2026年3月13日金曜日

友人からの報告

 






数日前、友人KさんからLINEが来て
「お時間作ってもらえますか」と言われた。

ちょっとただならぬ感じを受けた私は
3月の空いている日時をいくつか書いて
送ったところ、
最も近い日に銀座で会うことになった。

Kさんとは長いおつきあいで
それぞれの次女が同じ高校の同級生で
PTAのママ友として知り合った。

ミッション系の私立高校で
バザー委員なるお役目のために参加した会で
お話ししたところに端を発するから
四半世紀近くのおつきあいになる。

ママ友から始まり、
娘が大学に進学し、就職し…と変化する中
娘のママ同士の枠を超え、
20年ぐらい前からは
毎年のように一緒に海外旅行に行く
唯一無二の友人同士になった。

しかし、3年半ほど前に
彼女の旦那様が病に倒れたことを機に
「今、家を出られない状態なの」という言葉を
残して彼女はすべての交友関係を絶った。

それ以来、
展覧会やママランチにお誘いしようにも
素っ気ないお返事が続いたので
とりつくしまもなく時は流れた。

友人同士のおつきあいには
いろいろな形があると思うけど、
あれほど一緒に毎回、10日間も旅行に出て
わくわくドキドキ楽しく過ごした仲なのに
「こんな時、何も教えてくれない」と
少し拗ねるような気持ちでいた。

ついには
「もう友達じゃなくなったの?」と
LINEで書き送ったことは
Kさんの心に小骨のように突き刺さったまま
2年以上の時が過ぎ、
ようやく再会したのが一昨年の12月初め。

その時も銀座で会ってランチしながら
初めて旦那様の病状の詳しい話を聴いた。

そこから丸1年経った昨年12月初め、
同じく銀座でランチして
その後、資生堂パーラーでパフェを食べた時は
「九死に一生を得た夫は目下、小康状態」
そんな1年間の経緯を話してくれた。

彼女はこの3年数か月、
交友関係も半ばお仕事のように関わっていた
趣味の世界からも遠のいて
看護の日々だったという。

一昨年の再会の時はかなり悲壮感があったけど
昨年の再会の時は
出かけようと思えば、
「夫に入院していてもらえればできるわよ」と
少し吹っ切れた様子だった。

そして明けて今年のお正月。
3日にお誕生日を迎えた彼女に
誕生日のおめでとうメールを送ってみた。
ご家族でお祝いの食事会に出かけたとある。
そんなことも出来たのかと少し安堵した。

それから月日は少し流れ
3月に入って、
いきなり今回の「お時間ありますか」の連絡。

ちょっと嫌な予感もあったけど
LINE上では何も訊かないままに日時を設定し
同じく銀座でランチすることにした。

レストラン・ライオンの2階の個室に通され
ハンバーグランチが届いたと同時に
お正月休みが終わった日に
旦那様が旅立ったことを知らされた。
彼女の誕生日の数日後になる。

3月初めというのは
すでにお葬儀も納骨も済まされ、
ホッと一息ついたタイミングでの
いの一番の連絡だったようだ。

こういう距離の取り方は実に彼女らしいし、
決して友達じゃなくなったわけじゃないことを
分かって欲しいというタイミングなんだと
思った。

あの毎年のように海外旅行に行った
楽しくてキラキラした思い出。
必ず展覧会に来てくれ、
1番気に入った大きな蒼い鳥の作品を飾るため
おうちの壁のリフォームまでしてくれた。

そんなKさんが旦那様を看取り
私に何のわずらわしさもかけまいと
すべてのことを済ませた上で
「またどこかへ行きましょう」と
戻ってきてくれた。

「もうこれで今年は萩さんの個展も行けるし
旅行でも何でもできますよ~」と
思いのほか、清々しい様子だ。

私ならもっと甘えていろいろ愚痴を聞いてと
連絡してしまいそうなところを
スパッと距離を置く
Kさんの男気のようなものを感じた。

資生堂パーラーで
前回、品切れで食べられなかった
「資生堂パーラー物語」のプレートを前に
娘さんに
「今、萩さんとデートなの」とLINEするKさん。

私は置き去りにされたとばかり思っていたけど
K家の中で「萩さん」は
ちゃんとまだ忘れられていなかった。

家で何かの記念写真を撮る時は
「萩さんの蒼い鳥の作品の前で撮るのよ」
という話を聴いて
私は涙が出そうになった。

また、一緒にどこかへ行きましょうね。
どこにする?いつにする?
そんな話を最後に
私たちは銀座の街でハグしてお別れした。








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