2020年9月7日月曜日

ベートーヴェンは自閉症?





YAMATO弦楽四重奏団による
4回続きのベートーヴェンコンサートの4回目に行ってきた。

同じメンバーのコンサートに
8月と9月の初めに、
毎週1回通うなんてことは今までなかったので、
この機会にじっくりメンバーのことを観察できた気がする。

今年はベートーヴェンの生誕250年の記念の年だとかで、
先週の土曜日の「題名のない音楽会」でも
ゲストに辻井伸行さんを迎え、
ベートーヴェンのピアノ曲を取り上げていた。

その時のピアノ演奏も素晴らしかったのだが、
かの有名な「悲愴」に辻井さんだったら
どんな題名をつけるかという問いに、
「怒りと慰め」と答えていて、
曲を聴くと、「悲愴」より数段、「怒りと慰め」の方が
ピタッと来ると思えたのが面白かった。

もう1曲「熱情」も
「幻想曲 嵐」と命名すると回答していて、
演奏を聴くと「まさに嵐!」と感じたので、
辻井伸行さんの感性は、
言語能力においても素晴らしいと思った次第である。

目の見えないピアニストと
耳の聞こえない作曲家、
健常者からみると、さぞや大変なことと思われるが、
きっともっと違う次元で音楽そのものを捉えることが
できるのではと、今回の演奏を聴いていて感じた。

さて、YAMATOのコンサートであるが、
今回の演奏曲目は
ベートーヴェンの晩年の傑作
「弦楽四重奏曲14番と16番」と
シューベルトの「弦楽五重奏曲D956」

解説によると14番と16番という2曲は、
ベートーヴェンの私生活においては
溺愛していた甥のカールの自殺未遂を挟んだ2曲に当たる。

私生活を分析すれば、性格破綻者であり、
犯罪者なのかもしれないベートーヴェンが作った曲なのだが、
曲を聴く限り、やはり何やら別次元という感じがしてしまう。

チェロの阪田宏彰氏のプレトークによれば、
「カールの自殺未遂の原因であるベートーヴェンに対し、
周囲が「自分だけが人ではなく、周りも人であることを理解せよ」と
言っても、彼は生涯、そのことをわかることはなかったようです」
ということだが・・・。

そういうエピソードの解説を聴きながら、
それって、ADHDってこと?
自閉症だったと考えれば、いろいろ辻褄が合うなどと、
カウンセラーの知識がもたげてきてしまった。

空気が読めない。
自分と人との距離がつかめない。
社会通念が通用しない。
いったん仲良くなってしまうと、自分のものだと思う。
音楽(何か芸術的なもの)に対し、並外れた才能を持っていた。
自分の世界に耽溺し、音楽世界を構築できた。
などなど…。

今回、演奏された曲目は、
4人の演奏が
次々流れるように別のパートの人に移っていって、
まるで一人が演奏しているような部分が多用されていた。

作曲のことはよくわからないが、
各パート、各楽器ごとに作曲するのではなく、
ベートーヴェンにはひと塊の音楽に聞こえていて、
(耳は聞こえないので、脳内に鳴り響いていて)
それを別々の楽器に振り分けているのではと感じた。

辻井伸行さんも目が見えないのだから、
脳内に記憶した譜面
(音符は見たことないので、音の記憶という譜面)に沿って、
まるごと思い出すというより感じながらというか、
脳内を見ながら、演奏しているように思えた。

健常者が頼る視覚と聴覚のない世界で
辻井伸行とベートーヴェンは
それぞれの感覚で音楽を丸ごと正確に捉えているのではないか。

ふいに将棋の藤井棋聖も同じ人種かもと
いう気がしてきた。

人知を超えたところで生み出された曲を
4人が一体になって紡ぎだす。
その呼吸、その技術、その音楽性が
会場にいた私たちにもグイグイ伝わってきた。

1曲が1時間にも及ぶ大曲を含み、
2時間半のコンサートが終わったとき、
会場はマスクの中で「ブラボー」と「お疲れ様」と叫び、
万雷の拍手とともに思わず立ち上がって
彼らの演奏をたたえた。

奇人変人のベートーヴェンが残した大曲に挑んだ
努力の人達に、
この時ばかりは音楽の神様が舞い降り、
祝福のキスを降らせた瞬間に立ち会えたのかもしれない。

ソーシャルディスタンスの壁を越え、
音楽の泉で沐浴した気分をありがとう。

今週の「題名のない音楽会」も2回続きで
辻井伸行さんのピアノだというので、
どうぞお見逃しなく!

YAMATOのメンバー、
大和魂をありがとう!
4回連続のベートーヴェン、本当にお疲れ様でした!

0 件のコメント:

コメントを投稿