2025年10月20日月曜日

鳩による『空の巣症候群』








我が家の玄関わきの金木犀が
満開になった。

例年、10月初めには咲き始めるので
今年は異常気象による暑さゆえ
20日も遅れたと思われる。

そんなまだ花の蕾もない10月初めのある日、
今年の夏、金木犀に巣を作った鳩が
帰巣本能があるらしく戻ってきた。

飼っているわけではないけど、
我が家を選んで巣を作って
無事にヒナがかえって巣立っていった鳩が
戻ってきてくれたことが嬉しくて、
思わず写真に収めてブログをアップした。

名前さえ勝手にポッポちゃんと
命名した。
かえったヒナはポッポちゃんの子なので
ポッポ子ちゃんである。

巣に帰ってきてくれたのは
目の周りが赤い鳩なのでポッポちゃんの方だ
(ポッポ子ちゃんの目の周りは黒い)

しかし、その数日後、
朝起きて、新聞を取りに玄関に出てみると
たたきに何本もの鳩の風切羽が散っていた。

小さな卵も巣から落ちて
グチャッと潰れている。
ドキッとして木を見上げたが
そこにポッポちゃんはいなかった。

その風切羽の散らかりようを見て、
きっとカラスに襲われたんだと思った。

その日から、もしかしてと毎日巣のあたりを
見上げる癖がついてしまったけど、
やはりポッポちゃんは戻ってこなかった。

無事でいるだろうか。

夏、初めて我が家に巣を作った時も
卵を巣から落としてしまったが、
その後、何日かしたら
ヒナがかえったので本当にびっくりした。

ひとつは落ちてしまったけど、
もうひとつ卵を産んで
ちゃんとヒナがかえったのだ。

しかし、今回の卵は落ちてしまったのではなく
落とされてしまったのだろう。

そんな危ない巣に戻ることはできないと
本能的に分かっているに違いない。

今朝、玄関ドアを開けると
金木犀の芳しい香りが
ふわっとまとわりついた。

小さなオレンジ色の花がぎっしりついて
そのひとつひとつの花から
秋の香りが匂い立っている。

ポッポちゃんの白い羽毛がふたつからまったままの
巣はもぬけの殻だ。

私には金木犀の花に埋もれるようにして
巣で卵を温めているポッポちゃんが
はっきり見える。

幻影だと分かっていても
そこにポッポちゃんがいてくれたらと
寂しい気持ちがこみ上げてきた。

これぞまさしく
「空の巣症候群」

我が子が自立してしまったり、
大切な人を失ったりした後に
襲われる寂寥感を指して
「空の巣症候群」と呼ぶのは有名だが
今まさに、私はポッポちゃんのいない巣を見上げ
「空の巣症候群」状態である。













 

2025年10月19日日曜日

浜離宮ぼったくりコンサート

 












浜離宮朝日ホールで行われた
「俺クラ・プレミアム」と題された
コンサートに行ってきた。

何がぼったくりなのかというと
そのコンサートのチケット代が
10,000円だったからだ。

しかも通常2時間か2時間15分ぐらいある演奏時間が
75分(休憩15分含む)とある。

なぜ、そんなに高額なチケットで
しかも異様に演奏時間が短いコンサートに
行ったのかと言えば、
いつもの石田様フリークの友人に誘われるがままに
オーケーをしたからなのだが…。

昨今、コンサートのチケット代は
どんどん高くなっている。
コロナ禍以前は3000~4000円だった。
5000円とか言われるとギョッとしたものだ。

それが最近は6000~8000円くらいになってきて
旅行代なども約2倍に跳ね上がっているが、
それと同じくコンサートチケット代も
2倍くらいになっていると感じている。

