私が叫ぶ。
 
が、しかし、一度気に入らないと感じてしまった気持ちはもう無しには出来ない。
この自由の身がそうさせたのか、版画家としての意地かわからないが
とにかく、もう一度この桜の方の作品の版を微調整して、
本摺りを今一度とることになった。
(なったっていうけど、あんたが決めたんじゃん・・・)
 
さあ、そこからがひとり暮らしの恐ろしいところ。
 
和紙は少なくとも湿してから5時間ぐらいは間を置かないと
水が均一に染みこまないので摺り出すことが出来ない。
 
午後2時、新たに6枚の和紙に湿しを施し、
もう一度絵の具の調合をし、刻を待った。
 
1作分の本摺りを終えているので、十分体は疲れていて、腰がミシミシする。
使った後の絵の具や絵筆も大量に汚れたままそこにある。

次に本摺りを始められるまでの時間にいろいろしなければならない。
 
夕方の変な時間にお風呂に入り、
まだ6時なのにまたおでんを温め直して、お刺身と共に夕食。
汚れたアトリエと道具類をきれいにしてリセット完了。
 
何ごともなかったかのように午後7時、2回目の桜の本摺り開始。
夜中の12時半、体力と気力の限界を感じ、引退、じゃなくて就寝。
 
本日木曜日、幸いにも雨。(版画の摺りに雨は恵みの雨)
 
朝の連ドラを見終わり、夕べの続き開始。
10時半ぐらいに完成した水紋はイメージどおりの出来具合。
昨日のことはなかったことにして、気持ちも新たにもみじの方に移ることが出来る。
 
ここでリセットの意味もあり、
8時前に朝食をとったばかりというのに、11時に昼ご飯。
またまたおでんの残りを温め直し、あんぱんとみかんもほおばり、お腹を満たす。
 
更に完全に体を騙すために、ちょっとお昼寝。
 
30分ほど横になり、気持ちだけは完全復活を遂げ、アトリエに。
 
ばれんを持つ手がちょっとしびれているが気にしない。
首から肩が凝りで盛りあがっているが無視。
水の使いすぎで指がガサガサ、ばれんだこが赤く腫れて痛いが勲章勲章。
 
こんな風に版画家は自らの羽根を1本1本抜いては美しい錦の布を織ったとさ。
 てなイメージ。
 
そして、遂に夕飯の前には無事、もみじの方の6枚も本摺りを終えた。
こちらは一発オーケーで
今できることはすべて成し遂げたという感じ。
 
さすがにおでんは食べ飽きたので、
本日の夕飯は
豚のしょうが焼き、ブロッコリーのごまマヨネーズがけ、
とうふと鱈と白菜の水炊き、わかめと揚げのおみそ汁、香の物。
 
ようやく人間らしい生活に戻るメドがつき、メデタシメデタシ。
体重も1キロ減で、メデタシメデタシなのでした。


2014年11月30日日曜日

最後の晩餐

 
 
 
 
 
遂にダンナが明日の朝、マレーシアに向け出発する。
最後の週末ということで、家族4人揃ってのディナーに出掛けた。
 
長女が仕切って、土曜日の夜に
以前1回行ってとても美味しかった『シェ・フルール横濱』を予約した。
 
ダンナはやっぱり娘が何かしてくれるのは無条件に嬉しいらしく、
ニューヨークでも見せなかったようなご機嫌な表情で写真に収まっている。
 
上機嫌ついでに、食前酒に続いて、2本もワインを開け、
久しぶりに美味しい料理と楽しい会話に時を忘れた。
 
これで、明日からは4人が4人ともバラバラにひとり暮らしかと思うとちょっと切ないが
これも我が家の大きな岐路なんだと考えている。
 
人は出逢いと別れを繰り返し、人生を進んでいく。
今はちょうど新しい形態を模索してバラバラになるけれど
それぞれの置かれた場所で一生懸命生きることで
新たな出逢いもあるだろうし、
新たな道が拓けると信じたい。
 
冗談抜きで最近はダンナの笑顔の写真がなくて、
いざという時どうすりゃいいんだと思っていたが
「お父さん、いってらっしゃい」とチョコレートで書かれたプレートを前に
少し照れたような笑顔を見せていたので、
私はなんだか安心した。
 
4人4様、来年は新しい人生をと模索中。
 
「でも、核になっているのは家族でしょ」とばかりに
今度は次女の発案で幾枚かの写真が一度に飾れる写真立てを購入し
とれたてのファミリー写真やニューヨークの記念写真などを盛り込み
プレゼントした。
 
