2026年9月24日木曜日

「病識」をどう考えるべきか

 


心臓のペースメーカーを埋め込む手術から
早2か月と10日経った。

7月23日に退院した後、すぐに区役所で手続し
ちょうど2か月で
身体障害者1級の認可がおり
交付されることになった。

身体障害者1級とは一番重い障害の人に
交付される手帳で
横浜市の各種福祉サービスが受けられる。

とても多岐にわたるので
今日はダンナと共に区役所に出向き
説明を聴き、いくつか手続きを行った。

まずは
カード型の障害者手帳を発行してもらった。
そのカードを提示することで
いろいろな福祉サービスを受けられるのだが、
1級2級の人と3級4級の人では
内容に差がある。

最初に分厚い冊子を見せてもらい
それぞれの級がどのような内容の
サービスを受けられるか一覧表をみたが
介護系のサービスは
自分には全く必要がないにも関わらず
心臓疾患だということで
一番重い1級が獲れていることが判った。

表によると視覚障害の方で一番重い人
つまり全盲だと1級だけど、
聴覚障害は2級からしかない。
音声・言語障害では3級と4級しかない。
肢体不自由には1級から6級まであるということは
1級の方は寝たきり全面介護の必要な方だろう。

細かい説明を2時間にわたって聴いて
自分が得られる特典として
一番有り難いのが
今後の医療費が無料になることと、
タクシーが1割引き+
タクシー券(1枚500円分)が年間84枚
支給されることだということが判った。

それも3級4級の人とは違うので
3年後の見直し時には3級か4級になりそうなので
ここ3年間限定の恩恵である。

その他、税金面、水道料金、高速道路代などでも
いくらか減免されるようだ。

説明の最後に
「赤い障害者用の札はいりますか」と
尋ねられたので
「電車に乗る時とかに必要かもしれないので
いただいておきます」と答えた。

この札は電車に乗ると
よくぶら下げている人がいるので、
障害者手帳をもらった人は
外出時に必ずつけるものかと思っていたけど
そういうことでもないらしい。

ゴミ出しでさえ携帯するようにいわれた
ペースメーカー手帳に比べて
個人の考えを尊重する類のもののようだ。

ペースメーカーを入れて
2か月と10日。

私の健康状態は日に日に回復し
9月には2週間にも及ぶ個展を乗り切った。

昨日は版画協会の審査と総会があり、
何人もの個展を観てくださった方々に
お礼のあいさつをすることが出来た。

何人かの作家仲間から
「あれだけの仕事量、すごいね」とか
「100歳ペースで続けられるんじゃない」等
制作の大変さを驚かれたり
ねぎらわれたりした。

いずれも
ペースメーカーのことは知らない方達ばかり
なので、きっと元気いっぱい
エネルギーいっぱいに見えるのだろう。

当人としては
同年齢の人よりは元気だという自負はあるけど
そのままの気持ちで突っ走っていいものか。

友人Aさんの「とにかく無理は禁物よ」という
声が聞こえてくるようである。

話は変わるが
今、朝日新聞のコラムで
「患者を生きる」
~小脳梗塞になった記者~
という記事がある。

48歳で会社で倒れ「左小脳梗塞」と診断され
歩くことも書くことも
考えることさえままならずに
ひどい吐き気や頭痛、麻痺などに苦しむ様子が
毎日、掲載されている。

現役バリバリの48歳、
海外駐在含め、
現場の最前線で活躍していた記者を襲った
突然の病魔。

その何もかも出来なくなった自分を
どう受け入れるのか。
仕事に復帰したいと焦ってはみても
手も足も思うようには動かないし
少し考え事をしようとすると
吐き気と頭痛に襲われ倒れてしまう。

リハビリの先生には
「病識が甘い」と指摘されたというのが
今日の記事だった。

「病識」とは
自分の病気についての認識のこと

記者は自分の身に降りかかった病を
きちんと受け止めておらず
無理な願望を抱いて無茶をしていると
度々指摘されたというのだ。

そして、その記者Oさんは時間をかけて
ものの考え方や捉え方を変え、
歩くことが難しくなり
パソコンも使えなくなる自分を
これもある種の「老い」であると
受け入れることにした。

