2025年11月19日水曜日

鎌倉鶴岡八幡宮の茶会

 











朝夕の冷え込みが厳しくなった11月19日、
鎌倉鶴岡八幡宮の境内にあるお茶室で
大寄せのお茶会が開かれた。

お席は3席あり、
表千家茶道の神奈川県、湘南同好会が主催だ。

朝9時に3席の内のひとつのお茶室の前に
同じお社中のメンバー7名と先生が集合した。

朝9時に着物を着て八幡様に行くには
それぞれ相当朝早起きをして
自分で着物を着付けでかけて来ている。

私は朝6時起きだったけど、
上野からいらしている方などは
きっと5時起きだったに違いない。

それにしても
1か所にぱっと見ただけでも100名以上のご婦人が
着物を着て集合している様は
何回観ても圧巻である。

私たちは参道からいくと一番奥のお茶席から
参加すると決めていたので、
一直線にそのお茶席に並んで
2席目に入ることができた。

なんと96歳になるという美しい老婦人が席主で
掛物から花と花器、香合
お釜・棚・水差し・主茶碗・替茶碗・茶杓など
お道具のどれをとっても銘品ばかり。

その上、そのどれもに箱書きといって
表千家茶道の家元のお墨付きのサインが入っている。

家元のサインとひと口にいっても
当代の家元なんかではない。
96歳ともなると
先代、先々代、そのまた前の家元だったりする。
(何しろ昭和4年生まれなわけだから
歴史上の人物とご縁があったかもしれない)

お茶席の撮影は禁止されているので
証拠写真が撮れず
私の浅はかな知識と記憶力では覚えきれないが
とにかく美術館クラスのお道具が
目の前にズラズラと並んでいた。

一度に46名ものおばさま達が席入りしているが
その筆頭の正客と次客になった方は
お点前さんが点ててくれたその家宝みたいな
お茶碗で実際にお茶をいただくことが出来る。

11月はお茶の世界では炉が切られ
お正月という位置づけなので、
どのお席も重厚かつ上品な中にも
華やかな雰囲気のお道具組でまとめられている。

2番目に伺ったお茶席は桐の白木の袋棚に
てっせんの蒔絵が目を惹く
女性らしくて華やかなお席だった。

その席のお席主は養老孟氏の奥様。
こちらもとても品のいい美しい方。
全般に華やかなものがお好み。

その席では我が先生が正客を
引き受けてくださったお陰で
私は次客のお席に座ることになり
仁清写しの永楽保全作のお茶碗で
お茶をご馳走になった。

正客のお茶碗は赤楽に金彩が施された「了入作」。

お席主はさらりと
「そちらは了入です」とおっしゃるが
いやいやいや、そのお茶碗で実際にお茶が
いただけるなんて…という世界なのだ。

もっと勉強していれば正確な名称を書くことが
できるのだが
会記といって席中に回ってくるお道具のお品書き
みたいな奉書を見ている時は
フムフムと思うのだが、
いざここに書こうと思ってもすこぶる自信がない。

そんな由緒あるあまたのお道具を
まるで毎日の普段使いかのように並べ、
その季節ごとの趣向をこらし
お客様をお迎えするなんて
お茶席をもつということは本当に大変なことと
今回のお茶会でもつくづく感じた。

茶の湯の世界の奥は深く
あまりにも現実の暮らしとかけ離れているけど、
「わたくし、着物でこんな風にお茶しながら
秋の一日を過ごしていますのよ」
なんていう非日常に身を置く幸せを感じた。

3席まわって、3服のお茶と3つのお菓子をいただき、
八幡宮の参道に出ると
急にお腹が空いていることに気付いた。

鎌倉で古くからやっているという中華屋さんの
個室で
全員、レディースランチなるコースを注文。

お隣さん3人はまずは生ビールとばかり
ジョッキをグビグビ開けている。

さっきまでの日本の雅な空間はどこへ。
しかし、また、これが現実。
美味しくコース料理をたいらげ
おしゃべりに花が満開。

日本の女は実にたくましい。




















2025年11月17日月曜日

『平場の月』小説と映画鑑賞

 