スーツケースの真ん中にそれを偲ばせ、
クアラルンプールについたら、自室の机に飾ってくれることだろう。
 
18年前、ダンナだけが大阪に転勤になり、
女性軍はシンガポールに残ることになった時も、
同じプレゼントをしたことがある。
 
その時は私が写真立てを作り、引越荷物の布団の間に偲ばせ、荷物を出した。
 
こんな風に思い出作りも子どもの代に受け継がれ、
時は流れていく。
 
明日、成田空港にダンナを送り届けたら、
木版を彫ったり摺ったりの折々に、
今日の写真立てのことやディナーの時の笑顔を思い出すだろう。
 
私は父譲りの無類の写真好きなのだが、
写真は紙に焼いて写真立てに入れたり、アルバムにまとめてこそ、
思い出として定着するような気がしてならないのだ。
 
さて、しかし、その前に段ボール大箱2つ、大スーツケース1個
ゴルフバッグ、機内持ち込み手荷物限界のバッグ1個
こいつをダンナと共に成田まで運ぶという大仕事が明日、待っている。
やれやれ・・・。

2014年11月27日木曜日

ひとり暮らしにカウントダウン

 
 
 
ダンナが御年64歳10ヶ月にして再就職を決め、
マレーシアに飛び立つ日がいよいよ迫ってきた。
 
9月にその話が本決まりになり、自動車関連の工場を経営する会社の
現地社長という名目を得て、
ようやく長きにわたったプー太郎生活に終止符を打つ。
 
武士は食わねど高楊枝を決め込んでいた人生に一大転機を迎え、
ニューヨーク旅行の前後からにわかに現役復帰に向け動きが慌ただしくなり、
大阪本社に飛んだり、クアラルンプールに飛んだり、
また、大阪本社に戻されたり、ちょっとだけ家に戻ってはまた大阪に行ったりしていた。
 
が、遂に来週の月曜日の朝、クアラルンプールに向け機上の人となる。
 
夕べの最終の新幹線で、出発直前、横浜に戻ってきたのを、
私は運転手として新横浜駅までお出迎えし、
今日はダンナは国際免許への書き換えやら、
引越荷物をくくるための段ボールその他を買いにあちこち行ったらしい。
 
結局、
しがない中小企業の現地社長さんがそうそう優遇されるはずもなく、
以前の海外転勤の時の概念を度々くつがえされる厳しい門出になりそうだ。
 
ここ数年、趣味としてきた自転車とヨットも当分はお預け状態で
邪魔くさいことに2台の自転車は家の中に置いていかざるを得ないらしい。
 
幸いヨットは家の中にはないから、かなり増えたウエアが残るぐらいだが、
今回は「包丁1本さらしにまいて~♪」な感じで
最低限の身の回りの衣類や鍋釜とゴルフバックを
許容限度の90㌔目指して荷造りし、自力で運び込むという。
 
ヤレヤレ、初老の体にむち打って、ご苦労様。
 
送りだす私としては
今夜は家にストックされている大量のワインを少しでも消費するため
久々に豪華ディナーを作ってみた。
 
ひとりで食べる夕飯にここまで大量の料理は作らないし、
ワインもひとりでは飲まないから、週末まで限定の大盤振る舞いだ。
 
「鯛のグリル イタリアントマトソース添え」
「スパイシーミートパイ」
「季節野菜の甘酢漬け」
「ボストン土産のチーズ 6穀クラッカー添え」
「サクサクシナモンパイスティック」
「くるみとアーモンドとミックスベリーのオートミールクッキー」
 
こりゃ、これだけ食べて痩せろという方が無理。
 
独り身になったら絶食するぞ~。
あらためて、そう、かたく誓った私である。

2014年11月19日水曜日

諸行無常の秋

高倉健さんが亡くなった。
 
義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界。
 
今どきはものごとを決める時に義理と人情を秤にかけるなんてことはせず、
欲得勘定で動く人がほとんどのような気がするが、
高倉健という人は
義理を大切にするだけでなく、人情にも厚い人だったらしい。
 
寡黙で頑固でストイックでけれど心根は優しい。
そんな日本男児のあこがれが、またひとつ消えてしまった。
 
今朝はどこのテレビも新聞も
「ひとつの時代が終わった」とさかんに特集番組を組んで、その死を悼んでいた。
 
諸行無常とはお釈迦様の言葉で
「ものごとには永遠に続くものなどひとつもない」という意味だが
今日の健さんのニュースでも同じことを感じた。
 
さて、その諸行無常は私の身の回りでも起こっている。
 
私が参加している『紫陽花展』という女性9名のグループ展は
今年の6月に15回の記念展を行った。
 
最初はギャラリーヨコハマという画廊のオーナーがかき集めた
女流画家の寄せ集めのグループ展だったが、
それがなかなかいい感じにまとまって、
もめ事などもなく10年経ったところで、当初の画廊が閉鎖になった。
 
