9月20日に最後の釉薬をかけた器の
本焼きができあがったと連絡があったので、
工房に取りに行ってきた。
一緒に作陶をしていたメンバーが来ている日が
いいかなと思って
引き取りの日として
第1土曜日の午後を選んでみたが、
残念なことにご一緒していたSさん親子は
この日は別件の用事があったようで
日にちを変更していて留守だった。
結局、最後の釉薬をかける日も
最後の器を取りに行く日も
工房にいたのは先生だけという形になった。
工房につくと、今日は体験の人もいない様子で
焼きあがった7つの器が作業台の上に出してあり、
先生は工房で体験の人が作っていった器の
削りの作業をしていた。
体験の人は作陶のおいしいところだけやって、
中心の芯出しや、高台の削り、
素焼き、釉がけ、本焼きと
陶芸の難しいところはみんな先生任せだ。
会員である私たちもどんなに長く会員でいても
素焼きや本焼きといった電気窯に関する作業は
先生にやっていただくしかないので、
本当の意味で陶芸をやったとはいえない。
それが『ものつくりびと』としては
何だか中途半端に感じられる部分だが、
かといって何時間も何十時間もかかる焼きの作業を
自分で出来るほどに取り組みたいかというと
あまり現実的ではない。
美大時代に教育実習で陶芸を経験したが、
その時、工芸科の人に
陶芸の焼きの作業は一升瓶を抱えて
何十時間も火の番ができなければ務まらないと
言われ、
そんなに大酒飲みでもないし、
体力的にも無理だろうと思った。
結局、というわけで
私にとっての陶芸は『趣味』にすぎないことは
最初から分かっていたが、
何のかんのと言いながら13年間は続けたことになる。
最後の7つの器のメインは四隅が斜めにカットされた
『角皿』である。
他には2つのスープ皿
2つの白い小鉢、
黒い小鉢、
オブジェのような貝の形の器
以上の7点である。
まずは『角皿』にどんな釉薬をかけたいのか考え、
黒×白で幾何学的な模様を作りたかったので、
油滴天目(黒)と失透(白)という2色の釉薬を
攪拌した。
他の器はこの2色でできるかけ分けである。
つまり、『角皿』命。
そこさえ思う感じに焼き上がれば満足である。
結果は90点というあたりか。
案外、狙った感じに焼きあがったと思う。
素焼き、本焼きと2回の収縮を経て
大きさが小さくなったせいで
おせんべいやクッキーなどを入れるお皿として
丁度いいくらいになった。
当初、キンパを山積みに出来るぐらいにと
考えていたのだが、
それにはちょっと小さいかもしれない。
こんな風に陶芸は思いもよらない表情になったり
予想以上に焼き締まって小さくなったりする
生き物である。
窯の中で繰り広げられる人知を超えた自然の営みが
面白い部分なので、
どんな結果も受け入れようと思う。
今日は最後に先生に角皿を見せながら
「結構、私らしいのが出来たと思いますけど」と
感想を訊くと
「形がしっかりしてるね」と
まるで初心者にかけるような言葉が返ってきた。
最後の工房でのやり取りは
結局、素っ気ないもので
私はそそくさと新聞紙で器を包んだ。
工房のY先生とは入門当初はかなりやり取りし
私の版画展にも何度も足を運んでいただいた。
作家として認めてくださっているとの自負が
あったのだが、
ここ数年、なんだか距離を感じる。
陶芸は私にとって何だったのか。
工房や先生はどんな位置づけだったのか。
ご縁があったからこそと思いたい気持ちに
少し秋風が吹いている。
私の手元に残っている多くの器を見る時、
作陶の日々や先生やメンバーとの思い出が
蘇ることもあるだろう。
楽しい思い出がたくさんある。
工房以外で会う友人も出来たし、
何人もの方が私の展覧会に足を運んでくれたのは
とてもありがたいことだ。
ただ、工房を辞めてしまうことで
その人的つながりもなくなるかもしれないし、
きっと距離ができるのは否めない。
「無常」
常なるものは何も無し
いつも頭に去来する言葉が今日もかすめた。
少しセンチメンタルになっているのは
急に気温が下がってきたからかもしれない。
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