2024年9月17日火曜日

十五夜のばぁばご飯

 
















先週ぐらいから少し空が高くなり、
1週間前はちょうど半月くらいの月が
冴え冴えと夜空に浮かんでいた。

カウンセリングが夜に入っている日があり、
そんな時は帰宅時に
お月様がどこにいるか探した。
秋の月はことの他きれいだから。

日に日に丸く満ちていくお月様。

そして、今宵こそが十五夜お月様で
神々しいほどに美しい満月だった。

今日の私は「ばぁばご飯」の日。
昼頃、娘の家に到着し、
リクエストに応えて調理開始。

十五夜だからどうのというわけもなく、
相変わらず孫たちの好みのおかずが
リクエストされているが、
唯一「さばの蒲焼」なるものが
初めてのリクエストだった。

本日のメニュー
「さばの蒲焼」
「豚ロースの野菜のせ」
「ポテトのチーズ焼き」
「キャロット・ラぺ」
「揚げ出し豆腐」
「にらともやしのお浸し」
「鶏むねの南蛮漬け」
「青椒肉絲」
「けんちん汁」
以上9品

2番手以降は「またですか」と言いたくなる
ようなヘビロテ・メニューだが、
まあ、それがおふくろの味ならぬ
オーママの味として
好評ということだろう。

さて、その「さばの蒲焼」なる一品。
娘がネットで
骨を抜いたさばの冷凍を見つけたとかで、
大量に仕入れてあった。

孫1号はここ数年、
肉肉しい料理が苦手で
もっぱら魚でたんぱく質を摂っているので
さばの献立はいろいろ作れないと
飽きが来る。

そこでLINEで送られてきた新しいレシピが
「さばの蒲焼」だった。

「さんまの蒲焼」は作ったことがある。
だから、うなぎの蒲焼みたいな甘辛いたれに
焼いたさばを絡めればいいのだろう。

私は送られてきたレシピは一応、目を通すが
大体の手順と
調味料に何を使っているのかだけ覚え、
あとは自分流にアレンジしてしまう。

今回もたれに蜂蜜が使われていることだけ
心に止めて
後は適当に作ってみた。

自作の陶器の器に盛り、
最後に白ごまをパラパラまぶすと
あら美味しそう。
(白ごまはレシピにはなかったが…)

今日は推しの大の里が霧島との対戦を迎える。
そのことだけが気がかりで
いつでもテレビにかじりつけるよう
耳をダンボにしてスタンバイしながら
今週もひとり、ばぁばご飯を作り続けた。

無敗の大の里と1敗で追いかける霧島。
まるで千秋楽かと思うような組み合わせに
推しでなくても力が入る。

今場所、大関取りがかかっている大の里は
確実に先場所より上手くなっていて、
結局、この対戦は大の里が霧島を退け
10勝目、無傷で二桁勝利をあげた。

あと5日。
このまま無傷で千秋楽までいけるのか
本当に楽しみだ。

ちょうど、今日もテレビの前で
気をもんでいる頃、
孫1号が帰宅、
続いて娘も帰宅、
そして、珍しく早帰りの婿が
孫2号を保育園でピックして帰宅した。

今日の大相撲は6時より前に終わったので
珍しく最後の弓取式まで放映されていた。

まるで神事のような弓取式。
筋骨隆々の琴翼(佐渡ケ嶽部屋)の後ろ姿
まわしだけをつけた鍛え上げた男の体が
弓をしならせる度に波打つ。

私は断然、
こういう筋肉質な体のお相撲さんが好みだ。

私の他の推しの力士は
今場所は負け越してしまいそうなので
是非、大の里だけには頑張って欲しい。

ひとり静かに調理しながら
テレビを観る時間は
6時を境にわちゃわちゃと崩れたので、
6時半過ぎ、私は早々に娘の家を退散した。

空にはまだ低い位置に大きなお月様。

「煌々と」という言葉がぴったりの
満月が微笑むように浮かんでいた。





























2024年9月16日月曜日

ハスの葉の飾り彫り

 








3連休が終わろうとしている。
世間の皆さんはまだまだ暑い中、
家族や友達とどこか行楽に出かけたのだろうか。
ニュースで
東京方面に向かう車が渋滞していると
伝えている。

