令和7年10月10日
鎌倉の鎌倉宮の境内で行われた
「第67回 鎌倉薪能」に行ってきた。
お茶のお社中で鎌倉に住んでいる方に
チケットをとっていただき、
今回で3回目の薪能鑑賞だ。
お天気は薄曇りで、気温も暑からず寒からず。
とはいえ、鎌倉宮の境内は夜になると冷え込むので
皆、ショールや半コートなどを手に
夕方、鎌倉駅のタクシー乗り場に集合した。
今回からは雨天になった時の
代替会場として鎌倉芸術館が用意されているが
やはり、薪能は鎮守の森の中で観てこそ。
お天気の具合としては
これ以上ないベストコンディションだった。
個人的には10月5日に
長良川の鵜飼を鑑賞してきたばかりなので、
篝火つながりというか
日本の伝統芸能に触れる秋になった。
鎌倉薪能は
第1回が1959年(昭和34年)で、
奈良の興福寺や春日大社に次いで
3番目に長い歴史をもっているということだ。
薪能とは、
お客さんに見せることが目的の芸能ではなく
元来、天下泰平・五穀豊穣・国土安寧を願う
神事として執り行われるもの。
僧兵による衆徒法螺の音に始まり、
篝火の火入れ式、素謡、狂言、
神酒賜りの儀、能、附祝言と
奉納されるこれらの神事に
立ち会わせていただいている。
鎌倉薪能におけるお能は金春流が
狂言は和泉流が請け負っているので
毎年、金春流と和泉流の演者さんが出演する。
今年の演目は
狂言が「棒縛り」
シテ(太郎冠者)は野村裕基
能は「羽衣」
シテ(天女)は第八十一世家元の金春憲和
ワキ(漁師白滝)館田善博
ワキツレ(漁師)御厨誠吾
「棒縛り」は歌舞伎でも何度も観た演目で
棒に縛られてでもお酒が飲みたい男の
面白おかしい所作がみどころだ。
野村萬斎の息子の野村裕基がシテだったが
もう26歳になっていると思われるが
愛くるしい顔立ちのせいか
とても若々しい若者という感じ。
声の質がお父さんそっくりで
背が高いので所作が大きく
可笑しみを表現するのにぴったりなので、
狂言界の次代を担う若手のホープだ。
「羽衣」のシテは
八十一世家元が勤めたが
本当ならお父さんの八十世家元の金春安明氏が
やるはずが体調不良で八十一世に。
金春流もそろそろ次世代への変換期なのかも。
「羽衣」は天女が地上に降りた時に
羽衣を漁師(人間)に隠されてしまった。
「返してほしいと願い出る」と
「舞を舞ってくれるなら」と言われ、
実際に羽衣を身に着け舞ってみせるという物語。
天女だけが能面をつけ、
月をかたどった美しい金の宝冠をつけている。
途中で身に着けた羽衣は本当の金の糸で織られ
鳳凰の柄が文様として織り込まれている。
暗い森に薪のパチパチはぜる音と虫の音。
謡の低く響く声が
天女が月の天人として白衣と黒衣を着て
ひと月の夜ごとに15人で入れ替わり
定められた月の役目を果たしていると
語っている。
あまりに幽玄の世界過ぎて
その物語の意味までは聴きとれなかったけど、
間違いなく鎌倉の森に
雅で不思議な空気が漂っていた。
すべての演目が終わり、
さっきまで面をつけて舞っていた金春憲和氏が
ラフな服装であいさつに出てきてくれた。
メガネをかけた40代のおじさんがそこにはいて
ゲストの假屋崎省吾さんなどと話しながら
気さくに写真撮影に応じていた。
天女の化けの皮がはがれ過ぎていてびっくりしたが
近くまでいって
篝火や幕の写真などを撮らせてもらった。
1000人ものお客さんが
夜風がだいぶ寒くなってきた境内を
ショールに顔をうずめて帰っていく。
玉砂利を踏む音があちこちですると
ここはまだお寺の境内なんだと判るけど、
一歩、境内をぬけると
大型バスが何台もスタンバイして待っている。
そして、ぎゅうぎゅうに乗り込んで
みんな現世に戻っていった。
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