2024年3月11日月曜日

タンゴの恩師を偲ぶ会

 
















合宿の時の集合写真
ヒデ先生のすぐ後ろに写っているのが私


コロナ禍が始まる前、
3年間ほどアルゼンチンタンゴを習って
いたことがある。

鶴見大学の生涯学習のクラスで
「アルゼンチンタンゴの歴史とダンス」という
タイトルの講座で
講座の前半がタンゴの歴史や音楽鑑賞で
後半がタンゴレッスンという
珍しい構成だったので
興味をそそられ受講した。

なぜ私が興味をもったかというと
その当時、
参加していた版17というグループで
近い将来、ブエノスアイレスで
グループ展ができるかもしれないという
話がでて、
現地に行くなら、タンゴを踊れたら素敵かも
というミーハーな好奇心が発端である。
(結局、展覧会は実現しなかったが)

その頃から(今もそうだが)私は
ヴァイオリニストの石田様のファンだったので
アルゼンチンタンゴ界の異端児ピアソラの
曲は大好きでよく聴いていた。

どうやらこの講座を受講すれば
ピアソラについても解りそうな感じだった。
それに、以前、フラメンコをかじった身として
次はタンゴにも挑戦したいという思いがあり
『一粒で二度おいしい』みたいな
この講座は魅力的だった。

その講座の前半の講義担当が
鶴見大学文学部教授のヒデ先生。
後半のダンス担当が
奥様でダンサーの鶴世先生だった。

ヒデ先生は大学で教鞭を執る傍ら
趣味でアルゼンチンタンゴを
鶴世先生について学ぶ内に
鶴世先生のダンスのパートナーになるほど
上達し、更に結婚までしてしまったという
異色のカップルだ。

私はその講座に通い、
それなりにダンスも踊れるようにはなったが
何と言っても
ピアソラについていろいろ学べたのが
収穫だった。

先生は私のピアソラ好きに配慮して
講座内容にピアソラ関連をたくさん
盛り込んでくださった。

しかし、踊りの方はというと、
タンゴは男性と組んで踊るので
男性のリードがあって初めて成立する。

フラメンコはひとり踊りだったが、
タンゴの男性のリードありきの踊りには
せっかちな私はなじめないところがあり、
自らがステップを踏み出しそうになる度
注意されていたのを思い出す。

なにしろ生まれてこのかた
男性のリードで動いたことがないので、
一緒に講座をとっている
音感の鈍いオヤジと組まされたりすると
つい勇み足になってしまうのだ。

それでもヒデ先生と組むと
とても優しい包み込むようなリードで
女性を運んでくれるので、
自分の実力以上にうまくなった気がして
とても楽しかったことを思い出す。

特に那須にある大学の寮に合宿して
2日間踊りあかした時は
ヒデ先生と組んで、
ある種、トランス状態になるほど
自然で滑らかに踊ることができた。

あの境地は忘れることはないだろう。

そんなヒデ先生が
昨年9月に肺がんで亡くなった。

私は講座を辞めて久しかったので、
全く知らずにいたのだが、
ある日、鶴世先生からのLINEで
偲ぶ会をするという連絡を受けた。

昨夜はその偲ぶ会に伺うために
ミューザ川崎の市民交流室まで行ったが、
ミューザ川崎シンフォニーホールは
何度となく石田様のコンサートに
行っている場所だったので
何かご縁のようなものを感じた。

偲ぶ会は先生の在りし日の映像、
学生時代と同僚のご友人のあいさつや
何組ものダンスで構成されていた。

最後はピアノとバンドネオンによる演奏で
曲目は
ピアソラの「オブリミオン」と
「アディオス・ノニーノ」だった。

「オブリミオン」は私も自分のお葬式で
かけてほしいと思っていた曲だし、
「アディオス・ノニーノ」は
ピアソラのお父さんがなくなった時、
父親に捧げた曲だ。
「オブリミオン」はピアソラの曲の中で
私が一番好きな曲。

在りし日のヒデ先生にリードされて
「オブリミオン」を踊った感触が
蘇ったようで
胸がキュンとなった。

鶴世先生以外
ほとんど知る人のいない偲ぶ会。

ひとり異邦人のような気分で参加していた
私に
ヒデ先生が「大丈夫かい」と手を差し出し
次のダンスに誘ってくれたような気がした。

ヒデ先生のご冥福を祈ります。


































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