『平場の月』の小説が山本周五郎賞を受賞して
とてもいい小説だと話題になった頃、
単行本の時に求め、読んで知っていた。

中学の時の同級生の「青砥」と「須藤」が
50代になって地元に戻っている時に再会し、
おつきあいが始まるという大人の恋愛小説だ。

互いを「青砥」と「須藤」という名前ではなく
姓で呼ぶ関係。
お互いにとっての初恋の相手だが
ほんの少し頬を触れ合わすだけの淡い思い出。

時を経て、それぞれに紆余曲折があり、
わけあって独り身の状態で再会した。

病院の売店で働く「須藤」と
胃の検査のために来ていた「青砥」が
偶然会って
以後、
「互助会」的な関係をと連絡をとるようになる。

小説の方は
目次が
すべて「須藤」(女性)のセリフになっていて
「夢みたいなことをね。ちょっと」
「ちょうどよくしあわせなんだ」
「話しておきたい相手として青砥は
もってこいだ」
「青砥はさ、なんで私をお前っていうの」
「痛恨だなぁ」
「日本一気の毒なヤツを見るような目で
見るなよ」
「それ言っちゃあかんやつ」
「青砥、意外としつこいな」
「合わせる顔がないんだよ」

という調子で話す女性なので
サバサバしているというか男性的というか
色気がないというか…というイメージだった。

しかし、映画では「須藤」を井川遥、
「青砥」を堺雅人が演じているのだが、
中学時代からの同級生ならそういう言い方
するよねと妙に納得した。
つまり、「須藤」は『太い』女性なのだ。
(芯が強いとか人に甘えないの意)

映画が封切られるだいぶ前に、
小説の中の「青砥」の心理を
役作りのため1年半もかけて
小説を読み込んだという堺雅人氏の
インタビューを見た。

何をそんなに読み込んだのかと
以前、買って読んだ本を取り出し
私ももう一度読んでみた。

その時点ではこのもどかしいとも思える
50代の男女の会話が
うまく腑に落ちずにいたのだが、
映画を観て堺雅人と井川遥の表情から
35年の時を経てなお、温めていたものが
少しずつ氷解し互いに求めあうのを理解した。

実は思いもかけない結末に
小説を読んだ時も、映画を観た時も
人生の無常を禁じ得なかったけど
それもまた現実だと受け止めるしかない。

小説より映画は中学時代のふたりのやりとりが
描かれているので、
14~15歳ぐらいの同じ年の子の感情に
感情移入できる分、
そのぶっきらぼうな「須藤」と
おどおどしている「青砥」が切なく愛しい。

映画は14日に封切になったばかりだ。
この手の映画は
あまり長くかかっているとも思えないので、
出来れば映画館で観てほしいし、
小説も併せて読んで欲しいと思う。

脇を固める役者陣もとても上手だし、
『平場の月』の様々な月も
美しい朝焼けも夕焼けも心に染みてくる。

小説の世界観を
裏切らずに映像化しているいい作品だと思った。







2025年11月15日土曜日

対作品『表裏一体』の本摺り

 



























対の作品として創った2点の作品の
2点目の本摺りに漕ぎつけた。

11月に入ってから試し摺りをとって
本摺りのためのイメージを構築してきたが、
前回のブログにもあるように、
試し摺りといっても数日かかった。

まず、ひと通りの色を置いてみて、
版の作り忘れやズレなどがないか
形のおかしい部分がないかチェックする。

次に足りない部分や気に入らない彫りがあれば
作り直したり、手直しする。
今回は鴨の版を作り直した。

更に版調整といって
汚れがつきそうな部分やトラブルを起こしそうな
部分の彫りを完璧にするところまでが
試し摺りだ。

その際、乾いた時の絵具の色引けの注意点や
もっと濃くとか薄くとかの指示の他、
絵具の名称が決まったら版木に直接書き込む。
もちろん作品ごとに和紙の色見本帳も作っている。