そこでようやく
「最近、病識が深まってきましたね」と
リハビリの先生から言われたという。

さて、心臓ペースメーカーを埋め込み
身体障害者1級が獲れちゃった私は
どんな病識をもてばいいのか。

以前のパワーを10だとしたら
今はいくつぐらいか。

手術をしたからといって
何かが出来なくなったとか
食べ物を制限されたとかは
特段何もない。

しいて言えば
3か月間は左手を高く上げたり引っ張ったり
重いものを持ちあげないでねというぐらい。

今後、ゴルフやテニスはスイング時に
リードが外れる事故が怖いので
辞めておくよう言われている。
(元々、今はどちらもしていない)

現在は
カーブスの上半身の運動はどうするか
ぐらいが懸念案件だ。

他の障害者1級の条件と比べ
あまりにも何でも出来過ぎて
あまりにも病識のない私。

「調子にのって何でもできると思うなよ」
くらいが今の私にかける言葉だ。



2026年9月22日火曜日

個展の収支決算報告





9月22日、
台風一過の秋晴れ。
なんと8月30日から24日連続の雨からの晴天だ。

昨日は台風が関東地方を直撃していたので
長女と次女が実家帰りする予定だったが
キャンセルになった。

ぽっかり空いた2日間に
家にいた私は
最後の個展の後片付けをすることにした。

個展は12日の土曜日に終了したので
早10日も経っているのだが
まずはお求めいただいた作品の梱包と発送。
少し額縁でトラブルがあったので
そのことへの対応。

画廊買取作品を額から外して届けることなど
この間にもまだいろいろ後片付けが続いた。

今日はひととおりのことが終わったので
個展専用のノートに収支決算を書き込んだ。

収入としては
「お求めいただいた作品(額付き)9点」
「プレゼント作品(額付き)1点」
「画廊買取作品(シート)4点」

計14点の作品がいずれかにお嫁入りした。

支出は
事前にかかった主な支出
「画廊代」
「DM切手代(画廊分300枚・作家400枚)」
「タックシール代(団体展の名前シール)」
「新規制作の額縁12本」
「DMデザイン・印刷・配送料」
「画廊への搬出入代」

会期中にかかった主な支出
「キャストのお礼・お弁当」
「スーツケース宅配」
「ホテル宿泊2件分 4泊6日」

事後にかかった支出
「額縁の宅急便代」

こう書き出してみると
相当、いろいろなことに支出があった。
金額も3桁に近い。

しかし、毎週ホテルをとったことも
連日、お手伝いをお願いしたことも
本当にそうしてよかったと思えるので
とても有意義な支出だったと思う。

むしろ、キャストの方には
ご厚意に甘えてばかりで
申し訳ないと思っている。

結局、金銭的収支決算報告としては
大幅とまではいえないけど
黒字に収まった。

しかし、イベントの収支というのは
お金の問題だけではないと思っている。

そこにかけたエネルギーや思いに対して
どれだけの成果が得られたか得られなかったかが
むしろ重要だ。

それに関してはすでに書いたが
思いもかけずに
画廊の新装オープンの”こけら落とし”を担ったこと
プレオープンを含め4週間も展示されたこと
画廊関係の作家や出版関係の人に
おおぜい観ていただけたことなどは
プライスレスな嬉しい出来事だった。

更に個人的には
懐かしい友人知人との再会があり、
長くおつきあいいただいていることの
大切さを知ることが出来た。
思いがけない方のお買い上げがあったことなども
望外の歓びだった。

また、親戚になった甥っ子のお嫁ちゃんが
観に来てくれたので
結婚祝いとして作品をプレゼントできたのも
嬉しかった出来事のひとつだ。

彼女は某交響楽団のヴァイオリニストとして
「嫁」と「アーティスト」の2足のわらじで
目下、子育てに奮闘中だ。
そんな彼女が子どもの双子ちゃんになぞらえ
『寄りそう』が気にいったというので
「それならば」とプレゼントした。

自分と同じ境遇(意味深)で
頑張る彼女を応援できるのが
とても嬉しい。

「結婚祝いは渡しただろう」とダンナはいうが、
お金ではなくそばでエールを贈りたい
という気持ちを
彼女には受け取ってもらえたと思う。

また、芳名帳脇のペン皿と
菓子器には自作の陶芸作品、
ペイパーウェイトには
スワロフスキーのハリネズミを持って入ったが
そのことを画廊オーナーもどこからか知って
「あれは先生がお造りになったんですか」と
細かいところにも気づいてもらえたのも
嬉しいポイントだった。

