2025年12月6日土曜日

ふたりのカウンセリング卒業生




今日はカウンセラーとして
嬉しいことがあった。

長いこと通ってきていたクライエントさんが
ふたり、今日をもって
カウンセリングを卒業したのだ。

心理カウンセリングに関しては
カウンセラーには守秘義務があり
誰のことか特定できる形では書けないので、
ほとんどブログには登場しない。

基本、
カウンセリングは何か悩み事がある人が
その問題を解決したかったり、
自分の生き方そのものを変えたくて
カウンセリングルームの門をたたく。

私が主催するカウンセリングルームは
単に傾聴して共感するという方式の
カウンセリングではなく
認知行動療法とスキーマ療法を主軸に、
その方の考え方や感じ方のクセにアプローチし
少し考え方や感じ方を変えることで
少し気持ちが楽になったり、
相手の対応が違ってくるのを目的としている。

そうしたカウンセリングの中で
問題がもっと深いところにある、
つまり、成育歴の段階から書き換えなければという
深いセッションを行うのがスキーマ療法だ。

今日のクライエントさんは男性Sさん。

ちょうど2年前の1月から通い始めた。
丸2年かかったのはスキーマ療法を行ったから。

ここに来る前は元勤めていた会社で
人間関係をこじらせ、
約3年間も引きこもり生活を送っていた。

奥さんもお子さんもいる状態で
先に奥さんがカウンセリングにやってきて
状態が上向いたところで
選手交代で夫のSさんが通うことになった。

引きこもり生活でうつ状態だったので
障害者手帳の3級も取得しており、
障害者雇用枠での就職を希望していた。

IT系に強く、それを武器に支援センターに通って
そこからいくつもの会社にエントリーし
就活をしてきた。

私は心理カウンセラーの他に
横浜にあるパティシエを育てる専門学校の
就職対策講座の非常勤講師を
20年くらいしている。
彼の場合はそちらの経験から
アドバイスをすることが出来たので
心理カウンセラーというより
ここ半年は就職対策の講師役だった。

今年の暑い暑い夏、
熱中症になりながら頑張ったのに
第一希望の会社の内定がとれず
すっかり気落ちするSさん。

落ちた面接にも必ず学びはあると励まし、
それを次の面接の戦略に活かそうと
叱咤激励した結果、
秋口にはいって潮目が変わり、
いきなり3社が入れ食い状態に。

結局、総合的に判断して
とある伝統と格式のある保険会社に内定。
11月初めから有楽町の本社ビルに通うことに。

当初はカウンセリングは
就職が決まるまでということだったけど、
1ヵ月実際に働いてみてどうかの報告をしてから
カウンセリングを最後にすることになった。

今日はその報告会。
カウンセリングルームに入ってきたSさんの
顔の表情を見ただけで
上手くいっているなと直感した。
なので、1時間、その環境や仕事内容、
人間関係の話を聴かせてもらって、
無事に2年間のカウンセリングは終わった。

深々とお辞儀をして
「先生のお陰です」との言葉をいただき、
「また、何かあったらいつでも来てね」と
笑って送り出した。

これがSさんのカウンセリング卒業式である。

そして、夕方、
別のクライエントMさんからメールが届いた。
「ご報告」というタイトル。

彼女は今年の始め、
最初のカウンセリングの時、
1時間ほとんど泣きながら、
上手くいっていると思っていた彼氏が
急に冷たくなった上に
どうやら別の女性とつきあっているという。

妙齢のMさんにとって
結婚は目下の最大の問題で
この年齢でまたひとりになることは耐えられない。

そうこうしている内に
相手の男性はできちゃった結婚で
その別の年上の女性と結婚。
ハメられたのでは泣いている。

揺れる女心と収まりのつかない嫉妬心。
こうなるとカウンセリングは結婚相談所だ。

そこに登場するまた別の男性とのおつきあいに
話は移っていったので、
その後はまるで娘のような年齢のMさんんとの
セッションは新しい彼とどうするかに終始し、
完全に仲人業務になっていく。

秋、その彼とうまくいきそうなタイミングで
Mさんはカウンセリングを卒業したが、
今日のメールは
「入籍しました!」という報告メールだった。

結婚相談所としては
「一組成立!」ということで、
いろいろあったけどうまくまとまってくれたので
一安心だ。

こんな風に同じ日に
「めでたしめでたし」になることは珍しいが
ちょうど2年前と1年前の1月初めに始まった
カウンセリングが
年の終わりに向け、
収まるところに収まったことになる。

師走というのは何となく人をそういう気分にし
決着をつけたり、結論を出したり、
区切りをつける時期なんだと思う。

2人とも、泣いたり、引きこもったり、
腐ったり、暴飲暴食してたけど
真っすぐ前を見て
新しい年を迎えてほしい!!

