2024年3月11日月曜日

ある死生観

 


昨日、偲ぶ会に伺ったヒデ先生は
素晴らしい死生観の持ち主だった。

スクリーンでは在りし日の先生が映し出され、
最後に舞台に立たれた時の
スピーチとダンスが披露された。

その中でマイクを手にした先生は
今の病状と死に対する思いを語られた。

先生は肺がんで亡くなられたのだが、
それは肺がんの再発によるものだった。
再発が分かった時にはすでにステージ3で
手術は不可能、
余命は半年という宣告を受けたという。
その時、先生はまだ71歳。

医師からその宣告を受け、
先生はこう考えたという。

「QOLは生活の質という意味だけど
自分のQODを考えてみた。
QODは、Quality Of Death=死の質
(そんな言葉はないが…)
あと半年、
病院に入って緩和ケアを受けながら
死を待つのがいいか、
多少、生きている時間が短くなっても
最後の最後まで踊り続けているのがいいか。

自分は最後まで好きなことを
やっていたい」と。

ダンサーの鶴世夫人には
「酸素ボンベ背負って踊っていたら
かっこいいんじゃない」と
笑って言っていたという。

「半年と宣告されたのは悪いことじゃない。
いつ死ぬのか分かれば
それまでに何をしようか考えられるし、
悔いなく日々を送ろうと思える」

「死ぬことは怖くない。
前世があったように
生まれ変わることもできるだろう」

「僕は最後にいう言葉も決めているんだ。
「おやすみなさい。またね」って
言うつもり」

本当のところは分からないが
こんな風に軽やかに死を受け入れられたら
いいなぁと思った。

ご臨終の際に病院に駆け付けたという女性が
会場で挨拶に立ち話してくれた。
「鶴世さんから連絡があって、
車で病院に駆け付けた時、
ヒデ先生は今まさに旅立とうとしてました」

でも、鶴世さんが耳元で
「〇〇さんが来てくれたわよ。
判る? ヒデさん、目を開けて!
記念写真を撮りましょう!」といって
ヒデ先生を挟んで3人の写真を
鶴世さんのスマホで自撮りしたという。

ふたりは最後の最後まで踊り続けていたし、
天国に旅立つ瞬間も
まるで「いってらっしゃい」とばかりに
送り出したという話を伺って、
鶴世さんは本当に強い人だなと思った。

遅い結婚で子どものいなかったおふたり、
10歳の年の差婚だったけど、
まさにパートナー同士だったんだなと思う。

死は誰にでも訪れる免れないものだけど、
いかに受け入れ、
その日までをいかに過ごすのか。

昨日今日は
いつにも増して考えさせられた。

まずは1日1日
丁寧に真摯に生きよう!!
ご飯もしっかり味わって、
今日あることに感謝して!!


1 件のコメント:

  1. 素晴らしいブログです。
    想い出の映像
    想い出のエピソード
    皆様に彼の気持ちが届いて感謝の気持ちでいっぱいです。
    どうもありがとう御座いました🙇‍♀️

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