私はというと
全く遊び的な要素のない3日間で、
2日間はカウンセリングが入っていたし、
中日は車を出して大買い出しをしていた。

そして、3日間とも1日の半分は
彫台の前に座り込んで
飾り彫りの下絵を仕上げ、
飾り彫りの彫りの作業に着手した。

9月の真ん中の日を挟んでいたので、
前半までに下絵を完成させ、
後半に入ったら飾り彫りに手を付ける、
そう決めた自分に忠実に過ごしたことになる。

私の場合、年に6~7点の版画作品を創り
グループ展や団体展に分けて出品するという
年間のルーティンがあるのだが、
季節による温度や乾燥の具合に合わせ、
原画作成、彫り、摺りなど、
いつ頃、何の作業をするかが決まっている。

昨今は地球温暖化の影響を色濃く受け、
また、団体展が4月初めだったものが
10月初めに変わったりしたことで、
その年間スケジュールにも
微妙に変化が起きたが、
とにかく、人ひとりが生み出せる作品数は
ある程度決まってしまうので
誰に言われたとかではなく
自分なりのスケジュールで
粛々と進めていくしかない。

「芸術は爆発だ~!!」とか
「わだばゴッホになる~!!」だとか
絵描きの内側から何かがほとばしって
パッションのままに筆や彫刻刀を動かして
いるように思われているかもしれないが、
案外、そうではない。

今日は9月の後半に入ったので、
予定通り、飾り彫りに手を染められ
私としては焦りもなく
平常心で作品と向かい合って
午後の陽が傾くまでアトリエで過ごした。

飾り彫りの作業は
蓮の葉の下絵のラインに沿ってはいるが、
彫刻刀で絵を描くように
下絵のラインをもう一段、
ソフィスティケートさせようと
版木にのめり込むように顔を近づけ
版木の木の声を聴きながら彫り進めていく。

昔、棟方志功は極度の近眼のため、
牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、
版木すれすれに顔を近づけ彫っていた。
その姿がテレビで放映された時、
その顔と版木の近さに視聴者は驚いた。

あわや彫刻刀が目に突き刺さるのではと
当時、子どもだった私もびっくりしたが、
いざ、私が実際に版を彫る段になると
木目の方向に合わせて
彫刻刀の力の入れ具合や
刀の傾きを決めるため、
今の私も棟方志功そっくりになっている。

完全に彫り師は職人仕事なのだ。

彫りの作業は
手が勝手に動いてくれるので、
案外、頭は考え事ができると
以前、ブログにも幾度となく書いてきた。

だからBGMに好きなCDをかけたり、
作業中に最近の友人との会話や
カウンセリングでの会話を回想したり、
横目で相撲中継を見たりもする。

しかし、一番、目を使い、気を配っているのは
版木との会話だ。

特に飾り彫りは
「描くように彫る」のが信条なので
版木(シナの木)との対話が
なにより大切だ。

木は1枚1枚硬さも違うし、
温度や湿度の影響も受ける。
だから、そこを感じ取れないままに彫ると
版が欠けたり、
彫刻刀がつっかかったり、
切っ先が欠けたりする。

まれに彫刻刀でけがをすることもある。

最近は左右の手の動きがうまく連動せず
右手の彫刻刀が左手の指先をかすめ
血が噴き出るなんて事故は起きていないが
そんな怪我をしたこともあった。

私のブログネタで
版画の専門的な話が一番数字が伸びないので
今日のブログなんて
みんなの興味のない話なんだろうなと
ふと頭の片隅をよぎる。

しかし、そんなこととは関係なく
芸術は淡々と
孤独な時間の中で
じわじわ熟成させるものなのである。

夕方5時。
ようやく彫台から離れ、
翔猿と大の里が勝った大相撲に気をよくして
春巻の具材を切って炒め、
皮で巻いて揚げた。

本日のディナーは
「春巻」
「卵焼き」
「生わかめのしょうがポン酢」
「ざる豆腐の冷ややっこ」
「枝豆」

もちろんすべては
美味しいビールを飲むために!
お疲れ!!