ここでこのグループもこれまでかと思いきや、
岩崎ミュージアムという別の画廊が企画展として引き継いでくださり、
15回展を迎えるにいたったというわけである。
 
その記念展に際し、私が
「20回展を目指して、鋭意努力するので応援よろしく」みたいなことを
挨拶文に書いて、機関紙に載せてもらったのだが、
こともあろうか
「画廊の形態が少し変わるので、企画展は今年で・・・」との申し出があり、
あえなくここでの展覧会開催が終了してしまった。
 
と同時にメンバー9名の内、2名が脱退。
他に3名ほどが「じゃあ、私も辞めようかしら」みたいなことを言い出した。
 
「はぁ?何なんだ、てめえら!」
と語気が荒くなりそうなのをグッとこらえ、
とりあえず、関内駅前の別の画廊を来年6月に押さえ、
年末の忘年会で、冷静に今後の事を話し合うことになった。
 
そして、忘年会の日にちが迫ってきた昨日、
その中の辞めない表明をしているひとりから連絡が入った。
「忘年会はどこでやるんですか?」
 
「もちろんいつもの荔香尊酒家よ~」と返すと
「荔香尊酒家、閉店したみたいですよ」と予想もしない情報が・・・。
 
ここの中国人社長さんとはすっかり仲良しになり、
毎年4月始めにミーティング、6月終わりに打ちあげ、12月に忘年会と
年3回、私たちだけの特別メニューでコース料理を楽しんできた。
 
今年の6月24日も同様、15回展の打ちあげをしたのだが
そこで2名の脱退が正式決定し、更には3名がぐずぐず言い出した。
あわや紫陽花展もこれまでかと、諸行無常を実感したのは正にこの時だったが
まさかその1週間後にレストラン自体が閉店していたとは・・・。
 
昨日、閉店を知らせてくれた友人にこうメールを送った。
「岩崎での展覧会も終わり、常用のレストランも同時に閉店。
ああ~、世の中、諸行無常ですね」と。
 
すると友人からこう返事が返ってきた。
「ならば、ガツっと新しいページをめくっちゃいましょう!!」
 
彼女のしとやかなイメージをぶちこわすような「ガツっ」という表現に
「ものみなすべて、諸行無常~」などと
ウダウダ・めそめそしていた私もパワーをもらった気がした。
 
そうか、ガツっと新しいページかぁ。
 
還暦を迎え、リボーンとかいっておきながら
ひとつひとつなくなっていくものや変わっていくものに対し、
ウエットに後ろ髪引かれていることに気づかせ、
「ホラホラ、前を向こうよ」と背中を押してくれた気がする。
 
男も義理と人情を秤にかけた時代は終わり、
女もガツっと新しい道をゆく。

いいですねェ。
 
ということで、これからもよろしく!

2014年11月18日火曜日

子育て支援イベント 大収穫

 
 
 
 
 
 
子育て支援のため参加しているグループでは毎月1回
保育室やワーカーといって子育て支援のメンバーを知ってもらうため
イベントを行っている。
 
今月はもうすぐクリスマスということもあり、昨年に引き続き
『クリスマスのためのお料理教室』が開かれた。
 
講師は僭越ながらわたくし。
 
メニューは『鶏手羽元のトマト煮込み』と『ポテトサラダのスモークサーモン山』
 
そのほとんどを子育て支援グループの母体である生協の食材やら
調味料を使って、その良さや味を知っていただくのが最初の目的だ。
 
また、保育室の利用や派遣での子育て支援というありかたなどを
料理教室の合間にお話ししながら、利用に繋がればというのが
本当の目的だ。
 
今日は4組の参加があったが、1歳半のお子さんを連れてこられた1組以外は
すでに小学生のお子さんがいるミドルエイジのママさんふたりと
その内のおひとりのお母さんという
一見、子育て支援とは無縁の方々に思えた。
 