それにしても、10,000円とはべらぼうに高い。
何がプレミアムなのかというと
いいお席の人にはポストカード付とある。

普通席の人は8,000円だ。

2,000円分のポストカードとは楽しみなことだ。

私としてはこの夏前の入院手術のことがあり、
コンサートには久しく足を運んでいなかったし、
たまにはいいかと思っての大英断。

せめて「ぼったくり」と言われないよう
目にもの見せてほしいと願っていたのだが…。

内容は
石田泰尚のヴァイオリン
三浦一馬のバンドネオン
ニュウニュウのピアノ
この3人による室内楽アレンジのクラシック。

曲目は
ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」
バッハの「アヴェ・マリア」
ファリャの「火祭りの踊り」
ウィリアムスの「シンドラーのリストのテーマ」
ドビュッシーの「月の光」
サン・サーンスの「白鳥」など
よく聴き知ったクラシック曲を編曲したもの。

最初にニュウニュウ一人が舞台に現れ、
ソロで「Sunny Day」を弾き始めた。

ニュウニュウは長身の中国籍の若者で
ラメ入りの紺のスーツを着て
イマドキのヘアスタイル、端正な甘い顔立ち。
東方神起の元メンバー、チャンミンに似ている。

ピアノの演奏スタイルは
ビジュアルとシンクロするように甘く、
左手が音と音の合間に必ず宙を舞う。

長い指の白い手がスポットライトを浴びて
宙を舞い、
横顔にかかった髪の毛が揺れる度、
曲調に合わせて目元の表情が変わる。
エンターテイメント性の高いタイプ。

1曲目が甘い曲調だったので、
私の脳裏には、みなとみらいのホテルの最上階で
夜景を見下ろし、カクテルを飲みながら
静かに誰かと話している図が浮かんだ。

その横で
ニュウニュウ君がピアノを弾いてくれたら
きっと素敵だろう。
そんな演奏だった。

ソロの2曲目は、
誰もが知っているクラシックの名曲を
次々10曲ほどもパッチワークのように繋いで
こんなテクニックも持っていますと見せつける
超絶技巧を駆使する曲だった。

3曲目からは三浦一馬君も登場しての
ピアノとバンドネオンのデュオと、
石田様が登場してニュウニュウ君とのデュオ。

あっという間に前半の30分が終わって休憩になり
特に演奏が悪かったわけではないが
「これに私達、もう5,000円払っちゃったのね」
という気がした。

休憩の後の第2部は
石田様と三浦一馬君のデュオから始まり2曲。
ヘンデルの「私を泣かせてください」
ウィリアムスの「シンドラーのリストのテーマ」

この2人は以前から何度も一緒に演奏している。
大抵は三浦一馬君がバンドネオンなので
タンゴつながりで、
ピアソラの曲を演奏することが多い。

三浦一馬君もここのところ腕をあげているので
石田様のヴァイオリンとのセッションは
聴きごたえが増している。

しかし、なにせこのコンサートは
「俺クラ」と銘うたれているとおり
クラシックの曲ばかり。

3曲目以降の3人のトリオ演奏になると
ドビュッシーの「月の光」
サンサーンスの「白鳥」に
バンドネオンは必要ないのではというのが私の意見。

友人はそれもありだと楽しんでいたけど、
私はピアノとヴァイオリンだけで聴きたかった。

最後の1曲は3人で
ブーランクの「城への招待」で
予定のプログラムを終了した。

そして、アンコールにピアソラを2曲。
「アレグロ・タンガービレ」と
「リベル・タンゴ」を演奏したのだが、
こちらは割れんばかりの大喝采。

このコンサート、
夜の部は「俺のピアソラ」と銘うたれた
全曲ピアソラ特集だったので、
10,000円出すなら夜の部を聴くべきだったと
つくづく思った。

個人的には、この10,000円チケットが
ぼったくりなのか、適正価格なのかは
演奏を聴いてから決めようと思っていたのだが、
アンコールのピアソラの出来が良すぎたので
結果、
クラシックの演奏の方は「ぼったくり感」が
否めない。

昨今、夜な夜なコンサートに出かけるのが
かったるくなっているお年頃だが
やはりそのあたり、必要とあらば、
ちゃんと価値を見極め、
身を削ることをいとわない態勢が重要である。