2024年9月14日土曜日

むくげの下絵を描きながら

 











9月2日に実施された
パティシエ学校の「就職対策講座」の
テストの解答用紙が、自宅に届いてからは
出題した講師として、
4~5日間ほど家に缶詰めになって
採点の作業に忙しくしていた。

なにしろほとんどが記述論述式の問題なので
〇✕をつけるだけではなく
文章を読み込み、添削して
1問ごとにコメントを書いたりして
非常にめんどくさい。

その間、文学と版画展の会期とも重なっていたので
会期中、2度ほど会場に友達をアテンドして
作品を観に行ったりもした。

その展覧会の版画作品と本の装丁が
今週の水曜日の夜、自宅に戻ってきて、
これで年間行事のひとつが無事、終了した。

そして、
13日の金曜日は夏休み明け初めての授業があり、
テストの答案用紙を学生に返却しつつ
答え合わせをしたので、
もうひとつの年間行事が無事、終了した。

こんな感じで
七色仮面の生活はいくつかの節目を乗り越えつつ、
次のステージへと移っていく。

もちろん、その間にもカウンセリングは
約2日に1度の割で行っているのだが…。
今日は午前中に1本カウンセリングを済ませ、
午後からはようやく木版画家としての
時間が持てた。

9月の木版画家としてのミッションは
「4点分の作品の飾り彫りを仕上げること」だ。
なので、9月の前半で
下絵の段階を終え、
後半でいよいよ飾り彫りへと進めるつもり。

つまり、この3連休中に
4点分の下絵の部分を終えないと
ちょっと気分的に追い詰められるという感じだ。

作家にはいろいろタイプがあって
追い詰められないと力を発揮しない人と
逆に追い詰められるとろくでもなくなる人が
いると思うが、
私は完全に後者である。

それを分かっているので、
ものごとは計画を立て
少し余裕をもって前に進める。
そして、
時間が余るぐらいでないといいものができない。

9月初め、旅行がキャンセルになり、
思いがけずに月初から下絵を描く作業に
取りかかれたにも関わらず、
他の先生業やらカウンセラー業が忙しく、
ちょっとご無沙汰になってしまったが、
今日こそはしっかり下絵の続きを描かねば。

そう思って、
本日の助っ人として
亀井聖矢君のCDを選び、
彼の流麗なピアノを聴きながら
彫台の上の版木に向かった。

まずは「カンパネラ」から始まる1枚だが
曲が進むにつれ、
どんどん難解な超絶技巧の速い曲になる。

CDのコメントに
「どんなに音符の数が多くてテンポが速くても
ひとつひとつの音には意味があると
思っている」とあるので、
耳元で攻め立てるように聞こえてくる音にも
一音一音思いを込めて弾いている
聖矢君の顔が思い浮かぶ。

甘いマスクの聖矢君だけど、
人知れずピアノに向かって猛練習を積み、
深くその世界に入り込んで
人を寄せ付けない厳しさで打ち込んでいると
想像するにつけ、
私も頑張らねばと刺激を受ける。

今日、手掛けたむくげの葉っぱと
底紅と呼ばれる白い花の中心の部分は
早くも、
来年の「文学と版画展」に出品予定の作品だ。

つまり、そのための小説も選定済みで
小説の中に重要な役割で登場する
むくげの花は7月初めには取材してある。

そんな風にせっかちが嵩じて
早め早めの行動に余念がないが、
なにしろこの猛暑では摺りの作業はできない。

なので、9月いっぱいまでかけて
4点分の作品を彫り上げるところまで
出来れば良しと、考えている。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるが
本当に9月のお彼岸を過ぎたら
涼しくなってくれるのであろうか。

周りを見渡しても
とにかく今年の暑さは今までにない
暑さだったせいか、
自分も含めて体調を崩したり、
夏中、使いものにならなかった人が多い。

1年12ヵ月の内、
7~9月の3か月間は暑くて動けなくて
2~4月は花粉症で目が真っ赤では
日本も本当に生きづらい国になったものだ。

早く涼風が立って
クーラーをつけなくてもいい季節に
ならないかと
汗をふきふき思うばかりだ。

今宵のお月様はどんなかな
十五夜 お月様
うさぎが跳ねているかしら

さてとお団子食べて、一服しよ!!















2024年9月12日木曜日

戻ってきた装丁と額縁

 










先週1週間、銀座のギャラリーで
お披露目していた額と本が
昨夜、ようやく自宅に戻ってきた。

午前中に開梱して中身を点検した。

作品の入った大きな額縁と一緒に、
本の装丁のラフプランの図
2Lの写真を切り張りして作った見本
手書きの書による題名と著者名
プロカメラマン撮影による作品のCDーROM
実際の本
出来あがった装丁2パターン
(紙の質を変えたもの)

それらが丁寧に包装され
同梱された状態で宅急便で送られてきた。

並べてみると
ひとつの本の装丁が出来あがるまでに
かなりいろいろな工程があり、
何人かの人の手を経ていることが判る。

文学と版画展の他のメンバーは
全員、版画家なので、
装丁に関する知識や技術を持っている人とは
限らないが、それでも
大抵の人は自力で本の状態まで仕上げて
搬入してくる。