やれやれ、ひとまず、
2025年の結婚相談所も
就職支援所も閉店ガラガラできそうである。





 

2025年12月3日水曜日

晩秋の北鎌倉

 














2025年も早12月になり、
余すところひと月になった。
年々歳々同じことを言っているが、
時の経つのが早すぎる。

今日は12月のお茶のお稽古の1回目。
久しぶりに
前後にカウンセリングが入っていなかったので
着物で出かけることにした。

本来、茶道は着物を着て行うように
所作は出来ているので
やはり出来れば着物でお稽古に行きたい。

天気予報では午前中に少し雨が残るかもと
いうことだったので、
白っぽい着物は辞めて
黒地の大島紬に刺繍の入った訪問着と
沖縄の紅型の名古屋帯を合わせることにした。

着物の刺繍は全身に
モノクロームでもみじと桜が描かれている。
こうした柄は春でも秋でも着られるよう
季節の違う樹木を同時に刺している。

お茶の茶碗や茶器にもこうした柄は時折あって
「春秋柄」と呼ばれている。

着物としては全体に黒っぽいモノトーンなので、
むしろ帯の紅型模様が映えるよう選んでみた。

今回の大島紬は
昔、誂えた着物なので
身幅が狭くなっているのではと心配したが、
ここのところ痩せたせいで
かなり余裕で身頃の打合せが重ねられ
まずはホッと一安心。

北鎌倉の駅前でいつもどおり
鎌倉からの友人2人と待ち合わせ、
北鎌倉の住宅街の細い抜け道に入った。

北鎌倉駅周辺は鎌倉駅とは全く違い
人の気配もない静かな街だ。
とりわけ、私たちが歩く道は
車も入れない小路なので
昔ながらの戸建てのおうちがひっそりと並び、
その庭先には季節の木々が植えられている。

日本家屋に似合う樹木が選ばれているので
お茶のお稽古に使えるような花も多い。

今はもみじの紅葉がそろそろ終わりの時期で
小路に散り敷いたもみじが
道を覆いつくして美しい。

着物を着た3人が少し濡れているもみじを踏んで
小路をゆく姿はちょっと絵になる。

お稽古場の先生のお宅の近くに
とてももみじの綺麗な場所があるというので
今日は少し寄り道をして
まず、そのもみじを観に行った。

やはりもみじとしては終わりかけだったけど
散り敷いたもみじは
小路のもみじより色鮮やかで
木戸や橋の古びた木の色とのコントラストが
北鎌倉らしい情緒を感じさせた。

「北鎌倉にお茶のお稽古に」
なんて耳心地のいいサウンドだろう。

まして着物で出かけていくなんて
贅沢な非日常だとしみじみ思えてくる。

先生のお宅もだいぶ古くなった日本家屋で
先週あたりから茶室の電灯の調子が悪い。
そのせいで灯りのない自然光の薄暗い茶室で
お稽古は行われた。

谷崎の「陰影礼賛」ではないが
障子を通したわずかな光を手掛かりに
炉を切ってかけられたお釜の湯で
濃茶を点てる。

五感が研ぎ澄まされ
抹茶を練るとその香りが瞬時に茶碗から香り立つ。
お釜の下の炭の火が赤く燃え、
薄暗い手元を少し明るく照らすようだ。

お茶が点てられ、正客が立ち上がり
畳を歩くと衣擦れの音がする。

自分の席に茶碗を持ち帰り、
一服、口に含んだ時に声をかける。
「お服加減はいかがですか」
「たいへん結構でございます」

そんな大人のままごとみたいなやりとり。

お茶名やお詰め、お菓子の名前を正客が尋ねる。
お道具の拝見で出された茶入れや茶杓の銘を
自分で考えてきて答えることで
季節に思いを馳せたり
昨今の話題に転じたりして会話を楽しむ。