お客様たちが
ひとりひとりが思いを込めた差し入れを持って
訪ねてくださり
その方らしいあり方で
個展を楽しんでいただけたのなら
それこそが私の収支の最大の収入だ。

個展が終わった今、
我が家にはまだいただききれないたくさんの
お菓子がリビングに山積みになっている。
会期中に
キャストに入ってくれた友人や
画廊オーナーにもお裾分けしたけど
それでもたくさん残っている。

今日は体重や数値が気になるけど
台風一過の晴天を眺めながら
いただいたフォートナム&メイソンの
アールグレイを淹れて
スイーツをいただこうと思う。

さて、リーフ・パイにする?
フィナンシェにする?
それとも初めての生チョコケーキ?

たちまちみんなの顔が思い浮かぶ。
私の至福のひとときだ。










 

2026年9月19日土曜日

2026年9月場所 大相撲観戦

 











個展の千秋楽から
今日でちょうど1週間。
この7日間は個展の後始末と
後ろに倒してもらっていたカウンセリングに
追われていた。

まずはお求めいただいた作品の梱包と発送、
各所への連絡やお礼のメール、
銀座へは画廊買取り作品4点を収めに行った。

そんな中、実は大相撲9月場所3日目の火曜日、
例の「友風応援団」の一員として
両国に大相撲観戦に行ってきた。

今回は西側の椅子席Aのチケットだったので、
反対側の東側から入場する力士は
正面によく見えた。

個展終了直後で疲れていたし、
雨模様だったので、
いつものような着物では出かけられず
ワンピースにしてしまったけど、
ひさしぶりに『推しの大の里』の雄姿を
この目で見ようと心は浮き立っていた。

『友風』は目下、十両で戦っているので
3時過ぎには出番がくる。
「友風応援団」の友人ご夫婦と私は
午後1時に待ち合わせて
友風の出番を待った。

会場には「友風応援団・川崎組」が
総勢70名も詰めかけ
会場に分散して席を確保し
名前入りのタオルを打ち振って
声を限りに応援した。

残念ながら
『友風』は『翠富士』あっけなく負けてしまい
3時半ごろ、十両の全取り組みが終わった。

私たちは取り組みの一覧表を片手に
間を見て、おしゃべりしたりお昼を食べたり
外に『友風』の出待ちに行ったり
親方と応援団の集合写真を撮ったりした。
(私は出待ちと写真はパスしたが…)

個人的には
今回、マストでしたかったことは
国技館名物のソフトクリームを食べることと
『大の里』の土俵入りをしかとみることだった。

今場所限定のソフトクリームは
紅はるかのソフトクリームで、
私は「いもぶっさし」という
ソフトクリームに紅あずまの大学芋がさしてある
お芋尽くしのものにした。

これがとても美味しく
「日本の秋」はやっぱり芋か栗だなと思った。

さて、肝心の『大の里』
先場所までパッとしない成績の『大の里』には
ちょっとガッカリしていたので
今場所こそメンタルを鍛え直して
横綱相撲を見せてほしい。

相手力士と当たってすぐに引くクセや
土俵際で飛び上がるクセ、
簡単にあきらめて土俵を割るクセなど
いくつか指摘されてる悪いクセを直し、
なんといってもメンタルの脆さを克服して
横綱らしくあって欲しい。

何なら、メンタル強化に
「私が認知行動療法しましょうか」と
いいたい気分の最近の大の里。

さあ、今場所はどんな状態か

横綱は最後の取り組みなので
そこまでの幕内の全取り組みを楽しみながら
今か今かと待っていた。

『大の里』の3日目の対戦相手は
今、注目の若手のひとり『琴栄峰』

土俵でしこを踏む時に大きく足を上げて
その柔軟性と体幹の強さを見せる
パフォーマンスで今、人気沸騰中だ。

そんな人気力士同士の取り組みに
懸賞金がなんと60本もかかった。

1本6万円
×60本で360万円
その半分は協会預けになるけど
半分の180万円を
1回の勝負で手にすることになる。

勝負はあっという間に『大の里』が
『琴栄峰』を突き出して3秒で終わった。
やんややんやの大喝采で会場中がどよめいた。

私はカメラを身構えていたけど
あまりに早い決着で間に合わなかった。
でも、この目で『推しの大の里』の強さを
間近で見ることができ、大いに安心した。

基本、私は強い男が好き。
美しい男が好き。

そのお眼鏡にかなうよう
『大の里』には頑張って欲しいものである。




















2026年9月17日木曜日

”こけら落とし”の大役を終えて

 















