2018年11月11日日曜日

久々の本摺り

 
 
 
 
 
昨日今日と2日間かけて、木版画の本摺りを決行。
 
今年は大小あわせて5点分の版木をすべて彫ってから、
やおら試し摺り・本摺りをするというイレギュラーなパターンで制作している。
 
大体7~8月は暑くて摺りには不向きなので、
夏場はクーラーをつけて、ひたすら彫っているというのが、
例年の夏の過ごし方だ。
 
しかし、今年は9月に入っても一向に涼しくならないし、
気分が摺りをしようという感じにならなかった。
 
更に
9月に『文学と版画展』という
本の装丁を自分の作品を使って考える展覧会があり、
会期中から来年はどんな本を選ぼうかという方に
気持ちがいってしまって、
夏場に彫っていた版木を摺るより先に、それに着手したくなってしまったのだ。
 
つまり、次なる一手を思いついてしまうと、
それをとにかく具現化してしまいたくなる習性がある。
 
それが今回、本摺りまで仕上げてしまったこの作品だ。
 
どんな本の装丁になるかはまだ内緒だが、
着物と鈴が出てくる金沢が舞台の古い小説だ。
 
今年の新作5点は市松模様の画面構成で木目が出てくる。
 
画面には前からの流れで時計草も出てくるが、
この作品は鈴から着想を得て、紙風船が登場。
 
着物の帯締めが画面に意味ありげに絡まっている。
 
だいぶ、和のテイストだが、
自分の中でお茶濃度が増しているのと関係あるかもしれないが、
『日本人であること』が相当大きな位置を占めてきていることは間違いない。
 
今日は午後2時台にNHKで「フジ子・ヘミング」の特集番組をやっていた。
20年前に放送されたETV特集をもう一度見ながら、
美輪明宏をゲストに迎え、フジ子・ヘミングの行き方を考えるという内容だった。
 
なぜかとても気になって、
本摺りを一時止めて、見ることにした。
 
番組の中では何度も自宅でピアノを弾くフジ子・ヘミングが映し出され、
今更ながらにその魂のこもった美しい音色、
唯一無二の柔らかなタッチと、清らかなメロディーが心に染みいった。
 
日本人の母とスウェーデン人の父をもつが、父親の記憶はほとんどなく、
実質的にはピアノ教師をしながら
フジ子を育ててくれた母親との母子家庭だった。
 
国籍の問題、聴力を失いかけた問題など、
波瀾万丈な人生の中で、フジ子をずっと支え続けたピアノ。
 
芸大の大先輩として、
今更ながらに親近感と敬愛の情が湧いてきた。
 
版画は私にとって何か。
日本人に生まれた私とは何者か。
 
そんなテーマが、この番組をみて、
更に強く呼び起こされた気がする。
 
今は久しぶりの試し摺り・本摺りへと続いた3日間が無事、終了し、
ちょっとホッと一息というところだ。
 
たぶん、毎日、自分が日本人に生まれたことを意識している人なんて、
そんなに多くないと思うけど、
ここ数年、どうも引っかかっているので、
しばらく自分の気持ちとつきあってみようと思う今日この頃である。
 
 

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