そんな優雅で静かな時が流れた。

私が今日、考えていった茶杓のご銘は
「初霜」
他のふたりは「静寂」と「都鳥」

みな、歳時記などを見ながら
その時期にふさわしい銘を考えてくるのだ。

残念ながら茶室の撮影がNGなので
何もお見せできないが
その季節にあったお道具組でしつらえた
お軸やお棚、水差しや茶碗などを愛でながら
ゆるりとお濃茶とお薄をいただく。

お茶には必ずお菓子がついてくる。
今日はお濃茶には柳月製「ころ柿」だった。
まるで本物の干し柿のような形で
中にあんこが入っていて美味だった。

しかし、もうひとつ、到来物の京都のお菓子
一善やの
「干し柿と胡桃と無花果のミルフィーユ」という
何層にも重なったお菓子が絶品だった。

いくつもの違う食感と
絶妙なバランスの食材の組み合わせで
思わず自分でもお取り寄せしようかと思ったほど。

家に帰って調べたら
とても高価だったので
美味しいはずだと思った。

お薄のお菓子も
大徳寺納豆を練り込んだ打ちものと
菊花の形の有名な落雁。

こんな風にいろいろな和菓子に出会えるのも
お茶のお稽古の楽しみだ。

結局、心配していた雨にも降られず
お稽古の帰り道も
ふたたび小路を縫って駅に急いだ。

行きがけには気づかなかった
民家の屋根に散ったもみじを
写真に収めたりしたが、
北鎌倉の駅舎が見えた頃には
この浮世離れしたひとときも
電車の踏切の音で終わりをつげた。


























2025年11月29日土曜日

新しい原画3点

 












今、我が家は玄関前のアプローチを壊して
外構工事の真最中。
土曜日だろうが構わず朝から業者さんが来て
1日中、ドリルで階段下の土を掘り返している。

3日前から工事は始まったのだが、
昨日から玄関からの出入りができなくなった。

つまり、和室のたたきの窓が唯一の出入り口なので、
誰かが必ず家にいないといけない。

いつもは自由きままに生きているのに
お互いの予定をすり合わせ、
今日は私が家にいることになった。

というわけで、
朝から新作の原画を描くことにした。

10月と11月に個展用の大きな作品を
摺ったので、
これからはもう少し小さめの作品に取り組み、
見に来て頂いた方に親近感をもって
いただける程度の作品を創らねば。

作品のデザインは
大きな作品を手掛けている間に
この部分を切り取って創ってはどうかと
イメージがいくつか湧いている。

単に切り取るというのではない。

亀が蓮の葉っぱの上に乗ると
重みで少し水が葉っぱの上に入り込み
半身浴みたいになるのか可愛いので、
その光景に光をあて
「ひなたぼっこ」もしくは「半身浴」と
いうタイトルにしてはどうかというのが
1点。

蓮池に取材にいくと
今まさに咲き誇る花もあれば
まだ蕾のものもある。
もしくはすでに散って中央のタネの入っている
部分だけが干からびているものや
花びらが落ちて葉っぱに積もっているものなど
いろいろな状態が見られた。

まるで女性の一生のように
蓮にもいろいろな時期があるのだが、
いずれもそれはそれで美しい。
まだタイトルが決まらないが
「それぞれ」にするか「それぞれの美」か
あまり説明的になりたくない。

とはいえ、凛と咲く蓮の花は本当に美しい。

木版を摺っている途中でここで辞めたいと
思う時が必ずあると
前回、書いたが
その瞬間を意識して今回の作品は原画を起こした。

つまり、紙の白を意識したり、
水の波紋の木版画ならではの表現を
前面に押し出すなど、
大きな作品だと要素が盛りだくさん過ぎて
ぼやけてしまう部分に
フューチャーして作品化する。

まだ、鉛筆原画の段階ではあるが、
大体、どんな感じに出来上がるのか
大きな作品を摺った後なので
イメージが温まってきている。

結局、
1日中、ドリルの音がBGMだったが、
それぞれの持ち場で仕事を着実にしたという
手応えを感じた11月末の土曜日であった。















2025年11月24日月曜日

近場の蟹でちょっと贅沢

 