2026年のの個展は9月12日に
無事閉幕した。

この個展は
自分にとっては5年ぶりの個展だったが、
画廊にとっては
3年前に自社ビルを解体し
更地にしたところから8階建てのビルにした
新装オープンの展覧会だった。

プレオープンは8月17日から2週間行われ、
ビルの6階と7階の展示スペースには
今まで画廊と関わりのあった作家65名の
作品が展示された。

その期間、
5階のギャラリーは空いているのでと
私の個展作品を展示させてもらうことになった。

そして、本来なら1週間の会期を
9月1日は火曜日で中途半端なのでと
おまけで2週目もどうぞということになり
結局、4週間の個展期間と相成った。

9月1日からが本来の新装オープンで
6階は平常の画廊の事務所と作品販売、
7階は企画展示が始まり
トップバッターは「海老塚耕一展」だった。

養清堂画廊の”こけら落とし”の展覧会は
こうして始まり
私の個展は、無事に閉幕した。

”こけら落とし”というのは
よく歌舞伎で使われる言葉だが
その劇場が新しく建ったり
建て替えられたりした時に
最初にかかる演目のことを指している。

それは一度きりしかないことなので
その演目に関わることのできた役者は
とても誇りに思うだろうし、
主役ならなおさらだ。

銀座のど真ん中にある老舗画廊が
自社ビルを建て替えるにあたり、
このご時世に相当なご苦労があり
2代目の女性社長さんは
本当に大変だったと思う。

たまたま次回の展覧会をと考えて
声をかけた3年前、
私は建て替えのことを知らされ、
その場で出来た時の”こけら落とし”をと
お誘いを受けた。

企画展示でもないのに
おこがましいことだけれど、
大学院の卒業時から
東京での個展はずっと養清堂でやってきた。
初代社長さんには
結婚式にも来ていただき祝辞を賜った。

そんなこんなの思いが詰まった養清堂の
”こけら落とし”

勝手に意気に感じて
がんばらなければ!と思ってやってきた。

展覧会が無事に終わり、
撤収作業の終盤、2代目さんが
「こけら落としにふさわしいいい作家さんを
お選びになりましたねと言われました」と
報告してくれた。

その言葉は何よりのご褒美だと感じた。

ここまで勝手に意気に感じ、
出来る限りの友人知人にDNを配り
私らしいしつらえにと会場を整え
もちろん作品制作にも注力した。

その甲斐があったなと思う。

毎日、銀座の女のメッキがはがれないよう
精一杯おしゃれして
笑顔でお客様をお迎えし
作品解説に努めた日々。

連日、5階の会場には再会の出会いと
笑い声が響いた。

何人もの同業の作家たちから
「凄いパワーだよね。
この作品を
本バレンで摺っているなんて信じられない。
これほど作家と作品のイメージが
ぴったり重なる人もいない」などの
コメントをいただいたのは
私の勲章である。

これからの作家人生、
今回の展覧会でいただいた感想や意見が
心の糧になるだろう。

まずは温泉にでもいって
美味しいものをたくさん食べて
身体の糧を補充しようと思う。

個展に来てくださった皆さま、
各方面で支えてくださった皆様に
深く深く御礼申し上げます!!

















2026年9月16日水曜日

個展は怒涛の再会ラッシュ



















9月1日から12日までの個展の会期中には
本当に多くのお客様にご来場いただいた。
連日、雨か小雨か曇りかだった割には
足元の悪い中、
皆さん、遠方から来ていただき感謝感激である。

「晴れたら行こうと思ったけど…」と
お天気を理由にいらっしゃらなかったのは
おひとりだけだ。

むろん、大雨に見舞われた地区に
お住いの方はそれどころの騒ぎではないのは
想像に難くない。

9月1日、1週目の火曜日が初日で、
5日の土曜日までと
2週目の月曜日から土曜日までが会期だった。
「私は11日(金)以外は会場におります」と
添え書きをして案内状をお出しした。