本日の学び。

ちなみに2000円分のポストカードとは
フライヤーと同じ写真をただ葉書にしただけの
お粗末な1枚のみ。

われ、わしに喧嘩売っとんのか!!!
(あら、失礼)






















2025年10月11日土曜日

鎌倉薪能の夕べ

 














令和7年10月10日
鎌倉の鎌倉宮の境内で行われた
「第67回 鎌倉薪能」に行ってきた。

お茶のお社中で鎌倉に住んでいる方に
チケットをとっていただき、
今回で3回目の薪能鑑賞だ。

お天気は薄曇りで、気温も暑からず寒からず。
とはいえ、鎌倉宮の境内は夜になると冷え込むので
皆、ショールや半コートなどを手に
夕方、鎌倉駅のタクシー乗り場に集合した。

今回からは雨天になった時の
代替会場として鎌倉芸術館が用意されているが
やはり、薪能は鎮守の森の中で観てこそ。

お天気の具合としては
これ以上ないベストコンディションだった。

個人的には10月5日に
長良川の鵜飼を鑑賞してきたばかりなので、
篝火つながりというか
日本の伝統芸能に触れる秋になった。

鎌倉薪能は
第1回が1959年(昭和34年)で、
奈良の興福寺や春日大社に次いで
3番目に長い歴史をもっているということだ。

薪能とは、
お客さんに見せることが目的の芸能ではなく
元来、天下泰平・五穀豊穣・国土安寧を願う
神事として執り行われるもの。

僧兵による衆徒法螺の音に始まり、
篝火の火入れ式、素謡、狂言、
神酒賜りの儀、能、附祝言と
奉納されるこれらの神事に
立ち会わせていただいている。

鎌倉薪能におけるお能は金春流が
狂言は和泉流が請け負っているので
毎年、金春流と和泉流の演者さんが出演する。

今年の演目は
狂言が「棒縛り」
シテ(太郎冠者)は野村裕基

能は「羽衣」
シテ(天女)は第八十一世家元の金春憲和
ワキ(漁師白滝)館田善博
ワキツレ(漁師)御厨誠吾

「棒縛り」は歌舞伎でも何度も観た演目で
棒に縛られてでもお酒が飲みたい男の
面白おかしい所作がみどころだ。

野村萬斎の息子の野村裕基がシテだったが
もう26歳になっていると思われるが
愛くるしい顔立ちのせいか
とても若々しい若者という感じ。

声の質がお父さんそっくりで
背が高いので所作が大きく
可笑しみを表現するのにぴったりなので、
狂言界の次代を担う若手のホープだ。

「羽衣」のシテは
八十一世家元が勤めたが
本当ならお父さんの八十世家元の金春安明氏が
やるはずが体調不良で八十一世に。

金春流もそろそろ次世代への変換期なのかも。

「羽衣」は天女が地上に降りた時に
羽衣を漁師(人間)に隠されてしまった。
「返してほしいと願い出る」と
「舞を舞ってくれるなら」と言われ、
実際に羽衣を身に着け舞ってみせるという物語。

天女だけが能面をつけ、
月をかたどった美しい金の宝冠をつけている。

途中で身に着けた羽衣は本当の金の糸で織られ
鳳凰の柄が文様として織り込まれている。

暗い森に薪のパチパチはぜる音と虫の音。
謡の低く響く声が
天女が月の天人として白衣と黒衣を着て
ひと月の夜ごとに15人で入れ替わり
定められた月の役目を果たしていると
語っている。

あまりに幽玄の世界過ぎて
その物語の意味までは聴きとれなかったけど、
間違いなく鎌倉の森に
雅で不思議な空気が漂っていた。

すべての演目が終わり、
さっきまで面をつけて舞っていた金春憲和氏が
ラフな服装であいさつに出てきてくれた。

メガネをかけた40代のおじさんがそこにはいて
ゲストの假屋崎省吾さんなどと話しながら
気さくに写真撮影に応じていた。

天女の化けの皮がはがれ過ぎていてびっくりしたが
近くまでいって
篝火や幕の写真などを撮らせてもらった。

1000人ものお客さんが
夜風がだいぶ寒くなってきた境内を
ショールに顔をうずめて帰っていく。

玉砂利を踏む音があちこちですると
ここはまだお寺の境内なんだと判るけど、
一歩、境内をぬけると
大型バスが何台もスタンバイして待っている。

そして、ぎゅうぎゅうに乗り込んで
みんな現世に戻っていった。






2025年10月9日木曜日

秋の旅3 山懐の大井川鐡道

 

















