2025年12月9日火曜日

1年ぶりの再会

 









今日は丸1年ぶりに友人Kさんと
銀座で「デート」した。

「デート」という言葉を使いたいと思うくらい
彼女とは会いたくても会えない事情があった。

Kさんとは
コロナ禍に世界が見舞われる前の10年間、
ほとんど毎年のように海外旅行に
出かけていた。

「今年はどこにする?」というミーティングに
始まり、
どちらかが提案する行き先に対し
「10日間・ビップバス・自由行動有り」を
キーワードに
1番良さそうな旅程のコースを選び、
主にヨーロッパを中心に
いろいろな国に旅した。

しかし、2020年の春、コロナが始まり
モロッコ旅行をキャンセルして以来、
旅友関係は解消せざるを得ない状況になった。

更に3年前、Kさんの旦那様が病に倒れ
そこからはKさんの介護の日々が始まった。

出歩くことがままならなくなったKさんとは
ちょうど1年前、やはり銀座で会って
ランチしてお茶して
たくさんおしゃべりしたが、
その後も介護の日々は続き
早くも1年の月日が流れた。

先日、恐る恐るLINEで今の状況を伺うと
彼女も同じ気持ちでいてくれたので
今年もまた銀座で会うことになった。

「また、彼女に会える!」
その想いはまるで恋人に会うかのようで
お互い、エステに行ったり美容室に行って
1年間で老け込んだと思われないよう
何を着ていこうかあれこれ考えた。

そんな感覚がとてもよく似ている私達なので
10日間も旅行していても
1度も気まずくなったり喧嘩したことはない。

かといって遠慮しているとか
リードしているとかでもなく
ちょっと年上な分、
少し私の方がお姉さん風をふかせ
バスの窓際とお風呂は、初日は先になる。
でも2日目からは順番で交代になるので
何の問題もないのだ。

今日は11時半に和光の前で待ち合わせ、
クリスマスの飾りつけになったウィンドウの
前に彼女の姿を見つけると、
2人とも思わず駆け寄ってハグした。

ここのところ以前のようにママ友ランチで
豪華なレストランにいく習慣もなくなって
思い当たるレストランがないので
昨年と同じ場所へ。
夜になるとダーツバーになる
ちょっとマニアックで大人なムードの店で
まずはランチ。

それぞれこの1年のビッグトピックスを
話のネタに用意していた。
彼女は不死鳥のような生命力の旦那様の話、
私は硬膜下血腫で脳外の手術をした話を
ランチの鶏肉を口に運ぶのももどかしく
一気にしゃべり続けた。

Kさんは1年前の不穏な空気に比べ
どこか吹っ切れたように明るさを取り戻し
時折、私の話に大きな声をたてて笑った。

「今日は萩さんの話が聞きたくて」と
この日を待ちわびていたと話すKさん。
私も恐る恐る声をかけたお陰で
また会えてよかったと思った。

ランチの後は、昨年トライして
お休みの日で諦めた
資生堂パーラーのカフェへ。
ここで贅沢パフェを注文して昨年の仇を討つ。

Kさんは
「九州産”恋みのり”のストロベリーパフェ」
私は
「レアチーズのホワイトクリスマスパフェ」

それぞれパフェだけで3,000円もするのに
珈琲までつけて
銀座マダムのカフェタイムだ。

そんな感覚や好みも同じ。

10年間の旅行のあそこがよかった、
ここもよかった。
あそこにもう1度行きたい、
本当にいい時に行ったよねと、
思い出話は
長いスプーンでパフェをほじくりながらも
留まることがない。

一瞬、
こんな高価なパフェをいただいているんだから
もっと味わったり
中身の感想を言うべきとも思うけど、
それより何より思い出話に花が咲く。

今すぐには無理でも
いろいろ段取りして小旅行なら行けるという
Kさんの話に希望を見出し
西に陽が傾いた銀座の大通りで
またハグしてお別れした。

だいぶおばさんになったと自覚はあるけど
嬉しい気持ちはハグしなきゃと思う
そんな感覚も同じ大切な友人である。















2025年12月7日日曜日

ノスタルジックな大掃除

 










