2019年9月16日月曜日

『天然忌』と七事式『一二三』

 
 

 
9月14日日曜日、お茶のお稽古場の行事として、
『天然忌』が行われた。
 
天然忌とは、表千家茶道の家元・如心斎宗匠を偲んで、
お茶とうを献上するというもの。
 
先ず、写真の台に乗った抹茶椀にお茶を点て、
床の間にお供えする。
 
この日は『天然忌』だけではなく、
七事式といわれるお稽古の中で、
『且座』『一二三』『数茶』の三つをお稽古することが決まっており、
それぞれのお役があらかじめ割り振られていた。
 
ちなみに
私は『天然忌』は見学、
『且座』は次客なので、お香を焚く、
『一二三』は亭主なので、濃茶を点てて、
お客様に点数をつけられる、
『数茶』は次客として参加するという役割だった。
 
今回、参加したお弟子さんは6名だったので、
それぞれの濃茶・薄茶を飲む回数、
去年までの役割分担の順番などをふまえて、
公平になるよう先生が決めてくださっていた。
 
私的には、
『且座』でお香を焚く手順を覚えていくこと、
『数茶』の次客として全体の流れを把握しておくこと、
そして何より、
『一二三』の亭主として、
竹台子の濃茶点前を完璧に出来るようにすることが課されていた。
 
しかも、『一二三』のお客様のメンバーの中に
先生が含まれており、
正客と三客はお弟子さん仲間だからいいとして、
次客として座られた先生がどのような点数を付けられるか、
何と言ってもそれが最大の関心事であることは間違いなかった。
 
通常、お茶のお稽古では
お点前の出来不出来に点数がつくようなことは無い。
 
先生が「そこは三手よ。右手前、左真ん中、右真ん中ね」などと
注意されたら、そのように直す。
「柄杓の合は釜から合ひとつ分空けてね」と言われたら、
その通りにして、柄杓の水を釜に注ぐ。
 
数限りなく注意事項はあるのだが、
それをすべて身につけて
しなやかに自然にたおやかに所作を行い、
丁度いい塩梅のお濃茶を点てることが出来るかどうか。
 
点数をつける観点は
「お点前が手順通り、間違えずにできているか」
「お濃茶が上手に美味しく点てられたか」
「亭主の所作やものごしが茶人として適切だったか」
この3点だ。
 
それを客は手元にあらかじめ配られた札を使って評価する。
 
小さな木箱に詰められた木札には
『月の一』『月の二』『月の三』
『無地の一』『無地の二』『無地の三』
『花の一』『花の二』『花の三』
そして、『ゥ』が2枚ある。
 
それぞれ、月は『上の上』『上の中』『上の下』
無地は『中の上』『中の中』『中の下』
花は『下の上『下の中』『下の下』を意味している。
 
『ゥ』はとてつもなくいいか、
何かとんでもないことをやらかして悪かった時、
使われるらしい。
 
基準はいつもどおり出来ていたら、『無地の二』
それより良かったらそれより上の札、
それより悪かったら下の札を入れる。
 
しかし、そうは言っても仲間のお点前に
そんなに悪い点数をつけるわけにもいかず、
大抵は『無地の一』とか『月の三』あたりに落ちつくことが多い。
 
しかし、私のお点前の評価として戻ってきた札は
『月の二』2枚と『無地の二』1枚だった。
 
けっこう評価が分かれたことになる。
 
誰がどの札を入れたかは分からないのだが、
たぶん、『月の二』2枚はお仲間が、
「とてもよく出来ました」と感じて入れてくださったものだろう。
『無地の二』は先生が
「いつもどおりにできました」と思って入れてくださったものだろう。
 
いずれにせよ、点てたお濃茶の濃さやお味は良かったと、
「美味しい」と言って褒めていただいたので、
まずは何よりである。
 
茶道は本来、
所作の出来不出来や、間違ったかどうかではなく、
一服のお茶を心を込めて点てて、
お客様に美味しく味わっていただくことにある。
 
お茶の心得は『一期一会』だ。
一生に一回しか会えないお客様かもしれないというぐらいの
気持ちをもって、
誠心誠意、お茶を点て、
召し上がっていただくという意味。
(利休の時代、戦地におもむく武士への一服からきた言葉)
 
また、食後のお濃茶一服のために
懐石料理のすべてがあると言われるぐらい、
大切なお濃茶。
 
それを「美味しいわ」と言っていただければ、
それに勝る評価はないのである。
 
あれこれ詮索する下世話な心を捨て去り、
お茶の道にいそしむ者の
基本の心構えを確認した『一二三』の亭主であった。
 
 
 

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