旅の3日目、最終の観光は
「大井川鐡道あぷとラインの旅」だった。

以前から山々に囲まれた大きな川にかかる橋を
赤い電車が走っていき、
途中、まるで中空に浮かぶような駅に停車するという
写真を何度か見る度に
いつか行ってみたいと思っていた。

それはドローンによる写真なので
本当に電車に乗っている人には
自分が中空にいるところは見えないのだが、
大自然の真ん中にいるという気分は味わえるに
違いない。

大井川鐡道井川線は奥大井に位置して
千頭駅と接岨峡温泉という駅を繋いでいる。
本来、途中の「長島ダム」の建設時に
資材を運んだり、建設関係者を運ぶために
作られた、いわばトロッコ列車だ。

ダムの建設が終わってからは
主に観光目的になっているが、
途中の急坂で「あぷと式」という
連結車両に連結したりはずしたりの作業が
この大井線に乗る醍醐味になっている。

バスは上流の接岨峡温泉駅まで
私たちを乗せていき、
私たちは電車で下り、バスは山道を下って
下流の千頭の駅で合流するという段取りだ。

電車は冷暖房もなく、ほこりにまみれ
昔の作業列車のまま、
動き出す時には「ゴゴンッ」と大きな音を立てる。

無人の駅に途中停車しては
「ゴゴンッ」となり、
発車する時も「ゴゴンッ」となる。
私たちはその度に大きく揺れ
「ワォ」と思わず叫ぶ。

1000分の90というのがその急勾配を示している
らしいが、1000m進む間に90mの高さまで登ると
いう意味だそうな。

その最も急な坂道だけは
あぷと式という連結車を電車の進行方向に連結して
登る時には引っ張る役目を果たし、
降りる時には電車が落ちてこないように制御する。

その作業がある時は電車に乗っている私達も
ホームに降りて先頭車両のところで
連結の作業を見学することが出来る。

そんないかにもローカルな作業と
周囲の美しい山並みと
静かな水面に逆さに映る山並み。

開け放たれた車窓を渡る清々しい風。

きっともう半月もすれば、
山々は赤や黄色に色づくだろう。

私たちが見た奥大井の山々は深い緑色だったけど
十分美しかったし、空気が何より澄んでいた。

千頭の駅には
お役目を終えた「機関車トーマス号」が何台かいた。
きっと夏休みの間中、
この山々に子ども達の歓声が響いていたのだろう。

今はダム建設のための貨物列車の役目を終えた
かもしれないが、
新たな役目を担って
奥大井の山懐を駆け抜けている。

旅の最後に目に鮮やかな緑と
美味しい空気を胸いっぱいに吸いこんで
帰りは静岡駅から
新幹線の鈍行列車「こだま」に乗って
帰路についた。

「こだま」の脇を猛スピードで
「ひかり」と「のぞみ」が何本も駆け抜けていく。

最近は「こだま」に乗る機会はなかってけど、
大井川鐡道のガタゴト列車の後だったせいか、
「そんなに急いでいかなくてもいいかも」
そんな気分で
最後の夕食に静岡の「鯛めし弁当」を頬張った。

命の洗濯
これにて完了!!






