今日の横浜は最高気温18℃だというので、
大掃除の第1弾を決行することにした。

大掃除は
毎年、もう少し暮れも押し詰まってから
していたが、
段々、一気にやるのがしんどくなってきた。

かといって業者に頼むのも嫌なので、
まずは暖かい日を狙って水仕事から。

本日のミッションは
浴槽の一穴ジャバとお風呂場のカビキラー
1階と2階の洗面台磨き
窓ふき

窓ふきは太陽がのぼって
窓に陽が差し込んでからにしようと思い、
まずはお風呂場から。

浴槽に水を張りジャバをふりかけ
追い炊きをしている間に
カビキラーを撒いて膨潤させる。

小まめにする人はそんなことないだろうが
この作業をすると年末だなぁと感じる。

洗面台のシンクや水栓をこすって
ピカピカになると
途端に周辺の汚れが気になりだす。

写真のちょっと古めかしい石鹸置きは
37年くらい前、
香港から帰国が決まった時に求めたもの。

当時はポンプ式の手洗い石鹸はなく
固形石鹸を石鹸用のお皿に置いていた。
使った後の石鹸から雫が落ちるので、
水溜まりがあったり
お皿が二重になっていて
下に落ちるようになっていた。

当時の香港は
まだイギリス統治時代の名残があって
イギリスやヨーロッパの製品が
かなり街に出回っていた。

香港滞在中もその恩恵には浴していたが
最後に何かイギリス製品を買おうと思って
街を物色していた時に見つけたものだ。

今となっては
手は「キレイキレイ」で洗っているが
木版の摺りの時、
大量の絵筆を洗うのは固形石鹸なので、
その時のためだけに
イギリス製の石鹸置きは捨てずにいる。

2階の洗面台には
自作の歯ブラシ立てがあるが、
こちらは36年物だ。

香港から日本に帰国し
長女が幼稚園の年長組に編入した。

その時のママ友で
ポーセリンアートを趣味にしている人がいて
ある日「絵付けをして遊びましょ」と誘われ
歯ブラシ立てを選び、絵付けしたもの。

家族4人のイニシャルを描いて
薔薇の絵柄でデザインした。
たしか釜もママ友さんの自宅にあって
後日、焼きあがったものを受け取ったと思う。

その後、何回かの引っ越しの際も持ち歩き
娘たちは独立したので
夫婦のイニシャルしか前に向いていない。

これは実に掃除の難しいアイテムで
口に入れるものを差しておくには不衛生だが
何となく捨てるに忍びなく
今日まで使っている。

今日も長時間、キッチンハイターをしたけど
積年の染みまでは取り切れない。
捨てるかちょっと悩んで
結局、元の位置に戻した。

大掃除で意外に効果を感じるのは
電気のスイッチカバーの周辺をきれいにすることだ。

毎日毎日、各部屋の電気をつけたり消したり。
その度に周辺の壁紙にも手が触れる。
気づくとカバーの厚みにホコリが溜まったり
スイッチの周辺や壁紙が黒ずんでいる。

それを拭き掃除するだけで
なぜか明るくなり清潔な印象になる。

部屋やお風呂場などあちこちのスイッチカバーを
拭いて回っている時、
ふと気が付いた。

我が家は築10年の中古物件を
バブルがはじける直前に購入し
リノベーションして四半世紀になる。

その時、古いままのスイッチカバーは35年物。
リノベーションした時に新しくしたものは
25年物。
お風呂場など割合最近取り替えたところは
スイッチも新しくなり8年物だ。

1番古いいくつかは
カバーの色も飴色になっているし、
デザインもノスタルジックだ。

だからといって機能面では問題ないので
周辺を拭き掃除して
もちろんそのままにした。

拭き掃除して、やっぱり捨てられないものが
まだあった。
2階の踊り場の電話台の下で
釣りをしている木製の3匹。

これは日本に帰国してから
家族旅行で那須に行った時
バザールで見つけたタイ製の置物。
何となく海外時代が懐かしくて買ってしまった。

まだ子ども達が中学生と小学生だったか。

もちろん今は独立して家を出ているが
なぜか電話台の下で
ほこりをかぶって釣り糸を垂れている。

捨てられない海外時代のノスタルジーは
まだある。

ふと見るとリビングの窓際に
大きなコアラのぬいぐるみ。
ダンナの帽子をかぶっている。

これはシンガポール時代、
ダンナが日本に帰国することが決まり、
インター校に通っていた娘二人と
シンガポールで個展が決まっていた私の
女3人が留まることにした時のお話。

