2024年1月17日水曜日

恩師の賀状に想う

 




1月も半ばを過ぎ、
そろそろ年賀状の返信がくるのもお終いの時期。

昨日、最後の年賀状かなと思われる
寒中見舞いが届いた。
恩師のI先生からのものだった。

私の年賀状のやりとりは
元旦にお出しした方の7割ぐらいが
相思相愛の状態で届くのが常だが、
中には元旦に年賀状は書く主義の方もいるし、
こちらの年賀状を見て
慌てて返信をくださる方もいる。

年内に喪中はがきを出さなかった相手(私)の
年賀状が届いて、
年明けに寒中見舞いとして
ご挨拶くださるケースもある。

とにかく、いまだに150枚ぐらいの年賀状が
行き来しているのだが、
その中で40年以上繋がっていて
未だに返信が来るのを気にしている先生がいる。

ひとりは私が小学校の3年生の時から通っていた
お絵描き教室のI先生(女性)
もうひとりは藝大の3年の時、
版画研究室に専攻を決めて以来
お世話になっているN先生(男性)

I先生は私が美大に進むことを決めるところまで
教室に通っていて、ずっと応援してくれている。
ここ何十年分の版画の年賀状はすべてとってあり
先生のお部屋の柱にずらっと貼ってあるとか。

個展などでお目にかかる度に
「きみちゃんは私のお教室の一番の優等生よ」と
言ってくださっていた。

そんな先生が昨年の年賀状のお返事を
くださらなかった。

ちょっと心配がよぎったが、
今年の「龍」の年賀状は構わず出してみた。
すると昨日、
寒中見舞いという形でお返事が届いた。

「きみちゃんよね。
大きくなられたことでしょう。
今年は何才になられるのかしら…?」

萩原季満野という名前に対し、
「きみちゃんよね?」との呼びかけは
心臓がどきっとするほど驚き、
と同時に、とても切なくなった。

「大きくなられたことでしょう。
今年は何才になられるのかしら」との文字に
I先生にとっての私は
小学校の時のきみちゃんなのかと思って、
涙がこぼれそうになった。

もう1枚の年賀状はN先生からのもの。

N先生からも昨年は返信がなく、
もう年賀状を書くのは辞めてしまったのか、
何か喪中のようなご事情があったのか、
私なんか返信を書くメンバーから外されたのかと
かなり落ち込んでいた。

その前の年の返信は
まさしく先生の作品そのものだったので、
とても嬉しくて
裏に私の制作について褒めて書いてあったけど
構わず、作品が見える形で
額装して飾ってある。

今年の返信はなかなか来なかったので、
もう出しても無駄かなと思っていた矢先、
12日になって返信の年賀状が届いた、

そこには
「立派な辰年の賀状、早々にありがとう。
龍のバックの玉のグラデーションがいいですね」
とある。

見慣れたいい感じに崩れた先生の文字。
ポストにその文字を見つけただけで
小躍りした。

今では藝大の名誉教授であり、
芸術協会の会長であり、
2度も勲章をもらっている雲の上のような人。

だけど、藝大で学んでいた当時は
彼はまだ講師か助教授になりたての頃。
芸術祭の音楽イベントで
抱き合って踊ったのを思い出す。

時はビュンビュン音をたてて流れたけど、
未だに彼の文字を見れば
胸がキュンとなる。

今年の龍の年賀状は
かなりの人に褒めていただいたし、
「額に入れた飾ったわ」という声も
何軒か聞いている。

それでも、やっぱり
N先生に褒めてもらいたいんだなと
あらためて自分の気持ちを知った。

私にとって
「お絵描き」と「版画」のふたりの先生。

おいくつになられても
彼らにとっては
あの頃の私、あの頃の生徒や学生のまま。

そんな私は
いくつになっても
先生に褒めてもらいたい生徒のままなのである。








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