2016年4月7日木曜日

「そうだ 京都、行こう。」満開的中!

 
 
 
 
 
 
今日は横浜にも京都にも雨が降っている。
きっと、この雨で満開の桜は散ってしまうだろう。
 
そんなはかなくも美しい日本の花『桜』を求めて、
昨日一昨日の2日間、友人と京都に行ってきた。
 
京都の桜を愛でるため旅したのは、今回で3回目なのだが、
前回は自分の版画の展覧会の会期をからめたため、
4月10~12日までの日程だった。
 
その時はソメイヨシノの見頃は終わっていて、
しかし、平安神宮の紅しだれ桜や仁和寺の御室桜など
遅めに咲く桜の満開にドンピシャ当たって、それはそれは美しかった。
 
今回は日程を4月4~5日と少し早め、
ソメイヨシノの見頃を狙って、2月には申し込み、楽しみにしていた。
 
しかし、暖冬のはずが3月に真冬並みに寒くなったり、冷たい雨が降ったりして、
開花時期も予想とずれたし、開花しても寒さで足踏みして、
いったいどうなることやらと気を揉んだ。
 
あとは運を天に任せて、出発を待っていたのだが、
あけてみれば、前日の雨もからりと上がり、
京都は22度、薄曇りの風もない穏やかなお天気。
 
そして、ソメイヨシノは見事に満開!
 
京都の町は寺社仏閣のお庭はもとより、
鴨川沿いも公園も個人のお宅のお庭もソメイヨシノでピンク一色。
 
京都ほど桜の種類が多いところはないと聞いていたけど、
ソメイヨシノの本数は圧倒的で、それが一斉に咲き誇る様は
極楽浄土かしらと思うほど。
 
ただ、極楽浄土には人・人、また、人が押し寄せているのも事実で、
とりわけ、中国語とハングルはどこにいってもかしましく聞こえてくる。
 
どこでそんなマニアックな情報を調べたのかと驚くほどに、
小さなお寺も夜景の桜も、キモノレンタルも、外国人に席巻されていた。
 
それが今回のお花見旅行でビックリしたことだが、
やっぱりそれにも増して驚いたのが、
京都の桜の見事さだった。
 
とりわけ美しかったのは
醍醐寺にある霊宝館のお庭の『白山大手まり』という
くす玉のように花が咲く濃い目ピンクの桜。
 
前回、醍醐寺で偶然にみつけ感動した桜だったが、
今回も満開の時期に見ることが出来、やっぱりその美しさと豪華さに圧倒された。
 
前回は昼間に行った二条城は、今回は夜、ライトアップされたものを観たのだが、
これまた、素晴らしかった。
 
お城の堀にもライトアップがなされていて、
桜はもちろん美しいが、城壁には水面の揺らぎが映し出されて、何とも幻想的。
水と桜が合わさると一服の絵のようという表現があるが、
正にベスト・コンビネーションで、風情を感じる。
 
かの有名な円山公園の1本桜も夕食前の夕方に観た姿と
食後の夜のライトアップされた姿では、完全に夜に軍配があがる。
 
周囲にかがり火が炊かれ、ぼんぼりの立ち並ぶ向こうにそびえ立つ桜は
神々しいまでに美しく、夜空に映えていた。
 
水と桜といえば、
2日目の最後に行った「哲学の小径」の疎水沿いに植えられた桜も
想像以上に美しかった。
 
ソメイヨシノだけではなく、もう少し白っぽい吉野の桜と同じものや
葉っぱと花が同時に咲く品種など多くの種類が疎水沿いにずっと植えられ、
その枝が疎水へと手を伸ばしたようにしなだれかかっているのがとてもよい。
 
少し散りかかった花びらが、疎水の水面に落ちて、
流れにまかせて下っていくのを観ていると、
素人の私でも一句ひねりたくなるというものだ。
 
同行の友人とはだいぶ前に秋の京都に来たことがあり、
その時も南禅寺と哲学の小径は訪れているが、
「その時は気づかなかったけど、こんなに桜がずっと植えられていたのね」と
印象が全く違うことに感嘆しあった。
 
その美しさとはかなさと。
 
日本人に生まれ、
日本の春を誇らしく思うこと。
 
季節を愛でて、五感で堪能し、そして、今あることに感謝する。
 
『而今』(にこん)
 
今一番気に入っているというか、ピタッときている禅の言葉なのだが、
「今この時を大事に、一日一日を大切に生きる」という意味だ。
 
春爛漫の桜を観ていると、改めてその想いを強くした、
そんな雅でゆかしい京都の桜でした。
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