今日はポカポカの小春日和。
昨日のお茶会とは打って変わって穏やかなお天気。

かねてよりお誘いを受けていた早めの忘年会。
辞めてしまったが陶芸倶楽部の同じ日メンバー4人で
川崎の『かに道楽』へ。

寒くなってくると食べたくなるもののひとつに
蟹があると思うが、
今シーズンは蟹を食べに旅行に行くこともないので
近場の蟹料理のお店に行くことにした。

建物の壁にドドーンと蟹がくっついていると
言えば
言わずと知れた『かに道楽』だが、
川崎店は初めて行った。

改装して1年ちょっとだとかで
店内はとてもきれいで
個室だし、お店の仲居さん達も着物姿なので
静かにゆっくりと食事とお話ができる。

なにしろ昨今はロボットが食事を運んできたり
注文もタブレットでというところが多いので
この人的サービスと個室空間は
それだけで贅沢な食事という気がする。

4人の内、私とAさんはすでに陶芸倶楽部を辞め
Aさんは別の陶芸教室に通っている。
私はとりあえず陶芸からは足を洗い、
目下は個展の準備とお茶のお稽古に忙しい。

Sさん親子はまだ以前ご一緒していた陶芸倶楽部に
所属しているので
まずは今の陶芸倶楽部の近況報告から。

同じ倶楽部なのに
年々、活動状況や内容や先生のスタンスが
変わるのはある意味やむを得ないところもあるが
納得いかない部分も大いにある。

そんな話を目の前の蟹の身を
一生懸命せせりだしながら
おしゃべりした。

お稽古事は私達にとっては趣味の世界なので
イヤイヤ行っても楽しくない。
趣味の世界に何を求めるのか
そんな話をしつつも
季節の蟹はやっぱり美味しい。

茹でた蟹はもちろん
蟹の茶碗蒸し、天ぷら、蟹シュウマイなど
どのお料理にも蟹がふんだんに使ってある。
とどめは蟹の釜めしだ。

いろいろなお料理が運ばれてくる間に
釜めしは炊きあがるのに30分はかかるからと
火を入れられた。
しばらくして
釜めしの釜から蟹の香りが立ちのぼると
「よっ、日本の冬!」と声をかけたくなる。

個室の部屋じゅうに蟹の香りが立ち込めると
五感が刺激され
冷たい日本酒ののど越しも最高だ。

話は『推し』は何かという話になり、
今、Aさんと私が沼っている
着物についての話になった。

人でも物でも『推し』がいたり
ハマっているものがあると
楽しいし、そこから友達の輪が広がったり
お出かけチャンスができたりするので
『推し』があるのはいいことと
私達ふたりが熱弁をふるった。

Sさん親子は
なんにつけあまり熱くなれないタイプな上に
ミニマリストでものを増やしたくないとかで
なかなかどっぷりハマったり
大金をつぎ込むということはないらしい。

最近、呉服屋さんの展示会に
ふたりで着物で出かけたら
「飛んで火にいる夏の虫」とばかりに
店員さんに取り囲まれて
大変なことになった話で大盛り上がり。

Aさんの大相撲観戦に着ていくための帯と着物、
私の来年の個展の時に着るための帯など
どこかに行くために着物や帯を誂えるなんて
やはり贅沢なこととは思うけど
それができることの幸せを思うと、
『推し』がいたり、沼にはまるのは
悪くない。

そんな言い訳がましい論理を展開し
「すんっ」とお暮しのSさん親子を揺さぶった。

最後のスイーツに私は雪見大福を選んだ。
それだけにはさすがに蟹は使われていなかったが
あとは最初から最後まで蟹三昧の
コース料理をぺろりと平らげた。

昨日のお茶会は日本の伝統文化の日。
今日の蟹料理は冬の日本料理の日。

インバウンドの人の憧れではないが
日本に生まれてよかった!
日本人でよかった!
と実感した。

だらだらと流れ作業で過ぎゆく毎日の中に
こうした日常を取り入れる大切さを感じた。

帰ってから記念写真をメールで送ったら
返信がきて
Sさん親子の娘さんから
「次回、お目にかかる時までに
『推し』を見つけたいです!」とあった。

私たちの『推し』讃歌に
圧倒されたのかも(笑)

























2025年11月23日日曜日

お茶会続きの秋

 


