しかし、1歳半のママは上に3歳のお姉ちゃんがいる上に
4月には3人目のお子さんが生まれる予定という
我が子育て支援が金のわらじで探していたような人だった。
 
わたしは内心「このママこそが本日のターゲット」と密かに思ったが
そんなことはおくびにも出さす
極普通に料理教室は始まった。
 
料理教室自体はこの場所がどういう場所かという説明に始まり
要所要所で食材や子育て支援の内容にふれながらも和やかに進んでいった。
 
2時間の予定時間ぴったりに2品のお料理が出来あがり、
ガスコンロや鍋釜の類を片付け、グリーンのクロスやお花などを飾り付け
いよいよ試食タイムへ。
 
実際にスモークサーモンや鶏肉がいかにその辺のスーパーとは違うかということや
ケチャップやマヨネーズなどの添加物のないクリアな味を知っていただくことで
まずは親子で参加の方から生協への加入があり、
あれもこれもの注文が相次いだ。
 
他のふたりもその空気に押されたのか
入会に関する質問や子育て支援を受けるために必要なことのお訊ねがあり
あれよあれよと話が段取りよく進んだ。
 
いつもの月1イベントでは、アンケート用紙に
「イベント、楽しかったです。また参加したいと思いました」みたいな好感触ながら
生協加入や子育て支援利用にはつながらないといった結果が続いていたので、
3組の生協加入を確定し、1組の子育て支援の登録があり、
参加者全員を送りだした後もメンバーのテンションはかなり上がった状態だった。
 
コミュニケーションスキルの講師の実践という意味合いもあった私の面子も保たれ、
やれやれホッとしたという1日だった。
 
ひとりひとりの料理のスキルに応じて、作業を割り振りながら、
おいしい料理をつつがなく作る。
その間に、それぞれのニーズを探り出し、
それに合わせて営業するという
かなり難易度の高いコミュニケーションが要求されたが、
なんとか無事、契約締結。
 
結果、たぶん4組の加入をGet出来そうなので、大成功といっていいだろう。
 
やはりFACE TO FACEで話しながら、
実際のものを見たり聴いたり食べたりと五感で判断していただくのが
1番強いと実感する。
 
わたしとしては、家中の鍋釜を総動員し、
注文した以外の食材や調味料を相当、ドネーションしたけど、
良さを分かってもらえたならば、それで十分。
 
イベント主宰者冥利に尽きる「世は満足じゃ」な1日であった。

2014年11月13日木曜日

石田泰尚の追っかけママと共に

 
 
 
バイオリニストの石田泰尚にどっぷりはまって、追っかけをやっている友人に誘われ
『トリオ・リベルタ』のコンサートに行って来た。
 
石田泰尚に関しては、私も初心者ではなく
これまでにも何回も別の友人と聴きに行っているのだが、
今日の友人が数年前から熱狂的に追いかけていることを最近知って、
お供させてもらった。
 
今日のトリオ・リベルタは
石田泰尚のバイオリン・中岡太志のピアノ・松原孝政のサックスという組み合わせで
主にはピアソラの曲を演奏することで注目を浴びてきた。
 
数年前、このトリオの演奏を初めて聴いた時は
リベルタンゴに代表されるその演奏にすっかり魅了され、私も即CDを買い求めた。
 
版画の彫りの作業の時などにかけると、その魅惑的な演奏にわくわくし
体の中からパッションが湧き上がってくるのを感じたものだが、
さて、今日のリベルタは
新しい方向性を模索中とかで
なんと『フランス』がテーマで、
『オーシャンゼリゼ』だの『パリの空の下』なんていう曲目がずらり。
 
シャンソンだ、フランス映画音楽だ、ポール・モーリアだのも
悪くはないのだが、観客はやっぱり彼らのピアソラお目当てなのは間違いない。
 
結局、アンコールの『りベル・タンゴ』の拍手が一番大きかったのは
ちょっと皮肉だ。
 
石田様(私たちはそう読んでいる)の真骨頂は
そのとんがった容姿と細身の体から溢れ出る繊細かつ狂おしい演奏にあるのだが
それはやっぱりピアソラの曲と演奏にこそ現れる気がしている。
 
追っかけの友人もちょっと違う方向に行こうとしているこのトリオでの
石田様から少し距離を置くつもりのようだが、
石田様のコンサートは他にもいろいろなバージョンで予定されているので
追っかけをやめるということではないらしい。
 
私も「別のパターンの石田様のコンサートの時にまた誘ってね」と約束して
家路についたのだが、
今日の会場にいた熱狂的ファンのおば様達は今日の演奏をどう受け止めたのか
ちょっと訊いてみたい気がする。
 
もちろん、ちゃんと楽しかったし、いつ観ても石田様はステキとは思うし、
今日は会場の外で石田様のお母さんという女性も見られた。
(石田様にそっくり過ぎて、思わず吹き出した。彼はマザコンかも・・・)
 