すると面白い現象が起きた。
なぜか申し合わせたように
同じグループが同じ日に「重なった」のだ。

同じグループというのは
大学の同級生、
娘が中高一貫校に通っていた時のママ友、
最初に香港に住んでいた時の海外在住組、
趣味のお茶でかつてご一緒だったメンバーなど。

大学の同級生は
2週目の火曜日と
私がいない日狙い?で金曜日。
だれも約束していないのになぜかかち合った。
いない日狙いの同級生は
最終日に画廊で芳名帳を見たら
何人も同級生の名前を見つけ驚いたというわけ。

2週目火曜日は
ひとりの大学の同級生が見えて
会場で話しているうちに次のメンバーがきて、
またひとり、またひとりと
5人が次々に来てくれた。

私がいない金曜日の重なりぶりは
その日しか空いていなかったのか、
わざと外したのかは今だに謎である。

娘が中学や高校の時のママ友は
約30年ぶりの再会になると思うが、
キャストに入ってもらっていた友人と再会をはたし
会場でキャーキャー大騒ぎ。

もちろん私はずっと繋がっていた友人達だけど
偶然にもお手伝いをお願いした日に
来て頂け、昔話に大輪の花が咲いた。

また、最初の転勤先・香港で
ご一緒したメンバーが
何組もかち合ったのが2週目の木曜日。

次の日は私のいない日だし
その次の日は最終日だったせいか、
なぜかひしめき合うようにお客様の多い日だった。

そこで「もしかして?」
「〇〇さんよ、ご存じでしょ」てな具合で
何組もの友人達が繋がった。
不思議な日だった。
遠くは約40年ぶりの再会だ。

かち合ったわけではないけど
最も会っていないお久しぶりの人は
小学生の時の同級生の男の子。

ずっと繋がっていた同級生の女の子が
「△△君てあなたが初恋の人だったのよ」と
約60年ぶりに連れて来てくれたのだ。

おまけに彼女は当時の遠足の写真まで
スマホに保存していて見せてくれた。
どれが自分か見つけられないほど
大昔の写真で
みんなで大笑いした。

約60年ぶりの再会は
おぼろげに面影は残っているものの
流れた歳月を如実に物語っており
だれもが現実に抗って生きていると知った。

別れ際におぼつかない手つきで
それぞれLINE交換し
再会を約束した。

1週目の終わりの土曜日には
長女がキャストに来てくれたので
午後には婿が孫1号孫2号を連れて合流した。

毎年、どこかの展覧会には来てくれる孫たちも
9歳と6歳になったのだから
そりゃ、オーママも年取るわけだ。

今回のお客様の最年長は88歳。
大きな作品「雨の音色」をお求めくださった
ダンディなおじ(い)様。

最年少は2歳半。
長年、お世話になっているHP制作会社の
担当さんのお子さんだ。
生れた話は聞いていたけど
まだ見ぬうちに2歳児に。

お久しぶりの最長不倒距離は約60年ぶり。
いわずもがなの小学校の同級生。
男の子だったはずがおじいちゃんに。
私が初恋だったと言われましても…。

こうして私が版画制作を続けて
時折、個展を開催していることで
続くご縁があることは
本当に嬉しいことだ。

ブログが長くなるが、
「重なる」と言えば今回の個展は他にも
いろいろなことが重なった。

会期後半は『文学と版画展』と
丸被り。
同じ銀座のギャラリーだったので、
後半初めの月曜日には
オープニングパーティにも顔を出し、
お客様も作家も両方観ていただくよう
ご案内した。

また、パティシエ学校の
自分の授業のテストの採点も重なった。
1週目の半ばには解答用紙が自宅に送られてきて
真ん中の日曜日は缶詰め状態で採点した。

いずれも今年はパス!ができないものばかり。
体がひとつしかないことが
じれったい重なり具合だった。

しかし、そんなこんなを乗り越え、
2週間を無事に乗り切った。

今は次の個展のことなどまるで考えられないし、
作品の今後の構想も全く浮かんでいない。
それでも、どのグループからも
「また、個展のお知らせくださいね」
と言われると
なけなしの知恵を絞って
もう少し頑張ろうかという気になる。

さあさあ、この出会いや再会にパワーを得て
次のテーマが降りてきますように!!

神頼みのきみちゃんである。