2025年10月8日水曜日

秋の旅2 あくなき食の追及

 
















旅の2日目は素晴らしい晴天に恵まれた。
秋の空は高く、突き抜けるように透き通っている。

2日目のメインイベントは「近江牛のフルコース」だ。

1日目の国宝・彦根城から一転、
2日目はバスは一路、岐阜の西濃地方に位置する
大垣城へ。

大垣城は以前は日本の百名城に数えられていたが
1945年の終戦直前にお城が消失してしまったせいで
名城リストから外れてしまったらしい。

現在、その後建て替えられたお城の中は資料館的
色合いの濃い展示になっていた。

大垣城は1日目の彦根城に比べ平地にあるので
お城にたどり着くのも中の階段も容易なので、
その分、ありがたみも薄れる感じだ。

この旅行のコースの中で、大垣城は
「近江牛への寄り道」みたいなもので
何と言ってもみんなの期待は牛肉へと向かっていた。

団体旅行の旅程に2時間もかけた
フルコースの食事が組み込まれること自体
稀なことだ。

近江牛は、神戸牛・松坂牛と並ぶ日本の三大牛の
ひとつだそうで、
しかも年間6000頭出荷される近江牛の中でも
13頭しか選ばれない最優秀賞を受賞した
チャンピオン近江牛を贅沢にフルコースにしたもの
とある。

料理に提供される近江牛には
認定書なる証明書が発行され、
個体識別番号・生産地・生産者・品種・性別
出荷月齢・格付け・と畜場・と畜日が
記されている。

きっと28か月間、大事に育てられた牛には
名前もついていただろう。

それを私たちが美味しくいただくことが
家畜の牛にとっての幸せと言えるのか
何だかとても微妙な気持ちになった。

しかし、そんなことを考えるいとまもなく
バスは鉄板ダイニング天満というレストランに到着。
私たちは10名ずつに分かれて鉄板を前に
テーブルについた。

このレストランは
近江牛の1頭買いをウリにしているので、
普段は口にできない希少部位もあますことなく
いろいろなお料理にして出してくれる。

ファイヤーパフォーマンスで場を盛り上げ、
次から次へと提供されるお料理と共に
2人で1本頼んでしまったボトルの赤ワインを
グラスに2杯3杯といただくうちに
お腹は満杯、かなり苦しいほどになってきた。

そこから、バスで愛知県の豊川稲荷まで移動する間
私たちはお腹をさすりながら
眠ることさえできずに
ただ、近江牛が少しでも消化するのを待っていた。

1日目の日本の伝統美を鑑賞し、
伝統食に舌鼓を打った雅な体験に比べ、
何か釈然としないものを感じながら
人間の欲の深さはつくづく罪深いものだと思った。

きっと個人でこのフルコースを食べに来たら
かなり高額なお食事だったと思うけど、
今の私にはもう少し滋味深くて
丁寧に作られたお料理の方が
心穏やかに食べられる気がした。

2泊目のホテルは浜名湖の湖畔にたたずむ
オールインクルーシブの外資系ホテルだった。

シックなデザインの部屋といい、
質のいい寝具といい、
温泉の湧き出る露天風呂といい、
ホテルの格としては1泊目より上等だった。

お料理もビュッフェスタイルの晩ご飯と朝食
だったけど、どちらも和・洋・中が充実し、
ライブクッキングで提供される鮎の天ぷらや
サーモン・ベネディクトなどもとても美味しかった。

3日目。静岡・牧之原のお茶の工場では
7段階ある抹茶アイスクリームの1番濃い7番を
食べてみたが
甘み控えめで抹茶の味が濃厚で
これまた、美味だった。

最後のランチは
老舗のうなぎ屋さんのうな重だった。
こちらもたれが甘すぎず
ふっくらした鰻で
思わず店名をメモするほどの美味しさだった。

結局、「かわいそう」とか「もったいない」とか
「もうお腹いっぱい」などと言っても、
食べてしまうのが人間の業。
「美味しいものはやっぱり美味しい」

そして、食べ過ぎては二人とも
「帰ったらカーブスに行って取り戻さなければ」と
言っているのだからあきれるばかりだ。

とはいえ、時にはこんな贅沢もありかもと
言い訳をしながら
日本全国、うまいもの巡りをした気分だ。
(揺れ動く女心と秋の空)