また、サックスの松原さんの演奏のキレが格段によくなっていて
とてもうまくなっていることにも驚いた。
 
そんな収穫もありつつ、
やっぱり、もっと狂おしい石田様を見せて見せて~という
おば様の正直な気持ちはつのるばかりなので、
またまた、別バージョンの石田様を追いかける
というのが追っかけの心理なのだろう。
 


2014年11月11日火曜日

お外で子育て支援

 
 
私が参加している子育て支援のグループでは保育室での預かりの他に
派遣といって、依頼者のお宅に伺って
見守りをしたり、家事や調理をしたりという形で
ママ支援をしている。
 
担当しているお子さんのところは主には派遣でお宅に伺い、
料理好きの私に合わせて、調理をしてくることが多い。
 
しかし、今日は珍しく3年生の男の子を外に連れだして遊んで欲しいという依頼で
『よこはま こども宇宙科学館』という場所で4時間ほど過ごしてきた。
 
ここは20数年前、初めて横浜に越してきた頃、
小学校低学年と幼稚園児だった娘達を連れ、来たことがある。
 
その時の記憶では静電気を起こす機械や
何かの実験みたいなブースがいくつかあって、
いってみればでんじろうさんの教えるような不思議な化学の世界という感じだった。
 
いつのまにか宇宙科学館という名前になっていて
宇宙の神秘や太陽と惑星、宇宙船の中みたいな内容になっているのかと思ったが
行ってみたら、宇宙にまつわるものばかりでなく
重力・風力・光と色など、すごく多岐にわたる内容でビックリした。
 
すべてのブースが実際に子供達が試して遊べたり
ゲーム感覚で操作できるように出来ていて
どこかで子どもの興味を引き出せるように工夫されている。
 
一緒にいった3年生もおもしろがって何度もトライするコーナーと
飽きてすぐやめてしまうコーナーがあり、
宇宙船の操作みたいなものは苦手だけど
ロボットの出すクイズには全問正解など、得意不得意が出る。
 
新作の版画の試し摺りが全然うまくいっていなくて、
気持ちはそちらにどっぷり取りかかっていたいけれど、
3年生のママもいま大事な試験を控えていて、勝負の時だ。
 
我が家の妙齢の娘達は孫はおろか、結婚の気配すらないが、
孫というのとも違うけれど、子どもでもない
9才の男の子の目線で、宇宙科学の世界をみるのも悪くない。
 
今日は併設のプラネタリウムにはいかなかったが、
このぐらいの子供達に
宇宙や重力や光などを理解させるために作られた展示やゲームから興味が芽生えて、
科学者が出たり、宇宙飛行士にあこがれたりして
将来の方向が見出せたらステキだなと思う。
 
残念ながら20数年前の我が娘達には
ここで琴線にふれる何かは見つからなかったのかもしれないが、
9才男子、
何か気になるものはあったかな?
 
私はもう50才若かったら、宇宙船の操縦士になってみたいなぁ・・・。
 


2014年11月7日金曜日

戻ってきた版画家生活

 
 
 
 
今日は暦の上では『立冬』
早くも冬の訪れである。
 
それにしては横浜は温かで、日中、ジャケットを着て外に出たら暑いぐらいだった。
 
この季節、毎年、我が絵画教室ではカレンダー用の作品が追い込みに入る。
私もカレンダーメンバーのひとりとして作品を創らなければならないのだが
今年の担当は3~4月。
 
水の流れに散った桜が漂っている様を笹舟と共に描いた作品を
夏の終わりに作画し、すでに彫り終えている。
 
今日はニューヨーク旅行でいったん途切れた版画制作の感を取り戻すため、
その小品の摺りをするところから始めることにした。
 
昨日、試し摺りをとり、ほぼほぼいい感じに彫れていたので、
多少の修正を施した後、本摺り用の和紙を湿しておいた。
 
なので、今朝は朝イチから本摺りに着手。
無事、12枚を摺り終え、スムーズに感を取り戻すことが出来た。
 
ニューヨークに行く直前まで
このカレンダーの水紋に着想を得て創っていた新作の彫りをしていたので、
間をみて、いよいよこちらの試し摺りと本摺りにも取りかかれそうだ。
 
バレエダンサーのように1日サボったら自分に分かり、
3日サボったら周囲にも分かるというほどではないが、
約1ヶ月のブランクはあんがい大きく、
小品から試して肩慣らししないと、思わぬ失敗をすることがある。
 
今回の水紋は長いこと版画を創ってきたけど
はじめて表現した題材だったので、
その彫りの出来具合に満足できるかできないかは重要事項だった。
そういう意味では、まずは一安心というところ。
 