それらの資料に基づいて
本摺り用に予定を空け、このサイズだと
丸3日間は本摺りに取り組めるようにする。

そんなわけで今回の作品は
今週の木・金・土の3日間で
本摺りを決行することにした。
そのためには火曜日には絵具の調合をし
水曜日には和紙の湿しを行う必要があった。

そんな風に何日にもわたって準備すると
絵具や和紙が本摺りの時まで乾かないように
絵具にラップをしたり、
和紙にしっかり重しをかけた上に
ビニールのテーブルクロスをかけたりする。

今回は4枚の和紙を湿したのだが、
90×90㎝の紙を扱うのは
いちいち動きが大きくなるので
それだけでもかなりの体力がいる。

そのせいか、水曜日の午後のお茶のお稽古に
着物ででかけようとしたら、
午前中の和紙湿しで疲れたせいか
駅前で心臓がバクバクなってしまい、
やむなくお稽古に行くことを断念して
急遽、タクシーで自宅に戻った。

もし着物姿で駅前で倒れたりして
救急車に乗るようなことになったら
和紙を湿したのに本摺りを取りやめるしかない。
そうなると大量に作った絵具も廃棄か?

この際、事の優先順位と自分の体力を考え、
趣味のお稽古ごとはあきらめるしかなかった。

木曜日、
何とか普段通りの気分で朝を迎えたので
「ゆっくり、ゆっくり、無理せずに」と
自分で自分に声をかけつつ、
最初の雨のパートを摺り始めた。

絵具の鉢の写真を見るとわかる通り
雨だけでも5色の絵具を使っている。

今回アップした26枚の写真は
まるで「脳のアハ体験」のように
前の写真と次の写真と
どこが違うのかと思われるだろう。

例えば、雨だけのものの次には
雨の合間に花びらや花芯が見える。
これはたとえ同じ版に彫ってあっても
2回に分けて摺っているということを意味する。

つまり、雨と花びらを同時に絵具をのせると
時間がかかり過ぎて絵具の乾燥がおきたり
目配り気配りができずにミスをする可能性が
あると思うので、分けて摺っているのだ。

そんな調子でなるべく白っぽいもの
なるべく後ろにあるものの順に
絵具が悪さをしないような順番で
摺っていく。

雨と花びらの次には下半分の水場と
背景の「皮鉄」という濃紺を摺った。
その次は脇の濃い空色。
そのまた次は
下半分の三角の背景に「落葉茶」という焦茶色。

こんな風に紙のどこかだけに偏らないよう
上半分の次は下半分を摺る。
和紙がばれんの圧で多少は伸びるので
伸びが均一になることにも留意している。

アハ体験が進むにつれ
案外、ここで辞めたら美しいと思える時が
訪れるが
試し摺りでは許されても
本摺りでは許されないので
とにかくすべての版を
ミスなく摺り終わることが重要だ。

これで版木としては2枚半。
面としては両面なので5面。
見当の1組で1版と数えるので
版数としては25版ほどある。
色数としては30色くらいか。

版は版木の四方のいろいろな所から
とっているので、
1面に4~5版くらいあることになる。

5面目の版木は
対のもうひとつの作品と共用なので
版木の上が大渋滞になっていて、
包装紙で隠して摺りたい所だけ出す作業が
想像以上にめんどくさい。

しかし、それに手を抜くと
必要のない部分が変な所に摺れたり、
和紙を合わせる見当を間違えたりして
大事故が起きてしまう。

事故と言えば、
前回は霧吹きで水を撒きすぎて
途中で一部の絵具が泣き出し
4枚で始めたのに1枚途中で破り捨てるという
悲しい事件があった。

今回は同じ轍は踏まないよう
最低限の霧吹きにしつつも
和紙の乾燥だけは回避しなければと
気を遣った。
しかも、天気がよく乾燥も進んでいたので
部屋のシャッターは全部閉めて
加湿器の量もMAXである。

