2022年11月17日木曜日

久々のお茶会

 











11月17日、
毎年同じ日に行われる
表千家茶道湘南同好会のお茶会に行ってきた。

毎年と言っても、コロナ禍で
昨年と一昨年は行われなかったので
3年ぶりの開催ということになる。

しかも、正に好日とは今日のような
お天気をいうのではないかと思う
天高くすっきりした秋晴れで空気が清々しい。

このお茶会は鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の
一画にあるお茶室を使って開催されるのだが、
今年はお茶席は3席だけで
いわゆるランチも持ち帰りのお弁当とお茶が
用意され、
その場ではいただくことができないシステムだ。

それもこれもコロナのせいだが、
ここ3年間の厳戒態勢を思えば、
ずいぶん解禁になったものだと感慨深い。

その3席のうちの1席、常陸席を持たれたのは
我がお茶のお社中で同じ曜日に学ぶ友人の
お母さま。
昨年、お席を持たれると予定されていたものが
1年延期になったので、
満を持しての登場だ。

というのもお母さまは福島の郡山にお住まいで
そこで長年、お茶のお稽古場を開いて
たくさんのお弟子さんを抱えている。

今回も大型バスを仕立てて
昨日から40人の団体様で鎌倉入り。
今どき、40人近くのお弟子さんを
もっている先生なんて近辺じゃ見当たらない。

先生は78歳のご高齢ながら、
陣頭指揮を執りかくしゃくとしているし、
娘である友人も若先生として
裏方の采配をしながら
きびきびと動いていた。

先生のお席は
福島の歴史と土地の名物のお菓子などを
織り交ぜつつ、
11月というお茶の世界のお正月のめでたさを
表現したお道具の数々。
(11月は炉を開き、お茶壺を開封する)

もちろん、それぞれの先生方が
今日のこの日のために趣向をこらし、
自らのお席のコンセプトを
お道具組みや出されるお菓子などを通じて
お客人に饗されるのだ。

席入りした私たちは会記を拝見したり
席主の説明などを聴きながら、
立派なお道具を愛で、
座る場所によっては実際にそうしたお茶碗で
饗されたお抹茶をいただくことができる。

幸い、その友人のお母さまのお席では
お正客といって1番目のお客を
我が先生がお引き受けになったので、
私もご一緒して3客(3番目)の席に座ることになり
河井寛次郎のお茶碗でお茶をいただくことになった。

渋いブルーのややぽったりした
民芸らしい温かみのあるお茶碗に
たっぷり濃いめのお抹茶だった。

お茶席で実際にお茶を点てるお点前さんは
次客さんまでのお茶を点てるので、
3番目以降のお客のお茶は
陰で点てて出される。

そのお席では3番目の私は河井寛次郎の茶碗、
4番目だった友人は魯山人の茶碗であった。

もちろん1番目と2番目も
それぞれ由緒のあるお茶碗なので、
人に饗された様々なお茶碗を
見るだけでも楽しいひとときである。

基本、お茶席の写真はNGなので、
お許しの出た立礼席のお席のお軸とお花と
煙草盆しか写真は撮影できなかったが、
お軸の「雪月花」は先々代のお家元の直筆。
お花は「吉祥草」という名でおめでたい。

煙草盆もお祝いごとの茶事という趣向を鑑みて
お盆の外に松竹の絵、中に亀の香合、
場所が鶴岡八幡宮なので鶴と
「おめでた尽くしにしてみました」と
席主から説明があった。

こんな風にそれぞれのお席で、
大勢の着物に身を固めたおば様たちが
お菓子をいただきお茶をいただき、
最後にお釜やら、茶碗やらに近づき
のぞき込んで拝見している様は
はたから見たら奇妙な世界かもしれないが、
その世界に足を突っ込んで久しい者には
久々のお茶会で本当に楽しい時間だった。

朝5時半に起きて着物を着て
鎌倉まで出向いて3席まわると、
時間はすでに2時を過ぎ、
みんなお腹がグーとなりそうだった。

同じお社中の5人が残り、
午前中とはがらりと雰囲気を変え、
小町通の中ほどのレストランで
スパイシーエスニックカレーをほおばり、
おしゃべりに花が咲いた。

帰宅してタクシーを降りる頃には
空が茜色に染まっていた。

ここ数日、コロナの陽性者数が増えて、
第8波になりつつあるという。

それでもやっぱり
着物を着てお茶会に出かけ、
非日常に身を置き、
お茶を楽しむのは心弾むイベントなので、
「気をつけつつ楽しむ」
それが人生だと思った秋の1日。


















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