先週の水曜日は鎌倉八幡宮にて行われた
表千家茶道神奈川支部のお茶会に
行ってきた。

本日11月23日は都内某所としか言えないのだが
ある数寄者の邸宅で行われたお茶会に
主催者側の一員として行ってきた。

主催する側ともなると
朝4時半には起床し、まだ外が真っ暗な中
着物に着替え、
お手伝いのための着物用割烹着などをもって
家を出た。

ちなみに私の今日の着物は
「風神雷神の絵柄の訪問着に袋帯」だ。

同じお社中のメンバーと駅の改札で待ち合わせ、
そこからタクシーで邸宅に向かったのだが
鎌倉方面組は朝4時には起きたというので
お茶会のお手伝いは大仕事だ。

他のメンバーは別の日にお掃除にも来ているので
大変だなどとは言えないのだが
お茶会を開くというのは本当にエネルギーが要る。

この茶会のお茶席は2か所あり、
小間という離れになっている茶室ではお濃茶が、
私たちが担当した広間では
立礼というテーブルスタイルで薄茶が振る舞われた。

お客様は7組で1組8名。
時間差で来ていただき
順番に小間と広間でお茶を召し上がってから
最後に
別のお部屋でお弁当を召し上がっていただく。

小間の担当、広間の担当、お弁当の担当と
それぞれが前日までにお道具組や
お点前や水屋の人の配置と流れなど
準備しなければならないことは山ほどある。

そして、先週、美術館クラスのお茶碗で
お茶をいただけるなんてと狂喜していたが
今度はそれを準備してお出しする側になる。

道具だけではなく
お茶とお菓子ももちろん周到に準備し、
みんなに喜んでいただけるよう
季節やお茶会のテーマに沿って
席主といってその部屋の主催者が
いろいろ考えて趣向をこらす。

私たちの部屋の立礼のためのテーブルは
「シルクハット型立礼卓」といって
その数寄者の方がオリジナルで藝大出の作家に
依頼して作らせたもの。

普通の立礼卓とは少し形が違って
シルクハットの形を模し
両端がピンと突き出たデザインで
さび朱色の漆塗りで出来ている。

本当はそこでロングドレスを着た女性が
お点前をし、
周囲をバーカウンターのように人が座って
順にお茶を愉しむという目的で作られたという。

実際にはそのような茶会が催されたという
史実はないようで
亡くなって20数年後に
その立礼卓はよみがえり
ここにようやく陽の目をみたということだ。

シルクハットやロングドレスから想起される
異国の空気感を表現するため
水差しはロイヤル・デルフトの藍の染付
茶器は独楽塗り菊の絵吹雪
茶杓は黒いべっ甲
香合はビルマのフクロウ
花入れは琉球やちむん島袋常明作など
広間は遊び心にあふれたお道具組である。

小間は小間でまったく違うお茶室なので
お濃茶に合うお道具組になっている。

しかし、主催者側の人間は
自分の持ち場の運営に終始するので、
私たちは小間を覗くことさえ叶わない。

そんな中、お弁当だけは事前に注文し
お客様と同じ『柿傳』のお弁当を
いただくことができる。

といっても
持ち場の仕事と仕事の合間に
15分くらいでチャチャッといただくので、
ゆっくり味わえないのが悲しいところだ。

かつての邸宅の主である数寄者の名には
瓢箪の瓢の字があるのだが、それにちなんで
このお茶会には瓢箪の形のものが
どこかに隠れている。

しかもそれはかならず6つある。
瓢箪が6つで
「無病息災」の意味をなすのだが、
このお茶会のどこにそれが隠れているのか
探すこともひとつの楽しみになっている。

掛け軸の絵に描かれていたり、
お弁当の卵焼きが瓢箪だったり、
瓢箪の実のお漬物が入っていたりする。
小間の主菓子が瓢箪の形の薯蕷饅頭なのも
分かっている。

写真のお菓子は持ち帰った小間の主菓子と
広間の干菓子。

私たちのお席では
瓢箪の形の菓子器に「木守」という
柿あんを挟んだ焼き麩のようなお菓子を盛って
お茶を点てる前にお配りした。
(抹茶はお菓子を全部食べてからいただくもの)

あとひとつの瓢箪はどこにいたのか。

そんなことを思いながら
シフト表に添って忙しく立ち働く内に
7組のお客様を送り出し
気づけば庭に西日が射しこみ夕方になっていた。

お茶会は、顔出しNG
お道具の詳細公開NG
邸宅の場所限定NGと
規制が多すぎて残念なのだが
4回目のこのお茶会も無事に終わった。

日常とはかけ離れた非日常をお客様に
提供するのは本当に大変だと再認識したけど、
お客様の「いいお茶会でした」の声を聴くと
少しは疲れが癒される。

家に帰り、着物と帯をほどき
ふと足の裏を見ると
白い足袋がビックリするほど真っ黒に。

古い邸宅の中を1日中動き回り
お茶を点て、
お茶を運んだ証だと思った。
本当にお疲れ~。