2019年11月25日月曜日

高麗茶碗の展覧会

 
 
 
 
 
 
 
日本橋にある三井記念美術館で行われている
「茶の湯の名椀  高麗茶碗」という展覧会に
陶芸のメンバーと観に行って来た。
 
茶の湯の名椀というから、
お茶歴40年の自分には
必要な展覧会だろうと勢い込んで向かったのだが、
主に16世紀に造られた高麗茶椀は
その小ささや平たい形から
茶筅を使うには難しいものも多く、
今の茶道とはダイレクトに関係はないように感じた。
 
解説には 
高麗茶椀、つまり、朝鮮半島で創られた日常雑器としての器を
侘び茶の茶碗として見立て使いすることが、
室町時代末期から桃山時代にかけて流行したとある。
 
その後、日本向けに焼かれた茶の湯の茶碗というものもあって、
高麗茶椀といっても、
大きくふたつの流れに分かれるらしい。
 
茶道の祖・千利休さんはもっと後の時代の人なので、
高麗茶椀を見立て使いしたというより、
茶の湯に使いたいからこんな形にと
注文したのであろうか・・・。
 
それにしても、この展覧会、
三井記念美術館の館内には
見事に茶碗しか展示されておらず、
その数100個ぐらいあったかもしれない。
 
それもいわゆる楽茶碗とか京焼の華やかなものなどは一切なく、
ほとんどが飴色の釉薬がかかった無地の茶碗ばかり。
解説には「枇杷色の釉薬」と書かれていたが、
要は写真のような黄土色の茶碗ばかりだ。
 
その形によって
大井戸茶碗・三島茶碗・御所丸茶碗・粉引茶碗などに分かれ、
いずれもピアノ線で支えられ
決して倒れたりしないように
ひとつずつ恭しく展示されている。
 
そもそも年代物のエレベーターで三井の本館7階まで
上っている最中から
「ちょっといつもとは違うぞ」という空気に包まれ、
なんだか厳粛な気分になる。
 
会場に来て拝観している人も
上野の美術館にがやがや並んで、
ざわざわ見ている人達とは
ちと人種が違う。
 
私はエレベーターを降りたところで、
会場入口あたりに陶芸工房のメンバーの顔を見つけたので、
手を振り、駆け寄って、
「お久しぶり~。今日はよろしくお願いします。
先生はまだお見えじゃないんですね」などと
話しただけで、
受付の女性が飛んできて、
「他のお客様のご迷惑になりますので、
もう少し声のトーンを落としてください」と注意されてしまった。
 
以後、私達9名はものもいわず、
ひとつひとつ高麗茶椀をためつすがめつ、
上から覗き込んだり、
横からのシルエットを確かめたりして、
しずしずと進んだ。
 
最後の方は、もうどれを見ても同じ、
そう感じたのは私だけではないはずだ。
 
そうしたものに、やれ誰それの「箱書き」だ、
所有者は誰から誰へと渡った名椀だと
大騒ぎしているのだが、
元はといえば日常雑器だったのにと、
どれも大して見分けがつかない素人はあきれ顔だ。
 
展覧会を見終わった私達一行は
生暖かい夕暮れの日本橋を歩いて、
高島屋の新館にあるイタリアンで親睦ディナー。
 
台風襲来でうやむやになった陶芸の展示会の話や、
高麗茶椀についてのご高説を先生から聴きながら、
ホテルの朝食のようなバイキングメニューを
お皿に取り、
後はひたすら飲み放題のアルコールをあおった。
 
私自身は「石田組」のコンサートと重なって、
参加しなかった展示会後の講評会で、
先生が今年の私の展示を高く評価していたと知り、
少しビックリした。
 
陶芸はあくまで趣味だし、
ろくろは全く上手にならないし、
てびねりの器だからいつまでも素人臭いしと思っていたのだが、
意外に萩原季満野の世界観は確立しているらしい。
 
そろそろ陶芸も引き際かと思っていたが、
もう少し粘ってみるかと、
心が揺れた。
 
ひとつのことを始めたら
10年が最低の基準だとは思っていたが、
震災の年のお正月明けから始めた陶芸の世界。
 
ひたすら似たような茶碗を見ていると、
「もうどうでもいいわ」と思ってしまうようでは、
まだまだ修行が足りないに違いない。

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