ダンナが大阪に発って1週間。
ひとり暮らしで使い放題の自分の時間を楽しみながら
せいぜい創作に精を出そうと思う。
 
夕方、最寄り駅のデパートで
来年の手帳と新しい5年日記を買い求めた。
(年末で今の5年日記が終わるため)
 
少し吟味して、そのうち可愛い猫のカレンダーも買うつもり。
 
2014年の立冬の日に
早くも2015年の手帳と日記を手に入れ、
月日の流れの速さに驚きつつ、今年1年を回想した。
 
総持寺で豆まきしたあの日から今日まで
我が家は家族それぞれが変革の年だったなと感慨深い。
とりわけ大きな変革の真っ最中のダンナと次女が
新しい新天地にしっかり着地して活躍してほしいなと願っている。
 
さて、還暦の私はどうする。
 
個展まで半年、
ここが正念場と頑張るしかあるまい。
 
あ~ぁ、光陰矢のごとし。
しかも、秋の陽はつるべ落とし。
5時で早、真っ暗だ~。
 
ゆっくりお風呂に入って、
友人にもらったラベンダーの香りのパックしよ~っと。


2014年10月31日金曜日

鎌倉で旧交を温める

 
 
アメリカから帰国して1週間。
時差ボケと戦いながら、毎日1本ずつブログをアップしてきたが
その間にもいろいろ出来事は起きていた。
 
そのひとつが中学・高校の時の同窓会だ。
5日前の日曜日、『還暦祝賀会』と題された特別な同窓会は
芝の東京プリンスホテルで行われ、
卒業生の約3分の1の出席を得て、にぎやかに執り行われた。
 
私も例によってキモノを着込み、いそいそと出掛けたのだが
親友も北海道の札幌から上京し参加していた。
彼女は律儀にも真っ赤なカーディガンを着て、
『還暦祝賀会』という主旨に添ったドレスコードを遵守して駆けつけた。
 
しかし、実際には90名ちかくの参加者の中で赤い洋服を着てきたのは2人だけで
「還暦といえば赤いちゃんちゃんこ」といった定説は
もはや伝説になろうとしているらしい。
 
逆にいつもは本当の少数派だったキモノは今回は10名ちかくいて
みんなキモノを楽しむ、そんな熟女の年齢になったんだと感慨深かった。
 
さて、今日はそんな律儀な友人と連れだって鎌倉に行って来た。
 
彼女が北海道から東京のご実家にでてくるのは年に1度ぐらいのものなので、
この期を逃すとまたしばらく逢えなくなる。
そこで同窓会で会うだけでなく、
ふたりだけでも会って、たくさんおしゃべりしようということになった。
 
彼女とは中学・高校の6年間のうち、5年間は同じクラスだったので、
その後の進路はまったく違うし、彼女が北海道に嫁にいってしまった段階で
本当に会えない中になってしまったのだが、
何十年ブランクがあっても、再会すれば、何の違和感もなくおしゃべりできるのが
思春期の友人のいいところだ。
 
北鎌倉のレストランで今流行の和モダンフレンチをいただき2時間半、
鎌倉に出て、段葛や小町通りを抜け、八幡様にお参りをしながら2時間、
最後にどうしても食べて欲しかった甘味処『雲母』の白玉クリームあんみつを
食べながら1時間、
歩きながら、食べながら、ニューヨークの写真集を眺めながら
つきることなくおしゃべりして楽しい時間は過ぎていった。
 
何かと似ているところのあるふたり、
今回も同じダウンジャケットを持っている話や
ダンナがお互いアジアに単身赴任になった話など
いくつか共通点を見出しては不思議なご縁を再確認した。
 
疎遠になったり、再会したり、
いつもはそばにいなくても、
会えばすぐまた打ち解けられる昔の友人はいいものだ。
 
旧交を温め、ほっこり和んだ鎌倉の1日だった。

2014年10月30日木曜日

アメリカ旅行記 その7 肉食のニューヨーク シーフードのボストン

 
アメリカ旅行記最後はまとめとして
ニューヨークとボストンの全体的イメージの差を書いてみようと思う。
 
上の写真はニューヨーク、メトロポリタン美術館のカフェテリアで
最初にとったランチの時のハンバーガーである。
 
比較する物が大きめのジュースのビンなので、
さほど大きいバーガーに見えないかもしれないが
ひとくちでかぶりついても具に達しない厚みがある。
 
ハンバーガーとツナサンドとミートローフサンドを各1ずつ買ってみたが
いずれも約12ドルなので、日本円で1300円ほどする。
 
それをダンナはスープのついたセットにしたからバーガーとスープで1900円。
女ふたりはセットにはしなかったが、ジュースを頼んだので
3人のバーガーランチの値段が税金も足すと
合計で6000円ぐらいになって、本当にビックリした。
 