こうして
3日間も正座したり、バレンで摺ったり
立ち上がって和紙の場所を入れ替えたりで
体力も限界、
脳みそも限界に達した気がするが、
何とか4枚の作品が最後まで摺りあがった。

一度、途中で摺りのミスをすると
心理的ダメージが大きく
自分を責めて引きずってしまうので
浅田真央ではないが
「ノーミスで滑り切ることが何より大切」

どこの世界もプロの世界は厳しい。

昨日の大の里は
友人曰くの「鬼のように強く」
平戸海が軽く吹き飛ばされていたし、
今日の大の里は身長差20㎝もある宇良に
低く低く攻め込まれ
一時は懐に入られたけど、上手ひねりで
退け無傷の7連勝。

今場所の大の里は
どうにも負ける感じがしない。

テレビで観ている大の里は
1日の内のほんの数分だけど、
あの強さの裏には
日々のたゆまぬ努力があるに違いない。

試し摺りも本摺りも
そんなに大変なのかと思うかもしれないが
そうやって出来た作品が
額に入って「スッ」とした顔で
飾られていたらカッコいいと思うのだ。

さて、8月から
体重を落とそうと思って3か月半。
カーブスにも通い込んだし
試し摺りと本摺りもあったしで、
4㎏のダイエットに成功した。

今日は久しぶりにビールを飲んで
自分を褒めてあげることにしよう。
お疲れ!!






















2025年11月11日火曜日

試し摺りと餃子

 









先週の土曜日から3日間、アトリエに籠って
新作の試し摺りをとっていた。

10月に本摺りをした90×90㎝と同じサイズの
大きな作品だ。

10月の『光と影』とは対の作品なので、
出来あがりも双極作品としてのバランスも
考慮しつつ、
独立した作品として色彩を考えていく。

ブログでは毎回、本摺りの時に
折々にスナップショットを撮って
どんな風に仕上げていくのか
摺りのプロセスが分かるように書いてきた。

本摺りでは
版画の色の明るい部分、
もしくは奥にある背景から手前のものの順に
摺っていく。

つまり、明るい色の雨のパートが最初に来て、
次に淡いピンクの花びら1版目、
淡いグレーの水面1版目などが
早いうちに摺るパートになる。

そして、徐々に暗い色になって
葉っぱのグリーンの濃淡などが中盤にきて、
とはいえ、バックのこげ茶色や濃紺、
空の色なども後ろにあるものなので、
中盤のところで摺ってしまう。

