2022年4月28日木曜日

版画制作1年の区切り

 













木版画の制作は
出品予定の展覧会の会期に合わせ、
逆算して創り始めることが多い。

性格的には追い詰められて力を発揮する
追い込まれ型ではないので、
基本、余裕をもって仕上げたいタイプだ。

中には展覧会の搬入日に
まだ、絵具が濡れているような状態で
作品を運び込む作家もいるが、
版画はその制作の性質上、
そんなに泥縄式には創ることができない。

私の場合、
今は6月に紫陽花展というグループ展、
9月初めに文学と版画展というグループ展、
10月に版画協会展という団体展が
定期的な展覧会として入っている。

それぞれ搬入日や搬入受付締め切り日があって、
展覧会直前に搬入日のものもあれば、
1か月以上前に締め切りがくるものもある。

私は年間5~7点ほど大小合わせて制作しており、
それを何年か溜めて
個展をするというのが、
これまでのパターンだ。

個展には25~30点ほど出品するので、
木版画のように制作に時間がかかる技法の場合、
毎年、個展をするというわけにはいかない。

私にとって
個展はもちろん大きな区切りになるが、
個展のあるなしに関わらず、
1年間の区切りというと、
ちょうど今頃、
紫陽花展の案内状を作るための締め切りが
それにあたるといえよう。

昨年4月の個展からちょうど1年、
個展後に創った「雨のシリーズ」が
大小合わせて5点できた。

できた作品は1年に1度、
写真家のH氏にお願いして撮影し、
写真データとして
作家本人とH氏とで保存管理している。

できれば、紫陽花展までにもう1点、
もっと小さいサイズを創りたいとは思っているが、
案内状用の写真データの締め切りが
ゴールデンウィーク明けなので、
ここらへんでプロの写真家に撮ってもらわないと
印刷に間に合わない。

先日、5点目の作品の本摺りが終わったのを期に、
ここでH氏に自宅まで来てもらって撮影しなければと、
今日の13時に約束した。

折しも今日の午前中、
10日ほど前に彫刻刀の研ぎをお願いしてあった
ものが、研ぎ上がって自宅に届いた。

まだ、切れ味の落ちていないものは出さず、
18本の酷使した彫刻刀の研ぎを
お願いしてあったものだ。

研ぎ師さんのお店は千葉県にあるので、
遠くて実際に伺ったことはないが、
研ぎ上がってくると、その切れ味は
みぞおちのあたりがゾクゾクするほどだ。

今回も歯っかけ婆さんみたいな丸刀や、
未熟な技術ゆえ先を欠いた印刀など、
いずれもシュッとした姿になって
戻ってきた。

これで彫刻刀が見事によみがえり、
いつでも次の作品の彫りが始められる。

一方、13時から始まった作品の撮影は
大きな作品から中ぐらいの作品へと、
流れるようにスムーズに作業は進み、
自分でいうのも何だが助手としての動きも円滑、
無駄なく補佐できるようになったので、
5枚を1時間15分ほどで撮影終了した。

最後にお茶をしながら、
昨年の春、H氏に個展用のプロフィール写真と
制作風景を撮ってもらったことに話はむいた。

本当に時が経つのは早いが、
今年もまた、一区切りとして
1年間に制作した作品の写真を
撮ってもらうことが出来た。
(個展はないのでプロフィール写真はない)

私にとって、1年に1度、
H氏に作品写真を撮ってもらうことは
今年も健康で一定数制作できた証。

H氏にとっては
長いお付き合いの作家たちから
1年に1度、作品写真の依頼を受け、
記録することが彼の生きている証だという。

彼は評論家とかではないし、
絵の作家でもないが、
写真家としての審美眼で
その作家の今が、充実しているかどうか
作品を見れば分かるらしい。

幸い、私の今年の作品群も
個展の前と変わらず、
シリーズも新たになり、
ぎゅっと詰まっているものを感じたという。

それは写真撮影をひとつの区切りとしている
私にとって
とても安心感を得ることのできる言葉だった。

版画制作という孤独で答えのない作業に、
「よくできました」と💮をもらったようで、
また頑張ろうという気持ちになった。

今日は彫刻刀もピカピカになって戻ってきたし、
小さな新作の原画を考えなければ、
そんなパワーが湧いてきた1日だった。
























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