2021年7月21日水曜日

夏きものと老夫婦の物語

 








本日も気温34度の猛烈な暑さだった。

水曜日はお茶のお稽古の日で、
大雨でも降らない限り、ドレスコードは「きもの」だ。

気温34度は、どう考えても着物を着るには
暑すぎると思うが、
水曜日のメンバーはけなげに着物でお稽古に向かう。

昨日、今回のお稽古には何を着ようかと
タンスの中を探したところ、
まだ、一度も袖を通していない夏の着物が
出てきた。

総柄の縮みとおぼしき風合いの着物で、
数年前、とあるご縁で
人からいただいた夏の着物である。

そのご縁とは
私が所属していた福祉団体のボランティアで
伺ったおうちの奥様が
施設に入られ、
結局、ご自宅を手放すことになったことに始まる。

当時、私はそのお宅に伺って、
お買い物代行や調理などのサービスを行っていた。

その頃は旦那さんが相当弱っていて、
足腰が不自由で、
奥様は病弱で家事の負担が大きくなっていた。

最初は人の助けを借りていたけど、
次第に大きなおうちを維持できなくなって、
お二人で施設に入所、
ひとり娘はすでに独立していて、
実家にある物にも実家そのものにも
興味はなく、
遂には取り壊すことになったという。

そこで、タンス一竿分の着物も処分することになり、
「もったいないので、誰か着てくれる人がいたら
差し上げます」という連絡がきた。

昨今、着物をくれるといわれても
喜ぶ人はさほど多くはなく、
何回かボランティアで伺っただけの私にも
連絡が来たというわけだ。

主を失った空き家はすでに黴臭く、
着る人のない着物の中から、
私は色無地の訪問着と袋帯、
そして、今回、着ている夏の着物をいただくことにした。

しかし、人様の着物は自分が選んだものではないので、
なかなか出番がないまま、
月日が経ってしまった。

5~6年ぶりに出してきたその夏の着物には
まだ、しつけがかかっており、
あの奥様でさえ、
袖を通さなかったことがわかる。

昨今の日本のこの湿度と暑さは尋常ではなく、
よほどのことがない限り、
着物で出歩くこともないので、
買い求めたはいいがタンスに眠っている着物が
何枚かあるのが実情だ。

きっとこの縮みの着物もそんな1枚だ。
自分の持っている夏帯の中から
墨色地に雪輪模様のものを合わせ、
指し色にダークローズの小物を添え、
着てみることにした。

いざ、袖を通してみると
その涼しいことといったら、
今までの夏着物の中で群を抜いている。

全く肌にまとわりつかないし、
シャリシャリした風合いで
ほどよく風を通し、何と言っても軽い。

夏物の涼しさを表現するのに、
「蝉の羽のような」という言い方があるが、
正に蝉の羽のような透け感と軽やかさだ。

お茶のお社中の皆さんにも褒めていただき、
先生も、
「こういう風合いの着物を夏になると着ていたわ」と
着物巧者のお母さまを例に
お話ししてくださった。

あんまり着心地がいいので、
帰り道、行きつけの呉服屋さんに寄って
「これは何という着物ですか」と尋ねたところ、
「きっと小地谷縮ですね」という答えが返ってきた。

その呉服屋さんは
新潟出身なので、
この着物が小地谷縮なのは間違いないだろう。

麻の糸で織られた織物で、
夏の小地谷縮は涼しいので、
夏中、手放せない人も多いとか。

こうして誰の手も通さず、
しつけがかかったまま、
持ち主を転々とした夏の着物は、
2021年のオリンピックが始まる直前に
ようやく本領を発揮することになった。

今頃、あの時のご夫婦はどうなさっているのやら。
あの気難しい旦那さんは亡くなられたと
風の便りに聞いたけど、
奥様の方はまだご存命かしら。

この着物をいただいたお礼もせずに
何年も過ぎてしまったけれど、
この先も夏になれば、
きっと私はこの着物に袖を通すだろう。

私の持っている他のあまたの着物たちも、
暑いからとか、めんどくさいからとか言って、
着ることを敬遠していると
同じような道をたどることになるかもしれない。

着てこそなんぼの着物たち。

残りの夏のお稽古も
頑張って着物でいこうと思った次第である。














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