そして、2版目に重ねる色を終盤に摺り、
最後に黒い線で表現している葉っぱを摺る。

和紙は湿らせた状態を保持して摺るので
色が変わる度に和紙をずりおろして
版の上に正確にのせる。
摺る時は紙の裏からあて紙をして
バレンで摺る。

その際、湿った紙に濡れた絵具がこすれ
「泣く」といって滲んだりこすれたりすることが
あるので、
黒い絵具が泣き出したりすると大変なので、
最後にするという訳だ。

しかし、試し摺りの順番はそれとは違う。

そもそも和紙は濡らさず乾いた状態で作業する。
1枚だけ摺って、都度都度色味がちょうどいいか
確認しつつ、
大事なパートから摺っていく。

つまり、淡い色の雨は本摺り同様先に摺るが、
黒い蓮の葉っぱは重要なパートなので
案外、早い時期に摺ってしまう。

黒い蓮の葉に対してどんな分量の何色の空にするか
水の色、背景の色など、
メインモチーフの状況に対して決めていく。

その時、多少の「泣き」やら「こすれ」や
「ズレ」は気にせず、
本摺りではそれは起こらないと自分を信じ、
色合わせだけに集中するのが試し摺りだ。

そんな時、いつも思うのは
「この段階、すごくいい」
「ここで辞めた方が美しいのでは」
というタイミングが必ずあることだ。

全部彫った版木を摺って完成のはずが
途中の段階で「いいな」と思うとは
どういうことを意味するのか。

以前から、その疑問はあって
数年前に版数を減らし、
和紙の白を活かした作品作りをしているのに
相変わらず、全くの途中でいいなと思う
自分がいる。

では、そこで辞めてしまえばいいのにと
思うかもしれないが、
それでは何を描いたのかが分からないので
結局は彫った版木すべてを摺るのだが…。

紙の白は強いし美しい。
色数が多すぎるとケンカする。
版画らしさを失わないことが大切。

といった学びを肝に銘じ、
試し摺りを進めていく。

という訳で3日間も家から出ずに
試し摺りにいそしんだ結果、
脳みそがとても疲れてしまった。

その上、鼻かぜをひいてしまったようで
うつむいて摺っていると
鼻水まで垂れるようになってしまった。

こういう時は早く寝るのが一番だ。

分かってはいるが
作業がまだ終わらないし
まだ本摺りに向けてピンときていない。

版画家が最もナーバスになっている時だ。

そんな時、なぜか
モーレツに餃子が食べたくなった。

我が家で餃子といったら
冷食でもなく外食でもない。
めんどくさいの極みではあるが
自分で作った餃子が食べたいのである。

そんなわけで
一番疲労がピークの時に
こんなこともあろうかと買っておいた
厚口大判の餃子の皮で
26㎝のフライパンめいっぱいに餃子を作った。

何回もフライパンの位置を変え
火の入りを均一にし、
最後にぴったりの大きさのお皿をかぶせ
ひっくり返す。

試し摺りのモヤモヤを振り払うように
きれいな焼き色の餃子が出来た。

珍しくビール抜きでそれを食べ
英気を養い
早めに就寝し、最後の1日の朝を迎えた。

鼻かぜも私の勢いにビビったのか
1日でほぼ終息。
3日目は鴨の彫りを修正したりして
何とか本摺りへのイメージが出来た。

これで、仕切り直して絵具を調合し、
週の後半は本摺りの予定である。

日曜日から始まった大相撲。
推しの大の里も3連勝の横綱相撲だ。
全く関係ないのだが
彼も頑張っているんだからと
自分を鼓舞する健気なおばちゃんである。

どすこい!!









2025年11月3日月曜日

学園祭と教え子との再会

 


























毎年11月3日、文化の日に行われる
パティシエ学校の文化祭。

連続で10回近く来ていると思うが、
さすがに晴れの特異日、
今年の文化の日も気持ちの良い秋晴れだった。

朝9時半前には学園の前で非常勤講師の友人と
待ち合わせ、
先に来た人が列に並び、着いた人が合流する。

今年はラッピングや冠婚葬祭の規則などを
教えている友人とそのまた友人2人と私の4人。

友人はそろそろリタイアを考えているので
次にバトンを渡す2人に
授業のアシスタントを頼んだり、
学園祭に一緒に来て徐々に講師になる準備を
してもらっている。

例年は10時の開始早々に1階のレストランで
食事をするのが常だったが、
今年は毎年長蛇の列をなす5階のパンの販売から
攻略することになった。

5階につくと早くも少し列はできていて
パン専攻の学生が
「先生~、おススメはごろごろポテトの何とかと
お月見仕立てのカレーパンです~」というので
可愛いポップの書かれたショーウィンドを見上げ
順番が来るまでにどれにするか決めた。

最近、グルテンフリーだか何だかしらないが
ブクブク太ったのをパンのせいにしたり、
パンは腎臓に悪いから食べないとかいう
おじさんが我が家にひとりいるせいで、
パンの消費量が減っているにも関わらず、
気づけば各種菓子パン4個、フランスパン、
練り込みチョコの食パンを注文していた。

そこから、1階のレストランに行き、
丁度満席になってしまったタイミングで
お食事の列に並んでいると
この春に卒業してホテルに就職が決まった
3人連れの男の子たちが入ってきた。