しかし、私はイラストレーター
(通称イラレ)をパソコンにインストール
していないし、
使いこなすことができないので、
ラフデザインまでは起こすけど
あとは人任せにして完成させている。

今回もギャラリーのオーナーのFさんに
すっかりお世話になり、
途中何度となく打ち合わせやら確認やらを経て
今回の装丁カバーは出来あがった。

これまで9回も出品しているが
今回ほどFさんが入れ込んでくれたことはなく
細かい指示を仰がれ
微調整を重ね、印刷所に持ち込んでくれた。

Fさんはデザイン畑出身というわけではなく、
「単にこういうこと好きなのよ」と
言うばかりだが、
この作業をグラフィックデザイナーに頼んだら
軽く10万円とか言われそうな作業だ。

しかし、毎年、回を重ねるごとに
Fさんの中に
「萩原のブックカバーをよりいいものに」と
いう意欲が芽生えているようで
いつになく熱心に取り組んでくださり
感謝の気持ちでいっぱいだ。

私としては「文学と版画展」に関しては、
いつでも来年の本にどれを選んで
どんな作品と合わせようかという思いがあり、
版画の原画をおこす時すでに
大体この辺に作品タイトルがきて、
著者名はこの辺にくるといった
装丁イメージを意識している。

それをFさんもよく感じ取っているらしく
「それは十分、伝わっているわよ」と言うので
最近はタッグを組んでいる感が出てきている。

先週のお披露目の中で
一緒に発表した仲間や私の友人からの
感想や意見をいただき、
無事に
今年度の「文学と版画展」の仕事は終わった。

そこにかけた情熱と時間の割に
さらりと終わってしまうことに
一抹の不満と寂しさがよぎるが
とりあえず、
搬出され、諸々が私の手元に戻ってきた。

もし、私の死後、
回顧展が行われるようなことがあれば、
「萩原は本の装丁も手掛けていて、こんな風に
デザイン画や表題の手書きの書が…」なんて
展示されることになるかもしれない。

ふと、そんなことを思って
今回のデザイン画や装丁一式は
右左にゴミ箱にというわけにもいかず
本棚にしまい込んだ。


















2024年9月10日火曜日

大相撲観戦とばぁばご飯

 




















今日は9月1回目のばぁばご飯。

午前中に整体に行き、
昨日までのパティシエ学校のテストの採点で
ガッチガチに固まった肩と首をほぐし、
せっかくほぐしてもらったのに
クッキングでまた肩こりという
いつもの悪循環に突入。

それでも、今日は長女一家が全員出払い、
それぞれの持ち場に行ってくれたので、
私は留守宅に忍び込んで
お気楽クッキングだ。

まずはクーラーをギンギンに効かせ
テレビをつけて
さあ、オニオングラタンスープの
玉ねぎを刻んで炒めるところから作業開始。

本日のメニューは
「オニオングラタンスープ」
「サーモンの黒胡麻フライ」
「タラのグラタン」
「かぼちゃと油揚げの煮物」
「コールスロー」
「鶏モモのネギ塩のせ」
「れんこんと人参のきんぴら」
「ブロッコリーのオムレツのせ」
「鶏手羽元のオーブン焼き」
以上9品。

この中で最も時間を要するのは
意外やオニグラなので、
4玉分の玉ねぎをスライスするところから。

途中からは、大相撲3日目だったので
テレビはNHKにして
菜箸やら包丁を持ったまま
キッチンとリビングを行ったり来たり。

折しも両国国技館まで
友風の応援に行っていた友人ご夫婦と
ライヴでやり取りしながら
私も推しの応援に余念がなかった。

そうこうする内に孫1号が最初に帰宅。
学校から支給されているタブレットで
出来立てのばぁばご飯と
オーママの写真を撮ってくれた。

孫1号は学校、学童、公文と
火曜日の予定がびっしり入っている。

最近は長女の仕事も忙しいらしく、
私が帰る時間の少し前にしか
帰れないこともある。

徐々にそれぞれの生活の時間帯が
バラバラになり、
自立していく寂しさも感じるが、
相変わらず、勢い込んで食べてくれる姿に
目を細めつつ、本日のミッションを終了し
帰路に就いた。

もうすぐ十五夜。
今宵は
大きな半月が、秋を少しだけ感じさせる空に
ぽっかり浮かんでいた。