2025年11月11日火曜日

試し摺りと餃子

 









先週の土曜日から3日間、アトリエに籠って
新作の試し摺りをとっていた。

10月に本摺りをした90×90㎝と同じサイズの
大きな作品だ。

10月の『光と影』とは対の作品なので、
出来あがりも双極作品としてのバランスも
考慮しつつ、
独立した作品として色彩を考えていく。

ブログでは毎回、本摺りの時に
折々にスナップショットを撮って
どんな風に仕上げていくのか
摺りのプロセスが分かるように書いてきた。

本摺りでは
版画の色の明るい部分、
もしくは奥にある背景から手前のものの順に
摺っていく。

つまり、明るい色の雨のパートが最初に来て、
次に淡いピンクの花びら1版目、
淡いグレーの水面1版目などが
早いうちに摺るパートになる。

そして、徐々に暗い色になって
葉っぱのグリーンの濃淡などが中盤にきて、
とはいえ、バックのこげ茶色や濃紺、
空の色なども後ろにあるものなので、
中盤のところで摺ってしまう。

そして、2版目に重ねる色を終盤に摺り、
最後に黒い線で表現している葉っぱを摺る。

和紙は湿らせた状態を保持して摺るので
色が変わる度に和紙をずりおろして
版の上に正確にのせる。
摺る時は紙の裏からあて紙をして
バレンで摺る。

その際、湿った紙に濡れた絵具がこすれ
「泣く」といって滲んだりこすれたりすることが
あるので、
黒い絵具が泣き出したりすると大変なので、
最後にするという訳だ。

しかし、試し摺りの順番はそれとは違う。

そもそも和紙は濡らさず乾いた状態で作業する。
1枚だけ摺って、都度都度色味がちょうどいいか
確認しつつ、
大事なパートから摺っていく。

つまり、淡い色の雨は本摺り同様先に摺るが、
黒い蓮の葉っぱは重要なパートなので
案外、早い時期に摺ってしまう。

黒い蓮の葉に対してどんな分量の何色の空にするか
水の色、背景の色など、
メインモチーフの状況に対して決めていく。

その時、多少の「泣き」やら「こすれ」や
「ズレ」は気にせず、
本摺りではそれは起こらないと自分を信じ、
色合わせだけに集中するのが試し摺りだ。

そんな時、いつも思うのは
「この段階、すごくいい」
「ここで辞めた方が美しいのでは」
というタイミングが必ずあることだ。

全部彫った版木を摺って完成のはずが
途中の段階で「いいな」と思うとは
どういうことを意味するのか。

以前から、その疑問はあって
数年前に版数を減らし、
和紙の白を活かした作品作りをしているのに
相変わらず、全くの途中でいいなと思う
自分がいる。

では、そこで辞めてしまえばいいのにと
思うかもしれないが、
それでは何を描いたのかが分からないので
結局は彫った版木すべてを摺るのだが…。

紙の白は強いし美しい。
色数が多すぎるとケンカする。
版画らしさを失わないことが大切。

といった学びを肝に銘じ、
試し摺りを進めていく。

という訳で3日間も家から出ずに
試し摺りにいそしんだ結果、
脳みそがとても疲れてしまった。

その上、鼻かぜをひいてしまったようで
うつむいて摺っていると
鼻水まで垂れるようになってしまった。

こういう時は早く寝るのが一番だ。

分かってはいるが
作業がまだ終わらないし
まだ本摺りに向けてピンときていない。

版画家が最もナーバスになっている時だ。

そんな時、なぜか
モーレツに餃子が食べたくなった。

我が家で餃子といったら
冷食でもなく外食でもない。
めんどくさいの極みではあるが
自分で作った餃子が食べたいのである。

そんなわけで
一番疲労がピークの時に
こんなこともあろうかと買っておいた
厚口大判の餃子の皮で
26㎝のフライパンめいっぱいに餃子を作った。

何回もフライパンの位置を変え
火の入りを均一にし、
最後にぴったりの大きさのお皿をかぶせ
ひっくり返す。

試し摺りのモヤモヤを振り払うように
きれいな焼き色の餃子が出来た。

珍しくビール抜きでそれを食べ
英気を養い
早めに就寝し、最後の1日の朝を迎えた。

鼻かぜも私の勢いにビビったのか
1日でほぼ終息。
3日目は鴨の彫りを修正したりして
何とか本摺りへのイメージが出来た。

これで、仕切り直して絵具を調合し、
週の後半は本摺りの予定である。

日曜日から始まった大相撲。
推しの大の里も3連勝の横綱相撲だ。
全く関係ないのだが
彼も頑張っているんだからと
自分を鼓舞する健気なおばちゃんである。

どすこい!!









