2016年6月28日火曜日

リサイタル中にミューズ降臨

 
 
 
石田泰尚氏のリサイタルをみなとみらい大ホールに友人と聴きに行った。
 
石田様のヴァイオリンを聴きに行くことはかなりあるが、
大抵は300~400名ぐらいのホールで、
3~5名編成のグループのことが多い。
 
しかし、今日はリサイタルなので、
ピアノ伴奏に中島剛氏がつくとはいえ、
基本、石田様のヴァイオリン1本で
1200名近くのお客様を引っ張っていかなければならない。
 
演奏される曲目もクラシックばかりなので、
いくつか聞き覚えのあるライトな曲も含まれるものの、
いつも私が聴きに行くピアソラやイージーリスニング系に比べれば、
難解であり、大曲である。
 
まずはベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調「春」から。
 
会場の空気がいつになく緊張しているし、
いつにも増してしわぶきひとつ許さない感じが伝わってくる。
 
彼が所有する2本のヴァイオリンの内、
前から持っているTononiを使って、1曲目が始まった。
しかし、会場のだだっ広さに対して、音がやや小さい。
 
私達の席は2階の6列目の真ん中で、ほぼ会場のどん詰まりの後ろといっていい。
石田様ははるか彼方にしかいないし、
会場全体を俯瞰して眺めることが出来るほど、後方だ。
 
そこまでやっと届いているといってもいいほど、
ヴァイオリン1台の音色はか細く感じられたのは私だけではなかったようで、
1曲目が終わって、石田様が舞台裏に一瞬はけた時、
「音が小さいね」と、ふたり同時に同じ感想をいった。
 
曲目がクラシックだったせいと、
石田様の顔や姿が遠くて見えない位置だったせいで、
私はいつのまにか目をつむり、
会場全体を包み込む音色と空気感の中で、瞑想状態に入っていった。
 
遠くの壁に設置されたパイプオルガンの残像が脳裏から消えると、
代わりにこれから創ろうと考えていた時計草を使った作品が
具体的な形を伴って、浮かび上がってきた。
 
『絆』というタイトルの結婚をテーマにした作品と、
『サラバ』という西加奈子の小説の装丁プランが、
ほとんど同時に脳裏に実像を結んで見えている。
 
こういう状態を自分では「ミューズ降臨」と呼んでいるのだが、
作品の絵柄が具体的に見えているというか、降りてきているのだ。
 
大体こういう現象は、ベッドに横になっていて、寝入りばなに起きることが多いが、
コンサートで曲のイメージから引き出されることも時々ある。
 
今回は曲そのもののイメージというより、
会場全体の雰囲気や空気がもたらしたものらしく、
神々しいパイプオルガンのあるホールのほの暗い環境の中で、
ひとり身をくねらせヴァイオリンを弾く男のシルエットの美しさと音色が、
効を奏したに違いない。
 
リサイタルの前半が終わり、石田様が舞台袖に入り、会場が明るくなったと同時に
私は手元のプログラムに、今、脳裏に浮かんでいた絵をデッサンした。
 
いきなりペンを取り出し、プログラムの余白に何やら描きだした私を見て
友人は「わぁ、すごいところに居合わせちゃった」とすこし興奮気味。
 
「これが来年、本物の作品になって、展覧会で見られるかもしれないのね」と
作家が作品をつくる瞬間に立ち会ったことを
面白がっていた。
 
当の私もこの思わぬ収穫に満足し、
リサイタル後半は音楽自体をより楽しんだことはいうまでもない。
 
石田様の演奏は15分の休憩を挟んだとはいえ、2時間たっぷりあった。
そして、アンコール。
 
1曲目は「シンドラーのリスト」
 
観客はひとりで弾ききった石田様に惜しみない拍手を送り、
舞台袖に引っ込む石田様を見送った。
 
しかし、ここで終わるかと思った瞬間、
舞台袖から、黒地に朱赤の柄が目にも強烈なロングブラウスに着替え、
石田様、再登場。
 
今までの全身黒ずくめの衣装から、度肝を抜く派手なブラウスに変わったことで、
観客からは黄色い歓声と共に、やんやの喝采が起こった。
 
そして、なんとそこからその姿で3曲ものアンコール曲を弾くという
大サービス。
 
「エルチョクロ」「ジェラシー」「誰も寝てはならぬ」という
クラシックの枠を超えた石田様らしい選曲と
「なんじゃそりゃ~」と笑わせるど派手衣装とで、
満場の観客を大満足させ、リサイタルは無事、終了した。
 
「新しいヴァイオリンも手に入れたし、彼は今、一番のっているわね」と
友人と話しながら、
私は次回作のラフスケッチというプレゼントまでもらって、
みなとみらいからウキウキ気分で家路についたのである。
 

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