アメリカの物価の高さに目を白黒させたのが
このランチだったのは記憶に新しい。
 
他の食品も推して知るべし。
 
例えばエビアンの水2㍑ボトルは1本4,5ドルだから、約500円。
ディナーの時、レストランで食事をしたときは4~5万円だった。
同じようなランクの日本の食事と比較すると相当高い印象だ。
 
ニューヨークといえば、ハンバーガー、もしくはステーキディナーというのが
素人の私が考えるイメージだが、
実際、街にはハンバーガーショップや屋台、デリがいたるところにあった。
 
ステーキレストランもきっと多いと思うが、
ニューヨークでシーフードをウリにしているという店の看板は記憶にない。
 
全般に何でも大量に購入し、大いに消費し、大いに余ったりゴミが出るが、
よく分別もせず、簡単に大量廃棄する。
それがニューヨークの印象だ。
 
細かいことは気にせず、合理的というか大ざっぱというか
どんな種類のバーガーも均一料金だし、
地下鉄も1駅乗っても全線乗っても均一の300円ぐらい。
 
ちょっと乗るだけだとすごく高く感じるので
ならば歩いてしまおうとするから、結局、歩いて歩いて歩き倒すことになる。
 
文化面もその『どんなもんだい』という、これでもかという徹底ぶりは凄いものがある。
 
ひとつの美術館や博物館の規模、作品の収蔵数などは
日本の美術館の5舘分ぐらいは優にある。
 
お得感もあるけど、1回では回りきれない量なので
しみじみ楽しめないので、ちょっともったいない。
 
一番凄いなと思ったのはやっぱりエンターテイメントの分野で
ミュージカルもバレエもパフォーマンスの迫力と完成度が素晴らしく
3晩連続で観ることが出来、本当に楽しくて幸せだった。
 
一方、ニューヨークの肉食人種に比べ、
ボストンは草食ではなく、シーフード人種である。
 
ボストンのマスコットはロブスター。
 
ホテル近くの巨大スーパーの魚売り場にはどどーんとサーモンや
ホタテ、海老、名前のわからない大ぶりの白身魚の半身などが
5メートル以上あるショーケースの中で売られている。
 
私も2晩目はレモンマリネされているサーモンを買って
ホテルのミニキッチンで調理して食べたが
日本の1切れの倍ぐらいあって、食べ応えのあるおいしいサーモンだった。

 
ボストン最後の夜はこの旅行最後の夜でもあったので
ボストンでもっとも予約の取りにくいといわれている
オイスターバー・レストランの予約をして、シーフードディナーを楽しんだ。
 
写真はアペタイザーとして注文した地域のちがう2種類の生カキと
とてもシュリンプなんて可愛くは呼べないブリブリのシュリンプである。

 
その後、メインにロブスターを頼んでみたが、こちらは値段の割りには
「あら、こんなもの?」という大きさだったのだが
もしかしたらアメリカ滞在中に大きなバーガーだのステーキだのを見過ぎて
正常な大きさのものを見ても大きくは感じない感覚マヒに陥っていたのかも。
 
文化面でのボストンは
ハーバード大学とボストン美術館しか見ていないので
いかにも高尚、かつ、上品なイメージしかない。
 
ボストン美術館は
ニューヨークのメトロポリタン美術館と狙っている路線は似ているので比較すると
規模はだいぶ小さくなるが、展示物の見せ方が凝っていて
一部屋一部屋、その展示物のテーマに合わせて壁の色を違えたり
照明のあて方を工夫したりと
学芸員のコンセプトと探求心の深さを見る思いがした。
 
特別展でやっていたGOYA展もとても素晴らしく、見応えがあったし
展示方法もよかった。
また、日本文化、中国文化など国別の文化紹介的展示も凝っていて
1箇所でいくつもの展覧会を観たようで、とてもお得感があった。
 
エンターテイメントは何も観なかったので何とも言えないし、
きっとそちらはミュージカルの看板の文言から類推するに
あくまでもボストンは地方都市なんだろう。
 
「ニューヨークから巡回してきているから見逃すな」みたいな感じだった。
 
しかし、シーフード好きのややおとなしい感のあるボストンだが
スイーツのこてこてだけはニューヨークに負けず劣らす。
写真のようにアイスクリームにもケーキにもリンゴにも
これでもかとチョコやグミがへばりついている。