2025年11月3日月曜日

学園祭と教え子との再会

 


























毎年11月3日、文化の日に行われる
パティシエ学校の文化祭。

連続で10回近く来ていると思うが、
さすがに晴れの特異日、
今年の文化の日も気持ちの良い秋晴れだった。

朝9時半前には学園の前で非常勤講師の友人と
待ち合わせ、
先に来た人が列に並び、着いた人が合流する。

今年はラッピングや冠婚葬祭の規則などを
教えている友人とそのまた友人2人と私の4人。

友人はそろそろリタイアを考えているので
次にバトンを渡す2人に
授業のアシスタントを頼んだり、
学園祭に一緒に来て徐々に講師になる準備を
してもらっている。

例年は10時の開始早々に1階のレストランで
食事をするのが常だったが、
今年は毎年長蛇の列をなす5階のパンの販売から
攻略することになった。

5階につくと早くも少し列はできていて
パン専攻の学生が
「先生~、おススメはごろごろポテトの何とかと
お月見仕立てのカレーパンです~」というので
可愛いポップの書かれたショーウィンドを見上げ
順番が来るまでにどれにするか決めた。

最近、グルテンフリーだか何だかしらないが
ブクブク太ったのをパンのせいにしたり、
パンは腎臓に悪いから食べないとかいう
おじさんが我が家にひとりいるせいで、
パンの消費量が減っているにも関わらず、
気づけば各種菓子パン4個、フランスパン、
練り込みチョコの食パンを注文していた。

そこから、1階のレストランに行き、
丁度満席になってしまったタイミングで
お食事の列に並んでいると
この春に卒業してホテルに就職が決まった
3人連れの男の子たちが入ってきた。

友人Tさんに気づいたS君が手を振った。
S君の隣には
私が一番可愛がっていたM君の姿があった。

私と目が合うと、思いがけない再会に
照れくさそうにしながら笑顔を見せた。

印象に残る優秀な成績だった2人だ。
S君は横浜ニューグランドホテル。
M君はニューオータニ。

働き始めて半年。
今どうしているんだろう。
3人で学園祭に来たということは
仕事も順調で、
友人関係も続いているということか。

彼らはエレベーターで最上階まで行き、
私たちは手の込んだ評判のランチを
いただいた。

私は魚介のパイ包みクリームソースがメインの
お魚プレートのセットにした。
他の3人は牛肉とマッシュポテトが層に
なっているお肉料理。

それを1200円で提供しているので
毎年、長蛇の列。
しかも非常勤講師にはお食事券がつくので
タダで食べられるとあって
30分待ちの列もなんくるないさ~

パンをしこたま買って、
ランチをゆっくり食べたところで
ようやく人心地つき、
学生たちの作品展示を観ることにした。

学生たちはスーツ姿であちこちにいて
それぞれの係を担当している。
何人かの学生が駆け寄ってきて
「私、あの後、内定決まりました」と報告。

最後の授業の時に
「学園祭には伺うので、見かけたら声かけてね。
その間に内定取れた人は教えてね」と言って
あったので、
「先生~」と言われるととても嬉しい。

その学生たちの作品が賞をとっていたりすると
もっと嬉しい。

そんな風にパティシエコースの作品ブースで
観ていた時、
黒いコートを着たM君が
ひとりで作品を観ている私を見つけて
寄ってきてくれた。

ニューオータニに就職したM君だ。
就活時にかなり個人的に相談にのって
自己PR文と志望動機を手直しした。

打てば響くタイプで
かなり深くパティシエという職業について
考えていて、自己紹介の時に
「世界一のパティシエになる」と大風呂敷を
広げられ、驚かされた学生だ。

ニコニコしながら近づいてきたかと思ったら
「僕、今、トゥールジャルダン東京に配属に
なったんです」と報告してくれた。

トゥールジャルダンは
ニューオータニグループの最高峰レストラン。
ニューオータニで働く人の憧れの部署だ。

そこで、フルコースの最後のデセールという
一皿ごとに提供されるスイーツを
創っているという。

それはパティシエを目指す人の
ひとつの憧れのポジションだ。

彼は3人組、私は4人組で行動していたが
すっかり教え子との再会に舞い上がり、
いつしかふたりきりで話し込んでいた。

自分の誕生日に
ポール・ボキューズでディナーした時の
デセールの写真を見せながら
スマホをスクロール中に
一緒に出てきた木版の作品も説明した。

M君は私が就職対策講座の講師だと思っていたら
藝大卒の木版画の作家だと知って
ますます興味が湧いた様子だった。

講師は個人的に学生と接触してはいけない
規則なので、
個人情報を聞き出すことは出来なかったけど、
一番のお気に入りの学生が
この後、トゥールジャルダンのスーシェフに
なったりしたらいいなぁとうっとりする。
(ちなみにM君との写真は今年の謝恩会)

もうこれは気分としては
講師と学生の一線を越えている。

スマホの画面を2人で覗き込みながら
他の人が入り込めない空気を出していたのだろう。
「先に5階に並んでいるね」とTさんが言い、
その部屋を出ていった。

ドラマだったらもうちょっと怪しい展開が
待っていたかもしれないが、
結局、素に戻った私は
「じゃあ、頑張ってね」などと
ありきたりのひとことをかけ、
私達も別れてしまった。

