2015年7月2日木曜日

シアトリカルムービー『三人吉三』

 
 
あれよあれよという間に今年も後半戦、
7月に突入してしまった。
 
1日は摺り増しの仕事が無事終了したので、大いにホッとしたので
今日からは歌舞伎三昧の日々を送ることに決めた。
 
何しろ、7月の歌舞伎座の演目と出演者ときたら、
これを逃したら一生後悔すると思うほど、
好みの演目と贔屓の出演者達なのだ。
 
必死にチケットを手配した歌舞伎に関しては、
また、見終わってからのご報告としたいが、
まずは本日は映画になった『三人吉三』を観てきたので、そちらから・・・。
 
『三人吉三』といえば、原作は黙阿弥。
つまり、江戸時代から舞台にかかっている歌舞伎の名作だが、
それを串田和美が演出を手がけ、
現代なら三人はこんな青年だろうという解釈の元、
現代歌舞伎として昨年6月に舞台化されたものである。
 
渋谷シアターコクーンで行われた『三人吉三』は
中村勘九郎が和尚吉三・中村七之助がお嬢吉三・尾上松也がお坊吉三を務め
大評判になった。
 
その時は何だか手をこまねいている内にチケットを取り損ね、
評判を聞いて、ちょっと失敗したなと思っていた。
 
その舞台が早くも1年でスクリーン用に編集され、
映画館で観られることになった。
これを見逃す手はない。
 
さっそく歌舞伎映画を観るときはここと決めている東劇でチケットを予約した。
ここは席もゆったり大きいし、会場自体も広々しているのでオススメだ。
 
案の定、おばあさまに近いようなご婦人が大勢席についており
普通の映画館とは景色が違う。
映画の歌舞伎だというのにキモノ姿もチラホラいるあたり、
さすが東劇だ。
 
映画自体は江戸の町人達の暮らしぶりから始まり、
勘三郎が手がけてきた歌舞伎シネマの手法で
ギターやロックといった音楽をバックに多用して、
出演者は時代劇の扮装ながら、現代劇としてのリズム感もそなえている。
 
なんといっても映画のいいところは
顔の表情がスクリーンいっぱいにアップになるところで、
それぞれ要所要所でどんな顔つきをし、目線をおくっているのかわかるのがいい。
 
勘九郎の顔つきやしぐさがどんどん亡くなった父親の勘三郎そっくりに
なってきているのが、嬉しくもあり、胸苦しくもある。
 
物語は三人がどのような生い立ちで、
なぜ盗賊になってしまったのかという理由も丁寧に描かれており、
セリフが相当、現代のことばに置き換えられているので、
本物の歌舞伎で、観ていてよく訳がわからないまま終わるというあたりが解決でき、
素直に鑑賞できる。
 
なにしろ歌舞伎には
「親の仇、我が討たずして、誰が討つ~」みたいなのとか、
「親の因果が子に報い~」みたいなのとか、
理由を知らないとなぜそうなっちゃうのみたいな展開がよくある。
 
その点、「三人吉三」の三人の「止むに止まれぬ生い立ちゆえにやさぐれて・・・」と
いうあたりが「そういうことか」と理解できたので、
最後の猛烈に雪が舞う中で、刺し違って死んでいくシーンに
凄く勘定移入できた。
 
勘九郎・七之助・松也の三人が
現在の歌舞伎町あたりにいるチンピラみたいな恰好をしているポスターがあって、
去年は意味が分からないと思っていたが、
江戸時代の三人を現代に置き換えたらこんな感じということらしい。
 
とにかく、これを舞台で観た人は本物の水を大量に使った臨場感と、
激しいギターやロック音楽の大音量、
舞台という限られた空間であることの常識を打ち破った雪の演出に
度肝を抜かれ、感激したことだろう。
 
今日は役者としての成長著しいこの三人をスクリーンでたっぷり楽しめ、
何だか幸せな気分になった。
 
勘三郎の遺志を十分についだ中村兄弟の今後に期待しつつ、
あれだけ命懸けで務められる歌舞伎というフィールドをもつ彼らに嫉妬した。


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