最後にオーストラリアのパースに
家族旅行した際に求めた
パパの身代わりコアラだ。

パパの逆単身赴任を見送って以来、
今日まで、リビングに鎮座している。

とうの昔にダンナは日本に帰国しているが
四半世紀もリビングに主のような顔をして
座っている。

捨てる機会はすっかり失った。
このコアラ、あまりの大きさなので
捨てるとしたら粗大ごみ。

生きている方も帽子も方も
粗大ゴミ化が著しい年の暮れである。
(あちゃー)




















2025年12月6日土曜日

ふたりのカウンセリング卒業生




今日はカウンセラーとして
嬉しいことがあった。

長いこと通ってきていたクライエントさんが
ふたり、今日をもって
カウンセリングを卒業したのだ。

心理カウンセリングに関しては
カウンセラーには守秘義務があり
誰のことか特定できる形では書けないので、
ほとんどブログには登場しない。

基本、
カウンセリングは何か悩み事がある人が
その問題を解決したかったり、
自分の生き方そのものを変えたくて
カウンセリングルームの門をたたく。

私が主催するカウンセリングルームは
単に傾聴して共感するという方式の
カウンセリングではなく
認知行動療法とスキーマ療法を主軸に、
その方の考え方や感じ方のクセにアプローチし
少し考え方や感じ方を変えることで
少し気持ちが楽になったり、
相手の対応が違ってくるのを目的としている。

そうしたカウンセリングの中で
問題がもっと深いところにある、
つまり、成育歴の段階から書き換えなければという
深いセッションを行うのがスキーマ療法だ。

今日のクライエントさんは男性Sさん。

ちょうど2年前の1月から通い始めた。
丸2年かかったのはスキーマ療法を行ったから。

ここに来る前は元勤めていた会社で
人間関係をこじらせ、
約3年間も引きこもり生活を送っていた。

奥さんもお子さんもいる状態で
先に奥さんがカウンセリングにやってきて
状態が上向いたところで
選手交代で夫のSさんが通うことになった。

引きこもり生活でうつ状態だったので
障害者手帳の3級も取得しており、
障害者雇用枠での就職を希望していた。

IT系に強く、それを武器に支援センターに通って
そこからいくつもの会社にエントリーし
就活をしてきた。

私は心理カウンセラーの他に
横浜にあるパティシエを育てる専門学校の
就職対策講座の非常勤講師を
20年くらいしている。
彼の場合はそちらの経験から
アドバイスをすることが出来たので
心理カウンセラーというより
ここ半年は就職対策の講師役だった。

今年の暑い暑い夏、
熱中症になりながら頑張ったのに
第一希望の会社の内定がとれず
すっかり気落ちするSさん。

落ちた面接にも必ず学びはあると励まし、
それを次の面接の戦略に活かそうと
叱咤激励した結果、
秋口にはいって潮目が変わり、
いきなり3社が入れ食い状態に。

結局、総合的に判断して
とある伝統と格式のある保険会社に内定。
11月初めから有楽町の本社ビルに通うことに。

当初はカウンセリングは
就職が決まるまでということだったけど、
1ヵ月実際に働いてみてどうかの報告をしてから
カウンセリングを最後にすることになった。

今日はその報告会。
カウンセリングルームに入ってきたSさんの
顔の表情を見ただけで
上手くいっているなと直感した。
なので、1時間、その環境や仕事内容、
人間関係の話を聴かせてもらって、
無事に2年間のカウンセリングは終わった。

深々とお辞儀をして
「先生のお陰です」との言葉をいただき、
「また、何かあったらいつでも来てね」と
笑って送り出した。

これがSさんのカウンセリング卒業式である。

そして、夕方、
別のクライエントMさんからメールが届いた。
「ご報告」というタイトル。

彼女は今年の始め、
最初のカウンセリングの時、
1時間ほとんど泣きながら、
上手くいっていると思っていた彼氏が
急に冷たくなった上に
どうやら別の女性とつきあっているという。

妙齢のMさんにとって
結婚は目下の最大の問題で
この年齢でまたひとりになることは耐えられない。

そうこうしている内に
相手の男性はできちゃった結婚で
その別の年上の女性と結婚。
ハメられたのでは泣いている。

揺れる女心と収まりのつかない嫉妬心。
こうなるとカウンセリングは結婚相談所だ。

そこに登場するまた別の男性とのおつきあいに
話は移っていったので、
その後はまるで娘のような年齢のMさんんとの
セッションは新しい彼とどうするかに終始し、
完全に仲人業務になっていく。