あの時
「来年、個展があるけど観にくる」とか
何とか言って
LINE交換しておけばよかったと思ったが、
後の祭りである。

最後に、5階の和菓子の学生達のブースで
抹茶と生菓子のセットをいただき、
持ち帰り用の和菓子セットも購入し、
今年の学園祭巡りは終了。

学生が言うがまま
こんなにパンや和菓子を買い込んで
ダイエットはどこへ行ったのか。

意外とまだ自分は先生業なんだなと実感した。



















































2025年11月2日日曜日

きもので『上野しゅう個展』訪問

 


















武蔵小杉の小杉画廊というところで行われていた
「上野しゅう木版画展」に
着物を着て出かけた。

特に個展に着物でいく必要はなかったのだが
数日前、
地元のデパートの催事で
ついうっかり求めてしまった着物と帯。

「できれば着ているところを見せて」と言われ、
その言葉を真に受け
見せびらかすついでに着物で個展に行くことにした。

写真の中で一緒に写っている着物の女性と
黒いスーツを着ている女性は
その催事で担当してくれた二人だ。

着物の催事にはくれぐれも注意しないと
『きもの沼』という沼に足を取られる危険があり、
気を引き締めて臨んだつもりなのだが…。

催事場のカレンダー売り場の隣で行われていた
「きもの」の展示会場に一足踏み入れた瞬間に
目に飛び込んできた美しい黒い帯。

黒地に並木のような銀色の木の模様に
キラキラと舞い降りる雪。
よく見ると天使がひとり。
ティンカーベルのような可愛い姿をしている。

あからさまにクリスマスの絵柄ではなく
サンタもトナカイもそりもないが、
季節は小雪舞う12月を思わせる。

思わず足を止め見ていると
若い店員さんが
「その帯、素敵ですよね」と声をかけてきた。
「私達も昨日、展示していて、これ素敵と
みんなで噂していたところなんです」という。

そして、帯からすぐ先の訪問着コーナーにあった
白からグレーにかけてのグラデーションで
花織の地模様が美しい訪問着。
広げてみると前身頃に上品なかえでの縫い取り。

帯を衣桁から外し、
着物と並べて見ていると
次に着物の女性が声をかけてきた。
「ちょっと着てみませんか」と。

いざなわれるまま畳にあがり、
気が付くと『きもの沼』にはまっていたという訳。

こうなると、この病につける薬はない。
(知ってる)

今年は脳の手術があったりして
夏中一度も着物には袖を通さず、
静かに暮らしていたのに、
いつ『きもの沼症候群』に罹っていたのか。

しかし、手に取った着物と帯からは
自分の持っている帯締めや帯揚げにコート、
果ては水琴窟の音がする帯飾りまでが
ピンと来て
すぐに自分の着姿が脳裏に浮かんだ。

夢遊病者のように催事場で会計を済ませ、
家でカレンダーを覗き込んで
催事中に着物を着ていけそうな場所を探し
今日の上野さんの個展に着てくことにした。

案の定、上野さんは会うなり目を見張り
「着物で来てくれたの、ありがとう」と言った。
優しい上野さん。

上野さんは大学の大先輩。
同じ版画の団体に所属する木版画家だ。

以前は版17という同じグループ展に所属し
年に2~3回はお酒を飲む仲だったけど、
そのグループ展が解散してからは
めったにお目にかかれなくなっている。

80代の半ばにさしかかり、
数年前に大腸がんの手術をなさったというのに
大きな作品をたくさん出品していて
とても凄いと思った。

先週、自分も大きな作品の本摺りに
四苦八苦したばかりなので、
同じ木版画家としての摺りの工夫の話や
病気の後の筋肉量が落ちた時の制作秘話などを
聴かせてもらって
同じ木版画家として
大いに話が盛り上がった。

私よりひと回り以上ご高齢でも
制作意欲は衰えず、
身体のありこちの不調とも折り合いをつけ
出来る制作方法で描き続ける姿に
とても力をもらった。

木版画は彫りも摺りも力仕事なのだが、
腕や足腰の筋肉が落ちて力が入らない時は
パステル画を描いていたそうな。

自分も6月に「硬膜下血腫」になり、
この夏は術後だったので、
ひたすら彫りをしていた話をした。

ちょうど人のこない昼餉時だったので、
画廊の方の差し入れのカツサンドを
いただきながら
作家同士、同窓生同志の気分で
たくさんおしゃべりすることが出来た。

最近は、自分は版画家の世界から遠のいて
カウンセラーやらカーブスに通うおばちゃんに
なっていたが、
同業者との会話で版画家モードを
刺激された気がする。

また、気合を入れ直して、
11月はもう1点の大作の摺りに向かって
突っ走ろうと思う。

やはり、版画もきものも
褒めて伸びるタイプの萩原である。