 
次女がアイスクリームを買ってみたが
日本ではトッピングとしてスプレーチョコをのせるが
ボストンではアイスクリームをカップに入れ、いきなりカップを逆さまにして
ガバッとm&m’sのチョコとグミをつく限りいっぱい、くっつけてくれた。
(これはトッピングじゃないよね)
 
これじゃあ、あの巨大なお尻になるのもそう遠くない。
そう思わせる大胆なアイスクリームを食べながら、
「やっぱりボストンもアメリカはアメリカだ」と思ったとか・・・。

いろいろな意味でアメリカはカルチャーショックの大きな国だったし、
インスパイヤーされることもたくさんあったが、
逆に日本ていいなぁと再確認した部分も大きかった気がする。
 
憧れのアメリカ、
早く行きたかったニューヨーク、
予想外にステキな街ボストン、
ようやく叶ったアメリカ旅行の余韻を楽しみながら、
また、いつもの日常にもどろうと思う。
 
 
ここまでおつきあいくださいまして、ありがとうございます。
おやすみなさ~い。
明日からも頑張りま~す!


2014年10月29日水曜日

アメリカ旅行記 その6 クラシックな街ボストン

 


 
 
 
6日間のニューヨーク滞在を無事終え、7日目に私たちはボストンに向かった。
国内線で1時間半、ニューヨークとは雰囲気のまったく異なる街に降り立った。
 
ニューヨークはどこもエネルギーと騒音であふれ雑然とした印象だったが
ボストンは人の数がまず圧倒的に少なく、
空気そのものが清浄な感じで、静かな街だった。
 
気温もぐっと下がり、
日本から持ってきた衣類が厚物過ぎて、ことごとく失敗だったかと思っていたが、
ようやくここへ来て、秋らしいひんやりした気温になり活躍しそうだ。
 
ニューヨークは地の利を一番に考えた繁華街のど真ん中のホテルだったが
ボストンはボストン美術館にほど近い
ミニキッチンがついたアパート形式のホテルにしたという。
 
ニューヨークに関しては膝をのりだして自己主張したが、
ボストンはダンナのオススメだったので、私はおとなしくお任せすることにした。
 
というわけで何の予習もせず、さして期待もせず、
事前に『地球の歩き方』の『ボストン編』を買っただけでやってきてしまったが
想像以上に美しく、煉瓦作りの建物や道にすっかり魅了されてしまった。
 
住むとしたら完全にボストンに軍配があがると思うほど、
静かで穏やかで美しい、クラシックなたたずまいの街だ。
 
そこで出会った人々もニューヨークの人達のように常にテンション高く
ジョークを飛ばし続けるわけではなく、
普通のテンションで話し、穏やかな様子だ。
 
カフェオレ1杯飲んでいる間中、何回も
「どお?楽しんでる?」と訊かれることもなく
かといって、ぶっきらぼうなわけでもなく、礼儀正しい感じ。
 
街の雰囲気といい、人の印象といい、ちょっと別の国みたいだ。
 
ボストンはアメリカ独立の舞台になった歴史のある古い街なので、
好天に恵まれた2日目は、歴史地区まで電車ででかけ散策した。
 
煉瓦作りの家々に紅葉した並木道。
落ち葉が公園の歩道に散って、歩くとかさこそ音を立てる。
 
ボストン最古の教会オールドノース教会や、1600年代に作られたコップスヒル墓地。
バンカーヒルの戦いを記念して建てられたオベリスク・バンカーヒル記念塔に
マサチューセッツ州最古のレストランなど
繁栄のアメリカの礎ともいえる地区を修学旅行生のような気分で見学し
最古のレストランでは「トラディショナル・バーガー」と食べたのであった。
 
そして、更に電車を乗り継ぎ、ハーバード大学まで行ったのだが
その校内の広大なこと。
 
駅前は学園都市らしくレンタサイクルがずらり並んでおり、
お店はハーバード大学のブックショップや生協、
他には学生が利用するレストランなど
あのネオン看板に埋め尽くされたニューヨーク・タイムズスクエア界隈とは
まるで違う。
 
学生でない一般の人や観光客も出入りは自由にできるので
その広い校内を散策し、どんぐり集めにいそがしいリスを横目に
「こういうところで勉強する人が、世界をリードする頭脳の持ち主なのね」と
想像の翼を拡げた。
 
帰りにはせめてもう少し頭がよくなりますようにと
ハーバード大学の紋章が入ったペンを購入。
さすがに今更、この歳で紋章いりTシャツは着られないですからね。
 
このアメリカ行き。
ニューヨークとまったく違うボストンも行くことにして、大正解。
 
東京だけ見て帰るのではなく、京都にもおいでやすというあたりか?