秋、その彼とうまくいきそうなタイミングで
Mさんはカウンセリングを卒業したが、
今日のメールは
「入籍しました!」という報告メールだった。

結婚相談所としては
「一組成立!」ということで、
いろいろあったけどうまくまとまってくれたので
一安心だ。

こんな風に同じ日に
「めでたしめでたし」になることは珍しいが
ちょうど2年前と1年前の1月初めに始まった
カウンセリングが
年の終わりに向け、
収まるところに収まったことになる。

師走というのは何となく人をそういう気分にし
決着をつけたり、結論を出したり、
区切りをつける時期なんだと思う。

2人とも、泣いたり、引きこもったり、
腐ったり、暴飲暴食してたけど
真っすぐ前を見て
新しい年を迎えてほしい!!

やれやれ、ひとまず、
2025年の結婚相談所も
就職支援所も閉店ガラガラできそうである。





 

2025年12月3日水曜日

晩秋の北鎌倉

 














2025年も早12月になり、
余すところひと月になった。
年々歳々同じことを言っているが、
時の経つのが早すぎる。

今日は12月のお茶のお稽古の1回目。
久しぶりに
前後にカウンセリングが入っていなかったので
着物で出かけることにした。

本来、茶道は着物を着て行うように
所作は出来ているので
やはり出来れば着物でお稽古に行きたい。

天気予報では午前中に少し雨が残るかもと
いうことだったので、
白っぽい着物は辞めて
黒地の大島紬に刺繍の入った訪問着と
沖縄の紅型の名古屋帯を合わせることにした。

着物の刺繍は全身に
モノクロームでもみじと桜が描かれている。
こうした柄は春でも秋でも着られるよう
季節の違う樹木を同時に刺している。

お茶の茶碗や茶器にもこうした柄は時折あって
「春秋柄」と呼ばれている。

着物としては全体に黒っぽいモノトーンなので、
むしろ帯の紅型模様が映えるよう選んでみた。

今回の大島紬は
昔、誂えた着物なので
身幅が狭くなっているのではと心配したが、
ここのところ痩せたせいで
かなり余裕で身頃の打合せが重ねられ
まずはホッと一安心。

北鎌倉の駅前でいつもどおり
鎌倉からの友人2人と待ち合わせ、
北鎌倉の住宅街の細い抜け道に入った。

北鎌倉駅周辺は鎌倉駅とは全く違い
人の気配もない静かな街だ。
とりわけ、私たちが歩く道は
車も入れない小路なので
昔ながらの戸建てのおうちがひっそりと並び、
その庭先には季節の木々が植えられている。

日本家屋に似合う樹木が選ばれているので
お茶のお稽古に使えるような花も多い。

今はもみじの紅葉がそろそろ終わりの時期で
小路に散り敷いたもみじが
道を覆いつくして美しい。

着物を着た3人が少し濡れているもみじを踏んで
小路をゆく姿はちょっと絵になる。

お稽古場の先生のお宅の近くに
とてももみじの綺麗な場所があるというので
今日は少し寄り道をして
まず、そのもみじを観に行った。

やはりもみじとしては終わりかけだったけど
散り敷いたもみじは
小路のもみじより色鮮やかで
木戸や橋の古びた木の色とのコントラストが
北鎌倉らしい情緒を感じさせた。

「北鎌倉にお茶のお稽古に」
なんて耳心地のいいサウンドだろう。

まして着物で出かけていくなんて
贅沢な非日常だとしみじみ思えてくる。

先生のお宅もだいぶ古くなった日本家屋で
先週あたりから茶室の電灯の調子が悪い。
そのせいで灯りのない自然光の薄暗い茶室で
お稽古は行われた。

谷崎の「陰影礼賛」ではないが
障子を通したわずかな光を手掛かりに
炉を切ってかけられたお釜の湯で
濃茶を点てる。

五感が研ぎ澄まされ
抹茶を練るとその香りが瞬時に茶碗から香り立つ。
お釜の下の炭の火が赤く燃え、
薄暗い手元を少し明るく照らすようだ。

お茶が点てられ、正客が立ち上がり
畳を歩くと衣擦れの音がする。

自分の席に茶碗を持ち帰り、
一服、口に含んだ時に声をかける。
「お服加減はいかがですか」
「たいへん結構でございます」

そんな大人のままごとみたいなやりとり。

お茶名やお詰め、お菓子の名前を正客が尋ねる。
お道具の拝見で出された茶入れや茶杓の銘を
自分で考えてきて答えることで
季節に思いを馳せたり
昨今の話題に転じたりして会話を楽しむ。