友人Tさんに気づいたS君が手を振った。
S君の隣には
私が一番可愛がっていたM君の姿があった。

私と目が合うと、思いがけない再会に
照れくさそうにしながら笑顔を見せた。

印象に残る優秀な成績だった2人だ。
S君は横浜ニューグランドホテル。
M君はニューオータニ。

働き始めて半年。
今どうしているんだろう。
3人で学園祭に来たということは
仕事も順調で、
友人関係も続いているということか。

彼らはエレベーターで最上階まで行き、
私たちは手の込んだ評判のランチを
いただいた。

私は魚介のパイ包みクリームソースがメインの
お魚プレートのセットにした。
他の3人は牛肉とマッシュポテトが層に
なっているお肉料理。

それを1200円で提供しているので
毎年、長蛇の列。
しかも非常勤講師にはお食事券がつくので
タダで食べられるとあって
30分待ちの列もなんくるないさ~

パンをしこたま買って、
ランチをゆっくり食べたところで
ようやく人心地つき、
学生たちの作品展示を観ることにした。

学生たちはスーツ姿であちこちにいて
それぞれの係を担当している。
何人かの学生が駆け寄ってきて
「私、あの後、内定決まりました」と報告。

最後の授業の時に
「学園祭には伺うので、見かけたら声かけてね。
その間に内定取れた人は教えてね」と言って
あったので、
「先生~」と言われるととても嬉しい。

その学生たちの作品が賞をとっていたりすると
もっと嬉しい。

そんな風にパティシエコースの作品ブースで
観ていた時、
黒いコートを着たM君が
ひとりで作品を観ている私を見つけて
寄ってきてくれた。

ニューオータニに就職したM君だ。
就活時にかなり個人的に相談にのって
自己PR文と志望動機を手直しした。

打てば響くタイプで
かなり深くパティシエという職業について
考えていて、自己紹介の時に
「世界一のパティシエになる」と大風呂敷を
広げられ、驚かされた学生だ。

ニコニコしながら近づいてきたかと思ったら
「僕、今、トゥールジャルダン東京に配属に
なったんです」と報告してくれた。

トゥールジャルダンは
ニューオータニグループの最高峰レストラン。
ニューオータニで働く人の憧れの部署だ。

そこで、フルコースの最後のデセールという
一皿ごとに提供されるスイーツを
創っているという。

それはパティシエを目指す人の
ひとつの憧れのポジションだ。

彼は3人組、私は4人組で行動していたが
すっかり教え子との再会に舞い上がり、
いつしかふたりきりで話し込んでいた。

自分の誕生日に
ポール・ボキューズでディナーした時の
デセールの写真を見せながら
スマホをスクロール中に
一緒に出てきた木版の作品も説明した。

M君は私が就職対策講座の講師だと思っていたら
藝大卒の木版画の作家だと知って
ますます興味が湧いた様子だった。

講師は個人的に学生と接触してはいけない
規則なので、
個人情報を聞き出すことは出来なかったけど、
一番のお気に入りの学生が
この後、トゥールジャルダンのスーシェフに
なったりしたらいいなぁとうっとりする。
(ちなみにM君との写真は今年の謝恩会)

もうこれは気分としては
講師と学生の一線を越えている。

スマホの画面を2人で覗き込みながら
他の人が入り込めない空気を出していたのだろう。
「先に5階に並んでいるね」とTさんが言い、
その部屋を出ていった。

ドラマだったらもうちょっと怪しい展開が
待っていたかもしれないが、
結局、素に戻った私は
「じゃあ、頑張ってね」などと
ありきたりのひとことをかけ、
私達も別れてしまった。

あの時
「来年、個展があるけど観にくる」とか
何とか言って
LINE交換しておけばよかったと思ったが、
後の祭りである。

最後に、5階の和菓子の学生達のブースで
抹茶と生菓子のセットをいただき、
持ち帰り用の和菓子セットも購入し、
今年の学園祭巡りは終了。

学生が言うがまま
こんなにパンや和菓子を買い込んで
ダイエットはどこへ行ったのか。

意外とまだ自分は先生業なんだなと実感した。