そんな優雅で静かな時が流れた。

私が今日、考えていった茶杓のご銘は
「初霜」
他のふたりは「静寂」と「都鳥」

みな、歳時記などを見ながら
その時期にふさわしい銘を考えてくるのだ。

残念ながら茶室の撮影がNGなので
何もお見せできないが
その季節にあったお道具組でしつらえた
お軸やお棚、水差しや茶碗などを愛でながら
ゆるりとお濃茶とお薄をいただく。

お茶には必ずお菓子がついてくる。
今日はお濃茶には柳月製「ころ柿」だった。
まるで本物の干し柿のような形で
中にあんこが入っていて美味だった。

しかし、もうひとつ、到来物の京都のお菓子
一善やの
「干し柿と胡桃と無花果のミルフィーユ」という
何層にも重なったお菓子が絶品だった。

いくつもの違う食感と
絶妙なバランスの食材の組み合わせで
思わず自分でもお取り寄せしようかと思ったほど。

家に帰って調べたら
とても高価だったので
美味しいはずだと思った。

お薄のお菓子も
大徳寺納豆を練り込んだ打ちものと
菊花の形の有名な落雁。

こんな風にいろいろな和菓子に出会えるのも
お茶のお稽古の楽しみだ。

結局、心配していた雨にも降られず
お稽古の帰り道も
ふたたび小路を縫って駅に急いだ。

行きがけには気づかなかった
民家の屋根に散ったもみじを
写真に収めたりしたが、
北鎌倉の駅舎が見えた頃には
この浮世離れしたひとときも
電車の踏切の音で終わりをつげた。


























2025年11月29日土曜日

新しい原画3点

 












今、我が家は玄関前のアプローチを壊して
外構工事の真最中。
土曜日だろうが構わず朝から業者さんが来て
1日中、ドリルで階段下の土を掘り返している。

3日前から工事は始まったのだが、
昨日から玄関からの出入りができなくなった。

つまり、和室のたたきの窓が唯一の出入り口なので、
誰かが必ず家にいないといけない。

いつもは自由きままに生きているのに
お互いの予定をすり合わせ、
今日は私が家にいることになった。

というわけで、
朝から新作の原画を描くことにした。

10月と11月に個展用の大きな作品を
摺ったので、
これからはもう少し小さめの作品に取り組み、
見に来て頂いた方に親近感をもって
いただける程度の作品を創らねば。

作品のデザインは
大きな作品を手掛けている間に
この部分を切り取って創ってはどうかと
イメージがいくつか湧いている。

単に切り取るというのではない。

亀が蓮の葉っぱの上に乗ると
重みで少し水が葉っぱの上に入り込み
半身浴みたいになるのか可愛いので、
その光景に光をあて
「ひなたぼっこ」もしくは「半身浴」と
いうタイトルにしてはどうかというのが
1点。

蓮池に取材にいくと
今まさに咲き誇る花もあれば
まだ蕾のものもある。
もしくはすでに散って中央のタネの入っている
部分だけが干からびているものや
花びらが落ちて葉っぱに積もっているものなど
いろいろな状態が見られた。

まるで女性の一生のように
蓮にもいろいろな時期があるのだが、
いずれもそれはそれで美しい。
まだタイトルが決まらないが
「それぞれ」にするか「それぞれの美」か
あまり説明的になりたくない。

とはいえ、凛と咲く蓮の花は本当に美しい。

木版を摺っている途中でここで辞めたいと
思う時が必ずあると
前回、書いたが
その瞬間を意識して今回の作品は原画を起こした。

つまり、紙の白を意識したり、
水の波紋の木版画ならではの表現を
前面に押し出すなど、
大きな作品だと要素が盛りだくさん過ぎて
ぼやけてしまう部分に
フューチャーして作品化する。

まだ、鉛筆原画の段階ではあるが、
大体、どんな感じに出来上がるのか
大きな作品を摺った後なので
イメージが温まってきている。

結局、
1日中、ドリルの音がBGMだったが、
それぞれの持ち場で仕事を着実にしたという
手応えを感じた11月末の土曜日であった。